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また知らない名前



 いつものように昼食を樹と共に取ろうとして購買部から弁当を片手に教室へと帰還したカズヤをクラスメイトの束ねられた注目が迎えた。

 ただならない空気にその場で立ち竦む。

 普段から目立たず人付き合いも最小限な生活を送っていたカズヤからすれば、朝と同様に多くの視線には慣れていない。

 何か言う事もなくじっと見るだけのクラスメイトにびくびくしながら席へ戻る。


「よ。人気者だな」

「人気の理由が知りたいっての。心臓に悪すぎるだろ」


 何が仕方ないのかも聞きたくない。

 すでにカズヤの席を占領し、楽しげに手を振っている樹に低い声で返す。

 完全に忘れる事は出来ないが、玉砕した初恋から早くも立ち直った現在、今までのように静かに過ごしたいカズヤとしては教室の状況は不穏にしか感じられない。


「あー。それは仕方ない」

「仕方ないって?」

「みんな既に恋人持ちとはいえ、だ。その前までは椎名さんが好きだった男も多かったんだぜ」

「そうなんだ?」

「それに、椎名さんに好きな人を盗られるんじゃないかと怯えてた女子もいるからな」

「……そんな凄い人なのか」

「かーっ。そんな意識の低さじゃ、誰かに横取りされるかもしれねえぞ?」


 樹の忠告もカズヤの耳には入らない。

 椎名さんとは何者か。

 入学して半年も経つが、その名を耳にした事は無い。または葉桜さんに夢中で耳に入っても記憶していなかったのかもしれない。

 他クラスの女子であり、樹から聞いた内容から察するに女子の恋愛競争面では危機感を、そして男子からは憧れの的にされているだけの人気者だと察せる。

 本当にそんな女子、いたか……?


「昨日の内に噂は広がってな」

「おまえにしか話してないから噂の元は知れてるぞ」

「だって。クラス全員がリア充とか目出度いじゃんっ!」


 口の軽い男だと樹の評価を下方修正し、唯一の相談相手も失ったのだとカズヤは密かな絶望に打ちひしがれる。


「まあ、注目したって何の特徴もない平凡な男なのにな」

「平凡な男に椎名さんが落とせるかよ。何かあるんだろ?」


 樹に尋ねられるが何も無い。

 会った事すら無い。

 カズヤとしては知らない間に恋人になった椎名さん本人にこそ謝罪したい気分だった。そんな煩悶も、下らない男のプライドで素直に話出せない現状が最高に忌々しい。

 嘘つきは泥棒の始まり。

 皆にとって憧れだった椎名さんを嘘で手にした自分は泥棒だという妙な納得すらしてしまう。


「そういえば、カズヤ」

「ん?」

「おまえ、朝から特に疲れてなさそうだけど日課のランニングはやめたのか?」

「ああ、あれか」


 日課のランニングとは、毎朝カズヤが早起きして家から隣町の公園までを走って往復する自主トレーニングの事だ。

 葉桜海に少しでも良く見られたいが為に体力作りとして始めた習慣で、他にも筋トレなんかも頑張った。

 しかし、失恋した今もう必要無くなってしまったのだ。

 育った筋肉などが目に見える形でやり甲斐も感じていたが、それすらへし折る失恋によるショックの大きさは計り知れない。


「もういいんだよ。あれは」


 カズヤとしては、もうやる気も無い。

 今思えば一時間も早起きして行う運動で授業中に寝かけてしまう事だってあった。

 それに、ランニングをしている時、いつも時間帯やルートが一緒になってカズヤが気に食わないのか競争を仕掛けてくる女の子がいた。

 あの子もカズヤが居なくなって清々しているかもしれないのに、また朝のランニングを邪魔するようで申し訳ない。


「まあ、そうだよな。恋人ができた今、もう練習は必要ないか!」

「あ゛あっ、そゔだな」


 努力が実らず恋も散ったカズヤに樹は無自覚で致命傷を与えていく。

 これ以上のダメージを避けるべく会話を切り上げて弁当を手早く開封した。

 恋の運動習慣のせいで無駄に大きくなった男子校生の胃袋には細やかな量だが、いずれ運動をやめた体には適量になっていくだろう。


「ごちそうさま」

「早っ!? てか、今日少なくね? 大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。ちょっとトイレ」


 まだ食事途中の樹に断ってトイレに避難する。

 カズヤの話が終われば、樹は間違いなく聞いてもいない自分の恋人との馴れ初めやら告白成功までの道程を事細かに語り始める。

 そうなったら致命傷どころか本当にショック死しかねないので逃げるしかなかった。


「友達の恋路すら素直に喜んであげられない俺って」


 ひとり肩を落として廊下を歩くカズヤは、ふと行く手から歩いて来る人影を認めた。

 すらりとした長身に自然にセットされた髪と直視した女子どころか男子まで動揺してしまう甘い顔の男前がいる。

 カズヤと同じクラスで人気者の竜胆春馬。

 クラス内でも美人と言われる学級委員長の女子と交際しており、教室内で他人の恋路にすら疎いカズヤですら認知している有名カップルとして騒がれていた。

 春馬はカズヤに気づくと、甘い微笑みを向ける。


「やあ、矢番くん」

「ん。竜胆はトイレから戻った所か?」

「うん。……あ、聞いたよ噂のこと」


 春馬の一言にカズヤはまた泣きたくなった。

 逃げた先でもこの話か!


「おめでとう、矢番」

「あ、ありがとう」

「……柚子香のこと、よろしくね」


 カズヤの恋を言祝ぐ春馬だったが、少しだけ寂しげな笑みの後に一言だけ残して教室の方へ去っていった。

 カズヤはその背中を見送り、小首を傾げる。


「ゆずか……誰の話?」







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