Q:何が始まるんです?
「……え、エライ事になってやがる……」
マイン氏族のものと並ぶ、部隊に所属する者の行き付けともいえる工房――その応接間。
何の変哲も無い扉一枚を隔てたその向こう側が、嘗て自身が潜り抜けて来た戦場と比べても更に危険な死地である事を察したローガスは、額から流れ落ちる汗を拭って呻いた。
「うわぁ……これ以上は近づきたくないかなー」
ローガスを盾にする様に彼の背後から応接室への入口を眺めたシャマが、引き攣った顔でじりじりと後退を始める。
「おい、俺を盾にするのやめろよシャマ……! そもそも副長とあの魔族のお嬢さんを外で待つって俺が言わなきゃ、今頃お前もあの部屋の中に居たんたぞ、ちったぁ感謝した対応をしたらどうなんだ……!」
「そんなの単におじさんが面倒くさがっただけでしょー……! こういうときこそ壁役の役目を全うしなよ……!」
「ざけんな。上位眷属と一対一で向かい合う方がまだ楽だろうが死ぬわ……!!」
ヒソヒソと小声で罵り合う二人の更に背後から、新人という事で三人の最後尾に位置していたローレッタが、恐る恐るといった風に応接間から放たれる重圧――それを辛うじて外と隔てている扉を見つめる。
「……この尋常ではない威圧と魔力……やはり、先程私達の前を凄まじい速さで走り抜けていったのは教国の聖女様方でしたのね……」
遠目から土煙を上げながら爆走してきたと思いきや、あっという間に走り抜けていって自分達に眼もくれずに工房内に突撃していった金糸の髪の美しい少女。
その彼女に子猫のように襟首を掴まれて引っ張られ、加速のせいで半ば宙に浮いていた銀髪の少女の方とローレッタは知己である。
思い返せば走る少女と引っ張られていた少女、二人は何処か似た顔立ちであった……姉妹、つまりはそういう事なのだろう。
ただならぬ様子の金色の聖女が工房に飛び込んで行ったのを目撃し、こうして後を追う形で応接間へと繋がる渡り廊下までやってきた三名であったが……戦士として鍛えた危機察知能力が「やめろ死ぬぞ、フリじゃねーぞマジで死ぬからやめとけ」と全力で訴えかけて来る状況に足を留めざるを得なかった。
かの大戦にて、伝説扱いされる程の活躍をした戦士とそれを慕う少女達の恋の鞘当て。
一人の年頃の乙女としては好奇心を掻き立てられる話だ。実際ローレッタもここまで来る道すがら、シャマに簡単に聞かされた話には思い切り食い付いて聞き入った。
自分達の隊長がかの《聖女の猟犬》に執心である、という話だけでもこれ以上無く興味深いというのに、猟犬の守護する聖女姉妹も同様の感情を己が騎士に向けている――歌劇作家が知れば狂喜して筆を執りそうな話題だ。実際の処、劇にするには主要人物の向ける情が少しばかり重いというかドロっとしてるので脚色は必須なのだが。
――だが、扉越しに感じるこの重圧を感じ取れば、そういった野次馬根性の類など一瞬で消し飛ぶというものである。
複数の人外級やそれに近い領域の戦士・魔導士が揃って物騒な気配を放つ応接間は、下手な戦場などより余程危険な空気を放つ魔境と化している。帝国最精鋭の騎士たる《刃衆》の三名をして入室はおろか、近付くのすらお断りの危険地帯であった。
「どーすんだよコレ……中にいるお歴々も流石になんも考えないで暴れるような事はないだろうが……」
「たいちょーと聖女様が自重しないで喧嘩始めたら此処の工房が更地……程度で済めば良いよねー……とりあえず、おじさんが外から障壁張って万が一に備えるしかないんじゃね?」
「魔法剣士にそんな強度の結界や魔力障壁が張れるわけないだろう……! というか本職の魔導士だって、隊長たちの激突の衝撃を押さえ込める腕前のやつなんぞ大陸に何人もいないだろうが」
「とはいえ、私やシャマダハルさんは魔法自体を得手としておりませんし……いっそ周囲から民間人を退避させた方が良いのでは?」
ローガスとシャマ、ローレッタもそれが確実に出来そうな人物に二人程心当たりがあるが……その両名――聖女姉妹は現在応接間にて修羅場に参加してる側である。世は無情であった。
どうしたものか、と三人が深刻な表情で退くも進むも出来ずに渡り廊下で額を突き合わせていると。
「おや皆様、御揃いで。タナヅカ様以外は本日いらっしゃるという話は聞いていませんが……」
書類の束を抱えて現れたのは工房の責任者であるハーフエルフの女性であった。
「あ、妹ちゃんだ。これで幾らかはマシな状況になったかもー」
「あー……防御系統の魔法に関しちゃ俺よかよほど優秀だしな――考えて見りゃ此処の責任者なんだから、真っ先に話を持っていきゃ良かったか」
良い処に応援が来た、といわんばかりに顔を輝かせる二名と、それに困惑する工房長。
「えぇと……なんのお話でしょう?」
「工房に勤める方々には非常に理不尽な状況と感じるかもしれませんが、落ち着いて聞いて下さいませ。実は……」
申し訳なさそうに経緯を語るローレッタの言葉を受け、工房長は「ふむ……」と一言漏らすと眼鏡の位置を指で調節し、今にも魔境から爆心地へと変わるやもしれぬ部屋へと視線を転じた。
「なるほど……確かに戦いを生業としていない私でも感じる圧迫感……これは酷い修羅場ですね――まるで迫る納期に向けて完徹三日目を迎えた日の空気です」
脅威は感じているのだろうが、それでも動じる事無く呑気に感想を述べる彼女に、帝国最精鋭の騎士達から「マジかよコイツ」みたいな感嘆と戦慄半々の視線が注がれる。
「えー……コレと比較対象になる空気が生まれる職場とか、あたしの知ってる職人工房とイメージがちょー乖離してるんですけど」
「ちなみにそのときの納期の難易度が『|悪夢?見てもいいから寝させろ《ナイトメア》』となった原因は《刃衆》の部隊発足の折、隊服一式を突貫で揃えろ、という陛下の無茶振りだったのですが」
「あ、はい。その節はすいませんでした」
姉と私を筆頭に魔装処理が行える者が全員死んだ魚の目付きで黙々と針と糸を動かす装置になっていました、と言葉を結ぶ女性に対し、常の口調を封じて平坦なトーンで丁寧に謝罪するシャマ。
なんかもうどちらが騎士なのか分からなくなる程度には落ち着いた様子で、ハーフエルフの工房長殿は再び眼鏡の縁を指で押し上げた。
「此方としても痴話喧嘩で職場を破壊されては堪ったものではありません。取り敢えず、万が一に備えて私とローガス様で応接間を障壁で覆いましょう。その上で、他の御二人には部下に言伝をお願いします」
◆◆◆
どういう状況なんだよコレは!
色々と思う処は多い――どころか多すぎて状況がゴチャゴチャしすぎだろ、というのが嘘偽りのないオレの本音だ。
なんというか、この場に揃った面子に予定に無かった人物や予想だにしない人物が多い。
まずウチの駄犬とミヤコ。
これは当然だ。元よりコイツらの魔力を辿ってこの工房までやってきたのだから。
オレ達がパーティーという名の気疲れする仕事をこなしてる間に、相棒を連れ出すなんていう小狡い真似をしてくれやがったミヤコにはたっぷりと問い詰めたい事があるが……誘われたからってオレに何にも云わないでホイホイついていった馬鹿たれにも文句がある。
……ある、のだが。
何でこいつ、スーツなんて着てるんだよ……!
ミヤコの仕業か? クソッ、オレのいない間に相棒を着せ替え人形にするとか羨ま……ゲッフンゲフン! けしからん事しやがって!
勿論腹は立つ、立つけど。
相棒の黒スーツ姿が思いの外似合っているせいで怒りが持続し辛い……!
あまり良いとは言えない目付きもこうしたピシッとしたスーツに身を包んでいると、目付きが悪いというより鋭い、という印象に変わって仕事の出来るSPみたいだ。
正直、この状況でなければもっと頭悪い感じにはしゃいでいたと思う。
あぁもぅ、場合によってはお仕置きしちゃる、位のつもりで来たのに見てると幸福ゲージがあがって怒りゲージが低下しそうになる。なんだこれ、新種の精神干渉かよ。
仕事先のパーティー会場で貴族のお坊ちゃん達を筆頭に、いろんな奴に踊らないか、一緒に見て回らないかと声を掛けられて断るのに難儀したけど……こいつがこの恰好で出て来てダンスのお誘いなんかしてきてみろ、オレは脳であれこれ思考するより先に、気が付けば手を取ってる自信しか無いぞ……!
「うわ……にぃちゃん、イイ……」
オレも大概な精神状態だが、アリアの方が先に故障した。
引っ張って此処まで来る間、ずっと呆れを含みつつも悟った様な顔をしてた癖に、今は熱に浮かされた様子でフラフラと相棒に向かって近づいてゆく。
未だ状況に面食らっている馬鹿の右手を取る妹だったが――同じタイミングで左の手を取った人物と全く同時に其々に口を開いた。
「良いよソレ、凄く良い! にぃちゃんスーツとか似合うタイプなんだね! イメージしてたよりずっと格好良い!」
「あぁ……これは素敵だね……! 確かキミの元居た世界の正装かい? 主の配下で同じ装いの御仁がいたけど……なんだろう、キミが着てると僕の心臓に良くない……!」
さり気なく相棒のスーツ姿を妄想したことあります、とカミングアウトしてるアリアだが、そこは驚く事でも無いので別にいい。オレもしてるしな、なんならスーツだけじゃなくて色々と。
問題なのは左手を取った人物の方だ。
アンナと一緒にやってきた、この場において予想外の人物。
ちょっと良い処のお嬢さんみたいな恰好をしたその女の子は、オレの勘違いでなければ面識のある人物である。
魔族領の吸血鬼達のトップである女公爵――その側仕えをしていた娘だ、確か……《陽影》だったか?
前に最後に会ったときより髪も伸ばしていて、全体的にこう……柔らかな感じになって受ける印象は大分変わってるが、間違いないと思う。
彼女に関しては、そりゃ疑問は尽きない。
なんで此処に居るのかに始まり、いつもの男装はどうしたのかとか、明らかに相棒と最近会ったかの様な言動だけど何時顔を合わせたんだとか、本当に色々と気になる点は多いんだが……それらを全て置き去りにして余りある光景があった。
――興奮した様子で相棒の手をとって詰め寄る彼女が一歩動く度、或いは身を揺する度、たゆん、と音を立てんばかりに柔らかく揺れるソレ。
オレと同じく、それほど交流は無かったが一応の面識はあるアリアが直ぐ隣の《陽影》を見上げて……その視線が自分より頭一つ上の位置にある彼女の顔に行き付く前に、とある一点で固定される。
うぉ……はしゃいで喜色に溢れていた笑顔が一瞬で真顔になった……まぁ、気持ちは理解できるぞ妹よ。
最近ちょっと育ったことを喜んでたもんな。オレに配慮していたみたいだけど、沐浴のときに緩んだ顔でこっそり確認してたのは気付いてるよ、ふぁっきん。
だが、所詮オレ達は穏やかなる平原。
アリアの涙ぐましい努力も所詮は富める者の前では誤差の範囲に過ぎないと、無情な現実を叩きつけんばかりの圧倒的なボリュームの丘――否、雄大なる巨峰がそこには広がっていた。
……もうここまで差があると笑うしかないな、ハハッ。
苦笑したつもりだったのだが、何故か妙に力の入ってしまった口元からギリィッっと歯が軋む音が漏れた。
同時に相棒とアンナがヒエッ、なんて短い悲鳴を上げる。人の顔見て失礼な奴らだな。
そもそもアンナ、お前この部屋に入って一秒後にすぐ気配を殺して息を潜めだしたけど、目の前にいるのにそれは無理があるだろ。いや、微妙に認識しづらくなってるのは流石の技量だとは思うけどさ。
けれど、その隠形も今上げた悲鳴で意味が無くなった。
「アンナ」
「アンナちゃん」
「「説明」」
オレとミヤコの口から、端的な異口同音が飛び出る。意図せず低い声になったのはご愛敬というやつだ。
分かり易く顔から血の気が引いたアンナが、助けを求める様に視線を彷徨わせ――唯一フォローしてくれそうなアリアまで話を聞きたそうな顔をしているのを見て白目を剥いた。
ちなみにその前に一瞬だけ相棒にも目を向けたが、未だにこの状況に戸惑って馬鹿面をしている奴を見て「こいつ頼りにならねぇ」と判断したみたいだ。即座に視線は外されている。
自身で切り抜けるしかないと悟ったのか、アンナは背筋を伸ばすとブーツの踵を合わせ、ビシッとした敬礼を決めてみせた。
上官であるミヤコに向けて報告――と評するには割と必死さの溢れた表情で、はきはきと求められた事の経緯について語りだす。
「いえすまむ! こちらの魔族領から来たお嬢さんがこの工房に向かいたいが道が分からないという話でしたので、見回りがてら送り届けた次第です!」
「道……ってそんなに難しい場所でも無いと思うのだけど。大通りに面してるし」
「個人的な事情から大通りは可能ならば避けて向かいたい、との話でしたので一本逸れた街路から案内しました! あくまで! 道案内です! 他意はまっっったくありません!」
オレ達……というか主にミヤコに向けてあくまでこの状況になったのは偶然である、と主張する。
確認の意味もあって《陽影》に向けて視線を転じると、何故か彼女は頬を赤らめて目を泳がせた。
……おいコラ、一瞬相棒と眼を合わせてちょっとお互い気不味そうに眼を逸らしたろ、見てたぞ。どういう事だ。
色々と説明を求める視線が複数突き刺さったのには彼女も気付いたのか、コホン、なんて小さく咳払いを一つして、帽子を取ると一礼する。
「まず、《刃衆》の長殿はお初にお目に掛かります――魔族領西方にて領地を預かる《宵闇の君》、その従者として仕える《陽影》と申します。今回は《大豊穣祭》における主の名代として帝国にやって来ました」
聖女の御二方も、御姉妹壮健なようで何よりです、と最後に付け足し、以前に見た貴公子然とした立ち振る舞いを思い出させる、スマートだが嫌味の無い所作で自己紹介と再会の挨拶を一気にしてのける。
恰好自体はブラウスとスカートにケープを羽織るというまんま女性の服装なのに、それでも違和感が少ないのは彼女にとって普段からの染み付いた動きだからだろう。
……二年前と違って胸元にやたらとデカいもんが付いてるせいで、王子様ムーブ自体は流石に綻びが出て来てるけどな!
弾力のあるメロンサイズの双丘が《陽影》の一礼に合わせて揺れるのを見て自分の表情が引き攣りそうになるのが分かる。
「二年でこんな……ふ、不公平過ぎる……」
思わず、といった様子で小声で呟かれた妹の言葉には同意しかない。成長期とかそういう次元の話じゃないだろこれ……!
こういった方面で妬んだり羨んだりといった事の少ないアリアも、流石にこんな短い期間に男性特攻なスタイルに進化を遂げた知人に思う処があるみたいだ。
挨拶されたミヤコはというと……色々と疑問や困惑はあるのだろうが、友好的な態度である魔族の娘っ子に対して塩対応を取る様な奴じゃない。普通に自己紹介を返して握手を交わしている。
取り敢えず、これでこの場に居る面子は一通り知己になった訳だ。
じゃぁ本題だな、うん。
「よし、先ずお前は着替えてこい」
え、俺? なんて怪訝そうに自分の顔を指さす相棒に向け、部屋の端にある衝立で仕切られた試着用の着替えエリアを指さしてはよいけ、と指示する。
場合によってはこいつをこの場で正座させるコースも有り得る。ただの試着なのか購入済みの品なのかは分からないが、スーツを汚したり皺をつけたりするのは止しておいた方が良いだろうしな。
滅多に見ないコイツのフォーマルスタイルだ、もっと近くでじっくりたっぷり見ていたいけど……周りに余計な奴らが多すぎる。
ここは我慢するところ……未購入ならオレが買って、屋敷に帰ったら着させて鑑賞会するけどな。
なんならオレも同系統の品を買って二人で御揃いっぽくしたって良い……考えただけで夢が広がるな! この世界にカメラが無いのが悔やまれるぞ。
このタイミングで着替える事が解せないのか、首を傾げて仕切りの方へと向かう相棒の背を見送り――ちゃっかり付いていこうとしたアリアの襟首をふん捕まえた。
「おい、なんでナチュラルに一緒に衝立の向こうに消えようとしてんだお前は」
「いや、にぃちゃん服の畳み方とかちょっと適当だし、スーツに皺が付かない様に手伝おうかと……」
「却下に決まってんだろうが! サラっとそれらしく着替えを覗く理由をつけんな!」
「の、覗いたりしないし! それに着替えなら前に見た事あるし! 今更だよ!」
初耳だぞコラァ!? 何時の話だ! オレに黙っていつそんな羨まけしからん真似をした!?
アリアが最近抜け目ないのは分かり切った話ではあったが、入れ込んでる男の生着替えの拝見を妹に先を越されたとか、姉貴的にはスルーし難いぞ……!
『治療』をしてきた時期に、色々と見てるだろうとかもっとスゴい事をしてるだろう、なんていう意見もあるかもしれないが、それとこれとは別なのだ。
前世の性別――男だった頃の視点で言うなれば、エロ本や18歳未満お断りな映像作品を所持してるからと言って、自分の好きな娘の着替えシーンと聞いてプレミア感を感じない奴はいるだろうか? つまりはそういう話である。
「少し前だよ。《半龍姫》様がにぃちゃんの身体を精査したときにちょっと……」
「霊峰に行ってた時期かよ……」
あのときはジャンケンで負けた身ではあったし、アリアを代わりに留守番させる、なんてのも気が引けたから結果的にはアレでよかったとは思ってるけど……五右衛門風呂の件といい、随分と嬉し恥ずかしなイベントを楽しんで来たみたいだな。大陸最高の秘境兼危険領域に行ったってのに殆どバカンスみたいなノリじゃねーか。
折角戦争も終わったんだし、小難しい事は抜きでオレもあの龍の御姫様ともう一度話くらいはしてみたい。
アリアの話じゃ向こうも仲良くしたいとは思ってくれてるみたいだし、何時になるか分からないけど、機会が巡ってきたら霊峰に行ってみたいもんだ。勿論、相棒も一緒に。
ちょっと思考が逸れたが、気を取り直してこの場にいる面子をぐるりと見渡す。
オレ達二人の会話を興味深そうに聞いていたミヤコと《陽影》、それと少しずつじりじりと応接間の扉に向かって移動しているアンナに、にっこりと微笑みかけてやる。
「オホン。初対面同士の挨拶も終えたし、あの馬鹿は一度引っ込んだ――じゃ、すこーしお話を始めようか、特にミヤコ」
「いや! 私はもう仕事に戻らないといけないんで。あとは皆さんでどうぞほんとマジで」
殆ど言い被せる様にしてオレの言葉を早口で遮ったアンナが素早い動作で扉を開けようとするが、ガチャガチャとドアノブを捻ってからその手応えに悲鳴をあげた。
「って開かない!? これひょっとして外側から障壁――この魔力はアンタかローガスゥ! 隔離作業はせめて私が離脱してからやれぇ!」
ふむ? 経緯はよく分からないが、どうやら部下が外から魔力障壁でこの部屋を隔離してるらしい。
オレにしろミヤコにしろ、ちょーっとだけ尖った空気を出してたからそのせいかもしれない。
「まぁ、折角だ。アンナも同席すれば良いさ……お前もちょっと怪しいしな、こう、色々と」
「そうね、ローガスさんがこの部屋を障壁で覆ったのは危険物扱いされてるみたいでちょっとアレだけど……この際丁度良いと思っておきましょう」
二人で同時に頷き、改めて向かい合って対峙する。
予想外の事が多くて大分会話が遠回りしたが、そもそもはこっちが本来の目的だ。
「――さて、こっちの言いたい事は分かってるよな?」
「分からない、と言ってあげた方がいいのかしら? 何も疚しいことはした記憶がないもの」
ほう、この期に及んで言うじゃないか――イイ根性してんなコラ。
腕を組んで自分より高い位置にある顔を睨み付けるオレと、腰に手を当ててそれを負けじと見下ろしてくるミヤコ。
自分にとって何よりも大切なモンを取り合ってる、という間柄ではあるが……これが普通の一般人や並みの騎士だったりしたら、オレが威嚇したらイジメみたいになってしまう。
そういう意味では遠慮や手加減の必要が無い分、やり易い一面はあるのかもしれない。
絶対本人には言ってやらないし、ましてや相棒に関して何かを譲ってやる気なんてものは更々無いんだけどな。
「……姉君と隊長殿は、その、あまり仲が良くないのかな?」
「いや、友達ではあるんだよ? なんというか、ト〇とジェリーというか……まぁ猫と鼠というよりは竜と虎なんだけど……」
互いに無言で威圧を相手に与え続けていると、アリアと《陽影》がそんな会話をしているのが耳に届く。誰が仲良く喧嘩してるってんだ。そもそもこっち生まれの奴にはそのネタは通じないだろうに。
ちなみにアンナは開かない扉に張り付いて「ひぃん、なんで私ばっかり」なんて半泣きで呻いている。
「他の隊員が見回りやらパーティー会場の護衛に精を出してるのに、隊長殿がお休みってのはどうなんだ? もう祭りの開催日も目前だろうに」
「交代で休日を取得していったら私が最後になった、というだけよ――報酬の先渡しは前々から決まっていたから、先輩に一緒に来てくれるようにお願いしたの」
「ふぅーん……なら折角の休みだ、半分仕事みたいな事してないで自室でゆっくり休んでろよ」
「お気遣いどうも、でも心配はいらないわ。確かに半分は仕事だったけどもう半分は……で、デートみたいなものだし」
最後に少しばかり照れた様子で抜かすミヤコに、思わず口元が引き攣る。
相手が平然としているのにこっちが動揺丸出しにするのも負けたみたいでムカつくので、極力平静を装って引き攣った口の端を皮肉の笑いで誤魔化した。
「デート、ねぇ。アイツにその認識があるかは疑わしいよなぁ。独り相撲は空しいオチになりかねないぞ? 友人としてそこは忠告しておいてやるよ」
「男女二人で、互いに楽しんで同じ時間を共有する事がデートでは無い、というのならその通りなのかもね――私としては素晴らしい思い出ができたと思っているけど」
チッ! 真っ直ぐ工房に来たって訳じゃないのか? 案の定だ。
北区には歓楽街の類は無いし、観光客向けの施設なんかもめぼしいものは別の区画がメインだ。
この辺りの店や名所の立地条件からしても、ミヤコの性格からしても、そんなに積極的な事はしてないとは思うんだが……面白くない事には違いない。
「お、思い出か……何をしたのか気になる処だなぁ、えぇ、オイ?」
「それは秘密よ――でも、そうね。カップルフェアなんてものがこの世界の喫茶にもあるみたいなの、ちょっと驚いちゃった」
「カッ……!? ッ、さ、参考までに何処でやってるのか聞いちゃったりしても良いでしょうかミヤコさん?」
カップルフェアと聞いて驚愕と妬ましさで胸中が酷い事になるが、即座に考え直して精神状態を立て直す。
単純な話だ。場所さえ分かれば後でオレも相棒を連れて向かえばいい。というか行きたい。その為ならば、眼前の恋敵に多少へりくだることも厭わない。
そんな想いと共に殊勝な態度で問い掛けた言葉に対し、ミヤコの奴はニッコリと満面の笑顔で応じてきた。
「フフッ、勿論嫌よ」
「ハハッ、ですよねー……ぶっ飛ばすぞエ清楚ォ!」
咆哮し、意図せず魔力放出しながら思い切り背伸びをして目の前の根性悪を睨み付ける。同じく魔力を漏らしながら負けじと鋭い目つきで見下ろしてくるミヤコ。
額をぶつけ合うように至近距離でメンチを切り合い、接触した互いの攻性を伴った魔力が弾けて小さなスパークを撒き散らす。
「うわぁ。絨毯の焦げる匂いが……あとで弁償しないと駄目だねコレ」
「ちょっ、こ、これはそんな風に悠長に構えていて良い状況なのかい!? 貴女の姉君と隊長殿が武力で争ったら外交的にも物理的被害も洒落にならない気が……」
「おぉめがみよ、ねておられるのですか」
アリアの呆れた声と《陽影》の慌てた声、それとどっかの馬鹿みたいに白目を剥いてそうな片言のアンナの嘆きが聞こえるが、今は気にもならない。
聖都では途中でグラッブス司祭とシスター・ヒッチンに止められたせいで、決着も有耶無耶になったが……良い機会だ。ここで泥棒黒猫をKOして相棒の一番は誰かを示しておくのも悪くは無い。
ミヤコの方も考えは同じだったのか、いよいよ以て互いの魔力の放射量が激しくなってきた。
視界の端に、アリアが残りの二人を庇う様に前に出るのが映り、これで周りを気にせずやり易くなった、なんて考えていると。
「困ったなぁ……まさか出先でこんな状況に遭遇するなんて……彼と会えたのはいいけど、忘れ物の事も聞けていないし」
「道案内した先でこんな目にあうのは私も予想外よ……で、忘れ物って?」
アリアの背後に避難した《陽影》とアンナが、恐々とした様子で肩を寄せ合ってボヤいているのが聞こえ――。
「うん。この間、彼と再会したときにね。事が済んだ帰りに、下着を忘れたのに気付いて」
「そっか、大変ね。下着を……え"っ」
何の気無しに放たれた発言に、その場の全員が凍り付いた。
オレとミヤコは魔力の放出をピタリと収め、二人を背にしたアリアは硬直して瞳だけを見開き、会話を振ったアンナは唖然とした顔で固まる。
激突寸前の空気から一転、時が止まった様な静寂と沈黙が暫し降りた後、やがてギギギ、と錆の浮いたブリキ人形みたいな動きで皆の視線が《陽影》に集中した。
場の空気が急激に変化したことに戸惑いの表情を浮かべていた魔族の少女は、ややあって自身の言葉を振り返ったのか、一瞬で顔を赤くしてバタバタと忙しなく顔の前で手を振りだす。
「あっ、その、違うんだ! いや、忘れたというか落としたのは事実だけどなんというか……」
――おぉい、なんか凄い魔力バチバチいわしてたけど何があったんや、大丈夫なのか?
彼女が釈明を始めようとした矢先、慌てて着替えて来たのかやや乱れてはいるが、何時もの旅装姿の相棒が戻って来る。
流石に場の異様な雰囲気を察したのか軽く息を呑んで、え、なにこの空気。こわい。なんてとぼけた顔でほざく馬鹿に。
「――にぃちゃん、座って」
綺麗な……本当に綺麗な笑顔を浮かべたアリアが、床を指さして言う。
滅多に見ない威圧感を漂わせる様相の妹に、唖然とした相棒が何か反応を示す前に、同様の笑顔となったミヤコが同じ場所を指さす。
「座って下さい先輩。直ぐに」
基本、自分に対して当たりの柔らかい二人から放たれた言葉に、呆気を通り越して混乱した馬鹿がどういうことだってばよ、なんて呟いて目を白黒させていたが。
オレとアンナが同時に、そして無言で片足を持ち上げる。
全く同じタイミングで魔力強化と共に床に叩きつけた靴底は、ズドォ! という床板を破砕する音を立てて下の石床部分にまでめり込んだ。
「「座れ、駄犬」」
――はい座ります、駄犬でごめんなさい。
そうして《陽影》以外の、極上の笑顔を浮かべた四人から囲まれた馬鹿犬は、実に無駄のない滑らかな所作でその場に正座したのである。
◆◆◆
見て分かる位にはあったまってるシアとそれに引っ張られたリア。
俺の知る限りでは面識は無かった筈の副官ちゃんとクイン。
四人が応接間に同時にやってきたと思ったら、わちゃわちゃとした会話が繰り広げられた末、シアに着替えてこいと言われ――戻ってきたらほぼ全員に囲まれて正座させられているでござる。
はしょりすぎて意味分からんって? 安心しろ、俺が一番意味が分からねーよ(白目
何時ぞやの聖殿で行われた中庭裁判の如く、同じ面子、同じ様なシチュで四人の女傑に囲まれている。
違うのは場所と……あとなんかおろおろしてるクインが居る位か。
あのときの様に腕を組んで仁王立ちになったシアが、不機嫌丸出しなのに笑顔という恐ろしい表情で見下ろしてくる。小声でボソっと「……石畳も石板も無いか」とか呟くのをやめて下さい(震え声
何故か分からんがお怒りの聖女様が言う通り、此処は遠く離れた外国の工房だ。あのときみたいに膝に重石を乗せられるような事は無い。
そういう意味ではマシな状況……と言いたい処だが、世の中そんなに甘くは無い訳で。
隊長ちゃんは言うに及ばず、あんときはそんなに怒ってる訳でもなったリアや、割とどうでも良さそうだった副官ちゃんまで機嫌が悪いので、総合的には中庭裁判より悪化してる。
最初はシアに匹敵するレベルで激おこだった副官ちゃんが、今では若干クールダウンして怪訝そうに首を捻っているのが救いと言えば救いか。
いや、機嫌の悪さ自体は継続中っぽいんだけど、それ以上に「解せぬ」と顔に書いてある程度には困惑しとる――この状況が解せないのは俺の方なんですけどねぇアンナさん!
正座しながら逃避気味に益体も無い事を考えていると、いよいよ以て過去の裁判擬きと酷似した空気で聖女の姉の方が口を開いた。
「さて。お前の魔族領の友人について、色々と聞きたい事は多いんだが……本っ当に多いんだが、先ずは何よりも確認しなきゃならない事がある」
そう切り出して、半吸血鬼の友人の方を視やる。
「い、いや、待ってくれ金の聖女殿。本当に、さっきのは僕の言い方が悪かっただけで変な意味じゃ……」
「それを確認する意味も兼ねて、今の状況だ。悪いがコイツの弁護は一通り尋問が終わってからにしてくれ」
わぁ、空耳かなぁ。今思いっきり尋問って言わなかった?
視線を受けてクインが気後れしながらも何かを言い募ろうとするが……それをピシャリと遮って、シアは再びこっちに向き直った。
その白い指先が伸ばされ、見かけに反したやたらと力強い動作でがっしりと俺の頭を挟んで固定する。
「とりあえず、聞くべきことは一つだけだ――お前、《陽影》の下着を持ってるのか?」
oh……。
その超絶美少女と評しても良いであろう顔に、既に張り付けた笑顔は無い。
代わりあるのは、よく見れば薄っすらと口角が上がってるかの様な無表情。
個人的にはその魂を除けば一番綺麗だと思ってる空色の瞳は、光を吸い込みそうな位に見開かれている。
正直に言おう。
瞳孔開いててめっちゃ怖い。悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。
思わず目を逸らしてシアの背後にいる他のおこな面々を見るが……相変わらず、なんか複雑そうだけど不機嫌な副官ちゃんのお顔が一番怖くないって酷いと思うの(白目
隊長ちゃんは完全な能面。感情が抜け落ちたみたいな虚無顔だし、リアは……笑顔だった。床を指して座れといったときから、ずっと。
普段の楽しい、嬉しい、といった感情が溢れている明るいソレではなく、精緻な彫刻が浮かべている様な完璧な笑顔――普段の笑顔との差もあってなんなら一番怖い。
何処を見てもおそろしい表情になってる美少女とか、どんな特殊な拷問なんですかねぇ!
「沈黙は肯定と見做すぞ」
痛ダダダダダダッ!? ちょっ、やめて顔面が割れちゃううぅ。
おそろしく平坦な声と共に、俺の顔を鷲掴みにしたシアの指先がギリギリと食い込む。
これは不味い――なにが問題かって、実際に俺の部屋にはクインが別れ際に落として言った下着入りの袋が置いてあるのが不味い。
待ちたまえレティシア君! 質問、質問させて! 何でそんな質問が飛んで来るのか経緯を聞きたいんですけど!
殆ど両手使ったアイアンクローみたいにな状態で締め上げられている頭を回転させ、必死こいて現状について思考する。
本当の処はただの忘れ物を回収したってだけなんだが……状況から察するにクインが言い回しをトチってシア達が勘違いしたとかそんな感じだろうか?
幸い……でもなんでもないが、答え合わせは直ぐに行われた。
アイアンクローの威力が怒らせたときのミラ婆ちゃんと同等かそれ以上の領域に突入している聖女様が、噛み潰すような口調で質問に応じる。
「事が、済んだ、帰りにっ、下着を忘れたっ――どぉいう意味なんだろうなぁ、これはぁっ……!」
力が入り過ぎて区切って吐き出された言葉は、予想の五倍くらいぶっとんだ内容だった。なにしてくれはるんクインさん(白目
言葉だけ取り上げてみるとどう見ても事後です、本当にありがとうございました。
その台詞をクイン当人から聞かされたシア達からすれば、俺の行動は以下の通りになる。
・友達と再会する。
・男だと思っていたその人物は実は女の子で、ナイスバディな美人に変貌を遂げていた。
・女だと分かった途端、再会したその日のうちに即行でアレな行為に及ぶ。
ついでに言うなら、下着をついつい《《現場》》に忘れるくらいに夢中になった、とかそんな風にも聞こえるな。
……アウトォォォォォッ!? 論ずる迄も無く駄目なやつだこれ!? 傍から聞くと女の子だまくらかして宿に連れ込む屑野郎ムーブゥ!!
俺だって友達がそんな真似したら尋問くらいするわ! というか普通に制裁としてラリアットキメる(確信
クインさん! 言葉のチョイスをミスるにしても全部丁寧に火薬たっぷりの地雷みたいなのを選ぶのは勘弁してくださいクインさん!
俺が言い淀んでいる間にも、クインの天然成分高めな発言を真実なのかもしれない、と判断したのか皆の目付きが益々ヤバい事になってくる。
ちょっと待とうか! 誤解! 本気で誤解だぞ! いや、下着の入った袋を拾ったのは事実だけど!
誤魔化したり虚偽を述べるのは悪手――というか不誠実に過ぎるので、正直にぶっちゃけつつ勘違いを訂正しようと声を張り上げた。
アイアンクローから両の掌での頬っぺたプレスに移行した金色の聖女様が、ギリギリと俺の顔を挟み込みながら眦を吊り上げる。
「やっぱり持ってんじゃねーか!! 証拠のブツを所持しておいて誤解も六階もあるか!!」
エラい迫力で怒鳴りつけられるが、それでもさっきまでのハイライトオフした目付きよりかはマシだ。怒り方がいつものシアに戻った事に内心で安堵しながら抗弁を続ける。
だからさ、クインが帰り際に落として行った忘れ物を拾っただけなんだって!
そもそも帰る直前までマイン氏族の工房にいたんやぞ。あそこに俺が行ったら、常にドワーフ達にべったりと張り付かれる事になるんだから、クインに対して妙な真似なんぞ出来る訳も無い。
これに関しちゃファーネス達に確認とってもらったって構わんぞ。
この場の面子の共通の知人であるドワーフの名を出して、証人代わりの人間なら山ほどいる、という事を強調したのか効いたのか、聖女二人と《刃衆》のトップ二人の放つおっかない空気が大分軽減された。
ここでやっと意見を聞かれるタイミングが回って来たのか、俺を含む全員の視線が、原因となる爆弾発言を火種付きで溢したクインに注がれる。
自身の発言が原因で、あわや応接間を爆心地として工房が吹き飛びかねなかった、と理解したのだろう。
反省の意を示すつもりか、俺の隣にちょこんと腰を下ろして並んで正座した彼女は、申し訳なさそうに丁寧に頭を下げた。
「うん、概ね彼の言う通りだよ。元からドワーフの方々の運営する工房に用事があったのは僕の方で、再会がてら彼に案内してもらった形さ――紛らわしい言い方をしてしまって本当にごめんよ」
「……そっかぁ、てっきりボクは、もうにぃちゃんとの初めての交か……ゲホゲホ! んんっ! と、とにかくこっちの誤解だったみたいだし、頭をあげてよ《陽影》さん」
「そうね、勘違いで先輩にも《陽影》さんにも、ちょっとキツイ当たりをしてしまったし……此方こそおあいこという事で許してもらえるかしら?」
クインの謝罪を受け、激おこだった面々から少々バツの悪そうな空気が漂う。
別に元から仲違いしてたって訳じゃないんだが、とにかく互いに謝罪しあって、それを受け入れたことで一気に場の雰囲気は柔らかくなった様に思えた。
congratulations……! 窮地を見事突破した……! いやちょっと頑張ったぞ俺、グッジョブ……!
「あー……二人とも正座したまんまなのも何だし、そろそろ立ったら? ……アンタにも何と言うか、悪いことしたわね、ごめん」
何故か一番バツの悪い顔をしていた副官ちゃんが、頭をかきながら起立を勧めて来るのに甘え、よっこらせっとばかりに立ち上がろうとする。
そこで先程から無言のまま、考え込むように顎に手をあてて俯いていたシアが顔をあげた。
「勘違いだって言うのなら良かったよ――ところで、さっきのスーツはもう購入済みの品なのか?」
え? おう。魔装処理してるらしくて結構なお値段だったけど、良い品なのは確かだからね。つい奮発しちゃったよ。
唐突な質問に、戸惑いながらも応えると、シアは「そうか」とだけ呟いて、何でも無さそうに言葉を続ける。
「祭りもまだ本番前だってのに、高いスーツ買ったり女物の質の良い下着買ったり、財布の中身は大丈夫なのかよ? 肝心なときに手持ちが尽きました、なんて事になりそうだけど」
いやー、大丈夫よ。多めに持って来たし、ぶっちぎりでお高い買い物のスーツは取り敢えず頭金だけだし、それに比べりゃク、じゃなくて《陽影》の下着、は、ま……だ……。
「――間抜けは見つかったようだな」
oh……(二度目
再びのニッコリ笑顔となった聖女様が、俺の両肩に手を置く。
立ち上がりかけていた此方を、力を込めた腕で押し返して正座の体勢へと強制的に戻したシアは、今にも額か、さもなくば唇が触れそうな距離で更に笑みを深くする。
「この際だ。色々と聞きたい事まとめて聞くとしよう。ひとつひとつ、全部、な」
掴まれた肩が軋んで悲鳴を上げているのと、場の空気が振り出しに戻った事。
両方を感じ取った俺は、肝の冷える質疑応答がまだまだ続くと確信して白目を剥いた。
◆◆◆
――数十分後。
何時の間にやら応接間を覆う魔力障壁が解除されていたらしく、ノックの音と共に扉が開かれた。
「失礼します――どうやら皆様、ある程度は落ち着いた御様子ですね。大陸最高峰の騎士や術者の方々の集う修羅場でこの程度の被害で済んだのは僥倖、と言って良いのでしょう」
入って来たのは、オレやアリアが聖都で買い物をした事もある衣類関係の高級店――そこのハーフエルフの店長にそっくりなお姉さんだ。
唯一はっきりとした相違点である眼鏡を指先で持ち上げ、焦げた絨毯や穴の空いた床を眺めて宣うその女性の言葉に、ミヤコとアンナの帝国騎士コンビがバツが悪そうな顔をする。
察するに此処の責任者か何かであろう彼女に、先ずミヤコが頭を下げ、その後ろに控える形でアンナも深々と礼をして謝罪の意を示した。
「その……ごめんなさい。部屋の修繕費はちゃんとお支払いします」
「そうして頂けると助かります。貴族のお客様にもお使い頂けるように整えた調度品も多いので少々値が嵩みますが、そこはご了承下さい」
今回、聖女としての立場を使ってごり押しで工房内に入ったのでオレとアリアには面識が無いが、やはりあの店長そっくりだ。性格は大分差異があるが魔力の波形も似てるし、姉妹か何かだろうな。
……つい勢いで行動してしまったが、一旦落ち着いて思考も冷えれば罪悪感が湧いてくる。
応接間のアレコレを破損させたのは半分以上はオレだし、修理費用はこっちが出しとくか。アンナなんて只でさえ来月再来月は減給食らってるって話だから、流石に気の毒だ。
聖殿内ならともかく、流石に帝国で暴れる寸前だったのは不味かった。反省と謝意を込めてアリア共々、頭を下げておく。
「急に押しかけて部屋壊して、本当に申し訳ない。修繕費以外でも応接間が使えない事で発生した損失があったら教国の方に連絡してくれ。可能な限り弁償するよ」
「御迷惑をおかけしました、ホントごめんなさい」
「いえ、こう言ってはなんですが、想定より遥かに少ない被害でしたので。ただ、そうですね……聖女様方に当工房で手掛けた品に金貨を落として頂ければ、広告効果は修繕費を優に超えることでしょう」
生真面目そうな顔だが、言う事は中々商売人だ。とはいえ、何が詫びをしたいこちらとしては有難い提案だった。
それくらいなら喜んで、ってやつだ。相棒の来ていたスーツを見ても期待値が高いし、折角だからここで買い物していくとしよう。
姉妹で彼女――工房長さんの提案を快諾し、そのついでにチラリと背後を見やった。
……そこには正座の体勢から横倒しになり、口から魂的なものがはみ出そうな位にぐったりした馬鹿たれの姿がある。
鈍感と朴念仁を足して二で割らない鈍ちん野郎ではあるが、流石に四人がかりでお仕置きを兼ねて口頭で絞り上げてやったのは堪えたみたいだ。
途中でその隣に正座する流れとなった《陽影》が、陸に打ち上げられたタコみたいにぐったりしてる相棒に心配そうに声を掛けている。
「だ、大丈夫かい? その、僕の迂闊な発言のせいでごめんよ」
――いや、うん……シア達に帝国でク……《陽影》と会った事をなんも話して無かったのは俺の落ち度だし、お前さんはあんま気に病まんでえぇよ。あ、落し物は預かってるから、そのうち取りに来て……。
過去にオレが想定していたよりもずっと距離が近いというか、親しい空気を出している二人に、再びムッとした気分がこみあげて来る。
……何気にコイツ《陽影》から本名を教えてもらってるっぽいんだよな。
下着うんぬんについては一応納得というか、事情を把握したが……チッ、そっちに関しても突っ込んで聞いてやればよかった。
魔族が自身の『名』を教えるのは、家族以外では余程親しくなった者か、特別な相手だけだ。
過去に女公爵が言ってた事を嘘や大袈裟の類と思った訳でもないが、こうやって実際にソレを見せられると腹立たしいやら頭が痛いやら。
二年前に見た分には、当人が相棒に女の子である事を明かそうとしてなかったし、魔族領在住という距離と交流頻度の点から見てもそこまで警戒する必要は無いだろう、なんて高を括っていたんだけど……我ながら見通しが甘かった、とんでもない伏兵が現れたもんだ、全く。
……流石にこれ以上増えたりしないよな?
不安に過ぎる危惧を抱えつつ、応接間の直ぐ外で待機していたらしい《刃衆》の面々がこっちと合流するのを眺める。
「いや、被害がこの程度で済んで良かった……副長もお疲れ様でした、一応聞きますがお怪我は?」
「ローガス、次の訓練は覚悟しときなさい」
「何で!? 周辺被害を考慮して割と最適解に近い対応したと思うんですがね!?」
「おー……わんこ君が屍になってる。おひさー、生きてるー?」
「……もしやと思ってはおりましたが、やはり猟犬様は貴方でしたのね、スケさん。思い返せばあの街での一件、聖女様と四英雄の御一人と《聖女の猟犬》が相手だったとか、流石に豚野郎に同情しますわ」
人数も増えて一段と騒がしくなった集団を、一歩離れて見つめ――その多くが相棒との繋がりが齎したものである事に、少しの独占欲と大きな自慢を覚えて。
「レティシアー、工房の人がオススメの服を幾つか持ってきてくれたみたい。凄いよ、なんか水着っぽいのもある! こっち来て見てみなよ!」
「お、マジか。どれどれ……」
アリアのはしゃいだ声に応え、オレもその騒がしい輪に加わったのであった。