動き出す者達 1
「どういう事よ副長!」
朝一番に、王城内の一室――《刃衆》に割り当てられた執務室にて怒声が響き渡る。
扉を乱暴に開け放ち、そのまま執務机の前まで鼻息も荒く詰め寄ったシャマは、叫ぶと同時に机に両の掌を叩きつけた。
鍛え上げた最精鋭、しかも前衛型の彼女が自重も躊躇も無くブッ叩いた分厚いマホガニーの机は、悲鳴の如く軋みを上げる。
日の出と共に執務室に入り、《大豊穣祭》における都市内各所での警備の配置予定と隊員の派遣が求められる箇所をチェックしていたアンナは、部下のせいで机の上から弾け飛んで散らばった書類を眺めて溜息をついた。
「ノック……は今更だけど、少し落ち着きなさいシャマ。アンタの足元に落ちたの、将軍閣下の印も入ってる重要書類なのよ」
普段なら「うげっ!?」と短い悲鳴を上げながら慌て、かつ恐る恐る拾い上げているであろうレーヴェ将軍の判が押されたソレを、金髪・褐色肌の少女は無言で引っ掴むと、乱暴に机の上に叩きつける。書類に皺が寄り、執務机は再び抗議の悲鳴を上げる羽目になった。
そのまま身を乗り出し、彼女は机を挟んで向かい合う上司へと怒りを滲ませた口調で詰め寄る。
「トニーの馬鹿と連絡が取れなくなってるって事、なんで言わなかったの」
「……私も知ったのは昨日の自分の試合前よ。というか、一応伏せてた筈の話なんだけど何処から知ったの」
「昨日の半休はあいつが都市外の任務に切り替わる前に、飲みに行く約束してた」
トニーがその手の約束を無断ですっぽかす事など無かった為、王城内で最近彼の就いていた任に関わりのある人員を問い詰めたらしい。
シャマの相当に苛立った様子からして、話を洩らした者を責める事は出来そうに無い。元より同部隊の人間という事もあって秘匿度合いは最低限のものだし、《刃衆》の隊員に本気で詰め寄られる、或いは締め上げられても口を閉ざし続けろ、というのは中々に気の毒な無茶振りではある。
再び溜息が漏れそうになるのを堪え、アンナは書類を回収して一纏めにすると執務机の端に寄せた。
「――で、朝から執務室に飛び込んできて、私を問い詰めるのが目的じゃないんでしょう?」
「決まってる。捜索隊を組むから人を廻して」
「先ず隊長に話を通しなさい」
「その隊長が陛下の気紛れで引っ張られていないの! ネイトさんも同じく見ないし、現状で許可を出せるのが副長だけなんだって!」
三度、机が叩かれて軋む。アンナとしても仕事中に執務机の脚がへし折れるのは御免なので、あとで傷んでないか確認が必要になりそうだ。
とはいえ、今は目の前の荒れる部下の対応が先である。
アンナは極力感情を押さえた、淡々とした口調でシャマの要請を突っぱねた。
「却下よ。不測の事態に巻き込まれたにせよ、《刃衆》が都市内でのトラブルで不覚を取ったとは考えづらい。もう数日は様子見、っていうのが上の判断なの」
「――ッ、アンナ!!」
眦を吊り上げ、今にも此方の胸倉に手を伸ばしそうなシャマに向け、やはり淡々と「副隊長と呼びなさい」と返すアンナ。
普段の言動がかなり独特というか、ともすれば初対面の人間には軽薄そうなイメージすら与える部下ではあるが……その実、シャマダハル=パタという娘がひどく仲間意識が強く、部隊の人間を家族にも近しい『身内』であると認識しているというのは、隊に所属する者なら誰しも分かっている事だ。
大戦中、最前線での遊撃役を担う事が多かった《刃衆》だが、如何に最精鋭とはいえ、その任の危険度もあって人的損耗も皆無とはいかなかった。
全員の消耗が激しい中、上位のモノも混じる複数の邪神の眷属と相対する羽目になり、壊滅の危険がある状況に陥りかけた事すらある……まぁ、そのときはヘラヘラとした態度で横入りしてきたどこぞの駄犬が普通に眷属をぶっ殺して帰っていたのだが。
そんな風に、危機的状況になるとまるで未来を知っていたかのように湧いて出て来るアホ犬の助力もあって、従事する任務の難易度や危険度からすれば奇跡的とすら言える程に低い損耗率ではあったが……それでも犠牲がゼロという訳では無い。
隊に欠員が出ると、戦いを終えたあとにシャマは必ず引き籠っていた。
陣に張られた天幕の中であったり、帝都に帰還した後に自室であったりと、場所と状況は様々であったが……危急の任務でもない限りは一日か二日、飲まず食わずで閉じ籠る。
アンナとて部下――部隊の仲間が殉職した事に心を痛めぬ筈も無い。せめて生涯忘れる事が無いよう、彼らの名、彼らの勇姿、彼らの強さは全員、確りと記憶に、心に刻み込んである。
隊長を含め、他の隊員とてそうだろう。それも断言できる。
だが……デートと称して、今も頻繁に彼らの眠る場所へと通っているのはおそらくシャマくらいのものだ。
そんな娘であるからして、身内の一人が都市内とはいえ行方知れずとなっている事に過剰反応を示すのは分り切った事であった。
立場上、彼女を諫めなければならないアンナは椅子に座ったまま腕を組んで、現在進行形で睨み付けて来る部下を静かに見つめ返す。
「……トニーが本気で逃げを打ったら、それこそ隊長や顧問でも詰め切るのは難しい。何かに巻き込まれたにせよ、それでそのままどうこうなるような奴じゃないのはアンタも分かってるでしょう?」
「例え無事でも負傷はしてるかもしれない、一刻を争う様な深手だったらどうするのさ……!」
「それこそあいつが自身に仕込んだ保険――霊薬やら魔法やらが幾つあると思ってるの。こと生存能力だけでみれば、トニーはウチの隊の中でも頭一つ抜けてるわ」
これは慰めや希望的観測では無く、事実だ。元より単独での情報収集や密偵などに従事する事の多かったトニーは、とにかく生存して情報を持って帰る為に事前の準備や予防策に余念が無い男であった。
単独行動が多い役柄故に現状、彼が就いていた任に関する何かでトラブルが起こったのか、それとも全く別の問題に巻き込まれたのか、それすら定かでは無いが……最悪のケースだけは無い、アンナはそう確信している。
「万が一の事があった場合、自分が死んだって事が素早く確実に伝わる様にその場で大爆発くらいは起こしてから死ぬ奴よ――それが無い以上、無事に決まってる。信じなさい、あいつを」
「…………」
努めて冷静に紡がれる言葉の裏に、部下への信頼と……それでも完全には消えない焦燥が押し殺されているのを、シャマも感じ取ったのか。
無言のままゆっくりと息を吐き出し、上司に倣って腹に溜まった怒りや焦りを幾らかでも押し込めた。
だが《刃衆》の中でも問題児に分類される彼女は、それで完全に引き下がる選択を選ばなかった様だ。
「……体調悪くなったから暫く休む」
「あんたね……そんな表情で言う言葉を鵜呑みに出来る訳ないでしょう。明日から再開する闘技会の実況解説はどうするの」
「知らない。そんなの他の喋るの得意な奴に押し付ければ良いし」
滅茶苦茶に不機嫌そうな――それこそ吐き捨てる様な口調で言い捨てて、やって来たときと劣らぬ荒々しい足取りで執務室を出てゆくシャマ。
こうなると言っても聞かないのは嫌と言う程知っている。故に黙ってその背を見送ったアンナは、部下の靴音が遠ざかると勢いよく開け放たれたままの扉に向かって声を掛けた。
「ローガス、悪いけどあの娘に付いてやって。トニーが何に巻き込まれたのかは確定してないけど……単独でこの件を調べるのは危険な気がする」
「あー……まぁ、了解です。あいつのお守り役もトニーでしたからね、見つかるまでは代役くらいはやっときますよ」
執務室の扉脇でこっそりと待機して様子を伺っていた年長の部下は、壁越しでも苦笑いしているのが感じ取れる声色で上司の声に応える。
そのままシャマの後を追う様に靴音が遠ざかっていくのを聞き届けたアンナは、開けっ放しの扉を眺めて再びの嘆息を吐き出した。
「ハァ……あ~、ガラじゃないわぁ……」
机の上にぐったりと突っ伏すと、意識せずに愚痴の様な言葉が漏れる。
実際、こういった役柄が性に合ってないのは事実だ。役職上仕方ないのだが。
以前――《刃衆》が創設される前、一介の騎士でしか無かった頃は、シャマと一緒になって上司に噛みつくのが自分のポジションだった筈だ。
「儘ならないもんね」
先ず第一に部下の安否。そしてそれに伴う行方不明の孤児達の一件、そんな中、帝国の『顔』として闘技大会で結果を出さねばならない事。
考えるべき事は多く、同時にやらなければならない事も、また多い。
今の立場に不満などあろう筈もないが、こういったときに思うがままに飛び出せる身軽さが無いのは、正直歯痒く感じる事もある。
ここ最近は教国に出向していたので、個人で動く機会も多かったせいか、より強く感じる思いであった。
脱力して執務机に上体を預けたまま、首だけを傾けて部屋の端にある本棚に眼を向ける。
「……アンタだったら、それこそやりたい様にやるんでしょうね」
報告書や過去の隊の関係書類、形式として上級騎士の執務室には大抵揃ってる蔵書が並ぶ本棚の中、一つだけ混じっている子供向けの絵本の背表紙を見て。
「ま、あの馬鹿がまたお節介を焼いてくる前に、なるべく早く解決するとしますか」
先日の試合後の友人とのやり取りを思い出して、アンナは身を起こすと鼻を鳴らしたのであった。
――帝都城下、とある酒場にて。
大衆から冒険者迄、幅広い客層を相手にする其処は、祭りの効果もあって陽も高い内から様々な人々でごったがえしていた。
祭り価格と称して普段より割高に設定する店もあるのだが、この店はその逆――大祭中の売り上げ増加よりも後の固定客の確保を狙ったのか、常よりも少しばかり値引きをした金額設定で営業を行っている。
どちらも場合によりにけり、といったものだろうが、店内の混みっぷりを見る限りでは店の目論見は成功しているようだった。
そんな酒場の、大勢出入りする客の一人。
外套を羽織った、上品な商人風の装いの男が入口を潜ると同時に周囲を見渡す。
活気に溢れた喧噪に満ちる店内で、男が目に留めたのは角にある丸卓だ。
その席に座る人物を暫し注視すると、丸卓へ向かって店内を行き交う多くの客や店員の間をゆっくりと縫う様に進む。
大きな酒場ではあるが、屋敷や城の如き、という訳もない。直ぐに目的の卓へと辿り着くと静かに椅子を引いて腰を下ろした。
男は最初に近くを通った店員に麦酒と煮込み料理を注文すると、何処か蛇を思わせる双眸を更に細め、この場において不自然にならぬ程度に先に座っていた人物へと頭を下げる。
「数日ぶり、でございますねぇ、陛下。いやはや、この《大豊穣祭》において、この様な形で尊顔を拝謁する事になろうとは思いもしませんでした」
「抜かせ。昔、最初の密会で此処を指定してきたのはお前の方だろうが」
嘗て、同じ様にこの酒場を秘密裏の会合の場として、若かりし皇帝を呼びつけた男……シュランタン=サーリング伯爵はにんまりと、やはり蛇が浮かべるが如き笑みで口の端を吊り上げ。
豪快に麦酒を呷り、蓄えた豊かな顎髭に泡を付けていた人物――帝国皇帝たるスヴェリア=ヴィアード=アーセナルは、本来なら会いたくもない目的の人物がやってきた事に嫌そうに顔をしかめた。
傍目からみれば、どちらも旅の商人といった装いの二人。
髪型もそれらしく変え、本来の髪色なども魔法で隠した帝国の皇帝と大貴族は、丸卓を囲む席に隣合って座りつつ、早速の軽い応酬を始める。
「にしても……本日は護衛として閣下を連れていらっしゃらない御様子。いけませんなぁ、臣が陛下に仇為す筈もありませんが、万が一の事を考えれば腕利きの供も連れずにやってくるのは感心できません」
「ハッ、慎重な事だ。自分がやってくる随分と前から少しずつ部下を酒場に客として配置してる奴が言うと説得力がある」
「おや、御存知でしたか」
「レーヴェの代わりに連れて来た奴らにな。頼りにならんか試してみるか?」
同じ卓に座った、フード付きの外套を羽織った護衛の冒険者、といった格好の二人――レーヴェ将軍では無いと判断した瞬間に視界から外していた者達をシュランタンはしっかりと凝視し、それが誰であるかを認識して微かに口元を引き攣らせ、苦笑いを浮かべた。
「御冗談を。えぇ、私も部下は優秀な者を揃えていると自負しておりますが、《刃衆》の筆頭殿と顧問殿に並べるのは彼らに対して無体が過ぎるというものです」
主であるスヴェリアと同じく簡単な変装を行っているものの、よくよく見れば帝国三指に入る戦士の内二人が護衛である。単純に武力という点でみれば同格であろうレーヴェが二人いる様なものだ。
シュランタンがちらりと周囲に眼を配れば、部下の中でも、この喧噪の最中あってこちらの声を拾える者は顔を引き攣らせて首を横に振っている。
元より妙な真似をする気もないが、それを理解していて尚、此方に向かって『やめてくれ』という懇願の視線を向けて来る護衛を見れば、皇帝側の護衛――その人選のガチっぷりは戦いの方面に適性の無い伯爵にも理解できるというものだった。
「どうやら見誤っていたのは此方のようで。臣たる者の見識の甘さ、陛下にはどうかご容赦を願いたく」
「構わん、この場にレーヴェ以外を連れて来るのがそもそも初めてだからな。流石にお前も予想外だったか」
ニヤリと笑って、スヴェリアは麦酒の満たされた杯へと再び口を付ける。
やはり酒場において不自然に映らぬ程度に頭を下げたシュランタンが、改めて護衛の二人――ミヤコとネイトへと眼を向けてそちらにも挨拶を交わす。
「御二方には挨拶が遅れまして。私が言う事でもないですが、陛下の護衛、しっかりとお頼みしますよ」
元より護衛に専念し、今回の会合には口を挟む資格も意思も無い二人は、丁寧な黙礼を以て返した。
卓に着く者達の顔合わせが終わると、ほどなくしてシュランタンが注文した品が運ばれてくる。
態とらしい交渉用の笑みを常に張り付けている男にしては珍しく、僅かに頬を緩めて匙を手に取るのを見て、帝国の主たる男は麦酒を啜りながらなんとも言えない表情を浮かべた。
「お前は初めての会合のときからモツの煮込みだな。世の美食の類なぞ殆ど手に入れる事が出来るだろうに」
「金額というものはあらゆる事柄の重要な目安ですが、高価であれば美味いなどと嘯くのは聊か以上に品も頭も欠けている証左でしょうなぁ。私はこの店で食事をする際は、脳ではなく舌を満足させると決めています故」
要は高価いモン食ったという情報で満足するのと、美味いと思った物を食った場合の満足は別だ、という事らしい。言わんとしてる事は分かるが言い回しといい、嗜好の示し方といい、激烈に面倒くさい奴だ、とスヴェリアは再び顔を顰める。
湯気を立てる熱々のモツ煮込みを食う蛇の如き三枚舌伯爵という、文字に起こすと中々に珍妙な光景を眺めていると、何度か匙を口へと運んだシュランタンがポツリと呟いた。
「我らのこれまでの会合……閣下をお連れしない、というのは今までにはなかった事。陛下には己の右腕に対する懸念がおありでしょうか?」
匙で掬った肉片を眺めながら言うその表情は、非常に楽しそうににんまりと歪んでいた。
もしそうなら色々とやり易い。そんな態度を隠しもしない伯爵に向け、下らん事を聞くなと言わんばかりに皇帝は鼻を鳴らす。
「アホか。単にレーヴェの奴が忙し過ぎてどうやっても引っ張れなかったのと――この場にアイツが居たら絶対にお前が話さん事を聞きたいが為だ」
王城での謁見では、如何に人払いをしようと顔を合わせ、何某かのやり取りをした、という事実が残る。
公式な記録にも残される為、政敵に近い互いの立場上、本当の意味での密談を行うにはこうした場を用意する必要があったのは確かだ。
当時、国内を速やかに統一して一枚岩とする為には、実質的な貴族派のトップだったシュランタンと余計な目や耳の無い環境で交渉するのは絶対に必要な事だった。
そんな中、邪神の軍勢との戦争中だというのに、派閥争いという名の内輪揉めで国力を無駄に削る行為をスヴェリア、シュランタン共に問題視した事で、この奇妙な秘密の会合が初めて行われたのである。
それにしたって場所を指定する際に皇帝と将軍を大衆酒場に呼びつける、などという真似をしてのけたシュランタンの肝の太さ――というより面の皮の厚さは凄まじいものがあるのだが。
この酒場での密会の始まりは、そんな処だ。
少々話を戻すが……立場的に政敵というだけでなく、性質からして根本的に合わない、険悪な仲のレーヴェとシュランタンは、とにかく互いに弱みや突かれるであろう点を晒すことを嫌う。
実直なレーヴェはまだしも、利が上回るなら個人的な好悪の情など犬にでも食わせておけ、というスタンスのシュランタンまで同じような態度なのだ。
何から何まで正反対の癖に妙な処で共通点のある二人である。スヴェリアが以前その事を指摘した際には、両者共にゲロでも吐きそうな面構えになって揃って抗議してきたが。
とにかく、会合が始まった当時は皇帝自身の手足・懐刀ともいえる《刃衆》も創設されていなかった事もあり、最高レベルの護衛と絶対的に信頼できる臣下という要素を両立出来るのがレーヴェのみだったのだ。その為、獅子と蛇の睨み合いで交渉が難航する事になろうが他に選択肢は無かった。
「お前が今回帝都にやってきた理由――謁見の場で口にしていないものがあるだろう、それを確認しに来た」
なのでスヴェリアとしては、護衛をミヤコとネイトにする事で今回の様に交渉の難易度が幾らか下がるケースも出て来た、という認識だ……レーヴェには悪いと思うが。
互いに《大豊穣祭》開催期間の忙しい中、時間を捻りだしてこの場に居る身だ。単刀直入に切り込む皇帝の言に、伯爵は「ふむ」と呟いて束の間の思案に入る。
「……そうですねぇ、事あるごとに牙を剥いて唸る物騒な獅子がおらぬこの場、陛下にならば臣の胸の裡を晒すのも吝かではございませんが……後の配慮はして頂ける、という確約が欲しい処ですなぁ」
「帝都内の問題も絡む都合上、レーヴェに全く話さんというのは無理だが、お前が奴に知られて嫌がる内容に関しては伏せると約束する」
元より証文の類など残せぬ会合だ。出来るのは口約束のみではあるのだが……だからこそ、この場で交す契約・約束事の重要性は両者とも熟知している。
シュランタンが思案を続けたのは数秒足らずだった。
「では、この場に限り我が身の恥を晒すとしましょう……今回、私が直に帝都を訪れたのは我が領地で行われている領民の誘拐・人身売買についての調査も兼ねておりました」
「……やはりそうか」
語られた内容は、果たしてスヴェリアが予測を立てていたものとそう乖離しないものであった。
伯爵領で起こっているというソレは、帝都で起きている孤児の行方不明者が頻発している件――その背後にあった人身売買事件と酷似した内容だ。
領内で調べを進めたシュランタンは、金の流れや売買を行った者達の痕跡から元凶が帝国中央……帝都か、或いはその周辺都市にあると判断して、今回の祭りに併せて元凶に大きな動きがあるやもしれぬ、と睨んで調査を行っていたのだそうだ。
「私の可愛い財産を横から掠めとる盗人など、存在させておくのも許し難いですからねぇ……陛下の膝元たる帝都においてまで蠢動する程の者達だったというのは厄介な話ですが……高度に組織だった集団であると知れたのは収穫ではありました」
内容的に相当飯が不味くなる話をしている筈なのだが、会話と食事は完全に切り離して愉しんでいるのか、煮込み料理を掬う匙の速度は落ちない。
売買を行っているのは帝都と伯爵領のみ、という事はあるまい。人口比率に併せて、目立たぬ様に帝国各地で行っている筈だ。
いち早くそれを察し、更にその中心が帝都近辺であると嗅ぎ当てたシュランタン――その彼が帝都にやって来るのとほぼ同時に、彼と関りのある男爵がケントゥリオ侯爵家の嫡男、ノエルを唆かす形で教国からの賓客に対して問題が起こった。
その件について問い詰める予定であった男爵当人は、伯爵領からの外遊帰りに魔獣に襲われ生死不明ときたものだ。どう考えても偶然では無い。
「チッ……外れてくれた方が良かった予想だが……忌々しい事に大当たりか」
「その様ですなぁ。どうやら我らが立てていた当初の見積もりよりも病巣は大きいようで」
このときばかりはスヴェリアもシュランタンも、互いに顔を見合わせて同感だとばかりに同時に口の端を歪める。
ノエルの一件と、孤児を中心とした帝都臣民の誘拐・人身売買――奇しくも今回の会合で、一つに繋がった形だ。
ケントゥリオ侯爵家にちょっかいを出したのはシュランタンへの妨害工作、と考えるのが妥当だろう。
彼と関りのある貴族がソレを行うことで、皇帝とその右腕たる将軍に睨まれ、帝都での調査が滞るならば良し。可能ならばレーヴェ将軍……ケントゥリオ侯爵家と明確な敵対関係にまで関係悪化するならば更に良し。
少々迂遠だが成功すれば効果的であり、厄介な手口だ。あくまで黒幕は一切の矢面に立たないというのも輪を掛けて面倒臭い。
更に厄介なのが企んだ者は木っ端の男爵位といえど、帝国貴族相手に指示を行い、実行させ……用済みになれば実行者である男爵を消す事も厭わず、且つ容易にソレを実行出来るという事である。
以上の事を踏まえれば、この件の背後にあるのがちんけな犯罪組織の類では無い、という事だ。
シュランタンはこの会合で明確に確信を抱いた様子であるが……先程の言の通り、スヴェリアは既にそれを予想していた。
それも当然だ。元はと言えばこの密会を行うと決めた理由が、信頼する部下の一人である青年からの定時連絡が途切れた、という報せがあったからなのだから。
相手は予想以上に厄介。そうでもなければトニーが――己の揃えた名剣たる《刃衆》の一振りが下手を打つ筈も無い。
会話を黙して聞くのみであった護衛の二人……特にミヤコの方から、自身の部下が消息不明となっている理由と元凶を知った事で物騒な気配が漏れ始める。
ネイトの方も決して穏やかとは言い難い雰囲気なのだが、それでもミヤコよりは多少冷静なのか、じりじりと放射される剣呑な魔力を遮る様に小さな障壁で卓の周辺を覆う。
料理が盛られていた器を空にした伯爵が、口元をハンカチで拭いながら張られた魔力障壁に眼を向けた。
「ふむ……此度の急な陛下のお呼び出しといい、騎士タナヅカの御様子といい……成程、どうやら件の人買い共は保有する戦力、という点でも侮れないようですねぇ」
「――ッ、失礼しました、サーリング伯爵」
人外級の威圧に晒されながらも、表面上は平然と事の次第を察した発言をする男に、ミヤコがハッとした様子で漏れ出た魔力を引っ込めて小さな声で謝罪した。
自身の娘程の年齢の少女の素直な謝意に、普段の胡散臭さを多少なりとも控え目にした笑顔でシュランタンは謝罪を受け取る。
「お気になさらず。お若い身で凄まじい威をお持ちなのは存じ上げていましたが、この場にてよく浴びていた暑苦しい獅子の吐息と比べれば怜悧で涼やかな分、幾分と心地よさすら感じましたとも」
若き帝国最強の一角を程よく持ち上げつつも、嫌いな奴をディスるのに余念が無い男である。
褒められたのは確かなのだろうが、同時に全ての騎士の上役に当たるレーヴェを扱き下ろす発言に礼を言う訳にもゆかず、ミヤコは曖昧な笑みを浮かべた。
年若い騎士に平常運転である皮肉気な調子で絡むつもりも無いのか、伯爵は直ぐにスヴェリアの方へと顔を向ける。
「陛下、今回の交渉にて融通していただくのは、我が領地からの追加の戦力を帝都近辺に送る事の目溢し、というのは如何でしょう?」
「ふん、そう来たか。お前の処もこちら側の派閥も周囲の声が喧しいことになるだろうが……」
何度目になるのか、眉を顰めて嫌そうな顔を見せた皇帝は、だが暫しの黙考の後、直ぐに答えを返す。
「……良かろう。厳選した手勢をあくまで伏せた形でならば認めてやる……ただし、規模と配置箇所の情報はレーヴェに提出してもらうぞ」
「まぁ、それは当然ですなぁ。ご配慮に感謝致します」
帝国皇帝と貴族派の首魁は、話はこれで終わりだといわんばかりに自分の杯に残る麦酒の残りを一気に飲み干す。
「予定が押しておりますので、それでは」と、非公式の場とはいえごくあっさりとした態度で席を立って酒場を出てゆくシュランタンの背を見送ると、スヴェリアは髭に付着した麦酒の泡を指の腹で擦り落とし、護衛の両名へと視線を転じる。
「――まぁ、そんな訳だ。大々的に動くと人買い共も深く潜ってしまうかもしれん、トニーの奴の捜索隊を組むのはもう少し後になる、すまんな」
「……はい、それに関しては重々承知しています」
「ですが、隊の中には知れば飛び出して探し始めるであろう者も幾人かいます。その辺りは目溢しして頂けるでしょうか?」
ミヤコとネイトが其々に返す言葉に、彼らの主はニヤリと鷹揚に笑って見せた。
「シャマダハルあたりは確かに仕事を放り投げて捜索に出そうだな……まぁ、構わん。連中の眼に大事になったと映らなければ良いだけの話だ、部隊の問題児の独断専行、という体なら隠れ蓑には丁度良かろう」
トニーを探しに飛び出した者達をこっそりと支援するのならば構わない、と暗に告げ、ついでに帰ったら飛び出した部下の仕事の代役くらいは用意しとけ、と掌をひらひらと振る皇帝に《刃衆》の長と顧問は揃って静かに頭を下げる。
かくして帝都――否、帝国の影に蠢く悪意は、国の支配者と守護者にしかとその存在を見据えられ、捉えられんとしていた。
――尚、下手を打つという形ではあったが、その切欠となった現在行方不明の青年はというと。
「……知らない天井ッス」
帝都にある冒険者を主な客層とした宿屋の一室にて、ベッドの上で眼を覚ました処であった。