聖地到着
旅は順調、通過する街でも進む道程であっても殆どトラブルらしいトラブルも無く。
大陸中央は大森林、エルフの聖地と呼ばれる地まであと僅か、という処まで俺達はやってきた。
途中、魔獣に襲われていた旅人やら冒険者やらを遠目に見たが、現場に駆け付ける事すら無くシグジリアの狙撃で魔獣が爆砕されて終了である。
彼女は優れた弓手であると同時に、中々に魔法も使える様だ。
本人曰く「一番得意な弓に合わせて魔法を特化させた」というだけあって、凄まじい剛弓を引くための身体強化と、魔力で形成された巨大な矢、この二種のみに絞っているっぽい。
ほぼ純正の魔力で構成された大矢は物理現象による飛距離と威力の減衰が極めて少ない。
矢自体も魔力製なので着弾と同時に炸裂させるも、硬度重視で貫通力をあげるもお手の物だ。
高所からの援護射撃等に徹する事が出来る環境があれば、そらもうえげつない事になるやろなぁ……。
いやしかし、平和な道行きだった。あんまり何事も無さ過ぎて馬車の上で揺られてるだけなので、身体が鈍らないか心配になった位だった。
順調な旅路とは裏腹に、大森林に近づく内にシグジリアの顔が微妙に険しくなっているのは、まぁ彼女の生い立ちを考えれば仕方ない。そこは旦那さんの《虎嵐》に頑張ってメンタルケアをしてもらうしか無かった。
そういう意味では、彼は道中、十分に仕事をしてくれたと言える。やり過ぎな位に。
最初は初対面の面子に囲まれている旅路ということもあってか、新婚さんという割にはサバサバした距離感だと思ってたが……半月程ほど一緒に旅をしてガードが下がったのか、単に我慢できなくなったのか。
今では砂糖吐きそうな甘い空気でべったりくっついてるのをよく見かける様になった。
今も馬車の屋根の上で座っている《虎嵐》の首にシグジリアが手を廻し、その胡坐の上に横向きに腰掛けてくっついてる。
甘い言葉を囁いたりとかは無いんだよ、ただし距離がめっちゃ近い。お互いの体温を擦りつけて移し合うような密着加減で、しかも夫婦共に照れるそぶりもなく、素面でそのまま会話に参加してくるっていうね。
女性陣には何故か好評な様で「男ならこういう相手を受け止める度量も要るよな」とか言って、シアの奴までうんうん頷いていた。
俺をチラ見しながら言うのをヤメロォ! 煽りか!? 包容力なんてもんが無いのは自分でも分かってんだよォ!
ベタ甘い空気に薬草茶を水筒に常備するようになったのは、俺とトニーだけである。
大森林に向かう道中で通過した都市にて購入したものだ。かなり苦味が強いが、身体に良い――特に胃腸に効果のあると言われているお茶を気に入ったらしく、毎回早朝の出発準備の度に湯を沸かし、一日分の薬草茶を淹れていたトニー君にはちょっと笑った。健康マニアとかそんな気があるんだろうか。
小器用というかなんというか、水の魔法で手ごろな氷を作り出して水筒を冷やしていたので、俺の分もついでに冷やしてもらったりね。
単独で潜入調査とかやってるだけあって、個人で動く際に便利な技能や小技なんかを多く身に着けているようだ。
《刃衆》に席を置いてるだけあって、腕も充分に立つし、こら確かに有能だわ。
「――見えて来たな、界樹が」
馬車の屋根から少しばかり硬い調子のシグジリアの声が聞こえた。
野伏として遠見に優れた彼女ではあるが、ここまでくれば俺達でも分かる。
とうに整備された街道は途切れ、でこぼことした荒れた道が続く地平線の向こうには、広大な森。
端から端までどんだけの規模なんだっていうレベルの広い森林群の中心に、縮尺が狂ってるんじゃねーかと思う様な、天を突く巨大な樹木が屹立している。
その周りの樹々も他の樹より相当に背が高い――それこそ、霊峰に生えていた霊樹に匹敵するレベルの巨木なんだが、中心のソレは縦横共にその数倍を優に超え、雲に届かんばかりの威容を見せている。
「うわー……あれが界樹かぁ……凄いねぇ……」
「自分は遠目で何度か見てはいるンすけど、やっぱ何回みても遠近感ぶっ壊れそうなサイズっスねぇ」
馬車の窓から身を乗り出して感嘆の声を上げるリアの言葉に反応し、手綱を握りながら同じく呆れ混じりの感嘆を洩らすトニー。
単純な高さやスケールってだけなら、迫力も合わせて霊峰の景色のほうが上だったが……一本の『樹』単品であのデカさっていうのは浪漫を刺激されるよな。天辺に生えてる葉使ったら死人が蘇ったりしないだろうか。
葉を浸した液体が凄い回復液になったりもしそうだが……そっちは別にいらんか。ベホ〇ズンをボコスカ乱射できるのが身内に二人もいるし。
「凄い景色なのは確かだから、ただの観光なら心から感動できたのでしょうけど……」
「あそこに住んでるのが例の親書とは名ばかりの怪文書を送り付けてきた連中だと考えると、折角の絶景も素直に見れないよなぁ」
リアとは反対側の窓から揃って顔を覗かせた隊長ちゃんとシアが、渋柿を齧ったみたいな表情で界樹を眺めている。
「私からすれば、あそこの連中が一部とはいえまともになったっていうのが信じられないな……記憶にあるのはどいつもこいつもエルフ至上主義なお花畑共ばかりだ」
二人が渋柿なら、シグジリアは苦虫を口いっぱいに噛み潰したが如く、だ。
氏族としての名を捨てた、と言っているだけあって、大森林にいる同族に対する拒絶感は根が深いみたいだね。
無言で《虎嵐》が膝の上に乗った嫁さんを抱きすくめ、その逞しい腕に包まれた彼女の表情が少しだけ柔らかくなる。口の中がジャリジャリしてきたので俺とトニー君は黙って水筒に口を付けて薬草茶を呷った。
何はともあれ、大森林も目の前――あと少しで到着だ。
ここから見る限りでは、何か大きな異常があるようには見えない超巨大な樹木を見据えながら、何事もなく事が進みますように、と俺達は祈るのであった。
……まぁ、無理なんだろうけどさ。うん。
ここ数日、お茶を飲み過ぎたせいだろうか。
溜息の代わりに、薬草臭いゲップが漏れた。
◆◆◆
大森林に入れば、直ぐにでもエルフの歓迎があるやもしれないと、構えていたオレ達だったが意外や意外。
森の入口まで精々あと半刻、といった辺りまで近づくと、段々と増えて来た背の高い樹々の内の一つ……その樹上から声を掛けられた。
「そこの御一行、我らが書状を送った三国の使者の方々だろうか?」
構えていたらしき弓を下ろし、樹の上からではあるが丁寧に誰何の声を上げたのは尖った耳を持つ、年若い青年二人――大森林のエルフと思われる者達だった。
といっても、長命種である彼らに外見上からの年齢の推測はあまり意味が無い。森の外に出て出迎え兼見張りみたいな事をしているってことは種族の重鎮って訳ではないんだろうけど、そこそこの古株って可能性はある。
すぐ近くとはいえ、森の外で出迎えの人員が待っているとは思わなかった。向こうの態度がどうあれ、取り合えず国家の使者としては最低限の礼儀というものがあるので、馬車に乗っている面子は直ぐに扉を開け、外に降り立つ。
「あぁ、そうだ。いきなりで失礼だけど……貴方がたはどちらのお迎えか聞いても良いかな?」
一応、この使節団の代表ということになっているオレが樹上の彼らを見上げて応えると、青年達は一瞬目配せを行い、直ぐに樹から飛び降りた。
そのまま並び立つと、深く丁寧に腰を折り、頭を下げる。
「……『二枚目』の方となります。我らの同胞が道理を弁えぬ文を不躾に送り付けた事、心より謝罪申し上げる」
忸怩たる思いを隠せない、と言わんばかりの恥じ入った様子で告げられた謝罪は、少なくともオレには本心から言ってる様にみえた。
「……驚いたな。言動が『外』のエルフと見分けが付かない。開明派というのは名前だけじゃなかったのか」
少なからず驚いた様子の声が馬車の上から届き、エルフの青年二人は頭を上げると声の主を視界に収めて――二人とも驚愕でその眼を見開いた。
「……シグジリア様……!?」
「おぉ……! まさか御無事だったとは……もしや此度の使者の方々の一人にお嬢様も!?」
望外の吉報を得た、と表情を輝かせて再度深々と礼をする青年達に、当のシグジリアは予想外にも程がある、といった表情でやりづらそうに顔を顰めた。
記憶にある聖地のエルフの言動とはどうやら相当に乖離しているらしい――逆にオレ達にとってはごく普通に思える彼らの言動に、流石に屋根の上から見下ろしたままでは礼に欠けると判断したか、シグジリアは《虎嵐》と共に地面に飛び降りる。
そのまま二人に歩み寄ると、きまり悪そうに改めて声を掛けた。
「あー……私はとうに森から出て野良となった身だ。とっくに氏族からも席を外されているだろう? そう畏まらないでくれ」
「長老衆の取り決めなど、我らにとっては然して重要ではありませぬ」
「高く飛ぶ事を誇りとしながら、鳥籠で羽を繕うばかりである鳥獣の生に何の意味がありましょう。幼き身で、己の意思一つを胸に外界へと羽ばたいたお嬢様の決断。当時は理解の及ばなかった己の不明を恥じ入るばかりです」
「……よもや故郷の同族に持ち上げられて面映ゆさを覚えるとはね」
頬をかきながら毒気を抜かれた様子で呟く嫁さんに対し、《虎嵐》が優しく掌を頭に置き、くしゃくしゃと髪をかき混ぜる様に撫でる。
言葉こそ無いが、あからさまに距離の近い二人の様子に、エルフ二人も察したようだ。
「……もしや、そちらの魔族の御仁はシグジリア様の?」
「……あぁ、私の旦那だ」
彼女にとって、《虎嵐》が悪しざまに罵られる事が一番の懸念事項なんだろう。
青年達のごく真っ当な対応にガッチガチに固めていたガードも少し下がった様に見えたんだけど、夫だと紹介したときは警戒を取り戻したかの如く、再び声が硬くなっていた。
しかし、その警戒も杞憂に終わった――少なくとも、今は。
「おぉ、なんとも喜ばしい!」
「界樹の癒しも遅々として進まず、更に此度の異変――気の滅入る報ばかりでしたが、ここに来て飛び切りの慶事とは……女神に感謝を捧げましょう……!」
なんか普通に良い人達だね、とアリアと相棒が小声で話し合ってるのが聞こえるが……同感だな。
彼らは出迎えの人員だ。ひょっとしたら、特に人当たりの良い者達を選んだのかもしれない。
それでも、保守派のイメージばかりが先行して、警戒感を抱いていたオレ達にとって、拍子抜けする位に彼らはまともで、善良だった。
……オレも『繰り返して』いる間、どうにか人類側の大規模な戦力の拡充が出来ないかと、大森林のエルフ達と接点を持とうとしたことがある。
結果は当然ながら失敗。実際に交渉に移る前に、森から出て来て個人で大戦に参加していたエルフや、かつてかろうじて交流があった時期を知ってる教皇の爺さんに話を聞いてみたりと色々と参考になりそうな意見を集めてみたんだけど。
全員に「絶対上手く行かない処か厄介事になるからやめておけ」と力強く断言され、腑に落ちない気分になりながらも諦めた記憶がある。
魔族との確執を知ったのもその時で、オレの生まれるずっと前の話だし、当時を知ってる人間にしか分からない事情とかもあるんだろうな、なんて思ってたんだけど。
例の『一通目』のインパクトの御蔭で、以前からのエルフに関する疑問が氷解すると同時に妙な先入観を抱いてしまっていたようだ。
エルフだからといって全員が全員、がちがちの排他的思考って訳じゃ無い。
保守派は厄介な連中が多いだろうけど、皆が皆、会話も成り立たない位にやばい奴等って訳でもないだろう。
開明派だって同じだ。目の前の二人は凄く真っ当に思えるけど、眉を顰めるような輩だっているかもしれない。
考えなくても当たり前の話だった。警戒は怠るべきじゃないけど、構え過ぎていても相手に不信感を与えるだけだな、うん。
『一通目』の内容を考えたと思われる長老衆ってのだけは、会うなら気を緩めるのは悪手だろうけどな。これに関してはシグジリアが何度も言っていたし。
しかし、そうなると『二通目』の送り主である開明派のトップであろう人物が気にかかるな。
ある程度長老衆と渡り合えるような立場と血筋の者は、ガッチガチの保守派ばかりで簡単に宗旨替えする様な奴は思い浮かばないって話だしなぁ。
タイミングとしては偶然だが、オレのそんな疑問も直ぐに解消される事となった。
「では、早速聖地――我らの里へと向かいましょう。さ、皆様も。サルビア様も今頃待ち侘びておいでです」
「姪御が御婚約者と共に使者として参られたともなれば、さぞお喜びになる。急ぎ参りましょう」
「ちょ、ちょっと待て。今、サルビアと言ったか? 私の、伯母の?」
同族との会話が始まってから動揺しっぱなしであったシグジリアだが、ここにきて最大級に狼狽えた様子を見せた。
余程驚いたんだろう、《虎嵐》の服の端を強く握りしめ、彼の旅装には思いっきり皺がよってしまっている。
出迎えの青年達は、顔を見合わせてきょとんとした表情を見せると、特段慌てるも、隠すも無しに頷く。
「はい。エルダの氏族にして、嘗ては次代の長老衆の一人と呼ばれた御方――シグジリア様の伯母上であるサルビア様が、我ら開明派の長です」
「内に籠るばかりではなく、外の世界に眼を向けるべしと、派閥を立ち上げた御方でもあります」
森の入口へと辿り着くと、そこには樹々と岩で形作られた天然の門構えが聳えていた。
普段は魔法で隠されているという緑葉の屋根で覆われた空間へと、馬車を牽いて入る。
開明派の長であるそのサルビア、という人物についてオレ達は知る由も無いのだが、シグジリアにとっては予想外にも程がある名前だったようで。
出迎え兼聖地への案内役であるエルフ達に先導されて進むオレ達ではあったが、未だにショックを受けた様子でブツブツと複雑そうに呟いている。
「……信じられん、あの伯母上が開明派の頭とは……長老連中の張ったブラフという方が余程しっくりくる」
「……その様子だと、貴女の伯母さんは保守派に近い考えの人だったのかしら?」
ミヤコの不思議そうな問いに、「そんなレベルじゃないな」と過去を思い返したのか、顔を顰めて頭を振った。
「長老衆のコピーロボットかと思う程のガッチガチの石頭でエルフ至上主義。少なくとも私の知る伯母上はそういう人物だった」
「そう……次代の長老の一人なんて言われていたようだし、まだ大戦に参加していた時期に、エルフの戦士達を率いて外に出る立場だった、という事かしら? そこで外界に触れて蒙を拓いた、とか?」
「有り得るとすればソレが一番可能性としては高いのだろうが……あの伯母がその程度の事で宗旨替えするとは思えんなぁ……」
殆ど唸る様に疑念の声をあげるシグジリアに、《虎嵐》が諫める響きを持った言葉をかける。
「……人は変わる。良くも悪くも。出会いが奇貨であれば、尚更に」
「……そうだな、取り敢えず開明派の主導者だというのなら、会うのは確定だ。会って話してみれば良いか」
旦那と見つめ合い、表情から力が抜ける嫁さん。
夫婦であるから、ではなく、こうやって通じ合っているからこそ夫婦になったのだと、そんな風に思える二人の空気に何度目になるか分からない羨望を覚える。
いいなぁ……オレも、いつかこんな風になれるんだろうか。
ちらりと後ろ隣りを歩く相棒に視線をやるけど、奴は真っ直ぐに前を見て――何故だか顔を顰めた真っ最中だった。
どうしたんだ? と声を掛ける前に、先んじて相棒は全員に聞こえる様に少し声を張る。
――もう片方のお迎えもあったみたいだな……なんともまぁ、勿体ねぇなぁ……。
酷く惜しいモノか、或いは価値ある物がその価値を失ったのを目にした様な、切な気ですらある声でボヤくその言葉に従い、全員が前方を注視すると。
樹々の間から数人の武装したエルフ達が現れ、オレ達の征く道を塞ぐ。
弓をつがえたまま、もしくは剣の柄に手を置いたままで進路を遮る者達に、案内役であった二人の青年が怒りも露わに彼らを怒鳴りつけた。
「なんの真似だお前達! 我らが招いた客人に向かって無礼であろう!」
「下がれ! 我らはサルビア様の命でこの方達を案内するお役目を受けた! 妙な真似をするのであれば我らが相手になるぞ……!」
今にも腰の短剣を抜かんばかりの青年達だったが、向こうのエルフ達の背後から進み出た人物を見て苦々しさを隠せない表情を見せた。
現れた人物はなんというか、これぞエルフ、といった感じの妙齢の美人だ。
緑に染めた絹らしき布と森の植物を組み合わせた装束。
蔓と草木で編んだらしき頭冠と、美しい金髪と碧眼。
うん、これで弓でも背負ってれば、日本人がエルフと聞いてイメージしそうな映像と大体一致しそうだな。
とはいえ、あくまで見た目だけだ。
こちらを不躾に品定めする視線は、およそ他国の使者に対する敬意や礼儀といったものは感じられず、硬質な光を宿す瞳は友好的とは程遠い目付きである。
「サルビアからそんな話は聞いていない――なれば私がお前達の言を受け入れる必要は感じられんな」
薄い唇から出て来た言葉は、瞳に負けず劣らず硬質だ。声と眼光、両方に気圧されながらも案内役の青年達は役目を全うしようと眼前の美人を睨みつける。
「コニファ様、この方達は我らが――」
「くどいぞ、私が言葉を掛けに来たのは後ろの者達だ。下がれ」
抗弁をあっさりと断ち切ると、コニファと呼ばれたエルフはもはや青年達には一瞥もくれずに、その背後……使者団の先頭を歩いていたオレに視線を固定させた。
「よくぞ来たな、女神の愛し子よ。我が名はコニファ=エルダ。始原の民たるエルフにおいて、長老の位に席を置く者の一人だ」
ニコリともせず、女性としては長身に入る背丈の彼女は、オレを見下ろして名乗りを上げた。
「……出たな時代遅れの年寄りめ」
忌々し気な口調を隠しもせずに毒付くシグジリアの声に、オレから視線をずらしたコニファはそこで初めて表情らしきものを面に浮かべた。
微かに片眉をあげ、意外なものを見た、といった様子で使者の中で唯一の同族に声を掛ける。
「……まさか、お前はシグジリアか? 女神より祝福を受けた身で有りながら聖地を離れた不出来な孫が、今更何の用だ? とうにお前は氏族から名を外されている。はぐれ者が聖地に戻ろうなどと夢を見るな」
「頼まれても戻るか。仕事で来ただけだ」
吐き捨てるように返された言葉に、ふむ? と口の中で呟くと、コニファは得心がいったと言わんばかりに頷いた。
「外の国の使いか――はぐれ者とはいえ、只の人間を聖地に立ち入らせるよりは良いな。殊勝な判断であると言ってやろう」
う わ ぁ。
なんだこのナチュラルな上から目線……。
いや、そういったヤツが知り合いにいない訳じゃなんだよ。
魔族領の吸血鬼達の頭領――女公爵なんかは、ナチュラルボーン・傲岸不遜を体現したような女だし。
ただ相手の立場や思惑、思慮などを全て把握した上で女王様な言動を一貫して崩さない女公爵とは違い、眼前のエルフはそもそも相手が不快に感じる・反発を覚えるという思考にすら至ってない様に見える。
エルフが最上位。他の種族は忖度・配慮が当然である。
そんな前提で会話しているんだろうか? 『一通目』の内容のアレさ加減からして覚悟はしていたが……実際に目の前でやられると眩暈を覚えそうになるな。見た目が凄い美人のエルフなだけに余計に。
初手からげんなりしつつあるオレ――多分、後ろの他の皆も似たり寄ったりだろうと思うけど――の、気持ちなど全く汲む気配も無く、エルフの長老の一人である女性は、久しぶりに再会する血縁にも既に興味を失ったかの如く視線を外し、次は個人ではなく全体、使者の一団をざっと見渡した。
「愛し子には劣るとはいえ、女神の加護を受けた者もいるか。只人も混ざっている様だが……まぁ、よかろう。分を弁え、礼を尽くすならば聖地に踏み入る事も許可を与えよう――だが」
そこで言葉を切ると、コニファは明確に嫌悪と拒絶の感情を顔に貼り付け、《虎嵐》――と、相棒を睨みつける。
「貴様らが我らの聖地に踏み入ること、罷りならん。魔に生まれた穢れ者の半獣と、女神の加護を受けながら矮小な魔力しか持たぬ呪物憑き風情が。分際を弁えよ痴れ者が」
「「「「は?」」」」
自然と漏れた低い声は、こちらの女性陣全員のものだった。
何故かトニーと……槍玉にあげられた当人である相棒から「ヒェッ」という短い悲鳴の様な声が発せられたが、今はそれ処では無い。
「――! コニファ様、お言葉を撤回して頂きたい! この方達は正式な三国の――!」
「お前達には返答を求めていない」
案内役の青年が堪らず、といった様子で口を挟もうとするが、コニファが軽く片手を上げると配下のエルフ達が同族である筈の青年達に向けて武器を構え、殊更に威圧する。
敵対派閥であるとはいえ、向こうに派閥のトップがいて、こちらには不在の状態で武器を抜くわけにもいかないのか、歯噛みしながら開明派のエルフ達は口を閉ざした。
「そもそも、お前達が最初からこやつらを森に招くなどという愚挙を起こさねば我らも愛し子を同胞として迎えるだけで済んだのだ」
相も変わらず、こちらの空気――明らかに不穏になったオレ達の気配に気づく様子も見せず、看過できない発言をした若作り婆はちらりと横目で青年達を見て、如何にも彼らに責があると言わんばかりに嘆息してみせた。
「そこな穢れ者二匹は、魔族どもの使いであろう? 使者といっても彼奴等の長の首を届けるだけの禊役だ。何故聖地に迎え入れよう等と思った?」
理解の悪い子供に言い聞かせる様な口調で言うエルフの長老に、怒りは消えぬままに困惑する。コイツは何を言ってるんだ?
後ろの皆も同じ気持ちだろう。魔族領の夫妻だけは只管に不快と怒り一色――特に《虎嵐》は、自国のトップの首を献上しにきた、なんていう酷い侮辱に文字通り猛獣の如き威嚇の唸りを喉から零していた。
あの怪文書にあった通りの交渉ですらない妄言を、オレ達が呑んでこの場にやってきたと本気で思っているらしい。
会談の際に皇帝が愚痴り、道中でシグジリアが再三言っていた『言葉は通じてるのに会話が成立しない』というのはマジみたいだな……。
まぁ、いい。
会話が成立しない、させる努力もしないというのであれば、それに応じた態度をとってやるだけだ。
先程の不愉快極まりない発言からこっち、静かに煮えたままの腹の怒りを堪えたまま、最後通牒のつもりでオレは相棒の腕を取り、傍に引き寄せた。
「アンタ達の主観だけでものを言うなよ。こいつは教国からの使者で、オレの相棒だ。オレのもんにケチを付けるってんならアンタらとこれ以上話す事は無い。そこをどいてくれ」
「サラっとにぃちゃんの所有権を主張しないでよ」
「レティシア。屋上」
アリアとミヤコから即座に文句が飛んで来るが、無視だ無視。
コニファと、彼女の背後に控える保守派エルフの戦士達の怪訝そうな視線に晒され、相棒が居心地悪そうに身じろぎしているが――コケにされてる本人なんだからお前はもうちょっと怒れよ! 自分の事なんだぞ!
しっかりと相棒の腕を抱え込み、馬鹿でも分かる様にオレ達の仲睦まじさってやつをアピールしてやったんだけど。
「……愛し子よ、まさかとは思うが、そこな呪物憑きに何某かの呪を受けているのか? だとすれば――女神の加護厚き存在を穢した罪、貴様の首一つで贖えると思うなよ穢れ者」
嫌悪に怒りと軽蔑を混ぜ込んだ、長老の斜め上どころではない発言に同調し、保守派の戦士達が相棒に向かって武器を突き付ける。
えぇ……なんて口の中で呟いて、呆れたように突き付けられた切っ先を眺める自身への侮辱に無頓着すぎる馬鹿の腕を、俺は更に強く抱きすくめた。
痛ダダダダ、痛い、痛いってシアさん。なんて言う、いつもの軽口にも、応える余裕が無い。
そう、か。
どうあっても、発言を撤回するつもりは無いのか。
あまつさえお前らは、オレの相棒に、オレのヒーローに、オレの大切なモノに、そんなふざけた理由で刃を向けるのか。
何も知らない癖に。オレ達が過ごしてきた時間を、乗り越えて来た戦いを知りもしない癖に。
コイツを侮辱して、オレの気持ちを呪いにかけられた、なんて抜かすのか。
何度も何度も『繰り返して』来た身の上ではあるけど。
正直に言えば、初めてだ。
邪神の軍勢に属する連中以外で――殺したいと思った奴らは。
俯いて臓腑の底から突き上げる粘性を伴った嚇怒を押し殺す。
――シア? 大丈夫か?
直ぐにこちらの様子に気付いた相棒が、酷く心配そうな声でオレを呼ぶ声が聞こえて、それが嬉しくて。
こいつのこんなときの察しの良さや、ぶきっちょな優しさを知りもしないで、穢れ者なんて呼ぶ眼前の連中に、益々怒りが湧いてくる。
あぁ、どうしようか。
教皇の爺さんには「好きにやってよい」と事の次第を一任されている。
極論、こいつらをこの場で消し飛ばして、そのまま回れ右して帰るって選択だってその気になれば可能なんだ。
どの道、三国とエルフとの干渉・交渉が失敗に終われば《亡霊》が自領の喧嘩っ早い連中を抑え込むのに匙を投げる筈だ。
失敗前提で動くなら、エルフが大森林ごと消し飛ぶのはこの場か、後で起こる戦争ですらない蹂躙戦かと言った処だ。
アリアもミヤコも、旦那を侮辱されたシグジリアだって、オレがこの場で開戦代わりの号砲を上げたって責めやしないだろう。寧ろ笑顔で肯定するまである。
そういう意味では、聖地とそこに住む連中の破滅への引き金を止められるのは、保守派の連中が穢れ者と呼んだ二人と、軽視している只人扱いのトニーだけなんだろうけど……このお花畑共にそれが分かる訳ないよな。
うん、もう、いいよな?
ごちゃごちゃと考えて、我慢しようとしたけど。
やっぱり無理だ。もう魔法ブッパしてもいいよな?
取り敢えず、相棒に武器を向けてる連中を吹き飛ばそうと、オレは静かに相棒の腕を抱えたのとは逆の手を挙げた。
焼くか、凍らせるか、切り刻むか、叩き潰すか。
――全部でいいか。オレの男にふざけた真似をした対価を、払ってもらうとする。
そのまま魔力を練り上げようとして――。
「――お、お待ちなさい! ウェップ、われら、の、客人への非礼極まる行為、ッ、ハァ、それ、以上は長老衆と、言えど、ゼェッ、ゆ"る"じま"せ"ん"よ"っ"!」
息も絶え絶えと言った様子の、鬼気迫る絶叫に意識を遮られ、オレ……というかその場にいた全員が声の上がった方へと首を向ける。
そこに居たのは、やはりエルフだ。
背後に数人の戦士達を従えたその人物は、コニファと同じような服装の女性だ――心なしか、その整った顔立ちも似通っていた。
余程急いでこの場に駆け付けたのか、肩で大きく息をして額には玉のような汗が浮かび、酸欠気味の顔色は悪く、今にも吐きそうだと言わんばかりに歪んでいる。美人が台無しだ。
彼女の供らしきエルフの戦士達も、長距離を全力疾走してきたかのような惨々たる有様だった。
「伯母上……」
呆気に取られた様子のシグジリアの声を耳に拾い、咄嗟に案内役の青年二人組に眼を向けると、彼らは安堵した様子で肩から力を抜き、ゼヒゼヒ言って部下に背中を擦られている女性を見つめていた。
十秒程、思い切り呼吸を繰り返し。まだまだ息が荒いままではあったが、彼女は胸を逸らして名乗りを上げる。
「エルフにおける『開明派』の長を務めております、サルビア=エルダと申しますっ! 我らの願いに応じて聖地を訪れて下さったこと、同胞が礼を弁えぬ真似をしたこと、三国の使者の皆様には心より感謝と謝罪を申し上げますお願いですから回れ右だけは勘弁してくださいなんでもしますから!!」
切実、という言葉では生温い程に真剣な懇願の声が、森に響き渡ったのであった。
途中から瞳のハイライトが行方不明になってる聖女様(金)。
糞デカ感情が負の方向に傾くと途端に粘性を帯びるのは仕様である。