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老兵の残照 母と娘(後編)







 静かに構えをとり、緩やかに伸ばした手に。

 やはり型も何も無い、前傾の姿勢から伸ばされた漆黒の装甲に包まれた指先が触れ、手の甲がそっと重なり合う。

 教えた筈の構えも、より集中を増す為の呼気も、目の前の強烈な威圧を放つ"獣"からは何一つ見いだせず、また感じ取れもしない。


 だが、それでも。


 それでもミラは、魔鎧の向こうに白い少女の姿を、あの穏やかな日々を視た気がした。


 彼女と、彼女の弟子がいて。

 弟子の友人達が稽古に加わり、賑やかに――だが真剣に対峙し。研鑽を積み、共に過ごした時間は絆を深めて。

 初めての弟子に四苦八苦して、自身にとっても未知の体験や感覚を数多く知り。

 それに振り回される己を、昔からの付き合いである友人達が時たま揶揄いにやって来る。


 時間にして一年足らず。

 けれど大切な――暖かな日溜りの様なあのときを、感じた気がした。


 重なっていた手が離れ、両者は動き出す。


 "獣"の貫手が喉を狙って突き込まれ、身を傾けて躱す。

 その腕を取り、《流天》で体幹を崩そうとして、同じく《流天》で相殺され、だが掴んだ手首と肘を返して脚を払う。

 足元を刈られた"獣"が魔力噴射で瞬時に体勢を立て直し、お返しとばかりに低い軌道から蹴りが飛んだ。

 水平に振り抜かれる蹴り足を跳躍して避け――一瞬だけ振り抜かれた足へとつま先と乗せる。

 間を置かず跳ね上げたつま先は、"獣"の蹴りから半瞬遅れてやってきた鋼の尾の強襲を天へとカチ上げた。

 互いに半歩、踏み込む。

 至近距離でこめかみを狙って振り上げられた魔鎧の肘を手掌で受け流しながら、逆の手で掌底を捩じり込み。

 極一瞬の魔力噴射で拳一つ分だけ下がると、空いた隙間に掌が差し込まれ掌底が受け止められる。

 そのまま此方の手を握り潰さんと力を込める"獣"の手を引き寄せ、最速で練った《命結》を膝に載せて横腹に叩き込んだ。

 腹部の装甲に罅が入り、衝撃で漆黒の鎧姿が一歩、退がる。

 靭尾を地に突き刺し、強引に踏み止まった"獣"は下がった一歩を取り戻すように深く、踏み込んだ。

 それを見て取ったミラもまた、一歩、踏み込み。

 互いに振り上げられた脚が交差する間合いで、《地巡》を行使した震脚は大地を穿ち、揺らして、両者の足裏が沈み込む。


 同時に繰り出したのは、中段――胴への突きだった。


 ミラの一撃が魔鎧の腹腔に、魔鎧の一撃はミラの胸元に。

 地から巡った力を拳に結び、存分に練り上げて打った《三曜の拳》。

 この戦いで魔鎧の主の技は限りなく高まったとはいえ、純粋な技量では未だ師が半歩上をゆく。

 練った魔力の量も、質も、ミラが上回る。

 ほぼ密着距離での《三曜》を用いた打撃戦ならば、速さと膂力で上回る"獣"のアドバンテージも十全には生かせない筈であった。


 ――だが。


「――ゴ、ふッ……!」


 血を吐いて崩れ落ち、地に膝着いたのはミラであり。

 立っていたのは《報復(ヴェンジェンス)》だ。


《命結》を乗せた打撃を、互いに叩き込んだ瞬間。

 "獣"は自身の尾を用いて、同じく《命結》の打効を乗せた一撃を、自身の背に打ち込んでいた。

 狙ったのは、打撃の相殺――厳密には《三曜の拳》同士の同種の攻撃による、打効の減衰である。


 一歩……否、半歩間違えば減衰どころか相乗となり、大破する可能性もあった筈だ。

 だが、土壇場で打ったその手は成功した。成功させた。


「……み、ごとです、スノウ。私では思いもつかない……ゴホッ、実行しても成功させる自信はありません……」


 意識が、或いは理性が無くとも。

 過去に頭髪を用いた《三曜》の行使などという離れ業をやってのけた才覚(センス)と発想は、間違いなく今回のソレと同質のものだ。

 こんな状況だというのに、女傑の胸中にあったのは弟子への賞賛、そして師としての誇らしさであった。


 血に染まった口元を緩め、容赦なくとどめの拳を振り上げる魔鎧の姿を見上げ、微笑む。




「――それだけに、残念です。出来れば私の技を以て、貴女を止めたかった」




 漆黒の拳が、振り下ろされる。


 勝敗を確かなものとする、無造作に打ち下ろされた一撃がミラの頭部へと吸い込まれ――。


 ――瞬間、頭を振った女傑の編み込まれた髪が拳を受け止め、明後日の方向に"獣"の打撃は逸らされた。

 完全に予測の外であったのか、盛大に空振りした漆黒の鎧姿の上体が僅かに泳ぐ。


 彼女が行ったのは、頭髪によって発動させた《流天》による受け流し。

 魔鎧の一撃を受け流すには練度が不足していたのか、衝撃で纏めた髪は千切れ、半ばから弾けて舞い散る。バラけて広がる金灰の髪から、鋼線と共に編み込まれた小さな木札が数枚、零れ落ちた。


 空を切って振り抜かれた拳、微かに隙を晒す漆黒の鎧姿。

 金灰の髪毛が光を反射して宙に散る向こう、その光景を捉えた、刹那。


 ミラは片膝を着いた体勢から、渾身の力を以て跳ねる様に"獣"へと踏み込んだ。

 胸部から広がる激痛も、喉からせり上がる鉄の味も、全て意思一つで捻じ伏せ、己の最速で肩からぶつかる様に黒鎧の懐へと飛び込む。


 逃さぬ様に片腕を背に廻し、重なり合った姿はまるで師が弟子を抱擁する様で。

 反撃か離脱か。何れかを選ぶと思われた魔鎧は、何故か呆とした様を見せてそれを受け入れる。


 黒い装甲に覆われた腹部へと、そっと押し当てた拳に力が込められ。

 残った魔力も体力も、全てを注ぎ込み、紛れも無く人生最高の速度と精度を以て其れは練り上げられた。


「――《星辰》」


 静かに、いっそ優し気に囁かれた言葉が、"獣"の耳朶を打った瞬間。

 衝撃と魔力が漆黒の装甲、その全身を隈なく走り抜け、粉砕する。

 文字通り、魔鎧を頭部からつま先まで粉々に弾き飛ばした極撃は、しかし使い手たる少女に傷一つ付ける事は無く。


 意識を失って膝からくずれ落ちる白い少女を。

 師は今度こそ、その両腕で受け止め、抱きしめた。







 四英雄と呪いの魔鎧。

 その戦いは、前者の勝利という形で収束した。

 滅びた小さな村の跡地に響いていた闘争の喧噪は収まり、再び土地は静けさを取り戻す。


 魔鎧を一時的に停止させるのは成功したが、まだ気を抜くことは出来ない。


 ミラは意識の無いスノウをその場に寝かせ、尽きかけた魔力を絞り出して回復魔法を発動させた。

 此方の攻撃で一切ダメージを与えてなくとも、そもそもが使用するだけで肉体に著しい負担を齎す呪物だ。

 鎧を使った反動で新たに全身から出血している少女は、これまで各地を転々としながら戦いを続けていた負荷が溜り続けている筈。


 可能なら《地巡》で自身の魔力も補填したかったが、体力の方も限界に近い今、《三曜》を行使すれば意識が飛ぶかもしれない。

 何より、そんな時間すら惜しい。

 目を覚まさない少女の傷ついた身体を、丁寧に、そして迅速に魔法で癒してゆく。


「――ミラ」


 背後から掛けられた声に、振り向く事無く応える。


「ヴェティ、二人の治療は終わりましたか? なら申し訳ないですが此方も手伝って下さい」


 己の枯渇しかけた魔力では十分な治療は施せない。多重の結界を保持し続けていた友人に無理を言う様だが、単純な魔力量ならこの場で最も多いヴェネディエならばまだ幾らかは余力がある筈だ。


「……あぁ、二人とも無事だよ」

「ならば、お願いします。思ったより傷が多い。早急な手当が必要です」


 何か言いたげな青年の言葉を遮る様に言葉を被せると、魔力枯渇で酷く怠い身体を無視して、特に酷い裂傷のある左腕に回復魔法を集中させる。

 じりじりとではあるが、少女に刻まれた全身の傷は癒されている……だが、少女は目を覚まさない。


「ミラ」


 再び名を呼ばれるが、悪いがこれ以上は返答をする余裕も無い。ただ、無心になって魔力を注ぎ続ける。


「ミラ、もう分かってる筈だ」


 静かに掛けられる言葉に、らしくも無く苛立ちを覚える。

 今は問答をしている時間など無いのだ。話なら後で聞くので早く少女の治療に加わって欲しいというのが本音であった。

 少女は目を覚まさない。


「僕が見ただけで分かるんだ、君が気が付かない筈が無いだろう」


 言い募る言葉は、静かで、優し気で。けれど耳を塞ぎたくなる様な響きを伴っている。


「君も、戦闘中に最悪のケースの一つとして予想はしただろう」


 うるさい、聞きたくない。手伝う気が無いのならもう黙っていてくれ。

 ミラは返答も反応もせず、ヴェネディエの言葉を拒絶する様にひたすらに回復魔法の維持に注力した。

 少女は目を覚まさない。


「――遅すぎた……いや、スノウが()()()()んだ」


 それは、魔鎧が姿を変えて起動した際にほんの僅かだがミラの脳裏に過り。

 目を逸らして、気付かないフリをして頭から打ち消した可能性だった。




 侵食武装――それは、最終的には使い手の肉体・精神のみならず魂まで取り込む呪物の中でも特に忌まれる武具だ。

 本来ならば長い使用期間を経てゆっくりと血肉に喰い込み、融合し、最後に使い手の魂を喰らう。

 魔剣や妖刀などと呼ばれるものは、程度の差こそあるがこれに該当する物が多い。


 スノウが魔鎧を手にして精々が二ヵ月と少し。

 或いは、今代の主となった少女が歴代の使い手達と同等の資質であれば、()()()()()のであろう。


 だが、白い少女の資質――《報復(ヴェンジェンス)》の精神侵食を受け入れ、魔鎧の性能を引き出す適正・気質は、今までの主と比して群を抜いていた。


 それ故に、既に彼女はどうしようもなく心身を魔鎧に侵食されている。


 適正とは、相性では無くその精神性。

 自身を呑み込もうとする憎悪の呪い――その根源となる自身と同じく奪われた者達の慟哭の記憶。

 魂を侵されるその感覚に、無意識にでも拒絶を覚えていれば此処まで侵食が加速する事は無かったのだろう。

 だが、少女は拒絶よりも共感を覚えてしまった。

 喪われた者への嘆きに、手から零れた大切な存在への哀切に、一緒に行こう、この憎悪をぶつけてやろうと。そんな風に思ってしまった。


 それは、憎悪を象徴する存在に選ばれ、自身も憎悪に灼かれながらも――同じ境遇の、嘗ての誰かに向けた優しさが齎した想いだったのだ。




「……残念だ、ミラ」


 沈痛さを押し殺した声と共に、ヴェネディエの手が肩に置かれ。

 それを振り払って、ミラはその言葉を否定して叫ぶ。


「――まだです、まだ間に合う筈だ! まだ……!!」


 体内に残った魔力の絞り滓を搔き集め、種火として生命力を燃やす。

 疑似的に魔力暴走(オーバーロード)を発生させて回復魔法の効果を増大させようとすると、少女に翳していた掌が弱々しく止められた。


「もういいよ、ミラ……いみ、ないから……」

「ッ、スノウ!」


 薄っすらと開かれた紅い瞳と目が合う。

 傷だらけのその手を取り、辛うじて意識を取り戻した弟子の身体を、師はそっと抱き起す。

 力無く握り返されるちいさな掌の感触に、思考を滅茶苦茶に乱されたミラは何も言葉に出来ずに沈黙する。

 暫しの沈黙が降りると、やがてスノウの唇から小さく、震える声で言葉が零れ落ちた。


「……ごめんなさい」


 堰を切った様に、溢れ出す。


「……ミラに怪我をさせちゃった……! 助祭様にも……おじさんにも……! ごめんなさい……っ」


 違う、と。ミラは言葉にならない声で即座にそれを否定した。

 これは私の我儘だ。皆は私情に付き合ってくれた――ならば責は私にある。貴女が謝る事など無い。

 直ぐにでもそう言ってやりたいのに、今だって伝えたい言葉は胸から溢れかえって止まらないというのに。

 喉が腫れ上がった様に鈍痛を訴え、それに塞がれたみたいに言葉がつかえて出てこなかった。


「……こんなに迷惑かけたのに……それなのに、わたしは邪神共(アイツら)が許せないままだ……! 今だって身体が動くなら、一匹でも多く殺してやりたいって思ってる……!」


 そんな事、この世界に生きる誰もが大なり小なり思っている。

 決して異常でも悪い事でも無い。やり方を少し間違えただけだ。

 幾ら思おうとも、ミラの口と舌は相変わらず仕事を放棄して役立たずの儘だ。


 懺悔する様に独白を続ける少女の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

 小さく咳き込むと、ゴボッと音を立ててその小さな口から血塊が吐き出される。

 それを見たミラの背筋が粟立ち、もう喋らない様にと、なんとか出てこない言葉を捻りだそうとして。

 今にも消えそうな、そっと握り返されている手に微かに力が籠った気がして、制止された様に再び舌が動かなくなる。


「……ブランの、ことだってそう、だ……わたしは、あの子にひどい嘘をついて……なのに、あの子は目を覚まさなくて……ゲホッ……なのにわたしは……ほんとのことを、教え無くて、すむって……どこかでおもってた……!!」


 ぼろぼろと、涙の粒が零れて傷だらけの頬をつたう。

 身体の痛みでは無い、もっと深くに刻まれたそれに顔を歪めてる少女の声色は、罪悪感と後悔で押し潰された者のソレだった。


「わたしが、居なければ……ミラだって、怪我をしなかった……! わたしが、出会わなければ……エーデルと、ブランだって……!」


 違う。

 違う、そんな訳が無い。


「……やっぱりわたしは、『不吉の子』だったんだ……!」


 違う――違う! 絶対に!


「――違う! 貴女は不吉の子などでは無い!!」


 胸にせり上がって来た熱が、ミラの喉に詰まった言葉を溶かして口へと押し出す。

 殆ど怒鳴り声の様になって放たれた叫びに、瞳を閉じて涙を流し続けていた少女が、驚いた様子で目を見開いた。

 その手を、抱き起した身体を、しっかりと己の腕で包み、腹の底から突き上がる衝動に任せて女傑は絶叫した。


「貴女を見出したのは私だ! 責があるとすれば私にだ! 貴女が――スノウが不吉であるなどと、言わせない! 誰にも、何にも!!」


 感情の儘に、そのちいさな身体を抱きすくめて。

 改めて宝石の様な紅い瞳を見つめて、言葉に出来なかった思いを、何時か言葉にしたかったものを。


「貴女は……! あなたは、私の……!!」


 詰まらせたその先を、必死に告げようとするミラに。

 少女は涙を零したまま、泣き笑いの表情で、少しだけ微笑んで。


「……ありが、とう、おかあ――」


 言葉の途中でもう一度、咳き込み――スノウはそのまま、動かなくなった。


「…………スノウ?」


 呆然と。

 何が起きたのか、分からない。そんな表情で、ミラは腕の中の少女に呼びかける。

 彼女は待った。白い少女が、返事をしてくれるのを。

 その美しい紅い瞳を、また自分に向けてくれるのを。


 待って、その薄く閉じられた瞳が、もう一度開くのを望んで、祈って。


「――――――――ぁ」


 やがて、どうしようもなく叩きつけられる現実に、打ちのめされる。


 嘗て、少女が育った彼女の故郷の地に。

 少女の『母』が、喉を涸らして叫ぶ慟哭が響き渡り、空に吸われて消えていった。











 ――数ヵ月後。


 ミラは再び、北方の村跡を訪れていた。

 既に土地の呪詛汚染、その浄化は完了し、損壊した建物の撤去が進められる其処は、将来的には北方にある教会の拠点の一つとして新たな村――場合によっては小さな街にもなるであろう計画が持ち上がっている。


「……! これは、ミラ様! 連絡頂ければ迎えの者をやりましたものを」

「お疲れ様です――今回は私用で顔を出したので、大仰なやりとりは必要ありません。此処の責任者(司祭殿)にも連絡は不要ですよ?」


 作業を行っていた人員が馬に揺られるミラに気付いて駆け寄り、頭を下げて来るのを掌で押し留め、彼女は馬を下りた。

 馬に載せていた荷――丁寧に包まれた花束を手に取ると、恐縮した様子の作業員に手綱を渡し、馬舎に繋いでくれる様に頼む。


 向かう先は村外れ……以前より少し拡張したらしき共同墓地だ。


 道の途中、激しい戦闘痕の残る場所に差し掛かり、彼女はそこで一旦歩みを止めた。

 飛び散った瓦礫などは片付けられているが、穿たれた大地などは未だに手つかずである周囲を見渡し……その中に、向かい合って強烈に踏み込んだ足跡を二つ見つけ、暫しの間それを眺める。


 僅かに細めた目に様々な感情が過ったようにも見えるが、やがて数秒、瞼を閉じると再び開き、歩き出す。

 辿り着いた墓地は、以前に訪れた時よりも手入れが行き届き、整然とした状態になっている。

 此処に派遣された教会の者達は、こうした死者を悼む場をきちんと整えるように心掛けている様だ。僧職に在る者としては非常に良い事である。


 定期的に掃除もされているのか、足を踏み入れた墓地はゴミ一つ落ちていない。

 この分なら、掃除用具を借りて来る必要は無さそうだ。そう判断して、ミラは目的の墓石を見つけるとその前に花を供え、黙して跪いた。

 嘗て、此処にあった村で最年長であった老夫婦が埋葬されているというその墓に向け、静かに手を組んで祈りを捧げる。


 もし存命であるなら、この下で眠っている夫婦には語りたい事、謝らなければならない事が山とあった。


 今も胸を締め付ける悔恨の情に、自然と祈りの時間も長くなる。

 どれ程そうしていたのか。

 微動だにしなかった女傑は、閉じていた眼を開くと音も無く立ち上がった。


 本来の目的である場所は別だ。無理を言って遠出の許可を貰ってきた以上、時間を掛け過ぎるのも宜しくない。

 拡張された墓地に、ここ数ヵ月で新たに作られた其処へと、目を向ける。


 石造りの、質素だが丁寧な作りの霊廟。

 地下を刳り貫き、掘り抜かれた後に石畳と石壁で整えられ作られた其処は、彼女の訪れた目的である呪物を封じた場所だった。







 あの日、スノウを取り戻す事が叶わなかった、あの場所で。


 動かなくなった少女を抱きかかえたまま、呆然としていたミラの前で、それは起きた。

 少女の胸元から突如として広がった漆黒の闇。

 それはあっと言う間に彼女の全身を覆い尽くし、ミラが何某かの反応を取る暇すら無く、魔鎧の形となって地へと顕現する。

 再起動した魔鎧は侵食し尽くした主の骸を即座に魂ごと取り込み、だが依り代を失った事で力を失い、その場に鎮座する事となったのだ。


『ふざけるなぁっ!! あの娘を、スノウを返せっ……!!』


 目の前で少女を失ったばかりか、その亡骸すら奪い取られたミラは、激昂のままに魔鎧を破壊しようとし。


『――なりませぬ、ミラ殿!』


 応急処置を終えたとはいえ、自身も未だに重症であったガンテスに抑え込まれる事となった。

 怒りの儘に荒れ狂うミラを必死に押さえつけ、巨漢は唇を噛みしめて『娘』を喪った友人へと諫めの言葉を掛ける。


『過去の記録からみても、此処で魔鎧を打ち壊した処で意味はありませぬ! 何れ時を経て別の主を見つけ、報復の牙を振るうでしょう! スノウ嬢と同じ結末を後の者にも辿らせるおつもりか!?』

『……ッ!』


 その言葉に、冷水を浴びせられた様に思考は冷えるものの、腸は煮えくり返った儘で。

 振り上げた拳を下ろすのに、多大な気力と時間を必要とした。

 最期の攻防で打たれた胸が、思い出したように痛みを訴え――ミラは力無く項垂れる。


『私は……どうすれば……』

『……先ずは、何は無くとも魔鎧の封印を行う必要がありますれば――ヴェネディエ殿、この土地の浄化計画とその後の予定を御存知で?』

『そうだね……人を廻して、可能なら此処を《報復(ヴェンジェンス)》の封印地とする様に、上に掛け合ってみよう』


 両膝を着いて、座り込んでしまったミラを気遣う様に、巨漢と金髪の青年が、消耗をおして今後の大まかな予定を口にする。

 それを少し離れた場所で聞いていた傭兵は、千切れて散った金灰の髪が散らばる場所に、小さな木板が落ちているのを見つけて拾い上げた。


『……クソったれが』


 手の中の板――少女の遺品になってしまった護り札を見つめ、やり切れない思いを抱えて。

 痛みを吐き出すに呟かれた一言が、その口から零れて大地に転がった。







「久しぶりですね、スノウ」


 霊廟の最奥、強固な封印処理の施された玄室にて。

 転移の阻害や、微弱だが継続的な浄化効果のある魔法陣が十重二十重に張り巡らされたその部屋に、幾重にも鎖で拘束された魔鎧は安置されていた。

 完全に封じられ、依り代を得たときの威圧感も完璧に抑え込まれているソレに向け、ミラは数ヵ月前の怒り狂った様子とは程遠い表情で、静かに声を掛ける。


 彼女が話しかけているのは正確には魔鎧では無く、その内にある彼女の弟子である少女だ。


 少女――スノウは、魔鎧の力を完全に引き出す代償として、その身と魂を取り込まれてしまった。

 死して後、その魂は創造主たる女神のもとへは還れない。白い少女は死後も尚、数多の憎悪の念、呪いと共に鎧へと縛られ続ける。


 あの娘が何をしたと言うのか。其処までの許されざる罪を犯したとでも言うのか。

 怒り、嘆き。答えなど帰ってくる筈の無い問いを、天上におわす女神に問いかけすらした。


 そうして、散々に悩んで……ようやっと出した結論がある。


 それを少女に伝える為の今回の来訪でもあった。


「……ブランは、未だ目を覚ます気配はありません……ですが、何年掛かっても介抱を続けます、いつか、彼女が目を覚ますまで」


 少女の友人――その容態を告げる声は、静かな決意に満ちていた。

 結局の処、どのように悩んでも、己は戦士だ。

 戦う事しか得手が無い以上、少女に報いる方法など、一つしか無いのだ。


「……私は、貴女と出会うべきでは無かったのかもしれません」


 少女は自身を不吉の子、などと卑下したが、ミラには自身との出会いこそが少女にとっての新たな不幸の始まりだったのでは無いか、という思いがあった。

 もし少女を弟子に取る事なく、彼女が村の生き残りと故郷の近隣へと移り住んでいれば……苦労や苦しみはあっても、命を落とすような結果にはならなかっただろう。

 また彼女の友人達も、戦士として初陣に出るのはもう少し遅れ、あの大攻勢に巻き込まれる事は無かっただろう。


 だが現実として彼女達は出会い、こうしてミラは少女を喪う事となった。


 事の元凶は邪神の軍勢とはいえ、切欠となったのが己であるというのなら。

 きっと、己は師などと名乗るべきでは無いのだろう。

 或いは、恨まれる事すら当然の事であると、そうミラは思っていた。


 だから、せめて。


「贖いにもなりませんが……せめて戦い続けましょう。貴女の様に優しい子が、一人でも多く救われる様に」


 いつかブランが目を覚まし、スノウが、彼女と同じく魔鎧に括られてしまった者達が、解放される事を祈って。

 戦い続けよう、己が出来る事を、出来る限り。

 そして、その先に戦場に倒れる日が来たとしても。

 或いは、戦う力を失い、戦場に出ることが出来なくなったとしても。

 命の限り、為すべきことを為すのだ。


「……今日は、それだけを伝えに来ました……機会があれば、また来ます」


 そうして、女傑は封じられた魔鎧へと背を向け、力強い足取りで歩き出す。

 あの日、あの場所で心と身体に刻まれた、消えない傷痕を、その痛みを――スノウという不世出の少女が居た確かな証であると。そんな風に思いを馳せて。


 振り向く事無く霊廟を後にすると、晴天の空の下を真っ直ぐに進みだしたのだった。







◆◆◆




 長い、長い――懐かしい夢の果てに、老兵は目を覚ます。


 目を開いた視界に映ったのは、見慣れた天井だった。


「……ふむ」


 昔から寝起きは良い方だ。

 若い頃から変わる事無く続く目覚めの良さなのだが……ここ最近は、ほんの少しであるが身体に重さを感じるようになった。

 とはいえ、己も良い年だ。昔散々に無茶をした事も省みれば、多少の怠さなどで済むのであれば御の字と言っても良いだろう。


 窓から差し込む光をみれば、夜が明けたばかり、といった処か。

 夢見が聊か特殊だった割には、何時もの時間に起床した様だ。そう判断して、寝台から身を起こす。


 窓を開け、朝の空気を部屋へ取り込んで。

 静かに深呼吸して、わずかに冷えてきた新鮮な朝露の香りを胸に吸い込む。


「――けほっ」


 胸に走った痛みに、少しばかり咳き込んだ。

 もう数十年にもなる付き合いなのだが、最近、朝方は強く主張してくる事が多くなった。

 まぁ、これも仕方の無い事だろう。先程も言ったが、この年まで色々と好きに生きて来たのだ。

 多くのものを取り零して――けれど、それ以上に手に入れ、或いは取り戻してもらった。今になって調子を崩す位、なんだと言うのか。


 桶に張った水で顔を手早く洗い、いつもの僧服をクローゼットから取り出して袖を通す。

 先ずは朝食。その後に歯を磨く為、ミラは歯刷子のセットを片手に部屋を出た。







「――げっ」

「朝から人の顔を見るなり『げっ』は無いでしょう」


 朝食と後の歯磨きを終え、聖殿中央区の廊下を歩いていると、銀髪をサイドで纏めた騎士服の少女と遭遇した。


「し、失礼しました。おはようございます、シスター・ヒッチン」

「はい、おはようございます……昨日の件でしたら御説教も終えましたし、もう気にする必要はありませんよ」


 先日、中庭で正座して行われた二時間の説教が尾を引いているのか、微妙に腰の引けた様子で挨拶をしてくる銀髪の少女――アンナに、ミラは苦笑しそうになる頬を引き締めて鉄面皮のまま挨拶を返す。

 既に怒ってはいない、そう告げるシスターの言葉に、帝国有数の騎士である少女は露骨に肩の力が抜けた様子を見せた。


「……長時間の御説教が嫌であれば、聖殿内で追いかけっこなどしなければよいでしょうに」

「いや、だって! あれはあの馬鹿が悪いじゃないですか! 司祭様のガチなブートキャンプに私まで巻き込まれるハメになったんですよ!?」

「干したばかりで落ちて踏みつけられ、泥だらけになったシーツが三枚と蹴り飛ばされて粉砕された鉢植えが四つ、後は参ノ院の司教殿のカツラが犠牲になったようですが」

「鉢植え二つと司教様のヅラは私です、本当にすみませんでした」


 若い二人の自重しない追いかけっこの末、紆余曲折を経て頭髪の隠蔽が暴かれた司教の哀しそうな顔を思い出したのか、アンナはその場に土下座せんばかりの勢いで腰を直角に折り曲げる。


「謝罪するならば当人に……と言いたい処ですが、繊細な話ですからね。騎士アンナ、貴女が司教殿と顔を会わせるのは暫く避けた方が良いでしょう」


 下手をしなくても死体に鞭打つ様な結果になりかねないので、当然の処置である。

 まぁ、それは兎も角として、だ。

 アンナの手にした、簡単な植物学に関する本に気付いたミラは、ちらりとそれに目を向けた。


「珍しい、と言って良いのでしょうか。貴女が本を抱えている姿は初めて見ますね」

「まぁ、あんまり自分で読む方じゃないですね。寝る前に眺めていると気持ちよく意識が飛ぶんで、定期的に書庫から適当な本を借りてるんです」

「……貸出品に涎など垂らす事の無いようになさい」


 堂々と睡眠導入代わりに使ってますと宣言する少女に、ミラは少々呆れた様子で最後にお小言を付け足す。


「察するに、本を返却しに行く最中でしたか。引き留めてしまいましたね」

「あ、いえ。貸出期限はまだ先なんですけど――アイツが朝から書庫に籠るって言ってたんですよ、なんかこの本も必要らしいんで、渡しにいってやろうかと」


 意外と言えば意外な言葉に、ミラは「ふむ?」と思案する様に鉄面皮の片眉を上げた。


「彼が書庫ですか……見た目より書物に眼を通す性質(たち)であるのは知っていますが……自室以外というのは珍しいですね」

「でしょ? ついでに様子でも見にいこうって事で書庫に向かってました」


 じゃ、行ってきます、と続けて軽く会釈をするアンナ。

 書庫に向かうその背を暫し見つめ……ミラはもう一度「ふむ」と呟くと、歩みを再開させ――少女の隣に並んだ。


「私も書庫に向かうとしましょう。彼には用があったのを思い出しました」

「あ、そうなんですか。それじゃ、二人であの馬鹿が苦労して調べものしてる顔を拝みに行きましょう」


 最初こそ怪訝そうに立ち止まったが、あっさりと納得して歩き出すアンナに、一つ頷く。


 実際には、特に彼に――弟弟子に用があるという訳でも無かった。

 だた、懐かしい夢をみたせいか……何となく、顔を見たくなったのだ。

 勿論、そんな本音はおくびにも出すことは無く。

 ミラは騎士の少女と連れ立って、書庫への道を歩き出した。







 金色の聖女たるレティシアに連れられた、その黒髪の青年を初めて見たとき。

 ミラが感じたのは、何故か懐かしさを伴った既視感だった。

 転移者の知人が他にいない訳では無いが、青年だけに感じたその感覚に、訝しさを覚えたのは今でも記憶にある。


 その感覚が、強烈な拒否感と、そして怒りと哀しみに変わったのは、彼があの魔鎧の使い手であると知ったときだった。


 封じられたアレを、解放したのか。

 貴方の傍にはレティシア様とアリア様がいるだろう。それを置き去りにして、破滅の約束された報復の道を歩むのか。

 私に、またあのときの様な光景を見ろと、繰り返せと、そう言うのか。

 煮えくり返る感情と共に、事と次第によっては腕尽くで――今度こそ、己の命を賭けてでも魔鎧を取り上げようと、青年に詰め寄って。


 ――えぇ……アイツとその周りのモンをフォローする為に手に入れたのに、なんで離れる事になんの? ちょっと何言ってるか分からない。


 そんな風に、とぼけた、だが心底困惑している表情で応えるその姿に、唖然としたのを覚えている。

 そして、その言葉に偽りは無かった。

 青年は聖女の傍に在り続けた。

 後に《聖女の猟犬》と、畏怖と敬意を込めて呼ばれるようになった、その後も。

 憎悪や復讐では無く、彼女達の守護とより多くの人々を救う為に、呪われた魔鎧の力を振るい続けた。


 それでも、彼の扱うソレは、今までの全ての使用者に破滅を齎してきた特級の呪物だ。

 如何に精神の侵食を跳ねのけることが出来ようとも、その身に掛かる負担が変わらぬ以上、手放すべきだと、そう思っていた。


 だが、青年の戦う姿にミラは重ねてしまった。

 嘗て、己が見出した少女を。何れは彼と同じように多くの人々を護り、救う事が可能だったであろう、最愛の弟子を。


 だって、青年が振るう《三曜の拳》はあの娘の――スノウの拳だった。


 粗だらけで、不格好で、およそ才という物を到底感じられなくて。

 資質という点では、あらゆる面で正反対と言って良いのに、それでも、彼の拳は確かにスノウから受け継がれたものだったのだ。


 魔鎧の技能継承機能が齎したものだというのは、複雑処では無い感情を覚えたが。それでも。

 あの娘が磨いた技を、あの娘が生きた証を。

 何一つ報いてやれなかった己の代わりに、まるで青年が、人々の記憶に、歴史に、刻み込んでくれている様で。


 そう思ってしまった時点で、ミラには彼を――弟弟子の歩みを止める事など出来なくなっていた。


 人類種の総力戦となった戦線。

 大一番と言って良い戦いで、大功を以て人類側の大勝利をもぎ取って見せた青年を見て。

 誇らしさと感謝で満ち溢れたあのときの感情は、なんと表してよいのか未だに分からない。


 そして、浮かれた気分を突き落とす様に彼の訃報が届いたときの感情も。


 憎悪でも復讐でも無く。

 ただ只管に聖女の為に戦った青年は、己の意思を存分に貫き通して最後の最後に自身の全てを賭けて邪神へと挑み、遥か昔より続く悲劇の螺旋を断ち切った。


 喜ぶべきことなのだろう、戦士として敬意を以て称えるべき偉業なのだろう。


 だが、聖女の二人は勿論の事、他国に所属する彼と親交のあった少女達も。ミラも、ガンテスも、教皇の座がすっかり板についてしまったヴェネディエだって。

 皆、誰一人だって。心からそう思う事なんて、出来やしなかったのだ。


 だから、彼と深く関わった誰もが、渇望した筈の平和を心から享受出来ぬままに過ごして、二年。

 以前と変わらぬ、とぼけた様子で彼が帰って来たとき、肩に背負っていた全ての重荷が消えたような、そんな大きな安堵を感じて。

 そのときに漸く、ミラに――そしておそらく、レティシアとアリアにとっても、本当の意味での平和の時代が、始まったのだ。







 アンナとミラが並んで書庫に足を踏み入れると、其処には話の通り青年と――彼を挟んでやり取りする聖女姉妹の姿があった。


「はーい、これお願いされてた資料ね。ここに置いとくね、にぃちゃん」


 青年の調べ物に沿う書物を探していたらしき銀髪の聖女――アリアが、数冊の本を机の上に積み重ねる。

 おう、ありがとー。と、現在目を通している本の頁から顔を上げずに返答する青年を見て、彼の隣の席で頬杖を付く金糸の髪を持つ聖女――レティシアが、何処か面白く無さそうな表情で自身の髪を指先で弄んでいた。


「別にさー、今になってあの鎧に名前なんて付けなくても良いんじゃね? 今更だろ」


 いや、ラブリーマイバディへの命名は重要事項これ確定。と相変わらず頁から顔を上げずに即答する青年に、益々面白く無さそうに金色の聖女は唇を尖らせる。


「相棒はオレだろー……前から思ってたけど、無機物相手にラブリーだの愛しのだの持ち上げる位なら、もっと他に言うべき相手がいると思うぞ?」

「もー、いい加減諦めなよレティシア……あ、でも確かに言うべき相手が云々っていうのはボクも賛成かも」


「なー?」「ねー?」と、顔を見合わせて頷き合う姉妹に、なんで急に責められてんの俺。解せぬ。などと返して顰めっ面を晒す青年。


 和気藹々と軽口を交えて調べ物――どうやらかの魔鎧の銘名に関する資料集めをしているらしき三名に、アンナが借りていた本を片手に近付いてゆく。


「おーっす、おはよー。朝っぱらから美少女二人に挟まれて調べ物してるタラシ野郎の為に、アンナちゃんが本を持ってきてあげたわよー」


 人聞きィ!? と叫んで書庫の管理をしている司書に注意されている青年と、そんな彼を見て笑う少女達を見て。

 ミラはひどく穏やかな気持ちで目を閉じ、思いを馳せた。


 自分は、彼に――弟弟子に貰ってばかりだ。


 青年が霊峰から帰って来た後、事の経緯を聞いたミラは淡い期待と予感が現実となった歓びに、胸を押さえる事となった。

 魔鎧の変化――呪物としての在り方すら変えたソレは、憎悪の根源である仇敵……即ち邪神を、その手で討ち滅ぼした事による自己浄化に依るもの。


 それは、つまり……魔鎧に取り込まれた者達の思念や魂が、憎しみの呪縛から解放された事を意味している。


 当人にその自覚は無いだろうが、それでも。

 彼は――《聖女の猟犬》は、この世界だけでなく、自分達()()を、救ってくれたのだ。


「……感謝しています、心から」


 誰にも聞き取れぬであろう言葉を口の中でだけ転がして、ミラは再び目を開くと目の前に広がる騒がしくも尊い光景を見つめようとして――。




 ――青年の肩に乗って、楽し気に笑う紅い瞳の少女の姿に、息を呑んだ。




 ブラブラと足を揺らし、彼が読む本を肩の上から覗き込むその少女は、青年と同じような真っ黒な黒髪に、一房だけ真っ白な髪が混ざっていて。

 本と青年の顔を見比べて、本当に嬉しそうに、幸せそうに微笑むその顔と、紅い宝玉の様なその瞳は――。


「――ス、ノ……ッ!」


 思わず、一歩踏み出し。

 驚愕に固まった舌が、胸にしまった大切なその名を紡ごうとする。

 手を伸ばし……だが瞬き一つすると、まるで幻であったかの様に、その場にいた四人目の少女の姿は消えていた。


 あぁ……。

 どうやら、己もいよいよ耄碌して来ているらしい。

 これ以上無いくらいに、救われ、貰ったもので両の手は溢れかえっているというのに。

 この期に及んで、こんな――都合の良すぎる優しい幻を見るなど、本当に度し難い。


 苦笑いを零しながら、ミラはそっと伸ばした手を下ろした。


「――あれ? ヒッチンさん、どうしたんだこんなトコで?」

「あ、そういえばなんかコイツに用があるって言ってたっけ――あんた今度はなにやったの?」


 レティシアの疑問の声にアンナが思い出した様に手をポンと打ち。

 俺がやらかしたっていう前提やめてくれない!? と叫ぶ青年へと据わった目付きで笑顔を向ける司書に、申し訳なさそうに頭を下げるアリア。


 そんな四人に、ミラは珍しく相好を崩して微笑みかけ。

 青年から贈られた伊達眼鏡を軽く指先で押し上げると、彼らの傍に歩み寄る。


「見た処、貴方の相棒の名付けに関する話のようですね――よければ私も手伝いましょう」


 思わぬ申し出に、目を丸くする青年と少女達の姿に、吹き出しそうになりながら。

 僧服の下にある首から掛けた古ぼけた木札へと、そっと手を添えて。女傑は自身の意見を口にしたのだった。










ミラ=ヒッチン


鉄拳女傑。

初めての弟子に入れ込み過ぎて拗らせた結果、色々と抱え込む事になった人。

尚、抱え込んだ重みの大半は数十年後に現れる聖女様と変な駄犬によって大体解決する事になる。

ヒロインに該当する少女達とは違うベクトルで駄犬に糞程重い感情を抱いてるけど、本人はそれをおくびにも出さない。年の功という奴である。




ガンテス=グラッブス


若い頃から筋肉筋肉。でも今よりはちょっと細い。

具体的には昔は170~180キロだったが、今は余裕の200キロオーバー。当然体脂肪は据え置き。

更に過酷な鍛錬にて己を鍛え込むようになったのは、あの日の戦いで真っ先に倒れてしまったという自責の念も半分関係あったりする。残りの半分? 趣味だよ(白目

某最長老さんと関りが確定した人。面白愉快な再会劇が待たれる。




ラック=ライン


ツンデレの気がある傭兵。

引退した後は、聖都で冒険者酒場を経営するようになる。

元特級冒険者兼教会最高戦力の腕っぷしを存分に発揮した経営スタイルは、脳筋勢のリスペクトを得る事に成功。経営は今日に至るまでそこそこに順調の模様。

豊穣の日をある程度過ぎた季節になると、定期的に店を閉めて何処かに遠出する。

噂によれば、北方にいる別れた嫁さんの子供に会いにいってるとかなんとか。尚、適当な噂をばら撒いた冒険者は凹られたあと店の掃除をタダで二ヵ月やる羽目になった。




ヴェネディエ=フューチ


腹黒青年。昔は意外と浮名を流していた。大司教とは名ばかりの糞坊主。

後に魔鎧との戦闘であわや四英雄を失いかけた責任を問われ、のらりくらりと躱していた枢機卿の席へと最年少就任を決める。「普通降格しない?」が就任後の第一声。

そのまま流れる様に教皇の座を押し付けられたその顔は、諦観の混ざった虚無であった。

友人の長年の胸のつかえが取れたことに真っ先に気付いて、何気に喜んでいた人。




ブラン


意識不明の重体になってから聖女様が現れてシャ〇ク搭載広域ベホ〇ズンを聖殿でぶっぱするまで数十年単位で眠り続けていた。

半ば仮死状態に近かったのと、本人がエルフの血を引いている御蔭で肉体的な年齢は殆ど進んでいない。

目を覚まして、大きな時間と何より大切だった家族、(主観的には)最近できた友人まで喪っていた事に酷く消沈したが、過酷なリハビリを経て短期間で復帰。

後に邪神の信奉者達の頭をメイスで叩き割る修羅勢と化す。

戦争が終わった後は孤児院の経営に関わるようになった。

自身と同じように大戦で家族を失った子供達の面倒を見ながら、日々を頑張って過ごしている。

教会の御意見番とは今でも偶に茶飲み話をする仲。

当然、話す内容は彼女達にとって共通の大切な故人についてが多い。

あの日、優しい嘘をついた少女を彼女は始めから怒っても恨んでもいなかった。

その事を伝えられなかった事だけは、今も悔やんでいる。




エーデル=ヴァリアン


デコの眩しいドリルツインテールお嬢様。

口調は御嬢様言葉の割にどっか荒い子だけど、普通に優しくて良い子。

女傑の弟子と良い感じの友人関係を築けていたが、それ故に彼女が亡くなったとき、悲劇の連鎖が始まる切欠となった。

ちなみにヴァリアン家自体は終戦後にブランを当主として再興する話も皇帝から出たようだが、当人が固辞したせいで立ち消えとなっている。

全然関係ないが、駄犬が転移前に通っていた高校にはおでこの可愛いドリルツインの留学生がいたらしい。

尚、当然の様に校内カースト最上位な子なので駄犬と関わることは無かった。




魔鎧《報復(ヴェンジェンス)


ツンツンツンドラ特級呪物。通称鎧ちゃん。

憎悪に任せて邪神とその舎弟共をコロコロしちゃう全自動鏖殺マシーン。

悲劇を生みだした邪神とその眷属への報復を望むあまり、小さな悲劇を連続させていた哀しい武装。呪いの装備故、仕方なし。

女傑に粉微塵に粉砕されてからはギチギチに封印を施されてとある村の霊廟にて安置される事となる。


数十年後、ふらりとやってきた何か変な青年に封を解かれ、求められるままに次の主として認定――後に終生の主へと変わった。


本懐を遂げて大幅浄化された際、歴代の所有者達の意識や魂は統合され、過去の主の中で最も高い侵食・融合率に到達したある少女を主人格として再構成される事になる。







スノウ=カレンデュラ


白髪赤目のアルビノっ子、後に鎧ちゃん(真)と化す。


失くして、憎んで、暴れて、大切な人を傷つけて。

憎悪に焼かれた末、後悔と自己嫌悪の果てに閉じた復讐者の少女の生は、しかして終わった後に素っ頓狂なノリで報われ、救われる事となる。

御主人大好きっ子。わたしが一番だ、金銀もエ清楚も弁えろ(ドヤ顔




出会った事を後悔なんてしてない。

恨んでなんていない。ずっと、大好きだよ、おかあさん。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後まで泣かせにくるのずるいです……過去編……最高でした。
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