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帝都の一番長い夜 2




 眼を閉じ、体内で魔力を回し始めて数時間程は経過しただろうか。


 アンナはゆっくりと眼を開き、石牢の天井を眼に映した。

 ゆっくりと掌を開閉させ、握力を確認する様に拳に力を入れる。


(よし、薬効は抜けた。思ったより時間掛かったけど)


 通常の鎮静剤の類なら一時間もあれば十分なのだが、特別に調合された品なのか予想以上に時間を食った。体内時計が狂っていないのであれば、時間的には夜になったかどうか、といった処だろう。

 床に敷いた毛布の上から身を起こし、軽く伸びをする。

 ファルシオンの持って来た毛布と掛け布の御蔭でマシになったとはいえ、床が硬かったのには違いが無い。首と肩を回すとポキポキと音が鳴った。


 見張りだろうか? 石牢の前では三人の男が椅子に座ってカードゲームに興じている。

 卓の上には札の他にも煙草の吸殻や酒瓶が見えた。どうやらあまり仕事熱心な連中では無いらしい。

 犯罪組織の人員の質を問うた処で栓無い話だが、アンナ的には好都合だ。


「ねぇ、ちょっと」


 牢の格子を掴んで揺すりながら、見張りの男達に不満気な声を飛ばす。

 ついでに軽く魔力強化して鉄格子を引っ張ってみるが、流石に素手でどうこう出来る様な柔な作りでは無かった。人目が無く、且つ時間かけても良いのならどうにかなるかもしれないが、少なくとも現状では無理な方法だ。

 アンナが寝てるか、気絶でもしていると思ったのか、声を掛けられて少々驚いた様子で振り返る見張り連中に向けて、格子の前で仁王立ちになる。


「攫ってきた人間って言っても、水くらいは出しなさいよ。あと冷えてきたし、お手洗いに行きたいんだけど?」 


 下着の上にシーツ一枚を羽織った美少女がふんぞり返って告げた言葉に、男達は顔を見合わせ――お世辞にも穏やかとは言い難い顔つきを更に歪めると、下品な声と表情で笑う。

 三人の内、一人が席を立ち、石牢の前までやってくると鉄格子越しにアンナを見下ろした。

 残る二人が、囃し立てる様に声を上げる。


「しおらしくお願いするなら、水くらい出してやるぜ、騎士様!」

「その格好じゃ騎士とは言えねぇけどな、一晩銀貨何枚だ?」


 ゲラゲラと笑う濁声を背に受け、牢の前に立つ男が呼応するようにニヤニヤと品の無い笑みで少女を嘲笑う。


「生憎と騎士様をエスコートするにゃ、ちぃと便所は遠くてな。我慢できなきゃそこの隅で用を足せよ」


 目の前で見ててやる、と言わんばかりに黄色い歯を剥き出して更に格子へと顔を近付ける男を見て、アンナは鼻で笑って返した。


「いやー、見た目からしてチンピラだから行けると思ったけど……予想通りの反応で助かるわ――わざわざ寄ってきてくれるんだから」

「あ? 何を……」


 笑みから一転、男が訝し気に眉を顰めた瞬間。

 格子の隙間から伸ばされた手が、その襟首を引っ掴む。

 反応する暇すら無く、凄まじい勢いで引かれた首元に引っ張られ、男の顔面が鉄格子に叩きつけられた。


「お"がっ……!?」


 鼻が拉げ、へし折れた歯が飛ぶ。

 一発で視界が明滅し、腰砕けになった男だが、突き離された襟首がもう一度牢に向けて引かれ激突。額に太い格子の痕をくっきり残して昏倒する。


「なっ……!?」

「こ、この(アマ)!」


 慌てて椅子を蹴倒して立ち上がる残りの見張り二人だが、アンナは既に牢にもたれかかって意識を飛ばした男の腰に手を伸ばし、鞘に納められた短剣を抜き放っていた。

 手にした短剣をしげしげと眺めて品定めする彼女を見て、見張りの一人が咄嗟に近くの壁に掛けたままである牢の鍵束に飛びつき、懐に押し込んだ。

 慌ててはいるが、それでも状況は変わっていないと判断したのか、張り上げる声はどこか勝ち誇った声色である。


「おいっ、誰か呼んで来いっ! ふざけた真似しやがって、たかが短剣一本じゃ何も――」

「……ふっ!」


 罵声は静かな、だが力強く呼気を吐き出す音と、鋼によって鋼が断たれる澄んだ音で遮られた。

 キンッ、という甲高い音と共に牢の扉に掛けられた鉄の閂が両断され、石床に転がって騒がしい音を立てる。


「……安物は駄目ね。数打ちにしても、もうちょっとマシなのがあるでしょうに」


 一度の斬鉄で根本に亀裂の入った刀身を見て、渋面で手の中の短剣を評価。

 そのまま悠々と扉を開けたアンナが、鉄格子に寄りかかる気絶した男の身体を脇に放り捨て、牢の外に出るのを、男達は唖然とした表情で見続ける事しか出来ない。


「さて……」


 銀髪の少女が冷えた声色で呟いて視線を向ける段階になって、ようやっと弾かれた様に背を向け、走り出す。

 当然、遅すぎた。


 ガタの来た短剣が投擲され、一人の肩口に深々と突き刺さる。

 空気を斬り裂いて飛来したソレは投擲というより鈍器で殴打された様な重さと衝撃を相手に与え、肺から絞り出すような短い呻き声を上げて見張りの男は転倒した。


「ひぃぃぃっ!?」


 一歩先を走っていた男が肩を抉られて倒れたのを見て、裏返った悲鳴がもう片方の喉から上がる。

 そのまま全力で駆け抜ければ良いものを、背後に迫る気配に脅え、ついつい男は振り返ってしまう。


 眼に映ったのは、ふわりと広がり、翻るシーツの先端。


 一歩踏み込み前方へと跳躍したアンナは、あっさりと男へと追いついて振り返った胴の脇へと足裏を捩じり込んだ。


「ぐげべっ!?」


 身に着けていた革鎧(ハードレザーアーマー)が、少女の踵の形にべっこりと凹む。

 肋骨を粉砕された上、内臓まで口から飛び出そうな衝撃を受けた男の口から、地面に力いっぱい叩きつけられた蛙の如き苦鳴が零れた。

 飛び蹴りの勢いそのままにその身体が壁へと叩きつけられ、頑丈な石壁に罅を入れてめり込む。


「延髄狙ったんだけどなぁ……やっぱ投擲は苦手だわ。なんでシャマやあいつは何でもかんでもホイホイ狙った場所に中てられるんだか」


 叩き込んだ足裏と石壁で見張りを挟み込んだまま、転倒した際に気絶したらしいもう片方の見張りへと刺さった短剣を眺めて、少女は嘆息した。

 あの駄犬(ゆうじん)ならば、短剣どころかそこらで拾った歪な石ころであってもきっちり有効な急所に当ててみせるだろう。

 自身を雑魚だ武装頼りだと普段から下げた評価をするヤツだが、同じ条件――大した身体強化もせずに同じ真似が出来る人間がどれだけいるのか分かってるのだろうか。

 脳裏に惚けた奴の顔が浮かんでなんだか腹が立ってきたが、この状況で長々と愚痴を垂れるのも不毛だ。さっさと切り替える。

 未だ意識があるらしい蹴り付けた方の男へと、アンナが軽い尋問を行おうとして――。


「……ゲ、フッ……あ"……れ"ーすの、し、ろ"……」

「記憶を失え」


 半死半生になりながらも糞戯けたセクハラ発言を吐いた男に、瞬時に脚を引き戻して代わりに拳を五発ほど叩き込む。

 一秒とかけずに鼻、頬骨、顎と順に砕かれて最後に側頭部(テンプル)を左右交互に打ち抜かれ、意識と――おそらくはここ最近の記憶の方も遥か彼方に発射されて行方不明となった男の姿は、口は災いの元を体現した者のソレであった。


「チッ、しまった。つい……」


 舌打ち一つするが、乙女の尊厳(プライド)諸々を護るためには必要な行動だったと直ぐに思い直す。

 アンナは手早く倒れた男達の懐や腰回りを探り、武器を奪う。

 新たに短剣と長剣を一本ずつ手に入れ、これまた奪った革帯(ベルト)に鞘ごとぶら下げた。

 やはりお世辞にも質が良いとは言えず、長剣も好みではないが……贅沢は言えない。無手よりは遥かにマシだ。


(一応、武器は手に入れたけど……)


 防具、というより服はどうするか。

 倒れた見張り連中から剥ぐ事も考えたが、流石にサイズが違い過ぎる。ついでに言うのなら、あまり身形や清潔感に気を使ってなさそうな男共のズボンやブーツを履くというのも気持ち的に無理があった。

 とはいえ、魔力強化を行うにしても素足よりは頑丈なブーツを履いていた方が蹴りの威力は上がるし、踏み込みだって足に負担が掛からない。

 靴くらいは爪先に詰め物をして履くべきか、と顔を顰めながら手を伸ばすが――流石に物音を立て過ぎたのか、何人かの荒っぽい音が靴音高く近づいてくるのを耳に捉える。


「時間掛け過ぎたか……仕方ないわね」


 丈の長いケープの様に羽織っているシーツを短剣で半分に裂き、片方を手早く腰回りに巻き付ける。

 もう片方は肩から斜めに胴へと巻きつけ、胸元で固く結んだ。


 格好・装備は心許ないが、体調は問題無い。

 やってくる者達の突破は難しくないだろう。先程の見張りといい、連中はどうにも飼っている人員の質が両極端だ。

 ファルシオンやジャック(スカシ野郎)に匹敵する者は殆どいない。もしくは全くいないのかもしれない……少なくともこの拠点には。

 逆を言えばあの二人……とりわけ後者レベルの相手だと、腹立たしい事に現状では逃げの一手が最善になってしまうのだが……意地を張る様な局面でも無い、退くべきときは素直に退くとしよう。それはそれとしてあのスカシに御礼参りはするが、絶対にするが。


 そんな風に思考を纏めると、アンナは腰に下げた剣を抜き、右手に握った。

 気息を整え、身を低く構えて近づいてくる無数の足音を待ち受ける。


「じゃ、脱出のついでに軽く逆襲(嫌がらせ)と行きますか」


 特に気負いを見せる事も無く、不敵に笑い。

 石牢と小さな研究スペースらしき空間が同居した部屋の扉が荒々しく開かれた瞬間、彼女は地を蹴った。







◆◆◆




「おい、退け、退け! 俺達じゃ無理だ! アレをぼっ!?」

「く、糞がっ、聞いてねぇぞ! なんでこんな奴らガッ!?」


 何かを喚き散らそうとした男の喉元へと、魔装の籠手がめり込む。

 王都を囲む山々に隠された犯罪組織の拠点。

 その一つである、山の中腹にある洞窟を加工して作られた施設は、現在《刃衆(エッジス)》の襲撃を受けていた。


 今回の強襲作戦において徹底された三人一組(スリーマンセル)

 この場に割り当てられた最小単位である小隊の先陣を切るのは、薄い色合いの金髪を靡かせた褐色の肌の騎士――シャマダハル=パタだ。

 低い、それこそ這う様な姿勢。だが獣の如き速度と、洞窟内の照明を受けて伸びる影の様な静かな歩法で、地だけでは無く、壁――ときとして天井すら足場として駆け抜ける。

 後に続くは、《刃衆(エッジス)》内の古株にして練達の魔法剣士、ローガス=クレイと新入りの鉄拳お嬢様ことローレッタ=カッツバルゲル。

 洞窟内を縦横自在に駆け抜けるシャマが目に付く照明を潰し、退こうとする者を優先的に仕留め、後続の二人が迎撃せんと向かって来る者達を叩き潰す。

 夜目が利くのか、光源が無くとも一切の陰りを見せないシャマの動きは、照明が無くなった洞窟内において凶悪の一言だ。

 背後に続くローガス達が頭上に魔法の光源を浮かべているのも、その隠密性を高めるのに一役買っていた。


 投擲や無造作な蹴りで真っ先に破壊される洞窟の照明。

 降りてきた暗闇に紛れて駆け抜ける、暗殺者の如き軽快な動きの騎士の姿は隠れ、容易には視認できず――その分、後ろから魔法の照明を掲げて猛追してくる二名へと、どうしても注意が引きつけられる。

 その意識の隙を縫う様に打ち込まれる籠手の一撃。

 優れた戦士であっても防ぎ切るのは難しく、ましてや洞窟内の警備をしていた野盗くずれ、傭兵くずれでは、反応すら出来ずに意識を刈り取られるしかない。

 先陣を切って駆けるシャマが遊撃、後ろに続くローガスとローレッタが実質敵の眼を惹く囮にも近い役割という、暗闇に満たされた洞窟だからこそ成り立つ変則的な連携で以て、一同は奥へと突き進む。


「雑魚ばっかで張り合いが無いし。トニーやふくちょーに手を出した転移者は何処にいるんだか」


 警備らしき男達に指示とも言えぬ雑言を喚き散らしていたが、半数以上がサクっと蹴散らされたのを見て背を向けて逃げ出した研究者風の男。

 その足首――アキレス腱部分を投擲刃(スローイングダガー)で打ち抜いたシャマが、悲鳴を上げて倒れ込んだ研究者の背を踏んづけて不満そうに鼻を鳴らす。


「攫われたっていう被害者の姿も無し。そういう意味じゃ此処は二重の意味で外れなのかも、な!」


 大振りの戦斧を持つ大男を迎え撃ったローガスが、あっさりと戦斧を弾いて男の横腹に蹴りを叩き込み、身を折って低くなった脳天へと両手剣の柄を打ち付けて意識を奪った。

 その隣では、槍による突きを正面から拳で叩き折ったローレッタが、返しの左で相手の顎を打ち抜きながら会話に加わる。


「広い洞窟ですが、横道は殆どありませんでしたし……最奥に囚われているのでは? シャマダハルさんが足蹴にしている輩は研究者らしき装いです。此処がただの資材置き場という可能性は低そうですの」

「だね。人質なんかにされてもちょー厄介だし、さっさと奥にいこ」


 投降するだの司法取引に応じるだの、喚き続けていた足元の男の側頭部を蹴り飛ばして静かにさせると、爪先で軽く地を蹴り、再びシャマが駆けだす。

 向かって来る者やこちらの脇をすり抜けて逃げ出そうとする者は打ち倒すものの、即行で尻尾を巻いて退却した連中は奥に引っ込んだままだ。

 山中にある洞窟を利用した施設である以上、下手な拡張などは崩落に繋がる。奥に行けば行くほど別の抜け道などがある可能性は低い。

 それでも躊躇なく退いたということは……何か隠し玉があるのかもしれない。

 三人共、誰が口にするまでもなくその可能性に思い至り、一瞬の目配せと共に警戒を高めて突き進む。


 そして、その予想は正解であった。


 洞窟内でも更に開けた空間へと出る。

 その奥には巨大な鉄の檻に取り縋り、焦った様子でガチャガチャと檻の扉を弄る者達の姿があった。

 その内の一人が《刃衆(エッジス)》の面々に気付いて焦れた様子で叫び声を上げた。


「クソがっ、もう来やがったぞ! まだ檻は開かないのかよ!?」

「時間を稼げ! 開ける事自体は出来るが時限式の設定をせねば危険が……」

「言ってる場合か!? 今開けなきゃ何もできずにやられるだけだろうが!」


 研究者の服装をした男が檻を前に魔力を操作しているのを待っていられないとばかりに押し退け、戦闘から退却して来た男達が力づくで扉を開閉しようとする。


「馬鹿ッ! よせ!」

「うるせぇ!! 開けたら直ぐに逃げちまえば良いだけだろうが!」


 突き飛ばされ、尻もちを着いた研究者の悲鳴にも似た制止の声を怒鳴り返す事で遮り、重量も相当にありそうな扉を数人がかりで引っ張る。

 錠が外れる音が異様な程に大きく響き、分厚い鋼鉄の扉が幾らか動いた瞬間。

 洞窟内に重低音の咆哮が響き渡り、檻の奥から突撃してきた巨大な質量が扉へと激突した。

 大の男が数人がかりで少しずつ動かしていた大扉は、冗談のように拉げて宙を舞う。


「なぁっ!?」

「ひいぃぃぃっ!?」


 上がった悲鳴は男達の誰かか、或いは身を丸めてその場に蹲った研究者のものであったのか。

 確認はとれそうに無かった。

 扉を吹き飛ばして檻から飛び出して来た()()は、その巨体と重量のままに檻の前に屯していた者達を跳ね飛ばしたからだ。

 馬鹿げたサイズの鉄扉を吹き飛ばす威力の突進だ、進路上にいた者達の末路は悲惨である。

 子供に放り捨てられた小さな人形の様に、人の身体が幾つにも千切れ飛びながら宙を舞った。

 バラバラになった男達の体液を頭から被りながら真っ直ぐに突撃を続けたソレは、地響きを立てて壁に激突。少なくない衝撃に洞窟内に地震にも似た振動が走る。


「……コイツは……」


 シャマとローレッタに下がるように手振りで伝え、前に出たローガスの口から呆れと感嘆の籠った呟きが漏れた。

 洞窟の壁に巨大なクレーターを穿って止まったのは、巨大な魔獣であった。

 ずんぐりとした体形に、太く、やや短い手足。

 全身は生半可な刃など弾きそうな剛毛に覆われ、背や腕部、足などを覆うは装甲にも似た甲殻。


「《装甲熊(シェルム・ベア)》……ですの?」

「サイズがおかしいけど、多分……?」


 困惑した声色のローレッタに応えるシャマの声も、やや自信無さげであった。

 檻を破壊して現れた魔獣は、元は野生の熊だったものが魔力による強化と変質を起こしたと言われる、《装甲熊(シェルム・ベア)》の名で広く知られる獣である。

 学名にて装甲扱いされる程の甲殻部分は硬く、腕利きの戦士でなければ傷をつける事も困難であり、熊の持つ膂力やタフネスをそのまま強化した様な能力は魔獣の中でもかなり厄介な部類に入る。

 戦うとなれば危険だが、生息域が深い森の奥や高度のある山林などの為、遭遇する機会自体が滅多に無い。


 知識としてはローガス達が知るのはその程度である。

 だが、目の前で壁にめり込んだ胴体を強引に引き抜く個体は、一目見て尋常では無い事が分かる程の巨体であった。

 通常の熊よりも一回りか二回りは上の体躯を誇る《装甲熊(シェルム・ベア)》だが、これはそんなレベルでは無い。

 洞窟としては相当に大きく、開けたこの空間を圧迫せんばかりの巨躯は、直立すれば二階建ての家屋に届く程の大きさだ。下手な竜並みのサイズである。

 何より、眼を惹くのはその名の由来でもある身体の各部にある甲殻。

 そこには魔力導線が彫り込まれ、魔獣の持つ魔力と励起して薄っすらと光を放っていた。

 当然、この魔獣――というより、生物には外殻部分に魔力導線など存在しない。


「……実験動物って訳かよ、胸糞悪い」


 心底反吐が出る、といわんばかりの表情でローガスは吐き捨てた。


 力こそ強いが、魔獣の中では比較的大人しい気性であり、遭遇しても場合によっては穏便な離脱が可能である、とされる《装甲熊(シェルム・ベア)》。

 だが、見て分かる程に眼球を血走らせ、口から血混じりの涎を滴らせた眼前の個体は、ただの興奮状態とは言い難い狂気にも似た凶暴性の発露が伺える。


「……どうしますの?」


 相当な重圧(プレッシャー)を放つ魔獣を油断なく見据え、ローレッタが言葉少なに部隊の先任へと判断を仰ぐ。

 本音を言えば、眼前の無惨にもその身を弄ばれた哀れな獣を、せめて安らかに眠らせてやりたい。

 だが、今は攻略速度がものをいう強襲作戦の真っ只中だ。

 副長や攫われた人々の救助も叶っていない現状、悪戯に時間を取られる戦闘は避けるべきなのも確かであった。


 ローガスとしても考えはほぼ同じ――だからこそ、悩ましい。


 今にも襲い掛かって来そうな《装甲熊(シェルム・ベア)》を前に、長々と考え込む時間はあまり無かった。

 腰を入れて討伐か、受け流してやり過ごすか。

 数秒にも満たない懊悩に、あっさりと終止符を打ったのはシャマだ。


「あたしが殺る。おじさんとローレッタちゃんは此処より奥の確認してきて」


 腰に下げた、握りの付いた特徴的な刃――カタールの刃部分を籠手へと装着し、褐色の少女はローガスを押し退けて前に出る。


「おい、シャマ。一人は無茶だ、とは言わんが……なにも――」

「時間が惜しいのは分かってる。だから、あたしが葬送する(おくる)。二人が戻ってくる前には終わらせとくから」


 常と比べれば硬く、遊びの無い声色に、彼女が譲る気が無いのを確信し、ローガスは溜息をついた。


「却下だ。そもそも三人一組(スリーマンセル)を崩すなと厳命されてるだろ」

「……ッ、でも!」

「ローレッタ、悪いがシャマの我儘に付き合ってやってくれ――最速で、なるべく苦しませずに終わらせるぞ」

「了解しましたわ!」


 両手剣をその場で掲げ、早速の詠唱に入った魔法剣士の言葉に気合十分で応え、拳を打ち合わせて金髪巻き毛の少女が褐色の少女の隣に並ぶ。

 普段のやたらと軽いノリと態度とは裏腹に、シャマダハルという少女は観察力に優れた戦士だ。

 おそらくは、自分達が気付かない事に気付き――どうしてもこの魔獣を放っておく事が出来なくなったのだろう。

 その理由が放置する事の危険性や、何某かの問題を引き起こす事への警戒ではなく。

 眼前の魔獣への憐憫の情に依るものであるのは、なんとなくローレッタも察しが付いた。


 甘いといえばその通りなのだろう。

 作戦の最中に、騎士としての自覚が足りないといえば、そうなのだろう。


「だがそれが良い! というヤツですの!」


 隣に立つ先任へと、莞爾として笑いかける。

 我儘を通すは強者の特権。

 その甘さが、情が、我儘であるというのなら、実力を以て押し通せば良い。

 それを可能とするが故の強者。甘さ(それ)を貫き、それで尚、結果を叩き出せるが故の帝国最精鋭。


 全てを言葉にせずとも、ローレッタの笑みから伝わるものがあったのか。

 少し照れ臭そうに、だが嬉しそうに、シャマも笑顔を浮かべる。


「さんきゅー! 愛してるぜローレッタちゃん! あとおじさんも褒めてあげなくもないし!」

「俺はついでかよ!」


 詠唱を中断してまでツッコミを入れたローガスの叫びに呼応する様、《装甲熊(シェルム・ベア)》が咆哮を上げ、戦いは始まった。




 巨大な剛腕が振り上げられ、大地に叩きつけられる。

 破城槌の如き一撃に洞窟が揺れ、パラパラと天井より小石が降り落ちた。

 それを三方に散って回避する《刃衆(エッジス)》の面々。魔獣の半ば飛び出た眼球がギョロリと動き、真っ直ぐに突進してくるローレッタへと視線が固定される。

 掌だけで人間の上半身を握りつぶせそうな巨腕が、今度は下から掬い上げる軌道で少女を襲う。

 剛毛に覆われた迫りくる壁の如き腕に対し、タイミングを計ったローレッタは自ら跳躍して飛び込んだ。

 振り抜かれる剛腕に、揃えた両脚のブーツの底が乗せられる。

 大きさに相応しい剛力へと合わせる形で《装甲熊(シェルム・ベア)》の腕が蹴り付けられ、剛腕の威力を殺し切れずに彼女の身体は天井に向かって高々と放られた。

 本来ならそこで天井へと叩きつけられ、落ちた処を為す術無く引き裂かれるか押し潰される。


 が、彼女達は《刃衆(エッジス)》。この程度は窮地の内にも入らない。


 黒い外套(コート)が翻り、空中で身を丸めたローレッタの身体がぐるりと廻る。

 天井へと両脚で()()した彼女は、次の瞬間、渾身の力で天地逆となった足場を蹴りつけた。


「オォォォッ……ラァァァッ!!」


 魔獣の咆哮に負けじとばかりに、気合の入った叫びが洞窟へと響き渡る。

 人間砲弾と化して突っ込んでくる上空のローレッタに向け、《装甲熊(シェルム・ベア)》が再度腕を振り上げ――。


「――ごめんね」


 小さく呟かれる言葉と共に、その巨躯がガクンと傾く。

 その巨大な身体の陰に隠れる様に回り込んだシャマが、両手に握ったカタールを振るっていた。

 四肢に纏う甲殻の隙間を縫って突きこまれた二つの刃は、見事に魔獣の脚の腱を貫き、断っている。

 片足を潰されて態勢を崩した《装甲熊(シェルム・ベア)》だが、迎撃は無理でも防御は間に合わせた。

 腕が天に翳され、ローレッタの流星の如き落下攻撃が受け止められる。

 発射された砲弾と、それを受け止めた城塞の壁の如き音が衝撃を伴って洞窟内を走り抜け、大気を震わせた。

 激突の衝撃で弾き飛ばされたローレッタが後方へと着地し、片腕の甲殻を砕かれた魔獣が血濡れた腕を地に着けて転倒を免れる。


(あぁ、やっぱりか……)


 魔法の詠唱を終え、大剣に付与効果(エンチャント)を施したローガスが巨躯の懐へと飛び込む光景を見ながら、シャマは《装甲熊(シェルム・ベア)》の身体を蹴って駆け上がった。


 最初に檻を飛び出た時も、その後も攻防も、そして今も。


 振り回される剛腕は脅威の一言であったが、交互に繰り出されるソレには、不自然な間隙があった。

 帝国騎士団に所属する前は、野生の獣を狩って糧を得ていた事もあったシャマだからこそ、気付いた違和感。

装甲熊(シェル・ベア)》の凶悪な爪を有したその腕が振り抜かれる、その際。

 攻めに用いるものと逆の手は、どんな体勢でも必ずと言ってよい程、胴の――腹部の前に翳される位置にあった。


 それは、まるで何かを隠す様に。若しくは何かを庇う様に。


 おそらく眼前の《装甲熊(シェルム・ベア)》は、身籠って()()のだろう。

 だが、シャマの眼は強固な剛毛に隠されたその下腹部に僅かに見える、縫合の痕を捉えていた。


 犯罪組織に実験動物として捕らえられた魔獣。

 その腹には、もうすぐ生まれるであろう赤ん坊が抱えられていたとなれば――そこから先はどうやっても不愉快な想像しか浮かばない。


 その予測が当たっているのだとすれば。

 この《装甲熊(シェル・ベア)》は、きっと今も、腹の子を護ろうと戦っているのだ。

 頭を、身体を弄られ、野生からはかけ離れた狂気の衝動に心身を侵され、それでも尚。

 腹から抉りだされた、もう居ない我が子を庇って、とうに喪った事にも気付けずに。


 ローレッタによって甲殻を砕かれた巨腕に、ローガスの剣が深々と突き刺さる。


解放(リリース)


 突き刺した瞬間、短文詠唱と共に刀身に込めた魔力が解放され、魔獣の身体の内部を走り抜けた。

 施されていた付与効果(エンチャント)は、氷の魔法。

 かの《水剣》には及ばぬとはいえ、身体の裡から流し込まれたその魔力は《装甲熊(シェルム・ベア)》の巨大な身体を凍てつかせるにあまりある。

 全身が凍てついた事で、動きと――恐らくは痛覚含めた様々な感覚が鈍化した母熊の眼前に、軽やかに跳び上がる影が、一つ。


「おやすみ――女神様の御許(あっち)で、家族(こどもたち)と会えると良いね」


 悼む様な、願う様な、祈りにも似たその言葉と共に。

 シャマの握るカタールの刃が《装甲熊(シェルム・ベア)》の眼球へと突き込まれ、その奥にある脳を貫いた。







◆◆◆




「……と、いう経緯が我らの手掛けた合成獣(キメラ)の製造コンセプトにありまして、これは――」


 話が長い、三行でおk(スパーン

 直ぐ隣の首が宙を舞うと、並べて正座させていた研究者っぽい恰好の男達から短い悲鳴が上がった。


「ひぃぃぃぃっ!? つ、つまりは私達の合成獣(キメラ)は既存の生物同士の掛け合わせでは無く、ま、魔鎧の複製品の製造過程で得た魔力導線の移植技術との融合に依るもの、ということです!」


 うむ、纏まってる。だが話が不愉快なのでアウト(スパーン


「ま、待って! 待ってください! ちゃんと説明してるじゃないですか!? どうし――」


 うん? なんだって?(スパーン


「あ、あんまりだ! 幾ら何でもこの様な無法、罷り通る訳が無い!」


 鏡見て言って、どうぞ(スパーン


 淡々と、リズミカルに首を刎ねていく。気分は太〇の達人だ。

 当たり前だがひと一人につき首は一個しかない。なのでもう二度と遊べないドン!


 既に結構な数の拠点を潰してるというのに、未だに副官ちゃん処か攫われた人達の誰ともエンカウントしていない。

 そもそも北区自体がそういった施設や拠点に繋がった区域なのかもしれんと、トニー君が現在此処の所長らしき人物を尋問中だ。

 最初は俺がやろうとしたのだが「旦那は直ぐにスパンするから駄目ッス」って却下されてしまった。

 なので、彼が尋問してる間、俺も手慰みに残った連中を相手に情報収集を試みているのだが……。


 いやー、自分一人でならもうちょっと丁寧にやるんだけど、自分より尋問とか得手な仲間がいるからってちょっと適当になりすぎたわ。気が付いたら残りの首は一個しか残って無かった。反省反省。


 床に転がった大量の仲間の生首を見て、残った首――じゃなくて研究員が涎垂らしながらヘラヘラと笑い出す。


「ふ、へ、ひひ、こんな……これは夢だ……こんな理不尽が……うひぇひぇひぇひひひ」


 ありゃ、壊れた。100均で買ったラジオじゃあるまいし、脆すぎんよー。

 もう情報は取れそうにないので、壊れた奴の前に立って手刀を掲げる。


 気付くのが遅いわ――そうとも、俺はお前らの不吉(りふじん)だよ。


 お前達が副官ちゃんに手を出した時点で、そうなった。そうなると決めた。

 誰も逃す気は無い、誰も許す気は無い。

 信奉者(クソ共)と同じだ――死に絶えるその瞬間まで怯えて竦め。


 壊れた敵を、縦に両断する。

 斬首は血飛沫が飛び散り過ぎるとトニー君には不評だったので、今回も加速と同時に手刀を赤熱化させ、ちゃんと焼き斬った。

 気を使った御蔭で、この場は綺麗なもんだ。血の染み一つ飛んで無いしね!


「旦那、終わりまし――なんスかこの地獄みたいな光景」


 お隣の部屋で尋問に励んでいたトニー君がやってくるなり白目を剥いた。解せぬ。

 ヘイヘイ、俺も尋問に励んでたんだぜ。トニー君は頬にちょっと血がついてるけど、見ろよ、こっちは一滴も床を汚しちゃいないぞ。


「じんもんの ていぎが くずれる」


 処刑の間違いでしょ、と呻く彼の言葉は聞き流して、俺は肝心要の北区周りの《門》の情報について問うた。

 ――で、どうなんだ? やっぱりこの辺りは実験用の魔獣と物資の貯蓄がメインなの?


「基本はそうみたいッスね。ただ、北区のとある一カ所――大分昔に没落した貴族が所有していた屋敷があるンスけど、そこの《門》は一部の幹部みたいな連中しか通れない、との話ッス。少なくとも此処の所長サンは通った事が無いと」


 直ぐに真面目な顔に戻って告げられた情報は、中々に有益なものだった。

 ビンゴ、とまでは言い切れんが、"当たり"の可能性はありそうだな。

 此処の殲滅は終わった。次はその貴族の屋敷に向かってみるとしよう。


 頷き合い、俺達が踵を返して部屋を出ようとすると――。


「ま、待ってくれぇ、い、痛い、血が止まらんのだ、手当をして……」


 トニーが尋問を行っていた部屋から、情けない哀願の声が上がる。

 這いずる様にして出てきたのは一人の男――この研究施設の所長だ。

 俺は振り向かずにその方向へと無造作に腕を振った。

 腕部の装甲から切り離した破片が散弾となり、汚い呻き声を上げる男を物言わぬ肉塊へと変える。


 ――おし、次。


「うッス」


 不愉快な合成獣(キメラ)を作り出していたという張本人の末路を、視界に入れる事すら無く。

 俺とトニーは、そのまま施設の出口へと移動を開始したのであった。









アンナさん


脱出&反撃開始。

遅れをとったとはいえ、囚われの御姫様ポジションは《刃衆》の副隊長殿には性に合わなかった模様。

ちょっと露出度高めな格好で大暴れ中。だが迂闊な発言をすると乙女の制裁が加えられるのでお口にチャック推奨。



《刃衆》三名


順調に強襲作戦を進めるが、モルモットにされた魔獣と遭遇。ちょっと時間を割いて討伐に移る。

攻略した場所は人では無く動物メインの実験施設だった。その場で解放すると危険そうな魔獣以外は取り敢えず檻から出して、次の《門》へと移動。



猟犬&狐


量産した屍の数が三桁に到達。

殲滅速度はぶっちぎりだが、引きが悪くて要救助者とは一度もエンカウント無し。

とあるギャル騎士が絶対ぶっ殺すと固く誓った魔獣の兵器転用の発案&主導計画者をノールックで挽肉に変えた後、次の場所へと移動中。



母熊&子熊


ちゃんと再会できた。

魂の縁は途切れて無かったので、どういう種族であれ次の輪廻も親子として生まれると思われる。




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