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老兵の残照 頂点の片割れ





 浅い眠りの中、『見えた』光景は、ありふれたモノだった。

 小さな一軒家。

 卓を囲み、お腹が空いたと騒がしくする小さな子供達。

 椅子の上に乗り上がる幼子を行儀が悪いと窘める年長らしき兄弟と、そんな子供達に優しい笑顔でもうちょっと待ってね、と笑いかける母親らしき女性。

 何処にでもありそうな、小さな幸せを享受する見覚えの無い家族。

 この光景を本来見ていたのであろう、自分では無い"誰か"の想いが流れ込んでくるかの様に。

 その笑顔に、その声に、仕草の一つ一つに。

 狂おしい程の愛おしさと郷愁の念が胸に満ちる。


 ――けれど。


 ()()()()()()()()、そんな暖かな"誰か"の記憶は、最後は視界を埋め尽くす血と炎で塗り潰された。


 染まる。

 鮮血で、炎で。空も、大地も、真っ赤に染まる。

 全てが朱く染め上げられた視界の中で、地を這いずって伸ばした手の先には、一つだけ奇妙な程に目を引く……赤ではない黒いナニカがあった。

 それは、真っ黒に炭化した誰かの――。

 それが何であったのか理解した事で、血反吐混じりの絶叫が"誰か"の喉を割って飛び出して。







 ――そうして、焼け焦げ、半ば倒壊しかけた家屋の中で身を横たえていた少女は、目を覚ました。


「――ッ!」


 荒くなっていた息を整える為、喘ぐように肺に空気を取り込む。

 汗で布地が肌に張り付く不快感と、身体中に刻まれた裂傷の痕がじくじくと痛みを訴えて来た。

 夢見た名残か、胸に溜まった儘のドス黒い感情を――吐き出すのでも無く、追い出すのでも無く。

 むしろ胸の裡に抱え込むかの様に、両の腕で自身を抱き締める。


「……うん、分かってる。分かるよ、わたし達は()()なんだから」


 深紅の両の瞳に夢に見た光景と同じ、劫火の如き光を宿して少女は呟いた。


「行こう。奴らを、邪神やその手下を一人でも多く、あのときと同じ炎の中に焚べてやるんだ」







◆◆◆




 魔鎧《報復(ヴェンジェンス)》。


 正式な銘を持たず、邪神とそれに類するものに対する負の感情を凝り固めたかの如きソレは、何時からかそう呼ばれ始めた。

 在り方からして、造りだされたのは邪神がこの世界にて蠢動を始めて以降の事であるのは確かだが、正確な時期は定かでは無い。


 その存在が公に確認されたのは大戦初期、とある小さな街での防衛線だと言われている。

 所持者となったのは、街の防衛を担った兵でもなければ援軍としてやってきた他国の戦士でも無い、極普通の一般人であった青年。

 固めた守りを食い破られ、無数の信奉者と魔獣が雪崩れ込む事で惨劇の場となった戦火に包まれた街の中。

 故郷を焼かれ、友人や家族を目の前で食い散らかされた青年の慟哭に応え、魔鎧は怨嗟の咆哮と共にその力を解放した。

 なんら戦う術を持たなかった筈の若者に、絶大な魔力とそれを源にした身体強化による"力"を与えたその呪物は、その場にいた邪神の軍勢に甚大な被害を齎し。

 装着者の身を一切顧みない呪物としての特性故に、負荷に耐え切れずに青年が自壊すると同時に依り代を失い、かろうじて生き残った敵勢力によって破壊される。


 ――だが、その十数年後。


 当時の信奉者達の手によって粉砕された筈の魔鎧は、再び姿を現した。

 その際にかの鎧を身に纏っていたのは、冒険者の組合にも登録記録が残っていた魔導士。

 共にパーティーを組んでいた仲間達が大戦で亡くなり、以降、行方不明となっていた彼は魔鎧を携えて戦場に度々姿を現し、異常な迄に強化された魔法と身体能力によって無数の邪神の信奉者達に凄惨な死を与え。

 最期はやはり負荷に耐え切れずに半ば自滅する様に力尽き、魔鎧も再度破壊された。


 それでも尚、時を経て魔鎧は顕れる。

 如何な損傷を受けようと、粉々になるまで破砕されようと。

 邪神への報復を、奪われた命への贖いを渇望する歴代の所有者達の嘆きや憎しみに応える様に、或いは喚ばれるように復活し、その度に邪神の軍勢に大きな損耗を与え、時として人類種側も余波を受ける形で僅かに被害を被った。


 何を以てかの魔鎧に『選ばれる』のか。これもまた明確な条件は分かっていない。

 先にあげた街の青年の様に何一つ戦う術を持たない者から、冒険者、国仕えの兵士、歴戦の魔族の戦士まで。

 種族・出身問わず、様々な者の下に魔鎧は顕れ――担い手の報復の意思と共にその力を振るってきたのだから。

 推測ではあるが、その特性が故に邪神とそれに類する存在に対する強い憎悪を抱き、戦う力を渇望する者が選ばれるのではないか、とされていた。


報復(ヴェンジェンス)》が戦場に現れた際、目撃した者の証言や後の調査によって判明した断片的な情報によれば、魔鎧は歴代の所有者達の技術を一部取り込み、現使用者が行使できる様にする機能を有している。

 以上の事から武具型の呪物としては最悪の部類に入る、使用者の魂を喰らう侵食武装であると推測される。

 また、物理的に幾度破壊されようと邪神に対する負の精神を糧とし、時間を経て復元されるというその不滅性も合わさり、歴史上数える程しか存在しない特級の呪物として指定されるのに時間は掛からなかった。


 ――公的な記録によれば、魔鎧が当時の所有者と共に最後にその姿を見せたのは既に数十年以上前の話だ。


 だが、少女と彼女の師が袂を分かつ事となったあの日。


 新たな宿主(あるじ)を得、邪神への憎悪と殺意が形を為した呪いの魔装は、嘗て幾度となくそうしてきた様に呪わしき慟哭の咆哮(うぶごえ)を上げた。







「……よりにもよって、あの《報復(ヴェンジェンス)》が今代の依り代としてスノウを選ぶとはね」


 部下より上げられた報告書に眼を通し終えると執務机の上にそれを放り投げ、ヴェネディエは独り、呟く。

 書かれていた内容は南方方面の戦線での結末だ。

 敵戦力は規模としてはそこまで大きいものでは無かったのだが、南方広域をカバーしていた魔族領が動けない現状だ。

 教国と帝国も援軍の派遣予定は立てていたが、何分現地まで距離がある。暫くは膠着状態が続くと思われたのだが……戦場に乱入してきたかの魔鎧の使い手によって、敵戦力は完全に壊滅。

 邪神の信奉者達も、彼らの使役する魔獣・召喚獣も、全て尽く鏖殺した少女は、戦いが終わるとそのまま姿を消したらしく、未だに行方を補足する事は叶っていない。


「歴代の使い手達と違って、現時点では此方に被害が出ていないのが救いではあるが……」


 それもいつまで続くか。

 骨子となっているのが憎悪や殺意といった負の感情である呪物だ。

 ましてや特級に指定される程の物ともなれば、使い手にどれ程の精神侵食が発生するのか、想像に難く無い。

 書庫から引っ張り出してきた資料にも、時間経過――というより、おそらくは使用頻度によって魔鎧との融合深度が深まり、それによって性能と精神を呪が蝕む度合いが変化すると記されていた。

 記録にある限りでは、歴代の使用者達は誰一人例外無く、最期には敵味方の区別も付かない程に精神を摩耗させた状態で狂った様に戦いを続けていた、とある。


 ――つまり。


「あの娘を止めるつもりなら、そうなる前に魔鎧を引き剥がす必要があるという訳だ」


 思考を纏める為か、敢えて考えを口にしながらヴェネディエは机上に地図を広げた。


「……中央都市群から帝国北部、教国圏に戻った後に南下している……」


 書庫にあった資料を基に印が付けられた地図を指先でなぞり、再度資料と見比べて丁寧に確認してゆく。

 付けられた印は《報復(ヴェンジェンス)》――スノウがこれまでに姿を現した戦場を示していた。


「やはり歴代の所有者が確認された地を順に巡っている、と考えるのが妥当か?」


 その割には資料よりも様々な地域に移動している様だが、教国も魔鎧の歴代所持者について全員分の詳細な記録を持っている訳では無い。

 呪物からの精神侵食や干渉を受けている少女が、こちらの把握していない者も含めた嘗ての使い手達の記憶に引き摺られる形であちこちに移動している、という可能性は十分に有り得そうだ。

 ならば、次に現れる場所も自ずと推測出来る。


「少々待たせてしまったが……これでミラを具体的な場所へ送り出してやる事が出来そうだ」


 あの日以降、意気消沈こそしなかったものの、何かに追い立てられる様に鬼気迫る様子で出撃と鍛錬を繰り返している友人の顔を思い浮かべ、ヴェネディエは眉間を指先で揉み解した。

 尤も、聖都に帰ることすらせずにそのままスノウの捜索を続けようとした彼女を説き伏せ、帰還する様に促したのは彼自身だ。

 だからこそ、説得した責任も兼ねて未だ再会叶わぬ少女への手掛かりとなる情報を集めていたのだが……漸く目処が立った。

 最悪、腕づくで《報復(ヴェンジェンス)》を取り押さえる、等と言う難事をこなさねばならない以上、最低でもミラ以外にもう一人――出来ればガンテスかラックによる助力が必要になる。

 彼女達が教国の最高戦力であるが故に、それとなく同時期に近い戦場に派遣するのにも他の地での戦況との兼ね合いや擦り合わせが必要だ。

 皮肉な事に件の大攻勢を行うと思われた敵の拠点は、スノウの手によって壊滅させられている。なので、その防衛に集めた戦力は一時的に宙に浮いた状態だ。

 あの一件以降、人手不足で相当に苦労しているらしいマイン氏族のドワーフに追加の応援を送る事を加味しても、十分にミラを望む場に送り出してやれるだろう。


 地図から視線を離し、次は派遣可能な人員のリストと睨めっこを始めるヴェネディエ。

 執務机の上に広げられたままの地図には、南方――魔族領近くの地へと、新たな印が書き加えられていた。







◆◆◆




 その青年は、最近特に魔族への対応が悪化してきていた中央都市群から、魔族領へと移住を希望する同胞達を護衛している最中であった。


 魔族領、最高幹部《災禍の席》の第十席、《不死身》。

 いつ聞いても我が事ながら強烈に違和感のある大層な肩書ではあるが、それでも青年が故郷での代表者の一人である事に変わりは無い。

 脳筋の多い魔族の中にあって比較的他種族に近い感性を持っている青年――《不死身》は、不当な風評被害で住処を変えざるを得なくなった同族を迎え入れるという任にも意気高く当たっていたのだが。


 どうやら、邪神は余程魔族が目障りらしい。


 規模こそ大きく無いものの邪神の手勢が、殆どが非戦闘員である(あくまで魔族の基準で、だが)此方の集団に、強襲を掛けて来たのだ。

 だが、邪神というよりも、襲撃してきた者達の独断の可能性もあった。

 なにせ襲ってきた連中には、魔族領に属さないはぐれ――嘗て領内から叩きだされた者や、各国に手配状の廻っている御尋ね者などが多く混ざっていたのだから。


「……ひょっとして、エルフの住む森を襲ったのもこいつらって事かぁ!?」


 だとすれば、この軍勢とも言えない中途半端な数も納得が行く話だ。

 伝え聞いた情報によれば、その襲撃の際に殆どがエルフの手によって打ち倒されたという話なので、その生き残りといった処か。

 攻城用の弩弓に重装甲を付け足して半ば鈍器化させた得物で敵を撃ち抜き、射撃を抜けて来る者は装甲部分で撲殺した。

 同族とはいえ、邪神に尻尾を振った痴れ者……おまけにこいつらのせいで無関係の同胞が現在進行形で迷惑を被っている。容赦をする必要性は感じなかった。


 先程も言った通り敵は小規模。時間さえかければ《不死身》単独でも返り討ちに出来る兵力だ。《災禍》の中で最弱の身とはいえ、元より、持久戦や泥仕合の類は彼の得意分野であるが故に。

 だが今現在、彼と僅かな手勢は避難民となった同胞の護送任務中だ。

 彼らの頭領――《魔王》に直接相対する事を恐れ、嫌がらせの様に非戦闘員に襲撃をかけるなどという真似を行う小物連中は、当然の如く護衛対象である魔族の民を集中的に狙った。


「くそっ、鬱陶しい真似を……!」


 数人纏めて弩弓の大矢(ボルト)で串団子に変え、地に縫い留めながらも毒づく。


「《不死身》殿! このままではじり貧です! 避難民の脚では連中を振り切るのは難しい!」


 前衛を務める部下の叫びに、次の矢を装填しながら怒鳴り返す。


「僕が殿を務める! あと少しで領内だ、そうすればこの小物共はウチの頭領に察知されるのを恐れて追って来れないだろう! 皆には荷を捨てて身一つで走らせろ! 後で可能な限り回収するから!」

「御一人で殿とか大丈夫ですか!? さっきも脳天に矢ぁぶっ刺さってましたが!?」

「大丈夫な訳ねーだろ滅茶苦茶痛い! あぁ、もう……普通に一人で殲滅するより残機減りそうだなぁ……! でもこれが仕事なんだよなぁ……!」


 切羽詰まっている筈なのだが、どこか間抜けなやり取りをしつつ。

 部下に避難民を任せ、《不死身》自身は殿となって只管に迎撃と肉壁に精を出す。


「あの様な薄汚い性癖を持つ愚か者を王と呼ぶ蒙昧め! 死ね!!」

「邪神の配下の癖に反論し辛い罵倒してくるのやめてくれない!?」


 高い脚力を以て一気に間合いを詰めて来た獣人が、罵声と共に槍を繰り出してきた。

 防ぐのも避けるのも難しくは無いが、その隙に後続が自分を無視して避難民に向かうであろう事は容易に察せる。

 《不死身》は敢えて前に出た。

 ――灼熱感。

 鋭い穂先が腹を突き破り、背に抜ける。


「あ"あ"あ"あ"もう"っ、痛ってぇぇぇっ!?」


 口から血反吐を吐きつつ、泣き言の混じった悲鳴を上げ。

 驚愕の表情のまま刹那の間だけ固まった獣人の首に一瞬で照準。

 魔装処理の施された個人携行の大型弩弓という頭の悪い武装は、取り回しこそ余り良くは無いが一撃の破壊力は一級品だ。

 発射された大矢(ボルト)は相手の首から顎下を引き千切る様に消滅させ、後続の敵の腹を抉り飛ばした。


「奴は死にかけだ!」

「囲んで殺せ!」

(はい狙い通り! こっちを仕留めに来てくれた!)


 どてっ腹を槍で貫かれた《不死身》を仕留めてしまおうと、避難民では無く彼を優先して敵の狙いが変わる。

 生憎と腹に穴が空いた程度で終わる様な身ではない。伊達にこんな通り名では無いのだ。痛いけど。凄く痛いけど。


(……とはいえ、そのうちこっちの死に体が擬態(ブラフ)だと気付く。そうすれば元の木阿弥だけど……どうしようか)


 現時点では避難民に死者は出ていないが、速力や広域攻撃の手段に乏しい自分ではいずれ迎撃漏れが出る可能性が高い。

 腹を突き抜けた槍を心底ウザったそうに引っこ抜き、投槍にして突撃を仕掛けて来た信奉者の脳天に生やしてやりつつ、内心で《不死身》は歯噛みする。


(敵が全て自分に向かってきてくれたのなら、話は楽だったけど……果たして領内まで犠牲無しで行けるか?)


 脳裏を掠める嫌な思考を振り払い、しつこく追撃してくる裏切者の同族達に向け、弩弓を構え――。




 空から降って来た赤光の尾を引く黒い流星が敵軍の中心に直撃し、悲鳴と怒号、血飛沫と肉片が同時に宙へと飛び散った。

 同時に爆発的に膨れ上がる攻性を伴った魔力に、その場にいた全ての者が一時的に動きを止めて硬直する。

 唯一の例外であった《不死身》は即座に狙いをずらし、照準越しにその着弾地点を注視した。


 落下して来たのは、漆黒の全身鎧だ。

 脈動する深紅の魔力導線は狂気の沙汰としか思えない程の量が全身に刻まれ、遠目からだと赤黒い姿にすら見える。


「う、ぁ、ギ、あAAAAAAAぁAAAAAAッ!!」


 右手に敵方の指揮官らしき魔族の首を掴んだまま、粉塵けぶる着弾痕(クレーター)から進み出た鎧姿の何者かは、そのまま無造作に掴んだ首を握り潰してへし折ると、殺意を剥き出しにして咆哮した。

 ビリビリと、空気が震えるような……どこか悲鳴にも聞こえる雄叫びが南方の大地に響き渡り。


 蹂躙――否、殺戮が始まった。







 立ち塞がる敵を、叩き潰す。背を向けて逃げ出す敵を、踏み砕く。

 飛び込んだ小さな戦場での結末は、此処一月足らずで経験したものとそう変わる事が無かった。

 口々に聞くに堪えない雑音を垂れ流して襲い来る邪神の信奉者達を、極限まで強化された身体能力と《三曜》の技を以て屠る。


 抉り、引き裂き、潰し、貫き、砕き、殺す。


 少しだけ周りの連中より強かった――魔鎧を纏った自分と三合程打ち合ってみせた魔族の男の胴を貫手で貫くと、少女はその顎を掴んで首を捩じり折った。

 脊髄ごと首を引き抜かれた自軍の将を見て、多くが恐慌状態に陥り。

 それを為した血濡れの死神から距離を取ろうと我先にと逃げ出す者が現れると、恐慌はたちまちに伝搬し――邪神に頭を垂れた魔族達の生き残りは、数足らずではあったが、それでもかろうじて維持していた軍勢としての秩序を崩壊させた。


 そして、戦意を失ったからといって追撃の手を緩める様な存在であれば、魔鎧は《報復(ヴェンジェンス)》などという忌み混じりの通称を与えられてはいない。


 膨大な魔力を推進力として利用する魔力噴射機構。

 全身各所に備えられたその機能は、静止状態からの超加速や高速旋回を可能とする。

 本気で使用すれば瞬きの間に音の壁を突き破るソレを以て、少女は纏まりを失って四方に逃散する信奉者達に容易に追い縋り、躊躇なく背後からその穢れた命を刈り取ってゆく。


 背に向けて手刀を突き入れ、捻りながら胸に抜ける。

 後頭部へ向けて縦拳を振り下ろし、頭蓋を砕くと潰れた中身が耳から押し出された。

 死に際の馬鹿力か、邪神の加護を暴走させようとした者には、魔鎧から溢れる魔力を練った《命結》を撃ち込み、発動の機会すら与えずに滅する。

 恐怖に顔を歪めながら、或いは、命乞いの言葉を叫びながら、生き残った者達はその数を減らして行き。

 程なくして、動く者はいなくなった。


 紅く染まった視界の中、動く信奉者達が一人もいなくなると、スノウは霞掛かった思考のまま周囲を見回す。


(……ここにいたのは全部、倒した……後は……)


 ゆっくりと首を巡らせた先に、離れた場所から此方を見つめて来る青年の姿を目に留める。

 先程、自分が仕留めた連中を相手に、一人で戦っていた魔族の若者だ。

 この場にいた邪神の手下共とは同族だが……おそらく魔族領の者だろう、とぼんやり考えた。


(あぁ、それなら後は放って(まだ殺し損ねた)おいても良いよね(のがいたんだ)


 あれ? と。思考が分裂したかのような、別人と重なったかのような感覚に少女は困惑する。

 その間にも、まるで首から下は自動で動く絡繰りの様に動き……。

 気が付いたときには、青年の首を掴んで締め上げている最中だった。


(なん、で……駄目なの、に)


 赤一色のままな視界、どこか現実味の無い感覚。

 全身に励起した魔力導線から漏れ出る魔力が喰い込む事で、身体中に刃を刺し込まれた様な痛みが走る最中、朦朧としながらも青年の首から手を離そうとして。



 ――なんで駄目なの?


 憎悪で焼け焦げ、しかし同時に冷え切った自分の声が聞こえた気がした。


 ――此処で殺した奴らと同じ、魔族だ。なら、同じ様に殺してしまっても良いじゃないか。


 良い訳が無い。この人は邪神の手下じゃない、奴らと戦う戦士だ。


 ――エーデルだって戦士だった。でも死んだ。魔族とエルフのせいで。


 違う。それこそ邪神のせいだ。そこに種族は関係無い。


 ――自分から離れた癖に、教わった考えにしがみ付くのか。ブランだって、もう目を覚まさないかもしれないのに。自分だけは大事な思い出(おしえ)を、手放さずにとっておけると思っているのか。




 魔鎧の放つ呪い混じりの魔力にあてられ、少女の考えと相反する様に大きくなる声。

 それは、どれだけ頭で違うと理解していても、どうしようもなく心の隅に澱んでいた感情だった。

 間違ってもそれが少女の本心、という訳では無い。

 だが、憎悪に薪をくべるが如き魔鎧の精神侵食によって大きくなったその声は、疲弊した心身に深く絡みつく。


 弱々しく抵抗を続ける思考を裏切り、身体は憎しみの感情に突き動かされる様に動いた。

 青年へと力を込めた指先が突き立てられようとして――。


 強化された知覚や反応速度、その全てをすり抜けて、横手から衝撃が叩きこまれる。


 困惑、驚愕、安堵――そして警戒。


 吹き飛ぶ一瞬に無数の思考と感情が入り乱れ、身を捻って着地すると。

 そこには何故知覚出来なかったのか不思議な程に、見た事も無い巨大な魔力を背負って立つ、魔族の戦士がいた。






 敵の血肉を頭から引っ被った様な有様の魔鎧を、少しずつ距離を取りながら注意深く観察していた《不死身》は顔を顰める。

 戦場で容赦が無い事自体は魔族の価値観的に全く結構な事なのだが、そのあまりにも凄惨な戦い方を見てしまうと、結果として助力されたという感謝の気持ちよりも、警戒の方が圧倒的に先に立つ。


(何者か知らないけど……万が一戦いになったら、勝負にもならないな……最低でも《狂槍》さん……第五席以上でもないと多少の勝ちの目もなさそうだ)


 幸いな事に、殺戮の限りを尽くしていた鎧の人物は、全ての敵を殺し終えて赤く染まった大地の中心に立ち尽くしている。

 部下と受け入れ予定の避難民達には、自分を置いていく事になっても兎に角進めと指示してある。今頃、領内に入ったことだろう。

 ……鎧の戦士が味方だった場合、礼の一つも言わないのは心苦しいが……この場はこのまま離脱すべきだと青年は考えて。


 ――瞬き一つする間に、親指サイズに見えるまで離れていた筈の赤黒い姿が、眼前へと移動していた。


「ッ!?」


 無造作に伸ばされた手を躱して距離を取れたのは、半ば偶然だ。

 つい武器を向けそうになるが、咄嗟に発射口が持ち上がる弩弓を意識的に押さえつける。

 先程も言ったが、戦えば勝ちの目は無いも同然。《不死身》の方から決定的な敵対行動は取りなく無かったが故の行動だったのだが。


 離した筈の間合いを再び一瞬で潰され、今度こそ反射で放ったほぼゼロ距離の射撃は手の甲で撫でる様に逸らされると、明後日の方角へと飛んで行った。

 喉笛を握りつぶさんばかりの力で首を掴まれると、宙に持ち上げられる。


「っ、ガッ……! 速、すぎでしょ……!」


 なんとも奇妙な事に、こんな真似をしておいて目の前の鎧の人物はさっきまでの戦いの様な強烈な殺気を放っていない。

 寧ろどこか夢現というか……茫とした空気すら感じ取れた。

 だが、そんな当人の纏う気配とは裏腹に行動の方は極めて明確だ。


 首を締め上げ続ける掌とは逆の腕が、胴の脇へと引き絞る様に添えられ、鉤爪の如く開かれて指先に力が籠る。


(あぁクソッ、せめて残機が尽きない様に立ち回るしかないか……!)


 無駄とは思いつつも、《不死身》は喉を掴み上げる黒い装甲に包まれた腕を引き剥がそうと爪を立て、腕の先にある凶悪な形状の頭部装甲(サレット)を睨みつける。

 繰り出される鉤手の一撃が齎すであろう痛みに、辟易とした気分で歯を食いしばって耐える覚悟を決めるが……その機会は訪れなかった。




「――おい、俺の舎弟(ぶか)に何してくれてんだテメェ」




 そんな声が聞こえると同時に、目の前の鎧の人物は横手から巨大な鉄槌でブン殴られたかの如く吹き飛ぶ。

 空中でネコ科の獣の様に軽やかに身を捻って着地する黒鎧には目を向けず、《不死身》は突如投げ出されて尻もちを着いた体勢のまま、肩の力が抜けた様子で溜息をついた。


「ハァ……ゲホッ、助かりました、頭領(ボス)

「おう、仕事ご苦労だったな」


 端的に返してニヤリと不敵に笑ったのは、魔装の鎧姿に深紅の腰布を巻きつけた鳶色の髪の男だ。

 適当に伸ばした髪も、部下を見据える瞳もありふれた暗褐色の色合いだが、その眼光は猛禽を思わせる程に鋭く、全身から旺盛な生命力と覇気が満ち満ちている様であった。

 背には一見簡素な意匠だが、纏う魔力からして凄まじい業物である事が伺える大剣。

 何より、当人から放たれる魔力は遥かに背負う武器を上回る。

 押さえつけているのであろうソレは、敵として相対する者からすれば噴火口に蓋をされた活火山を思わせる圧を垂れ流していた。


「――で、そこのなんか赤くて黒いのは……あぁ、確か《報復(ヴェンジェンス)》だったか? 魔族領(ウチ)に喧嘩売ってくるってんならこの場で殺すが?」


 特に気負う様子も無く、男――魔族領筆頭《魔王》は、肩をすくめて魔鎧の少女へと問い掛けた。











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