第5話 脆くか弱いこのセカイ③
読みにくい文章だったら申し訳ないです。
グループ内の挨拶を終えた僕たちは、そのまま勉強タイムへと突入していた。
4人グループということもあり、ペアを組んで進めることになったので話し合ったところ。
案の定というかなんというか、僕は月夜さんと組むことになった。献一のやつ、真っ先に播磨と組むわ、とかいって自然にペアを組ませたつもりだろうけど、今だけは感謝しよう。成績がアレなので主席の月夜さんと組ませてください、って言わずに済んだ。
まあ、同じクラス同士ではなるべく組まないようにしてね、と先生からお触れが出てたし妥当なところなのだ。僕と献一が組まなかった理由はそれ。
そしていざ実際、この勉強の時間が始まってみると、だ。
始まる前はなんだかんだ私語などが多少飛び交う空間を予想していたものの、実際はシャーペンを紙に走らせる音だけが響きわたっている。
僕の手はさっきから止まってしまっているため、それがより強く感じられた。
「あの、伯川くん。何かつまづいたところでもありましたか?」
月夜さんが僕の様子を気にしてくれたのか、小さく声をかけてきた。
つまづいた、というよりはまだ道の上を歩こうと決めたばかりというか。ここを今解こうとしたらかかる時間を考えて、飛ばすべきか悩んでいたところだったのである。
この合宿でやるべきこととして主に定められているのは、中学時代の復習である。学園側は決して高くないハードルをこの合宿に定めている、と僕でも感じる。ようは前提の知識として中学時代に習ったことくらいはすぐに頭から引っ張り出せるような状態であるべきだと考えているのだろう。入学から時間がそう経っていないこともあるし、ちょうどいい時期ではある。
合宿最終日に到達度を確認する試験があったり、等はない。少なくともしおりに記載はないし、滅茶苦茶長い自習のようなもの、と担任も説明していた。合宿明けに実力テストは行うらしいけど、それも今回合宿で利用するテキストから出題する、ということなのでクラスメイトのみんなは構えていなかった。ように僕には見えた。
早い話、そのテキストさえ終わらせれば合宿における課題はなくなる。ほとんどの生徒はそれを目標としているはずだ。
だけど僕はこの合宿を機に基礎能力を向上させたい、とそういう意識で臨んでいる。
「あ、ああ、うん。ちょっと考えこんじゃってたよ」
「…分からないところがあったら、聞いてくださいね」
月夜さんはおそらく、この合宿でもこれまでの授業の復習やこれからの予習をやるべきこととして決めているのだろう。彼女の言う分からないところ、というのは入学して以降学んだ部分で、という前提があるに違いない。
さすがに彼女も、僕が中学時代の内容でつまずいている、とそう捉えていることはないはずだ。そう思いたい。
実際僕自身もそこに思うところはない。中学までのことなら文字通り全て頭に入っている。
テキストを合宿三日目までに終わらせることではなく、終わらせた上で予習や復習に取り組むための進め方を模索していたのだ。
「思ってた通り、基礎的な問題ばっかだな。楽勝、楽勝」
「これなら明日中にテキストの内容は終わりそうだよね」
献一と播磨さんのそんな会話に、少しだけ畏怖の念を抱いてしまう。確かに、入学試験や模試のようなレベルでは決してないし、僕でも対して時間をかけずに解けるようなレベルの内容ばかりが載っている。それでも、いちいち習った時の記憶を引っ張り出して解いている僕とは進行速度の差が歴然だった。
息をするように進めていく二人を見て、これが”身に着いている”という状態なんだなと感じた。
おっかしいな。僕も相当の速度で進めてるつもりなんだけど。
つくづく、特待クラスのレベルの高さを感じてしまう。黙々と進める僕の傍らで、人と会話しながらもテキパキとテキストの内容を進めていく二人の様子が印象的なひと時だった。
時刻が19時30分を回ったころ、献一が休憩をとらないかと誘ってきた。
正直ちょうどいい時間帯ではあるが、テキストの進行状況はちょうどよくなかった。ここからぶっ続けで一時間休憩をとっても集中力が切れるだけだと感じたため、献一には悪いが一人で休憩に行ってもらった。
ちなみに、播磨さんは19時を回ってすぐに休憩へと向かった。そのため、今このテーブルに残っているのは僕と月夜さんだけとなっていた。
もちろん、他のテーブルにも生徒はいる。だからその状況にあまり緊張することもなく、彼女の方に目をやることもなく僕は目の前のノートに集中することができていた、はずだった。
思いもしないことが起こった。
ふと、彼女の方から声がかけられたのだ。
「あの、伯川くん。水曜日にお話ししたこと、覚えていますか?」
そんな、彼女の言葉に、集中の線は途切れてしまった。
けど、不思議と全く悪い気分じゃなかった。
「えっと…亀山聡生の本について話したこと?」
「っ!!そうです、その、おはなし…」
「それが、どうかしたの?」
「伯川くんは、その…」
言葉を詰まらせてしまった月夜さん。
けれどそれは、言いづらいからというよりは恥ずかしそうに。もう続く言葉は頭に浮かんでいるのだろうということを、聞いている僕自身が思ってしまうくらいには明らかだった。
モジモジとしている彼女はどこか人間的で、僕らと変わらない血の通った人間なんだと感じられた。
学年主席で、お堅い印象が強く、校内で流布された噂もおよそ人間味にかけるものばかりだった彼女がだ。いや、高嶺の花なのは間違いないけどさ。
「願い事ってありますか?」
ようやくひねり出されたように思えたその言葉は、時間にして実は10秒も経っていなかった。
ただ、あまり考えることもなく、思ったことが自然と口から漏れるのを止めることはできなかった。
いや、止めるつもりがそもそもなかったんだろうな。
「今は、婆ちゃんを安心させたい、かな」
自分はこの学園でこれからもやっていける、と安心させたい。
そんな。願い事なのかどうかよく分からない本音が漏れたというのに。
彼女は何を言うでもなく、ただ微笑んでいた。
だから僕は、思わず聞いてしまった。今この会話が途切れるのがいやで。
あの日、話をしたことと願い事に何かつながりがあるのか。それが気になったから。
「月夜さんにも、あるの?願い事」
「……はい。私の願いは―――――――」
あり得ないとわかっていながら、奇跡を願うように。
祈っても叶わない、と身に染みていると言わんばかりに。
言いかけた彼女の姿はどこか、悲壮に満ちていたように思う。
「忘れられない思い出をつくること、です」
それは、ありふれた願いなのかもしれない。人が人として生きるのであれば、どんな内容でも、思い出というものとは切っても切れない。
幸福に満ちていようと、辛くて悲しいものであろうと、記憶は等しく思い出となる。
そういうふうに、変化させる。
こういうことがあったなぁ、と思い起こせばもうそれはただの記憶ではなく思い出だ。
記憶に残るから、思い出になるのだと僕は誰よりも知っている。
だから、彼女がなぜそれを望むのか、僕にはわからなかった。
「上手く言えないんだけどさ…」
「はい…?」
そんなに難しいことじゃない、と言いかけたところで自ずと口が塞いでしまった。
今この瞬間だって、僕にとっては忘れられない思い出の一つになるだろう。だけど、それが彼女にとっても同じである保証はない。そんな、当然のことにさえ目をそらしてしまっていたから。
適切な言葉が見つからない。
だから、だろうか。恥ずかしげもなく、普段の自分なら絶対言わないであろう言葉を口にしていた。
特に、献一が居たら絶対に言わなかっただろうな。
「僕で良かったら、手伝う、よ…」
何を言ってるんだ、と顔が熱くなるのを感じた。
やっぱり、僕はこの合宿を忘れられそうにない。それだけは確信できた。
顔を伏せたかったけど、伏せてしまうと恥ずかしがっているのがバレバレだと思ったのでかっこつけて彼女から目をそらさずに頑張った。
彼女はというと、少しだけ驚いた様子で小さく何かを呟いた後に、僕に聞こえるように言った。
「ありがとうございます、伯川くん」
合宿一日目はこの後も続いたけど、特に何かが起きることもなく。
上気した脳みそはオーバーヒート気味で、帰ってきた献一に何があったのかとしつこく聞かれたくらいだった。
こうして、一日目は幕を閉じる。
だけど。
これから、本当に忘れられない出来事が起きるなんて、この時の僕には予想もできなかったんだ。
次回「脆くか弱いこのセカイ④」に続きます。
合宿ラストです。ようやく、起承転結の起が終わります。
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