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動き出す者達 2




「……知らない天井ッス……」


 ひび割れた唇から掠れた声が零れ落ち、トニーは反射的に身じろぎを行おうとして――身体中に走る激痛に呻き声を上げた。


(痛ってぇ……とはいえ、あの状況から生きてるだけでも運が良い方、か……)


 先ずは身体状態のチェック。

 斬られた胴――これは保険として服用している霊薬の効果と……この部屋に自分を寝かせたであろう誰かが治療を行ったのか、思ったよりマシな状態だ。流石に派手に動けば傷口は直ぐ開くだろうが。

 自分を斬ったあの転移者の男の技量を考えれば、傷口には相当な攻性魔力が残っていた筈だ。普通の魔導士や聖職者では治癒は困難を極めるだろうが……治療してくれた者は回復魔法以外にも医学の心得を持っているらしい。血管や神経周りに回復魔法を注力させ、他は縫合止血諸々の医療的処置も並行することで上手い事傷を塞いでくれた様だった。

 右腕にしても同様だ。かなり深く裂かれたので切断も覚悟していたのだが、これまた丁寧な治療によって傷を塞がれ、きちんと胴とくっついている。

 流石に殆ど動かないが、まぁこれに関しては仕方ない。繰り返すが生きているだけでも御の字だ。

 重症には違いないが生命活動の維持には支障なし、無理をすればある程度は動けない事も無い、といった処か。


 次は周囲の状況だ。

 痛みを堪えながら首を巡らせて、自身が寝かされている部屋と、窓から見える景色を確認。


 見た処、よくある宿屋の一室だ。高級宿では無いが掃除の行き届いた良い部屋である。

 切り裂かれたままではあるものの、洗濯されたのか汚れの無い己の隊服が壁に掛けられ、吊るされていた。

 ベッドに寝ている状態からでも見える窓の景色は、見慣れた石造りの建物群に祭りに併せた旗や飾りがぶら下っているのが見て取れる。

 聞こえてくる陽気な喧噪も加味すれば、帝都内――祭りも開催中なので、時間も数日と経っていないのは間違いないだろう。

 自身の状態、特に拘束や監視の眼も無い状況で寝かされていた事。

 あまり楽観視はすべきでは無いが、どうやらそう悪い状況でも無いらしい。


(……親切な観光客が拾ってくれたって感じッスかね? 出来れば直ぐに移動を開始したいけど……)


 礼の一言でも述べるか、最低でも書置きくらいは残して行きたい処だ。左手でも文字を書けなくはないが、肝心のペンと紙は見える範囲には無い。隊服に仕込んでいたものは水に浸って全滅だろうし。

 宿の名と場所さえ把握しておけば後から礼をする事も不可能では無い。が、観光客であれば何時までこの宿に居るのかも分からない。

 助けてくれた相手に礼も返せないままという不義理はトニーとしても避けたいのだが、さて、どうするか。


 取り敢えず身体を起こし、軋む全身に鞭打ってベッドから抜け出そうとする。

 そこでようやっと、衰弱して鈍くなった五感が部屋に近づいてくる足音と話し声を捉え、トニーは部屋のドアへと眼を向けた。

 そして、数秒と経たずに扉が開かれる。


「今日も成果があるとは言い難いですね……やはり彼が一番の情報源となりそうです」

「そうは言っても、あの糸目も相当に重症よ? もう暫くは起きそうにないんじゃないの?」


 会話しながらドアを開けて入って来たのは、年若い男女二名であった。

 旅装を兼ねた装いの、聖職者の男と女魔導士――一見して冒険者であると察せられる格好の二人だ。

 両手に食料の入った袋を抱えた二人は、ベッドの上で起き上がったトニーを見て軽く眼を見開く。

 が、トニーとしても結構な衝撃具合だった。

 なにせ、男女両方とも見覚えのある顔である。しかも、以前就いていた任務の都合上、あまり良い関わり方をしなかった者達だった。


「……これは……驚きましたね。目を覚ますにしても、最低でもあと二日は掛かると思ったのですが」

「……確かに驚いたけど、まぁ、早い分には良いんじゃない?」


 言葉の通り、驚きと――同時に僅かな警戒を滲ませて重症の自分を見つめる二人……嘗て、北方での潜入任務に従事していた際に、仮初の立場にて敵対関係にあった冒険者達の顔を見て。


「あー……どうも。とりあえず……お水を頂けないッスかね?」


 なんとなく経緯や状況を察したトニーは、直ぐには王城に戻れそうにもないと判断して動く左手で頭を抱えた。










 処変わって、帝都王城。

 最上階にある、皇帝の居室にて。


「過去の亡霊、ですと?」

「あぁ。あの三枚舌――シュランタンの奴も戯言の域を出ない流言だとは言っていたがな」


 政敵といえる旧貴族派の首魁との秘密の会合を終え、帝国皇帝たるスヴェリアは知り得た情報を元に己の右腕であるレーヴェ将軍と意見の擦り合わせを行っていた。

 伯爵との約束故に、彼が個人的に嫌がる部分についてはレーヴェを相手に話す事は出来ないが、それでも得た情報は多い。

 今上げた話題もその一つ――シュランタンの領地にて静かに広まっている噂話についてであった。


 嘗ては辺境伯が治めていたサーリング伯爵領。

 戦争が終わった今、その地に本来の正しき主が――スターディン辺境伯が還って来ると。


 スターディン家は元より武名高い帝国の名家であったが、女神の加護厚き異界の者――転移者を血筋に迎え入れる事で更にその功績を伸ばし、最終的には辺境伯の位を得るまでに至った一族だ。

 元より転移・転生者(かれら)を積極的に受け入れている帝国ではあったが、武闘派であるスターディン家は特にその傾向が強い家の一つだった。

 事実、当時の……()()の当主は過去に迎え入れた転移者の血筋が強く出たのか、黒髪であったという。

 昇爵の後、嘗ては南部の広大な領地――現在はサーリング伯爵領となっている地を拝領し、土地の肥沃さもあって順調に領地を運営していた辺境伯。

 それが没落……否、貴族としては完全に断絶したのは、スヴェリアが即位する遥か前、二代前の先帝時代の出来事が原因である。

 当時の邪神の軍勢は散発的な小競り合いを各地で起こす、程度が主であり、極稀に大きな戦いを引き起こすが、戦争の火種は大陸全体で見ても小康状態、と評して良いものであった。

 後の時代になって、連中が攻勢を強める為の準備期間であったと言われる事になるが……当時の者達からすると休戦期のような認識であったと思われる。

 そんな中、統率の取れた士気高い兵を有するスターディン辺境伯は自身の領地の防衛は勿論の事、近隣の領への援軍なども精力的に派遣し、名声と貴族の支持――取り分け南部周辺の地方領主達の信頼を集めていた。


 それが隠れ蓑であったのか。

 或いは――当時の皇帝や有力貴族に危険視されたが故だったのか。


 辺境伯に、一つの嫌疑が上がる。

 内容としてはシンプルであり、そして帝国貴族……否、この地に生きる者全てにとっての重罪。

 即ち、邪神の軍勢との内通である。

 スヴェリアも当時の資料を漁った事があるが、辺境伯が信奉者と思わしき者達と接触した事自体は、どうも事実であるらしい。

 とはいえ自身から行ったものではなく、あくまで信奉者側からのコンタクトであり、そこで何某かの密約が結ばれたという確たる証拠は無い。

 当時のスターディン家の評判や領民からの評価、記録に残る辺境伯当人の人品・気質から考えるに、寧ろ接触を図って来た邪神の配下達の取引や要求を突っぱねた可能性の方が高かった。


 だが、結果として嫌疑は晴れず、辺境伯は質疑応答の為に帝都に召喚され――不自然な程のスピード裁判を経て、そのまま売国奴と人類種の裏切者の烙印を押され、爵位と領地を失った。


 ぶっちゃけ、傍から見ればどうみても謀略で辺境伯を失脚させた様にしか見えない。

 当時の調書などを見ても不自然な点が多すぎる。確信を抱けるレベルの資料を閲覧できるのは皇族たるスヴェリアだからこそ、というのはあるのだが。

 正直に言えば、悪手としか言いようが無い、というのが感想であった。


 過去に貴族としての疵も無く、休戦期に入っていたとはいえ、自国にて特に高い防衛力を誇っていた優れた領地経営を行っている辺境伯を、強引にも程があるやり口で失脚させる。

 南部全域が辺境伯の派閥化する事を危惧したのだとしても、方法が性急かつ杜撰に過ぎた。

 そこにはスターディン家の功績を妬む者、危険視する者、かの領地の肥沃な土地を欲深い眼で見る者――様々な貴族と……恐らくは先帝の意思が介在し、その思惑が絡まった結果なのだろう。

 普通ならブチ切れて反乱待ったなしであるが、良くも悪くも古いタイプの武人気質であった辺境伯は『家族の命と名誉が保証されるならば』と、その結末を受け入れたという。

 それが彼なりの仕えた国への最後の奉公であったのか、母国への失望故の失意の選択だったのか、残された資料からは読み取れることは無かったが。

 興味を惹かれ、当時の資料に眼を通した若き皇太子であったスヴェリアに「駄目だこの国。俺が纏めねーと将来空中分解待ったなしだわ」と、流血・粛清も覚悟の大改革を決意させる一因となったのは確かだった。


 レーヴェも辺境伯に纏わる一件は軍部を預かる者として聞き及んでいるのか、「ふぅむ」と一つ唸ると腕を組んで思案に耽る。


「……確か、辺境伯の御家族は僅かな私財のみを手に、帝国を出たのでしたかな?」

「実質追放だろうが、まぁそうだ。流石に爺様もでっち上げで失脚させた臣下の最後の嘆願を無碍には出来なかったらしいな。ここまでやっておいて半端な事だ」


 ならば最初から馬鹿な真似は思い留まれば良かっただろうに、と。現皇帝は先帝の煮え切らぬ選択を苦々しい表情で切って捨てる。

 元より道理から外れた方法・思惑で臣を切り捨てたのならば、その選択を以て徹頭徹尾、後の禍根を残さぬ様に振舞うべき――それこそスターディン家は一族郎党ごと処刑すべきであった。

 事の成否や善悪の問題ではない。

 どういう経緯にせよ、仮にも大国の王が()()と決めたのなら、自身の罪悪感や良心の棘など脇に置くべきであったのだ。

 新たな派閥の台頭を恐れた貴族共の声を押さえつける事も出来ず、漠然とした不安要素のみで有能な家臣を危険視して失脚させておきながら、非情に徹した決断も出来ない。

 スヴェリアからすれば正道から外れ、外道にも徹せぬただの臆病さの生んだ愚行でしかなかった。


「ま、だからこそ、早々に引退してもらった訳だが」


 私人としては、家族としてはそう悪い人ではなかったと思う。

 だが、人類種最大国家たる帝国の玉座に座り続けるのには、足りぬものが多すぎる人物だったのだ。祖父にしろ……その後を継いだ父にしろ。

 だからその座より引きずり下ろした。外なる世界からやってきた悪辣極まる神との戦い――その最中にあって国を纏められぬ様では、皺寄せを喰うのは帝国全土の民であるが故に。

 過去に触れた事で少しばかり感傷的な気分になるが、すぐに切り替えてスヴェリアは後の辺境伯についての情報を脳内で整理し、己の右腕に語る。


「現状では例の誘拐・人身売買と関りがありそうな話では無いが……シュランタンが言うには噂の発生時期が『態とらしい』らしくてな。一応はお前と共有しておこうと思った」

「……と、仰ると?」

「時期が被るらしい。それまで全く耳にしなかったというのに、唐突に生えて来た噂らしいからな。広めた奴の作為を感じるのは確かだ」


 蛇の如きかの伯爵が言うには、調査の開始に合わせて意図的に広め始めた様な噂の広がりであるという。

 そもそもこの様な噂が立つ《《土壌》》が現伯爵領には無い。

 嘗て土地を治めていた領主が不当に国を追われ、再び還って来て奪われた土地を取り戻す――歌劇などで題材に上がりそうな話ではあるが、この手の話が広がるのは民衆にとっての『希望』となるからだ。

 現実でそれが可能かどうかは別として、悪政に喘ぐ民にとってはそういった話は心折れぬために縋る、か細い光ともなりえるのだろう。

 だからこそ皆、口に登らせる、広まる。

 だが、その前提――悪政や重税に喘ぐ民、というのがサーリング伯爵領には縁遠い話だ。


 以前にも言ったが、シュランタンは自領の統治に関しては名君と評しても良い。

 自身の領地――その土地は勿論の事、そこに暮らす民とは、須く自身の資源であり、財産であると公言して憚らない男は、だからこそ自分の財産の見栄えが粗末である事を良しとしない。


『薄汚れてくすんだ金貨など、貴族として扱いはしないでしょう? 民も同じことです。私の財産である以上、身嗜みを整える程度の余裕は持たせて然るべきですからねぇ』


 下々の豊かさとは、即ち領主の統治能力の証明であり、磨かれた金銀銅貨の輝きと同じく、財産としての価値の指標でもある。

 そう嘯く伯爵の領地は、生活水準の高さという点では帝都に次ぐものであり、例外――下限である悪所や其処に住む孤児や難民に関しては、その数の《《少なさ》》はおそらく帝国一だ。

 認めるのは業腹だが、その領地経営の手腕は帝国皇帝たるスヴェリアをして見事、と評する他ないもの。

 先に述べた辺境伯が戻って来る、という噂自体が広まる余地が存在しないのである。


 にも関わらず噂話として定着しているということは、やはり意図を以て広める者がいる、という事だ。おそらくは。

 タイミング的に件の誘拐事件と無関係とは思い難い、と会合の場でシュランタンが切り出した話ではあったのだが……。


「そうだとしても、意図が読めませんな」

「まぁ、そうだな。調査の攪乱の為だとしても露骨過ぎる――そもそも何故今更スターディンの名を使うのかも分からん」


 帝国の皇帝とその右腕たる重鎮は、揃って腕を組んで頭を悩ませる事となった。

 帝位に就いたスヴェリアが国内を纏め上げる際、スターディン家の者達を呼び戻せぬかと、帝国を出た後の彼らの足取りを調べた事がある。

 今回の噂話ではないが、過去に不当に領主としての地位を追いやられた事を理由に、サーリング伯爵領を一部割譲させて宛がう事で、自身の派閥に返り咲いたスターディン家を取り込みつつ、シュランタンの力を削ぐつもりだったのだが……北方入りしたという情報以降、彼らの一族の情報は殆ど入って来ていないのが現状だ。

 スターディン家の復興は祖父のやらかしに対する詫びも兼ねていたので、最後には貴族派に気取られる事も構わずに国として正式に呼びかけを行ったのだが……今現在になっても、辺境伯の血族たる者達は現れていない。

 散り散りになり、完全に民の中に溶け込んでいったのか、もしくは二度と帝国に仕える気が無いのか。

 以上の事をふまえても、とにかく噂話とやらには不自然で意図の読めない――それこそ無意味にしか思えない点が多かった。


「すっきりしないが……現状では一旦棚上げするしかないな。どのみちシュランタンの領地の話だ、此方では情報が手に入れ難い以上、推察を組み立てるだけの材料が足りん」

「一応、(ティグル)にも話はしておきましょう。アレの知見ならばまた違った意見も出るやもしれませぬ」

「また熱を出して臥せっていると聞いたぞ? 奴の助言は有難いが無理はさせるな。この件のみならず、まだまだティグルの頭が必要になる事は多い、本格的に倒れられでもしたらたまらん」


 トニーが行方知れずな事も含め、問題と疑問が増えるばかりで進展が見られない状況に辟易としつつも。

 責務を果たすべく、人類種最大国家の皇帝と将軍は次なる話題に移るのであった。










 帝都の入り組んだ路地裏を、二人の騎士が足早に歩く。


 一人は苛立った様子も隠さず、荒々しく足早に。

 それを追うもう一人は、先に歩く騎士を追う様にやや速足ではあるが、落ち着いた歩みで。


「少し落ち着け、シャマ。そんな物騒な表情してたら孤児どころか物盗りの類だって寄ってこないぞ」

「うっさい。誰が副長みたいな顔してるってのさ」

「お前サラっと副長本人に聞かれたらヤバい事言ってるって自覚ある?」


刃衆(エッジス)》の二名――シャマとローガスは、現在行方不明となっている同僚(トニー)が巡っていたと思われる場所を、順番に虱潰しで調べていた。

 就いていた任の内容からして、場は自然と都市各所の悪所に当たる場所だ。

 トニーを目撃した者がいないか聞き込みを行うのがもっとも単純かつ手っ取り早いのだが……苛立ちを隠せていないシャマの放つ空気を感じ取ったのか、こういった場所の住人達は隠れるか、距離を取ってしまって出てこない。


 靴音高く荒れた様子で先を歩く若い同僚の背を眺め、ローガスはこっそりと溜息をついた。


 仕事を放り投げて仲間の捜索の為に飛び出して来た形なので、二人とも隊服の外套(コート)は着ていないのだが……《刃衆(エッジス)》である事を知らずとも、今のシャマを見て格好ばかりの女騎士などと判断するのは、鈍いを通り越して危機管理能力の欠如した馬鹿の類と言って良いだろう。

 このような場所で、年若く見目の良い女性と連れ立って歩いていてもゴロツキの類に全く絡まれる事が無いのは面倒が無くて良いのだが……肝心のトニーを目撃したであろう、孤児を筆頭とした路地裏の住人達まで全力で離れて遠巻きでこちらの様子を伺っているので、捜索は初っ端から難航してる。

 シャマとてそれは分かっているのだろう。だが、仲間(みうち)が絡む事に関しては喜怒哀楽問わず感情の起伏の激しい彼女は、完全に激情を押さえつけるのは難しい様だ。


 腕っぷしは一流でもやはりまだまだ若い。シャマの場合は本人の気質も多分にあるのだろうが。

 ローガスも行方の知れないトニーの事は心配ではあるが……今朝、執務室で上司(アンナ)が言っていた様に最悪のパターンまで行ったとは思ってない。

 元・冒険者の自分から見ても、あの狐を思わせる同僚の丁寧な事前準備やリスクの取捨選択は呆れと感心を抱くレベルだ。

 決して安くは無い霊薬や魔法を仕込める道具などを経費で落とし切れずに自腹を切ってでも用意している様は、ちゃんとプライベートを楽しむ時間と給金をとってあるのかと心配になる程である。

 溜息の代わりに苦笑いを零して、ローガスは懐から取り出した煙草を咥えた。

 火を付けようとした処で、咥えた紙巻き煙草に褐色の指先が伸ばされ、摘まみ取られてしまう。


「いい加減吸うのやめろし。臭いし煙いし、キライなの」


 先を歩いていた筈のシャマが、戻ってきて取り上げた煙草をクシャッと折り曲げてしまった。


「あぁ、勿体ねぇ……紙巻きは意外と良いお値段だってのに」

「なら尚のこと禁煙しなよ。何度言っても聞きやしないヤニカスおじさんとかちょーウザいんですけど」


 只でさえ機嫌が悪いのに、更に半眼になってローガスの胸元――煙草を入れたケースの入ったポケットを見て嫌そうに顔を顰める金髪褐色肌の少女。

 煙草が苦手と言うが……彼女は元は特定の国に居付かない放浪の民の出だ。

 確か、放浪の民の間では水煙草が多く普及していたと聞く。実際、最初にローガスが吸っている葉巻や紙巻きを見たシャマも珍しそうに「へー。小さくて持ち歩きやすそう」などと含み無く言っていた。


 口喧しく喫煙を咎めるようになったのは、以前ローガスが自身の祖父が肺を悪くしてぽっくり逝ったと、酒の席で話してからである。

 祖父も自分と同じく愛煙家だったが、酒と煙草の無い人生なんぞ生きてる間に食べる肉を一切塩を使わんで食うのと同じだと嘯いていた爺だった。

 少なからず生活習慣が原因だったのだろうが、悔いなど無いだろう。クソジジイではあったがそこは自分も肖りたい、と。そんな風に語った記憶がある。


 まぁ、それからだ。眼前の同僚がこちらの一服をいちいち見咎めるようになったのは。

 なんというか……天涯孤独の身軽な独り者を謳歌している身の上でありながら、偶に姪か娘に嗜好品について注意されている様な気分になるローガスであった。


「……なんで笑ってんの? 意味わかんない」


 益々不機嫌そうに眉根を寄せる同僚の言葉に、自覚なく苦笑が漏れていた事に気付いてローガスは誤魔化す様に咳払いを一つ。


「まぁ、それは置いといてだ」

「置くなよ、煙草やめろって言ってんだよ。そんなんだからネイトさんと違って未だに独り身なんだよ」

「失敬な、独身貴族と言え――とにかく、住人が怯えて話を聞けてないだろ。俺が前に出て話を聞いて回るから、一旦下がってなさいって」


 その間に煮えた腹を冷ましておけ、言外にそう含みながら頭一つ以上低い場所にある金髪の頭頂部を掌で掻きまぜる。

 今の自分では埒が明かないとは思っていたのだろう。鬱陶しそうにローガスの掌を押し退けながらも、シャマは不承不承ではあるが頷いた。


「……それは分かったけど、いい年齢(トシ)したおじさんが気軽に女の子の頭撫でるのやめろし。ふっつーに衛兵案件なんですけどー」

「そりゃ失敬。飲みに行った先の娘は喜んでくれるんだがなぁ」

「どうせ娼館でしょ。客相手なんだから当たり前じゃん。商売抜きで喜ばれたいなら、十年若返って酒も煙草もやめて骨格単位で美形になってからにして欲しいんですけどー」

「生まれ変われと言ってるのと同じレベルだろ、それ」


 敢えて何時もの調子で会話をするローガスの意図を汲んだのか、シャマも幾分か普段の調子を取り戻す。

 ――が、直ぐにその顔は何かに気付いた様に眉が跳ね上がり、次の瞬間には厳しい表情となった。


「血の匂いがする」

「――! そうか、距離は?」

「けっこー近い」


 微かな風に乗って流れて来たのは、錆びた鉄の臭い。

 眼に見える範囲にはそれらしきものは無いが……それでも臭いが届くという事は、近場で結構な量の血が流れていると言う事。

 端的にやり取りすると、アイコンタクトすら無く二人は駆けだした。

 シャマの先導で慣れぬ路地裏を静かに、だが素早く走り抜け、それぞれの得物に手をかけながら血臭の発生源へと向かう。

 なにぶん、表の人間は出入りする事の無い路地裏だ。ここらの地理に詳しい訳でも無く最短距離とは行かなかったが、それでも幾つかの角を曲がり、狭い道を抜けると少しばかり開けた空間――血の臭いの発生源へと辿り着いた。

 五感の鋭いシャマだけでなく、ローガスにもはっきりと感じる様になった血臭に、警戒を強めながら《刃衆(エッジス)》の二人は現場へと飛び込んで――。




「オラ、てめぇらのお仲間は他に居ねぇのかって聞いてんだよ。汚ねぇ悲鳴ばかりあげてんじゃねぇ、殺すぞ」

「ヒィィィィッ!? ま、まって、待ってください! お、俺達が知ってるのはこの辺りの奴らだけなんです! それも多分アンタが潰しちまったから他には知ってる奴は残ってないんです! し、信じて下さい!!」




 ガラの悪い、如何にもゴロツキといった風情の男の頭を鷲掴みにして持ち上げているのは、それ以上にガラの悪そうな痩身の魔族の男だった。

 転移者以外では非常に珍しい黒髪の魔族は、舌打ちするとゴミを捨てる様にゴロツキを放り捨てる。

 軽く放った様に見えたが、ちょっとした投擲具並みの速度で手近の建物の壁に激突した男は、潰れた蛙の如き悲鳴を上げて血反吐を吐きながら地に転がった。

 周辺には他に何人もの……これまた如何にもゴロツキ、といった面構えの連中が死屍累々と転がっている。殆どがゲロか血を吐いて手足が明後日の方にひん曲がっていた。


 そして男の背後――おそらくはこれが血臭の原因だろう。


 其処には、多少開けているとはいえ、路地裏にあるには少々不釣り合いなサイズの歪な球体が鎮座している。


「う……あぁ……痛ぇ、痛ぇよぉ……」

「た、助けて、たすけてくれ……も、う、足を、洗う、から……」

「ひぃ……あぁ……足、俺のあしぃ……」


 球体から、様々な苦痛交じりの呻きが上がる。

 結構な人数の人体を適当に一纏めにし、へし折った其々の手足を固結びするように絡み合わせて作ったひでぇオブジェは、吐いた血反吐や四肢を捩じり折られて噴き出た血のせいでなんか全体的に赤かった。

 巨大な呪いのアイテムみたいな不気味な球体を制作したらしき張本人――黒髪の魔族は、振り向いてその近くまで歩み寄ると無造作に球体を蹴りつける。

 折れた四肢を強引に絡み合わせているせいか、軽く蹴っただけで全員に激痛が走るらしい。身も世もない呻きと叫びが路地裏に響き渡った。

 魔族の男はオブジェの中心部となっているゴロツキの髪を掴むと、乱雑に引っ張ってその顔を覗き込む。


「おい、笑えよ。弱っちいガキや雑魚を売っ払うついでに()()のは良い娯楽なんだろ?」

「うぎっ!?」

「その意見にゃ一部同意してやる。俺もテメェらみたいなカスに悲鳴を上げさせるのは気分が良い――珍しく娯楽を提供する側に廻れるんだ、もう少し嬉しそうにしろや」

「や、やめ……許し……!」


 絡まった無数の四肢、その内の飛び出ている一つを掴むと、魔族の男はその先端――指先を実に気軽に握り潰した。

 ペキポキと重なった小枝を踏み折ったときの様な音が響き、髪を掴まれていたゴロツキが白目を剥いて泡を吹きだす。


「あぁ、なんだぁ……楽しくねぇってのかよ? ガキを囲んでボコってたときはあんなに楽しそうだっただろうが」


 そう言って男が横目で見た先には、ゴロツキの服を剥いで作ったらしき敷物の上に寝かされた、顔の腫れあがった子供の姿がある。

 男の放つ尋常では無い威圧に押され、最大限に警戒して足を止めていたシャマだったが、無数に転がる街のゴロツキの群れの中に混じる気を失った子供の姿に気付くと、躊躇なく飛び出して駆け寄った。

 突然の闖入者である《刃衆(エッジス)》の二人には気付いているのだろうが、それには頓着せず、痩身の魔族はこれが見本だと言わんばかりに嗤う。


「――笑えよ。それとも、()()()()()()()のか?」


 耳まで裂けたと錯覚する様な笑顔を見せる男の、怒気混じりの凄まじい殺気に中てられ、地べたに転がった者や球体を構成している者の口から、必死さの混じる――引き攣った悲鳴にしか聞こえない笑いが漏れる。

 無理矢理に笑いながら泣き出し、嘔吐するゴロツキまで出始める始末だ。元より清潔感とは無縁の場所ではあるが、血臭と共にすっぱい臭いとアンモニア臭まで漂い出し、一応は街中だというのに戦場みたいな地獄絵図っぷりである。


 先の台詞からするに、子供……孤児に暴行が加えられていた処を助けに入った様だが、それにしたって過剰ともいえる対応だ。

 本来なら詰め所に御同行願い待ったなしなのであるが……ローガスは眼前の魔族に非常に見覚えがあった。

 一応は有名人な上、他国の要人でもあるのでシャマも知っている筈なのだが……トニーに関する事であっぷあっぷしている上、今は怪我をした子供を診ている彼女は普通に気付いていない様だ。


 自然、相手をするのはローガスという事になる。

 転がるゴロツキ連中と同じように引き攣りそうになる口元を堪えながら、彼は意を決して進み出た。


「……お久しぶりです《狂槍》の大将。なんというか、お変わりないようで」

「あン? ……お前、ローガスか? なんでこんな処にいやがる」

「いや、それは俺の台詞なんですけどね」


 男はネイトの――隊の顧問の師と言える人であり、自身も冒険者時代に世話になった人物でもあり、同時に魔族領の最高幹部でもあった。

 咥え煙草で対面出来る様な相手でも無い為、さきほどシャマが己の煙草を取り上げた偶然に感謝しつつ。


(やれやれ……こう言った胃の痛くなりそうなパターンの出会いや再会は、トニーの奴の受け持ちだったんだがね)


 現在必死こいて命の恩人達に説明と釈明を行っている同僚が聞けば、全力で異議を申し立てて来そうな愚痴を内心でこぼして、ローガスは奇妙な再会を果たした知人へ向けて、口火を切ったのであった。







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