なにも起きないわけがない(後編)
「こ……の、アバズレがぁっ……!」
副官ちゃんにヤブ蚊扱いされたのが余程腹に据えかねたのか、歯を剥き出して食い縛りながら視線だけで呪い殺せそうな目付きで彼女を睨み付ける吸血鬼。こいつらの種族にとってはほぼ最大級の侮辱だから当然といえば当然か。
戦闘経験は殆ど無さそうだが、副官ちゃんの所属部隊のヤバさ位は知ってたらしい。怒りも殺意も山盛りの眼光のまま、表情に明らかに強張り――警戒感が滲んだ。事実、直ぐにでも襲いかかってくると思っていたが離れた距離を詰めてはこない。
ならこっちから行ったろ! はいポーイ!
小瓶に詰められた聖水――結界強化に使った触媒の残りを投擲する。
吸血鬼の視線が一瞬小瓶を追うが、取るに足らないと判断したのか無造作にマントが蠢いてそれを打ち落とそうとして――。
――追加でポイした小瓶と先に投げた物が空中でぶつかり、派手に中身をぶち撒けて降り注ぐ。
「うぐぉ!?」
マントや吸血鬼自身に降りかかった聖水が白煙をあげ、予想を遥かに超えるダメージに奴は苦悶の声をあげる。
おう、効いとる効いとる。立ち回りが粗雑に過ぎるとはいえ、まがりなりにも爵位級吸血鬼だ。通常の聖水なんぞ多少の牽制になれば上等すぎる、といった程度なんだろうが。
聖女様の聖性が籠った代物は流石に堪えるみたいだな。まぁ当たり前か。
作り方は簡単だ。
まず、出発前に渡された守り刀を用意します。鞘からは抜いておきましょう。
村人に大きな桶を用意してもらいます。なるべく大きな物がよいでしょう。
水を桶一杯に張ったら市販の聖水を混ぜ、撹拌します。
そこに守り刀を沈めます。制作者のシアとリアに感謝の気持ちを忘れずに。
桶の蓋――なければ厚手の布でも構いません。蓋に類する物の裏側に市販の聖水の残りを塗り、しっかりと桶に封をしましょう。
数時間経てば――なんということでしょう! ただの極薄の聖性の混ざった水が、刀身から漏れ出した聖気を受けて極上の聖水に!
うん。物は数打ち、中身はギチギチに聖性を注ぎ込まれた準聖遺物擬き、というアンバランス過ぎる逸品だからこそ出来た反則技ですわ。
とはいえ、こうしてメチャクチャ役に立ってるので、やはりお守りとして渡されたのは正解だったのだろう。あいつらには頭が上がらなすぎて地面にめり込ませるくらいしか選択肢が無くなる(確信
殆どは結界の強化に使ったが、元の量が大桶一杯分だ。小瓶に小分けで詰めれば結構な数になった。
相手が邪神共の次くらいには特効対象の吸血鬼――しかも邪神の信奉者として加護を受けているから効果倍率ドン!
俺の聖水投擲は108式まであるぞオラァ!
おかわりをポイしながら、副官ちゃんと挟み込むようにして背後に回り込もうとする俺に心底ウザそうにガン飛ばしてくる生白イケメン。
「この羽虫がぁっ! 《刃衆》の小娘の陰に隠れて屑の様な真似しかできんのかぁっ!!」
ヤブ蚊に羽虫扱いとかこれもうわかんねぇな(煽り
実際、今の俺の戦い方は最初期――シアの後ろから全力で相手に嫌がらせを繰り返す直接戦闘力皆無だった頃のスタイルだ。これを戦い方と言って良いのかは分からんが。
シアお手製の聖水を投げ、投げ、たまにナイフとか拾った石まで投げ、挑発が効きそうな相手なら煽りいれながらそこらに落ちてる馬糞牛糞だって投げ。
敵がブチ切れてシアから意識を外したところで、俺が殺される前にシアが大火力を叩き込む。
途中から俺が多少なりとも戦えるようになったのと、出会った当初の塩対応が軽減されたシアが囮戦法を嫌がり出したことで自然と消えていったスタイルではあるが、おかげで投擲技術だけは早々に実戦レベルになった。
久しぶりにやるが、うん。すげぇ馴染むわ! 必要に駆られて直接戦闘の術を手にしたけど本来の俺ってこんなもんよねフゥーハハハフハハ!
俺の安い挑発にあっさりと副官ちゃんへの警戒を下げてこちらに腕を向ける吸血鬼。
マントから伸びた影が無数の槍のように突き出され、地面を抉りながら足元から俺を串刺しにしようとする。
真横にステップしながら、これにも聖水をバシャー。日に照らされた影のように萎んで消えた槍群の消失部分に身を捻り込む。
その間にも副官ちゃんは吸血鬼と斬り結び、肩口を深々と抉った。
それに怯みながらも、再生力に物をいわせて強引に踏みとどまり、鉤爪のように伸ばした指の爪が騎士服に包まれた身体を引き裂こうとする。
その頭上に聖水を投擲するが、流石に警戒されていたかあっさりと影に打ち落とされて不発。
代わりに小瓶に続いて最速で抜き打ち投げしていた投擲刃が、延髄辺りにスコンと刺さった。
威力も無いし、特に祝福もされてない、ただのナイフだがそれでも狙う場所を選べば一瞬動きを鈍らせるくらいは出来る。例え再生しようが人型なら尚更に、だ。
そして、その一瞬があれば副官ちゃんには十分だった。
振り下ろされた爪と掬い上げるように振るわれたショートソードが交差し、打ち負けた爪が斬り飛ばされた指ごと宙を飛ぶ。
身を低くしたまま副官ちゃんは吸血鬼の懐に飛び込み、そのどてっ腹に強烈な肘を打ち込んだ。
撃ち込まれた身体が吹き飛ぶ瞬間に着弾点の肘が内側に捻られ、連動して返した手首によって握ったダガーが下腹へとぶっ刺さる。
身も世も無い絶叫が吸血鬼の喉からあがった。
本来なら最初の蹴りと同等に吹っ飛ぶ筈が、股間ぶっさして強制ブレーキだ。そら痛い。
タマ蹴られたときの痛みは他の箇所をつねったりした痛みで紛れると聞いたことがある。じゃけん、聖水おかわりで全身に痛みを散らしてあげましょうねぇ~。
副官ちゃんごと水濡れにするつもりで小瓶を複数投げつけ、追い聖水をキメる。おうタマの痛みから救ってやるよ。感謝して、どうぞ。
「……!! ……!」
夜の農村に小瓶が割れる音が連続で響き渡り、沸騰した蒸気のように白煙が吹き上がる、悲鳴すらなく崩れ落ちる吸血鬼。
副官ちゃんが下腹から引っこ抜いたダガーをくるりと手の中で回し、逆手に持ち変えてトドメといわんばかりに心臓を狙って突きをブチ込こもうとして。
白煙の向こうで、血の様な色をした瞳が爛と輝いた。
死の間際に立たされてようやっと形振り構わなくなったらしい男が、自身を巻き込む勢いで影から触手染みたものを放出し、一気に広範囲を薙払う。
先程迄の影とは似てるが、違う。こりゃ邪神の加護によるものか。ひでぇ代物だ、俺の視覚によろしくない。
投擲が有効なギリギリの距離を保っていたこちらにも多少だが触手の暴威が向けられ、低い体勢のまま身を捌いてそれの隙間を抜けた。
一方、ほぼ密着距離だった副官ちゃんだが。
彼女は吸血鬼の放つ死に物狂い――窮鼠の気配を感じとると、即座に攻撃を中断。
膝を突いた吸血鬼の肩を蹴って、空中でとんぼを切っていた。
触手の範囲と密度は大したものだったが、高さだけは其ほど無かった。それを攻撃が来る前に感覚で察知する辺り、俺とは違う本物の前衛職の凄みを感じるね。
とはいえ、空中では良い的なので俺が隙を潰す必要がある。
防がれるの前提で聖水を投擲。攻撃後は殆どが影に沈んだ触手だが、残った数本が個別の生き物のように蠢き、小瓶を全て撃墜する。だがこれで良い、着地までの僅かな時間は稼げた。
自分の頭上に差した影で、吸血鬼はやっと空中の副官ちゃんに気づいた。気付くのが流石に遅すぎて草。スペックは確かに爵位級吸血鬼に相当するのに、こうまで戦闘経験の無さが露骨に出てるのを見るに、女公爵の下にいた頃は余程箱入りだったのかね。
咄嗟に顔を挙げた窓際吸血鬼の顎に、鋼で補強されたブーツの爪先が捻り込まれる。
トドメを刺し損ねた分の魔力を脚に回して宙を舞った副官ちゃんは、その強化された脚力を存分に生かして着地前に相手の顔を豪快に蹴り上げた。
血飛沫と砕けた歯を撒き散らしながら、縦に5回転くらいして吹き飛ぶ元イケメン。今? 顔面大惨事だよ。
十分に練られた攻性の魔力が籠った一撃だ、吸血鬼の不死性からして死にはすまいが早々に回復もしないだろ。
「は……馬鹿、な……人間2匹風情に、私が……なぜ」
ガクガクと小刻みに痙攣しながら、這いつくばっている己の現実を否定するように言葉を溢す血みどろフェイス。
どうでもいいけど、下顎砕けて歯も殆ど吹き飛んでるのに相変わらず流暢な発音やな。特技ですか?
油断せずに仕留めようと、残った聖水と投げナイフを構えてゆっくりと距離を詰める。
対して副官ちゃんは蹴りを放った位置から動かず、苛立ったように短く告げた。
「遅い」
ギリギリと締め上げるような怒気と相反するような静かな闘志。
それにまともに晒された半死半生の吸血鬼は、怯えたようにビクリと震えた。
「咄嗟の判断も、魔力の展開も、戦いで腹をくくるのも」
普段の彼女を知る者からすれば冷たさすら感じる口調だが、押込められた赫怒は抑えつけた分、強烈な圧となって漏れ出ている。
「基礎能力の高さだけに頼りきって何一つ練られてない、どれ一つとして研がれていない」
激発するのを堪えるように、副官ちゃんは二剣の柄を軋む程に握りしめていた。
この程度の力を振りかざして、村の人たちを餌扱いして殺そうとしたのか?
この程度の死地で竦む奴が、己の戦友を差し置いて、真の貴族なんて嘯くのか?
言いたい事は色々あったんだろう。
だがそれを言葉にする価値も無いと判断したのか、彼女は静かに、明確に構えを変えた。
猫科の猛獣の様に足幅を広く取り、体勢は低く、刀身は傾げた身体の脇へ。
「ふざけんな、ド三流」
胸の怒りを吐息と一緒に吐き出すように、一言だけを吐き捨てて突貫しようとする副官ちゃんに自身の‘’死‘’を強烈に幻視したのか、吸血鬼は短い悲鳴を挙げると自身の影を広げ、その中に手を沈み込ませた。
影でも渡って逃げる気か、と少々慌てたがちと違う。
ずるり、と半身を引きずり出されたのは、一人の女性だ。
質素な衣類に、ひっつめの赤髪、意識を失っているのかぐったりと力なく手足は投げ出されている。
――! おい、ふざけんな。その人は。
俺にひっついていた坊主が、最後に見たときに腰に抱きついていた女性――坊主の母親だった。
既に手頃な補食対象を自身の魔力でマーキングでもしてたってのか。
それにしたって、結界で保護された人ひとりを手元に引っ張り出すなんぞ、相当な消耗を強いられるだろうに。
「こ、この女の命が惜しいのならば、今すぐ武器を捨てて膝をつけ!!」
うーわ(呆れ
なけなしの余力をぶっこんでやらかすのが人質作戦かよ……今の副官ちゃんにニトロでもぶち込みたいのかコイツ。
とはいえ、腹に据えかねているのは俺も同じだ。やっぱ邪神を信仰する奴とか同じく糞だわ。
「…………」
黙したままの副官ちゃんの瞳に、怒りと闘争心以外にも冷々とした何かが灯る。
打倒すべき敵ではなく、駆除すべき害として認識を移行したのか。
表情もストンと抜け落ちて、実に怖い。
《刃衆》の名を聞いて警戒しておきながら、そこのNo.2をガチ切れさせるとか実は吸血鬼じゃなくて自爆芸人か何かなんだろうか。
「は、ははっ。早く武器を捨てて這いつくばれ! この餌の手足が落ちるのを見たいのか!?」
動かないままだが、武器を捨てもしない副官ちゃんに引きつった笑みを向けながら再度武器を捨てるように促す残念吸血鬼。
それでも彼女は動かない。
ふむ。こりゃ待ってるな。初めて共闘する根無し草の転移者を随分と信頼してくれるもんだ。
それじゃ、ご期待に沿う様になんとかしてみようかね。
吸血鬼の脅しに従うように、ゆっくりと両手を挙げる。
視界の端にそれを納めた奴が、喜悦に顔を歪めながら副官ちゃんに貴様も武器を捨てろ! とわめき散らすのを尻目に、ゆっくりと小瓶を取りだし、見せつけるように後ろに一つ、一つと放り捨てていく。
大人しく武装解除を進めるように見える俺より、武器を捨てない副官ちゃんへと警戒の度合いが傾いていくのを確認しながら、じっくりと相手を観察。
最後の一つを放り捨てる直前、業を煮やした吸血鬼が乱暴に人質の髪を掴みあげた。
それを見て副官ちゃんから怒気が吹き上がり、血みどろの大惨事顔面に張り付いた引きつった笑いは一瞬で凍る。
副官ちゃんと人質。二つに完全に意識が割かれた瞬間、小瓶を放り捨てた手を戻す動作で腰の得物を指に引っ掻けた。
よーし、気付くな気付くなー。そのままビビってろ。
武装解除を終えて再び手を挙げるように見せ、指の裏手に挟んだソレを、指と手首だけを使って静かに上空へと放る――っしゃ、成功だ。
くるくると回転しながら、闇夜に紛れて高く舞うソレに。
力を殆ど使い果たし、副官ちゃんの放つ威圧に飲まれかけている吸血鬼は気付かない。
――3
「ならっ――ならばっ、この餌の耳が落ちるのを指をくわえて見ているがいいっ! 次は目、次は指だ! コレが欠け者になるのは貴様のせいだ! 女ぁ!」
――2
脅えた己を無かったことにするように、殊更に勝ち誇るように喚いて爪を人質に向ける。
――1
「守るべきを守れぬ騎士であることに耐え切れなくなれば、即座に剣を捨てて這いつくばれ! 慈悲を――!」
――0、はいドンピシャ。
トン、と。
軽い音を立てて人質の女性が囚われている影に、一振りの短刀が落ちる。
見た目はただのナイフ、中身は聖女様謹製のエグい退魔の刃であるそれは、吸血鬼の――引いてはその奥に蠢く邪神の加護を感じとり、その聖性を一気に放出した。
それはさながら、音の無い閃光手榴弾か。
圧倒的な光量が刀身から飛び出し、周囲を一時的に白く染め上げる。
俺たちにはただの強烈な光だが、吸血鬼にとっては真昼の太陽に等しい。足元に拡げた影は一瞬で破裂するように消え失せ、人質が放り出される。
坊主の母ちゃんの髪を掴んでいた腕は、炸裂する光に一番近かった為か消し飛び、全身を聖光で滅多打ちにされて大きくのけ反る奴の前に。
光の壁を突き破り、副官ちゃんが一気呵成に踏み込んだ。
めっちゃ速い。その直線速度は、彼女の上司――隊長ちゃんと同じ領域に達している。2年間の鍛練の賜物ってやつか。
ロクに反応すら出来ない吸血鬼は、その瞳だけを大きく見開かせ。
「ブッ散れ」
端的に告げられた死の宣告は、二刀の形となって突撃の加速のままに心臓を突き破り、左右にかき開くように振るわれる。
心臓ごと胸部から両断された上半身が、先程の短刀のようにくるくると回って月を背後に浮かび。
思い出したように血を吹き上げて崩れ落ちる下半身を尻目に、副官ちゃんは人質の女性が地面にたたきつけられる寸前、それを抱き止めた。ナイスキャッチ。
――‘’信奉者‘’の吸血鬼、討伐完了だ。
いやぁ、なんとかなるもんだわ。本来なら爵位級吸血鬼にこの戦力で無傷で勝利とか無理ゲーだし。
遭遇したときは最悪を想定して腹を括ったが、蓋を開けてみれば副官ちゃん単独でも普通に勝てていただろう相手だったのは不幸中の幸いか。
いうて、俺のやったことなんて嫌がらせに聖水投げつけてるだけだったけどね。戦力(笑)
数秒の滞空時間を経て地べたに叩きつけられた吸血鬼の骸に、一応の警戒を払いながら人質だった女性を抱えている副官ちゃんに歩み寄る。
で、坊主の母ちゃんは無事かい? なんともない?
「ざっと見ただけだけど、気絶してるだけだと思う。幸い、噛まれた痕跡も無いよ」
女性の状態を軽く確認したアンナ先生から、なんとも安心するお言葉を頂いた。
そいつは何より。もし噛まれているなら、治療には高位の聖職者が必須だ。拘束して聖都まで担いでいくハメになるからね。
坊主も一安心だろう、と思っていると広場の方からバタバタとせわしない足音が聞こえてくる。
「――かあちゃん!!」
戦闘が終わって静まり返った夜に響いたのは、甲高い子供の声だ。
母親譲りであろう赤毛を振り乱して、半べそをかきながら走りよってきたのはいうまでもなく、あの坊主だった。
――悪ガキめ、建物から出るなと散々言い含められただろうに。
大人達を振りきって飛び出してきたんか。
タイミングが悪けりゃ、人質が二人になっていたかもしれん。
鼻を鳴らして嘆息する俺に、副官ちゃんが肩をすくめて笑う。
「まぁ、仕方ないよ。多分、目の前でお母さんが影に呑まれて消えちゃったんだろうし――ちゃんと守れて、良かった」
……せやな。結果オーライか。
副官ちゃんの腕に抱かれた意識のない母親に大泣きしながらとりすがるチビすけに、寝てるだけだから安心しろや、と声を掛けて赤髪をかき混ぜてやろうとして。
――地べたに転がっていた骸が、ゆっくりと身を起こすのが視界に入って咄嗟に坊主の襟首を掴む。
俺が坊主を引っ掴んで横っ飛びに身を投げ出すのと、副官ちゃんが母親を抱えて全力で後方に跳躍したのはほぼ同時だった。
そこに、影――いや、粘性を湛えた泥のような黒い『ナニか』が、叩きつけられる。
強酸でもぶちまけたように嫌な音を立てて地面が灼け、飛び散ったソレが辺りの草木を枯らす……いや、侵食した。
……あぁ、この現象といい、背筋を這いずり回るような重圧と嫌悪感といい、うんざりする程覚えがあるわクソッタレが。
吸血鬼の両断された胴の下から、泥がズルリ、と滑り落ちるように出てきて、無数の触手になってその上半身を持ち上げる。
「あqぎあえrほばふぉいh……エ、サ……ヂェjvっっtyゴロ、ス、ヒヒッ」
死にかけでも流暢だった発音はどこへやら、不明瞭な雑音が混じったような呻き声をあげながら顔を上げた吸血鬼に、表情は無い。
正確には、顔に空いてる穴の全てから泥が溢れ出て、表情なんてものを浮かべる隙間は存在していなかった。
何が起きたかなんて明白だ。
邪神の欠片の発芽。容量を遥かに越える呪を注ぎ込まれていた身体が、当人の死後に加護に乗っ取られて暴走しとる。
……窓際族ですらない、使い捨ての爆弾みたいな扱いだったか。
本来の用途として使われる前に戦争が終わった、ってオチかよ。分かりきったことではあるがロクでもねぇ連中だ。
見ているだけでSAN値直葬な光景に、抱え直した坊主はとっくに気を失っている。精神の防衛反応としては至極真っ当だ。パニックになって暴れられるよりは随分マシだしね。
とにかく、一旦距離を取ろうと魔力を脚に巡らせようとして――泥の吹き出る穴となった瞳と、目があったような気がした。
クッソが!? 魔力の放出に反応するタイプかよ!
どぷ。と間抜けな音を立てて、下半身代わりの泥から無数の触手が吐き出される。
先刻の戦闘で振るわれた影と同じで軌道は丸わかりだが、単純に速さが桁違いだった。
今の俺じゃ無理だ、捌き切れん。
このままだと坊主がただでは済まない。そう判断して力一杯その小さな身体を副官ちゃんの方へと放り投げ――。
そこに触手が殺到し、人様の胴体と手足に散々にブチかましてくれた。
かろうじて急所は避けた。が、咄嗟の魔力防御はあっさりぶち抜かれ、衝撃で身体が軋み、意識が飛びそうになる。
触手が鋭利さや貫通力を求めた形に変形していなくて助かった。最悪、達磨になってるトコだ。
胃から競り上がってくる嘔吐感をこらえながら、なんとか受け身をとって地面を転がる。
大分吹っ飛ばされたおかげで距離は離せたが、状況はよろしくない。
副官ちゃんを見れば上手いこと坊主を受け止めてくれたようだが、先の一撃で俺との距離は随分と開いてしまっている。
おまけに彼女の後ろには意識を失った親子が二人。庇う以外の選択肢を持たない副官ちゃんは迂闊に動けない。
聖水が残っていれば最大級の特効を発揮して、牽制として役に立ってくれただろうが既に品切れ。
朝まで粘れば本体である吸血鬼の骸が耐えきれずに消滅し、芋づる式に泥も消えるだろうが、夜明けはまだまだ先だ。
――どうする、どうすればいい?
考えろ。何かある筈だ。何か。
とにかく合流しようと3人の元へと駆けながらも、焦燥のままに思考を走らせるが、吸血鬼――いや、邪神の極小の欠片である泥は俺が妙案を閃くのなんて待ってはくれなかった。
カクカクと糸繰り人形みたいな動作で、骸の首が副官ちゃんとその後ろにいる親子に向けられる。
「gでょじあrhじょいひhくぇj オン、ナほぺrじぇq」
「 ジ ネ" 」
泥に埋め尽くされた筈の顔が、ニタリ、と歪み。
俺に吐き出されたものとは比較にならない量の触手が、奴の腹から飛び出した。
まるで横向きに落ちる黒い滝だ。
本来なら回避に専念するであろうソレに。
後ろの二人を守るために、一歩も引かずに副官ちゃんは二刀を構える。
脅えなんぞ微塵もない。ただ、決死の覚悟だけを相貌に浮かべ、黒い瀑布を迎え撃つのが見えて――。
――すまん、無理だ。
俺は、その瞬間に誰に詫びたのか。
泣かせたままに離れたのに、守り刀まで用意してくれた二人にか。
再三に渡って忠告してくれた女神様にだったのか。
ひょっとしたら両方だったのかもしれないし、他にもいたのかもしれない。
結局、俺は勝手に好きにやって勝手にくたばった馬鹿のまんまで。
自分が眩しいと、綺麗だと、勝手に焦がれた魂が傷つくのを、どうやっても我慢できない糞拗らせ野郎なのだ。
その癖、一番に焦がれている魂を泣かせて、その輝きを曇らせているんだからね。マジで救えねぇ。死ねばいいのに。
そんでも。
こんなどうしようもない、ロクな輝きも持たない、シケた石ころみたいな魂の俺でも。
それでも、この瞬間。俺が、俺だけが手を届かせる事が出来る奴がいる。
なら、迷う必要は無かった。
――《起動》。
単文の起動詠唱。
女神様に身体を再構成されて以降、俺の魂の内で眠ったままだった武装を叩き起こす――!
――俺が女神様に与えられた下駄――俗にいう転生特典は二つだ。
視覚レベルにまで認識強化された魂の感知。
精神への外部からの干渉や汚染、負荷への超耐性。
後から気づいた事ではあるが、多分、シアのループに同道する適性なんて欠片も持たない俺の為にわざわざ耐えうる為のものを選んでくれたんだと思う。
それに関してはマジで感謝しかないが、如何せん両方とも直接的な戦闘力には殆ど関係が無いのが難点だった。
だから俺は探した、俺に致命的に足りないソレを補うための武器を。
本来なら俺が100万回挑んだって足元にすら届く筈もない怨敵の喉笛に、牙を届かせる方法を。
これが、その答えの一つだ。
《報復》。
正式な銘を持たず、ただ通称でそう呼ばれた魔鎧は長らく続いた邪神戦争の負の遺産――その一つに数えられる。
制作者は大戦で全てを失った名工のドワーフとも、万の知識を邪神への復讐に注ぎ込んだ魔導師とも言われ、果ては邪神への報復心に呑まれた転生者の魂が、鎧に乗り移って生まれた産物なんて与太話もあるくらいだ。
圧倒的な自己強化能力を主軸に、戦闘機能継続の為の負荷分配、直接殺傷した相手からの魔力奪取、etc。
使用者の精神を蝕み、血肉を食い潰す代わりに、文字通り人外級のスペックを与えてくれる特級呪物。
憎悪・復讐・殺意で構成された、邪神への悪意を凝り固めたようなその武装は、俺にとっての天恵だった。
本来なら一番のデメリットであろう、使用者への精神の侵食。
それを俺の特典ならば殆ど無効化できるからね。
シアもリアも、なんなら殆どの知り合いは「そんな呪いのアイテムはとっとと捨てろ」と口を揃えて言ってきたものだがとんでもない。
こいつのお陰で、シアが救いたいと望み、俺が焦がれた多くの魂達に手が届いた。
こいつがあったから、絶対に殺すと、この世界から消してやると常々思っていた邪神へと届く算段がついたのだ。
周りがどう言おうが、こいつは俺にとって必須の存在で、最後の最期まで共に戦った相棒だ。
鎧ちゃんマジラブリーマイバディ、prprしたい。すこ。ってなもんである(真顔
久方ぶりの起動にも、鎧ちゃんはスムーズに応えてくれた。
――女神様の言っていた反動のせいか、稼働率自体は最低限――籠手部分のみだが、それでも十分だ。
腕に励起した魔力導線が喰い込む――主観的には数日ぶりなのに酷く懐かしく感じる感触に、頼もしさしか感じない。
副官ちゃんに迫る、クッソ汚い触手の群れに手を向け、知覚を開始。
起動時に額や頬、身体のあちこちが裂ける感触があったが、俺にも鎧ちゃんにも動作に問題はない。
触手が副官ちゃんに届く直前、掌握が間に合ったので根刮ぎソレを掴む。
そのまま流して、地に叩きつけた。
空中で軌道を曲げて地面の汚い染みになった触手群に、副官ちゃんは一瞬呆気に取られ――次いでこっちを見て驚愕した。
――まぁ、気づくよね。俺が俺だって。
今更だ。
鎧ちゃんを使うと決めた瞬間に、腹なんて括ってる。
不義理の謗りも、身勝手への罵倒も、全部受けるわ。なんならジャ○プなんぞ無くたって構わない。刺されるの上等、彼女にも――あいつらにも、その権利がある。
――でも、その前に殺ることがあるんだよなぁ。
一足飛びに跳躍して、副官ちゃんと泥の骸の間に割って入る。
膨大な魔力を垂れ流してる俺、というか鎧ちゃんに泥は即座に反応し、今までで最大級であろう量の触手が水音をたてて飛び出し、槍のように、鞭のように、こちらを覆い尽くす勢いで振るわれた。
加速された知覚で全て捉えると、籠手に包まれた両腕で螺旋を描き、その動作で渦を巻くように一纏めにして再度触手を地面の染みに変える。
これも、鎧ちゃんのお陰で手に入れた技術の一つだ。
歴代使用者の有用な技術を現使用者に焼き込む機能は、俺の乏しい才では殆ど使えず、意味の無い物だったが一つだけ有効な代物があった。
《三曜の拳》と呼ばれるその技術は、所謂異世界特有のマジカル武術だ。
力の流れ――魔力でも聖気でも、生命エネルギーでも、元は魂から派生する根っこは同じモノ。
ざっくり言えばこれを知覚し、特定の方向性を持って操作する技術や。
本来なら、これだって俺には到底手の届かない――ごく一部の達人とかそういうジャンルの連中が修行の果てに手にする業なんだろう。
でも、俺には特典その1、視覚レベルにまで認識強化された魂探知がある。
魂の放つ様々な力の波動の知覚という、最初の難関をほぼ無条件でクリアした事で、粗だらけの下手糞ではあるが真似事くらいは可能になった。
嘗ての鎧ちゃんの使用者と違って、基礎くらいしか使えないけどな!
俺のレベルキャップが糞低いからね、仕方ないね。
触手を全部流してやったというのに、懲りもせずに再び腹からゴポォして汚いものを飛ばしてくる泥に向かって、俺は一直線に突き進む。
こちらに雪崩れ込んでくる無数の黒い流線を《流天》をもって掴み、流し。
打ち払った際に鎧ちゃんが『喰った』魔力を《地巡》で大地に巡らせ、浄化。正常な魔力として己の身体へと再循環させ。
蓄積された魔力を《命結》でもって結び、拳に命を宿らせる。
魂より零れた力は天を流れ、地を巡り、やがて命に結び付き――又魂へと。
天・地・命。
是、三曜を以て魂と為す――!
正面から触手の津波を捩じ伏せ、拳を泥の中心部へと叩き込んだ。
打点の中心からさざ波の様に衝撃が伝わり、一瞬の後、泥は力を失った様に、ただの液体になって地面にぶち撒けられる。
邪神の欠片に呑まれた哀れな吸血鬼は、朝を待たずにその骸を灰に変え、消えていった。
なんとかなったか……クッソ疲れた……。
久々のまともな戦闘の緊張感から解放され、そのまま地べたに寝転がりたくなる。
が、そういう訳にもいかんのよね。
寧ろ俺にとってはここからが本番だ(震え声
スーッ、ハーッと。深呼吸一つして、ゆっくり後ろを振り返る。
「そう……そういうことね、そういうオチだったワケ」
そこには、泥なんぞ目じゃない夜叉がいた(白目
据わりきった眼で俺を見つめる副官ちゃんに、自然と背筋が伸びる。
今更言い訳なんぞ不可能だし、するつもりもない。
俺に出来ることは、怒れる鬼神様の沙汰を粛々と待つことだけや。でも怖すぎてう○こチビりそう。
「……一応、確認しといてあげるわ、《聖女の猟犬》さん。身体は大丈夫なの?」
あ、はい。疲労感は酷いけど、意外とダメージはないっぽいです。
女神様があれだけ言ってたんだし、最悪ここで終わるのも覚悟してたんだけど。
起動時こそ、あちこち裂傷が走ったみたいだが、その出血も止まってるし、痛みも殆ど無い。
なんやろ、古傷が開いてすぐ閉じた、みたいな。
鎧ちゃんと融合してた両腕も何時もみたいにザックザクになっとらんし、逆に不安になるレベルでダメージは軽かった。
自己診断した限りでは全然問題ない、という結論を伝えると副官ちゃんは一つ頷き。
「色々と言いたいことも聞きたいこともあるし、もう正直こんがらがってワケ分かんないけど」
輝くような笑顔を浮かべ、拳をゴキゴキッっと鳴らした。
「先ずは一発、殴らせろ」
dsynー。
とんでもなく気合いの入った拳が腹に突き刺さり、俺はくの字に身体を折り曲げてお空へと吹っ飛んだ。
わぁ、おほしさま、きれい(白目
俺たちの戦いやその後の喧騒なぞ知ったこっちゃ無いといわんばかりに。
お月さまとお星さまは優しく夜の地上を照らしていた。
???「はぁ?? あんな呪いのアイテムを相棒とか馬鹿じゃねーの?」イライラ
???「(与えた加護はそういう風に使うものじゃ)ないです」(白目