準決勝・第一試合
闘技大会、準決勝。
予定通り二回戦から数日空けて行われるそれを観ようと、初日より増え続けた観客が闘技場に大勢詰めかけている。
立ち見となった多くの者達の間でトラブルが起こらぬよう、急遽警備の人数を増やす事で対応にあたっている程だ。騎士や衛兵達は大変だろうが盛況なのは催し的には良い事だろう。
本日の試合を待ちわびる多くの人間で溢れた観客席と、それによって齎される熱気。
会場内でそんな喧噪から唯一離れた場所である選手控室で、アンナは腰に下げた革帯とそこに取り付けられた愛剣二刀の鞘をチェックしていた。
「……うん、良し」
不備は無し。最後の装備の確認を終え、長い銀髪をサイドで括った騎士の少女は頷く。
体調は悪くない。本来なら部下達の様にあちこちに駆り出されて帝都中を駆けずり回る事になる立場ではあるが、この大会への出場――可能なら優勝を期待されている身という事で、祭りが始まってからは仕事量が抑え気味。寧ろ身体的には好調と言っても良かった。
尤も、開催早々に問題が発生したせいでメンタル面では色々と疲労していた自覚はあったが……最大の懸念であった行方不明の部下の安否は二回戦の全試合が終了した日に確認出来た。
問題が全て解決した訳ではない、トニーからの伝言を預かったローガス達からの情報と、そこから導かれる推論……孤児や難民の人口調査だった筈の一件は、より厄介な面倒事へと変わったのは確定だ。
だが、部下が、仲間が欠けていない。この一点のみで十分に朗報である。
情報の機密性を維持したまま、《刃衆》のみで独自に動くというトニーの案に陛下もGOサインを出した。ならば、あとは表立って動けるだけの材料を集めて《《敵》》を一気に蹴散らすのみだ。
(と言っても、現状だと私に出来るのは囮擬きだけなんだけど)
鞘から抜いた刀身を見つめ、そこに映る自身と眼が合って肩を竦める。
闘技大会の花形選手の様な役割を宛がわれた身だ。トニーの無事も確認出来た今、これを放り投げて件の人身売買組織を叩き潰しに行く訳にもいかない。
当初の目的通り勝ち進み、大会を盛り上げ――多くの人の目を集めれば多少は部隊の皆も動きやすくなるだろう。
「なんにせよ、やる事は変わらない、ってワケね」
それじゃ、一丁やってやりますか。
そんな風に内心で気合をいれ、アンナは不敵に笑うと剣を鞘に納めたのだった。
試合開始は間近。控え室にやって来た係の者に出番を告げられ、部屋を出る。
アンナが武舞台へと繋がる石造りの廊下を進むと、通路の奥から割れんばかりの歓声が聞こえてきた。
『さぁ、いよいよ始まります準決勝第一試合! 過酷な予選を越えて本戦に残った十四名の猛者、そのベスト4が激突するお時間がやって参りました!』
歓声に負けぬ様に拡声の魔道具を用いて声を張り上げているのは、確か文官のキャリーラだ。
主に現場の武官と王城勤めの文官の意見の取りまとめや均衡を取る為の仕事に従事している彼女だが、その役柄上、両方から信用厚く、顔も広い。
今回は解説役だったシャマが急遽抜けた穴を無理を言って埋めて貰った形だ。アンナ――というより《刃衆》全体でそれを黙認したのも確かなので、後で何か礼をした方が良いだろう。
そんな事を考えながら歩を進め、通路を抜ける。
『先ずは獅子の方角! 言わずと知れた優勝候補! 二回戦の鮮やか過ぎる秒殺劇は強烈な光景でしたが今回はどうなるか、アンナ=エンハウンス!』
武舞台上空に拡がる空は良い天気だ。本選が始まってから一度も雨天に当たってないというのは天候に恵まれていると言えるだろう。
大歓声、と言って良いであろう観客の声と降り注ぐ秋の日差しを浴びながら、アンナは眩しさに目を細める。
愛想良く振舞う、なんていうのはガラでは無いが、帝国騎士の看板を背負って出場している以上はある程度は観客の声に応えなければならない。
軽く手を挙げて振りながら、武舞台へと進む。
闘技、という種の催しなので愛想笑いまではしなくとも良いのは助かる。これが友人のレティシアあたりであれば、背負っている聖女という肩書の御蔭で笑顔を振りまかなくてはならないだろう。
その友人だが、今日は姉妹で来賓用の席での観戦になる様だ。
隣には《魔王》陛下やその部下の人達の姿も見える。闘技という時点で魔族領の面々が全試合欠かさず観に来ているのは当然なので、これは特筆すべき事でも無いが。
意外なのは、レティシアや妹御のアリア様の側にあの駄犬の姿が無い事であった。
軽く周囲を見回すが、周辺の観客席にも姿は無い。
今日は観客の人数が多すぎて警備の増員を行ったというのは先程述べた通りだ。奴も煽りを受けて未だに警備に精を出しているのかもしれない。若しくは他に予定があるのか。
……レティシア達にくっついて全試合欠かさず観戦してた癖に、自分の試合は観に来ないつもりだろうか。
いや、別に強制する様なものでもないが、なんかムカつく。
そんな思考が頭を掠めたりもするが、普段駄犬扱いしている友人の姿を探して武舞台上でキョロキョロとするのもなんだか癪なので、アンナは対面の選手入場口――竜の方角を見据えて静かに対戦相手の登場を待つ。
『対するは竜の方角! 教会の腕利きの聖職者達と連続で当たるという引きの悪さを見せながらも、見事勝ち上がって来たファルシオン選手です!』
キャリーラの紹介によって上がる歓声にも特に反応は示さず、真っ直ぐに進んで舞台に上がったのは年若い少女だ。
身体にフィットするタイプの軽装に身を包んだファルシオンは、年齢的にはアンナより少し下に見える。年齢的にはローレッタと同じ、出場者中最年少と言っても良いのではないだろうか。
眼前の対戦相手を、改めてアンナはマジマジと見つめた。
亜麻色、というにはやや色味の薄いショートカットの髪に整った容姿……間違いなく美少女だ、それもかなりの。
肌もまた白い。よく見れば自分と同じ碧色の瞳も色が淡いので、そういう体質なのだろう。
纏う装備以外は全体的に淡い色合いのせいか、儚げな雰囲気なのも良い。アンナちゃんポイントを高得点付けたくなる娘だった。
選手登録の際に記入されたプロフィールによれば、何某かの戦闘職に就いてる訳ではなく、ただの旅行者という話だが……表情が乏しい所為か、何処か人形的というか、浮世離れした印象がある。
「よろしくお願いします」
「あ、うん。よろしくね」
丁寧に頭を下げるファルシオンに、軽く礼を返して応じるアンナ。
対戦相手の観察――というか半分鑑賞だったが――を打ち切り、意識を切り替える。
亜麻色の髪の少女が腰に吊った鞘からスラリと曲剣を抜き放つのに合わせ、銀髪の少女がダガーとショートソードの二刀を抜いて両の手にぶら下げた。
静かに対峙したのは、数秒だ。
『では、準決勝第一試合…………始めっ!』
実況の女史が号砲代わりの声を上げると同時、間髪入れずにファルシオンが動き出す。
――実際の処、現在闘技場にいる殆どの者達は、アンナが圧勝する、と判断していた。
それは、大部分の観客達だけでなく、これまでの試合を観て来た実力者達や大会に参加した者達もそうだ。
《刃衆》副隊長の肩書は伊達では無い。二回戦で見せた圧倒的な地力の高さにものを言わせた秒殺劇も併せれば、多くの者が同じ結論を出すのは無理からぬ事であった。
特に目の肥えた者や腕の立つ者からすれば、ファルシオンの試合は……言い方は悪いがパッとしないものであったのがそれを助長する。
一回戦のカーク神父は相手が一般の旅行者の少女という事で本気を出せず。
二回戦のシスター・ミンスタことチェルシーは殆ど稽古の様な試合内容であった。
身も蓋も無く言えば、二試合とも勝ちを譲られた様な決着であり、特に二回戦はチェルシーが初っ端から倒す気で掛かればあっさりと逆の結果で試合が終わっていた、というのが会場の強者達の認識だ。
それだけに、次の瞬間の光景は多くの者にとって瞠目に値した。
強烈な踏み込みによって石畳が砕け散る。
アンナのお株を奪う様な素早い魔力強化からの高速移動。
瞬き一つの間に眼前に現れた相手に、騎士の少女の眼が見開かれ。
その眼前で亜麻色の髪がふわりと広がり、加速の勢いを乗せた蹴りが空気の壁を突き破って打ち込まれる。
それはチェルシーが試合で見せた一撃に酷似しており。
動きだけではない、鋭さと重さもただの猿真似と言えないものがあった。
――だが。
「びっくりした。チェルシーさんの蹴りにそっくりだね」
驚きと感嘆が半々になった声色で、アンナが呟く。
開幕に放たれた強襲の一撃はあっさりと躱され、空を貫くに留まった。
胴の中心を狙って放たれた突き蹴りを半身になって紙一重で回避した銀髪の少女は、相手の蹴り足に握った剣の柄を叩きつけようとする。
が、躱されたとみるや即座に脚を畳んで戻したファルシオンは地を蹴って後退し、柄を用いた反撃は空を切った。
「戦闘開始直後の奇襲は失敗。通常の戦闘に切り替えます」
「前の試合で私がやった事の再現って感じ? 確かに意表は突かれたけど」
それで終ったら流石に間抜けが過ぎる。立場的にも個人的にも遠慮したい負け方であった。
肩を一つ竦めると、曲剣を片手に間合いを詰めて来るファルシオンをアンナは迎え撃つ。
互いの剣が陽光を反射して閃き、火花を散らして打ち合わされた。
両者ともに剣と体術を組み合わせた戦い方を主とするスピードスタイルだ。
近距離での刃の交差に至近では肘や膝が加わり、間合いを仕切り直すように魔力強化された脚力を以て目まぐるしく立ち位置が変わる。
ともすれば二回戦のブラウィンの様に秒殺も有り得ると思っていた観客からすれば、アンナの土俵で喰らい付いてゆくファルシオンに驚きと賞賛の歓声があがった。
特に一定以上の実力者からすれば驚きの度合いは大きい。何故なら――。
『これは凄い打ち合い! というか私には早すぎて目に追えないのでどちらが優勢劣勢なのかもよく分かりません! 司祭様解説よろしくお願いします!』
『開始直後の蹴り技もそうでしたが、ファルシオン選手の攻防にはこれまでの対戦相手の技が一部取り入れられている御様子。完全、とは言い難いですがこの短期間で実戦に耐える領域に仕上げてくるとは驚異的な吸収力ですな』
『成程。素人目にも彼女が強くなっている様に思えたのですが、それは勘違いでは無いと?』
『体術だけでなく、魔力強化の方も滑らかというか……前回の試合よりはっきりと質が上がっていますね。偶に私も追い切れなくなりますし、明らかに強さの上限が上がっていると思いますよ』
前衛と後衛、両名がそれぞれの視点から断言する通り、亜麻色の髪の少女は総合的な戦力を劇的に向上させている。
そしてそれは、現在打ち合っているアンナが一番に感じている事でもあった。
(いや、ホント強くなってるわコレ。二回戦までとは別モノじゃない)
幾度目かの剣閃を身を傾げて回避しながら、内心で舌を巻く。
主に攻めはチェルシーの体術、守りはカーク神父の武器術を取り入れているのだろうか。
体術は回避主体であった戦い方に両者の闘法が上手く落とし込まれているせいで、隙が無くなっている。
忌憚なく言ってしまえば、本戦出場者の中では下から数えた方がずっと早い、位の実力だった筈の眼前の少女は、別人ですと言われてしまえば信じてしまいそうな程には強くなっていた。
例えば二回戦で敗退してしまった部下――ローレッタでは今のファルシオンを崩すのは難しいだろう。
或いはあの娘なら気合と根性でこの守りも抜けるかもしれないが、チェルシーは交差法に秀でていた。ならば彼女の攻め手を学んだこの少女も、同様の手を使う可能性が高い。
守りを崩して一撃入れようとした相手にカウンター。技巧派としては王道のスタイルだが正面突破を得意とする者には天敵と言って良い。
まぁ、それでもあの娘の爆発力ならワンチャンあるんじゃなかろうか、と思ってしまうのは身内贔屓抜きでの素直な評価である。あの負けん気で《刃衆》入隊試験も一発で通った訳だし。
斜め下から弧を描いて振り上げられる曲剣の切っ先。
軸足を回転させて身を捌くと、剣を振り抜いた勢いもそのままにファルシオンの身体が翻り、旋回する。
それを見たアンナも瞬時に腰を捻って脚を跳ね上げた。
地から上段へと昇る後ろ回し蹴りと、それを迎撃する回し蹴り。
互いの一撃が交差し、すらりと伸びた少女達の長い脚が×の字を描いてぶつかり合う。
練り上げられた攻性を伴う魔力が蹴撃と共にぶつかり合い、紫電の如き光を放って武舞台上で弾ける。
拮抗は数瞬――反発する魔力に圧される様、二人同時に後方へと軽く跳躍して距離を取った。
当初、多くの者が抱いていた予想を上回る戦いに、沸き立つ観客席。
惜しみなく降り注ぐ歓声と賞賛の中心に立つ両名は、片や表情を変える事無く剣を構え直し、片や軽く息をついて蹴り合った脚の爪先でトントンと石畳を蹴る。
「ふー……こう言っちゃなんだけど、予想以上過ぎてびっくりしてるわ。何やったら数日でこんなに変わるのやら」
「先の試合で私の技術は大幅な改善と進歩を行いました。現状、貴女と比べてもそう変わらぬ戦闘性能を有していると思われます」
淡々と応じる中にも微かな自信を滲ませる亜麻色の髪の少女の言葉に、それを挑発と受け取る様子も無く。
アンナは寧ろきょとんとした表情を浮かべて――ややあって納得した顔に変わって頷いた。
「あぁ、確かに神父様とチェルシーさんの強さが上乗せされるっていうのなら、その自信もそんなに的外れじゃないかも」
けどね、と。口の中で続く言葉を短く転がして。
《刃衆》の№2である少女は、そこで初めて明確に構えを取った。
「貴女が手に入れたのは二人の"技"であって"強さ"じゃない。様になってはいるけど、覚えたての技にはあの二人の"重み"がない」
「……? その言葉は不可解です。技術の模倣・再現率は一定値以上。魔力量とそれに依る強化率を加味すれば、現在の私がカーク様とチェルシー様……対戦した御二方を上回っているのは確実と思われます」
ダガーを逆手に持ち替え、半身となって低く構える対戦相手に向け、同じく剣を構えたまま不思議そうに僅かに首を傾げるファルシオン。
人形染みた受け答えでありながら、どこか幼さも感じさせる亜麻色の髪の少女の言葉に、アンナはちょっと和んだ気分になって僅かに口角を上げる。
なんとなく、チェルシーが試合の場で教導染みた真似をしていた理由が理解出来た。
凄まじい学習能力の高さだが、それ故に本来その強さに至るまでの経験が希薄なのか……なんというかチグハグなのだ、この娘は。見ていて少しお節介を焼きたくなる。
「ま、こればっかりはある程度積み上げた奴にしか分からない感覚ってね――少し、空気を体験してみましょうか、お嬢さん」
だからといってこの場で優しく教え導く、等という真似は自分には似合わないし、立場的にも選ぶつもりは無い。
元より部下との訓練でも鬼扱いされるやり方のアンナだ――なので、取る方法は決まっていた。
瞬時に脚に魔力を廻し、地を蹴る。
試合の度に石畳を交換する羽目になっている工兵部隊には申し訳ないが、少々派手にやると決めた。後で差し入れでも送るとしよう。
足元の石床を砕きながら二歩でファルシオンとの間合いを詰める。
待ち受ける彼女がこちらが曲剣の間合いに入った瞬間、横薙ぎに刃を振るうのに合わせ、急制動。
踏み込んだ爪先に回転を掛け、旋回。曲剣が振り抜かれる方向から背後へと回り込む。
「――!?」
表情に乏しいファルシオンの整った面差しに、少なからず驚きの色が浮かんだ。
まぁ、気持ちは分かる。自分が剣を振る速度よりこちらの移動速度が速くなければ成立しない回避方法なのだから。
だが驚いて動きが遅れるのはいただけない。
彼女が振り向くより早く、アンナは無防備になったその横腹へと膝を叩き込んだ。
「ぐっ!」
短い苦鳴を洩らし、ファルシオンが吹き飛ばされながら身を捩る。
だが、両脚が宙に浮いた状態では覚えた守りの技も十全には発揮できない。
カーク神父にしろ、チェルシーにしろ、しっかりと地に脚つけた技が主だ。二人から得た技術を生かしたいのなら、ダメージが増えるのも覚悟であの場で踏ん張るべきだった。
実際、あの二人ならば横腹を膝で抉られながら肘で蹴り足を潰しにくる位はしただろう。それ以前にこちらの旋回に反応して背後など取らせないだろうが。
吹き飛ぶファルシオンに、アンナは容赦なく追撃を加えた。
近寄らせまいと振るわれた曲剣の切っ先を逆手に握ったダガーで払って叩き落とし、亜麻色の髪が掛かる肩口へとショートソードを振り下ろす。
銀光の尾を引き、鋼が吸い込まれ――浅くめり込んで止まった。
「お? 硬い」
間違っても致命傷や大怪我にならぬ様、威力を調整した一撃ではあったが……それでも魔装の防具を斬り裂き得る斬撃を受けとめた防具に、少しばかり感心する。
その間に、衝撃と痛みに動きの乏しい表情を微かに歪めながらもファルシオンは後退して体勢を立て直した。
膝蹴りの方も思ったよりはダメージが無いようだ。
並みの魔装ならば肋骨に罅くらいは入っている筈なのだが……少なくとも眼前の少女にその素振りは見られない。
肩への一撃も硬度で受けるというより弾性で威力を緩和した様な手応えだった。従来の金属魔装と、自分達の隊服にも使用されている布製魔装――両方の性質を併せ持っている防具なのかもしれない。分類的には駄犬の使う魔鎧の装甲が近いだろうか?
かなり有用そうなので出所を聞いてみたいが……まぁ、試合が終わったら話を持っていくとしよう。
先の攻防から、待ちの姿勢では圧し潰されると判断したか、ファルシオンが打って出た。
加速の勢いを乗せた曲剣の打ち下ろしが弧を描き、お返しの様に肩口を狙う。
アンナが半歩横にズレて躱すと、なんとファルシオンは振り下ろす最中であった剣を一瞬手放し、空いていた逆の手で掴み取って横薙ぎに切り替えて来た。
剣技というより曲芸の類だ。二回戦でローレッタを下したジャックも似たような真似をしていたが……何気に流行っているのだろうか?
とはいえ、片腕で肩を入れて振るうソレはリーチも長く、威力も十分。
軽く後退し、身を反らして回避するアンナに対し、亜麻色の髪を靡かせて少女は更に踏み込んだ。
斬撃の動作を身体の回転につなげ、頭部を狙った蹴りが放たれる。
こちらは僅かに上体が傾いた体勢。受けるには少々踏ん張りが利かず、避けるにしても更に不安定な体勢になるだろう。
なので、アンナはそのまま後ろに倒れ込んだ。
鋭い蹴りが空気を穿って頭上を通過して行くのを眺めながら、剣を握ったままの拳を床に付き、両脚を蹴り上げる。
変則的なバク転から顎を狙っての爪先が強襲し、咄嗟に身を反らして避けた事で自身が仰け反る体勢となったファルシオン。
意図せず曲芸じみた体術でやり返した形となったアンナだったが――意表を突くというのならこれ位はやれ、と言わんばかりに更なる追撃を行う。
軽やかに縦に回った身体が一回転し、ブーツの先が床に着地した瞬間、鋼板入りの爪先が石畳を抉って継ぎ目にめり込む。
そのまま強引に脚を振り上げると、蹴り剥がされた石板が回転しながらファルシオンに向かって吹き飛んだ。
「――ッ!」
魔力強化を行える前衛にとっては然程脅威にならない。
が、縦横1メートルはあろうサイズの物体が視界一杯に広がった事でファルシオンは咄嗟の判断に迷った。
回避か、迎撃か。兎に角動きを止める事こそが悪手であると、瞬時に動揺を押し込めて前者を選ぼうとして。
――眼前に迫った石畳が爆砕され、その向こうからブーツの靴底が叩きつけられた。
蹴りと言うより破城鎚の如き重低音を響かせ、ブーツとの間に差し込まれた曲剣に亀裂が走る。
殆ど反応出来ず、ファルシオンは後方へと弾き飛ばされた。
直撃しなかったのは単なる偶然……偶々構えていた剣の位置がアンナの突き蹴りの軌道上にあったというだけの話である。
予測を上回る速度、意表を突かれ続ける対応――そして、今の蹴りで思い知らされた、大きな差は無いと思っていた筈の身体強化の練度の差。
此処に至り、漸く少女は眼前の銀髪の騎士と自分との明確な差を認識したが、やや遅きに失した。
凄まじい衝撃を食らい、吹っ飛んでたたらを踏んだ自身の身体。
その奥の、砕けた石塊が舞い散る、更に向こう。
蹴り足を引いたアンナが、二刀を逆手に握って身を低く構えるのが見える。
ぎりぎりと全身の力を撓めて解放の瞬間に備えるその様は、攻城用の弩か、発射直前の大砲か。
両者とも同じ碧の瞳――その視線が交差し、アンナの唇が動いて何事かを口にした。
届く筈もない小さな呟きは、しかしファルシオンの耳にはハッキリと聞こえる。
"――歯ァ食いしばりなさい"
真っ直ぐに自分を見据える瞳と不思議と伝わる言葉に、総毛立つ様な戦慄を覚えて。
無意識の内に顔を強張らせたファルシオンは、チェルシーとの戦いで学んだ交差法――ではなく、反射的に剣を掲げての防御を選択した。
――瞬間、黒い外套を纏った流星が、銀の尾を引いて発射される。
音の壁を突き破って衝撃派を撒き散らしながら一直線に突き進んだ地上の流れ星は、直線状にいた亜麻色の髪の少女を直撃。
硝子が割れる様な音を立てて、彼女の手にした魔装の曲剣が粉砕される。
武器を破壊して尚、勢いを緩める事無く胴へとめり込んだ二刀の柄から伝わる衝撃に、少女の意識が一瞬で飛び。
暴走する馬車に跳ね飛ばされたってこうはならないだろう、という勢いでファルシオンの身体は錐もみして宙を舞い――武舞台と観客席とを隔てる魔力の障壁に叩きつけられた。
そのまま場外の地面へと落下した彼女に慌てて大会のスタッフが駆け寄り……派手にやられはしたが、重大な負傷は無い事に胸を撫で下ろす。
残心を保ったまま、一撃を叩き込んだままの体勢であったアンナが、ややあって長い吐息を肺より吐き出した。
「……怖さを知らない奴の技には同じ物が足りなくなる――知れたなら、あとは乗り越えるだけよ、ファルシオン」
『け、決着ぅーっ! やはり優勝候補は強かった! 後半は圧倒的な実力を見せつけての貫禄の勝利! アンナ=エンハウンス、見事、決勝進出ですっ!』
二刀を鞘に納め、回復魔法を施されている気絶した少女に口の中だけで激励を呟く銀髪の騎士へと、実況席からの勝者宣言が贈られる。
豪雨の如く降り注ぐ興奮と賞賛の歓声・拍手の中、なんとなく勝ちを殊更にアピールする気になれなかったアンナは静かに踵を返し武舞台を去ろうとして。
後から駆け付けたのか、観客席の最も上段の端っこで他の観客に混じって呑気に声援を上げている馬鹿の姿を発見して、ちょっと笑うと――結局は拳を突き上げて周囲の声に応えたのだった。
「……やっぱりアンナさんが勝ったか。まぁ、順当かな」
獅子の方角、選手控室にて。
次の試合に備えて会場入りし、黙々とウォームアップを行っていた黒髪黒瞳の美青年――シンヤは聞こえてきた歓声と実況の声に当然とばかりに頷いた。
途中までは彼も彼女達の戦いを観ていたのだが、早々に結果が見えたので控室に戻り、こうして自身の試合に向けて準備を行っている。
ファルシオンの急激な成長は確かに驚いたが、それでもアンナには一歩どころか五歩も六歩も及ばない。
出来ればアンナの手札――というか底を見ておきたかったが、あの亜麻色の髪の少女がそれを引き出すのは難しいだろう。
何より――。
「次の相手が相手だからなぁ……決勝の前に、確実にこの試合を勝ちにいかないと」
準決勝第二試合、シンヤの対戦相手である疵面の剣士。
底を見せていない、という点ではアンナと同じだが……なんとなく、この大会の出場者の中で一番に"怖い"のはあの男であると彼は判断していた。
まぁ、どれだけ強くなっても、強面な相手や粗暴な輩を見ると最初は苦手意識が出てしまう自分の性格もあっての事なのかもしれないが。
アンナもファルシオンも速さと技量を持ち味とする戦い方だが、それでも舞台の破損はある程度出るだろう。
武舞台修繕の間、先の二回戦より更に入念な準備を行うシンヤの耳に、苛立った――なんともヒステリックな怒鳴り声が聞こえて来る。
「……なんだろう? 関係者以外は立ち入り禁止の筈だけど……」
声の主は控室の並ぶ通路にいる様だ。男性のものらしき、ひどく喧しいソレに眉を顰めて立ち上がる。
注意したいけど、試合直前に変なトラブルは御免だなぁ……などと意外とドライな事を考えつつ、シンヤはそっとドアを開けて通路の様子を伺った。
「ま、全く、なんて様だ! お前の調整に数日掛かりっきりだったんだぞ! か、勝てなかったのは目を瞑るにしても、ま、まともな有効打すら入れられてないじゃないか!!」
「……申し訳ありません」
先に述べた様に、ひどく耳障りな怒鳴り声を上げているのは、痩せぎすの男だった。
年の頃は中年ほどか。陽に焼けていない、不健康そうな顔色に全く手入れされていない乱れた頭髪。
叫ぶ傍ら、苛立ちを押さえきれずに頭を掻きむしるその表情は、眼ばかりがぎょろぎょろと神経質そうに蠢き、口元は噛みしめられて落ち着きが無い。
そんな男に怒鳴り付けられているのは、先程試合を行ったばかりの少女、ファルシオンだった。
試合後に医療スタッフに手当を受けたのか、身体の各所に包帯が巻かれ、頬にはガーゼが当てられている。
「あの人の保有魔力量は把握していましたが、そこから概算される身体強化率は予想を超えていました。何より、彼女が言うには私の技には――」
「言い訳はいい! お、お前の現在の戦闘性能であぁまでいい様にやられる事はありえないんだ!」
淡々と、だが何処か懸命に試合の経緯らしきものを訴えかける少女の言葉は、癇癪の度合いを増した男の声に遮られる。
苛立ち紛れに男が包帯の巻かれたファルシオンの肩を強く突き飛ばしたのを見て、思わずシンヤは控室から飛び出しそうになるが――微動だにしない彼女と突き出した掌と手首を抑えて顔を歪めた男を見て、辛うじて声を上げるのを押さえた。
その間にも、男は俯いて何やら独り言を零し続けている。
「くそっ……ど、どうする。試験代わりに、こ、この催しに出したというのに……こんな結果では、あ、あの方がなんと言われるか」
「……先生、私は……」
「う、うるさい!! お、お前は黙ってろ!」
挙動不審になって爪まで嚙みだした男に躊躇いがちに少女が声を掛けるが、癇癪を爆発させた男が再び怒声を上げてそれを遮り――とうとう手を振り上げた。
「――ッ、おい、何してるんだ!」
それを見たシンヤも、我慢しきれずにドアを押し開けて声を上げ、飛び出して。
「――やっぱこうなってたか。八つ当たりは良くないな」
振り下ろそうとした男を手を背後から現れた人物が掴み取って制止する。
気配も感じさせず、唐突に現れたその人物を見て男が顔を歪め、ファルシオンが意表を突かれたように軽く目を見開いた。
「き、貴様……!」
「……ジャック様」
シンヤにとって、そしておそらくは通路の二人にとっても意外であろう剣士の登場に、当人以外の全員が硬直する。
男の手を掴んだまま、肩を竦めたジャックは噛んで含める様にゆっくりと口を開いた。
「お嬢ちゃんを試合に出すと言い出したのはお前さんで、今のお嬢ちゃんなら、あの副隊長さんとも互角に戦えると太鼓判を押したのもお前さんだ――自分の目論見や皮算用が外れたから当たり散らすってのは、少しみっともないんじゃぁないかね?」
「……っ、ぶ、無頼者が、な、なにを偉そうにっ…!」
もう完璧に子供に言い聞かせるトーンのジャックの言に、ドクと呼ばれた男が怒りに顔を赤黒くして歯軋りするが、それには頓着せずに疵面の剣士は顎をしゃくり――控室から飛び出した体勢のまま、所在無さげに立ち尽くすシンヤへと眼を向ける。
「ほれ、こんな場所で喚き散らしてるから、女泣かせの王子様が飛び出してきちまった。人払いするにしても限度があるんだ。いい加減、癇癪は引っ込めろって」
シンヤとしては物申したい言われ様だが、流石に他人の目がある場所でこれ以上喚き散らす気は無いのか、男が苦々しい顔つきで手を下ろした。
「……ふん、も、元から貴様の遊びに便乗しての試験だったんだ。き、貴様がそこの《水剣》や《銀牙》にぶ、無様に負けたら、あの方はなんというか、た、楽しみだよ」
「はいよ、叱られない様に精々真面目に戦らせてもらうさ。いいから早く帰れって――お嬢ちゃんも、帰ったら傷の治療を優先しろよ?」
適当感溢れる仕草で手を振るジャックに、男がギョロリと苛立ちを込めて一睨みし……足音荒く踵を返して上階の通路へと続く方向に向けて歩き出す。
その後に続いた亜麻色の髪の少女は、一度だけ此方を振り向くと丁寧に頭を下げ――男の後を追って通路の奥へと消えていった。
残された男二人、なんとなく沈黙したまま、横目で視線を交し合う。
「……ま、とりあえずは丸く収まったって事で」
「僕なんにもしてないですけどね」
「ははっ、流石の女誑しも今回ばかりは出遅れたって事かね?」
「その評価には全力で異議を申し立てたいです――今はそれよりも聞きたい事がありますけど」
物言いたげなシンヤの視線に、再び肩を竦めたジャックが別に大した事じゃないさ、と応じる。
「お察しの通り、あの二人とは知り合いでね。あのドクって男は見ての通り、あぁいう奴だからな……嬢ちゃんに当たり散らすんじゃないかと思ってね、様子を見に来たのさ」
無精髭の生える顎を撫でて「ガラじゃないんだけどな」と呟く剣士に、シンヤも取り敢えずは納得して頷いた。
「まぁ、他所様の事情に軽々しく首を突っ込むのもアレなんで、詳しくは聞きませんけど……あんまり放置して良い類いの人じゃない様に見えましたけどね、あの男性」
「返す言葉も無い」
三度肩を竦めたジャックの台詞には、何処かしみじみとした同意の感情が滲んでいる。
あと数十分もしない内に準決勝の舞台で武威を比べる男達は、互いの間に温い空気が漂っているのを自覚して切り替えを図った。
「騒がしくして悪かったな、《水剣》の。俺は竜の方角の控室に戻るとする」
「いえ、女の子への無体を止める為に来た人を咎めようなんて思いませんよ……まぁ、だからって試合で勝ちを譲ってあげるまでは出来ませんけど」
「ハハッ、言うねぇ。何だかんだ言ってもお前さんも男の子ってことかい? ――良い面で笑うじゃないか」
決勝に残るはどちらか一人。
どちらであっても、一足先に優勝に王手を掛けた銀髪の少女と比武にするに相応しい強さを備えた両名は、今度は口の端を吊り上げて不敵な笑みを交し合う。
慌てることは無い。どうせ少し待てば、どちらが勝ち残るのか結果が出るのだから。
「じゃぁ、後でな」
「えぇ、後で」
そんな風に、短なやり取りをして。
疵面の剣士と黒髪の魔法剣士は、互いに背を向けて自身の控室へと歩き出した。