老兵の残照 師弟
二人の少女が、地を駆ける。
一人は、真っ直ぐに前へ。もう一人は、弧を描く様に。
相対するは一人の女性――アッシュブロンドの髪を後ろで束ねたシスターだ。
手に木棍を携えた彼女は、正面から突っ込んで来た白髪赤目の少女へと無造作に横薙ぎを放つ。
少女が身を屈めてそれを避けるが、シスターの手首の返しだけで棍の軌道が変わり、肩口に向かって一撃が翻る。
棒一本で様々に変化する多彩な攻撃パターンを嫌という程知っている少女は、横っ飛びに躱す事でこれを回避。
追尾する様に棍の軌道がほぼ直角に変わり、逆薙ぎとなって先端が強襲してくるが――少女はそれに掌を向け、接触の瞬間に上へと跳ね上げた。
木棍が意思を持ったかのように、不自然な程に勢いよく上方へと弾かれる。
急激に軌道を変化させられた事で、棍を握っていたシスターの片手も万歳をするように跳ね上げられ――その機を逃さず、白髪の少女ともう一人……白いリボンで特徴的な巻き髪を纏めた少女が同時に打って掛かった。
「――もらい」
「――ましたわ!」
正面から鋭い突きが、背面から振り上げられた戦槌が呼吸を合わせて繰り出され。
「粗い」
無慈悲に告げられた一言によってあっさりと蹴散らされる。
跳ね上がった棍と腕をそのまま後方の少女に突き出したシスターは、木棍の先端に巻き毛の少女の衣類を引っかけ、そのまま再度振り下ろす。
引っ張られて前方へと投げ飛ばされた形になった少女と、拳を突きだそうとしていた少女は互いに止まる事も出来よう筈も無く、正面衝突した。
「うぎゃっ!」
「ぐぇっ!?」
互いに蛙が潰れたような悲鳴を上げて、一塊になってもんどりうって倒れる少女達。
目を廻している二人を尻目に、シスターは今回の組手に参加していた最後の一人――二人に補助魔法をかけていた栗色の髪の少女にむけて向き直った。
「さて、あとは貴女だけになりましたが……どうしますかブラン?」
「……お嬢様とスノウさんが倒れた以上、三対一の組手は終わったも同然です。降参、と言ってしまっても良いのですが……」
仲良く地面に転がっている少女達……スノウとエーデルをちらりと横目で見ると、二人より幾つか年上であろう少女――ブランは微笑んで右手に握った片手鎚を改めて握り直した。
「――折角ですので、一対一で続きをお願いできますかミラ様?」
「えぇ、良い心がけです。来なさい」
「はい。では……参ります!」
聖殿の中庭に穏やかな日差しを降らせる晴れた空の下、片手鎚と木棍が打ち合う軽快な音が響き渡った。
「妖怪ババアすぎる」
食堂で注文したサンドイッチを頬張りながら、スノウがやってらんねぇ、といわんばかりに愚痴を垂れた。
相席しているエーデルが紅茶のカップから唇を放し、呆れた様子で窘める。
「不敬ですわよスノウ。そもそもわたくし達戦士見習い程度、三人どころかその数十倍の人数であっても鎧袖一触にするのがミラ様――聖教国の四英雄筆頭ですわ。師事してたかだか数か月で勝ちの目を求めるとかどんだけ夢みてんですの」
「まぁまぁ、負けん気の強さは向上心の強さでもありますよ。少々無謀なのは確かですが」
なにおう、と唸りながら隣に座るドリルツインテールな少女を睨みつける白い少女に、二人の向かいに座ったブランが宥める様に紅茶を満たしたカップを差し出した。
飲み物が欲しかったのは確かなので、スノウは素直にそれを受け取って礼を言う。
「ありがと――でも、わたしとエーデルは直ぐにやられちゃうけど……ブランって大体最後まで残ってるよね? 組手でも殆ど勝てた事無いし、正直見習いってレベルじゃない気がするんだけど」
「ミラ様との稽古で私が最後まで立っているのは、単に支援に徹しているからだと思いますよ? お二人より年上な分、より多く修練を積んでいる自負はありますが……正直、あの方にとっては誤差の範囲でしょうね」
「一人になった後、わたくし達より遥かに長い時間打ち合っている貴女が誤差とか言うと、わたくし達のメンタルが岩肌を磨いた雑巾みたいな事になりますわ。謙遜は程々になさい、ブラン」
実際、ミラがこのトリオを相手にする際には常に一定の上限を設けている。
スノウとエーデルがあっさりと蹴散らされる上限値では、ブランが相当に食い下がっている、という現状はそのまま彼女の実力の高さを表していると言えた。
単純な戦士としての技量であれば、ブランは既に前線で戦っている者達と遜色が無い。
そんな彼女が見習いとして聖殿に留まっているのは、後衛技能……聖職者として回復や浄化・結界の魔法に練熟する為であるが――本当の処は、彼女がお嬢様と呼ぶ少女の傍にいる為であろう事は察しがついた。
尤も、それを指摘するような無粋をスノウはしなかったが。
代わりに口の中のサンドイッチを紅茶で喉奥に流し込むと、最初に口をついて出た愚痴を再燃させる。
「う~ん、やっぱり延々やられっぱなしは悔しいな……勝つ、なんて無茶は言わなくても一発入れるくらいはしたい」
「負けず嫌いな点は戦士として間違いなく長所……しかし、流石に向こう見ずが過ぎますわよ。貴女の師が小細工小技の類で揺らぐ方では無いのは、貴女も良く知っているのではなくて?」
「まぁ、そうなんだけどさぁ……」
今は己の未熟を受け入れ、精進あるのみですわ。と楚々とした顔で紅茶を味わう友人の言に、正論であると感じながらも『一発いれる』という目標に未練たらたらなスノウ。
そんな彼女に対して一つ、意見を提示してみせたのはこの場の最年長たるブランであった。
「既に幾度も稽古をつけて頂いた事で、ミラ様に私達の手札や引き出しはほぼ知られていると言って良いでしょう……なので、ここは別の切り口を求めては?」
「……と、言うと?」
ピッと人差し指を立ててアドバイスしてくる年上の友人の言葉に、スノウは首を傾げ。
そんな彼女に対し、ブランはいつもの如く微笑んで見せた。
「何も難しい事はありません。私達以外の誰か――スノウさんの『ミラ様に組手で一発入れる』という目標に助言をくれそうな方に、話を聞いてみれば良いんです」
ブランの意見は至極当然のものではあるが、人選、という点において中々に限定される話なのも確かであった。
まず、聖殿に勤める大人達であれば十中八九、エーデルと同じ意見――今は地力を上げる事に注力すべき、と言うに決まっているからである。
やたらと英雄視されているスノウの師に対して畏敬もあるだろう。
が、それ以前にアドバイスを求められても、彼らも『ミラに一撃入れる』なんて真似はどうやったら可能になるのかイメージすら湧かない。というのが現実なのだ。
つまり、参考になるであろう意見が出てきそうな人は自然と限定される訳で。
昼食を終えたスノウは友人達と別れ、早速その数少ない一人のもとへと向かったのだった。
「――という訳なんだけど。助祭様、何か良い案は無いかなぁ?」
「うむ、あのミラ殿に一撃を入れる――中々に困難な目標ですな!」
一抱えどころでは無いサイズの岩を背負ってスクワットを繰り返す巨漢に、その岩の上から質問を浴びせる少女。
巨漢――ガンテスは快活に笑いながら、しかし決してスノウの目標を否定する事はせず、スクワットを続行しながら妙案は無いかと首を捻る。
ちなみに人選の基準は極めて簡潔である。スノウの『目標』を既に達成しているか、達成できるだけの実力を持つ人物……条件としてはこれ一つだ。
現在聖殿に居る候補としては、壱ノ院にて書類仕事をしている腹黒美青年も含まれているのだが……彼に関しては師から「貴女の教育に悪いので、私の居ないときには会わないように」と念を押されているので、残念ながら除外対象であった。
「うぅむ。一撃……スノウ嬢はこの短い期間で見違える程に戦武を磨かれましたが、やはり相手が相手ですからな。どうしたものやら」
考え事に熱中すると筋トレのスピードが上がる性質なのか、スノウと、彼女より上背のある丸い巨岩を担いでいるとは思えないテンポで上下動が加速する。
ちなみに彼が背負っているいっそ不自然な程に見事な球体となった岩は、転移者から"打岩"と呼ばれる訓練を教わって拵えたガンテスお手製である。
良い筋トレの道具になると聖殿の中庭に持ち込んだは良いが、デカ過ぎて周りに迷惑だとミラから怒られた為、泣く泣く手ごろなサイズに削り直したという頭の悪い事情で生まれた一品であった。
既に残像が見えそうな速度でシャカシャカと高速スクワットを繰り返す筋肉であるが、なんとなく丸岩の上に乗ったスノウは後悔することしきりである。
ぶっちゃけ上下動が酷すぎて酔った。吐きそう。
口から乙女の尊厳を放射するまえに、慌てて岩の上から飛び降りる。
「む? スノウ嬢、顔色が悪いですぞ。体調不良なれば拙僧が回復魔法を施します故、休息を摂っては如何か?」
「……い、いや大丈夫。今治すから」
即座に気付いたガンテスが心配そうに眉根を寄せるのを見たスノウは、《三曜》の基礎技術が一つ、《地巡》を以て大地の魔力と自身の魔力を接続。
魔力の流動に合わせて血流も操作し、揺さぶられた三半規管によって起きた酔いを軽減する。
落ち着いた、といわんばかりに一息つく少女を眺め、巨漢は感心した様子で頷いた。
「見事な《三曜の拳》の運用ですな。かの半龍の姫君が開祖となりし幻の拳――半年と掛からずに基礎技術を修めるとは、いやはや……」
「そうかな? 自分だとあんまり実感湧かないけど……ミラはもっともっと凄いし」
尚、少女とやり取りしながらもスクワットは続けたままである。
速度も一切下がっていないので、高速で縦にブレながら談笑する筋肉という意味の分からない光景が生まれていた。
同じく中庭で訓練に精を出す人間はギョッとした顔つきで思わず二度見している。一瞬、怪異の類かと思ったのかもしれない。然もあらん。
「……助祭様がミラと模擬戦とか組手をしたときには、どうやって攻撃を当ててるの? 正直、助祭様の戦い方と《三曜》は相性が悪そうだけど」
「拙僧の場合は先ず、裸足となりますな」
「はだし」
「然り。そして、打撃を捌かれて投げを打たれた際に、足指で大地を掴むのです」
要は、ぶん投げられる瞬間に足を地面にめり込ませて無理矢理身体を固定しているらしい。想像以上に力技だった。
で、投げが不発に終わった際の隙を突く、という形の様だ。
もしくは投げ飛ばされた落下点がミラに近い間合いだった場合、態勢の修正や受け身を全部無視して地に叩きつけられながら掴みに行くのだとか。
同じ真似をスノウが行えば一瞬で失神するか、下手すれば大怪我を負いかねない。きんにくがたりない。むりです。
「明日にはラック殿が派遣された戦域より帰還します故、助言を求めてみるのも良いやも知れませぬぞ? 御仁は嘗て高名な冒険者でした。手札の多彩さや難敵を崩す手法といった点においては、近隣諸国で一、二を争う巧者でありますれば」
ガンテスの言葉に、少女は素直に頷いた。
正直な処、ラックが聖殿に居るのならば真っ先に聞きに行っただろう。彼が戦地へと派遣されている為、次点の候補であった筋肉助祭へと話を持って行ったが……体験談を聞くだけでも参考になるかと思ったのだが、全くの空振りだった。参考にはならない処か、まず助祭以外に同じ事出来る奴がいない。
「……取り敢えず、明日おじさんが帰ってくるのも待つしかないかぁ」
「うむ、若い内は何事も挑戦ですぞ。ラック殿ならば何か妙案も浮かびましょう、拙僧も陰ながら応援しております」
「うん、ありがとう。でも、助祭様も年っていう点ではそんな台詞が出る程じゃないよね?」
「はっはっはっは、確かに! 拙僧も日々鍛錬にて己の限界に挑戦する身なれば! スノウ嬢も本日は体に重きを置いた筋トレなど如何でしょう?」
実に良い笑顔で仰る助祭様に、スノウは同じく良い笑顔できっぱりと答えた。
「あ、それは結構です。というかわたしが助祭様の鍛錬やったら死にそう」
「むぅ……」
負荷空白のある筋肉がしぼむ様にガンテスの笑顔がしぼんだが、残念でも何でもなく当然の返答である。
で、次の日である。
「……それで俺に助言が欲しいって訳か」
「うん。おじさんが駄目ならもう他にアテも無いんだ。どうにかならない?」
「簡単に言ってくれるなオイ。相手はあのミラだぞ」
傭兵のおじさん――ラックはその怖い顔とは裏腹に、義理堅かったり面倒見が良かったりする人だ。
今回の相談も、彼の帰りを待つ間に訓練に勤しんでいたスノウの様子を、彼が帰還して直ぐに見に来た処に声を掛け、訓練後に中庭で相談と相成った訳で。
練武場で待つスノウへと食堂から果実水を持って現れたラックがそれを手渡し、二人で壁際に移動して相談は始まった。
……普段はミラか、或いは凸凹主従の友人達がスノウの傍にいる為か、あまり関わってくることは無いのだが。
この強面の傭兵は自身が聖殿に滞在している間ならば、彼女が一人でいる時間が出来るとそれとなく様子を見に来る事が多い。
本人に指摘すれば不機嫌そうな顔を更に渋面にして「偶然だ」と宣うだろうが……どうも、彼はスノウが故郷を喪うことになった件で、後ろめたさの様なものを感じているみたいだった。
自分がもっと早く戦線に到着していれば――そんな風に思っているのかもしれない。
正直に言えば……家族や親しい人達がいなくなった事は、今でもよく頭をよぎる。
哀しさや辛さが、鉛を注がれた様に胸をふさぎ、身体を重くすることがあるけれど。
村を滅ぼし、皆を燃やした、嫌な気配を垂れ流しにした邪神の軍勢共を凄まじい形相で蹴散らしながら助けに駆けつけてくれたラックに、感謝こそあれ思う処なんて一つも無いのだ。
命以外は全部無くしてしまったけれど、それでもスノウはこうして生きていて。
生きていたからこそ、こうやって新たに師や友人が出来て、彼女達と過ごす日々を送れている。
だから、ラックが変に気負ったりする必要は無いのだと、スノウはそう思っているのだが。
多分、それを口にした処で「子供がしたり顔で言うことかよ」とか、鼻を鳴らして言われておしまいな気がするので黙っている。
そんな予想が付く位には交流があったし、そんな彼を見て苦笑するだけに留めている周りの大人達を見ると「なんか大人ってややこしくて面倒くさい」と少女は思うのだった。
閑話休題。
ともあれ『目標』の相談についてだ。
傭兵のおじさんで駄目となると、本格的にお手上げなのでスノウ的にはここで有用な意見を得たい処ではある。
コップに入った果実水をストローでズズーッと啜り、壁際でしゃがみこんだ少女は同じく壁に寄りかかって腕を組んでいる顔の怖いおじさんを見上げた。
「……俺が面倒な相手と戦るときにゃ、確かに突飛な手を選ぶ場合もある」
頭の中で組み立てた助言を、分かりやすく噛み砕く様にゆっくりと告げるラック。
「パターンは当然複数ある訳だが、共通しているのは打つ手が"付け焼刃"じゃクソの足しにもならんという事だ。自分の一番の強みですら上回ってくる相手に、それより更に劣るモノを唐突に突き付けた処で叩き潰されるのがオチってな」
「ふむふむ……下手に新しく武器や戦い方をかじっても意味は無いってことだね」
「一概にそうだとも言えんがな。俺も複数種の武器を使うが……もとは師匠の影響もあってのスタイルだ」
「え、おじさんの師匠とかすごい気になるんだけど。もうちょっと詳しく」
気になる単語が出て来たので思わずスノウが食い下がるが、強面の傭兵は肩を竦めて「まぁ、今は関係ない話だ」とばっさり打ち切ってしまった。
え~、なんて不服そうに頬を膨らませるスノウに顰め面を崩して苦笑いで応じると、ラックは近くの植木から落ちたのであろう木の枝を拾い上げる。
「格上相手に隙を作りたいのなら、自分がきっちりと習得した手札の中で相手を『困惑』では無く『驚愕』させる必要がある。戦闘経験豊富な奴は前者程度じゃ動きも鈍らんからな」
木の葉が無数にくっ付いた枝を、枝葉を千切って細い棒に変えると彼はスノウに向かって手招きした。
「どれ、偶には俺も一つ、手本をみせてやろう。好きに掛かって来いチビスケ」
「チビスケいうな――でも、良いの? いくらおじさんでもそんな細っこい枝じゃ……」
「構わん。俺に触れるか、この枝に傷の一つでも付けられたらお前の勝ちだ」
攻防には、今拾ったコイツしか使わん。とまで言うラックの言葉に、そこまでいうならやってみよう、とスノウも胸を借りる気持ちになった。
馬鹿にしてる、とか舐められてる、なんて思う訳が無い。相手はミラと同じく聖教国の《四英雄》なんて呼ばれる人達の一人だ。
此処に住み始めてからというもの、師を筆頭によく関わる人達なので今いち実感が薄いが、本来なら彼・彼女らに稽古をつけてもらうなんていうのは、物凄く幸運な事なのだろう。
そのくらいは、ここ数か月でスノウも学んだのだ。
空になったコップをそっと地面に置くと、小走りに前に出てラックと向かい合う。
軽く呼吸を繰り返し、気息と共に意識を切り替えた。
「――じゃ、いきます」
「あぁ」
彼の短い返答が返ってくると共に、一気に飛び出す。
折角だ、その『手本』とやらを確認する為にも、正面から小細工抜きで行ってみる。
ここ数か月、師の容赦の無いしごきによって鍛えられている白い少女は、突進力も加速も、身体強化の為の魔力の流動も、既に下手な兵士も顔負けの領域に達していた。
風の様に駆け、一直線に向かってくる少女に向かって傭兵は泰然とした様子を崩さず、右手に持った枝をゆったりと握り直し――。
――スノウが間合いに入った瞬間、左手に握り込んでいた千切った小枝と葉を彼女の顔にぶちまけた。
(ッ! 目潰し……けどっ、ただの葉なら大して意味も……!」
馬鹿正直に目に喰らえば視界も遮られるだろうが、元が掌に握り込める程度の枝葉だ。
砂や液体ならば兎も角、額で受けるようにして突っ込めば殆ど無視できる、そう判断して彼女はそのまま拳を握り。
まるでちょっとしたサイズの石にぶつかった様な感触に、目から火花が飛びそうになった。
「いったぁ!?」
葉というより大粒の砂利を顔面にぶつけられた様な重みに、少女が思わず悲鳴を上げて立ち竦むと。
「ほれ、終わりだ」
小枝がスノウの頭にペチンと当てられ、あっさりと勝敗が決まってしまった。
ヒリヒリする額を擦りながら、スノウはラックを見上げて頬を膨らませる。
「……枝だけ、って言わなかったっけ?」
「使うと言ったのは拾ったコイツだ。元はついてたもんを毟っただけだな」
シレっとした顔で言う傭兵の言葉に、ぐうの音もでない。
ずるい、という事は出来たがこれもひょーほーってやつなんだろうな、という思いもあったが故に不機嫌そうに黙り込む少女に、傭兵は片頬を吊り上げて幼子がみたら泣き出しそうな顔で笑う。
「と、まぁこんな感じだな。お前さんのミスリードも含めて、札を晒す前に布石を打っておくのも有効ということだ」
「……ただの葉っぱがやたら固くて重さがあったのは?」
「魔力強化の一種だが、詳細は秘密だ。フリーの傭兵の飯の種なんでな」
なんだか煙に巻かれたような気がしなくもないが、実際の技術というより先の攻防の流れを体感させたかった、という事だろう。
スノウが問題ない、と判断した様に、一見脅威にならない行為や見慣れた動作の中にラックの言う『手札』を潜ませるのもまた有効、という訳だ。
なるほど、勉強になった。なったのだが……。
「……あれ? ひょっとしたらこれ、おじさんの戦い方をよく知ってるミラは慣れてるんじゃ?」
「漸く気付いたか。言っただろう、付け焼刃じゃ意味が無いと」
助言はあくまで助言。
それを元に、スノウ自身が自分の得意とするものを主軸としたアレンジを加える必要がある。
「王道だろうが、詭道だろうが、強くなること、強さの引き出しを増やす事に手軽な近道なんぞ無いってことだ」
"それでもてっとり早く力を求めるってんなら、なんらかの代償が必要になる"
そう続く台詞を言葉にはせずに胸中に留め、傭兵は唸り声をあげて悩む少女を見下ろした。
ミラが監督している以上、自分がいちいち忠告するような内容でも無い。
あの女傑としか評し様の無い、鉄の女を師匠とした少女もそうだが、当の師の方も初めての弟子を導くことで得る物もあるだろう。
「まぁ、なんだ。師弟共々、精々切磋琢磨すると良いさ。お前さん達が強くなりゃ後々俺が楽になるんでな」
その過程で少女が喪った幸せに変わる物……いや、代替品など無いのかもしれないが、喪失によって出来た胸の空洞を埋めるに足る物を手に入れるのならば、更に言う事は無い。
そんな思いもやっぱり口に出す事は無く。
少ない友人に揃ってヒネていると評される強面の傭兵は、無精髭で覆われた顔で皮肉気に笑ってみせたのであった。
そうして、次の日。
友人達も交え、少女は恒例となった三対一の状況での模擬戦をすべく、師と対峙していた。
一晩考えたが、やはり自分の得意な事というと師――ミラによって鍛えられた技術しかない。
彼女に教わった技でその当人が驚くような真似をしてみせる……言葉にした時点でもうこれ無理なんじゃないかな、とか思ったりしたスノウだったが、取り敢えず試してみたい事は一つだけ出来た。
助祭様も言っていたではないか、まずは挑戦だ。
ちなみに、詳細こそ話していないが「昨日の目標について、試してみたい事がある」と友人達に伝えた処、協力はしてやるからやれるだけやってみろと言ってくれた。持つべきものは頼れる修行仲間である。
現在の布陣も、いつものとは違った『目標』の為の配置であった。
木棍を構えたミラが、少女達を見て少しだけ訝し気に眼を細める。
「ふむ……今日はブランが前に出ているのですか……何か作戦でも練ってきましたか?」
「作戦という程のものでは無いですが、少々考えがありまして。今日は最初から挑ませて頂きます」
「なるほど、試行錯誤は悪い事ではありません――では、来なさい」
(……ブランが前に出る。スノウ、貴女の言う試したい事とやらは本当にこれだけで良いんですの?)
(うん、あとはこっちでタイミングをみてやってみる)
(そ。ならやってみなさいな、骨は拾って差し上げますわ)
小声でエーデルとやり取りし、本日の訓練の〆である模擬戦は始まった。
先に自分が倒されてしまうので、じっくりと見る機会が無かったが……やはりブランは強い。
木棍相手にリーチで劣る片手鎚を振るい、なんとか間合いを詰めては有効打を与えようと一撃を見舞う。
それをあっさりと防がれ、或いは躱され、再び仕切り直す。
スノウやエーデルでは対処しきれない棍の連撃にも反応し、ときには打ち落としすらしてみせる。
とはいえ、ミラが訓練の為に捌けるギリギリまで速度や威力を落としてこそだ。長時間はブランでも無理だろう。
彼女が一呼吸挟める、あるいは間合いを取って息を整える。
それを可能にするために攻撃を差し込むのがスノウとエーデルだ。
二人はタイミングを合わせ、同時に打ちかかる。
やや踏み込みは浅く、あくまでブランが退ける一瞬の時間を捻りだす為。
拳と戦槌を悉く棍の先で逸らされ、払われるが、普段と違い威力や鋭さよりも攻撃を捌かれたときの立て直しに重きを置いた二人は、先日までと比べて相当に長い時間、食らいついている。
しかし、長く保てば良いという訳でもない。訓練とはいえ、相手を打倒する意思の無い腑抜けた動きを繰り返せば、師であるミラは手厳しい対応を取ってくるだろう。
スノウはそう判断していたのだが、ミラ本人は寧ろちょっと楽し気だったりした。
伊達に数か月この三人を監督していない。
『勝てないが負けもしない』などと言う消極的な選択をするような娘達では無いのは、しっかり理解している。
(……何を狙っているのか、ブランが主軸になったのはそれが理由か、或いはブラフか。さて……)
スノウの足元に棍を突き込み、動きを止め。
横手から振り下ろされる戦槌を身を傾げて躱し、翻った木棍がエーデルを打ち据えようとすればブランが割って入り、その間にエーデルが後退する。
(地力が突出しているブランを中心に添えているとはいえ、ここまで食い下がるようになりましたか……近い内に段階を一つ、いえ二つ程上げてみても良いかもしれませんね)
弟子が聞けば「ふざけんな!?」と悲鳴をあげそうな育成計画を脳裏に巡らせつつ、三人の少女が狙っているであろう『何か』を待ち受けていると。
ミラを中心として三方に散った位置取りとなった少女達が、同時に踏み込む。
二人が攻撃、最低でも一人がそのフォロー、という形で食い下がっていた先程までの連携から一転攻勢、同時に最速を以て其々の武器を振るう。
(来ますか。では、何があるのか見せてみなさい)
弟子と、面倒をみている子が確かな成長を見せてくれる予感に、ウキウキと女傑は待ち構え。
三人同時と思われたタイミングに先んじる様に、白い少女が加速した。
踏み込んだ地面が小さく陥没し、強化された脚力が疾風の如き加速を生み出す。
(……! 今回の鬼札は貴女でしたか、スノウ)
速い。少々直線的ではあるが、その速度は先日までの少女のソレよりも二回り以上、上を行っている。
地面に与えた衝撃からするに、スノウは本来、攻撃や直接浄化を用途としている《命結》を踏み込む蹴り足で発動。ただの推進力として利用した。
(何れはこういった使い方もある、と教えようと思った方法ですが……独自に辿り着いてみせますか)
大地との接地面――多くの場合足裏は、同じ基礎技術の《地巡》の発動起点となりやすいが、その反面《命結》の発動起点としてはやや難易度が高い。
同じ理由で手掌は前述の基礎技術二種の使用難度が逆転するのだが……スノウにとって、それらは大した障害でも難事でも無かった様だ。
(つくづく、凄まじい天賦の才――私が師であって良いのか、悩む程に)
喜びと、少しの複雑さ。
胸中に湧き上がった二つの感情を押し殺し、ミラは弟子の繰り出した胴を狙う高速の突きを棍の先で巻き取り、逸らす。
ウッソやろお前!? みたいな驚愕の表情を浮かべた愛弟子に、まだまだ甘いと声を掛ける代わりに払った木棍を跳ね上げ、体勢の崩れた少女の肩を打ち据えようとして――。
その瞬間、スノウが首を振る。
元より背にかかる程であった雪の様な純白の長い髪は、この数か月で腰まで届く程に伸びており、少女の動きに合わせて波打つようにうねった。
そして――白い波が棍を受けるように広がり、次の瞬間、スノウの髪を起点に発動された《流天》が木棍を叩き落とすような軌道で逸らしてのける。
「!?」
地にめりこんだ自身の武器の先端を見つめ、ミラは瞠目した。
紛れも無い驚愕に値する光景に、そういえば己が弟子の才を見出したときも彼女は《流天》を使っていた、と思い返し。
刹那の間も置かずに撃ち込まれる戦槌と片手鎚の連撃に、常にあった感慨に浸る余裕すら剥ぎ取られ、咄嗟に回避行動に移る。
めり込んだ棍の先端を支点とし、棒高跳びの様に跳躍。スノウを跨ぎ、エーデルとブランの振るう武器の間合いの外へと、一瞬宙を舞う事で逃れ。
「ふんがーっ!?」
殆どつんのめる様に前のめりの体勢となっていたスノウが、強引に真上に向かってジャンプし、勢いのまま頭突きでミラの腹に激突した。
「……あたまがわれるかとおもった。ミラのおなか、かちこち」
「魔力強化した私に殆ど素の状態でぶつかれば当然でしょう、無茶が過ぎますよ」
「くびもいたい」
「……筋を痛めたのかも知れませんね、見せてみなさい」
模擬戦を終えて、その後。
一撃入れる、という目標を大分みっともない形ではあるが達成したスノウだが、歓びや満足感に浸る余裕も無く。
ミラですら驚かせた頭髪による《流天》の運用、などという離れ業を披露し、限界まで集中した直後で魔力強化すら途切れた状態で師の強固な腹筋に頭突きをかまし。
少し弾性のある石塀に頭たたきつけた様な手応えに、少女は即座に失神したのだ。
額にデカいタンコブをこさえて白目を剥いて芝生の上に転がる少女の姿に慌ててその場の全員が駆け寄るものの、色々と無茶をした割に大きな怪我は無く、気絶しているだけのスノウを見てその場に居た全員が胸を撫で下ろした。
尤もそのまま稽古を続行できる訳も無く、あえなく本日は解散となった訳だが。
「薄々分かっていた事ではありますが……この娘、天才だけどアホですわね」
呆れを隠さないエーデルの言に、彼女の従者も、そしてミラも反論の言葉を持たなかったのである。残当。
ともあれ、凸凹主従コンビと別れた後、二人は師弟水入らずで中庭――練武場と化している場とは対となった、本来の用途である休息や憩いの場として機能している箇所で、並んでベンチに腰かけていた。
首回りや頭部に念入りに回復魔法を掛けなおしたミラが、痛みに顔を顰めていた弟子の表情が和らいだのを見て一つ頷く。
そのまま再びスノウの頭に手を伸ばし――自身の一撃を受け流した少女の髪の状態をチェックする作業を再開する。
「……やはり、無理のある技のようですね。受け流した箇所が傷んでいます」
「う~ん、そっかぁ。使った後もすごい疲れたし、あんまり実用的じゃないのかもね」
「練度を上げればその限りでは無いのかもしれませんが……止めておきなさい、年頃の女の子が自分の髪を痛めつけるものではありませんよ」
大きな戦争中だ。ミラ自身も含め、戦場に出ている女性はごまんといる。
敵に掴まれる危険などもあるが、古来より女の髪には神秘が宿るとされ、願掛けも込めて伸ばす者は多い。
実際に優れた魔力資質を持った女性の髪を用いた呪法や魔具もある為、決して無意味では無いのだ。
何より、こんな時代だからこそ。
ミラは目の前の弟子に、年頃の少女の楽しみや喜びといったものを投げ出して欲しくはなかった。
「……別にいいよ、この髪のせいで不吉だーとか散々言われてるし、いっそばっさり切ったって」
「私には美しい髪だという感想しか出てきません」
ほんの少しだけ暗さを見せたスノウの横顔を見た瞬間、遮るように言葉が口をついて出る。
少しびっくりした様子で振り返って見つめて来る弟子に、しっかりと目を合わせ、言い聞かせる様に断言した。
「以前にも言いましたが白子が不吉の象徴、などというのはただの迷信です。貴女の白雪の様な髪も、赤宝玉を思わせる瞳も、多くの人が綺麗だと思うことでしょう」
それでも人の弟子に不吉だなんだと文句を抜かす者が出てきたら、師として彼女が出るまでの話である。
己の渾身の《星辰》を打ち込んでも耐えられるのなら、意見を聞かないでも無い。もっとも、一撃耐えるのなら効く迄殴るだけだが。
実在するかも分からない不埒者へと謎の闘志を燃やしているミラに、スノウは面映ゆそうに「ありがと」とだけ口にした。
「にしても、やっとミラに一発当てる事が出来たと思ったんだけどなぁ……無我夢中だったけど、あんなみっともないオチじゃ駄目だよね」
「……負けず嫌いなのは戦士として長所に成り得ますが、今回はそこまで拘るような話だったのですか?」
負けん気の強い娘だとは知っているが、圧倒的な差がある相手に一発入れる事を固執するほど頑迷でも無い筈だ。
それだけに、今回は妙に拘るスノウが少しばかり奇異に見えた。
師の疑問に、少女は唇をとがらせてそっぽを向く。
「……めて……えると思ったんだもん」
「?」
ボソボソと、口の中だけで呟かれた言葉にミラが怪訝な顔をしていると、うがーっと叫んだスノウが何かを振り切るようにベンチから立ち上がる。
「あーもうっ、何でもない、この話終わり! 明日からまた頑張るぞーっ!」
「ふむ。よく分かりませんが、やる気や向上心に溢れているのは大変に良い事です」
「どーもっ! じゃ、ご飯食べにいこうミラ!」
何処かやけくその様な、ちょっと怒っている様な謎のテンションで中庭を離れようとする少女の背に、ミラは珍しく少し悩み――そして声を掛けた。
「スノウ」
「――ん? 何? 早く行こうよ。お腹すいたし」
振り向いて首を傾げて来る彼女の前に立ち、見つめ返してくる深紅の瞳を見下ろして。
「乱用出来る様なものでは無いとは言え、頭髪を用いた《流天》の運用――見事なものでした」
数瞬、躊躇ったが、それでも師は思い切った様に弟子へと手を伸ばし……その柔らかな純白の髪を、ぎこちなく掌で撫でる。
「……頑張りましたね――誰がなんと言おうと、貴女は私の自慢の弟子です。それを忘れない様になさい」
少女の瞳が、大きく見開かれ。
その眼が、自分では無く背後を見ている事に気付いたミラが、残像すら見える凄まじい速度で振り返る。
「あっ」
「げっ」
「ぬぅ」
樹の陰から首だけ覗かせ、ニヤニヤして師弟を眺めていた馬鹿三人とばっちり眼が合った。
「……そこで何をしているのです」
「い、いやぁミラ、偶然だねぇ」
やたら低い声で尋ねる……というか詰問してくる友人に、三者を代表して癖っ毛の金髪美青年――ヴェネディエが引き攣った顔で応える。
「た、たまたまそこで二人と一緒になってね、君とスノウの姿が見えたもので、つい様子を……」
「ガンテスと一緒にいる場合は中庭に近寄りすらしない貴方が、ですか?」
「い、いや、今回は本当に偶然なんだって! 二人も何か言ってやっておくれよ!」
ダラダラと顔から脂汗らしきものを垂らし始めたヴェネディエが、背後の友人達からも同意を得ようと振り向いて……そこに既に誰も居ない事に愕然とした。
「ちょ、ラック!? ガンテス!? 何処に行ったんだい、冗談はやめっ」
悲鳴を上げかけた青年の整った顔面に、一瞬で間合いを詰めたミラの情け容赦無いアイアンクローが喰い込む。
「二人は逃がしましたか……まぁ、後でしっかり問い詰めるとしましょう」
「待って、待ってくれミラ! 別に悪気があったとかそういう訳じゃ……!」
青年の顔の骨格が軋むように音を立てた。
ついでに、その小柄な体躯が無表情になった女傑の右腕一本で吊り上げられる。
「言い訳は結構。本当の処はどうなのです?」
「ア痛ダダダダッ!? すいませんなんか面白そうな光景が『視えた』ので二人を誘って見に来ましたァ! やめて折れちゃう寧ろ割れる砕けるぅ!?」
若き大司教を右手でぶら下げたミラは、背後で呆気に取られている弟子を振り返った。
「スノウ、私はコレを含む馬鹿者三人に折檻をせねばなりません。貴女は先に食事を済ませてしまいなさい」
「あ、うん……えーと、いってらっしゃい?」
殆ど反射的に頷いた少女へと「えぇ、いってきます」と返し、師は顔面を鷲掴みにしたままの青年を引きずって歩き出す。
「あれだけ見え難い、と言っていたのに徒に使用する余裕があるのなら、遠慮は無用ですね。久しぶりに本気で稽古をつけてあげましょう」
「あ、これひょっとして僕死んだ? 女神の御許に強制出荷されるやつ?」
足早に歩を進め――おそらくは残りの二人を探しに向かったのであろう師と、ズルズルと引きずられながら悟りを得た賢者の様な声色で呟く青年。
二人の姿が見えなくなると、昼時を過ぎた中庭に再び穏やかな静寂が戻って来て。
なんとなく、先程のぎこちない、不器用な掌の感触を思い出して、頬が緩む。
「……へへっ」
ぬくもりが残る気のする自身の髪を撫でて、少女は喜びを嚙みしめる様にはにかんだのであった。