準決勝・第二試合
『さぁ、闘技大会も残す処あと二戦、もう一つの準決勝と決勝を残すのみとなりました!』
メイン実況を務めるキャリーラの言葉に、しみじみと頷いたのは巨漢の僧――ガンテスだ。
『腕に覚え有る方々が磨いた戦武を存分に競い合う時間、まっこと素晴らしきものでありました。終わりが見えて来るのは少々名残惜しいものがありますな』
実況席は通常の観客席よりも広く幅が取られているとはいえ、彼が座るとやはり少々窮屈そうである。
流石に座席のサイズがこの武僧にとっては小さすぎる、という事で初日以降は専用サイズのものが運営側から用意されたのだが……本人が恐縮しつつ「別段このままでも問題無いし、なんなら空気椅子でも良い」と発言して闘技大会の役員に「ちょっと何言ってるか分からないです」と真顔で言わせたのは余談である。
『私としても良い貴重な経験が出来た、と思っています。先日も他国の来賓の方と交流させて頂いたのですが、此処でのお仕事がこう……会話の取っ掛かりになり易いんですよね』
ガンテスの言葉に同意したのはゲスト解説役の片割れ、サルビアである。
外界との交流を始めたエルフの最長老として闘技大会の時間以外はそれなりに各国の来賓と関わることの多い彼女なのだが、その言葉通り、実況解説の仕事をネタに気軽に会話に入れるパターンを何度か経験している。
只でさえこれまで目立った種族的関りのなかったエルフ――しかもそのトップと言える立場で、黙っているとクールというより冷たさすら感じる美人である。
いざ話す機会があったとしても、場合によっては委縮したり構えてしまう者もいるだろう。
エルフという種自体の理解はまだまだ遠くとも、この大会での実況を行っているサルビア個人の為人が事前に知られている、というのは今回の他国・他種族との交流という目的において大きな助けとなっているようであった。
ぶっちゃけ種族の代表としてではなく、サルビア個人としては隣の筋肉と一定の時間、大手を振って一緒に居られる上に物理的距離も近いのでそっちの方が重要だったりするのだが、そこは気苦労の多い最長老殿の数少ない役得、というものだ。
寧ろそれが目的で実況解説の仕事を彼女に廻した聖女とその忠犬もニッコリである。
『……まぁ、私は急遽代役で入った身ですが、仕事込みとはいえこれだけ見応えのある催しを間近で観戦できたのは役得と言えました――残る二試合がこれまで以上に盛り上がる様に頑張って参りましょう!』
『うむ、全く以てその通りですな。後日の決勝まで含め、今は勝ち上がった選手の方々に声援送る事としましょう!』
試合が始まる前から実況がしんみりした空気を作ってもアレだと判断したのか、空気を切り替える様に声のトーンを一つ上げるキャリーラの声に、ガンテスとサルビアの両名も頷いた。
頃合いを図っていた訳でもないが、そこで刻限となり、準決勝第二試合の選手の入場が始まる。
『では、先ずは竜の方角! 二回戦にて巧みに伏せた技を解禁し、我が国最精鋭の一人を下して勝ち上がって来た剣士! その技の冴えは決勝の舞台へと届くのか!? ジャック=ドゥ!』
大歓声と共に、オーソドックスな軽装の革鎧に身を包んだ剣士が竜の像が鎮座した入場口より進み出て来た。
帝国南部で冒険者をやっている、という自己申告以外は目立った情報が無く、ほぼ無名と言ってよいジャックだったが、これまでの試合――特にローレッタとの戦いで見せた凄まじい技量が目の肥えた者達には高く評価されたらしく、ダークホースとして期待と注目を浴びている。
腰に佩いた剣はまたもや新しい物となっていたが、これまでそうであった様に、おそらくは数打ちであった。
本人は金があれば良い品を買う事も考えると一回戦で述べていたが、大会ベスト4入りともなれば実績は十分。買う迄も無く、宣伝も兼ねて自分の打った武器を使って欲しいと言い出す職人は多いだろう。
『続いては獅子の方角! 優勝候補に相応しい魔法と剣技を見せつけながらも、最後は冒険者らしい搦手で強敵相手に勝利した、シンヤ=アイミヤ!』
これまた怒号の如き声援と共に迎えられたのは、黒髪黒瞳の美青年だ。
《刃衆》の隊服である外套と同様の布製魔装と、防具に劣らぬ質の両手剣を背に負ったシンヤが、巨大な獅子の像の陰より現れた。
彼の初戦となった第二回戦。
キャリーラも搦手と称したが、勝利した方法が中々にぶっ飛んだ方法だったのもあってその勝ち方に賛否のあったシンヤであるが、大会規定的には全く問題なく、実戦を経験する多くの者からは「相手の嗜好や性格、大会ルールを存分に活用した上で過剰な怪我もさせない勝利方法」という事で寧ろ高い評価を得ている。
特に戦いで生き残る為に、使えるものは何でも使うのは当たり前の冒険者達からの評判が良く、異性は元より同性の同業からの評判が上がったのは、彼にとって大会優勝以上の価値がある結果だったりした。
さて、そんなシンヤであるが……前回と違い、大きな荷物を一つ、担いでいた。
体積・質量ともに剣より遥かに大きなソレが何であるかは一目瞭然――ぶっちゃけ樽である。
酒場や酒蔵にある特大サイズのアレである。既に魔力強化までして担いでいる事から、その中がしっかりと満たされている事は容易に察せられた。
『こ、これはまた凄い物を持ってきましたアイミヤ選手。前の試合の腿肉などがOKだった以上、これも問題無い、という事なのでしょうか……』
え、コレ本当に大丈夫? みたいな表情で大会スタッフへと視線を飛ばすキャリーラであったが、当のスタッフは特に顔色も変えずに両腕を掲げて頭上で大きな丸を作る。
『あれが全て火薬や毒物の類であれば流石に反則かと。ですが、おそらく中身は"水"でありましょう』
『自身の魔法の基点となるものを持ち込んだみたいですね――前回は水源を召喚していましたが、今回はある程度の量を事前に用意した、という事になりますが……』
補足を入れるゲスト二名の言葉は正解である。
困惑やちょっとした笑い、僅かではあるが野次の類もあがる観客席からの声を物ともせず、シンヤは武舞台へと上ると大樽を自分の傍らへと勢いよく下ろした。
どぷん、という重い水音を耳に拾い、相対したジャックが苦笑する。
「事前に準備するにしても限度があるだろ、おい。イメージダウンになるんじゃないのか?」
「何のイメージですか。僕は冒険者なんで求められるのは実力と実績ですよ」
自身の顔面偏差値が相当に高い事くらいは自覚のあるシンヤだが、それを売りにした商売をやってる訳でも無い以上、容姿でついたイメージなぞ崩れようが大して気にもならない。
手で持てる範囲までならルール上OKらしいので、限界サイズの樽を選んできましたよ、と堂々と言ってのける態度はいっそ清々しく――戦士である前に冒険者である、という彼の明確なスタンスが感じられた。
「貴方が戦いを楽しむタイプなのは何となく察しが付きますけど……ブライシオさんと違って待たないでしょう?」
「……ま、そうだな」
試合が始まって二回戦のときの様に詠唱を始めたら、一気に攻め切って圧し潰す予定であった剣士が苦笑を深くする。
魔法剣士である眼前の青年の準備が終わるまで待つのも一興ではあるが、明確な魔法の発動までの隙という時間をどう潰してくるのかも興味があった。
まさかの大量の水の持ち込みで、スタートダッシュの体勢を整えて来るという方法でその辺りの前提は引っ繰り返された訳だが。
「事前の準備も兵法ってやつだしな、楽しくやろうや」
「楽しく戦うより楽に勝てる方が良いんですけどね……僕の試合相手全員、そういう意味だと大外れしかいないんですけど」
ボルテージを上げる大勢の観客と、彼・彼女らから放たれる熱気と声援の中。
鋼の直剣と魔装の大剣が鞘より抜かれ、試合が始まった。
魔法にも秀でたシンヤには苦手な距離、というものが殆ど無いが、ジャックにとっては剣の間合いこそが必勝の距離だ。
これまでの相手は自ら前に出て来る者達であった為に待ちの姿勢であった剣士だが、今回は自ら間合いを詰めに掛かる。
対してシンヤは、手に持った剣の柄を大樽の上蓋に打ち付けて壊し、背後に跳んで間合いを取る。
事前に樽一つ分の水を準備したとはいえ、その量は精々がブライシオとの試合で見せた水塊一つ分程度だ。
魔力を練りだした黒髪の若者を見て、ジャックは地を蹴って更に加速。
(さて、無策の筈も無いが……どう出るのか見せてもらうかね)
追加の水源はやはり召喚魔法で呼ぶことになるだろう。それまでに樽一つ分の水でどうしのぐのか。
割られた樽から噴き出した水が、蛇の如くうねって一塊となった。
二人の間に立ち塞がる水塊を前に、ジャックが刃を立てて刀身の腹で殴りつけるように剣を振るう。
二回戦でブライシオが見せたものと同じ、水塊の破壊方法だ。
武器のサイズや膂力が違うので、同様の方法での破壊は回数を必要とするだろうが、有効な手段であるのは確かだった。
だが、振るった鋼は硬い音を立てて弾かれる。
「――氷か」
剣と接触するその瞬間、水塊が一瞬で氷結したのだ。
岩を打ったような感触に、剣士が眉を顰める。
次の瞬間、水塊ならぬ氷塊が回転した。
どうやら氷結したのは塊の前面一部だけだったらしい、背面の水部分から液体の散弾が放たれ、ジャックを襲う。
体捌きと剣でそれらを回避、或いは叩き落としながら、横手に跳躍。
一旦水源を無視して術者たるシンヤとの距離を詰めようと試みるも、宙に浮いたそれはピタリとジャックに張り付いて追走してくる。
流石に煩わしく感じたのか、軽い舌打ちと共に再度水塊へと向け、剣が一閃された。
氷結した面が其れを受け止めるが、今度は斬撃として振るった一撃は難なくそれを断つ――が、下手な金属より硬度のある氷を断つ為に研ぎ澄ませた一撃では、大本たる水塊への損傷は極軽微だ。
面で打とうとすれば硬度のある氷で受け止められ、氷を断とうとすれば水源を削ることが出来ず。
「厄介だな、前回の弱点をしっかり対策してきたか」
「当然」
楽しそうに唇の端を釣り上げる疵面へと再び水弾が発射され、剣士が身を躱すと同時に背後からシンヤ自身が強襲する。
刀身には分厚い水の幕が張られ、術者が剣を振るえばそれは意思を持つようにうねり、鞭となって遠間から振るわれた。
その背後には既に水塊が二つ、宙に浮いており、追加の水源の召喚を終えている。
術者自身と三つの魔法の基点から放つ水の鞭と弾丸、胴、肩、背、腿と、幾つも襲い来る同時攻撃を、凄まじい反応速度で全て弾き、回避するジャック。
弾幕、と呼んでも差し支えないであろう怒涛の攻撃を捌きながら、その瞳は冷静に黒髪の魔法剣士の姿を観察していた。
水源の破壊に対して対策を打ったが、代わりに浮かぶ水塊の数は半減。
手数と制圧力が減ったが、代わりに例の氷結面を盾とする手法に加え、水塊自体が今も頻繁に移動を繰り返してジャックの剣が切り返し辛い角度からの射撃を行って来る。
水と魔力、両方の消耗も早いだろうが、用意した水源を破壊されるよりはマシ、という事だろう。丁寧にこちらの動きを制限しにくる手腕からして、水の消耗に関しても随時の召喚で火力を維持する腹積もりか。
「……参ったね、鈍器でも持ってくりゃ良かった」
兎に角、水塊の前面にでた氷が厄介だ。
例えばブライシオであれば持ち前の膂力、武器の大きさと強度によって強引に破壊も可能なのだろうが、力よりは技、武器は通常の鋼の剣であるジャックにとっては対応する手段が極めて絞られる"盾"である。
「貴方の間合いでやり合うのは相当厳しいですからね。手の中の得物がへし折れるまでは、近寄りません」
「お前さんも武器狙いかよ。しかもやり方が一番えげつねぇ」
油断なく相手を見据えながら多量の水を制御し続ける魔法剣士と、辟易した表情で愚痴る剣士。
互いの鋼の刃と魔力がぶつかり合って甲高い音を立て、中天の下、陽光に照らされて無数の水と氷の粒が弾け、躍る様は視覚的にも中々に美しい。
『これは凄い! 素人目にも分かるとんでもないレベルの魔法と剣の技比べです! 一見して互角に見えますが……』
『ジャック選手の剣技も大概おかしい領域ですけど、アイミヤ選手の方も凄いですね。というか、これでも戦い方が試合用であって戦闘用ではないって……よく参加OKが出ましたねぇ』
『うむ、長丁場となればアイミヤ殿に優勢の目があり、といった処かと。元よりアンナ殿を筆頭に、規定から踏み出した方々が複数おられました故。基準の明確化なども次回以降の大会では気を配るべきでしょう……いや、憂慮なく未来の祭事について語れるというのはやはり良い物ですな!』
実況席の三名も、其々に注目する視点は異なれど、感嘆を込めて水と氷、そして鋼によって生み出される剣舞を称える。
宛ら楽士隊の指揮者の如く、精緻に水を操るシンヤの見事な魔法運用、及び魔力制御。
それらを卓抜した技量のみでしのぎ切り、或いは捻じ伏せようとするジャックの剣技。
先の少女達の試合に劣らぬ、準決勝に相応しい高度な技の応酬に、闘技場内の興奮と熱気も益々高まっていった。
激しい攻防の最中、最初に微かな変化に気付いたのはシンヤ――と、来賓の席に座る《魔王》だ。
一進一退に見えつつ、その実、段々とジャックの武器へと負担を蓄積させていた水魔法の乱舞。
聖女をして「水属性に関してはマジで器用」と太鼓判を押される精度によって丁寧に動きを制限されていた剣士が、微かにではあるが先んじた反応を示す瞬間があった。
(……ッ、また……! 見間違いじゃないな、これは)
違和感を認識した魔法剣士は、確認を兼ねて彼に最も近い距離にある水塊を操る。
自身が回り込ませた水塊の軌道を予測するように、ジャックが身を旋回させた。
軸足を使って身を捌かれ、放たれる水弾が剣によって弾かれる事無く全て回避される。
動揺を表に出す事無く、だが人知れず息を呑んだシンヤに、剣士が不敵に笑いかけた。
「やっと掴んだ――どうにも、本人から何かを経由した"意"ってのは読み辛くていかんね」
その言葉の意味を正確に理解した訳では無い。
だが、ソレを推察する事は出来た魔法剣士が、湧き上がる戦慄と共に三つの水塊を同時に操作。
近距離、中距離、遠距離と、三方向から距離もバラバラに発射される無数の水弾に加え、自身も刀身に施した付与効果を利用して遠間から超射程の突き――水の槍を繰り出す。
その攻撃密度の前には間合いを詰める事はほぼ不可能に近く、事実、ジャックもこれまでは後方へと距離を取ることで回避と弾きを成功させていた。
――が。
目を伏せ、疵面に極度の意識の集中を見せた剣士が、一歩踏み込む。
その身が脱力した様にゆらりと揺らぐと、次の瞬間には竜巻の如く旋回した。
身を伏せながら振るわれる横薙ぎの一閃。
シンヤをして見切る事が困難な見事な一撃は、攻撃の中でも最速で到達した水の槍を容易く打ち払い。
伏せて尚、剣士の身に届く低い軌道の水弾は、円を描く剣身へと吸い込まれる様に当たり、弾け飛ぶ。
残像すら残して行われた高速の迎撃に、弾かれた水の音が一瞬の遅れと共に闘技場に響き渡る。
今度こそ目を見開き、驚愕を露わにする黒髪の青年に、してやったり、と会心の笑みを浮かべる剣士。
頭抜けた技量でカバーしようと、やはり数打ちである事が祟り、僅かずつではあるが刀身に刻まれていた傷。
――それが、今の攻防では一切増えていない。
それはつまり……一連の面制圧染みた攻撃全てを、ジャックが完全に見切って無理なく捌いたという事に他ならない。
単純に、観客席からでは距離があるという点も手伝い、その事実に気付いた者が会場に何人居たか。
相対してジャックの剣の状態をこまめに観察していたシンヤは、真っ先にそれに気が付き、口の端を引き攣らせた。
おそらく、眼前の剣士はシンヤが操る水の動き――それこそ移動方向や攻撃のタイミング、種類まで先読みしている。
魔力の大まかな方向性の把握や高い練度の身体強化によって鋭敏化した知覚、或いは何某かの加護などで同様の真似が出来る者は確かにいるが……それにしたって精度の高さが異常だ。これではまるで噂に聞いた未来視の加護である。
そして、シンヤが見逃したのでなければ、剣士は平均的なレベルの身体強化以外は特に魔力を使っていない。
あまり当たって欲しくない予測であるが、この男は魔法や魔力、加護に関係の無い、純然たる武の技術でソレを行ったのではないだろうか。
「漫画じゃないんだから……!!」
「やれる奴は他にもいるさ――ま、数は多くないだろうがね」
それをやれる人はそもそもこの大会に参加禁止だ、と内心で毒づく青年であるが、それを言うならコイツも大概である。
殺しが御法度の健全な催しである以上、参加選手は大なり小なり殺傷力の高すぎる手札や攻撃を控えているのだが、シンヤの制限の大きさはその中でも最大と言って良い。
その辺りのさじ加減も強制という訳では無く、あくまで選手自身の自己判断に依る部分が大きいのだが……何でもありとなった場合の彼本来の殲滅力からすれば、現状の戦い方はぶっちゃけ温いにも程があった。
ブライシオと戦った際には、純粋な戦闘方面からは斜め上に滑った攻略法を彼が先輩と呼ぶ青年からアドバイスされ、それが上手く嵌まった形だ。
対策が取れていない――おそらく決勝で当たるであろうアンナには、この縛りの中で勝つのは不可能に近い、とは大会当初から予想していたのだが……此処に来て目の前の剣士にも同様の感覚を抱く羽目となっている。
睨み合いとなって、一時的に静かになった武舞台上。
どう立ち回るかと悩むシンヤに対し、ジャックが剣を突き付ける。
「手詰まりかい? 《水剣》の。なら話は簡単だ……余計な気遣いは外しちまえば良い」
後半の台詞……囁く様に呟かれた誘いに、シンヤは軽く息を呑み――次いで、顔を顰めた。
「生憎と、よっぽど救いようのない悪党やら信奉者でも無い限り、そっち方面のやり方で戦う気は無いんですよ」
「……そりゃ随分と甘い……いや、真面目だねぇ。同格以上が相手なら本気でやっても事故の類は早々に起こらないだろうに」
「今だって本気ですよ――ただ、これはお祭りの試合であって、戦争や殺し合いじゃないってだけです」
それは拘り、というより彼の信条と言って良いのだろう。
簡単な会話くらいでは青年が自身に課した制限を緩める気すら無い、と判断した剣士は、切っ先を向けたまま肩を竦める。
「俺としちゃ、お前さんの底が見てみたいんだが――そうだな、少しキツくなりゃ枷も緩むか?」
「……ッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が粟立つ感覚に押され、シンヤは操作する水源から一斉に散弾を放った。
先程まで、直撃なくともその動きを大きく制限出来ていた範囲攻撃は、剣で弾く事すら無く体術のみで躱される。
水面を滑る様な足さばきでスルスルと近づくその速度は、肉眼で容易に追える……筈であるのに、あっと言う間に距離を詰められた。
驚く時間も惜しいとばかりに、石畳を蹴飛ばすようにして跳躍。
近距離戦を嫌って距離を取ろうとする魔法剣士に、水の弾幕を突破した剣士は容易く追い縋る。
剣の間合いに入った瞬間、脇構えからジャックの肘が上げられ、車の構えに移行。
突き出された肘によってシンヤの視界から一瞬剣身が隠された瞬間、上げた肘を伸ばす様に腕が振り切られ、掬い上げる様な軌道で真下から刃が跳ね上がった。
柄尻を握り、半身を前に傾げて放たれた斬撃は、視覚情報からは想像出来ないほどに伸びる。
後退に使った脚を両断せんとするその一撃を、シンヤは辛うじて手にした両手剣で防いだ。
ありふれた直剣から繰り出されたとは到底思えぬ重い一撃――なにより、握った腕に伝わるソレ――金属同士が打ち合って弾かれる感触ではなく、相手の刃が僅かにこちらの剣に食い込む感触に「理不尽だ!」と文句の声を上げたくなる。というか上げた。
「大枚叩いて買ったマイン氏族製なんですけどね、この剣!」
「だろうな。今ので斬れないって時点で分かってたさ」
「魔装の武器を斬れる前提で話するのおかしいでしょ!?」
しかも発言した当人の手に握られているのは数打ちだ。
幸い、こちらの剣も少々欠けた、位で済んではいるが……剣に纏わせた水の付与効果が無ければこの程度では済まなかっただろう。
それだけの斬撃を打ったにも関わらず、アホみたいな手首の強さで剣が切り返され、瞬時に振り上げた剣が打ち下ろされる。
シンヤはこれも何とか掲げた剣で防御。受け流す事も出来ずに正面から止めた為、今度はハッキリと直剣の刃が刀身に食い込む。
そのまま競り合えば武器を両断されてもおかしくなかったが、突破された水塊を操作して左右からの同時射撃。即座に対応されるが、その間に距離をとる事に成功した。
膠着気味、ややシンヤが有利といった状況から一転、苛烈な攻めで彼を追い詰めるジャックに、どよめきの声があがり、直ぐにそれは歓声へと変化する。
『な、なんとぉーっ!? 水の波状攻撃への迎撃に注力していたジャック選手、一転攻勢! アイミヤ選手、なんとかしのいでいますが表情が険しい!』
実況のキャリーラの声に、隣に座る筋肉が高揚を隠せぬ声色で応じた。
『なんとも凄まじい技の冴え……! 振るう武器は違えど、古き友人達の若かりし頃を彷彿とさせますな』
『私の外界での経験が浅いせいでしょうか……見た事の無い剣の術理です。当てた瞬間の、引きの所作が美しいというか……』
『然り。今大会に参加なさった選手でも同様の剣技を扱う方はおりませぬ。おそらくは反りのある剣――本来は湾刀などで用いられる斬術かと』
感嘆の籠った声で剣士の技を未知であると口にするサルビアに、彼女と観客、両方への説明を兼ねてガンテスが自身の見識を語る。
実況席にて筋肉司祭の口から語られる言葉は気になるのだが、必死こいて直剣の範囲から逃れようとするシンヤには耳を澄ます余裕は無い。
鋭すぎる突きが頬を掠め、軌道を逸らす為に用いた両手剣に新たに深い傷が追加される。
武器破壊を狙っていた筈が、そろそろ自分の剣の破損を危惧しなければならなくなってきた。折れたり真ん中から斬られでもしたら、仮に優勝しても修理費だけで賞金が殆ど吹っ飛ぶだろう。
大赤字だ畜生、と内心で泣き言を垂れながらも、魔法による牽制も併用してなんとかジャックの剣を捌き続ける。
「いい加減、本気で――試合じゃなくて本番のつもりで来いって」
「……ッ、だ、がっ、断るっ……!!」
再びの誘いを突っぱねると、口の中で短く詠唱を紡ぐ。
付与効果を再度行い、今度は長大な氷の刃を纏わせて斬りかかるが、伸びた氷刃があっさりと斬り飛ばされて宙を舞う。
何度も袖にされているのにも関わらず、ジャックは楽しそうだ。
(多分、バレてる……けど、泳がせてくれるなら好都合……!)
先の付与効果にしろ、これまでの攻防に使用した水の操作や召喚にしろ、シンヤは全て《《無詠唱》》で魔法を行使していた。
今までの詠唱は、全てこの試合における最後の切り札――その下準備の為である。
操る水塊の数を半分以下にまで減らしたのもこの為だ。氷結を含めた水魔法全般の精度を上げるだけなら、あと二つは水源を用意しても問題無かった。
相対する剣士が予想より難敵であった場合に、起死回生の手段として密かに配置していた伏せ札だったが――案の定、使う機会が巡って来た事を嘆けば良いのか、笑えば良いのか。
幾度目かになる剣の間合い。
放たれる水の散弾を飽きたとばかりにあっさりと弾き散らすと、直剣と両手剣が噛み合い、やはり後者の方が刃を欠けさせた。
容赦なくシンヤの剣と気力を削り取りながら、剣士は相手の隠した一手を楽し気に待ち受ける。
"何か手があるなら、早くやってみせろ"
目は口ほどにものを言う、を体現したかの如き表情に、不敵に笑い返して。
体力・魔力を消耗して乱れて来た呼吸を押し殺し、全ての準備を終えたシンヤは自身の近くに水塊を移動させた。
「なら、遠慮なく――泳がせてくれたお礼です、たっぷりと泳いでください」
瞬間、晴れ渡っている筈の上空が陰る。
唐突に武舞台を覆った影に、ジャックだけでなく試合を観戦していた多くの者達が頭上を振り仰ぐと――。
遥か上空に召喚されていた凄まじい量の水が降り注ぎ――否、雪崩れ込み、洪水となって武舞台上の全てを押し流した。
水浸しを通り越し、一時的に水没した武舞台。
観客席の保護の為、場外周辺ごと結界・障壁で覆っていたが故の結果だ。
自身は滴一つ浴びなかったとはいえ、豪雨を越えた大瀑布の如き水量が弾けるのを間近で見た観客達は、呆気に取られて水に沈んだ其処を眺めている。
警備の仕事を終え、第二試合が始まる前に聖女二人と合流出来たどっかの犬が、障壁に向かって押し寄せる波濤を見てスプ●ッシュマウンテン! などと喜んでいたがそれは余談である。
大会スタッフの判断で少しの間だけ障壁が解除されると、しっかりとした排水も考慮して設計された闘技場の構造上、そう時間を掛けずに水は退いた。
先ず見えたのは、石畳が殆ど押し流され、土台が剥き出しとなった武舞台。
その中心――シンヤが立っていた場所に屹立する、氷の柱であった。
馬鹿げた水量を受け止めたそれは、罅割れ、亀裂が走っており――程なくして涼やかな音を立てて砕け散る。
内部には、剣を地に突き立て、膝を着いていた魔法剣士の姿。
あの一瞬、試合に用いていた水源全てを使って、瀑布に耐える為の氷のシェルターを生成したらしき彼の姿に、水面に拡がるさざ波の様に驚きと賞賛の歓声が上がった。
その声に応える様、自分以外の全てが押し流された舞台の上で、シンヤは立ち上がり――。
「ハァ……アンナさん用に準備してた奥の手、だったんだけどなぁ」
嘆く様な、愚痴る様な声と言葉と共に嘆息して、天候に相応しい陽気へと戻った空を見上げる。
再び、空が陰った。
先と同じ――だが遥かに小さな《《人一人分》》の陰が差し、剥き出しとなった舞台の上に泥を跳ねながら着地する。
「理不尽過ぎる。アンタ絶対にこの大会に出場したら駄目な人でしょうに」
「いや、流石に焦ったさ。大滝を斬るなんてのは終ぞ試した事が無かったが……なんとかなるモンだ」
疲れと呆れのせいか、半眼になって口調までぞんざいになっているシンヤの言に、肩を竦めて応えるは疵面の剣士――ジャックである。
『嘘ぉ!? な、なんとジャック選手、無事です! あの洪水の中、場外落ち処かまるで何事も無かったかのように空より降って来ました!?』
『お見事! あの刹那、天を覆う水の帳を見て怯む事無く上空へと跳ぶ胆力! それを断つを可能とする剣技! 感服以外の意がありませぬ!』
驚愕の余り、眼鏡がずり落ちているキャリーラと賛辞と共に柏手を打つ筋肉の拡声された声が響く中、単独で洪水を起こした加護持ちと、その洪水を文字通り剣一本で斬り抜けたイカれポンチが再び対峙する。
「決勝用の対策だったらしいが……俺の見立てじゃ、あの副隊長さんも似たような真似は出来ると思うがね。少々やり方は変わるだろうが」
「破った当人から断言されるのはキツいなぁ……! 心が折れそう……!」
何処となく緩んだ空気で会話が続くものの、笑いを含んだ剣士の言葉には別の意味合いも含まれていた。
――今の戦い方では、自分にも、アンナにも届かない。
もういいだろう。冒険者シンヤ=アイミヤではなく、大戦で猛威を奮った《水剣》として戦え。
再三となる、声なき熱望にシンヤは溜息を洩らす。
「ハァ……仕方ない、か」
息を吸い、吐き出し。数秒目を閉じる。
再び開かれた黒瞳は揺るがぬ意思を宿しており、その意思を示すかの様に、右腕が掲げられ。
「降参します。どの道さっきので魔力も空に近いんで」
あっけらかんと告げられた言葉に、ジャックを含む闘技場内の多くの人間がその場でスッ転びそうになった。