ワット・アイ・メイド・オブ 2話 ③
以前とは違う警官がいた。身長が高く、分厚い体つきの男だった。俺は勝手にパイプ椅子に腰掛けた。自分があの店でバイトしていた事、以前ここにに情報を伝えに来た事、それをつっぱねられた事、そして昨日知った事。警官は俺の話を一通りきちんと聞いてくれた。遮ったり、否定したり、そういうのは全く無かった。「そうか、それは大変だったね」この話を聞いてこの警官が一番最初に言ったのは、労いだった。
「あの日の放火の犯人って、まだ見つかってないんですよね」
「そうだね」
俺はカバンから4枚の写真を取り出した。
「こいつらです。こいつらが全て仕組んだんですよ」
「…まあ、君の気持ちは分かる。正直、痛いほどね」
低いトーンの声だった。この警官が誠実な人間であると感じ取っており、俺の意見を伝える価値があると思っていた。しかし、「気持ちは分かる」このニュアンスに引っかかった。
「こういう証言って、捜査してる部署に伝えてもらえないんですか」
「残念だけど、この事件はもうダメなんだ」
「ダメというのはどういう意味ですか」
「もうこの事件は終わったんだ」
警官はしばらく黙って、何かを悩んでいた。「一応、もういいのかな」そう呟くと、再び喋り始めた。
「これはもう公開されている情報だから言うよ。でも、大きく報道されていないのは、つまりそういう意味だから」
持ってきた写真に映る一人の男を指さした。
「この男はね、親が名前の通った人物なんだよ。警察としてもその親と簡単にモメる訳にはいかない。だからこそ捜査はホームレスによる失火という部分で決着をつけた。本当はまだ奥に真相があるにも関わらず」
話を終えると、「ネットに書き込んだりするなよ」真剣な目つきで注意してきた。そしてため息をついた。この警官は、おそらく正義感が強い人なのだろう。一つの事件に対してきちんと解決されないというこの状況を、残念に思っていたのだから。
それから俺は考えを改めた。自分でなんとかするしかない、と。
まず手始めに黒いスーツを2着買った。それから紺色と灰色のシャツも。できるだけ闇に溶け込める色合いにしておいた。毎晩、遠巻きに奴らを観察した。今回の火事を経て商店街は禁煙となり、また喫煙ブースが設けられたのだが、奴らはそれを無視していた。警察に何度か注意され、素直に街のルールに従うようになった。喫煙ブースが見える距離に、コンビニがあった。毎晩コーヒーを買って、仕事終わりに寄り道しているような体裁にした。しかもその前には花壇もあったので、その縁に座って本を読むふりをした。そうしながら奴らがどこから現れてどこに去っていくのかを観察した。3週間もすれば行動サイクルは分かった。火曜日と金曜日の夜中は全員で集まって、どこかに移動している。俺はコンビニの前から位置を変えた。その移動先まで辿り着くと、ヤツらはそこでダンスの練習をしていた。しかし適当に体を動かした後は、すぐに座って話しこんでいた。その後大体は解散してそれぞれが家に帰っていった。6人のうち3人は一人暮らし、2人は親と、1人は女と住んでいた。まず狙うなら1人暮らしの3人。決して殺したりするわけじゃない、ただひたすらに殴る、それだけだ。あの人たちが受けた痛みはこんなものじゃない、ずっと癒えない傷を背負ったんだ、それ相応の報いを俺が受けさせる。金曜日が明けての明朝土曜日。解散した後のそれぞれの帰り道、1人目を狙った。動きやすいように黒いパーカーを着ていった。後から声をかけると、「へ?」と集団でいる時とは考えられないぐらいマヌケあん返事をした。ビンタのような動きで相手の顔に拳を振り抜いた。下手に殴るより指の骨は痛めなかった。反撃してこなかったので、左手で腹を殴り、後ろによろけたので脇腹を蹴った。まだ反撃もしてこなかった。あまりにも弱いので気の毒だった。「何すんだよ、痛え、痛えな」喚いていたのでもう充分に思えた。一度家に帰って、その日の夜。2人目を狙った。今度はわざわざ後ろから声をかけるのではなく物陰で待ち伏せして、横を通り過ぎる時に足の裏で押し出すように蹴った。腰骨で相手の体重を感じながら足を伸ばすと、吹き飛ばされたように倒れた。立ちあがろうとしたところに胸骨をまた足裏で捉えて、地面に押し返した。すると勢い余ってアスファルトの道路に頭をぶつけた。その痛みにのたうち回っていたので、俺はそれだけで満足した。一旦帰って寝て起きて、再び夜。3人目。こいつも1人目と同じようにビンタの動きで拳を振り抜いた。そいつは体ががっしりしていたからなのか、あまり体制を崩さなかった。「てめえ、何すんだ」反撃の意思を示してきた。右手で大振りに殴りかかろうとしてきたので、ボクシングのガードの形を取って左手で受け流し、右手の裏拳を小さく振り抜いた。そのまま右の拳で2発鼻を雑に殴った。痛みを感じているようだったが、怯むことなく動いてきた。左脚を俺の脇腹へ向けて振り上げ蹴りぬいた。肋骨への衝撃が内側の複雑に入り組んだ筋肉に響いた。しかしその痛みに耐えて、その脚を抱えこんだ。体を支えるために無防備になった右脚を外側から引っ掛けると、バランスを崩しそれに合わせて相手の左脚を離した。倒れる際に肩を地面に強くぶつけたように見えたが、意に介していなかった。俺はそこに不用意に近づいてしまい、立ち上がり際タックルをかましてきて今度はこちらが倒された。アスファルトに転がる小石が背中に刺さったような気がした。とはいえ痛みもあまり感じておらず、漫然と立ち上がった。「お前マジで何なんだよ」質問してきたが、何も答えないようにした。再び殴り掛かってきたのだが、かなり雑然とした動作だったので躱して右の拳を左頬にまっすぐ振り抜いた。こいつもまた、痛そうに蹲ったのでそこで止めにした。とりあえずこの2日間のノルマは達成したので、家に帰って寝た。問題は明後日火曜日だ。大学で講義を受けながらいろいろ考えた。死なせてはならないのでなるべく鈍器や刃物は使いたくない。しかし無策で向かっても3対1で一方的にやられるだけだ。考え方としては、攻撃力ではなく防御力を上げるような、そういう装備を用意したい。尚且つその防御を攻撃に転じさせられる。なかなか難しい条件だったが、とても適したモノがあった。トンファーだ。バットほど強力すぎる鈍器ではないし、攻撃を腕で受け止めた際のダメージもかなり緩和される。その日ホームセンターに寄って、木材で形を作った。釘で固定してみたが、引き抜き方向への強度が低いため黒いビニールテープで全体をぐるぐる巻にして形をある程度固定した。しかもビニールの素材が手に馴染むので持ちやすくもなった。火曜日の夜まで、大まかな使い方を練習した。基本的にでっぱている殴るだけなので難しくはない。クルクル回してリーチを変えるとか投げて足に絡ませるとかいろいろ使い方があるらしいが、すぐに使える技術だけを優先した。力が伝わる腕の動きを練習し、決行時刻を迎えた。怪我していない3人が、コンビニに集まっていた。残りの人間が中々現れないのを心配し、電話をかけている。しばらく話し込んだ後、電話を切った。それから2人が帰ろうとしていたが、リーダー的存在らしき1人が強引に練習場まで連れて行った。こちらとしては好都合だった。人通りの少ない場所だし、多少うるさくしても気にする人はいない。騒ぐならうってつけの場所だ。くだらない自己満足でしかない下手くそなダンスをほとんど練習せず、座って喋り始めた。事前の下見で、気付かれないで近づくのは不可能だと判断していた俺はカバンの中に大量の野球の硬式球を黒く塗ったものを、入れておいた。野球をやったことはないが、投げる動作自体は問題なく行える。コントロールも自信は無いが、3人たむろしているところぐらいは狙える。俺はまず一球、思いっきり投げ込んだ。力がしっかりボールに伝わったので、いい球が投げられたと思う。1人が反応して声を出していたが、左側の男の肩に当たった。3人は逃げるとか怖がるというよりも、困惑していた。もう一球投げたが、誰にも当たらなかった。何球か投げて、もう一人の足に当たった。奴らはスピーカーやらカメラやら、広げていた荷物を慌てて片付けていた。その隙に近づき、トンファーで1人の頭を上から殴った。逃げようとしていたのだが、公園の角に陣取っていたので、追い込むのも簡単だった。2人は俺に掛かってきた。掴まれるとほぼ負けが確定するので、とにかく腕を素早く振り回した。こちらの武器を奪おうとしてトンファー本体を掴まれた時は、足蹴にして距離をとった。リーダーらしき男はこちらの攻撃を確実に回避してくる。こういった戦いに慣れている様子だった。しかしもう1人は、直撃とまではいかなくとも避けきれない瞬間があった。1人には躱され、1人は直撃しない。ラチがあかない。俺はイチかバチか、左のトンファーの持ち手を回してリーチを伸ばした。練習もしていない動きが上手くいった。そのまま左のトンファーを強く振り抜き、片方の男の頭を強打した。そのまま地面に倒れた。もう1人、リーダーらしき男にはまともに攻撃を加えられていなかった。攻撃しても避けられるし、相手が攻撃してきてもこちらは簡単に防御できてしまう。お互い決定打がなくなっていた。武器を持っている分いつかは俺が勝つ、そう思っていたのだが、しかし不利なのはこちらだった。最初に倒れた1人が起き上がって、俺の腕を掴んだ。もうその段階で、終わりだった。振り解けなかった。まだまだピンピンしていた男の拳が、顔面にまともに入ってしまった。そこからは一方的だった。俺が逃げにくいように角の方へ追いやり、殴られ、蹴られた。2人は俺の打撃がまともに入っていて、腕やら足やらが痛むのか、正直あまり痛くなかった。だがダメージがほとんど入っていなかったリーダーらしき男は、思いのまま、力いっぱい俺を痛めつけてきた。トンファーも奪われ、それで殴られたりもした。痛かった。鈍い痛みがどんどん押し寄せてきた。攻撃を受ける筋肉や骨に問題が起こり始めているのが分かった。痛みで力を入れるのが辛くなってきたのだが、だからといって脱力してまともに打撃を受けるともっと痛みを味わう羽目になる。耐えるしかなかった。意識が遠のいて、これが死ぬってことなのか、そんなふうに考えていた時だった。奴らが騒ぎ始めた。「おい、なんか人が来てるぞ」たまたま通りかかった誰かが通報してくれたのか分からないが、人が集まってきたらしい。遠目に5、6人の人影が見えた。奴らはまた荷物を片付けて、立ち去っていった。そしてその人影が近づいてきた。
「珍しいですね、止めに入るなんて」
「まぁ、ヤンキー同士の喧嘩なら何もしねーよ」
目はちゃんと見えていなかったが、男が屈んで声をかけてきたのは分かった。
「災難だったな。素人がバカなガキの標的にされて」
その男は俺が一方的にやられたと思っているらしい。なので、痛む口を動かした。
「俺が、先に、狙ったんだ。報復の、ために」
へぇ、と関心したような声を漏らしていた。
「お前、名前は」
「黒、木」
「そうか。クロキっていうのか。お前、俺たちと来ないか。お前ならいい働きをしてくれると思うぜ。給料もちゃんと出す」
「こんな好青年をこっちの世界に引き込むんですか?」
「いいだろ別に。こいつわざわざ3対1の喧嘩を自分から挑むやつだぜ?」
そこでやっと男の顔がはっきり見えた。
「ああ、こっちが名乗ってなかったな。俺は鷹村ってんだ」
これがコイツとの出会いだった。