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急転




「……やれやれ、フラれちまったね」


 興奮冷めやらぬ大歓声と共に見送られ、武舞台を後にしたジャックが苦笑いして一人ごちる。


 徹底して己の魔法を不殺・非殺傷に偏らせてその天秤を動かす事の無かった魔法剣士。

 本人は魔力が底をついた、と申告していたが、おそらくはまだ余力があった。

 本当の意味で空っぽになれば、日常においてトラブル沙汰が起こった際に対応する事も出来なくなる、それを嫌ったのだろう。

 自らを冒険者として定義している割には、随分と用心深いというか、常在戦場に近い心構えが染み付いている。或いは、その辺りの感覚は戦時中に培われたのかもしれない。


「貴方の生き方を否定する気はないですけど、()()は僕の選ぶべき道ではないので」


 唐突なギブアップ宣言に物言いたげな視線を送るジャックに対して、揺らぐ事無く平然と答えていたのを思い出す。

 お互いに全てを出し切ったとはリップサービスでも言えはしないが、それでもある程度は本気で戦ったせいか――なんとなく、互いの性質というか気質的なものを二人は感じ取るに至っていた。


 お互いに冒険者であり、同時に戦士であり。

 だが、どちらに重きを置くか、そこに違いがあった。


 端的に言えば、そういう事なのだろう。

 あれはあれで、一端の男が出した一つの結論、一つの生き方だ。

 敗北を受け入れてでもそれを通すというのであれば、感心こそすれ不満など抱ける筈も無い。消化不良感がある事自体はまぁ、否めないが。


「ま、それはそれとして、次か……また買い替えないと駄目だなこりゃ」


 気分を切り替える様に、鞘に納めていた剣を抜いて様々な角度から刀身を眺める。

 芯は歪んでおらず、大きな欠けも無いが……それでも先の試合を超えた影響は大きい。

 次の試合――決勝までには新しい剣に替えた方が無難だろう。

 結局は試合の度に買い替えてる気もするが、これもまた仕方のない事だ。

 大会において"使うつもりの無い手札"の多さ、という点では己もシンヤと大差無い。それが原因で武器を新調してばかりだというのなら、甘んじで受け入れるべきだろう。


 その様な事を考えつつ、今日予定されていた準決勝を終えて人の気配が捌けつつある闘技場(コロッセオ)の下部エリアを進む。

 歩を進め、一息付こうかとエリア内にある植樹された開けた場所――簡易な椅子や丸卓が設置された休憩所に向かうと、そこで会う筈も無いと思っていた人物と鉢合わせた。


「お」

「……うん?」


 其処に居たのは、美しい銀髪をサイドで纏めた騎士の少女。

 数日後には決勝で雌雄を決する事となる勝ち残った二人が、お互いにとって全く予想外の場所で遭遇する。







「あー……どうもご苦労様、か?」

「あ、うん。試合お疲れ様?」


 決勝で戦う以上、無関係な相手な筈も無いが、個人的に親交がある訳でも無い。

 無視は出来ず、かといって試合前の対戦相手と仲良く交流というのも妙なものがある。

 そんな心情なのか、揃って気不味そうな顔で、微妙にズレた挨拶を交わす。


「……なんだって竜の方角(こっち)の休憩所に? おたくは向こう側からの入退場だったろうに」

「まぁ、仕事よ」


 訝し気に首を傾げる剣士に向け、騎士の少女がめんどくさそうに鼻を鳴らして腕を組んだ。


「下部エリアに女の子相手に喚き散らして手を挙げようとしていた男がいる、って通報があってね。一応は他にも不審者の類がいないか巡回中。試合が終って手隙の私も手伝ってるの」


 ま、居たとしてもとっくに移動した後みたいだけどね、と呟く少女――アンナの言葉に、心当たりがあり過ぎるジャックの頬が微かに引き攣る。


「……そうかい。試合直後に大変だこと」

「これも仕事の内ってね。さて、粗方見て回ったし、私はそろそろ……」


 一呼吸の間に動揺を腹の下に押し込めて返答するジャックに、アンナが肩を竦めて軽い口調で応じ――そこで彼女はピタリと動きを止めた。


「……? どうしたね、副隊長さん」


 疑問の声にも応えず、眼を閉じて何かに集中する銀髪の少女騎士。

 良く見れば、その形の良い鼻が何かを嗅ぎ取るかのように僅かに動いている。

 それを見てとり、ジャックは本気で意味が分からなくて困惑した。


「……なんだかよく分からんが、年頃の娘が外で小鼻を膨らませるもんじゃ……」

「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」


 一回り以上は年上の剣士の、取り敢えず言葉の上では至極真っ当なツッコミが強引に遮られ。







「――ジャック=ドゥ。なんでアンタから、私の部下の血の匂いがするのかしら?」







 空気が、一瞬で凍結する。


 絶句、ほんの僅かな動揺――そして疑問。

 様々な感情が双眸に渦巻き、しかし瞬きの間に眼前の剣士から消え去ったのを確認したアンナの眼が、冷たく細められた。


「ウチの部下(トニー)は毒や劇物に対して抵抗の強い体質らしくてね。特定の薬なら薬効はそのままに、副作用を最低限に抑える事が出来るらしいの」


 ゆっくりとその手が背後に回り、腰の二刀の柄を握る。


「完全耐性、って訳でもないらしいから、乱用は控える様に注意はしてるんだけど――聞きやしなくてね。馬鹿みたいに強い霊薬を頻繁に摂取するせいで、特定の魔力波長に反応して、偶に身体に残り香が出るの。血なんて特にそう」


 抜き放たれた刃は、持ち主の心象を表わすように冴え冴えと冷たい銀光を灯していた。

 両の手に愛用の武器をぶら下げ、答え合わせを行う様に言葉が続けられる。


「霊薬由来の魔力反応よ――大量に浴びたのなら、ちょっと湯浴みしたくらいじゃ落ちやしないわ」

「……成程、ファンタジー版ルミノール反応、って処か? そいつは知らなかった」


 苦笑して聞き覚えの無い言葉を吐く剣士に向け、アンナは静かに持ち上げた二刀の切っ先を突き付けた。


「武器を捨てて大人しく捕縛されなさい。現段階だとまだ容疑者扱いだから、抵抗しないなら優しく扱ってあげる」

「断る、と言ったら?」

「ぶっ飛ばす」


 言い終えるや否や、その姿が残像を残して前方に飛び出す。

 美しい銀の尾を引きながら瞬きより早く互いの間合いを消失させた少女の両腕が、踏み込みを遥かに上回る勢いで振るわれる。

 闘技大会におけるどの選手であっても、比肩出来る者の居ない、凄まじい速度。

 ジャックが先の試合で見せた先読みの技術を駆使して尚、それを単純なスピードでねじ伏せんとする一撃であった。


 捕縛を目的としている為に手加減があっても尚、音速に迫る剣撃。


 それを純然たる技で以てしのぐ剣士もまた、少女と同じく人から外れた領域にある。

 鍛えた鋼が擦れ、軋み、悲鳴を上げる音と共に、両者の姿が交差した。

 突撃と共に繰り出した二刀を捌かれるも、その強靭な足腰で以て体勢崩すことなく急制動をかけ、踏み止まるアンナ。

 一方で振るわれた双剣を見事受け流したジャックであるが、手にした剣に音を立てて亀裂が走る。

 舌打ち一つして軽く後方へと跳ぶ剣士と、それを慌てる事無く目で追い、向き直る少女。


「きっついね、オイ。一撃でこれか」

「どの道、ここで戦りあってれば人も集まって来るわ――もう一回だけ言ってあげる、大人しく捕まりなさい」


 厳しい表情で再度の投降を促され、ジャックは仕方なし、といった様子で頭を振り……楽しそうに笑う。


「確かに時間も無さそうだ……それじゃ、解禁といこうかね」


 瞬間。凍り付いた空気が更なる威圧で軋み。

 アンナには眼前の男の姿が、一回り以上大きくなった様に見えた。


「――ッ!?」


 勿論、ただの錯覚である。

 単に、明確に増した圧――その身から迸る魔力が爆発的に増大した為に視覚的にそう誤認した、というだけ。

 腰を落とし、摺り足で間合いを図りながら、警戒を高めてアンナは相対する剣士を睨み付けた。


「……伏せていたのは剣技だけじゃなかった、ってワケ? 性格悪いね、アンタ」

「こっちは最後まで披露するつもりは無かったんだがねぇ……お前さん相手じゃそれも難しそうなんでな、《銀牙》」


 亀裂走る剣を片手に、肩を竦めて嘯く男の態度はどこまでも飄々としている。

 単純な技量であれば、確実にアンナを上回る剣技。そして今しがた当人が解禁した――転移・転生者の多くが有するであろう膨大な魔力量。

 おそらくは魔力強化も量に相応しい練度だろう。


(トニーの報告を疑う訳じゃなかったけど、コイツは本物ね)


 今度はアンナの方が小さく舌打ちする番となった。

 認めるのは業腹だが、目の前の男は間違いなくミヤコ隊長や顧問のネイト、或いはレーヴェ将軍の同類だ。

 つまりは、自分が一歩、及ばぬ相手であるということ。


 闘技場(コロッセオ)で人の出入り自体が少ない下部エリアとはいえ、互いに攻性魔力を垂れ流した状態だ。時間さえ稼げば、応援は直ぐに来るだろう。

 だが、この剣士相手には生半可な者ではアンナの足枷にしかならず――なにより、剣士本人の目的はこの場の離脱だ。こちらが時間稼ぎに徹すれば、その消極的な行動の隙をついて即座に遁走するだろう。


 ではどうするか――結論を出すのにそう時間は掛からない。


 両の手に握る剣を、逆手に持ち替える。

 身を低く、さながらネコ科の猛獣の如く構えたアンナを見て、ジャックは口笛つきで感嘆の声をあげた。


「果断、そして正解だ。やっぱりおっかないねぇ、《刃衆(アンタら)》は」

「喧しい、悪党」


 剣士の掛け値なしの賞賛は、向けた当人によってにべもなく切って捨てられる。

 一歩及ばないならば、その一歩を埋めるまで。


 敬愛する隊長、お世話になっている顧問。友人である聖女や頭の上がらない教国の古強者、魔族領の幹部達。

 ――そして、二年前に一度。取り巻く全てを、自分達を置いて勝手に逝った大馬鹿野郎。


 人類種の最高戦力たる、人の理を超えた領域にある者達。

 すぐ後ろを追随するだけではなく、何れは肩を並べ――何時かは自分が彼・彼女らを助けられる程に。

 好き放題やっていなくなった大馬鹿が、レティシアやアリア様、ミヤコ隊長を残して旅立った戦友の魂が、安心して女神の御許へ辿り着ける様に。

 そう思って、戦争が終わっても鍛錬を続けてきた。その為に費やした二年だった。


 ……まぁ、その馬鹿は最近になってひょっこり墓の下から這い出てきたのだが、とにかく。


 当初の志が予想外の形で空振って終わったしても、積み上げた修練の時間は確かにアンナに宿っている。

 ならば、その二年を。容赦も遠慮もなく叩きつけられる眼前の相手に見せてやろう。


 魔力と四肢が、撓められる。


 ギリギリと張力の限界まで引き絞られる弦の如く、闘志はより鋭く。

 際限なく高められていくそれらを見れば、ジャックで無くとも気付くであろう。


 ――少女の次の一撃。それは、間違いなく人外級(自分達)に届き得るものである、と。


 伏せていた魔力(ちから)を隠す事の無くなった己に対し、怯むどころか喰い破らんばかりの強烈な"意"を向けて来る若き騎士に対し、剣士はこれまでに無い程に笑みを深めた。

 腰を落とし、霞の構えを取って気息を整える。

 改めて《刃衆(エッジス)》の№2と無頼の転移者が対峙し、満ちる戦意と魔力に空間が軋みを上げる。


()るつもりで行く。死んでも恨むな」

「望外だねぇ――来な、《銀牙》」


 一秒、時が止まった様に静寂が降り。


 アンナの足元が陥没――否、爆発し、土くれと砕けた小石が飛沫の様に飛び散った。

 それらを後方へと置き去りに、瞬きの間に剣士との間合いが消失する。

 準決勝でファルシオン相手に見せた突撃と同じ、だが遥かに上をゆく超高速の踏み込み。

 音速に到達・凌駕したその速さは、彼女の上司たるミヤコに迫るものであり、ゼロからほぼトップスピードへ一瞬で到達する加速力は、彼女の戦友が扱う魔鎧の高速移動を思わせた。

 強化された動体視力を振り切るその速度に対し、ジャックは攻撃より先に到達する戦意の行き付く先を読み取ることで反応してみせる。


 加速の勢いを乗せた二刀が交差し、神速の二閃が十字の銀光を描き。

 罅割れた刀身が、それを迎え撃つように突き込まれ。


 鋼の打ち合う甲高い音と共に両者の身体が再び交差し――擦れ違う。

 背を向け合った騎士と剣士。攻防の結果は一瞬遅れて訪れた。


 亀裂の入った直剣――それが根本から折れ、粉砕される。


 柄にまで走った破損の波は剣だけに留まらず、それを握る腕にまで到達し、血飛沫を上げるという結果を齎す。

 左腕を赤く染め、砕けた柄を取り落とすジャックにアンナは振り向く事無く。


「……くそったれ」


 唇を噛みしめ、毒付いて――そのまま膝から崩れ落ちた。










 地に伏せた少女を見下ろし、ジャックが大きく息を付く。


「予想以上だった……本当に大したもんだ」


 ただの鉄くずになった剣の破片と、痺れの残る血濡れの腕を交互に眺め、口から零れ落ちるのは心底からの賛辞だ。

 アンナがそうであった様に、彼もまた仕留めるつもりで剣を振るった。

 それでも剣を完膚なきまでに破壊され、結果として壊れかけた柄で彼女の胴を抉るのみとなったのは、銀髪の少女の実力の高さ故に他ならない。

 勝ったのは己だが、ダメージは寧ろアンナのほうが軽いだろう。

 試合で剣が傷んでいなければこちらも無傷だったかもしれないが、どの道、先の攻防でこの少女を仕留めきる事は出来なかったと思われる。


「さて、トドメ……という訳にもいかんが、どうしようかねぇ」


 これだけ派手に戦えば直ぐに他の騎士もやってくるだろう。

 これ以上騒ぎが大きくなる前にさっさと姿を消すべきか、と踵を返すと、剣士は何かが聞こえたかの様にその場で動きを止めた。


「よう、聞いていただろう? あぁ、バレた。お楽しみの時間は終わりだ、暫くは潜る……何?」


 遠話の魔法か、魔道具か。

 耳元に手を当て、離れた"誰か"と会話するその顔が、はっきりと困惑に染まる。


「いやいや待てって。連れ帰る? 今から? 無茶を言いなさんな、下手すりゃこの場で殺すよりも他の連中を焚き付ける結果になるだろ、そりゃ」


 聞き分けの無い子供に言い聞かせる様に、呆れの感情を抑えて言い募る男であるが――会話している相手が余程喧しかったのか、耳元を押さえる手が強く耳を塞ぎ、顔が嫌そうに顰められた。


「あぁ、分かった分かった……許可は得てるんだな? なら従いますよ、上役殿」


 とっとと話を終わらせたい、そんな気持ちがありありと浮かんだ表情で、不承不承、首を縦に振る。

 遠話が途切れたのか、ようやっと耳元から手を離したジャックは「やってられんな」と気怠そうにボヤいた。


「斬り合いは望む処だが……こんな仕事は契約外だと思うんだがねぇ」


 文句を垂れながら気絶したアンナの側に歩みより――その身体を担いで己の右肩に乗せる。


「さて、流石に人を担いで脚で逃げるってのは無理があるな……使うか」


 身に着けた衣服と革鎧が汚れるのも構わず、血塗れの左手を懐に突っ込んで何かを取り出そうとして――。

 背後から首筋を撫で挙げた強烈な悪寒に、咄嗟に身を反らして横っ飛びに跳躍する。


 解放した魔力を惜しげも無く使って強化した身体能力で、一瞬でその場から距離を取る――が、死の予感……背後からジャックの首を狙って強襲してきた人物は、その動きにも実にあっさりと追随してきた。

 こちらが肩に乗せている少女を気遣っているのか、斬撃では無く突きがジャックの喉を狙って打ち込まれる。

 それでもその鋭さ、速さは素手で捌けるようなレベルではない。剣士は咄嗟に近くに落ちている二刀――アンナの得物の片方を爪先で蹴り上げ、キャッチすると剣の腹で相手の切っ先を受け、逸らす。


 火花を上げ、魔装のショートソードとそれに匹敵する逸品であろう()()で鍔迫り合いとなった。


「……その剣も、その娘も、貴方が気安く触れていいものじゃない。置いていきなさい、首と一緒に」

「……連戦、しかも今度はアンタかよ《戦乙女》」


 硬質な、冷たい声と底冷えする視線で己を貫いてくる黒髪の騎士の少女を正面から見据え。

 流石に今日は腹一杯だぜ、と。ジャックは辟易とした表情で呻き声を上げた。










 色々と問題が詰み上がってはいるが、流石に準決勝、決勝くらいは部下(アンナ)の活躍を応援……それが無理でも激励くらいはしたい。

 その様な心積もりであったミヤコが、警備を担当する騎士団との打ち合わせも兼ねて闘技場(コロッセオ)を訪れたのは、全くの偶然だった。

 見事準決勝を勝ち進んだアンナへと祝いの言葉を贈ろうと、隙間時間を縫って彼女の姿を探し、強い魔力のぶつかり合いを探知して。

 ――駆けつけた先にあったのが、意識を失った部下が参加選手の一人に連れ去られようとしている光景である。


 確認を取るまでも無い。アンナを担いだ男の魔力は、先程迄ぶつかり合っていたものと同一だ。

 現在《刃衆(エッジス)》が秘密裏に調査を進める事となった人身売買組織のソレと、男が関係あるのかは駆けつけたばかりのミヤコには分かる筈も無い。


 だが、眼前で大切な部下を、仲間を攫おうとしている不埒者がいるという時点で、彼女に躊躇い迷いは生まれなかった。

 競り合っていた剣を、鍔元で引っかける様にして跳ね上げる。

 男とミヤコ、腕が互いに持ち上がり、黒髪の少女は即座に空いた胴に向かって蹴りを放った。

 一歩下がってそれを躱す男。だが、彼の握るアンナの剣はショートソード。ミヤコの湾刀よりリーチは短く、距離を取れば攻めに転じることは難しい。

 引き戻した剣を男の左足に向けて斬り払う。軸足を入れ替える動作でこれも躱され、返す刀で打った左胴への一撃はショートソードで弾かれる。


 アンナを無力化しただけあって、男の剣技は相当なものだ。ミヤコをして決して油断できる相手では無い。

 それでも、慣れぬ得物、右肩に乗せた意識の無い人間一人。これらの条件も重なって、少女は着実に男を追い詰めてゆく。

 男もアンナを盾にする程の外道では無いようだが、だからといって手心を加えてやる必要性は感じなかった。

 剣が交差し、離れ。銀光が閃き、弾き合い。それらが際限なく加速してゆく。


「っとと……! 待て待て、肩のお嬢さん(レディ)を下ろすから、一旦止まらんかね? アンタも気になって右を狙えてないだろう」

「えぇ、下ろしなさい、直ぐに」

「……止まる処か、下ろした瞬間に首を刎ねる気満々か。おっかないってレベルじゃねぇ」


 男は肩に荷物を担ぐ故に、片腕しか使えず。ミヤコは担がれた意識の無い部下を気遣い、男の左半身を中心に狙うので攻め手が限られ。

 それでも並みの戦士どころか闘技大会の参加者達ですら、迂闊に立ち入ればたちまち斬り伏せられるであろう、神速の剣戟の応酬が繰り広げられる。


 防戦に徹する男だが、何かを狙っているのは明白だった。

 この状況でミヤコに、《刃衆(エッジス)》の長を相手に勝ちを狙いに来るとは思えない。

 故に、警戒すべきはその"狙い"がこの場の離脱を可能とする一手である事。


(得た情報によれば……例の組織は、転移魔法――《門》を移動手段として多く用いてる)


 五月雨の如き連続突きを放ち、妙な動きを取れぬ様に牽制しながらミヤコは思考する。

 最初に首を狙って背後から強襲した際にも、男は何かを懐から取り出そうとしていた。

 もし件の人攫い連中の関係者であるなら、それが《門》を開く魔道具である可能性は高い。だとすれば、断じて使わせる訳にはいかなかった。


 これだけ攻め立てているのにも関わらず、未だに刃が掠りもしていない男の技量は凄まじいものがある。

 痺れを切らして強引に攻めれば、手痛い反撃――それこそ魔道具を使用する隙を与えかねない。

 だが、こうして目の前で、意識の無いアンナの身が悪漢の手の中にある状況は、否が応でもミヤコを焦燥させる。

 元より親しい者が関わる事に関しては、部下であるシャマ程では無いが直情的な少女だ。

 冷静さで蓋をしているものの、瞳の奥に灯るその焦りを、或いは剣士も看破していたのかもしれない。


 しかし、ここは闘技場(コロッセオ)――彼女達以外にも、多くの騎士や兵、多くの客が詰める、催し物の会場である。


 その様な場所でトラブルを起こし、ましてや連続で戦闘を続ければ彼女達以外にも気付く者が現れるのは必然であり。

 自らの推しの一人があわや攫われかけている、そんな状況をその青年が嗅ぎ付けるのは、至極当然の帰結であった。




 ――《起動(イグニッション)




 短文の詠唱と共に、男の――ジャックの背後で爆発的な魔力が膨れ上がる。


「!? う、おおおっ!!」


 背後から肝臓を狙って突きこまれた手刀を、正面の剣戟を捌きながらもかろうじて回避する剣士。

 流石に余裕の気配も剥ぎ取られ、必死の表情を見せて距離を取る。


「……先輩!」


 植樹された木立の陰からゆらりと現れた黒髪の青年の姿に、ミヤコが顔を輝かせて喝采を上げた。

 一見して転移者と分かる容姿と、深紅の魔力導線走る漆黒の装甲を手足に纏った青年の姿に、ジャックが渇いた笑い混じりの唸り声を洩らす。


「ハ――此処にきて《猟犬》か……! 今日は厄日が過ぎるね……!」


 ――うるせぇ、はよ死ね。


 割と切実な響きを伴う男の声も一顧だにせず、青年が完全に据わった目付きで一歩を踏み出した。

 当然の如く、ミヤコもその隣へと並び立つ。

《聖女の猟犬》と《黒髪の戦乙女》。邪神の上位眷属であっても「もう嫌おうち帰るぅ!」と悲鳴を上げて回れ右しそうな敵対者絶殺コンビが各々に拳と剣を構えるのを見て取り、ジャックは深い……それはもう深い溜息を長々と吐き出した。


「やれやれ……余計な注文が入らなけりゃ、とっとと逃げ出せていたものを」


 駄目だこりゃ、とボヤいて剣士は手の中のショートソードを構え。


 刃を自らの革鎧の継ぎ目に中てると、一気に斬り裂いた。


 唐突な行為に、ミヤコが訝し気に眉を顰め、青年の方は知った事では無いと剣士の隙を伺い。

 その間にも留め具や固定用の革帯(ベルト)にまで刃を滑らせたジャックは、魔力強化した指先を引っかけ、自身の身体から革鎧を引き剥がしてしまう。


 わざわざ声を掛けるような真似はしないが、それでも不審はあるのだろう。

 転移者の男女の警戒混じりの疑問の視線に、肩に銀髪の少女を担いだままの男は肩を竦め――再び飄々とした笑みを浮かべた。


「あぁ、悪い。武装解除だと思ったかい? 生憎そのつもりは無くてね」


 身軽な衣服のみとなり、律儀に手にした刃をアンナの腰に下がる鞘へと収め、続ける。


「流石にこの状況で《刃衆(エッジス)》の長と《猟犬》を相手に、出し惜しみは無理だ――使えるもんは全部使うさ」


 無手となった左手を胸元に中てた男を中心に、魔力が渦を巻いて膨れ上がった。

 何かを仕出かす。その前に仕留めてしまおうと、青年が動き出す。

 だが、次の瞬間には動きを止める事となった、ジャックの口から紡がれた言葉が、青年にとってあまりにも予想外であった故に。




「《起動(イグニッション)》」




 渦を巻いた魔力が男を覆い尽くし――吸いつく様にその身体に沈み込んだ後には、その装いは一変していた。

 身に纏うは()()の全身鎧。

 勇壮でありながら、何処か有機的なイメージを覚えるスマートな外見の装甲には、多数の深紅の魔力導線が刻まれ、脈動するように明滅している。

 何より、人外級の優れた魔力量を有していた男の魔力を、更に増大させたその威風・威圧。


 あまりにも見覚えがあり、同時にあまりにも正反対な、その姿に。

 愕然と、或いは呆然と、青年が立ち竦む。

 自身の手足に纏った黒い装甲に走る脈動――それが、微かに共鳴した様な反応を見せた事も、青年の動揺に一役買っていた。


 彼ほどでは無いが、ミヤコもまた驚愕を露わにして眼前の白い魔鎧を見つめている。


 そして、その隙を白の魔鎧の主――ジャックは見逃さない。


 圧縮した魔力がその背面装甲より噴射され、静止状態からの超加速により一瞬で姿がかき消えた。

 それを見て即座に忘我より帰還し、意識を切り替えた青年。だが、既に白い魔鎧は眼前で軸足を回転させ、蹴りの動作に入っている。

 咄嗟に発動させた《流天》も、一手、遅い。

 直撃の瞬間、辛うじて己が胴と蹴りの間に片腕を差し込むも、爆発的な身体強化を齎す魔鎧の蹴りを受け、その身体が叩き飛ばされた。

 轟音が轟き、闘技場(コロッセオ)の壁を粉砕して青年が砕けた壁と湧き上がる粉塵の向こうに消える。


「――! 先ぱ……!」


 切迫した声色で壁に空いた大穴に向けて叫ぶミヤコだが、一瞬で横手に現れた純白の鎧姿に、反射的に剣を振るう。

 多少の動揺はあれど、彼女もまた幾多の戦場を超えた人外級の剣士。

 魔鎧の装甲であっても十分に両断可能な神速の斬撃が、左方から首を狙い、銀の残光と共に閃く。

 一連の攻防に至るまで、その右肩に銀髪の少女を乗せ続けていた白き魔鎧は、意識の無い彼女の身体を支えていた右の手を、一瞬離し。

 自由になった両の掌を用いて、ミヤコの振るう湾刀を挟み込んで止める。

 ひと一人を担いだ状態での、超高速の斬撃に対する白刃取り。

 瞠目に値する絶技に、驚愕する暇も無い。

 そのまま湾刀の刀身が握られ、柄を握るミヤコごと投げ飛ばされる。


「くっ!?」


 投げる、というより放る、に近い放物線を描く軌道で長い滞空時間を強制されるミヤコだが、一瞬で風の魔法を発動。

 足場代わりに蹴り付け、空中で体勢を立て直して地へと着地した。

 が、距離が強制的に空けられ――その間にジャックは次の一手の準備を終えている。


「ここまでだ――ま、次の機会があれば、きちんと戦りあうとしようか」


 その手には拳程の大きさの魔道具と思しき宝珠が握られ、魔力を籠められた事で今にも発動しそうだ。


「《門》っ……! アンナちゃん……!!」


 そうはさせじと、ミヤコが剣を構えてジャックに向けて跳躍しようとした瞬間。


起動(イグニッション)


 短文の起動詠唱と共に、ミヤコの背後――壁に空いた大穴が爆砕され、積もった瓦礫が吹き飛ぶ。

 凄まじい勢いで飛び出して来たのは、漆黒の魔鎧を全身に纏った青年だった。

 先の一撃を受けて無傷とはいかなかったのか、魔力導線によるものだけではない赤をあちこちから噴き出し、瞬きの間にミヤコの脇を駆け抜ける。

 ジャックが瞬時に手の中の《門》を開く魔道具を庇う様、背後に放り投げるが、その動作が終わる前には黒い魔鎧は眼前で拳を叩きつけていた。

 音速を遥かに超える打撃が空気の壁をぶち破り、衝撃波を撒き散らしながら純白の頭部装甲(サレット)へと打ち込まれ――しかし寸での処で掌で受け止められる。


 交差する白と黒。全身鎧でなければ互いの息遣いすら聞き取れそうな距離で、二つの魔鎧――その主達が視線を交わし合う。


 拳を受け止めた掌の肉が弾け、血が噴き出る感触を装甲越しに感じながら、しかしそんな痛みなど気にもならない程の凄絶な敵意を全身に浴び。

 ジャックは腹の底から突き上がる戦慄と歓喜を口の端に乗せ、嗤った。


「く、は、はははははっ! それがアンタの素――いや、地金か? とぼけた面をしてなんてモンを腹の中に飼ってやがる!」 


 魔鎧の持つ威圧だけでは説明の付かない、どうしようもなく"死"を予感させる不吉な意。

 それが漆黒の装甲の奥、鎧と同じ黒い瞳から放たれる、凍える様な冷たさを伴った灼熱の殺意であると理解して。


「あぁ、名残惜しいな。――次、会うことがあれば今度は最後まで戦ろう《報復(オリジナル)》……いや、猟犬の」


 自身の白い魔鎧の魔力噴射を利用し、至近距離の青年の腹部へと膝を捻じ込む。

 吹き飛ぶ彼を、直ぐ背後へと迫っていたミヤコが咄嗟に受け止める。

 数歩、たたらを踏んで。だが直ぐに踏み止まり、手を伸ばす黒い魔鎧。

 その指先が伸ばし切られる前に、ジャックが背後に放った宝珠が光を溢れさせて発動した。


 時間にして一秒弱、ほんの僅かな間に開いた転移魔法の《門》。


 そこに跳び下がる様にして飛び込む白い魔鎧にでははなく、抱えられた少女にこそ伸ばされた手は、届かずに空を切る。




 ――アンナ!!




 叫んだ青年の声に、気絶している筈の銀髪の少女の瞳がうっすらと開かれ、だが彼が飛び込む前に、無情にも《門》は閉じられた。

 光が収まった後に残るは、破壊痕著しい芝生と植木のみ。


 焦燥と怒りを噛み潰して漏れた唸り声と歯軋りは、ミヤコと青年、どちらのものであったのか。


 帝国に巣を張る、大規模な人身売買組織。

 その下にいるであろう、来歴不明の転移者にして、もう一つの魔鎧を纏う男、ジャック=ドゥ。


 仲間であり、友人である少女を目の前で攫われるという、青年達には最悪の形で以て、その正体は暴かれ――事態は大きく動き出したのであった。











ジャックさん、手札全開で見事人外級二人から逃げおおせるも、犬の地雷を最大のもの(聖女関連)以外は全部踏み抜く。




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