各国各々(大森林)
大陸中央部に広がる大森林。
その更に中心部に聳える創造神が齎した生ける聖遺物たる界樹。
その近辺を聖地と定めた種族――即ちエルフ達の郷にて。
神木たる界樹の異変と、数十年前より続く内部分裂同然の同族同士での派閥争い。
最近になってそれらが一気に片付いた御蔭か、随分とヒリついた空気が減り、緑深い静かな土地らしい穏やかな気配を放つ様になったその地にて。
大樹を刳り貫いて建てられたとある屋敷の中、一人のエルフが一枚の書状を前に唸り声を上げていた。
エルフらしい薄い金の髪に整った容貌、この地の植物由来の緑の衣に身を包んだその女性は、眉を寄せ、頭を抱える様にして机に突っ伏しながら分かりやすく懊悩している。
大森林において、つい最近までは貴重であった大量の羊皮紙や紙の書類に埋もれ、延々と終わらぬ煩悶を繰り返している彼女の名はサルビア=エルダ。
彼らエルフにとって最も尊ぶべき偉人といえる――だが非常に困った人物に推薦を受けて以降、エルフの中でそう年嵩、という程の年齢でもないのに最長老などという役職に就くことになった苦労人である。
厄介な派閥問題は一応の解決を見せたとはいえ、その根底にあったのは思想の違い。
彼女が元から纏めていた、外界との融和を唱える開明派については、現状について齟齬や反発などはほぼ無い。まぁ、派閥争いの勝者側といって良いのだから当たり前だが。
だが、従来通りのエルフの生き方……大森林を生にして終の住処とし、そこに住まうエルフ以外を劣った存在として拒絶する保守派の者達については、万事解決した訳では無い。
一口に保守派と言っても其処には様々な者達がおり、数が多い方だからなんとなく所属していた、程度の消極的なハト派から、古くからの慣習の為ならば同族を贄とし、謀る事も厭わない超タカ派も存在する。
当然というか、保守派の中心たる長老衆は殆どが後者であったのだが……界樹の一件以降、サルビアが最長老という明確なトップの座に就いたことで大分大人しくなってはいる。
とはいえ、サルビアが抱く『学習しない老人達』というイメージそのままに、何かと言えば嘴を突っ込もうとする者も居るので、正直相当に煩わしい。
ぶっちゃけて言えば、意見を述べる、出し合う程度なら独裁とならぬ様に必要であるのだが、長年最上位の立場に居てすっかりそれが当たり前となっていた年寄り連中には譲歩や擦り合わせといった概念が脳の中から削除されている様だ。
界樹を巡る一件の顛末で相当に痛い目を見たというのに、最長老相手にすら過去の言動がそのまま通じると思っているのは「ボケけてんのか爺婆」と罵りたくなる有様だった。
彼らの言動は言う迄もなく問題だ。今はもう微かな名残りが身体の内に残るのみとなったが、エルフにとって現人神同然である『始原の聖者』に直接祝福を施され、同胞を率いる様にと直に言葉を賜ったサルビアを軽んじる行いである。
自分達の時代がこれ以上無く綺麗さっぱり終わった事を受け入れられないが故の、哀れな悪あがきの類なのであろうが……流石に不遜が過ぎると、開明派処か嘗ては保守派であった者達でさえ、一部の長老衆を見る目は厳しい。
聖者の降臨からの、サルビアの最長老就任及び開明派の台頭。
諦観混じりとはいえそれを受け入れた老人達と、実権を殆ど失ったというのに未だにゴネている老人達。
以前より遥かにマシとはいえ、実質、今度は保守派が分裂を起こした状態に近い。なんとも頭の痛い話である。
「……猟犬殿に一報入れれば、いつの間にかあの老害共が行方不明になったりしないでしょうか……いや、顎で使う様な真似は不敬ですし……」
机に上体を伏せたまま、ともすればやや物騒な解決方法を口にする最長老ではあるが、彼女の置かれている立場を考慮すれば致し方なし、といった処か。
ちなみに余談であるが、口にした内容を実行した場合、猟犬と呼ばれる青年は他に予定が無ければ普通にやって来て存分にやらかしてくれるだろう。
政治や国絡みのゴタゴタに関わる事を苦手としている男ではあるが、サルビアに関しては流石に自分が推薦した人物ということで任命責任的なものは感じている。
なので、愚痴の様に呟かれたその一言は、実は有効な一手だったりはするのだ。
代わりに以前、彼が帰り際に我慢の限界を超えて爆発した際に比べ、聖地がやや血生臭い事になるかもしれないが。
そんな事実を知る由も無い以上、サルビアとしては外界基準でも極めて真っ当に近い判断で以て、自身の愚痴をただの愚痴として終わらせる他無い。
一歩間違えば大森林が焼け野原になるかも、という洒落にならない重圧を感じていた以前と比べれば胃が痛くなる頻度は格段に減ったが、気苦労が多い立場なのは変わらない最長老殿である。
「これもなぁ……我らに隔意のあった筈の帝国の主が、一応は文を出してくれた事自体は喜ばしいのでしょうが……」
先程から唸り声を上げる原因となっている帝国の蝋印で封されていた書状を、矯めつ眇めつ眺める。
文の内容は、サルビア――というか開明派による聖地の意識改革が軌道に乗り出した事への祝辞の言葉と、同封されていた一枚の招待状に関する説明書き。
帝国を主催として行われる、戦勝記念や復興をアピールする為の、大規模な祝祭に関するものであった。
「……個人的には開催地が教国であれば尚良かった……まぁ、これは私欲が過ぎますか」
彼女が個人的に思い入れのある人物は聖教国出身である可能性が高いので、そこでの祭りの開催となれば出席がてら、人探しを行う事も出来ただろう。
最長老としての立場もあるので私用にばかりかまけていられないのは、なんとも歯がゆい事ではあるが。
兎も角、悩ましいのはこの祝祭――《大豊穣祭》と銘打たれた祭事に関してである。
後々の外界との交流も考えれば、出席した方が良いに決まっている。
というか、下手すれば百年近くは森を出られないと思っていた身の上からすれば数少ない大手を振って外界に出られるチャンスである。
――だが。
「……行き帰りも含めて一ヵ月以上も留守……絶対老人達が余計な事してくる……」
ホントもう何なのあの爺婆。本気で猟犬殿を嗾けたい。
何気に不敬カウントされそうな思考をする程度には、サルビアも精神的に疲弊していた。
机に突っ伏していた身を起こし、ぅあ"~、と呻き声を上げながら椅子の背もたれに力無く体重を預けて仰け反る。
文が届けられはや数日。いつまでも結論を先延ばしにする訳にも行かない。出席するならするで、事前の準備や留守の間の指示をせねばならない。ないのだが。
「……安心して郷を預けられる人材が育ってない……」
留守を預けようにも、信頼できる者は基本開明派の者達だ。比較的若いエルフで構成されていた派閥故に、最長老代理などという看板を背負わせても、長老たちが何かやらかした際に制止しきれるかは……正直、少々怪しい処である。
そういった若手を何年か自分の補佐に就ける事で、将来的にはエルフの年功序列の気質が強過ぎる部分も改善して行きたかったのだが、流石に数ヵ月も経っていない状況では人材が育つも糞も無い。
――結局はそこで思考が詰まり、堂々巡りとなってしまう。
いっそ全て投げ出して姪のシグジリアの様に郷を飛び出し、自分も意中の人物を探しに行きたくなる。
責任感の強さや生来の生真面目さ故に出来る筈も無い選択を頭の中で転がすだけ転がし、サルビアは深く溜息を吐き出して指先で眉間をそっと揉み解した。
気分転換に散歩でもしようか、などと考えていると、最近は外界で言う処の執務室と化してしまった自宅の広間の扉が控え目に叩かれる。
扉ごしに掛けられた声は、最長老となった事で自宅前に常駐する様になった護衛のエルフのものだ。
以前から付き従ってくれる信頼のおける部下なので、気軽に入室を促すと「失礼します」と軽い断りの一言と共に彼は扉を開け、真っ直ぐにサルビアの前へとやってきた。
「サルビア様、来客がありましたが如何なさいますか」
「……確認を取りに来たという事は、また老人達の誰かですか。取り合う気は無いといい加減学習して欲しいものですが」
「いえ、その……長老衆の一人である事は違いないのですが……今回目通りを願ってきたのは、コニファ様なのです」
「コニファさ……殿が?」
歯切れの悪い護衛の青年の言葉に、同じく予想外の来客を告げられたサルビアが怪訝な顔で問い返す。
長老連中の内で一番の若手にして、エルダの氏族の長であるコニファ=エルダ。
派閥争いをしていた間は、長老衆の中でも能動的に動く役割ということで、度々サルビア達開明派とは衝突していた人物だ。
……なのだが、最近は大人しいというか、憑き物が落ちた様に現状を静観する事を選んだ長老衆の内の一人でもある。
界樹の一件からサルビアの最長老就任以降、今に至るまで特に何かをやらかす事も無く、強硬な保守派としての言動も抑えて粛々と氏族の代表として責務をこなしている。
未だに喧しい老人達とは違い、最長老たる自分の元に訪れたの事の無かった人物の来訪に、サルビアが困惑を覚えるのも当然の流れであった。
その事実を護衛の青年も知っているだけに、問答無用で追い払う事無く伺いを立てに来たのであろう。
「……取り敢えず、今回は会うだけ会ってみましょうか。他の老人達の様な世迷言を言えば即座に話は終了、という事で」
「心得ております。いざとなれば拘束して放り出す為に同席すればよいのですね?」
コニファがどういった目的で訪れたのかは、現状だと予想が立てづらいが……老人達と同じ『聖者に例の"種"をこの地に戻して頂くように嘆願せよ』等の妄言と似た言葉を吐くようであれば、即行で放り出そう。
すっかり手慣れた対処を部下と確認し合い、サルビアはやってきた客人を通す様にと、結論を出したのだった。
「先ずは目通りを許可してくれた事、感謝しよう、最長老よ」
「えぇ。こうやってまともに話すのはお久しぶりな事ですね、コニファ殿」
久方ぶりとなった対面は、サルビアにとって予想外な程に真っ当な始まりであった。
彼女は最長老という立場ではあるが、コニファは同じエルダ氏族の長であるので、その辺りの関係性が少しややこしいことになっている。
最悪、その部分から意見をゴリ押してくる屁理屈でもこねてくるかと警戒していたのだが、そんな事も無く。
以前と変わらぬ硬質さを湛えた美貌や立ち振る舞いはそのままに、彼女の遠縁でもあるエルダの長は淡々と切り出した。
「互いに時間を持て余す身の上ではあるまい、端的に言おう――外界の大祭とやらに出席するのであれば、私が長老衆の方々を押さえておく故、代理の選出だけは行っておくがいい」
正直に言えば、「お前に茶なんぞ出さねぇぞ」という態度を示す為に飲み物を用意しなかったのは正解だった。
告げられたあまりにも予想外の言葉に、サルビアも背後に控えた護衛の青年も「ベフッ!?」と妙な声をあげて思いっきり噴く事になったからだ。
祭りの事自体は、現在でも僅かに始まっている外界との交流を考えれば、コニファが知っていてもおかしくはない。
だが、これまでの彼女の在り方を振り返れば、出て来た台詞が不自然に過ぎた。
「……御自身を代理にしろ、とは仰らないので?」
「互いにそれが通じる立場ではあるまい」
警戒を込めて敢えて危惧していた事を口にしてみるが、帰って来た言葉はやはり特に含むもののない、真っ当な反応であった。
「特に便宜や融通を利かせる必要も無い。代理を立てた後は常の通りそちらの人員で事を廻せば良い。私が独断で他の御老体を制肘しておく、というだけの話だ」
有り得ない、誰だコイツ。偽物か。
眉一筋動かさず述べられた言葉に、思わずそんな考えが脳裏を巡る。
これまで閉鎖的だった為か、聖地のエルフはそれほど腹芸が得意では無い。
ポーカーフェイスがあっさり剥がれ落ちて驚愕しているサルビアと護衛の青年を順繰りに眺め、コニファはそこで初めて表情を崩した。
彼女は瞳を閉じると、くたびれた老人を思わせる、長い溜息をつく。
「……唯一無二であった筈の界樹が他の地で育まれ、時が過ぎれば更に其れは増えるやもしれぬ……しかもそれを為したのが始原の聖者であるのだ、女神の加護深き我らエルフが、それを認めぬでどうする」
エルフが聖者と呼ぶ青年――彼とその一団が聖地から帰還する際に起きた悶着を思い出したのか、とうに癒えた筈の鼻っ柱を撫でるように白い指先がなぞった。
「ましてや我らは一度、その聖者を謀り……幼き同胞を御供とした。かの御方の赦意無き限り、我ら長老衆に同胞を導く資格は無い」
もうそんな言葉がコニファの口から出て来た時点でサルビアとしては予想外に過ぎるが、何より意外だったのは台詞に含まれた悔恨だ。
それは、始原の聖者である青年の胤を得ようと謀りを掛けた事よりも。
その為に同胞――今は魔族領で暮らしているであろう、幼い少女を差し出した事に対する苦悩であるように感じられたから。
(……いえ、思い返してみれば、リリィを胤を受ける役目とした事についてだけは、不本意そうにしていましたね)
聖者によるお仕置きレスリングが執行される前の僅かなやり取りではあったが、これまた意外な反応であった為に記憶に残っている。
コニファが抱いていたその感情が、どういったものであったのか。サルビアには知る由も無い。
自らが赤子の頃より相応しい『教育』を施していた、次代の長老衆の一人となり得る逸材を手放す事になる反感であったのか。
それとも――自らが疎み、拒絶している外界に、幼い孫を送り出す事への心配であったのか。
どういった形であろうと、例えそれが古い慣習としきたりで縛られ尽くした歪なモノだったにせよ。
コニファはコニファなりに、孫であるリリィに対して情を注いでいた、という事だけは――きっと事実なのだろう。
だからといって、リリィにしてきた事が正当化されるなどとはこれっぽちも思わない。あの無垢な少女は、姪であるシグジリアとその夫である《虎嵐》のもとで暮らす方が幸せに決まっている。
……だが、まぁ。
(先程の発言に嘘が無い、くらいの事は信じてみても良いのかもしれませんね)
甘い判断、と言ってしまえばそうなのだろうが、今更だ。
本当に切り捨てる気であれば外界の三国の使者がやってきた際、保守派の中でも更にタカ派に位置する者達を、諸悪の根源として差し出す選択とてあったのだから。
それに、あの御方……サルビアが今も仄かに思いを寄せる、名も知れぬ巨漢の御仁も言っていたではないか。
外界で共に戦った戦士達を戦友として思う気持ちと、幼き頃より信じていた故郷の教え。
相反すると言っても良いソレ……過酷な戦場での実体験により生まれた余りにも大きな齟齬に悩み、苦悩する自分に、彼は教えてくれたのだ。
何かを赦し、或いは受け入れること、信ずることは時として打ち倒す事よりも困難である――故にこの時代、それを為そうとする者もまた、心力猛き強者と言えるであろう、と。
「尤も、かの邪悪なる神とその配下はまた別でありましょうが!」と呵々大笑する朗らかな笑顔は、数十年経っても彼女の胸を心地よく騒がせる。
聖地に戻って以降、自己の練磨を怠るは怠惰、という開明派立ち上げた際の主張の一つを実践し、魔法の修練は怠ったことは無いが……それでも、あの御仁の魅せてくれた戦武には未だ遠く及ばない。
ならば、せめて。
その心根くらいは、あの御方の言う強者でありたいと思ったりするのだ。
「……分かりました、では留守の間、暴走しそうな老人達の歯止め役はお任せします」
「任されよう。何時までも、とはいかぬ故、なるべく早くの帰還を勧めるがな」
互いの立場もある。二人は表情を緩める事無く、淡々とやり取りをするが……それでも、幾つもある壁、その一つが取り払われた感触を、両者ともに感じていた。
これも自身が目指す新たなエルフとしての在り方、その一歩だ――そんな風に小さな達成感を覚えつつ、半ば冗談交じりでサルビアは小さな釘を刺す。
「とはいえ、完全にコニファ殿に老人達の抑え込みをお任せする訳にもゆきません……もし、何某かの密事が練られているようであれば、今度こそ猟犬殿――聖者様に処断を願う事になりますので、留意願います」
心底そう思って出た台詞、という訳では無い。
繰り返す様だが、彼女もあくまで立場上、言わねばならない忠告を形の上だけでも発言した、というだけだ。
だと言うのに、コニファの反応は劇的であった。
目を見開き、一瞬雷に打たれた様にビクンッと大きく震える。
硬質な表情が崩れ、困惑を乗せた感情が浮かび上がっているのを見て取り、サルビアは呆気に取られて護衛の青年と顔を見合わせた。
「あー……コニファ殿? 大丈夫ですか?」
「……う、む。大事、ない」
いや、そんな強張った声と表情で何ともない事はないでしょ。
おそらく、最長老とその護衛の思考は、この瞬間に違わず一致したと思われる。
どこか落ち着きの無くなった長老を眺めていると、残った二人は直ぐに原因に思い至った。
(……そういえば彼女は一度、猟犬殿に折檻されていましたね)
(確かに。えあ斬撃? と仰っていましたか。殺気や戦意のみで斬られたと錯覚させる技があるなど、アレで初めて知りました)
ヒソヒソとそこまでやり取りすれば、後はもう答えが分かり切った話だった。
おそらくコニファは、聖者のお仕置きにトラウマ染みた感覚を覚えてしまっているのだろう。
それまでの言動が周り巡った末の自業自得、と言ってしまえばその通りなのだが、気の毒な話ではある。
二人が目の前で小声でやり取りしていると言うのに、それ処では無いのか長老殿はどこか落ち着き無い様子で身体を――特に左右から測った中心線に該当する部分を撫で擦っている。
先程までの気を張ったやり取りは何処へやら、温さを伴った視線を向けて来る最長老に気付いたのか、咳払いして珍しく気不味そうに言い訳じみた言葉を捻りだした。
「……仕方あるまい、何分、唐竹にされる経験など初めてだった……傷一つ無いのに視界が左右に割れる感覚なぞ、早々体験するものではあるまい」
「まぁ、あぁいった特殊な技でもない限り、普通は脳天から両断されたらそれが最期になりますからね、人生的な意味で」
「あぁ、なんとも奇妙で凄惨な感覚ではあったが……あの痛みと熱さ、貴重といえば貴重な体験なのだろう」
それは貴重と言うには無理のある体験なのでは?
当然すぎる感想は胸中に丁寧に畳んで、何処か様子がおかしいままのコニファに首を傾げる思いで、彼女が続ける言葉を無言で聞く。
「そうだな……確かに貴重であった。かの聖者の仕置きという事も鑑みれば、おそらくソレを味わった我が身は幸運なのだろう……奇妙な感覚ではあるが」
ちょっと待って、今味わうって言わなかった?
困惑した様に再三奇妙だと言い張りながら、自身の身体――今は下腹の辺りを撫でている長老殿に、彼女に負けない位に困惑しながらサルビアは畳み損ねてツッコミとして飛び出そうな言葉を噛み殺す。
チラリと護衛の方に視線をやれば、彼は「よほど衝撃的な経験だったのでしょうなぁ」なんて、のほほんとした様子で呟いていた。
なんだろうコレ、何か変だと思うのは自分だけなのだろうか。
それとも、護衛の彼が違和感を覚えていないのは、二百にも満たない若年である事が関係しているのだろうか。
自分がいい年齢だと自虐する様な推論にセルフダメージを受けつつも、エルフの最長老はすっきりしないモヤっとした感覚を言葉にする事無く飲み下す。
代わりに舌に乗せたのは、本題を語り終えて〆に入る無難な言葉だった。
「――では数日中に代理の者を選出しますので、コニファ殿は老人達の抑え役をお願いします。今から同道する護衛なども考えねばならないので、今回はこれで御開き、という形で宜しいですか?」
「……うむ、それも道理か。最長老よ、時間を取らせた。これで失礼する」
困惑を振り切れぬままの様子ではあるが、気を取り直して返事を返したコニファが、そのまま退出する。
その背を見送ると、護衛の青年が肩の力が抜けた、といった感じで軽く笑った。
「……仮にも長老衆の一人であるあの方から、あの様な言葉と助力が引き出せたのは喜ばしい限りですね。件の祭りまでそう時間も無い事ですし、早速護衛の選出を?」
「うーん……」
「……サルビア様?」
「あ、いえ。なんでもありません。そうですね……武力も重要ですが、大きな交流の第一歩です。他種族と親交を深める事に興味を示してくれる者を優先して選抜しましょう」
相も変わらず、何か引っかかる様な感覚を覚えていたサルビアではあったが。
当面の大きな問題が解決した事と、そこからの流れで第一希望であった教国では無いものの、外界にて外遊する機会が巡って来た事に対してじわじわと喜びが湧き上がり、そちらに意識を割くことにした。
折角、帝国側からの招待だ。
あちらの住人――とりわけ、聖地のエルフに良いイメージを抱いていなかったであろうに招待状を送ってくれた皇帝と、新しい関係を築くための第一歩を踏み出したい。
――それに、だ。
「もしかしたら、祭りという事で観光に来ているかもしれませんし」
その小さな呟きは、少し前に世話になった恩人達の事であり、彼女が再会を願う名すら知らない想い人の事でもある。
一応、準備だけはしていた護衛のリストを机の引き出しから取り出して。
最長老としての不安と、個人としての期待を胸に同居させながら、サルビアは初めて尽くしになるであろうお祭りへと思いを馳せるのであった。
サルビア=エルダ
エルフの最長老。
この場合、最もエライっていうだけで当然一番年食ってるって訳では無い。まだせんさいだし(長命種感
気苦労の多い生活は変わらないが、以前と比べれば大分マシになった模様。
大森林から帰って来た部下達の説得で、一応は招待状だしとくか、という結論に至った皇帝のファインプレーの御蔭でめでたく外界にお出掛けする事となる。
良い出会いが待ってるとイイネ! 色々と頑張れ伯母上。
コニファ=エルダ
ついこの間迄と比べて驚きの白さを見せた人。長老衆の一人。
本質的な価値観は変わってはいないが、少なくとも自分達が主導する時代は終わったという認識はあるので、余計な事はしないと思われる。
長老衆の中ではまだ若手であった事もあって、マシな選択が出来た感じ。
とある回帰された世界線
大森林に侵攻する膨大な数の邪神の軍勢に対し。
どうやっても勝てないから森を捨てて外界の人類種に合流しよう、と主張する開明派。
最も優れた種族たるエルフが聖地を捨てて他種族に阿る生き方をするなど有り得ない、界樹と運命を共にすべき、と主張する保守派。
この二つに別れて、あわや邪神共との戦いを前に本気の仲間割れが発生する、となった際に、コニファが「逃げたい臆病者は逃げればよい」と、そう発言して開明派と一部の保守派を落ち延びさせたりしている。
尚、こっそりとサルビアにリリィを託した後、自身は長老衆の一人として故郷と運命を共にした。
所謂、死に際にちょっとだけ漂白されるタイプ。
駄犬のエア斬撃によって疑似的に死を味わったせいか、上記と同じ効果があったのかもしれない。
その切欠となった行為とそれをやった張本人のせいで、変な性癖に開眼しかけているが本人に全くその自覚は無い。多分、この先も気付かずに延々悶々し続ける。
なんとなくそれに勘付いた最長老さんがモヤって形に出来なかった一言はおそらく
「年齢を考えろ婆」とかそんなん。