帝都の一番長い夜 3
――時は少しばかり遡る。
陽が僅かに傾き始め、それでも尚祭りの灯りによって煌々と照らされた帝都。
数時間後には聖女の行う言紡ぎの儀式によって更なる神秘的な光に彩られ、輝くであろう都市から、ひっそりと抜け出す集団があった。
「街道は?」
「封鎖こそされていないが、やはり検問が敷かれた儘だ。通れたとしても所属を把握されたまま本国に戻れば、後々に帝国から追及を受けかねん」
「では、予定通り南の山脈から抜けるぞ――各員、行動開始」
リーダー格らしき男の静かな命に、一団は跨っていた馬をゆっくりと走らせ始め、街道から逸れた草原を進む。
身形こそ冒険者や傭兵、といった風情の者達だが、明らかに訓練された動きであり、装備の色も夜闇に紛れるような暗い色合いのもので統一されていた。
「皇帝は動くと思うか?」
「十中八九、な。おそらく"閣下"も終わりだ。せめて現時点での成果くらいは本国に届けねば、これまでの出資が丸損になる」
帝国でひっそりと行われていた人身売買――その背後にある、非合法な実験を繰り返す組織。
彼らは、その組織に支援を行っていた他国の人間だ。
永らく続いた生存競争という名の戦争が終結し、世は厭戦の空気が強い平和な時代へと移り始めている。
だが、十年、二十年後、或いは更にその先まで平和が続くとは限らない。
世代が変われば平和や平穏へ価値を見出す空気は薄れ、何れは何処かの国が騒乱の火種を生み出す可能性はあった。
そうなった場合、やはり警戒すべきは人類最大国家の帝国、及び人類種に遍く浸透した主教国家の聖教国である。
現状ではそういった気配・兆候は全くないとはいえ、実際に動き出せばその脅威度は下手な小国など比較対象にすらならない。
仮に両国が動かずとも、復興が終わった後の国家間の小競り合いを想定し、年々戦争で削れていた兵力を確保しておく必要があった。
その様な危惧を抱く国々の諜報員や外交官といった者達に接触したのが、件の"閣下"である。
『超人兵計画』。兵力の基本となる"数"とは真逆――個の質を極めた戦力である人外級の戦士の、人工的な再現と兵力化。
成功すれば、総人口が帝国の兵力の半分にも満たぬ彼らの祖国であっても、武力を以て周辺国家の外圧に対抗できる夢の様な計画だ。
男達――資金提供を行った国も、"閣下"が語った理想通りの計画が完成するとは思っていない。
だが、現時点で様々な技術――特級呪物の複製、及びそこから派生した魔装技術、強化した魔獣の使役など、取り込めば国家の大きな益となる研究が、既にある程度の形を為している。
将来を見越し、その技術を優先的に譲渡する事を条件に、"閣下"の率いる組織に出資した国は複数あった。
金銭面は勿論の事、戦争が終わった事で急激に入手困難になった"素材"の提供に関しても、だ。
当然ながら、帝国に知られれば大問題になるのは間違いない。というか、下手をすればそれが国が亡ぶ破滅への引き金となりかねない。
人道的な面からは勿論の事、単純にリスクが高すぎるとして反対する声は多くあった。
単に、男達は危険性を承知してでも組織の技術を手に入れるべきだと考えた者達……国内のタカ派にも近い派閥の所属というだけの話である。おそらくは他の国も似たようなものだろう。
資金・資源の提供者としてそこそこに良好な関係を続けていた組織と各国のタカ派であったが、それも今日で終わりだ。
『超人兵計画』はその存在を皇帝に察知された――しかも、明確に喧嘩を売る最悪の形で。
組織の瓦解は避けられないだろう。芋づる式に、関わった国々にも飛び火する。
故に、出資者達の選択は一つであった。
現時点で持ち出せるだけの技術を、本国に届ける。
資金や"素材"の提供は、ダミーの商会と帝国に実際に存在する商会を幾つか経由させて行っている。
いずれは彼らの国へと疑いが向けられるにしても、それなりに時間を稼げるだろう。
その上で、国内タカ派の暴走であったという体で本国が男達の派閥を切り捨てれば、有益な技術を手に入れつつも、帝国との明確な敵対は避けられる筈だ。
自分達は祖国へと手に入れた技術を送り届け――その後に、犯罪組織へと協力していた実行犯として処刑され、帝国への禊とされる。
本国のタカ派の首脳部はともかく、少なくとも男達はその腹積もりであった。
人道に背く行いと、それに依って開発された技術を求めた事は、どうあっても外道の所業である。
――が、それも疲弊した小さな祖国を憂うが故の選択ではあったのだろう。非道な実験の犠牲となった者達からすれば詭弁ですらない話だが。
"閣下"の話によれば、明日には皇帝が本格的に軍を動かす。
最低でも今日中に帝都を脱し、より本格的な検問が設置される前に帝国領を抜ける必要があった。
おそらく、街道の封鎖まではいかなくとも、通過した人間の徹底した身元確認くらいは既に通達されている事だろう。かの皇帝ならばその程度の対応は直ぐに行う。
人目を避け、万が一にも帝国兵に捕縛される事のないよう、帝都の周囲を囲む山脈――その南側を抜けるのが、彼らの帝都脱出経路である。
距離的には北側の方が本国に近いが、既に秋も本格のこの時期、北の山脈は雪が降る日も多い。
同時に、気温が下がった事で寒冷地帯に生息する山の魔獣も活発化する。抜けるのは不可能では無いが、運が悪ければ数日がかりとなる可能性があった。
以上の理由により、選ぶのは南だ。
馬を飛ばし、郊外の南端に拡がる森林へと、一行は辿り着く。
森を抜ければ、そのまま当面の目標である南の山脈だ。麓を超えれば直ぐに人の手の入っていない道無き道をゆくことになるだろう。
「ここからは獣や魔獣との戦闘も想定される。全員、装備の確認をしておけ。道の状態にもよるが、場合によっては森を抜ける前に馬を乗り捨てる」
リーダー格の男の言葉に、後に続く者達が無言で頷き――。
最後尾の男が上空から飛来した『何か』に射貫かれ、呻き声すら上げずに馬上から叩き落とされた。
「!? ――散か……!」
硬直は一瞬。
驚愕から即座に復帰したリーダー格の男は、即座に散開と、眼前の森に駆け込む命を叫ぼうとする。
――だが、その忘我の一瞬こそが明暗を分けた。
再び飛来した『何か』に右肩を貫かれ、男の身体は馬上より吹き飛ぶ。
そのまま宙を舞うと、背後の樹木へと叩きつけられた。
「ハ……ぐ、ぉ……!?」
衝撃と、遅れてやって来た肩からの激痛に視界が明滅する。
混乱収まらぬ思考で、自身を串刺しにしたまま樹へと磔にした代物へと眼をやって――その瞳が驚愕に見開かれた。
「投槍……だと……!?」
男の右肩から生えているのは、細身の総鉄製の槍。
質としてはそう良い物でも無い。柄こそ木製では無いが、武具を取り扱う鍛冶屋に行けばまとめ売りされている事もある、ごく普通の品だ。
この様な数打ちが、低級の品とはいえ魔装の鎧を身に着けた男の身体を容易く貫いたとは、俄かには信じ難い。
だが、信じようと信じまいと、目の前の光景は現実である。
天より飛来する投槍に、次々と貫かれて落馬してゆく仲間達。
男は肩で済んだが、胴や胸に直撃した者は即死だろう。そうでなくとも、落馬した際に頭から落ちて動かなくなった者もいた。
指示せずとも咄嗟に森へと駆けこんだ者達も居たが……それで助かるかどうかは微妙な処だ。
何せ、森の中にいち早く飛び込んだ部下は、幾らも進まぬ内に樹々によって作られた緑の天井をぶち抜いて飛来した槍に頭を射貫かれ、地べたに転がっている。
前方には森林、背後には彼らの通って来た見晴らしの良い草原。
伏兵の気配は無い。というか、天より落ちてくる投槍は着弾の角度からして、相当な高度から落ちて来ているのが推測できる。目視できる範囲に撃手がいるとは思えなかった。
魔法にせよ、投擲にせよ、どれ程の距離からどれだけの魔力を籠めて射出すればこんな出鱈目が可能となるのか。
「こんな、莫迦な……一体、だれ、が……」
悪夢にも思える信じ難い光景と、これは現実であると無情にも告げる、肩から這い上がる激痛。
出血により青褪めた唇から、呆然とした言葉が零れて落ち、男の意識は暗転した。
彼らの目指していた帝都の南方にある山脈。
その裾野よりやや上部、切り立った崖の上に立つ、魔族の男がいた。
鳶色の髪に、身に纏うは年代物の魔装鎧。
腰には金の縁取りがされた真紅の布が巻かれ、傍らには歴戦の痕が刻まれたシンプルな意匠の大剣が地に突き刺さり、屹立している。
腕を組んで仁王立ちとなり、眼下に広がる山脈の麓より吹き付ける風を受ける様は、ある種の完成した戦士像、というイメージすら抱かせる武威を放っていた。
男……魔族領筆頭《魔王》は、何かに耳を澄ます様に、或いは感じ取る様に意識を研ぎ澄ませている。
やがて、その固く閉じられた両の瞳が薄っすらと開かれ――。
「やってらんねぇ」
不貞腐れた様に呟くと、その場に転がってぐでーっと脱力した。
『おいコラ、アホ頭領。きちんと当たったのかどうか報告しやがれ。森の向こうは大雑把に狙いを付ける事は出来ても、当たり外れまではこっちからだと確認できねぇんだよ』
「あー、当たってるあたってる。ゼンブアタッテルヨー。御新規さんはこれで全滅ダヨー」
山の麓から森林の入口に向けて超長距離の投擲を行った部下――《狂槍》の苛立ち紛れの声が耳に届くと、餌を食い過ぎたセイウチの様に仰け反って地面に伸びた《魔王》は、適当感溢れる言葉を返してその場をゴロゴロと転がる。
『……おい、公爵のトコの小娘。投槍の残り寄越せ。崖の上で転がってるあの鶏肉に串打ちしてやる』
『いやいやいや、ちょっと待って下さい五席殿。そんな殺気だった状態だと冗談に聞こえませんよ?』
『…………』
『無言で催促しないで下さい!? 僕の影に格納できる数にも限りはあるし、無駄射ちは了承できませんってば!』
遠話の魔法越しに聞こえる、部下と腐れ縁のBBAの従者の会話を聞き流しつつ、魔族領の長はその場で左右寝返り100回タイムアタックを始めた。
ビタンビタンと地べたの上で身体を振って、高速で寝返りを打っている残念魔王へと、新たな遠話が届く。
『おーい、オイラんとこは終わったぜー。次の場所の指定は無いのかー? 無いなら此処で待機してるけど』
『うむ、こちらも終わった。相手の召喚した魔獣が四方に散ったので手古摺ったが、全部仕留めた筈だ』
『そうだな。一応は打ち漏らしがないか、陛下に確認してもらいたい』
南の山脈前に方々に散って配置された者達の声に、「オッケー、ダイジョウブダヨー」と棒読みで返して200回タイムアタックに突入した男の隣――突き立った儘の大剣から伸びる影が滲み、波打ったかと思うと、盛り上がって人の形をとった。
「……ンだよ《陽影》。つまらん仕事だが、きちんと索敵はやるから安心しろって。つまんねーけどな」
影を渡って現れた男装の麗人――魔族領に住む吸血鬼達の主の側仕えである少女を横目で見ると、《魔王》は寝返りを止めて唇を尖らせる。
今宵、帝都で行われる《大豊穣祭》とは別口の"祭り"。
剣戟と血が飛び乱れる鉄火場となるであろうソレの開催を、持ち前の勘で察知した迄は良かった。
だが、その切欠となるであろう青年の頼みを安請け合いした結果がコレである。
帝都で戦いの号砲が上がる前に、尻尾を巻いて逃げ出してきた連中の処理。
真っ当な祭りを楽しむ人々に気取られぬ様、国外逃亡の為の経路手前での殲滅。
それが、青年が魔族領の面々に任せた仕事であった。
単純な戦闘能力で見れば戦力の無駄遣いにも程がある人選なのだが、戦場となる場所が南の山脈とその近辺、という広大さである事を考えれば、寧ろ妥当ではある。
南の山脈からの帝国外への離脱という、現状での最適解を選んだ各国の隠密に長けた集団。
分散してそれぞれのルートで山に入ろうとする彼らを、完全に察知・捕捉する程の範囲と精度を持つ《魔王》の探知能力。
森と山の裾野という広い範囲をある程度までなら自身の脚力でカバー可能で、相手が腕利きであっても、単騎やごく少数の人数で速やかな殲滅が可能な魔族の戦士達。
そして、遠話の魔法や吸血鬼固有の影を扱う能力を用いて円滑な長距離移動と情報のやり取りを可能とする《陽影》のサポート。
帝都より逃げ出す鼠を一匹たりとも逃がさない腹積もりならば、過剰ではあるが万全な布陣、と納得のいく配置ではある。
その程度の事は《魔王》にも分かってはいるのだ。
だが、肝心の"祭り"の会場から外れた場所で、派手に上がる花火を遠目に道端で跳ねた火花に水を掛ける様なこの現状。
不満を感じるのは彼の性格上、仕方の無い話であった。一度引き受けた以上、文句は言いつつもやるのだが。
無軌道と自由奔放を体現した様な男ではあるが、彼なりにここ最近は我慢を重ねているのだ。
最近の推したる『姫』ことリリィが攫われかけた、と聞いたときには、下手人共を周辺区画ごと灰にしようとしたのだって最終的には諦めた。
というか《狂槍》がブン殴りながら止めて来た。
《大豊穣祭》の開催宣言も、格好よく空から降って登場しようかとかも考えたが、結局は自重した。
というか《亡霊》が得物を向けながら止めて来た。
一番楽しみにしてた闘技大会だって、何度も乱入したくなったが最後まで大人しく観戦した。
というか《不死身》に「やらかしたらリリィちゃんのお母さんにもう会わせない方が良いって報告します」と脅された。人の心とか無いんか?
そして今回の"祭り"である。
相手はリリィに手を出そうとした者達の背後にある組織。
この時点でやる気は十分だが、更に燃料となる要素もあった。
以前、教国の連中と一緒に観戦したときにも言った『面白い奴』――己の気当たりを受けて白目を剥く予選参加者の中で、苦し気なフリをしながら瞳の奥にギラつく戦意の火を灯して此方を見ていた男。
あの疵面の剣士が、喧嘩相手の組織に属してると聞いたときには、内心で喝采をあげたものだ。
彼にとってある程度の真剣さで『遊べる』相手は貴重で――その上で、最後まで戦ってもよい相手は、更に貴重であるが故に。
そんな条件も重なり、闘志とウキウキした気分の相乗効果で初っ端に「俺は何をぶった斬れば良い?」とか意気揚々とカッコつけちゃった《魔王》であるが、任された仕事は実質観測手兼広域レーダー係である。今の処、剣を振る機会すら無かった。
気分が乗らない処の話では無いのだが、まがりなりにも一度引き受けた以上、投げ出すのはもっと性に合わない。頼んで来たのがあの猟犬で無ければ、適度にサボるのも視野に入れたのだろうが。
『《魔王》陛下は機嫌が悪い様だな、兄弟』
『仕事の内容が、敵の探知と俺達の連絡用の中継点だ。それも当然だろう、兄弟』
『それについちゃ同情するけどさ。こっちは出向先への点数稼ぎも兼ねてんだ、頼むから仕事はしてくれよ頭領』
今回指揮下に入った闘技大会に参加した魔族――ブライシオ&ボルドの傭兵コンビと《風兎》が、雑談混じりの連絡を取り合うのを聞き流しつつ、《魔王》は眼下を見降ろし、意識の網を広げる。ただし寝転がった儘で。
「……敵影はねぇよ。今の処は落ち着いた。後続がありそうだけどな」
ふざけた体勢ではあるが、その程度でこの男の出鱈目な能力に陰りが生まれる筈も無し。
自らの居る崖の下に拡がる山の麓と、その奥に拡がる森にある人の気配を探り、数秒と掛けずに結果は出た。
『了解。んじゃ、位置も他の面子と程よく離れてるし、オイラは此処で待機するわ』
『我らはもう少し森の方に寄るか』
『うむ、裾野は足の速い《狂槍》殿と《風兎》に任せるとしよう』
各々返答して待機や移動の旨を告げて来る者達に、見える訳も無い掌をひらひらと振ると、影を伝って現れてから隣で待機し続ける《陽影》に向かって首を向ける。
「……で、なんか用あって来たんだろ?」
「はい。陛下の気性に沿わない仕事だとは『彼』も言っていましたので」
ゴロリと、再び寝返りを一つ。
未だに地べたに転がったままの残念不死鳥に、男装するには聊か以上に窮屈そうな立派な山脈を備えた少女は苦笑し、自身の影から折り畳まれた紙片を取り出す。
「報酬を用意したとの事です。後払いの予定でしたが、陛下のやる気が見るからに減っているようであれば、僕の判断で先に渡して欲しいと」
「あン? 報酬……? この紙っぺらがか?」
差し出される、多少厚手ではあるが粗末な紙片。
流石の《魔王》も訝し気な表情を隠さずにそれを受け取る。しぶとく寝転んだままだが。
受け取った品をしげしげと眺めまわし、やはり只の紙切れである事を確認。ならば中身があるのかと、無造作に畳まれた紙を広げ――。
一秒後に目を見開き、二秒に跳ね起きて、三秒後には繊細な宝石細工を扱うが如く紙を両手にそっと抱えて正座した。
紙に書かれていたのは、端的に言って寄せ書き――っぽい形をとった子供のラクガキだ。
前衛芸術の様な中々に尖ったデザインの犬や鳥らしきものが描かれ、赤いクレヨンで描かれた鳥が火を吹いて黒い靄のようなものをやっつけている絵の上下左右には、たどたどしい字やミミズが渾身のヘッドバンキングを決めた様な字で「おしごとがんばってください」と書かれている。
猟犬と呼ばれる青年が、知り合いの運営する孤児院の子供達にお願いして描きあげて貰った一品であった。
新品のクレヨンをお土産に、孤児院のシスターとおばーちゃんに難しい話をしにきたおっきいわんわんこと青年。
そんな彼の、お話している間にいっちょよろしく! というお願いを快諾した孤児院の巨匠・オフィリ画伯による渾身の力作に、子供達がメッセージを書き記した形だ。制作時間一時間の大作である。
「お、おぉぉぉ……」
紙に皺の一つも付けぬ様、細心の注意を払って指先で挟み込んでいる《魔王》の腕が震える。
いっそ気持ち悪いくらいに抜きんでた彼の五感や魔力探知は、絵は勿論の事、書かれた激励の言葉にも少なからず幼女の手によるものが混ざっていることを嗅ぎ取っていた。
孤児院の年少組の合作――性別種族問わずに幼い子が好き放題に書きなぐった感のある、手作り感溢れる一枚を手にする彼は、至高の名画と巡り合った重度の収集家の如き表情である。
そのうち頭上に掲げて拝みだしそうな雰囲気すらあった。というか《陽影》が声を掛けようとしたら実際に拝みだした。
「えーと……陛下?」
「…………」
《陽影》の言葉にも応えず、その様は女神の似姿を目の当たりにした敬虔な信者の如く。
一分程、そうしていだだろうか。
丁寧に紙を折り畳んで胸に抱えた《魔王》が、正座をやめて立ちあがる。
仁王立ちとなったその総身が、なんかゴウッ、とかいう重々しい音を立てて発火した。イメージとかではなく、物理的に。
漏れ出た魔力と気合的なものが彼の肉体が持つ性質に引っ張られ、猛々しい炎となって身体に纏わりつき、渦を巻く。
遠目から見るとクソ程目立つ上に、立ち昇る魔力は膨大。離れた場所からでも容易に気付かれるであろうソレを見て、慌てて《陽影》が周囲を障壁で多い、更に隠蔽の魔法を発動させて事無きを得る。
《魔王》の手にある寄せ書きなど一瞬で灰になりそうなものだが、無駄に洗練され尽くした魔力制御で火の粉一つ降りかかる事すら無い。
ついでにこの間にも一応は森林と山の麓一帯に広げていた知覚の網が、本人のやる気に引っ張られてぶわっと二割ぐらい広がった。
そーっと、細心の注意を払って渡された報酬を懐にしまいこんだ魔族の長は、先程までとは打って変わったやる気に満ち満ちた声色で咆哮をあげる。
「なにボーッとしてんだお仕事頑張るぞお前らぁっ! 草原の方から森に近づく集団二つ! 四人と六人、隠蔽の魔法持ちだ! 傭兵コンビは魔力探知じゃなくて鼻を使え! あと《狂槍》! お前もーちょい高度の取れるとこに移動しろ! 森の入口を狙うならそっからじゃ投擲の精度が下がるだろうが!」
(う わ ぁ……)
(うぜぇ……)
(うむ、うざいな)
(やる気がでたのは良いが、これはうざいぞ)
「うぜぇ。死ね」
各々、急にテンション爆上がりした《魔王》の矢継ぎ早の命に、心底鬱陶しそうに半眼となった。あと《狂槍》だけは直球で罵倒した。
ウザそうに眉を顰めてないのは《陽影》くらいのものである。そんな彼女も文字通りのやる気の炎を燃え上がらせているロ〇コン不死鳥を見て、ドン引きしてはいるのだが。
指揮下にある魔族の戦士達の反応にも気付く事無く――というか、気付いていても気にならない程に絶好調な《魔王》陛下は、天に瞬きだした星空をビシっと指さして叫ぶ。
「完璧に片付けて、さっさと猟犬の奴に報告しに帰るぞ! あとこの報酬を手掛けた小さな淑女達を是非とも紹介してもらいたい!」
『おい、お前ら。カス共の駆除が終わったらこの変態アホウドリを鎮圧するぞ。手伝え』
『りょーかい。ついでに筆頭補佐殿にチクっとこーぜ、槍の旦那ァ』
『やはり我らの伝説の依頼を受けて正解だったな、兄弟。お楽しみが目白押しだ』
『うむ、陛下の鎮圧――難題だが、心躍る戦いが出来そうだ』
待ってろ俺の一番星! 等と戯言を叫び出した男を、本人にも聞こえるように堂々とボコる算段を立て始める指揮下にある部下達。
騒々しくやり取りしつつ、だが止まる事無く動き続ける頼もしき同胞達の声を魔法で繋ぎ続けながら、《陽影》は《魔王》に倣って星が輝く夜空を見上げた。
当然というか、思うは彼女の英雄たる黒髪の青年の事である。
(……一緒の戦場を駆ける事が出来るなら、それが一番良かったけど)
思い出す。
こんな風に、真に憂い無く月を見上げる事が出来る様になったのは、つい最近……彼が還ってきてからの事なのだ。
二年前、彼の訃報がその比類なき戦果と共に届けられたあの日。
混乱し、届いた報せを否定し……だがそれが事実であると知り、打ちのめされ。
グシャグシャなって乱れた思考の中で、途切れる事の無かった悲嘆に濡れた疑問を思い出す。
青年の最後の戦い――となる筈だった戦場。
そこに、何故、自分を連れて行ってくれなかったのか、何故一緒に戦わせてくれなかったのか――何故、一緒に死なせてくれなかったのか。
分かっている。
当時の……否、今の自分であっても、大戦の元凶――邪神の相手は荷が重すぎる。
その場に居た処で何も出来はしない。それこそ命を賭けたとしても、かろうじて足を引っ張らない以上の事は出来ないだろう。
何より、彼は聖女姉妹――そこから広がって様々に関わる事となった多くの人達が欠ける事を強く厭うていた。
当の聖女達にすら秘して事に及んだのだ、自分に打ち明ける筈も無かった。
そんな理屈は、分かっているのだ。
でも、それでも。
それでも、クインは彼と一緒に戦いたかった。
共に、いたかったのだ。
自分では力不足だと、この想いは只の我儘だと、理解していても。
力及ばぬ者が不相応な戦場に居れば、たちまちに其処は死地となるのだとしても。
きっと、後悔は無かった。彼と同じ場所に立って、共に戦えるのなら――ましてや、最期を共に出来るのなら、笑って逝ける確信があったから。
結果だけを見れば、彼は二年後に創造神による復活などという埒外の奇跡を以て還って来た。
結局、青年が単騎を選んだのは、色々な面から見ても正しかった、という事だろう。
だが、振り切ろうとして、結局は無理であると――下手をすれば一生引き摺り続けると理解して。
それなら、いつか女神の御許で再会したときに胸を張れるように、と。
彼が齎した、彼の居ない平和な世界を、前を向いて生きていこうと決意して、二年。
還って来た青年と再会して、その決意は前提からしてひっくり返ってしまい――代わりに別の望みが、クインの胸中には生まれた。
「――次は、一緒だ」
血で血を洗う様な生存戦争は終わった。
何かとトラブルの渦中に在る事の多い青年が、平穏無事な人生を歩み続けられるかは正直疑問だが……彼ほどの戦士が死地に追いやられる様な戦いは、この世界からごっそりと減った事だろう。
それならそれで構わない。
戦いの最中であっても、或いはずっと先の未来に、穏やかな時間の末のものであったとしても。
最期は彼の傍に居る。
これだけは誰であっても――彼が守護する聖女達であっても、譲らない。
その上で、"そのとき"が訪れるまでの間、沢山の思い出を作っていけるというのであれば、いう事なしだ。
「うん。だから先ずは、一歩目だ」
積極的に出れなかった最大の原因――自身の本当の性別に関しては、再会の際に知ってもらう事が出来た。
だから、焦らず、けれど素早く。一歩ずつ、確実に距離を詰める。
気安い友人ではなく、それ以上の関係を目指して。
取り敢えずは、手を貸して欲しいと言ってくれた彼の"お願い"を、完璧に熟そう。
そのお返しに、何かを"おねだり"してみるのも良いかもしれない。
決意も新たに、浮き立つ気持ちの儘に、一つ頷いて。
半吸血鬼の少女は今宵の自身の役目を果たすべく、ケープを翻して己の足元に影を広げたのだった。
◆◆◆
「よっ、と」
「ゲェ、ぶ……!」
軽い掛け声とは真逆の、とんでもなく重い膝蹴りが男の腹腔に突き刺さる。
肺の空気を残らず絞り出して白目を剥いて昏倒した相手を見下ろし、シーツを身体に巻き付けた、蛮地の女戦士の如き格好の少女――アンナは軽く息をついた。
「うーん……ほんと、人員の質が両極端ね。相手をする分には楽で良いけど」
背後から振り下ろされる刃を身を傾げて躱し、剣の持ち主に裏拳を叩き込む。
鼻柱が砕ける感触。声も上げずに崩れ落ちる男を尻目に、横手から突き込まれた槍の穂先を手にした長剣で無造作に打ち払い、剣の横腹で相手のこめかみをブン殴る。
「ぶへっ!?」
錐もみして吹っ飛び、槍を持った男は石造りの通路の壁に顔面から激突して意識を飛ばした。
何度目かになる蹴散らした集団を眺め、少女の口から思わず愚痴が零れる。
「ったく、手応えがなさ過ぎるのも考え物ね。直ぐに気絶するから道も聞けやしない」
アンナが捕らえられた施設は相当に規模の大きいものらしく、勘で進み続ける通路からは、外気を感じさせる様な空気の流れは未だ感じていない。
愚痴った通り、襲って来る連中をサクサク無力化しているせいで、尋問の類がしっかり出来ていないのもある。
ものは試しとばかりに、手近な奴の襟首を引っ掴んで持ち上げると、容赦なく連続で頬を張った。
「起きなさい。出口はどっちか教えろ」
ビシバシと手首のスナップを利かせた平手を振りかざし続けると、頬をパンパン且つ真っ赤に腫れさせた男が呻き声を上げる。
「う……ぁ……っ……!? ひぃ、お、鬼……!」
「誰が鬼だコラ」
反射的にヘッドバット。
ゴッ、という鈍い音と共に叩き込まれた頭突きは、折角目覚めさせた男の意識を遠い彼方へと追いやってしまった。
「またか。こんな美少女を捕まえて、失礼な連中だわホント」
脳天から煙を上げて失神した相手をポイっと放り捨てると、その場で軽く腕を組む。
碧眼が見据える先は、T字に別れた通路だ。どちらに進むべきか。
「うーん……さっきから右を選んでるし、次は左……全く、こんなに広いなら、地図くらいどっかに貼っておけっての」
「そうだな、そいつには少しばかり同意する」
多分に愚痴を含んだ独白へと、背後から相槌が打たれた瞬間。
アンナは石造りの床を蹴り飛ばして前方へと跳躍した。
飛び跳ね、身を捻って背後へと振り向きながら、元いた位置から十分に距離を取って着地する。
「よう、散歩かい? 代り映えのしない石の通路じゃ見るモンも無いだろうに」
「……出やがったわね、スカシ野郎」
飄々とした態度で片手を挙げて気軽に挨拶してくる剣士、ジャック=ドゥへ向け、武器を構えて唸り声を上げる。
あの"閣下"とやらに付き従ってこの拠点から移動してくれていれば話は楽だったのだが、どうやらそう都合良くはいかないらしい。
腹の立つ話だが、武器防具共に間に合わせの今の状態では、この男相手に勝機はほぼ無い。
借りを返すとすれば次だ――その前に、この場をどうにか突破しなくてはならないのだが。
見た処、ジャックは右手に大きな袋を持って肩に引っかけており、片腕が塞がった状態だ。
こちらが打って出れば、そのまま迎撃するにしろ、手にした袋を床に落とすにしろ、一手分は有利に動ける。
逆に、動かなければ別の人員が加勢にやってくるかもしれない。
相手にした限りだと、それこそ薬が効いていた状態であっても苦も無く一蹴できる程度の連中ではあったが、眼前の剣士を相手にして他に意識を散らすのはリスクが高すぎる。
即断即決。アンナは深く腰を落とす。
(一当てして……あとは全速力で離脱!)
剥き出しのままの色白な、だが健康的な脚線美を見せる脚に力を込め、一気に踏み出して加速しようとして――。
「忘れ物だ」
剣士は腰の剣を抜くでも無く、棒立ちのままで手にした布袋を無造作に放り投げて来た。
二人の間、丁度真ん中に落ちた袋の口から覗くのは、見慣れた騎士服と剣の柄。
やや薄暗い通路ではあるが、良く見る迄も無い。取り上げられたアンナの装備一式だ。
「……なんのつもり?」
「さて、なんのつもりだろうな?」
警戒は解かず、寧ろ集中を高めて一手一足を注視してくる銀髪の少女に向け、剣士は大仰に肩を竦めて笑い返す。
それ以上の行動を取るつもりは無いのか、軽く両手を挙げてそのまま数歩、後ろに下がるジャックを見て、アンナは注意深く床に落ちた袋に近づき、少なくとも外側に何も仕込まれていない事を確認して拾い上げた。
双眸に困惑と疑問を込めて見つめるも、脱走中の相手に装備を返す、という所属する組織への明確な裏切り行為をした当人は、どこ吹く風と言った様子だ。
それだけに留まらず、彼は更にアンナにとって有益な情報を口にする。
「お前さんが此処に連れてこられたのを切欠に、帝国の方が本腰を入れたらしい。どうも、大規模な強襲作戦がもう始まってるみたいだぜ? ――まだ半日も経って無いってのに、随分と対応が早いこった」
怖い怖い、と笑ったまま今度は首を竦める剣士に、疑問を押さえきれなくなった少女は胡散臭いものを見る様に目を細めて声を上げた。
「アンタ、一体何がしたいの? これじゃまるで――」
自身の雇われている組織の、破滅への引き金。
それを引く為だけに、アンナを攫った様ではないか。
あの場でジャックが命令を拒んで一人で帰還してきたとしても、それを咎められ、処分される様な事態は起こらなかった筈だ。
博士と呼ばれた研究者が他の者達や"閣下"から詰られていた様を見れば、容易にそれは想像できる。
余程の狂人か、真性の馬鹿でもない限り、その程度の事に思い至らない訳が無い。
だが、現状はコレだ。
先のジャックの発言が真実ならば、おそらく彼の所属する組織にとって、今夜の事は致命打となる。
攫われる前後の状況は、気絶していたので知る由も無いアンナだが……目の前の剣士は、こうなる事を見越して敢えて自分を此処に連れ去った様にしか思えない。
そんな疑問を言葉に乗せて問いかけるも……。
「まぁ、何でもいいだろ。お前さんは自分の職務と意思、どっちでも沿いたい方に沿って動けばいい――俺も好きにやる、それだけさ」
当然、明確な答えが返って来る筈も無く。
最後まで真意を悟らせぬ飄々とした態度のまま、疵面の剣士は少女に背を向け、通路の奥の暗がりへと消えていった。
「…………」
釈然としない気分で、その背を見送るアンナ。
疑問は多く、困惑は消えたわけでは無い。
だが、状況を好転させる為の要素――装備と情報が両方手に入った事自体は、紛れも無く僥倖だ。
「……ま、次会ったら――御礼参りがてら、話を聞きだしてやるとしますか」
取り敢えずは、何処か落ち着いて着替えられる場所を探そう。
そう切り替えると、先のジャックの様に布袋を肩に引っかけ、少女は左右に別れた通路の左を選んで進みだしたのだった。
ロ〇コン
ノリノリで喧嘩の予感漂う祭りへと参加したが、任されたのは重要だけど裏方に近い役割。
半ば不貞腐れていた処に、個人的に所有している霊具に匹敵する程の素晴らしい報酬を渡されてテンションゲージ限界突破。
元から限りなくゼロに近かった組織の各国顧客の皆様の帰還率は、めでたく完全に無となった。
後日、「あの名作の作り手達を紹介して下さい!」と駄犬の足に縋りつく超越者の姿が帝都内で目撃されるが、無情に蹴り剥がされて終わるまでがセット。
《狂槍》さん
クズ共を直接抉れないのは残念だが、他所の国にまで胸糞悪い所業から生まれた技術を広めさせない為、と考えて真面目に仕事してた人。
後のロ〇コン鎮圧戦は、流石に人外級が自分だけでは戦力が足りずに地を舐める結果に。
帰ったら筆頭補佐にチクって幹部全員で袋叩きにしてやると心に誓う。
《風兎》
闘技大会で鉄拳お嬢様と交した話を頭領に通してみたら、「魔族領では出向扱いにしておいてやるから、《刃衆》の席は自分で勝ち取れ」と言われて頑張って帝国にアピール中。今回の参加は本人の言う通り、点数稼ぎも兼ねている。
最後に多対一とはいえ、自分の国の頭領とちょっとした試合みたいなこと出来たし、割と満足して"祭り"を終えた。
わんわん傭兵コンビ
リスペクトしている伝説の傭兵()から依頼はされるし、超越者の片割れが遊んでくれたし、最高の一夜だった。
「流石は我らのレジェンド、御利益がある」とか言い出して次の仕事は教国で探してみようかとか相談中。
クイン
今回の語りでちょっと重めの感情が垣間見えた娘。
金銀や隊長ちゃんと違って完全な現地民なので、重さは似たり寄ったりでも若干方向性が違う。
というか、今度こそ最期のそのときは傍に居る事に固執しているが「自分だけが」とか「一番として」とかは一言も言ってない。なんとなく愛人体質が透けて見える。
とはいえ、現時点では一番攻め力が高そうな娘ではあるので、大外から一気にぶち抜いて来る可能性もゼロでは無い。
アンナさん
絶賛、本拠地に近い場所で大暴れ中。
装備も取り戻したし、順調に敵方の被害は拡大している。
件の剣士に不自然さや疑問を多く感じるものの、一旦は棚上げして先ずは行動すべし。
愛剣二本の内、片方が袋に入っていなかった事を地味に気にしているが、それを一旦預かっている奴は現在北区でジェノサイドパーティーの真っ只中である。