嘗ての邂逅 魔族領(前編)
※時系列的には大戦時の中盤くらい
大陸南方、魔族領。
その中でも、特に吸血鬼達が主に居を構える領域へと俺達はやって来ていた。
現状、邪神の軍勢との戦いは人類種優勢で推移している。
この間の大きな戦線を攻略した際に数名の信奉者の幹部らしき連中を討ち取れた事を考えれば、近い将来、自分が辿り着いた事の無い『決戦』に近い大きな戦いも訪れるかもしれない。
今までのループでも経験の無い未知の領域に対する少しの不安と、それを遥かに上回るやる気やら希望やら決意やらで目が潰れそうな輝きを放ってる我らが聖女様の言だ。
ここ最近ではそのピカピカっぷりも顕著になってきた。傍にいるだけでとても眼福で俺としても非常に嬉しいです、ハイ。
将来、来るべき大一番に向け、シアはこれまでの経験からこの時期ならば協力の要請――即ち此方の戦力の拡充が可能である、と判断した魔族領へとやって来たのだ。
今回、我が友人の立場は特使とかそんな感じになる。
無事協力が得られれば大々的に発表し、帝国と教国で魔族領も立派な人類種の戦力やで、と太鼓判を押すことで現状、孤立しがちな魔族達へのマイナス感情をどうにかプラスに持っていく、というのが副次的な狙いだ。主目的は純粋に戦力の確保だけどね。
ちなみに俺は言う迄も無く護衛ね。《聖女の猟犬》なんつー大層な呼び名が広まりだしてる御蔭で、護衛が俺一人でも文句が出てこないのは正直助かる。
護衛を大人数ぞろぞろ引き連れなくて済むのは有難い、というのはシアも同意見みたいだしな。
形式通りの使節団染みた集団になると、道中で信奉者達の襲撃を受けた際に死傷者を出さない様に立ち回らなければならないので、寧ろ面倒まである。
実際に被害が出たら面倒じゃ済まないしね。シアに関わる案件での無駄な人的損耗は当人のメンタル負担になるのでNGです。
その点、俺とシアだけなら互いの背中だけ気にしていればいいので楽なもんだ。ぶっちゃけ、俺達二人なら襲撃してくる戦力に眷属が混じってても問題無い。
というか実際問題無かった。全員膾斬りにしたった後で聖女様パワーな浄化でキレイキレイしてくれたので、今頃襲ってきた阿呆共は野生の獣やら魔獣の腹を満たしていることだろう。
とにかく、今日この場を訪れたのは戦力拡充の最初の一歩――魔族の中では性質的に一番邪神に魅入られやすい、なんて風評被害染みた風聞が流れてる吸血鬼達に協力を仰ぐためだった。
にしても、だ。
なんというか、この地域だけ教国や帝国みたいな洗練された――或いは洗練させようという意志を感じる建物が多い。
通過してきた魔族領の他の地域の建物を見ると、質実剛健というか、実用性一点張りみたいな感じの建物が多かったんやけどな。
街中の家々や並ぶ店なんかも、この地域だけは帝国の皇帝陛下のお膝元である帝都みたいなイメージを受ける。デザインや配色など、要所要所で南部独自のスタイルが上手く融合してる感があって真似って感じは全くしないが。
この地の主――吸血鬼達の主である公爵様の居城を見上げながら、そんな事を考える。
今更ではあるが、当然の疑問を聞いていなかった事を思い出して隣に並ぶシアに声を掛けた。
「うん、どうした? 別に礼法とかは教国式ので構わないぞ。此処の主はとんでもなく女王様気質な女だけど、礼さえ守ればそこら辺は意外とおおらかだしな」
うんまぁ、それも気にはなっていたんだけど、もっと根本的な事を聞いて無かったって思ってな。
ここさ、魔族領の中では西寄りやん?
ぶっちゃけ、領内の中央――ここのトップである《魔王》陛下がいる王都外周部を迂回する様な形で来てる訳だが。
これっていいの? 吸血鬼達だけじゃなくて、魔族領全体に正式な協力要請――同盟に近い申し出をしに来たんだからさ、先に王都行かないと不味くない? 《魔王》のメンツ的に。
「あー……普通ならそうなんだけどな。でも、魔族領に限ってはこれで良いんだよ」
頭をかきながら、シアはちょっと面倒くさそうな顔をして語りだす。
その口調は説明自体が面倒というよりは、これから自身が口にする内容に関して厄介さを覚えている、といった感じだった。
「まず、《魔王》はそういうの全く気にしない。宰相みたいな立場の《亡霊》は場合によっては良い顔をしないかもしれないけど、吸血鬼達の主――女公爵が絡むとなれば仕方ない事だってスルーしてくれる筈だ」
そこで言葉を切り、ピッと人差し指を立てて断言してくる。
「対して、その女公爵だけど……《魔王》の後で挨拶に向かったって知ったら絶対臍を曲げる。最悪、協力要請を突っぱねる可能性すらある」
えぇ……。
場合によっては大戦の行く末が決まるっつー局面なのに?(困惑
「……脳筋が多い魔族だけど、吸血鬼だけはこう、貴族主義というか、高貴な者こそ徳高くを好むというか……基本、理性的な連中なんだよ。女公爵も根っこの部分では、そこに違いはないんだ」
何処か疲れたような、呆れた様な面持ちで金色の聖女様は大きく溜息を吐き出した。
「……でも、《魔王》が絡むとなると話は別だ――あの二人、めっっっちゃくちゃ仲が悪いんだよなぁ」
えぇ……(二度目
魔族のトップと、そこの領内で自治権与えられた、半分大公みたいな立場の公爵が?
俺の言葉に「うん」と言葉短かにシアはこっくりと頷いた。
「うっかり顔を会わせるとその場で煽り合いになって、一分後には殺し合いが始まる位には仲が悪いらしい。お前もあの女の前では《魔王》の話題は避けるようにしてくれよ?」
いうて、俺はその《魔王》陛下とまだ会った事がないからなぁ……話題に出そうにも杓子定規な会話の中で単語として出るかも、程度のもんやろ。
にしても、ただでさえ散発的に信奉者連中にテロ行為引き起こされてるってのに、お偉いさん同士がそんな関係でよく国としての体裁が保つな。周りの人達がその分凄い苦労してるのかね?
「実際に政務を仕切ってるのは筆頭補佐の《亡霊》だし、そっちに対しては寧ろ同情的なんじゃないか? オレも立場上、そんなに深く関わった事は無いんだけど……女公爵も《魔王》をトップに据えて置くこと自体には文句が無い、って感じだったし」
レベルの高いツンデレか何かでしょうかねぇソレ。
個としての戦士の力量を評価する、力! 暴力! パワー! つよいがえらい! な冒険者とかを十割増しくらいに脳筋&野蛮にしたようなイメージがあった魔族だけど、集団となるとやっぱり面倒な組織構造とかあるんやね。まぁ当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
俺がアホっぽく口を開けて相槌を打っていると、シアさんは苦笑いして少し顔を寄せて追加情報を口にしてくる。
「そこまで大層なモンじゃないと思うぞ……あの二人、古馴染みというか、幼馴染みたいな間柄らしくてな? 昔からの付き合いの分、気安さとかもあると思う」
はぇ~……《魔王》陛下と女公爵が? でも殺し合いまでする間柄を幼馴染と呼ぶにはちょっと関係がデンジャー過ぎると思うんですが。
「ちなみにコレ、何回か前のときに女公爵から直接聞いた話だから。今回は当然、聞かされてないから迂闊に知ってるってことを話さないようにな?」
おい、じゃあ何で今話したんですかねぇ!? 公爵様相手に腹芸せにゃならん要素を増やすの止めてくれない!?
「今更だろ。オレとお前、後はアリアとしか共有できない情報が幾つあると思ってんだよ――お前なら、お前がいれば、良い方向に転がしてくれるだろ? 何時もみたいに」
どこか悪戯っぽく笑いながら、しかし目を細めて俺を見つめているシアの表情は、とても楽しそうで良い笑顔だ。
最近よく見せる様になった、なんというかこう……良い意味で色々な感情が満ちて溢れんばかりなそのスマイルをされてしまうと、俺としては何も言えなくなる。その顔ズルくね? 魂の輝きをそのまま笑顔に搭載したようなの胸に響くってレベルじゃないんですけど。
見る度に最期に向けての覚悟が良い具合に決まるので、気合が入るっちゃー入るけどね。
……強いて言うなら、もっと見ていたかったって欲が出るのが難点だが……。
でもまぁ、そう言ってくれるのは嬉しい。俺なりに頑張ってはいるしな……なんか過大評価されてる気もするが。
胸に湧いた未練にも似た感情をスルーして肩を竦める俺に、此方の腹に隠した思惑なぞ知る由も無い聖女様はもう一度、今度はニヤリとした笑顔を浮かべた。
「よし、じゃぁ行こうぜ。遠話で話は通ってるから待たされるって事も無い筈だ、今のうちに腹括っておけよ」
あいよ、しっかし教国の教皇やら枢機卿連中といい、帝国の皇帝様のときといい、お偉いさんとの初顔合わせは何回やっても慣れそうにねぇなぁ。
ボヤく此方に発破をかける様に、俺の背中を一つたたいて城門へと進むシアの後ろにくっついて行く形で歩き出した。
「よく来た、神子の小娘――いや、今は金色の聖女と呼んだ方が良いか?」
吸血鬼らしい日光の入り辛い作りの居城を内部の者に案内され、めっちゃ豪華な客室で待たされること暫し。
先のシアの言葉通り向こうさんも俺達を待っていたのか、出された紅茶を飲み干す時間すら無く、早々に此処の主――女公爵に御目通り叶う事となった。
通されたのは、まるで王族との謁見を行う様な玉座の間。
長命種でも更に不死性の高い種族なので、吸血鬼は個体数自体はそう多くないのだが……それでも、城に勤める多くの者がその広間に集まっている。
その最奥、脇に相当に高位であろう同族の美青年を侍らせたその女性は、宵闇色の玉座に肘をつき、ドレスから覗く艶めかしい長い脚を組んで俺達を待ち受けていた。
傲然という言葉を体現した様と、それを虚栄とは思わせないだけの自負と威風。
艶やかな濃藍の髪は立ち上がれば脚まで届きそうな程に長く、人間にはやや光量が足りないこの場所でも僅かな光を反射して輝いている。
下手なモデルくらいでは裸足で逃げ出しそうな見事な肢体を包むのは、肩と胸元が大きく出たドレス……何処か血を思わせるダークレッドの装いだ。
首の上に乗っかった、これまたとんでもなく整った顔と――何よりこの暗がりの中で一際妖しく輝く真紅の瞳。
全く抑える気の無い垂れ流したままのふざけた量の魔力も相まって、正しく人外の美、という言葉がピタリとはまる。
吸血鬼達を束ねる、爵位級吸血鬼。
その頂点に君臨する、彼らの始まりたる始祖の血を引き継ぐとされる王位級吸血鬼。
魔族領、唯一の公爵位の持ち主にして、領内西部を統括する《宵闇の君》――彼女は、多くの者に女公爵と呼ばれている。
うん、散々っぱらシアに事前に言われていた通り、一目見ただけで分かるめちゃくちゃ尊大な女王様ムーブだわ。
対するウチの聖女様も、完全に余所行きの顔と所作で形式的な挨拶を淡々と返す。
「お久しぶりです公爵閣下。この度は――」
「あぁ、よい。今日は気分が良いでな。格式ばった挨拶は略し、以前と同じ振る舞いをする事を許そう」
あっさりとシアの言葉を遮ると、女公爵は発言の通りに機嫌の良さそうな表情で艶然と笑みを浮かべた。
「元より、嗜好はやや異なれど我らも魔族の一員――強者には相応の敬意を払うが性よ。目に余る阿呆の類でも無ければな」
頬杖をついて、くつくつと喉の奥で笑いを零す様は実に絵になっている。
「その目に余る阿呆は後に置いて、先んじて我が身に謁見を申し出た判断、上出来であると褒めてやろう」
「……そりゃどーも」
先方の許可という名の要望の通り、早々に余所行きの猫被りをやめたシアがぞんざいな口調で礼を言う。
目に余るアホウって《魔王》陛下の事かコレ。マジで仲悪いんやなぁ……。
事前に教えてもらってよかったー、とか思いながら二人のやり取りを眺めていると、ある程度気安い挨拶を改めて交し終えた処で女公爵の眼が俺に向いた。
「――して、貴様の後ろに控えるのは従者か? 見た処転移者の類だが……いや待て、今回は護衛と二人で来たと聞いたな」
「あぁ、従者じゃ無い。オレの友達で、相棒だ――《猟犬》って言えば分かるか?」
「ふむ、そうか。こやつが」
女公爵の眼が僅かに見開かれ、同時に広間に詰める吸血鬼達から、微かに騒めきの声が上がった。
「おぉ」とか「あれが……」とか聞こえるけど、ガッカリさせたらごめんなさいねぇ、鎧ちゃんの中の人はこんなんよ。
臣下だけでなく、此処の主も興味を惹かれたようで、玉座の上から真紅の視線が突き刺さる。
とんでもねぇ美人の遠慮ない居丈高な目付きに晒され、居心地が悪いってもんじゃなかったが……一応、聖女様の金魚の糞としての立場もあるので丁寧に腰を折ってお初にお目に掛かります、と最低限の挨拶だけはしておく。
俺がちょっと尻込みしてるのを察したのか、シアがさり気なく女公爵の視線を遮る様に前に出てくれた。
「顔合わせは終わっただろ公爵。そろそろ今回の件について話を始めたい」
「――ほぅ?」
シアの顔を見て一瞬怪訝な顔をして見せた公爵様だったが、すぐに何かに気付いたかの様ににんまりと朱色の唇が弧を描く。
背後に控えている俺ではシアの表情を見ることが出来ないので予想するにしても判断要素に欠けるが……。
相手は長命種の中でも相当に古株の為政者だ、海千山千なんて言葉じゃ足りん位のやり手だろう。
洞察力や探り合いで勝てるとも思ってないが――さて、向こうさんは我が友人の顔を見て何に気付いたのやら……。
視線が俺に戻されると、向けられていた品定めの眼がどこか背筋の寒くなる、舐め回す様なものに変わった。
え、なにこの目付き。こわい。
シアの言葉は無視して、吸血鬼の女王は玉座に頬杖ついた尊大な態度のままで、空いた手の方をゆるりと持ち上げる。
その白磁の如き白さの指先が俺を指し示し、小さく折り曲げられた。
「興味が湧いた。そこな者――《聖女の猟犬》よ、許す。近う寄れ」
なんで?(真顔
俺の顔は困惑を通り越して馬鹿面だったと思う。
対して、スルーされた聖女様の方が少し苛立った様子で俺を庇う様に片手を翳し、女公爵に向かって一歩進み出た。
「おい……特使を無視してその護衛にちょっかい出そうとするなよ公爵様。いい加減本題を――」
「それは後で良い。《猟犬》よ、近くで顔を見せよ。二度目の呼びかけを拒むは、この身を侮っていると判断するぞ?」
再び適当に流された事によってシアの視線が益々剣呑なものに変わるが……いや待て待て、確かに困惑はしてるが、近くで顔見せるくらいなら何てこたぁないやろ。
この人が凄いゴーイングマイウェイな女王様気質だって教えてくれたのはお前さんだろうに、なんでいきなり煽り耐性の低下を引き起こしてんねん。
慌ててシアを宥めると、何が面白いのか口の端を笑みの形に歪めたままの公爵様のもとまで歩み寄る。
俺が大人しく彼女の言う事を聞いたせいなのか、背にした気配の不機嫌度合いが増した。なんでやねん、どうすればえぇねん。
正直、女公爵の嬲りがいのある鼠を見つけた猫みたいな眼は怖かったが、いつになく急速に不機嫌なったシアにも今までと違う感じを覚える。
この手の嗜虐性の強い相手に感情を荒げるのは悪手だ。その位の事はウチの聖女様が理解して無い筈がないんだが……。
ごちゃごちゃと頭の中で考えるものの、何時までも此処の主を待たせる訳にもいかん。取り敢えず玉座直ぐ前まで向かうとその場で跪いた。
ぶっちゃけ、教国の特使とその護衛という立場からすれば、幾ら相手が公爵様とはいえへりくだった態度が過ぎるとは思うのだが……多分、このおねーちゃんはこうした方が機嫌が良くなる。
この世界の美人は怒らせると怖いなんてレベルじゃねー人ばっかりだからね! 流石に靴舐めるのはゴメンだが頭低くする程度で機嫌とれるなら幾らでもやるわ!
「ふむ……」
何かを思案……或いは見定める様な女公爵の呟きが漏れ聞こえると、玉座から身を乗り出した彼女の手が伸ばされ、俺の顎を掴んでクイッと顔を上に向けた。
間近で覗き込んでくる妖艶な美貌。
うむ、近距離で見るとやべーな。シアリアとは全く別ベクトルの妖しい魅力がある。
血の様な紅い瞳に見つめられて吸い込まれそうな気分になるが、瞳に自分のすっとぼけたツラが映って苦笑いが漏れそうになった。
「……おい、いつまで……!」
「凡庸だな」
シアが焦れた様な声を上げるがそれを遮り、あっさりとした口調で公爵様は品定めの結果を口にした。
「よく鍛えられてはいる。が、それも特筆する程の物では無く、転移者としては魔力も貧相――まぁ、これは与えられた加護が魔力の増幅に関わりの無い類い、耐性や知覚に関するものであるせいか? ともあれ、見目も才覚も、突出したものは何一つ感じられんな」
わぉ、辛辣ぅ。
とはいえ、大体的を射ている評価だ。特に大雑把ではあるが俺の転生特典についてアタリをつけてくるのは予想外。
何某かの看破の技能か単に経験による推測か――どちらにしても精度がえげつないな。
そんな風に顎クイされたまま感心していると、背後からバチッっと放電するような音と共に魔力の波動が放射された。
当然というか、俺のすぐ後ろには聖女様しかいない訳で。
「……………」
無言なのが怖い。アカン、これ相当苛立ってるやつや。無意識に魔力が攻性を帯びて洩れとる。
なんだかんだと仲間想いな奴だからね。散々っぱら無視されたりスルーされた上に友達が酷評されたのを聞いてかなりお冠みたいだ。
玉座の間に集まっている吸血鬼達も顔色が悪い――のは種族的に元からだが、とにかく、漏れた分だけでも容易に計り知れる圧倒的な魔力量と聖性を感じ取ってちょっとビビってる人が多い。
物騒な魔力に背中をじりじりと炙られて肝を冷やしている俺や、聖女の怒り混じりの聖気に怯んでいる臣下とは対照的に、女公爵は面白い物を見た、と言わんばかりにシアを眺めて蠱惑的な笑みを浮かべている。
こちとら背中越しでもおっかなくて仕方ないってのに豪胆な事だ。公爵様っつーより女王様ですねぇこれは(確信
ひょっとして、本当にちょっかいを掛けたかったのはシアに対してであって、俺は当て馬代わりだったのかもしれんね。
そんな予測を立てつつ、現実逃避も兼ねて目の前のおそろしく整った御顔を眺めていたのだが、楽し気にシアを見ていた女公爵はもう一度眼前の俺に視線を戻して、最後に囁くように耳元で一言付け足す。
「それだけに歪――いや、異質であるな。何を見、何を経験すればこの様な在り方になるのやら」
吐息がかかる程の距離で、俺にだけ聞こえる様に呟かれた声は、ひどく楽し気ではあるが同時に呆れと感心も含まれている様に思えた。
……すげぇな、マジで。
色々と生き方を変えるレベルの衝撃的なものを『視た』のは確かだが……それを初見で此処まで言い当ててくるのか。今まで具体的に指摘して来たのはお師匠だけだったんだけど。
一頻り俺を見定め、シアからの反応にも満足したのか。
女公爵は俺の顔から手を離すと、再び玉座に背を預けて頬杖をついた。
ドレスのスリットから伸びた白く艶めかしい脚が、これ見よがしにゆっくりと組み替えられる。
折角近くにいるんだから眼福極まりない光景をガン見したい処ではあるが、相変わらず剣呑な雰囲気の友人にフォローを入れる方が優先だ。軽く頭を下げるとそそくさとシアの側に戻る。
ヘイヘイ、聖女様。何事も無く終わったからいい加減その物騒な魔力を引っ込めなさい。向こうさんの故意的言動が原因とはいえ、一応特使として来た人間が威嚇染みた真似してどーするんだってばよ。
小声で告げた言葉にシアは何故か半眼になって此方を見返すと、目を瞑ってふーっと息を吐きだした。
同時、僅かに漏れて出ていた魔力もピタリと放出が止まる。
怒りを収めてくれたみたいで俺がホッとしていると、次の瞬間、伸ばされた掌に顔面を鷲掴みにされ、一瞬だけ魔法が発動された。
……今のは浄化魔法か? なんで急に顔をキレイキレイされたの俺。
「……なんとなくだ。それより、いくら外交先の相手とはいえ吸血鬼の顔を耳元や首筋に近付けさせるなよ、不用心過ぎるぞ」
む、そうなのか。でも、当の女公爵様は俺に食指を動かすような素振りは全く無いから杞憂だと思うんだが……。
「猟犬の言葉に誤りは無い。中々に面白い男であるようだが、その身に流れる血と魔力自体は先の評価通りのものだ。我が喉を潤すには不足が過ぎる」
玉座から見下ろす本人が断言したのを聞いて、それはそれで面白くない言葉だ、と言わんばかりにシアは顔を顰めた。
そんな反応もいちいち楽しそうに眺めていらっしゃる吸血鬼の女王様は、「さて、此度のそちらの要求についてだが」と言って、頬杖を外して両の手を胸の下で組み合わせる。
「盤面が大きく動いた際の助力――あの汚泥共との戦もようやっと終わりが見えるというのならば、それについて否は無い」
大分寄り道というか、本題と関係の無い事で時間をくったが……やっとこ聞けた今回の来訪に付いての色好い返事に俺とシアは顔を見合わせて小さく安堵の息をついた。
そんな此方を玉座から見下ろしていた女公爵は、組んだ手を解くと自身の濃藍の髪をかき上げ、思案するように視線を宙に彷徨わせる。
「ふむ……この場で細部を詰めるというのもつまらんな……一旦ここまでとするか。貴賓室に案内させる、そこで待つが良い」
ひどく簡単に結論を出したと思ったら、この場の解散を宣言するのもまた唐突。
いきなりに過ぎる主の言葉にも異論は全く無いのか、特使がやってくると言う事で集められたのであろう城勤めの者達は静かに、そして一斉に頭を垂れた。
もう確定事項、といった感じで女公爵はさっさと席を立って玉座の裏に下ろされた帳の奥へと引っ込んでしまう。
えぇ……妙な"遊び"でこっち散々にを引っ掻き回したと思ったら、肝心要の外交の話は凄いあっさり片付けたぞあのねーちゃん……。
俺が思わず零した感想に、シアが「そういう奴なんだよ、あの女は」と、心底面倒くさそうに嘆息したのだった。
――で、十分後。
「こちらが中庭になっている。主は薔薇がお好きでね、戯れに食事を薔薇の精気で済まされる場合もあるので、中庭の敷地の半分は薔薇園となっているよ」
シアと一旦別行動になった俺は、玉座の間にて公爵の側に侍っていた線の細い金髪の美青年に案内されて城を散策していた。
特使と吸血鬼のトップによる一対一の対談、という形を女公爵が希望した為に、省かれて暇になった俺に彼が声を掛けて来てくれたのだ。
「対談が終わるまでの間、用意された客室に案内せよと言われたが……遥々教国より来訪したお客人だ、良ければ城内を軽く案内しようか?」
爽やかに笑ってそう提案してくるイケメンの言葉に、お部屋でボーっとお茶飲んで待つよりは良いかと乗っかった形である。聖女様と公爵様の話がどれだけ時間かかるかも分らんしね。
薔薇園は公爵の居城でも指折りのお勧めスポットらしく、特使としてやってきた人物なら立ち入りも可能だから是非見て欲しいと言う青年だが……中庭って事は陽がモロに入るんじゃないんか? 日没前の今の時間だと、案内してくれるおたくがしんどそうだが。
「ははっ、気遣いをありがとう。だが問題ないよ、確かに草花の生育もあるから中庭は日差しがよく入る作りになってはいるが……僕は日光への耐性が高くてね。真昼でも余程日差しが強い日でも無い限り、大した苦では無いのさ」
へぇ、マジか。聞いた話だと日光にほぼ完全な耐性があるのは此処の主様だけだって記憶していたが……。
「うん、純血の吸血鬼では、陽光を完全に克服しているのは主だけだね。僕は正確には他種族とのハーフ――半吸血鬼だから」
ほほぉ、半吸血鬼。実力主義が魔族の基本姿勢とはいえ、貴族社会の側面が強い吸血鬼の中でハーフの身でトップの側仕えしてるって凄いやん。クソ有能そう。
「それは買い被り過ぎかな。主は将来性を見越した、といって僕を抜擢して下さったし、それに関しては心底感謝しているけれどね……」
白い頬を少し赤らめてはにかむ青年であるが、先程までの爽やか王子様風の気配が薄れたせいで同性の俺からみても非常に可愛らしく見える。なんというか、下手な奴が交流したら性癖が歪みそうやなこのイケメン君は(失礼
下世話な話かもしれんが、そっち方面の意味での側仕えなのかもね。別に本人が嫌がってないなら問題視する様な事でも無いけど。
雑談がてら、互いの事を語ったりしながら歩を進めると、程なくして女公爵御自慢の薔薇園へと到着する。
……こりゃ凄いな。花を愛でるなんでいう雅な趣味とはおよそ縁遠い身ではあるが……こいつは素直に感動するわ。
その庭園には、吸血鬼達の瞳を思わせる紅い薔薇をメインに、白、薄桃、黄と、様々な色の薔薇が色とりどりに咲き誇っていた。
ガーデニングの知識なんぞ全くないが、咲く場所や薔薇の種類の位置配分など庭師が技巧と知識を凝らしているのだろう。なんというか、全体像で見た感じ嫌味のない綺麗な統一感がある。
敷地内に満ちる薔薇の香りも、強くはあるが不快な事は全く無い。なんだろうこれ、庭園内の空気の流れとかまで考えて手入れしてあんのかね? はぇー、すっご(語彙力
これも一種の職人の技って奴なんやろなぁ……大聖殿の練兵場みてーな中庭と比べたら失礼なやつだなこれ。
「見事なものだろう? 僕も城勤めになって初めて見たときは、らしくもなく感動したものさ」
青年の言葉に頷きを返す。こら凄いわ。写真がこの世界に無いのが悔やまれるね。
「そう言ってくれると、手入れをしている庭師も喜ぶだろう。外からのお客人はこの地には滅多にない事だからね、来たとしても大抵は領内の中央からだし……」
あぁ、吸血鬼以外の魔族の感性じゃ、植物鑑賞なんていうのは縁が無さそうだしなぁ……。
それにしてもまぁ、なんだ。野郎二人で薔薇園というのも何とも片手落ち感があるな。とはいえ、片方が女性と見間違うばかりの美人系イケメンなのでかろうじてセーフで。
「ふふっ、なんだいソレ。主も仰っていたが君は中々面白い人だね」
いやー、お前さんの言ってる意味と女公爵が言ってた意味は多分全然違うと思うよ。
柔らかく笑う青年に先導されながら、美しい庭園の中を益体もない話をして歩く。
中庭の中央にある小さな噴水の前までやってくると、そこで彼は歩みを止めた。
「唐突かもしれないが、僕が君の案内を買って出たのには、個人的な理由があってね」
うん? 個人的な理由とな。お前さんとは間違いなく初対面だと思うんだが……。
「あぁ、そうだ。こうして《《互いに》》顔を合わせるのは今日が初めてだよ……その上で、不躾だとは思うが一つ、頼まれて欲しい」
一瞬、どこか迷うような素振りも見せたが……結局青年は俺の方へと向き直ると、纏っているケープを翻し――軽く腰を落として身構える。
「失礼は重々承知――一手で良いので、御手合わせを願いたい。《聖女の猟犬》よ」
敵意などは全く感じられない……だが奇妙な程に熱の籠った瞳で、彼は俺を真っ直ぐに見据えてそう告げたのだった。