ワット・アイ・メイド・オブ 1話 ②
その日の夜中、外がうるさくて目が覚めた。いや激しい騒音がするとかそういうレベルではないのだが、とにかく騒がしかったのだ。遠くでパトカーと救急車と、色んな種類のサイレンが連続していたので、近所で何かが起きているのはすぐ理解した。しかしさすがにどこで何が起きているのかはわからなかったし、そんな夜中に現場を見に行くほどの野次馬根性は持ち合わせていない。だから、そのままもう一度布団に入った。
翌朝大学に行こうと駅に向かうその途中、それを知った。店が焼け、乱暴に黒く染められた姿。人を掻き分けもっと近づいた。黒が視界を埋めるだけだった。
「あの、自分ここでバイトしてるんですけど」
近くの警官に声をかけた。俺の記憶が正しければ、その人は財布を渡した時と同じ人だ。
「当然しばらく休みだろうね」
その警官は俺のことを憶えていないようだった。
「俺は、どうしたらいいですかね」
「店の人に連絡しないとだね」警官はあしらうように受け応えして、自分の仕事に戻った。店長の携帯電話にかけても繋がらない。店に電話を掛けてもそもそも意味が無い。晴子さんの連絡先はそういえば持っていなかった。いやそもそも二人は火から逃げられたのか。まさか中で亡くなったんじゃないか。「あの、自分ここでバイトしてるんですけど」「さっきも聞いたよ」逃げ遅れたのか、無事だから事情聴取かなにかを受けているのか、怪我をして病院に行ったのか。質問しようにも相手はこちらの話を聞くつもりがなかった。大学に行く気力が残っていなかったので、家に帰った。テレビをつければ何か報道されているかもしれない。しかしもう朝のニュースの時間帯は過ぎていた。いやそもそもこんな商店街の一角の火事を大々的に報道するものなのだろうか。ネットニュースも探ってみても、それらしい記事は無かった。この事以外、何も考えられない。部屋の中を無意味にうろついて時間が過ぎるのを待つしかなかった。しばらくして昼のニュースの時間、見慣れた街並みが映し出されていた。『昨夜未明、商店街の喫茶店で火事がありました』俺はテレビの前でしゃがみ込んだ。『店舗2階を住居としていた二人は避難し、一人は軽い怪我、一人は軽症です』店長も晴子さんも、無事なのが分かった。二人は生きている。今のところはそれだけで充分だ。その報道を聞いてから、俺は大場に急に講義を休んだ事を謝った。
俺はとにかく連絡を待った。とりあえず、二人は生きている、今はそれだけで良い。報道で怪我の表現についても調べてみた。軽い怪我は入院の必要ない怪我、軽症は一ヶ月以内の入院で済む怪我。命の別状は無い。携帯電話は常にマナーモードにしているのだが、着信を聞き逃したくなかったのでここ一週間は音が出る設定にしていた。そして講義中、カバンの奥で鳴った。表示されていたのは知らない番号だった。しかししばらくはどの着信にも応ずると決めていた。教授には「どこの生徒かわからんけど、音切っとけよ」と言われたが無視して教室を出た。代わりに隣にいた大場が謝ってくれていた。
「もしもし、黒木です」
「あ、黒木くん。よかった。ごめん連絡できなくて」
電話をかけてくれたのは、晴子さんだった。
「大丈夫です、ニュースで大まかな状況は知れたので。とにかく無事だったみたいで、よかったです」
「心配かけちゃったね。ごめんね連絡先交換しておけばよかったよね」
「いいんです、そんな大した問題じゃありませんよ。それよりどこか入院してるんですか、そっちに行かせてください」
「…うん、分かった。商店街近くの大学病院なんだけどね」
俺はノートを取り出して晴子さんの教えてくれた内容をメモした。
「ありがとうございます。すぐ行きます」
席に戻って、「俺行くわ。ごめん」またしても大場に迷惑をかけてしまう。しかし、俺の状況を理解してくれていたので、それぐらいは許してくれた。
「無事だといいな」
「だな。ほんと、ごめんな」
再び教室を出る時、ドアのゴム部分が擦れてベリベリと大きな音を立ててしまったが、気にも留めなかった。
大学から電車で1時間、そこからバスに乗り換えて10分。かなり大きな病院だった。エントランスもかなり広くて、お見舞いの受付を見つけるのも大変だった。手続きを済ませると俺は走り出した。のだが、受付の人に走らないでくださいと強めに言われた。確かに当然だ、怪我してる人にぶつかって俺がさらに怪我をさせるわけにもいかない。なので走ってるとは表現できないギリギリの速度に抑えた。店長の病室は、一人部屋だった。
「失礼します」
ノックして返事が来る前にドアをスライドしてしまった。
「来てくれてありがとね」
晴子さんが出迎えて、優しく微笑んでくれた。元気そうな姿にとにかく安心した。しかしその奥に見えていた。鼻に管を入れられて、点滴を受けていて、顔に包帯を巻いている店長が、ベッドで横になっていた。黙り込んでしまった俺を見かねて、晴子さんが先に小声で説明してくれた。「見た目仰々しいけど、命には別状ないから。あと、今は寝てるだけ」店長の怪我ももっと軽いもので、元気で明るく出迎えてくれると、何故かそう思っていた。
「でも、どうしてここまで」
「喉を軽く火傷しちゃったみたいでね。管入れて呼吸を補助するんだってさ」
「治るんですか」
「まぁ多少は跡が残るかもしれないけど、日常生活に支障は出ないから」
「晴子さんは大丈夫だったんですか」
「私は左手ちょっと軽く火傷した程度だから」
それを聞いたところで、俺に出来る事は何も無い。でも、何も知らないままではいられなかった。晴子さんが椅子を用意してくれている時、店長がこちらを向いた。「あら起きたの」晴子さんが話しかけたのだが、頷いて応えるだけだった。
「黒木くん、わざわざありがとう」
声を出すのもやっとのようだった。掠れて、弱々しい声だった。
「あの、すぐ駆けつけられなくてすみませんでした。とにかく怪我とかも無いように願うしか出来なくて、その、すみません」
店長はゆっくり首を振った。「いいんだ、君は何も悪くない」
「この人、黒木くんの事ずっと心配してたんだよ。連絡とれないのか、住所知らないのかって。まず自分じゃない? って思うんだけどね」
「…ありがとうございます」また謝ってしまいそうになったので、別の言葉を絞り出した。晴子さんが色々と喋ってしまっている間、ずっと「いいから」と店長は遮ろうとしていた。
「いいから、アレを」
「はいはい、そうだね」晴子さんは部屋の隅にあったスーツケースを開いた。そこから一つの袋を取り出した。
「黒木くんの私物、ロッカーに置いてたもんね」
俺は受け取って、中身を覗いた。エプロンと、折り畳み傘と、充電器と、ずっと置きっぱなしにして忘れていた本やノートや教科書。紙の端が少しだけ焼け変色していた。
「こんなの、わざわざ。ありがとうございます」
「大事なもの入ってるかもと思ってね。勝手には捨てられないよ」
それからは、この一週間何が起きていたのか、これからどうするのか、晴子さんがこと細かに説明してくれた。店長の携帯電話だけ使えなくなったこと、なんとかデータだけ復旧できたこと、その手続きが一番面倒だったこと。保険が適用されること、身分証を再発行したこと、水道とか電気ガスを止めたこと。仮住まいを探してしばらくしたら再び店を構えること、貯金はあるから心配ないこと。火事の後の手続きとか色々と知れたのだが、何よりも二人は大丈夫なのがよく分かった。面会時間が終わるまで一緒に過ごした。晴子さんは病院と商店街の間に家を借りているらしく、別々で帰った。
家に着いて、袋の中身を取り出して、適当に片付けた。その時にやっと気がついた。ロッカーのある一階はほぼ全焼だった。けどノートが変色している程度だった。店長の方が火傷が酷かった。つまりコレは、火が消えてから俺の荷物を確保しておいてくれたのではなく、焼けているその日その時その間に持ち出してくれた。その僅かなコゲ目を眺めていると、また携帯電話が鳴った、晴子さんからだ。
「遅い時間にごめんね、でもこれだけは伝えておきたくて。あの人さっきは店を直してもう一度開くなんて言ってたけど、本当はもう無理なの」
声が、震えていた。
「喉の火傷で大きい声も出せないし、顔に跡も残る。腕に痺れも残るかもしれないみたいで」
何も言えなかった。
「黒木くんは真面目だから、もしかしたらもう一回店開けるも待ってくれてしまうんじゃ無いかって思ったの。黒木くんは私たちに構わないで、自分のやりたい事をやって」
「わざわざ、ありがとうございます。でも、すみませんでした。本当に、すみませんでした」
俺は謝る事しかできなかった。「なんで、黒木くんは何も悪くないよ」俺はそんなふうには思えなかった。