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おとぎ話は願いごとのあとで  作者: 枕野くろす
第一章 月へ還る麗しき姫
3/8

第2話 まるで御伽とは呼べない平穏

 ◆5月22日(水)◆


『明日になれば分かります』


 昨日、彼女が言っていたこの言葉の意味は、今日になってすんなりと理解出来た。

 今朝のHRでは合宿のしおりが配られたのだが、その説明も合わせて行われたのである。

 ハッとなったのはこの部分。

 合宿の班は4人1班。ペア2組で勉強合宿を行う、というところだった。班が成績の優劣によって組まれていることから察するに、ペアも同じように組まれるのが当然なのだろう。

 ペアは任意と書いているものの、実際はどの班も頭の良い奴と悪い奴が組むようになっている筈だ。

 そう、彼女が言っていたのはこのことだ。

 情けない話ではあるが、彼女から見ても僕は成績の悪い奴ということらしい。なんせ、昨日たった数時間同じスペースで勉強していただけでペアを組むことになるでしょう、なんて予言を残していったのだから。

 しかもあまり会話してないのに、だ。

 まあ、勉強合宿の名の通りただ勉強するだけのものなのだが。


「牢獄かよ…」


 献一は呆れてものも言えない、と言った感じで落胆するばかりだった。

 僕も概ね同意ではあったものの、昨日のあの空間を味わった者としてはあながち嫌でもない。

 というか、なんなら嫌じゃない方に傾いてきてる。

 よくよく考えれば普段の授業内容を追いかける機会としては最適だ。

 学校から家に帰ってから自由に使える時間というのは睡眠の時間を除くとだいぶ少ない。

 その点、日中全てを自分の勉強に回せる、と考えてみれば、悪くないどころか最高なまである。

 この合宿は、僕のような成績が悪くても諦めの悪いやつにとってはご褒美みたいなものなのだ。

 

「確かに、あんまり喜ばしいものではないよな」


 献一とは異なるベクトルの同意。

 あいつは単に勉強だけしか組み込まれていないカリキュラムに嫌気をさしたのだろうが、

 僕にとってそれはむしろチャンス。そう、チャンスだと感じてしまうことがあまり喜ばしいことと思えない。

 だって、こういう機会がないと、この学園で普通に過ごすことはできないのだといわれているようなものだから。

 普段の勉強だけじゃ、どうやってもこの学園生活を乗り切れないと自覚してしまっている。

 そんな自分に嫌気がさす。

 いや、そんなこと考えてても仕方ないな。

 僕には今を頑張ることしかできないんだから…

 ——————いや、違うな。

 それだけが、今の僕に許されたことなんだから。


「そういや露音、昨日のことだけど。お前が授業さぼるなんて・・・・天地がひっくり返ることもあるもんなんだな」


 と。

 隣から心配を装った煽りが聞こえてきた。

 確かに、好き好んで授業をさぼることなんか天地がひっくり返ってもしないだろうな僕は。

 昨日は完全に過失だ。不可抗力というもので、我ながら自分の集中力をなめきっていたからだ。

 まあ?そのおかげで、悪くない思いをしたんですけどね?


「朝から失礼な奴だな。…どうしようもなかったんだよ昨日は」


「と、いいますと?」


 興味なさそうな声色のくせして、表情に出ちゃってるぞ本音。

 こいつにはポーカーフェイスは無理だな。

 声色だけだと本当に興味なさそうだけど。

 1限目の授業が始まるまで、時間はそうない。

 このまま黙秘で逃げ切ろうかと思ったけど、全くの無関係でもなし。

 教えろよ、と顔で迫ってくる男に向き合う。


「月夜望心と会ったんだ。ぐーぜん」


 は?と間抜けな表情の友人を置いて、黒板に向き直る。

 授業の開始を告げる予鈴は、その直後に鳴き上げたのだった。


 そして、昼休み。

 授業の合間に悉く、どういうことだよ、と迫ってくる友人に嫌気がさしたので、食堂に誘ってやった。

 休み時間くらい、ノートとる時間にさせてほしいものだ。

 今日は婆ちゃんの弁当もないので、食堂通いは予定通り。

 席の確保を献一に頼み、一人販売機の前にたたずむ。

 今日は・・・、うん。ハヤシライスだな。

 うちの食堂のカレー系の提供は実に早い。今日はハヤシなので好物なこともあり、一石二鳥だ。

 ふと、献一の方に目をやると、角っこというレア席を確保してくれていた。


「待たせた。献一もはやく買ってこいよ。待っとくから」


「おう。珍しく元気じゃない。いつもは食堂行くと、時間ばっか気にしてるのに」


 別に今も気にしてないわけじゃないんだけど。

 まあ、急いでも仕方がないし。昨日の僕は定期テストの結果があまりにアレだったから

 軽い自暴自棄に陥ってただけだ。

 焦ることないんだよな・・・きっと。


「ちょっとだけ落ち着いたからな。明後日からの合宿が滅茶苦茶楽しみすぎて」


「マゾかよお前・・・ん?てか、朝と言ってること違うような」


「いいからさっさとご飯食べるぞ。全く時間気にしてないわけじゃないんだから」


 へいへい、と踵を返す献一。すたすたと販売機に一直線だった。

 僕はひっそりと、手を合わせて食す前の挨拶を口に出す。

 正直いろいろな意味で、時間は気になっていた。

 いつものように昼休みの時間をどう勉強に使おうか、とか。

 食堂の席をずっと占領しちゃうのも悪いな、とか。

 昨日のことを正直に話すべきか、とか。

 そうこう思いを巡らせているうちに、献一が戻ってきた。


「先食っといてよかったのに——————ってあれ?もう食べてる?」


「だって、時間もったいないし」


「いや、さっき待っとくとか言ってたじゃん・・・」


「なんだ。先食っといてよかったんなら良いじゃないか別に」


 それに、食べ終わってから話すつもりだったし、と付け加える。

 実際、僕は婆ちゃんとの暮らしの影響からか、ものを食べながら会話をするという行為ができない。

 できないというよりはしたくない、か。

 いただきますをしたら、ごちそうさまと手を合わせるまで、できるだけ会話はしたくない。

 合間に話す程度なら、学生という身分である以上少しは耐えられるが、それでもあまりいい気分はしない。

 その嫌悪の感情がそのまま外に出てしまうので、いつも以上に自己中心的なことを言ってしまっている気がする。

 相手が献一だと、あんまり気にならないんだけど・・・。

 こういうところ、自分でも謎なので周りはそれ以上に意味不明だろう。

 婆ちゃんとの暮らしの影響とは言ったが、実をいうとそれもあまり正しいとは思っていない。

 いわゆる、体のいい理由というやつだ。それっぽく聞こえるし。婆ちゃんには悪いけど。


「ごちそうさまでしたっと。悪い悪い、先に食べ終わっとかないと僕が話す気になれないし」


 手を合わせて、献一に謝る。

 そうだったな、と献一はまったく気にした様子もなく言葉を返す。

 食べながら話すことに嫌悪を抱くのはこの学園内だと僕だけだろう。

 というか、自分で言ってておかしいな、と思う。

 さっき献一と交わしたたった二言の言葉でさえ、機嫌が悪くなったのに。

 食べ終わると、そんな負の感情はきれいさっぱり失くなっていたのだ。


「昨日の今日でどういうことだって感じだと思うけど、それは僕も一緒だから

 何もかも答えられるわけじゃないってことだけ、最初に言っておく」


 ん、と頷きで返す目の前の男。

 その目だけでも、何考えてるか大体わかるぞ・・

 さっさと本題にGo、だろ?


「んじゃ、さっそく本題に入るぞ。昨日、図書室で勉強してたらいつのまにか月夜望心と授業をさぼってた」


「さっぱり意味が分からん。一体何が起きたんだ」


 詳しく説明しろー、と訴えかけてくるたった一人のオーディエンス。

 僕だって昨日のことは意味わからんっての。


「いや、僕もちゃんと覚えてるのは昼休みに月夜さんが図書室にやってきた、ってとこまでで、僕も

 授業のチャイムが聞こえないほど集中してて、気づいたら6限目始まっててって感じで・・・」


「てててて、てばっかりだな。分かったよ。お前も混乱してるってのはよぉくわかった」


「なんか、あまりにも心地が良かったからさ。授業出るより充実してたって思うよ」


「そりゃそうだろうよ。基本的につまらないし、授業なんて」


 全僕に謝れ。

 つまる授業だってあるだろ。

 化学とか、歴史とか。特に国語系はどれも面白いでしょ、うち。


「そういう意味じゃなくて。なんだろうな・・・自分の中で一つケリがついたといってもいいかもしれない。だから明後日の合宿が楽しみって言ったんだ」


「なるほどな。月夜望心についてはお前が混乱してるの目に見えてるし、何も分かってないってことは分かったからいい。よかったじゃねえか。言っただろ、テストの結果なんか気にしすぎんなって」


 確かに、そんなニュアンスのことを聞いたな。

 合宿の班が月夜さんと一緒だと知った時だったか。

 今はそれも、昨日とは違って楽しみに思えてきていた。

 自分の情けなさより、彼女とまた過ごせることの方が大きく思えているのだ。

 昨日の不思議な時間、空間。

 それは少し、現実離れしたようにも思えるほど僕には縁遠くて。

 あの時感じたものだけは、永遠に忘れないことを誓うことができた。


「さんきゅな」


 まかせとけ、と胸をたたく献一。

 気づけば、彼の食器の上には何も残っておらず、

 相変わらずすごいやつだ、と感心するばかりだった。


「あと30分くらい残ってるな、よし—————————」


 献一と別れ、食堂をあとに図書室へ向かった僕。

 いつものように残り時間を有効に使うという目的意識が勝手に働いた結果でもあるが、

 昨日のことがあるので、一概にもそれだけが理由とは決めつけられない。

 回りくどい説明をしたが、要は彼女にまた会いたいのだ、僕は。

 ちゃんと話をしたい。

 自然と、そう思っていた。


「居ない、よな」


 馬鹿馬鹿しい。たった一度話しただけの女子生徒のことが気になるから、

 図書室に行きたかった、なんてどうかしてる。

 しかも昨日の今日で、だぞ。

 引き締めろ、露音。今回の合宿は気を緩めるためのものなんかじゃない。

 浮ついた気持ちをなんとか抑え込み、いつものようにテキストとにらめっこを始める。

 時間の進みはいつも以上に早い。

 ハッと気づいたときには、昼休みの終わる直前だった。

 本音をいうと名残惜しい。

 しかし、連日さぼりは論外だ。ただでさえ成績の悪い数学の授業が、この後に待ち構えている。

 ささっと道具を片付けて、教室に戻るとするか。


 午後の授業が始まって早々、黒板にどんどん文字を書き込んでいく教諭。

 口を動かしながら、手はもっと早く動いている。

 一応、みんながノートを取り終えるまで待ってくれてるっぽいのだが…

 うん。僕を待ってるんだろうな。さっきから前からの視線を感じるし。

 やっぱり、この時間で授業の内容を咀嚼するのは無理そうだ。

 考える前に、急いでノートにとろう。

 復習あるのみである。

 とまあ、こんなのが、僕の日常なのだ。


 自分のペースというのがいかに大事か、改めて確認できた。

 この学校のレベルは、やっぱり高いと感じる。

 僕にはあってない、とも。

 けど、だからどうした。

 決めたんだ。

 自分の力で、あの人と同じ夢を追いかけるって。

 だから今日も、僕は勉強に励むのみ。


 不思議である。

 ノートに書き写すという作業だけに集中するのなら、かなり早く終わる。

 その分、頭にはほとんど内容が入ってこないけど。

 虚ろと化した脳には、時間すら意識の外で。

 気づいたときには、いつもチャイムが鳴っていた――――――――――。


 すべての午後の授業を終えて。

 僕はいつものように、教室を後にする。

 昨日は図書室に昼休みからずっと居たから移動の必要はなかったけど、

 普通は教室で授業を終えるものだ。当然、図書室へ向かう必要がある。


 ――――ふと、A組の教室の横を通りかかった。

 すれ違いざまに見る教室の中に、彼女の姿はなく。

 その事実は案外、素直に自分の中で納得できた。

 昼休みに図書室に訪れただけで、ガヤが発生するほどである。

 あれはたまたま図書室の中に人が多かったのも起因するが、そんなことは滅多に起きないことには違いない。

 前提として、図書室は静かなのが売りなんだし。


 あんな、現れるだけで場を沸かせるお姫様みたいな雰囲気の人が教室にいつまでも滞留している筈はないのだ。

 偏見だといわれたら、反論できないけど。

 居ないことは見るまでもなく、分かっていたような。

 そんな気がしたのだ。


 そうこう考えてるうちに、図書室に着いた。

 扉を開けて中を伺う。

 問題集と回答を見比べながら唸る生徒だったり。

 静かに、ハードカバーの本を読んでいる生徒だったり。

 そこはいつもと変わらない、放課後の図書室だった。

 ある、一点を除いて。


「居る、のかよ―――――」


 昨日と同じ場所。同じ席。

 月夜望心はそこに、静かに佇んでいた。

 背景と同化したかのような、自然さ。

 奥には、陳列された多くの本棚。

 立っている人は居ないし、彼女の周りの席にも人は居なかった。

 孤高。浮世離れした、というか。

 誰がどう見ても美しいと思ってしまう、というか。


 ただ、それが、ひどく似合っているものだから。

 彼女がいること自体は不自然に思えて仕方がないのに。

 なぜか、今までも彼女がそこに居たような気がしてならなかった。

 束の間。

 あ―――、と。彼女と不意に目があった。


「昨日ぶりですね。伯川くん」


「あ、ああ。昨日ぶりでs…だ、ね。月夜さん」


 急に。いや、目が合ってるから急じゃないけど。急に。

 僕には急に感じたくらい急に。

 彼女から話しかけられたものだから、驚いた。

 驚きを通り越して、ある意味無敵状態。

 反射的に言葉を返していた。

 よくよく考えれば、彼女とは同級生。

 あまりかしこまるのも悪い気がして、咄嗟に敬語をやめたせいで変な声が出た。


「今日も勉強、ですか」


「そういう月夜さんは…、って読書してたんだね。ごめん、中断させちゃって」


「なんで謝るのですか?私から声をかけたのだから、気にしないで良いと思いますが」


「気にするよ。読書を途中で遮るのにあまり良い気分はしない」


 ましてや、自分がその理由だったらなおさら、と付け加える。

 そうですか、と彼女は呟くように声を出す。

 なんだ、普通に話せるじゃないか。

 いや、彼女じゃなくて。

 僕の方が。


「もともとちょうど、目を休めようと思ったんです。だから本当に、偶然です。

 目を合わせたのに無視する方が、なんだか気持ち悪いじゃないですか」


「それは、そうだね。うん、気にしないことにするよ。さっきの謝罪は撤回する」


 彼女がそういうなら、と僕も引き下がる。

 こんなの、意地を張ることでもないし。

 と、立ちっぱなしの自分に気づいて席に腰かけた所でハッとなった。

 なんで当然のように体面の席についてるんだ僕は―――――――!?


「ごめん、読書してる横で勉強するのも悪いから。それじゃ」


 撤回すると言ったそばからこれである。

 というか、何か言い訳してるみたいになってないか、これ!?

 あふれ出るひとり相撲感。

 彼女は無表情、というよりは少しだけぽかんとしているであろう表情。

 少しだけ横に傾けた顔に、はてなマークが浮かんでいることだけが確かに見て取れたのだ。


「別に気にしないですよ?」


 彼女は何でもなさそうに言ってのけた。

 不都合があるのか、と僕に尋ねているかのようにも聞こえたが、それはきっと気のせい。

 少しだけ間を置いて。

 できる限り、平静を装ったように声を出した。


「それじゃ、お言葉に甘えて」


 大人しく席に着いたまま、僕は筆記道具諸々を机の上に広げる。

 まずは、と宿題を進めることにした。

 が、始めて一時が経って。というか、割と早々に。

 僕は彼女が読んでいる本について、興味が湧いてきていた。

 いつもの集中力はどこ行ったと、責めてやりたい気持ちは満々だが、

 そうは言っても自分の身体が一番信用できないことなんて、昔から知っているためどうしようもない。


「…………………月夜さん、何読んでるの?」


 らちが明かない、と意を決して聞いてみた。

 このままだと、その本が何かを予想する方向に頭が働きそうだったので仕方がない。

 人が読んでる本って気にならない?ちょうど手でタイトルが見えなかったりするとなおさら。

 いや、ならないか。最近のはカバーイラストとかも派手なの多いし。

 案外、考えずとも分かるものだからね。


「亀山聡生の『夢のあと』です。新刊なんですけど、図書室にも蔵書されてたようなので」


「ああ、亀山聡生か。僕は『女神の死』とか好きだよ。中学の頃ハマってたんだ」


 今みたいに勉強に追われていないころ、僕はかなりの読書家だったと自負している。

 とはいっても、読むのは文学小説ばかりだったけど。

 その中でも『女神の死』は強烈だったのを覚えている。亀山聡生の本はいくつかあるけど、あの本は

 僕にも刺さるものがあった。うん、感動するほどに。


 肝心のその内容は「家族の死」を題材にした話だったけど、

 作者自身も同じような目にあったのではないか、と思うくらいには真実味がある文章だったというか。

 フィクションみがあまりないので、実際の事件を例にしてることは間違いないと思うけど。

 今からだと、10年ほど前になるのか。

 この神楽町の外れにあった地味な遊園地で起きた事故。

 それは観覧車で起きた悲劇。

 あの遊園地で唯一といってもいい、他のテーマパークにもに自慢できる遊具だった観覧車。

 めちゃくちゃでかくて。めちゃくちゃ背が高かったのだ。

 費用は全部観覧車にいってるんじゃないのか、と思うくらい。

 僕も何度か小さいころに乗ったことがあるから覚えてる。

 そういえば、今年の秋にリニューアルするって話だったっけ。なんでも、『超進化』らしい。


 話が脱線してしまったが。

『女神の死』刊行後、その遊園地で起きた事故をもとに書いているのでは、という予想は後を絶たなかった。

 僕も一応、野次馬兼読者の一人だっため、ちょっとだけ事件について調べたりしていたのだ。

 あまり気持ちの良い作業じゃなかったけど。


「そうなんですか。私、初めてこの人の作品読みましたけど、明るい作風の方なんですね」


「いや、それはないよ。あんなダークな雰囲気の本ばかり出してたのに」


 フフッと笑ったように彼女が言った言葉に、反射的に返事が出た。

 明るい作風?「死」とか「悲劇」とかばかり題材にしてるような人なのに。

 彼女に読解力が無いわけがないし。嘘をついているようにも見えない。

 となると、路線変更かな。

 あの、亀山聡生がねえ………


「あ、ごめん。つい反射的に言っちゃったけど、『夢のあと』を読んでない僕にそんなこと言う資格なかった」


「フフ。いえ、よくご存じなんですね。さすが、ハマってただけのことはあります」


「そうだね。自慢じゃないけど、一度読んだものは忘れないんだ、僕」


「すごいじゃないですか。…………私とは真逆ですね」


「真逆?いや、月夜さんに、学習という分野で勝てる同級生は居ないじゃないか。

 僕より何倍もすごいことだと思うけど」


「私は単に焼き付けているだけです。知識として、情報を認識しているだけ、というか」


 ますますわからない。

 彼女の言っていることの意味が理解できたわけじゃないけど、これ以上このやり取りを行うのは千日手じゃなかろうか。

 僕はともかく、彼女は僕の賞賛にさして深い考えを持つことはなさそうだ。

 まあ、こっちは普通にうれしかったけど。

 すごいって言われて、照れ隠しで思わず早口になる程度にはうれしかったけど。


「あ、ごめんなさい。伯川くん、勉強のお邪魔でしたよね」


「何を言ってますやら。話しかけたのはこっちだし、今回は月夜さんの方が謝る必要ないよ」


「そうですね。じゃあ、さっきの謝罪は撤回です」


 微笑みながらそんな、さっきの焼きまわしみたいなことを言うものだから。

 思わず、見惚れてしまっていた、と思う。

 まるで、儚さと茶目っ気が同居しているかのような。

 考えてみて、気づいてはいけないことに気づいてしまった気がした。

 一体僕は彼女のどこに、儚さを見たのだろうか――――――――――


「話は戻るけど、亀山先生の本は毎度、重くて暗かったんだ。少なくとも、僕が知っている限りは」


「そう、なんですね。少し、どころかかなり信じられない気持ちでいっぱいです。

 だって、この作品には希望がつまって余りある―――――――――――」


 彼女が言うには、『夢のあと』は奇跡のお話らしい。

 この世に起こりえない、文字通りの奇跡をめぐる物語であると。

 僕はいいって言ったのに、彼女がネタバレはだめだと言い張るので詳しい内容は聞けなかったから、

 それ以上は教えてもらえなかったけど。

 でも一つだけ、この物語はまるで。


「おとぎ話みたい、です」とのことらしい。


 亀山先生の話を後にしても。

 彼女との会話は息せき切ったかのように加速し、止まなかった。

 好きな本の話から始まり、日々の何でもない話をする。

 それがとても、楽しかった。

 願うなら、それが彼女も同じであるなら、と。

 それはとても、喜ばしいことだから。


「もうこんな時間、帰らないと」


 陽が落ちた外の様子を見て、すかさず時計に目をむけてハッとなった。

 19:00に差し掛かりそうな大小の針。

 それを見て独り言のように、勝手に言葉が口から漏れたのである。

 それを聞いた彼女も、そうですね、と一言。

 図書室が閉まる時間でもあるので、急がなければ。

 見れば司書さんも、遠慮がちに目を向けてきていた。


 すみません、と軽く会釈する。

 話に夢中で特に進めることもなかった宿題。

 広げていた教科書やらを片付けて、一足先に準備を終えた彼女に目をやる。

 待たせてごめん、と声をかけて気づいた。

 ずいぶんと馴れ馴れしくなったものだ、と。

 今はそんな感傷も押しのけて。

 そそくさと僕と月夜さんは、図書室を後にするのだった。


「方向、真逆なんですよね」


 校門を出るころに、彼女が何気なく声を上げた。

 昨日僕も同じことを思ったっけ。


「そうだね。ただ、今日は寄り道して帰る予定なんだ」


「何か、あるんですか?」


「日課、というか週課というか。いつも週3回は神社に寄ってるんだ。帰り道の途中にあるんだけど――――――――乙伎神社って知らない…よね。無人だし、あそこ」


 一人で勝手に納得する。

 思えばここ数年、婆ちゃん含め家族を除いて、人が出入りするところを見たことがない。

 直接目にした覚えがないだけで、掃除は行われているようだけど。

 ボランティアのみなさんには頭が上がらないな、本当。

 おかしいのは結構な頻度で神社の横を通りかかる僕なのに、そういった人たちすら見たことがないことだ。

 不思議なことに無人のくせして、すごい綺麗なんだよな。

 ゴミとか全く落ちてないし。

 …………いや、捨てる人がいないから当然のことか。


「知らない、ですね。私の家とは真逆ですし。プライベートで行ったことも」


「なくて当然だよ。人の出入りは全くといっていいほどないんだ。ここ数年だと、掃除のために来てくれるボランティアの人たちくらい」


「………あの、私もついていっていいです、か?」


 思わぬ申し出に、たじろぎそうになる。

 びっくりした。危ない。

 えっ、と大声をあげるところだった。本当に、危ナイ。

 そういう話の流れ……だったのか今のって。

 分からないがとりあえず。


「い、良いけど。大丈夫?その、門限とか」


「21時までに帰れば問題ありません。まだ19時ですから、まだまだ余裕はあります」


「じゃあ大丈夫だね。ここから10分ちょっと。

 そうと決まれば、少し急ごう。あんまり遅くなるのも悪いからさ」


 はい、と頷きで返す隣の女子生徒。

 彼女についてくるように促す。

 先導するように、僕は歩き出す。

 少しゆっくり目に歩きつつ、彼女の様子を伺いながら10分。

 案外早く、神社の鳥居にたどり着いていた。


「着いた。ここなんだけど……

 相変わらず暗いな。月夜さん、大丈夫?」


「は、はい、ありがとうございます。問題ないです。大丈夫です」


 陽が落ちてそう経っていないとはいえ、神社の周りは緑が生い茂っている。

 月明かりと、わずかな街灯の光だけがこの暗闇で頼りになる光なのだ。

 いつもは一人なので、特別気にすることもなかったが。

 こうしていざ、改めて神社の様子を見てみると少しだけ恐怖心が刺激された。

 こんなに暗かったのか……

 だけど今夜はまだ、月明かりが頼りになる方だ。雲もないし、普通に明るい。


「この奥でいつもお参りを済ますんだけど、効能はなさそう。

 ………なんでこの神社がまだ存在してるのか、僕にもよく分かってない」


「不気味、ですね。何というか、ここだけ別世界みたいな……」


「確かにそうかもしれない。好き好んでくる場所じゃないな、と思っちゃったよ」


 特に、人を連れてくる場所ではないな、と思う。

 ましてや彼女を連れてくる場所としてはいささか問題がある。

 彼女はなんていうか、もっと映える場所にこそふさわしい。

 そう、今日のあの図書室の光景みたいな……

 考えてみて、自分に怖気。

 いや気持ち悪いな、露音。どれだけあの光景気に行ってるんだ。


「自分から言い出したことですが、すみません。今日は帰ります。

 いろいろと、ありがとうございました」


 僕が自分へのなんちゃって恐怖を感じていた時だった。

 彼女はそう言うと、タッタッと足早に神社を去っていったのだ。

 まだ社内に入っていない段階だった。

 でも案外、その反応への驚きはなかった。

 他でもない、僕自身がこの暗さに不安を覚えてしまったし。


「気分、悪くさせちゃったよな…………」


 せめて学校までは送ろうと思って、学校の方向を見る。

 彼女との距離は実に20mほど。走れば多分、追いつける距離だ。

 謝ろう。いや、それ以前に夜道を一人で帰らせる方が論外だ。

 それに何か、嫌な予感がする。

 このまま、彼女を見送ってしまうと、取り返しのつかないことになるような。

 二度と会えなくなってしまうのではないか。

 そんな予感。

 それに気づく前に、僕の足は動き出していた。


「……ッ。月夜さん!」


 全力疾走。

 息することすらも忘れた追走。うだうだ考える前に、走らないと。

 どんなに成績が悪くても。どんなに努力が報われなくてもいい。

 けど。

 夜道に女子を一人置いてくような、馬鹿野郎にだけはなれない。

 そんなことは自分自身が一番よくわかっている。


「は――ぁ。追い、ついた」


 ちょっと走っただけなのに、ぜえぜえと息を上げる体。

 最近は勉強ばかりで運動は疎かだった。

 そのツケがやってきただけ。明日は筋肉痛だろうけど仕方ないことである。

 おかげ、彼女に追いつけた。

 気配に気づいたのか、彼女は振り向くと僕を見て、そのパチリとした目をさらに少しだけ見開いていた。

 驚いてるな。

 いや、ちょっと心外。

 昨日はともかく、今日は途中まで一緒だった。

 そんな女の子を一人で帰らせるわけにはいかないでしょ。


「なんで――――?方向が、違うじゃないですか」


「いや、こっちに忘れ物しちゃってさ」


「忘れ物?」


「学校まで君を送ること。こっちに付き合わせちゃったのに、途中で、はいさようなら、ってのはさすがにばつが悪いよ」


 彼女は本気で驚いているようだった。

 おかしい、と。

 確かに、ついていくと言い出したのは彼女で。

 神社で急に帰ると言い出したのも彼女だ。

 はたから見れば身勝手極まりないかもしれないが、それは違うと僕は思っていた。


「―――――うん、やっぱり。体調、良くないんでしょ?

 ごめん、学校出るときに気づくべきだった」


 だってこんなにも、彼女の顔は青白い。

 顔面蒼白、という言葉が恐ろしく似合っている状態だ。

 そして、そんな様子にも気づけなかった僕は本当に大馬鹿だ。

 ちょくちょく彼女を伺いながら神社まで歩いてたっていうのに、こうして追いつくまで彼女の顔色に気づけなかった。


「いいえ!伯川くんは悪くないです。

 神社で急に気分が悪くなって……もともと体は強くないですし、慣れるものでもないのですが……」


「だったら、ちゃんと言うべきだ。本音を言うとちょっと、怒ってるからね。

 そんなに頼りないかな、僕」


「いえ、ただ迷惑をかけたくなかっただけです。少し歩けば、治るものだと思いますし」


 彼女は、送ってもらう必要なんてない、と暗に言っているのだろう。

 でもそんなこと、知ったことか、というものである。


「それなら良いんだ。ただ、やっぱり学校までは送るよ。心配くらい、させてほしい」


「ッ……。分かりました。お言葉に甘えて、よろしくお願いします。

 実は少し、心細かったので助かります」


 そう言って彼女は、今日何度目かの笑顔を見せてくれた。

 少しだけ、僕も肩の荷が下りたような気分だった。

 変わらず顔色は悪かったものの作った笑顔は眩しくて。

 弱音をちゃんと言ってくれたことに安堵していたのだ。

 本当に。

 なんて愚かなんだろう。

 彼女はこんなにも辛そうなのに。

 笑顔を向けられたことが、僕にはうれしくてたまらなかった。


 彼女へ追いついた地点から学校への距離自体、大したことはない。

 到着するまでのわずかな間、無言の静寂が僕らを包んでいた。


「わざわざ、ありがとうございました。少しだけ、回復できたと思います」


 そして学校に着いて。改まったように彼女は話しかけてきた。

 見れば、確かにさっきよりは顔に生気が戻っているような気がする。

 ここからであれば、町の明かりも多いし今までの道よりは安全だろう。

 一人で帰すのは心配だけど、いきなり家までついていくのもどうかと思うし。


「いや、自分で蒔いた種みたいなものだし。少しでも元気になったならよかったよ」


 言って、自分は案外頑固なのかなって思った。

 彼女の体調が悪いかも、なんてのは追いつくまでほんとに確信が持ててなかったし、

 何より彼女の体調が良好だとしても、無理くり理由をつけてここまでは送っていたような気がする。

 いや、絶対そうするな、今日の僕は。


「あの…、最後に一つだけ。もしかしたら、ですけど。

 今日、図書室であなたと私が会ったのは、偶然じゃなかったりするんでしょうか」


 急にやってきた質問に困惑する。

 その内容にも、その唐突さにも。

 だってその答えを、僕は明確に言葉にできない―――――――


「どうかな。昨日は間違いなく偶然だけど。今日のはちょっと、どっちか分からない」


 だって、居るとは思っていなかった。

 教室に居ないのは、外から見えたけど。放課後に図書室に居るとは思っていなかった。

 いや。

 本当にそうなのだろうか。

 無意識に彼女を探していたことは否定できない。

 でも、昨日会ったからって図書室に居ると予想するのは安直すぎる。

 だから、居たら良いななんてのは思いもしていなかった――――――――はずだ。

 こうやって、考え出すと止まらなくなるのだ。

 普段は違うのに。自分のことは自分が一番理解していると心の底から思うのに。

 こういうとき、僕は自分のことが一番よく分からなくなる。


「じゃあやっぱり、言っておかないと」


 彼女は、深呼吸するように言葉を溜める。

 月明かりは変わらず、彼女を照らしていて。

 そのせいで、彼女の顔色が青く見えたのではと、おかしな推測が頭をよぎった。

 けれどそんなものは一瞬で捨て去る。

 僕は何も言わず、彼女の言葉を待っていた。


「明日は私を探さないでください。私、欠席してると思うので」


 さようなら、と。そう言って彼女は、踵を返す。

 ああ、なぜだろう。

 あの嫌な予感が消えてくれない。追いついたときに解決したはずの予感。

 それが、再発したわけではなく、ただ消えずに、ただ見ようとしていなかっただけのことであると

 今になって気づいた。

 だというのに。

 遠くなる彼女の姿を眺めながら、僕は何も言えないでいた。

 そのさようならがまるで、突き放すようだったから。

 今の僕には、彼女を迎えに行くだけの理由も。

 覚悟も足りていなかったのだ―――――――――――――。


「うん、さようなら……」


 もう見えなくなった後ろ姿に、小さく呟く。

 そのあとは一直線。

 神社に寄る気にもなれず、ただ一直線に自宅へと帰っていた。

 それが、おかしなことだと気づくことなく。

 ただ、何を考えることもできなかっただけだった。

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