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日没前、其々の時間




「なんという馬鹿な真似をしてくれたのだ! よりにもよって皇帝直属の部隊の者を検体として連れて来るだと!?」

「あの皇帝の事だ、近衛を連れ去った事を挑戦や侮辱と判断しかねん。そうなれば如何に大祭の最中、来賓各国の眼が在れど、それらを無視してでも軍を動かしかねんぞ…!」


 幾人ものひどく苛立った怒鳴り声が、薄暗い石室に響く。

 お世辞にも耳に心地よいとは言い難いソレに、二日酔いの朝に銅鑼の音で叩き起こされた様な気分でアンナは目覚めた。


(うっさい……頭に響く……)


 少々ボウッとする意識のまま、眼を開いて映るのは自室の天井――な訳もなく、暗く分厚い石造りの壁である。

 それに戸惑ったのも一瞬。一秒後には自身があまりよろしくない状況に置かれていることを把握した。


(あー……そう言えば負けたんだっけ、私)


 どてっ腹を剣の柄で思いっきりブン殴ってくれたスカし野郎の顔を思い出し、鈍っていた思考が一気に覚醒状態に復帰する。

 反射的に跳び起きそうになるが、妙に身体が重く、そして肌寒い事に気付き――次いで、自分が装備を剥がれて下着姿で転がされていることを認識した。

 思わず舌打ちが漏れそうになる。が、グッと堪えて現状を確認。

 どうやらあのジャックとか言う男に倒された後、とっ捕まって何処ぞに連れてこられたらしい。

 ぎゃあぎゃあと喧しく言い争いをしている声の方へと視線だけを向けると、太い鉄格子の向こうで数人の男達が一人の痩せぎすな男へと詰め寄っているのが見えた。

 その背後には、薬品の入った瓶や調合器具が雑多に並んだ机。大量のメモが張られた木板(ボード)や中身がぎっしりと詰まった本棚がある。


(石牢……虜囚の身、って訳ね。屈辱だわー、コレ。腹立つ)


 幸いにして拘束などはされていないが、身体の動きが鈍い。無力化の為に何かの薬を打たれているようだ。

 アンナは目を瞑り、体内に微量の魔力を走らせて身体の状態をセルフチェックする。

 投与されたのは鎮静剤の類か。肉体と魔力、特に後者に作用するタイプのものらしい。

 少なくとも自己診断した限りでは、それ以上の事はされていない。二の腕に包帯が巻かれているので、採血くらいはされたのかもしれないが。

 結論――現時点でも動けないことは無いが、万全とは程遠いコンディションである。戦闘に関しては数段動きが鈍るだろう。


(十中八九、例の人攫い連中の拠点ね……装備も無いし、相手の規模も戦力も分からない以上、今の状態で動き出すのは悪手か)


 目覚めた事を気取られぬ様、片目だけを半分開いて周囲を確認しながら、体内で魔力を回す。

 取り敢えずは、このまま鎮静剤の効果を体内から押し出す事に注力すべきだろう。乙女の柔肌を晒して冷たい石牢に放り込んだ事に関しては、後できっちり礼をしてやるが。

 そんな風に固く決意しつつも、気絶したフリを続けながら未だ続く言い争いに耳を傾ける。

 口論をしている連中がどのような立場なのかは知る術も無いが、あれだけ興奮しているなら重要な事もポロっと漏らしてくれそうだ。此処からの脱出にしろ、後の反撃にしろ、何をするにしても情報は是非とも欲しい。


「あ、あの方に許可は得ている。わ、私は私の権限と計画のひ、必要性に則って、そ、それを行使したに過ぎない。せ、せ、責められる謂れはありませんな」

「権限!? 権限と言ったか!? この狂人が! 言い逃れの仕様の無い状況で近衛騎士の拉致を指示するなど、それ以前の問題だ! どんな貴重な素材や検体であれ、入手の有無より事の隠匿性を優先するのは基本であろうが!」

「許可、といっても貴公の権限は素材の選定と要望の優先、と言ったものだろう。この一件、下手をすれば拠点や施設を複数放棄する大事に発展する可能性がある。自身の権限の種をはき違えている様だが、実際に御方の前でその戯言が通ると思うなよ博士(ドクトル)


 怒りに顔を赤く染め、口角泡を飛ばす勢いで。

 或いは冷徹に、だが隠しようも無い軽蔑を込めた声色で、男達は其々に博士(ドクトル)と呼ばれた研究者風の男を詰る。

 感情と理屈、両方の面から罵詈雑言をたっぷりと浴びせられているにも関わらず、博士(ドクトル)は鬱陶しい、以上の感情をその顔に浮かべていない。

 薄暗さのせいもあって、じっくりと男達の人相を確認できる訳では無いのだが、罵倒に対して平然としているというよりは、そもそも最初から相手の言葉そのものをロクに聞いていない。そんな様が透けて見える表情であった。

 そこまで露骨な態度を取っていれば罵倒を向ける側も当然気付く。益々剣呑な雰囲気となった男達だが、そこに割って入る声があった。


「随分と騒々しいな。我らは表沙汰には出来ぬ秘事を持つ身とはいえ、その表では立場ある者も多かろう。童の如き癇癪を起こすのは責任ある立場にそぐわぬとは思わんか?」


 そんな言葉と共に、追加で現れたのは二人の男だった。

 片方は見覚えのある――というか、おそらくはアンナをこんな場所に放り込んでくれた張本人、スカし野郎こと、ジャック=ドゥ。

 もう片方は、当然の如く初見。かなりの長身に堂々たる体躯を誇る、貴族風の出で立ちをした偉丈夫であった。

 先の上役や上位者らしき発言といい、身に纏う空気といい、それなりの立場にいる者である事は分かる。

 貌を見る事が出来れば良かったのだが、口元から上は洒落たデザインの仮面(マスク)で覆われ、素顔を窺い知ることは出来ない。

 何より目立つのはその頭髪。その色は、背後に侍るジャックと同じ、艶やかな黒であった。


(……転移者? でも、貴族らしい振る舞いが堂に入り過ぎてる)


 相も変わらず意識の無いフリを続けながらも、アンナは気取られぬ様、注意深く観察を続ける。


「おぉ、これは閣下。わざわざ研究区画にまでいらっしゃらずとも、お呼び頂ければ我ら一同、即御身の下に窺いましたものを」

「常であればそれも良いだろう――だが、此度はそれでは済まぬ厄介事が起こった様なのでな」


 男達の一人が畏まって礼をするのを鷹揚に手を振って止め、閣下と呼ばれた偉丈夫は仮面越しであってその表情が厳しく引き締められているであろう事が分かる、固い声と視線を以て博士(ドクトル)を貫く。


「愚かな真似をしたな、総主任。如何な『超人兵計画』の要となる研究者とはいえ、責任の追及は免れぬと思え」

「な……! お、お、お待ちください閣下、わ、私は……」

「権限を行使しただけ、か? 素材の重要度に関わらず、調達の際には現地の回収実行者の状況判断が優先される――そう、周知させていた筈だ」


 痩せぎすの男が初めて慌てた様子で何やら言い募ろうとするが、仮面の男はにべもなく一刀両断した。

 押し黙る博士(ドクトル)に対し、此処ぞとばかりに先の男達が口々に追及を始める。

 それを横目に、仮面の男は背後のジャックへと振り向く。


「お前もお前だ。何故突っぱねなかった?」


 他の者への言葉に比べれば、格段に砕けた――言ってしまえば親しみすら感じさせる咎めの言葉に、当の剣士は大仰に肩を竦めてみせた。


「おいおい、俺は立場的にはしがない雇われなんだがね? 総主任殿に『許可なら得ている、お前は黙って検体を回収すればいい』と断言されたら従う他無いだろ?」


 組織内の発言力という点で見ればその言葉は尤もなのだが、当の総主任はそうは思わなかったようだ。

 忌々し気な視線が突き刺さるも、ジャックはどこ吹く風といった態度で「どうかしたかね、上役殿?」と白々しく宣い、笑う。

 そんな様子を黙して見つめる仮面の男は、やがて剣士を見据えたままポツリと呟く。


「……切欠のつもりか」

「さぁ? それを決めるのは俺じゃない。機会を生かすか殺すか、進むか止まるか、()()のはお前さんだろうよ」


 特に含むものなく、飄々と告げられるその言葉に、仮面の男は深々と嘆息した。


「仕方の無い奴だ……まぁ、一度それは置くとしよう。して、件の検体として連れて来たという騎士殿だが……」


 そこで彼はアンナの捕らえられている石牢へと眼を向け……下着姿で冷たい床に放り出されている彼女をみて絶句した。


(あ、眼は青い……転移者じゃなくて、その血縁の類なのかも)


 視線を向けられ、慌てて狸寝入りを決め込む直前、照明を反射した瞳の色にアンナが暢気に考察していると。


「……これは、どういうことだ」


 明らかに憤激した、険のある声色で"閣下"が唸り声を上げる。


「――ジャック?」

「剣だけじゃなく、着てる騎士服もあちこちを鋼で補強してあったんでね。念の為全部剥いだらこうなった――一応言っとくが、剥ぐのは嬢ちゃんにやってもらったし、その後に掛け布くらいは用意しようとしたぞ、俺は」


 暗にそれを突っぱねた者がいる、と主張する剣士の言葉に、自然とその場の全員の視線が博士(ドクトル)へと集中した。

 其れを受けて鼻白む――事も無く、寧ろ不満気な空気すら漂わせながら、彼はぎょろりと牢の中のアンナへと眼を向ける。


「お、お、恐れながら閣下。え、片刃(エンハンス)シリーズは微量とはいえ、ちょ、超人化への適応を見せた、け、検体の総称です。衣類無し、じょ、常温に近い気温で睡眠を摂った程度で、き、機能に影響が出る様な脆弱さは――」


 みなまで言い終える前に、仮面の男が腰の剣の鍔を親指で押し上げた。

 薄暗い室内に、僅かな光源を反射して銀光が一閃する。


「――ぇ、あ、熱っ……ひ、あああああぁぁっ!?」


 呆けた表情で耳元に手を伸ばした博士(ドクトル)が、引き攣った声と表情で悲鳴をあげた。

 彼の両の手が自身の側頭部――右耳の()()()場所を押さえ、着けている白い手袋が真っ赤に染まり、しかしそれを気に掛ける余裕もなく。

 その痩せぎすの身体が石作りの床の上をみっともなく転げまわる。

 部下の耳を斬り飛ばした"閣下"は、先の糾弾よりも更に冷たい、吐いて捨てるような口調で床でのたうつ男へと告げた。


「こうなった以上、無事に返す事は出来ぬとはいえ……彼女はこれまでの素材となった、無辜ではあるが同時に無力であった者達とは違う。かの大戦で数え切れぬ功績を上げた英傑の一人だ。敬意を払えと迄は言わぬ。だが、粗略に扱うなど以ての外と知れ」


 痛みと身体の一部を失った衝撃で、床を這ってひたすらに甲高い悲鳴を上げ続ける痩せぎすの男から視線を外し、仮面の男は他の者達を順繰りに見回した。


「現皇帝は果断な男だ。おそらくは二日と掛けずに準備を整えて、此方の施設を襲撃させるだろう。猶予を見て一日――その間に、帝国側に把握されているであろう《門》に繋がる研究所や施設から出来るだけ資料や素材を運び出すとしよう。急げ、時間との勝負になる」

「承知しました……閣下のご予定は?」

「私は今回の大祭に乗じて視察に来た、出資者や顧客への説明がある。彼らも皇帝に眼を付けられる可能性があると知れば、不平不満で時間を潰すよりは先ず安全圏への退避を選ぶだろう」


 運びきれない荷は施設ごと火を放て、と付け足された言葉に頷いた男達は、慌ただしく移動を開始する。

 この場での用は済んだのか、ジャックを伴ってこの場を去る仮面の男の背を見送ったアンナは胸中で呟いた。


(一日、ね)


 助けを待つ囚われのお姫様役など、柄でもない。

 一日。それまでには脱出の為の算段を整えようと決めた彼女は、未だに響く嗚咽混じりの苦鳴を意図的に耳からシャットアウトし、身体を本調子に戻すべく眼を閉じて、体内の魔力操作に集中するのだった。







◆◆◆




「――事のあらましは以上です……私が目の前にいながら、みすみす副隊長を奪われた件については、後ほど責任を取ります」


 帝都王城の一角、《刃衆(エッジス)》の隊舎として割り当てられた敷地の広場にて。


 剣、盾、槍、斧、はては徒手や弓。様々な得物を腰に下げ、或いは背負い。年齢や性別、種族もバラバラな者達が隊舎の入口前に集まっていた。

 彼らに共通するは、帝国の紋章が刻印された黒の外套(コート)。帝国最精鋭の騎士達の証である。

 集結した隊員達を前に、現状の説明を終えたミヤコは厳しい表情のまま、自らの失態を悔いる様に口元を固く引き結び、瞳を閉じた。


「悪党の腕前を認めるようで癪ですが、隊長殿で駄目なら俺達の誰であっても結果は同じだったでしょう――その白い魔鎧ってのも厄介処じゃなさそうですし、これで責を求める様な奴は《刃衆(ウチ)》の隊にゃいませんって」

「ローガスの言う通りですね。責任感の強さは隊長殿の美徳ですが、今回のケースは余りにも予想外の要素が多すぎた。不覚を取った事を嘆くより、状況の好転を狙っていきましょう」


 隊の中でも年長の二人――ネイトとローガスの言葉を受け、他の隊員達も同意を示して頷いている。

 そんな部下達の言葉に、黒髪の少女は小さな声で礼を述べると、再び目を開く。

 磨かれた黒曜石の如き輝きを放つ瞳は、決然たる意志の光を放っていた。


「城下に残って調査を続けてくれたトニー君の御蔭で、敵方の拠点に繋がると思われる複数の《門》の設置個所が確認済みです――その全てに、強襲を掛けます」

「上等。トニーを刻んだ上にふくちょーまでかっさらっていた馬鹿共に、何処に喧嘩売ったのか教えてやるし」

「あれ程の剣士が相手だというのであれば、相手にとって不足はありませんわ。初の任務、死力を尽くして当たらせて頂きますの」


 ミヤコの宣言に呼応し、シャマとローレッタが気炎を上げて両腕の手甲を打ち付ければ、周囲の隊員達にもその空気が伝搬し、今にも得物を天に掲げて咆哮すらあげそうな戦意が渦を巻く。

 同じく意気を高めながらも、隊の顧問であるネイトが冷静さを努めて表に出した声色で注意事項を伝えるべく、口を開いた。


「件の転移者――ジャック=ドゥは不明な点が多いですが、その危険度は折り紙付きです。各員、単独での戦闘は絶対に避け、常に三人一組(スリーマンセル)を維持する様に」

「ふむ、顧問殿がそこまで言う程か……隊長殿。実際の処、三対一ならばその転移者、()れると思うか?」


 腰に一対の戦斧を下げた隊員の質問に、ミヤコは口元に拳を当てると数秒、考え込み……顔を上げて緩やかに首を横に振った。


「例の白い魔鎧がどれ程のものかはっきりしない以上、断言は出来ません。三人一組(スリーマンセル)は不意の遭遇戦から、最悪、確実に撤退する為のものだと思ってもらえれば。可能なら防戦に徹して――」


 一度言葉を切り、軽く息を吸って。

 一拍置いてその桜色の唇から放たれた言葉は、苛烈なまでの戦意に満ちている。


「私が交戦場所に到着するまで、時間を稼いでください。一対一に持ち込めれば、この手で斬ります」


 凛とした、だが力強い断言。そしてそれを疑う者などいない。

 人類種最大国家における最精鋭の戦闘集団《刃衆(エッジス)》。

 その長にして、帝国三指――否、帝国最強の剣腕を持つであろう《黒髪の戦乙女》ミヤコ=タナヅカ。

 純粋な武力、という点において自分達の頂点に立つ少女の強さを、言葉を、信じぬ騎士がいる筈も無かった。


 その傍に控えるネイトが、少々悪戯っぽい笑みを浮かべて頷く。


「頼もしい限りです。とはいえ、頼られる事がめっきり少なくなったのは少々寂しいですけどね」

「ずっと頼りにしてますよ? ネイトさんも、部隊の皆も。ただ――相手が魔鎧を扱うのなら、()()()には丁度良いと思ったので」


 顧問の言葉に、ミヤコは小首を傾げてちいさく微笑み。しかしそれは直ぐに不敵な笑みへと塗り替えられた。

 件の転移者とその白き魔鎧を、巻き藁よろしく現在習得中の技で試し切りする気満々な上司の言に、隊員達は苦笑いしたりおっかなそうに首を竦めたり、まだ見ぬ敵に対して軽く祈ってあげたりと、反応は様々である。


 膨れ上がり過ぎて破裂しそうな戦意が程よくガス抜きされた事を見て取り、ミヤコは軽く咳払いして本題へと話を戻す。


「決行は日没と同時、陛下にも話は通っています。別行動となりますが、第一騎士団と宮廷魔導士団も呼応してくれるので、騎士団の編成と準備が終わり次第、其々が担当する区画の割り当てが決まる予定です……おそらく《刃衆(わたしたち)》は東区になるでしょう」


 東区は貴族の邸宅なども多いので、作戦決行時やその後に入るクレームの類を、皇帝直属としての強権で抑え込める《刃衆(エッジス)》が担当するのは妥当だった。

 何か質問はありますか? と隊員達を見渡す隊長の言葉に、刺剣(レイピア)を腰に下げ、弓を背に負ったハーフエルフらしき隊員が手を挙げる。


「宮廷の魔導士達が《門》の強制解放と維持を行うのは分かりますけど……正直、私達と第一だけじゃ数が足りない気がしません? 逃げ出さずに待ち構えてくれるなら問題ないですけど、信奉者連中と違って相手は人間ですし……」


 不利になったら蜘蛛の子を散らす。只でさえ広大な都市である帝都だ、自分達の担当する区画以外でそうなれば取り逃す数は多いと危惧する声に対し、隊長である少女は問題無い、とばかりに目を閉じて頭を振った。


「陛下が都市外の領主の軍へと協力を取り付けました。魔導士団も《門》回りの処置ではなく、此方の戦力の補助として現地に投入される予定です。第一騎士団と合わせれば西と南――二区画分の強襲は安心してお任せできます」


 戦力としては十分だが、騎士団として大人数で行動する分、速度が重要な強襲作戦においてやや不安が残るが……そこは直に指揮を執るレーヴェ将軍の腕の見せ処、というやつだろう。

 東西南北に分けた帝都内各所に隠された《門》。三方までは攻めるだけの戦力が揃った形だ。


「残る北区も問題ありません。先輩が――《猟犬》が動いています。《門》に関してもアテがあると」


 続けて告げられたミヤコの言葉に、《刃衆(エッジス)》の隊員達は軽く目を見開き……次いで「あぁ……」とばかりに頷いて、納得と敵対組織への同情交じりの表情を一斉に浮かべた。


「隊長と一緒に現場に居たんでしたっけ……そりゃ参加してくるよな」

「とりあえず北区からの突入先での死者がぶっちぎりで最多になるのは確定しましたね」

「自業自得すぎてちょー笑える。でも、北区から行ける相手の拠点に重要参考人がいたら不味くない? 首から上が無けりゃ死霊術でだって喋れないし」

「っていうか、隊舎の前に置いてあった内通者の入った包み。アレ絶対あの人でしょ。相変わらず仕事早過ぎな上に頭おかしくて変な笑い出るんですけど」


 キチ〇イに刃物。猟犬に地雷着火(ニトロ)

 割とボロクソに言われてる意中の人物を擁護しようと思ったのか、ミヤコが「せ、先輩は一生懸命にアンナちゃんを助けようとしてるだけですよ?」とか涙ぐましいフォローを入れている。

 そんな彼女を見る部下と顧問の眼は生温く、ひどく優しかった。


 ガス抜きを通り越して緩い空気になりかけている隊舎前の広場であったが、駆け足でやってきた武官――第一騎士団からの使いの姿を目に留め、全員の顔が一斉に引き締まる。

 使いの武官はミヤコの前で立ち止まり、敬礼を行うと、動かせる戦力の編成が終わった事、今後の予定を告げた。

 彼女はそれに頷き返すと、再び敬礼して駆け戻っていく後ろ姿を見送り――号令を待つ体勢となった部下達を改めて見渡す。


「事前の話の通り、私達は東を担当する事になりました。現時点で何か疑問や憂慮する点がある人はいますか?」


 挙がる手や声は、無い。

 戦う理由、戦う時刻(とき)、戦う場所、全て出揃った。

 ならば、後は()に存分に教えてやろうではないか。自分達が何者であるのか、誰の仲間に手を出したのか。

 言葉にはせずとも、この場にいる全員がそう考えている事は明らかであった。


 幾度となく共に戦い、共に死地を乗り越えた……或いはこれからそうなってゆくであろう、頼もしき部下(せんゆう)達の気勢を感じ取り、《刃衆(エッジス)》長たる少女は力強く頷く。


「最優先目標はアンナ=エンハウンス副隊長の奪還、及び被害者の保護。次点で犯罪組織の構成員の打倒・拿捕です。補助に入ってくれる魔導士団の人員は、全員遠話を修めています。小隊間で連絡を密にし、共有すべき情報があれば即座に伝える様に」


 最後の確認事項を唱え終えると共に、外套(コート)の裾を翻し、一歩踏み出した。




「征きましょう――立ち塞がる障害(モノ)は、全て蹴散らせ」










◆◆◆




 眼を閉じ、体内で魔力を回し始めてから一時間もしない内。

 アンナは自分が閉じ込められている牢の前に誰かがやって来た気配を感じ取り、薄っすらと眼を開ける。

 背を向け、横になったまま無反応(寝たふり)を貫いていると、鉄格子越しに声が掛けられた。


「お姉様、少しよろしいですか?」


 聞き覚えのある少女の声に、背を向けたまま眉を顰める。

 試合の際には独特な空気の娘だな、とは思っていたが……当たって欲しくなかった予感――彼女が人攫い連中の仲間であった予想が的中した事に、溜息が漏れそうになる。

 黙して背を向け続けるアンナに、少女――ファルシオンは毛布とシーツを手に、牢の前で困惑した様子で背後を振り返った。


「ジャック様、どうすればよいでしょうか。お姉様が起きて下さいません」

「……意識はあるみたいだがな。まぁ、反応としては当然かねぇ」


 肩を竦める疵面の剣士の言葉に、亜麻色の髪の少女は牢の中へともう一度、声を掛ける。


「お休みの処を申し訳ありません。ですが、お姉様が目を覚ましているのならば、牢の中には入るなと先生(ドク)から厳命されているのです。こちらの寝具だけでも受け取って頂けませんか?」

「……私にアンタみたいなでっかい妹がいた記憶は無いわ」


 年齢的にはやや下だろうが、身長の方は自分より少し高いファルシオンへと、アンナは今度こそ溜息を吐いて応えた。

 未だ薬が抜けきらず、少々動きの鈍い身体を起こして振り向く。

 物心つく前から孤児であった自分に、兄弟姉妹は居ない。強いて言えば、嘗て自分を拾い上げてくれた孤児院の後輩の子達が、弟分・妹分と言えなくもないだろうか。

 自分が在籍してた頃に院長を務めていた老齢のシスターが亡くなり、代替わりしてからはなんとなく疎遠になってしまったので、はっきりと断言は出来ないのだが。

 寄付自体は変わらず続けているし、無事に帰れたら顔を出してみるのも良いかもしれない。などと思いつつ、頭をかきながら身を起こす。

 仏頂面のままその場に胡坐を掻いた少女と、表情に乏しい顔に何処となくホッとした空気を漂わせている少女が、格子を挟んで見つめ合う。


「どうぞ、お使い下さい」

「…………」


 鉄格子の隙間から丁寧に差し出された毛布に、アンナの口からついつい礼の言葉が零れ出そうになった。

 そもそもの原因……人様を拉致って、あまつさえ服までかっ剥いで牢にぶち込んでくれた連中の仲間にそれを言うのは、流石に間抜けが過ぎる。

 結局は押し黙ったまま、無言で受け取っておく。

 まぁ、流石に石牢に下着姿で転がってるのは、床が硬すぎる事や少々肌寒い事もあってどうかと思っていた。早速毛布を広げ、尻の下に敷く。シーツは肩から掛けて長いマントの様にして羽織ると、もう暫くは留まる羽目になる牢の環境は大分マシになった。


「てるてる坊主か」

「黙ってろスカシ」


 こちらがシーツを羽織るまでは背を向けていたジャックの一言を両断し、アンナは再び胡坐をかいて腕を組んだ。


「――で、そのお姉様ってのはなんなの?」

「そのままの意味です。貴女は『超人兵計画』の初期検体。(ファルシオン)は現行最新の検体です。関係性としては姉妹に近いとの事でしたので、お姉様と」


 亜麻色の髪の少女から伝えられた『超人兵計画』とやらは、読んで字のごとく超人――人外級かそれに近い領域の人間を人工的に作り出し、兵器として運用する、というなんとも胸糞悪く、そして荒唐無稽なものだった。

 アンナはその計画の最初期、実験的に強力な魔力的素養を埋め込んだ検体の一人だったらしい。

 片刃(エンハンス)と名付けられた彼・彼女達は、適合に失敗して死亡しなかった、というだけで、殆ど要求された数値を満たせず早々に廃棄されたのだと。

 アンナがそれを逃れ、戦時中に溢れていた戦災孤児という形で外部の人間に拾われたのは、単に組織側のミスであったのか。

 片刃(エンハンス)シリーズでも一番幼い……生後一年と経っていない赤子であった彼女を処分する事を、当時の廃棄に関わった者が躊躇ったのか。

 今となってはその辺りの経緯を知ることは出来ないが……ぶっちゃけアンナからすれば「知らんがな」というのが素直な感想である。

 多種多様な人類種が住み、果ては異世界人までやってくる世である。赤ん坊の頃の境遇がちょっと特殊だったから何だというのか。

 更に言えば、乳飲み子の頃の記憶なぞ残っている訳もない。

 ファルシオンが言うお姉様呼びも、理由を聞かされて納得するどころか、益々知ったこっちゃないわ、という気分になっただけである。

 今のアンナの強さをその『超人化』への適応とやらの御蔭の様に言われるのは不快であったし、端々から聞き取れる実験とやらの非道性に怒りが募るだけの話だった。


「ジャック様、どうすればよいでしょうか。お姉様が気怠そうに耳をほじりだしてしまいました」

「と、言われてもね。拉致された側からすれば真っ当な反応だろうよ」


 再び困った顔でジャックを振り仰ぐファルシオン。

 大仰に肩を竦めた剣士は、少女の肩に手を置いて言い聞かせる様に言葉を紡いだ。


博士(ドク)が提唱していた『超人化』の理想像――奴は女神様とやらによる加護の付与がそれに当たる、とは言っていたが……それだって与えられた下駄の歯が高くなるってだけだ」


 本人の宿す才能であれ、授けられた加護であれ、磨き、鍛えあげねば真の意味で開花する事は無い。

 そもそも魔力・魔法という、意思や想い、感情の動きでその出力を変化させる力を振るっているのだ。

 その不確かな揺らぎある力を極限まで鍛え、人の限界を超えたのが人外級である。科学や数学的な視点のみでは再現を試みても、片手落ちになるのは目に見えている。


博士(ドク)の下駄を履かせる技術自体は大したもんだが、それだけじゃ()()()()止まりだ。原石と磨いて切り出し(カッティング)までした宝石――その差を、嬢ちゃんもそこのお姉様との試合で体感した筈だぞ」

「随分と語るじゃない。アンタはその娘の教育係か何かってワケ?」


 皮肉を込めたアンナの言葉に口数が過ぎた己を自覚したのか、ジャックが渋面を浮かべた。


「……ちと喋り過ぎたな、忘れてくれて良いぜ」

「いえ、ジャック様のお話は身となるものも多いです。しっかりと記憶しています」

「はー、慕われてる事。これで女の子をブン殴って拉致った上、服を剥ぎ取る様な奴でなければ和やかな気分で見てられたんだけどねー」


 首を振って背後の男の言葉を否定したファルシオンの様子を見て、間髪入れずに追撃に入るアンナ。

 なんとなく不味い流れになっている事を察し、ジャックの顔が引き攣る。


「おい、拉致までは否定できんがその後は……」

「……そういえば、最近雇われた方々には、検体として連れて来た女性の方に乱暴を働いていた男性もいました。ジャック様がその方を斬り捨てた際に『この手の輩は斬っても良い、柔らかいゴミだから』と仰っていた記憶が……」

「へぇ、分かってるじゃない。でも、そんな発言をしたなら自分の行いにも返って来る事を覚悟すべきよねー。さぁ、ファルシオン。そこの婦女子に暴力&拉致を決めたスカシを相応しい呼び方で呼んでやんなさい」

「了解しました、お姉様。では……生ゴミ様? これからもご指導、ご鞭撻の程をよろしくお願いします」 

「やっぱ姉妹だわ、お前ら」


 ビシっと此方を指さす銀髪の少女と、彼女の言葉に素直に応じて丁寧に頭を下げる亜麻色の髪の少女のつむじを眺めつつ、ジャックは呻き声を漏らした。


「……そろそろ戻った方が良いんじゃないか? 博士(ドク)の耳の処置も終わっただろうしな――此処でゆっくりし過ぎてまたヒステリーでも起こされたら面倒だ」

「――! そうでした。先生(ドク)は大丈夫でしょうか? 肩や襟元が真っ赤でしたが」

「人間、耳が落ちた程度じゃ死にはせんよ。ま、転げまわって落ちたモンを散々押し潰したからな。くっ付けたとしても歪むだろうが」


 心配そうなファルシオンに対して、ジャックは少し楽しそうに研究班の総主任の醜態を語る。

 ざまぁ、という文字が浮き出てきそうな表情からして、どうやらあまり仲は良くないようだ。尤も、アンナが先程こっそりと聞いていた会話から察するに、あの博士(ドク)という男は間違っても人に好かれる類の人間ではなさそうなのだが。


「ではお姉様、また後程……これからよろしくお願いします」

「生憎と実験動物に転職するつもりは無いっての。あとお姉様言うな」


 丁寧に一礼するファルシオンに、アンナはつれない返事をして再び背を向け、寝転がった。


「……お姉様が塩対応です、どうすれば良いでしょうか生ゴミ様?」

「嬢ちゃん、先ずはそのネタを引っ張るのやめようか」


 その様な会話をしつつ、背を向けて石牢から遠ざかっていく少女と剣士の足音。

 それを聞きながら、再度溜息をつく。


(……やり辛いわ、二重の意味で)


 牢を出たとしても、あの二人がいるのでは脱出するのに骨が折れそうだ。装備の無い今の状態では尚更に。

 何より、ファルシオンは自身を検体だと言った。

 幼い頃よりそうであったというのなら、彼女も連中の悪行の犠牲になった人間と言える。

 見た処、特に自身の立場に不満や不安を抱いてはいないようだし、積極的に協力しているのであれば完全な被害者、とは言い難いのかもしれないが……遠慮なくぶちのめす、というのはちょっと出来そうにない。

 だが、あの様子では説得して一緒に連れ出すのはほぼ無理だろう。脱出中に顔を合わせれば間違いなく戦闘になる。


(ハァ……ま、現状やることは変わらない、か)


 どのみち、動き出すのはまともに身体が動かせる様になってからだ。

 再び目を閉じると、少女は体内の魔力を全身に巡らせる作業に戻ったのであった。







◆◆◆




 ――帝都中央、噴水広場。


 本来ならば、祭り期間中の出店の一等地として人気の屋台などがずらりと並ぶその場所は、今日になって唐突に捻じ込まれたという特別な催しによって、騎士や衛兵によって交通の規制が行われている。

 屋台を出店する者達から、稼ぎ時の機会を奪われたと言う事で不満の声もあがりそうなものだが、今日一日のみである、という事と金額の損失分は補填されるという行政側のお達しの御蔭か、目立つ問題は起こらなかった様だ。

 補填される額が相当に気前の好いものだったというのもあるが、一番の理由は屋台の主達にその"イベント"を最前列で見る権利が与えられた事だろう。

 広場をぐるっと囲む様、ロープを使って張られた規制線。その最も前に陣取った彼らは、家族や友人、恋人などを連れてホクホク顔で催しの開始を待っている。

 当然、その後ろには多数の観光客や帝都の住民が多く押し寄せている。その数は相当数にのぼり、日没直前でありながらも規模としては闘技大会に匹敵する人の波であった。

 最前列の観客用スペース程では無いが、広場を見下ろせる位置に建つ家も絶好のスポットだ。窓は大きく開け放たれ、家の住人達が眼下に広がる光景をワクワクとした表情で見つめている。


 広場の中心、涼やかな水音を立てる女神像。

 其の両脇の位置、一段低い場所に拵えられた二つの台座に、少女が一人ずつ上がり、待ちわびた民達から大きな歓声が上がった。


 街の灯りとこの催しの為に灯された灯り。

 その両方を受け、纏ったヴェール越しでも尚輝くは、穏やかな日輪の如き淡い金の髪と、柔らかな月の如き銀の髪。


「準備は出来たか? アリア」

「うん、ばっちり。レティシアは?」


 二年前、永く続いた大戦を終結に導いた立役者と言われる《金色の聖女》と《銀麗の聖女》。

 この世界でも有数に名を知られている姉妹が、創造神たる女神の左右に侍るが如く並び立つ。


 二人の立つ台座の側には、凄まじく筋骨隆々な体躯を誇る武僧――ガンテスが控えている。

 また、そこから少し離れた場所には本日行われた闘技大会、その準決勝で名勝負を繰り広げた青年……《水剣》ことシンヤが、仲間の冒険者達と共に聖女の護衛にあたっていた。


「いやー……オレは正直、ちょっと不安だわ。祝祷の言紡ぎなんて、大聖堂で聖女の号を授与されて以来だし」

「えぇ……立場的にそれはどうなのさ」


 無詠唱じゃ駄目かねぇ、などとボヤく姉に、良い訳ないだろー、とツッコミを入れる妹。

 小声でやり取りされたそれを耳に拾ったのか、傍に控えるガンテスが普段よりは少々声量を押さえて声を掛ける。


「此度の言紡ぎは、対外的には教国の公式行事では無く、あくまで催しの一種なれば。御二方の祝祷を一目見ようといらした方々の喧噪も加味すれば、多少詠み違えても問題はありますまい。《《本命》》は猟犬殿の要望を叶える事ですからな」


 厳つい見た目にそぐわぬ茶目っ気を見せ、悪戯っぽく笑う巨漢の言葉に、聖女二人も頷いた。


「そうだね、先生の言う通りだよ。折角にぃちゃんが頼ってくれたんだから、頑張ろう!」

「……だな。前と比べりゃ、良い傾向だ」


 重要な局面になればなる程、或いはしんどい状況であればある程。

 他人に頼る、という事を避けて、極力一人で立ち回ってばかりだった青年の行動パターンを思い出し、レティシアは感慨深さと小さな喜びと共にしみじみとした表情で腕を組んだ。

 それが、頼った人間の大きな負担になる、最悪、その誰かが喪われる事を危惧しての選択だった、という事は彼女も理解している。

 その結果、レティシアが精神的にしんどくなったり傷ついたりするのを、徹底的に避けた結果なのだと、今では分かってる。


 でも、それでも。

 いや、だからこそ。


 頼って欲しかった。黙って一人で戦って、自分をおいて逝くなんて馬鹿は、しないで欲しかった。

 レティシアの為だというのならば、背負う難事の重さを、半分くらいは預けて欲しかったのだ。

 自分は、彼の相棒なのだから。

 妹であるアリアを除けば、世界を、時間を『繰り返して』も共に在った、相棒(とくべつ)なのだから。


 ずーっと前からそんな風に思っていた処で、今回の一件である。

 単独RTA染みた思考に染まった馬鹿が、力を貸してくれと言ってきた。

 手が足りないと、どうしてもレティシアとアリアの力が要ると。

 友人(アンナ)が攫われたと言う緊急の状況もあって、手放しに喜ぶことは出来ないが――それでも、相棒として凄まじく気合の注入される言葉であったのは間違いない。

 手を貸すのに一片の迷いすら生まれる余地が無いのは当然であった。


 強いて言えば、助力の形が彼の隣で共に戦う類のものでは無いのが残念と言えば残念だが……今回はアンナを、ひいては攫われたという人達を助けるのが最優先であるし、贅沢は言えない。

 そのうちにまた、機会は巡ってくるだろう。何せあの青年はトラブルに巻き込まれる事に定評がある。

 なにより、これからもずっと共にあるが故に。彼が聖女の側に在り続ける猟犬であるが故に。


「よし、やるか。流石に()()が広いし、それで手一杯になると思うから……グラッブス司祭は護衛の方、よろしく」

「お任せを。猟犬殿に託された御二方の守護、拙僧の渾身を以てあたらせて頂きます」

「先生だけでも十分だと思うけど……にぃちゃん、アイミヤさんにまで声掛けたみたいだからね、過剰な位だよ」


 軽く笑みを浮かべ、視線を交わし合い。

 二人の聖女は台座の上で深呼吸を繰り返し、気息を整える。


「オレは北と西」

「ボクは南と東」


 最後に、確認する様に互いに呟いて。

 深く一息吸うと、レティシアとアリアは謳い上げるように、聖句――女神へと捧げる(はふり)を唱えだした。







「流石に絵になるなぁ」


 台座の上で、神事以外にも儀式魔法としての側面も持つ詠唱を紡ぐ二人を見て、シンヤが感心した表情で頷く。


「……物凄い綺麗だし、神秘的ね……けど、アタシ達が傍にいるのに他の娘を見て呆けた顔をするのはどうかと思うんだけど?」


 長い金髪を両サイドで括り、槍を手にした戦士の装いの娘が一党の頭目たる黒髪の美青年をジトォっとした目付きで睨み付ける。


「聖女様の祝祷ともなれば、眼を惹かれるのは当然ですわ。とはいえ、目を奪われ続けるシンヤ様を見続ける私達の気持ちも、少々酌んで頂きたいというのも本音ですが」


 両の腕を組み合わせ、台座の上で歌う様に詠唱を続ける二人へと祈りを捧げる年若いシスターも、戦士の娘の言葉に倣う。

 仲間のやや湿度の高い視線に、慣れた様子でシンヤは慌てる事無く微笑んだ。


「言葉以上の意味は無いよ。あの二人が綺麗なのは確かだけど、じっくり見てたのはどっちかというと魔力の練りと魔法の構成だし」


 元は同郷。女神に加護を与えられたという条件も同じとはいえ、聖女の行使する魔法の精度はシンヤをして瞠目に値するレベルである。

 実戦と比べて大きな縛りがあったとはいえ、本日試合に負けたばかりの彼としては、格上の魔導士の大規模な魔法行使は是非とも参考にして己の糧にしたい光景だ。


「ただの観光客としてならずっと観察していられたんだろうけど……仕事だからね、僕らも衛兵さん達と協力して周囲の警戒に当たろうか」

「了解。でも、意外ね? この手の会話ってあんたが真っ先に食い付いてくると思ったんだけど」


 槍を手の中でくるりと廻したツインテールの娘の視線の先には、この一党の最後の一人――先程から無言で魔力探知による周囲の警戒を行っている魔導士の娘がいた。

 とんがり帽子にローブという、最近ではあまり見なくなった古式豊かな魔女の装いをした彼女は、探知の魔法を切らす事無く視線だけを仲間の方へと向ける。


「シンヤの言う通り、これは仕事。貴女達も呆けてないで護衛に集中すべき。全力で、隙無く、ミスなく――私はまだ死にたくない」

「はぁ? 死ぬって……祭りの催しでの護衛よ? 実質通行人と観光客の整理みたいな仕事で何言ってんの?」


 真面目に仕事に取り組む、と言うには聊か以上に必死な形相の魔導士の言葉に、戦士の少女が怪訝そうに首を傾げる。


「……そういえば、今回の仕事は直接宿に依頼を持ち込まれた、というお話でしたね。急な仕事でしたが、依頼元は帝国では無いのですか?」


 常に無い仲間の様子に、シスターの娘がシンヤへと疑問を投げかける。

 それに対し、彼は朗らかに笑って頷いた。


「あ、うん。先輩から頼まれたんだ。あの人が真面目にお願いして来るって滅多にないからさ、つい二つ返事で引き受けちゃった。《大豊穣祭》の間は仕事を受けないって皆で決めたのに……ごめんね?」


 空気が、死んだ。

 冒険者パーティー、《水剣》の一党。現在四名。

 戦士は凄まじい勢いで頭目の方へと振り向き、聖職者は笑顔のままで硬直し、魔導士の方は我関せずと必死に護衛の仕事に励む。

 そんな見目麗しい仲間達に囲まれ、頭目たる魔法剣士の青年はきょとんとした顔になった。


「……先輩?」

「うん。大会でもアドバイスをもらったり、お世話になったからね。最悪、僕個人だけでも受けるつもりだったよ」

「シンヤ様の先輩と仰ると、()()()ですよね?」

「うん? そうだね。というか先輩以外、同じ呼び方をする人がいないし」


 少しばかり動きがぎこちなくなった戦士の娘とシスターの交互の問いに、不思議そうな顔のまま応える。

 二人が殆ど会話に加わってこない魔導士へと、錆びついたブリキ人形の如くゆっくりと顔を向けると、魔導士の娘はとんがり帽子から覗く瞳に、死んだ魚みたいな空虚な光を浮かべて頷いた。


「……彼だった。仲間のやらかし事件(あのとき)みたいに武装してて、あのとき以上にヤバい雰囲気だった」

「……先に言えぇぇぇっ!? なんで真っ先に依頼人が誰か言わないのよこの馬鹿二人!」

「おぉ、女神よ。豊穣を御恵みになるこの日、何故この様な試練をお与えになりますか」


 戦士が絶叫し、シスターは半分白目を剥いて天に祈り始める。

 頭を抱えて叫んだ方がハッとした表情となり、仲間の襟首をまとめて引っ掴む。


「もっと近い距離で護衛するわよ! あたしが最前列! 二人は探知と有事の際の障壁! シンヤが最後尾で最後の壁!」

「凄い気迫だなぁ……司祭様が傍についてる時点で、そこまで気合を入れなくても良い気はするけど……どうせ先輩の事だから、あの二人の護衛に関しては質も数も過剰に用意してそうだし」


 ずるずると引きずられたシンヤが、広場周辺で一番の高さの建物……その屋上へと視線を向ける。

 そこには身を伏せ、自身に隠蔽の魔法を掛けながら長大な弩弓を構えている魔族の青年――《不死身》の姿が見えた。

 仮に聖女に害を為そうとする輩が飛び出してきても、出てきた瞬間に問答無用で狙撃されて手足を吹っ飛ばされる。

 それをやり過ごしたとしても自分達がおり、更に本命の側には本物の要塞より頑丈であろう筋肉要塞が立ち塞がるのだ。

 騎士や衛兵達を除いても、邪神の眷属相手に即時殲滅可能な戦力である。襲撃する側からすれば糞ゲーどころの話ではない。そもそも聖女を襲う様な奴が信奉者以外にいるとも思えないが。


「万が一、億が一って可能性もあるでしょうが! もし聖女様達が傷でも負ってみなさい!」

「……私達が六人から四人になったあの一件。あのとき以上に怒るのは明らか」

「でしょう!? あたしはまだ死にたくないのよ……!」


 仲間の暗澹たる表情での同意に、我が意を得たりと戦士が力強く頷く。


 シンヤとしては苦笑いするしかない。

 彼女達が過剰に恐れている"先輩"であるが、聖女二人が絡む事に関して色々と箍が外れやすい人物なのは確かだ。

 だが、怒りと殺意を向けるにしてもそれは襲撃を行った者達にであり、真面目に仕事をしていれば理不尽にこちらに矛を向ける事は無いだろう。

 自分達の一党がもっとギスギスして嫌な空気だった時期、先輩(かれ)がどの様な形で仲間達に"説教"を行ったのか、シンヤは知らない。

 とはいえ機嫌を損ねたら死ぬ、位の恐れっぷりからするに、あんまり穏当な手段では無かったのだろう。

 それに対して憤るなんて真似は出来る筈も無い。元はと言えば自分の優柔不断さと不甲斐無さが招いたパーティーの不和である。

 このままだと刺されて死にそう、なんて思った事も、正直一度や二度では無い。

 そんな空気を霧散させ、タラシハーレム野郎だの股座の乾く暇も無いすけこまし野郎だの、同業者から割とボロクソな評価を受けていたのを改善してくれる切欠となった人物だ。悪感情など抱く訳が無かった。


「……そうだね、仕事を真面目に熟すって事自体は賛成だ。今夜一晩、しっかり護衛に精を出すとしようか」


 幸い、規制線のロープを固定する為、広場には水で満たされた樽が無数にある。

 女神像の噴水も加えれば、有事の際にはそれなり以上に役に立つ事が出来るだろう。

 頭目の青年の言葉に、《水剣》の一党が戦場みたいなガチめのテンションで頷く背後――聖女達の(はふり)がクライマックスを迎えていた。







 謳う、詠う。


 高く、美しい声が、伸びやかに噴水広場に響き、空へと昇る。

 交互に、或いは重なって紡がれる言紡ぎは、女神へと捧げる祈りであり、民へと贈られる祝祷であり、平和を取り戻した世を謳歌する歓びの声であった。


 儀式としての長文詠唱。


 莫大な魔力と聖気を所有する聖女によって行われるそれは、その身に宿る魔力を色付け、日没の暗闇を押し退ける様な眩い光となって、彼女達の声と共に立ち昇る。

 金の魔力光と、銀の魔力光。

 日輪と月を想起させるそれらが、昇った空で螺旋を描き、絡み合い、その輝きを高めながら更に上空へ。

 本来ならば、収束性を失って純粋な聖気として地上へと降り注ぐ筈のそれらは、大祭前に帝都を囲う様に敷かれた巨大な結界と励起した。

 レティシアとアリアの魔力を基点として構築された結界は、天へと昇る二人の聖気を受けて活性化し、接続された地脈を伝って帝都中にその魔力が駆け巡る。


 天と地。広場を中心として充溢した聖女の魔力。

 結界と共鳴し、巨大な都市である帝都の何処から見ても目にする事が可能となったその輝きが、最高潮を迎えた瞬間。


 地に満ちた膨大な魔力を吸収し、帝都中に隠された《門》――それが()()強制的に起動された。


 トニー達の手によって調査され、判明していたものも、そうでないものも。或いはこれらを設置した蠢動する咎人共が、魔力(リソース)の問題で放置するに至ったものまで。

 転移先、転移元の大地と密接な関係を持つ《門》の性質故に、オーバーフローを起こした様にその規模を大きく広げ、その先に帝都とは異なる景色を映し出す。


 日没を迎え、夜の始まりを迎えた帝都。


 その夜を照らす、燦然たる聖なる光を見上げ。

 その光が齎した奇跡の如き光景を見届け、彼らが動き出す。


 《刃衆(エッジス)》が。

 第一騎士団と、サーリング伯爵領の領軍が。

 魔族の長と、その配下たる戦士達が。

 他にも、一人の青年の声を切欠として、今宵の()()に集った幾多の強者達が、武器を手に己の戦場へと向かう。




 帝都北区の路地裏。

 天に昇り、地に満ちる聖女の魔力を、ひどく眩しいものを見つめる様に目を細め、眺めていた青年が、腰を上げた。


 ――《起動(イグニッション)


 厳かですらある声色と共に、青年は漆黒の鎧を纏う。

 意思と、戦意に満ちて吐き出された言葉は短く。

 それに応じる声もまた、力強く、短い。


 ――征くぞ。


「了解ッス」


 そうして、一人の騎士を伴い。

 青年は――《聖女の猟犬》は、戦場へと解き放たれた。







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