顔合わせ
三国の使者、合流からの出発の巻。
さて、会談から数日。早々に準備を終えた俺達は、聖都城門前にて各国の使者と合流していた。
最初はそれぞれの国から大陸中央へ向けて出発し、途中の街で合流するもんだと思っていたが、エルフ達の保守派のアレっぷりを考えればトラブルが起こるのは必至だ。
今回参加する面子同士で協力して事に当たる為にも、移動までの時間でしっかりコミュニケーションを深めるべしと、聖都に集合の後、皆で仲良く出発ってことになった。
今回の遠出は他国も絡む事だし、てっきり時間の節約を兼ねて飛竜便で移動するのかと思ったんだけど……そうなると、騎乗生物に拒絶されるマンな俺は飛竜の脚に長い縄をぶら下げてそこにしがみ付くという、罰ゲームみたいな移動方法になるんだよね。
戦時中は移動方法で贅沢言ってられる状況じゃなかったので、別に構わなかったんだが……今回はシアとリア、あと隊長ちゃんも、俺一人が空中ブランコ物理的ぶらり旅なのはNGと主張した為、馬車での移動になる。なんだか有難いやら申し訳ないやら。
あ、そうそう。今回の遠征の間だけだが、副官ちゃんは帝国に戻ることになったらしい。
隊長ちゃんがこっちに参加する間、トップが不在になる《刃衆》を纏める為だそうだ。
『隊長とすれ違いで顔も合わせられないとか、世界が私に優しくない――この際だし、帰ったら部隊の奴らが腑抜けてないかしっかり確認してやるわ』
据わった目で帰国の準備を進めながら、低い声で呟いていた彼女を思い出して思わず刃衆の連中へと合掌した。強く生きてね! 頑張れ最精鋭!
なんて事を考えつつ、城門脇に止めた馬車に積み込んだ旅の荷をチェックしていると、帝国からの面子――隊長ちゃんと彼女の部下である青年一人が到着した。
二人か。思ったより人数絞ったね。いうて俺達も三人だし、魔族領も二人らしいから、特段少ないって訳でも無いけど。
取り敢えずは挨拶だ。俺は荷の確認を一時中断して、二人に向けて軽く片手をあげて振る。
おっすおっす。遠話の魔道具で顔は合わせたけど、生身ではお久しぶりだね隊長ちゃん。
「はい、お久しぶりです先輩。今回はよろしくお願いしますね」
こちらこそよろしく。一緒に仕事するのは久しぶりだけど、頼りにしてるよ。マジで。
任せて下さい、二年前より少しは腕をあげたつもりなんですよ? と悪戯っぽく笑う隊長ちゃんではあるが、副官ちゃんがかなり鍛え込んでいた事も加味すれば、彼女の上司である隊長ちゃんも少し処じゃなく強くなってそうやなぁ。元から転移・転生者組の中でもウチの聖女二人に匹敵するレベルの才能マンだし。
まぁ、今回の件はどう考えても厄介事になりそうな話だし、その腕前を見せてもらう機会はあるだろう。
取り敢えず、二人とも馬車の中に入る? シアとリアは魔族領の人員を迎えに行ってるから直ぐに戻ってくると思うし。
「直ぐに戻ってくるというのなら、このまま外で待たせて頂きます……できればアンナちゃんに挨拶しておきたかったんですけど」
残念。今日、朝一の飛竜便で出ちゃったよ。自分が聖都にいる間に部隊の奴等が鈍ってないか、確認してやるってめっちゃ気合入ってたで。
「……帰って来て早々、遠征任務も酷いと思ったッスけど、残ったら残ったで副長のシゴキが待ってるンスか……あ、こっちの方がマシだわ」
おぉっと、言うね。これは後で副官ちゃんに報告せざるを得ない。
「やめてください旦那、本気でやめて!?」
茶化した俺の言葉に割とマジな悲鳴をあげたのは、暗金の髪を短く刈り込んだ青年――どこか狐を思わせる細目は、今は見開かれて俺を翻意させようとする必死な意思に溢れていた。
今回、隊長ちゃんと一緒に大森林へと同行することになった彼の名はトニー=レイザー。
霊峰からの帰路で起こった、ちょっとしたドタバタ劇の際に面識を得る事となった人物で《刃衆》での裏方に近い仕事を務めているらしい。
以前出会ったときは、邪神の信奉者達と繋がりのある貴族への内偵を進めていた最中で、格好も質の低い私兵団に合わせた硬革の軽装だったんだが、今は部隊の正式装備である魔装処理が施された騎士鎧とコート――隊長ちゃんの装備をちょっとグレードダウンさせたような装備に身を包んでいる。
ちなみに隊長ちゃんは、前に聖都に短期出向してきたときと同じ装備にトニーと同じコートを羽織っていた。赤いラインが一本奔ったデザインなのは部隊のトップ仕様ってことかね。
しっかし、戦闘より潜入や調査が得意らしいトニー君を今回の任務にチョイスしたってことは、場合によってはエルフの弱みやつつける箇所を調べさせる気満々やなぁ。
隊長ちゃんの人選というより、皇帝の意を彼女が汲んでの結果だろう。どんだけエルフが嫌いやねんあの人。
「トニー君が北方で先輩に仕事を手伝ってもらったって聞いてはいたけど、仲が良いのね。これなら問題無く協力できそうで安心したわ」
「いや、待って下さい隊長。潜入先の伯爵家であわやジェノサイドパーティーになりかけたって自分言ったッスよね? 旦那絡みだと好感度フィルター掛かり過ぎじゃないッスか!? 残党狩りは確かに楽ちんだったッスけど!」
「こ、好感度とか何言ってるのトニー君! 先輩、あまり気にしないで頂けると助かります」
「あっれー!? どうしよう隊長から普段感じないポンコツ臭が漂ってる!?」
流石は同じ部隊なだけあるね、テンポ良いやり取りだ。
俺が感心して頷いていると、何故だか褒めた筈の片方が頭を抱えて唸りだした。
「旦那も旦那で目の付け処がおかしいくないッスか? 似た者夫婦か何かかアンタら!」
「……トニー君の遠征お手当、奮発してくれる様に経理の人にお願いしなくちゃ」
「わぁい、嬉しいけど素直に喜べない、不思議!」
騒がしく会話を続けていると、シアとリアが魔族領の人員らしき連中を連れて戻って来た。
「お、なんだ。ミヤコ達はもう到着してたのか。これで全員揃ったって事でいいのかな?」
「ミヤコさんお久しぶりー……あ、北方で潜入員してたっていう……えーと、イフェクさん? だっけ」
「あ、そっからなんスね……自分の本名はトニー=レイザーです、今回はよろしくお願いします聖女さま方」
こん中では一番下っ端なんで、是非とも呼び捨てにして下さい。自分の胃の為にも。と、至極真顔で挨拶するトニーに首を傾げながらも、まぁ本人が望むのならと聖女二人は頷いた。
実は結構仲が良いらしい隊長ちゃんとリアが、ちいさな声でイェーイとか言いながら軽くハイタッチしてるのを横目に、シアが一歩脇にずれ、後ろの二人に道を譲る。
「こっちの二人が、今回同行する魔族領の使者だ。なんでも、新婚の夫婦らしいからあんまり変な事吹き込むなよ?」
俺がやらかすの前提な発言するのをやめーや。失礼しちゃうわ全く。
進み出た新婚さんらしい二人の内の片方――旦那さんの方は、魔族でもポピュラーな獣の特徴を身体の各所に備えた種族、所謂獣人だった。
ふむ。頭部から生えたケモ耳や、腰の後ろから覗く尻尾からしてネコ科の獣人かね?
鍛え上げられた体躯と、隙の無い立ち姿。魔族として持って生まれた身体性能に驕らず、自らを丁寧に研磨してきた戦士の威風ってやつを感じる。
「……《虎嵐》という……以後、よろしく頼む」
錆の浮いた重低音な声で名乗り、丁寧に頭を下げるその姿は寡黙にして無骨。基本、騒がしい人間に囲まれている俺的には、新鮮だが同時に頼りになる男として映った。
「じゃ、次は私だな」
《虎嵐》に並び立った、彼の嫁さんである女性は……なんとも予想外。エルフだった。
エルフはこれまたテンプレというか、種族的に慎ましやかな体系が多いらしいんだが、胸当て越しでも分かる立派な双丘からして目の前の彼女は例外の様だ。
背中には彼女の種族が好んで使う様な物とは真逆の――重厚な大型の弓を担いでいる。
旦那と同じ様な簡易な旅装に身を包んだ、金髪ポニーテールの女性はニヤリと笑う。
そうして、種族特有の整った顔立ちにやたら漢らしい笑みを浮かべながら、名乗りを上げた。
「名はシグジリアだ。氏族名は捨てたが、一応今回の出先で保守派って呼ばれてる爺婆共の血縁に当たるってことでお呼びがかかった――まぁ、私自身は元・日本人って意識の方が強くてな。そこら辺も踏まえて、旦那共々よろしく頼むよ」
◆◆◆
なんともまぁ、数奇な出会いもあったものである。
オレはアリア共々、巡り合わせの妙と言うやつを噛みしめる事となった。
あれから全員の面通しを終え、早速大陸中央に向け出発となったのだが、道行は頗る順調かつ穏やかなものだ。
それも当然。なにせオレ達七人が乗る大型の馬車は、外観は質実剛健な作りではあるが、ドワーフの職人が手掛けた最高級品だ。
下手な馬車だと尻が痛くなるような荒れた道でも、中世じみたファンタジー世界にあるまじき走破性とクッション性を発揮して実に快適に進む。
おまけに、今回一緒に大森林へと向かうことになった三国の紋章が記された小旗が車体の脇で風を受けてはためいている。
乗ってる面子の実力も考慮すれば、馬車を襲うやつなんて皆無だ。精々が襲い掛かる相手を選ばない、知性の存在しないタイプの魔獣くらいのものである。その程度の相手なら、そもそもオレとアリアが簡易な結界を張るだけで近づけすらしないしな。
オレが貴重な出会いといったのは――魔族領から旦那さんと共にやってきたエルフ、シグジリアの事だ。
彼女は転生者……オレ達と同じ、日本から転生してエルフとなった人物だ。
交流を深める意味も兼ねて、今回の一件の中心であるエルフ達と同族である彼女の簡単な生い立ちを、オレ達は聞く事となった。
といっても、今馬車内にいるのはオレとアリア、ミヤコにシグジリアと、女衆だけなんだけどな。
御者をトニーが買って出て、一人で延々手綱を握るのもなんだろうと、相棒が御者席の隣へ。まぁ、アイツは手綱自体は握れないので、あくまで話し相手のみとしてだろうけど。
《虎嵐》はそもそも車内に腰を下ろすつもりが無いらしく、馬車の屋根にひらりと飛び乗ると、どっかりと胡坐をかいてそのまま不動となった。
密談も可能とした遮音性も高い馬車は、窓を開けない限り内外の声も殆どを遮る。
それでも、微かに御者台と屋根から届くやり取りが聞こえる事から、連中も連中でコミュニケーションは順調な様だ。
氏族名を捨てたといった……この世界での生まれ故郷を捨てたと明言したも同然のシグジリアではあるが、特に気負った様子も無く、己の半生を語る。
「まぁ、挨拶のときにも言ったけど、エルフの中で血筋だけは古いトコの出でな。小さい頃は皆、優しくて敬意を払って接してくれる立派な人達だ、なんて思ってたものさ」
それも長老共の『教育』とやらで外の世界への考えや認識を知るまでだったけどね、と。何処か皮肉気に彼女は笑った。
長老の直系として生まれ、更に転生者――女神の加護を一際強く受けて生まれた子という事で、エルフの里内では何不自由無く暮らせていたこと。
とはいえ、あくまでそれはエルフ達にとっての基準。現代日本からやってきた価値観では、森暮らしは段々と窮屈になってきたこと。
当然、保守派の教えとやらに強い反発を抱いたというのもあるらしい。嘗ての世界での価値観抜きにしても到底受け入れられない年寄りの妄言に、段々とシグジリアの心は生まれた地から離れていったそうだ。
折角異世界に来たというのに、爺婆の教えとやらに唯々諾々と従って一生樹々の中だけで過ごすなどアホらしい、と考えるのは当然の帰結だった。
エルフとして生まれ、その種族特性を強化するような野伏技能に類する加護を得ていたシグジリアは、あっさりと同胞達の眼を搔い潜り、森の外へ出た。
当時、まだ大戦の真っ只中だ。優れた力を持つ彼女は当然引く手数多。例え当人が拒んだとしても、情勢的にトラブルのほうが進んで彼女を巻き込みにやってくる。
なんだかんだといって、シグジリア自身も民を背に必死に戦う人類側の兵士や戦士達に絆されてしまった事もあって、なし崩しに大戦の渦中へと飛び込んでゆく事となった。
彼女が得意とする、大弓を用いた長距離狙撃を有効に発揮できる戦線を転々としている内に、後方まで陣を押し込まれた戦場にて窮地に陥り、そして。
「夫と出会ったのは、その戦場で助けられたときだった。そのときは全然意識とかしてなかったんだけど、素直に恰好良い、とは思ったよ」
後に彼女の相棒にして夫となる《虎嵐》と出会い、今に至る。という訳だ。
最後に旦那さんの事を語るシグジリアの表情は照れ臭そうで、だけど隠しようもない位に、惚れた男への想いに溢れていて。
馬車の中、その横顔を見て。とても自然に、あぁ、綺麗だな。本当に旦那さんの事が好きなんだな。と思った。
うん、やっぱりこの出会いは奇縁にして良縁だ。
なにせ、転生したら性別が逆になってたという点からしてオレ達と同じだし、その後に戦いの中で唯一無二の相棒と出会ったという処なんて、オレとしてはシンパシーを感じずにはいられない。
そして何より、何より、だ。
彼女は、自身の相棒として選んだ《虎嵐》と、結ばれるに至っているのである……!
もうこれだけでオレの中でシグジリアは偉大な先達と呼ぶべき人物にカテゴライズされた。
なんだったら肩でも揉んで姐さんと呼びたい位だ。肩凝りの原因になってるぶら下った巨乳についてだけは認め難いが。
これはもう是非とも色々と話を聞きたい。正直言えばエルフのゴタゴタなんかより、オレにとってはシグジリアの体験談を聞く方がよほど重要だった。
「うわぁ……いいなぁ、カッコいいね! シグジリアさんはそのときの事、しっかり覚えてるの? どんな感じだった? 少しくらいはドキドキしてない?」
アリアも似たようなものだと思う。人懐っこくて大抵の相手と仲良くお喋り出来る奴ではあるけど、今回は話への食い付き方が違うし。
矢継ぎ早にシグジリアに質問を繰り出しながらも眼は虚空に向けられ、その意識は半ば夢想の世界へと旅立っている。
あの馬鹿との過去のやり取りか、出会いでも思い出しているんだろう。気持ちは分かる。なにせオレが現在進行形でそうだからな。
「……帝国でも、戦場で生まれた恋物語を題材にした本や歌劇があるけど、やっぱり本当の体験談となるとリアリティが違うものね」
そんなオレ達を少し苦笑いしてミヤコは見ていたけど、彼女自身もシグジリアの語る、中々にドラマチックな夫婦の馴れ初めには興味津々みたいだ。
結果、馬車内にいる四人は顔を寄せ合い、年長者たるエルフのお姉さんの惚気混じりの赤裸々トークに前のめりになって聞き入る事となった。
……男女で分かれる形の交流になってしまったけれど、まぁ、まだ初日だ。
全員とのしっかりとした意思疎通は明日以降からでも十分に間に合う。なので、今日は女子会、男子会と言う事で、うん。
大森林――エルフの聖地へと向かう道行も、始まりである今日は全く以て平和であり。
穏やかに進む馬車の内と外で、其々に会話を楽しみながら行程と時間は過ぎてゆくのであった。
◆◆◆
大森林への旅路の初日。
良く言えば何事もない、穏やかで。
悪く言えば、代り映えのしない退屈な時間は終わり、街道の直ぐ横手にある樹の側に馬車を寄せた俺達は、そのまま野営の準備を始め、そこで夜を明かす事となった。
火を熾して皆で焚火を囲み、軽く雑談しながら簡単な食事を手早く済ます。
旅の中での食事中の団欒といえば、まぁ、仲良くなる為の王道ではあるんだけど……道中で散々にくっちゃべったからね。一日で話題が尽きる訳でも無いが、先は長いんだ。そう急ぎ足でお喋りする必要も無い。
トニーが結構ノリ良く話せるのは既に知っていたが、《虎嵐》の方も話を振れば、短い言葉ながらもきちんと考えて返答してくれるので、意外にも野郎三人でそこそこに話は弾んだ。
特に《虎嵐》は向こうの世界の格闘技とかについてだと、食い付きが良かった気がする。初見のイメージの通り、無骨な戦士といった風であった彼には刺さる話題だった模様。
ま、それも大森林に着くまでに適度に話していくわ。馬車旅の程よい時間の消化になるしね。
そんな訳で、明日、日が昇ったら早々に移動を開始しようということで、本日はさっさとお休みの時間となった。
馬車は元より十人程度を載せる事を前提とした大型だ。
おまけに転移者の知識を仕入れているドワーフ達によって、座席にリクライニング機能やスライド変形でソファーベッドになる機能まで追加されている。お高い新幹線のグリーン席かよ。
ベッドに変えると席数は半減するので、寝床は女性陣が使い、俺達は外で野営して地面に毛布を引き、寝っ転がる。
いうて、《虎嵐》は傍にある樹にするするっと登ると、太い幹の上で目を瞑って動かなくなったけどな。流石はネコ科というべきか。
馬車内で眠る面子と、外で寝る面子、各々に就寝の挨拶を交わすと、俺達は全員で普通に夜明けまで眠る事となった。
見張り? 聖女が二人がかりで結界張ったのに必要な訳ねーから。野生の飛竜の群れが襲ってきても朝まで無視して寝ていられるわ。
とはいえ、やはり万が一を考えると全員が熟睡というのもマズイ。大きく動きのある気配があれば眼が覚める程度には浅い眠りを維持して、俺は身体を休めていた。
多分、トニー君や《虎嵐》もおんなじような感じだったと思う。こりゃ明日以降は話し合って交代制にするべきかね。
夜も更けた頃、馬車から出てくる気配を感じで目を覚ましたけど、気配の主――シグジリアは《虎嵐》と同じように音も立てずに樹に登ると、樹上で眠る旦那に覆い被さるように抱き着いて眠り始めたので見ないフリをした。ネコ科の旦那とエルフの嫁。樹の上をベッドにするのはお手の物ってか。
ま、新婚っていってたしね、仕方ないね。
この世界に新婚旅行なんて概念があるとは思えんが、夫婦になってからの初めての遠出先がブッチして出て来た割と本気で捨てた故郷とか、気が滅入る話だろうしな。そら夫とくっついて眠りたくもなるでしょ。
うとうとと微睡みの中で過ごしていたが、微かに空の端が白んで来たのを目に留め、そっと身を起こす。
寝入っている面子を起こさないように結界の外へと出ると、俺は思いっきり伸びをして、欠伸を一つ零し、次いで軽くその場で柔軟体操を始めた。
適度に身体を解すと、次に気息を整え、静かに目を瞑る。
鎧ちゃんを起動させる――訳では無く、だが、その感覚だけを身体から掘り起こし。
呼び起こした感覚と、実際に振るう手足の感覚、それらを擦り合わせるように意識しながら、丁寧に魔力を全身に巡らせ、左の足裏から地へ、地を循環させ、右の足裏へ。
植物の根が大地の水を吸い上げるイメージで、静かに、循環させた魔力を心臓へと送り込み全身へ。
そうやって、夜明け前の涼やかで静かな空気の中、《三曜の拳》の自己鍛錬を静かに行っていると背後から唐突に声を掛けられた。
「……先輩の技、《報復》が無くても振るえるようになったんですね」
おはよう、と言っていいのかな。まだ夜明けまで時間があるで?
振り向けば、結界の内側から俺の自主練を見ていたらしい隊長ちゃんの姿があった。
正確には、鎧ちゃんが無くても振るえるようになったんじゃなくて、鎧ちゃん使用時に使える技の感覚を引き出せるようになった、って感じなんだよね。
寧ろ、鎧ちゃんの魔鎧としての性能をより深く引き出せる様になったからこそ、待機状態でも感覚を呼び起こせる様になったんだよなぁ……この辺りの進歩はホンマお師匠様々だわ。一月足らずの駆け足修行でよくここまで調整を手伝ってくれたもんだ。
「そうですか……残念です」
静かに呟かれる言葉に、何が、とは聞き返さなかった。
彼女が滅茶苦茶にラブリーマイバディを敵視しているのは知ってるからね。下手に聞くと返事の内容怖い事になるから聞けません(白目
隊長ちゃんは手近に転がっている岩の上に腰を下ろすと、立てた膝の間に顔を埋める――所謂三角座りの体勢になって、首を傾げて横手から俺の顔を見上げてくる。
「……もう、戦争は終わったんです」
合わさっていた視線が伏せられ、隊長ちゃんはどこか拗ねたような口調で独り言の様に言葉を続けた。
「先輩が無理に戦ったり、危ない真似をする必要、無いじゃないですか」
せっかく、元気になって戻って来てくれたのに……と小さく呟く彼女に、俺は苦笑でもって返すことしか出来なかった。
うんまぁ、そうかもしれんけど。
弱っちい癖に、鎧ちゃんにおんぶにだっこのまんまで、いつまで馬鹿やってんだって言う意見も御尤もなんだけど。
俺は、なるべく今の俺のままで居たいんだよ。
シアやリア、ガンテスやミラ婆ちゃん、この世界で出会った戦友達――勿論、副官ちゃんや、隊長ちゃんも。
本当なら、俺じゃどうやっても助けにもなれないような凄い連中が、いつか本当に困ったり、助けが必要になったとき。
直ぐにでも駆けつけられる、手を伸ばして、届かせることが出来る、それが出来る儘でいたいんだ。
我ながら拗らせたもんだとは思ってるけど――すまんね、多分治らん。
二年前、派手に喧嘩しながら考えてる事を互いにぶちまけあった隊長ちゃんが相手なせいか。
普段はこっぱずかしくて丁寧に腹の中に畳んで仕舞っている本音を、なんとは無しに漏らしてしまう。
「……先輩は、そういうと思ってました」
いつぞやに聞いたセリフを、膝に顔を埋めながら再び零す彼女は、やっぱりどこか拗ねた様な感じで。
御機嫌取りという訳では無いが、俺はこの旅の間に渡そうと思っていた物を、胸のポケットに入れっぱなしであった事を思い出して、それを取り出した。
縦長の、ペンが一本入る程度の頑丈なケース。
心配してくれる事への感謝と、それを無碍にしてしまう生き方を選んだ事への謝意を込めて、それを差し出す。
顔を上げた隊長ちゃんは、ケースを受け取り……蓋を開いて中身を見ると、その黒曜石みたいに綺麗な瞳をまぁるくした。
「せんぱい……これ……」
以前に櫛が欲しいって言ってたやん? あるかもしれん、って言ってた店を覗いてみたんだけど、生憎見つからなくてさぁ……。
予てから行きたいと思っていた、日本の振袖や着物などの服飾を再現している店。
シアに案内されて、二人でいざ繰り出してみたは良いものの、隊長ちゃんと約束した品は扱っていなかった。幸い、もう一つ目的であった甚平は作ってくれるみたいなんで、採寸して制作をお願いしてきたんだけどね。
お店の店長らしき人が転移者か、その子孫なのか。
店に出している日本の品々についてもきちんとした知識を持っているらしく、相談に乗ってもらいはしたんだが、肝心の梳き櫛が在庫に無くてね。
で、代わりというか、代替というか。近しい用途でかつ女性へのプレセントに成りうる品として選んだのが、隊長ちゃんの手の中にある簪だ。
櫛や簪に限らず、女の子の服やその他小物に関する知識なんて殆ど無いも同然ではあるが、店長さんが「簪はその形状から、護り刀にも似た意味のお守りとして渡す場合もある」と教えてくれた事もあって、購入に踏み切った。
俺にそういった小物選びのセンスは皆無だが、隊長ちゃんの綺麗な黒髪に銀細工の本体部分と、桃の花を模した頭部分の鮮やかな玉飾りはさぞ映えるだろうと思ってこのチョイスにしました。
ちなみにアドバイスを貰う為に黒髪の娘に贈る用ですって説明したら、店長さんが凄い真顔で「一緒に来たお嬢さんの分も買っておきましょう」と言ってきたので、圧に負ける形でシアの分も購入している。
いっそその場でどんなデザインが良いか当人に聞こうとしたんだが、圧が三倍増しになった店長さんに止められ、結局自身の足りてないセンスを総動員して二本目も選ぶ羽目になったわい。
隊長ちゃんと違って約束した訳でもなし。渡す機会も見当たらずに、自室の机の肥やしになってるけどね。
無粋だとは思うが、どっちも良いお値段でした……ペン位のサイズなのに、下手な大剣より高いとかやっぱ女性のお洒落ってお金かかるんやなぁ(童貞特有の偏見感
渡すタイミングがこんな時期、こんな時間だったせいか、隊長ちゃんが呆然として銀の輝きを放つ簪を凝視している。
うぅむ……反応が薄くて怖い。や、やっぱり代替品的なものじゃ駄目だったんだろうか。それとも帰って来てから渡した方が良かったのか……!?
なにか重大な失敗をしたのかと、我ながら内心では冷や汗ダラダラものである。
「……レティシアの気持ちが分かった気がします」
暫しの沈黙のあと、彼女の唇から零れた言葉は、やはり二年前のあのときをなぞる様な台詞で。
けれど、あの時とは違い「そういうトコですよ」と少しだけ意地悪気に付け足すその表情は、とても嬉しそうだった。
……よく分からんが、喜んでもらえたのならオッケー! 勝ったな朝風呂入ってくる! 風呂とか無いけど!
隊長ちゃんは大事そうに簪をひと撫ですると、静かにケースの蓋を閉じてそっと懐にしまう。
ふむ? 今髪に刺したりはしないんだ? まぁ、旅の空の下で飾るようなモンでもないか。
「えぇ、今はちょっと勿体なくて――折角だから、もう少し伸ばしてからにしたいですし」
そう言って、彼女は俺が霊峰に出掛ける前よりも、少しだけ伸びた艶やかな黒髪をかき上げる。
そのまま、軽く反動をつけて岩の上から飛び降りた。
話をしている間に、徐々に街道の地平線から夜の帳を押し退けて来ていた太陽が、辺りを朝焼け色に染め始め。
「だから、先輩――いつかその時がきたら、私の髪にこの簪を刺してくれますか?」
そう言って微笑む、穏やかな朝日に照らされた隊長ちゃんの笑顔はびっくりするほど綺麗だった。
(……めっちゃ起きづれぇッス……暫く寝たフリしとこ)
(……騎士ミヤコと《猟犬》殿は番となるのか……? 旅の空では祝いの品など用意できんが……さて……)