帰り道(顛末)
ローレッタが警備隊の隊長らしき男をワンパンで床に埋めると同時に、様子を見ていた周囲の宿客から歓声が上がる。
喧嘩を囃し立てるものというより、賞賛が込められている声が大きいことから察するに、ブン殴られた男は街の人間からも良い眼で見られてはいなかったらしい。
部下からも慕われているとは言い難かったのか、剣を抜いて御令嬢と愉快な仲間達を包囲する衛兵達も見るからに士気が低かった。
或いは、単にカクの剛力やローレッタの一撃を見て怖気づいているだけなのかもしれなかったが。
闘志を漲らせて前に踏み出す金髪巻き毛の少女と、後に続く仲間達にあっさりと蹴散らされ、衛兵達は悉く床に這う結果となった。
単に上の命令による職務として一行を捕縛しにきた衛兵に罪は無いので、最初に殴られた男以外は精々たんこぶや打ち身程度で気絶しているだけなのは、貧乏くじを引いた衛兵達とってせめてもの救いか。
「さて、例の伯爵をとっちめるって話だったが……領地からやってくるっていうなら、北の城門で待ち受けりゃいいのかね?」
衛兵の一人を昏倒させたアザルが、鞘に入れたまま相手を殴り倒した剣を肩に担いで依頼主である少女に尋ねる。
「えぇ。馬車にしろ、飛竜を使った早便にしろ、北側の貴族用の検問で待ち構えれば外れはない筈ですわ」
「昼前とは言っても、今すぐにやってくる訳じゃないだろうしねぇ。事が荒立ってしまった以上、伯爵には寧ろ早くやってきてもらいたいものだね」
首肯する教え子の言葉に、補足する様にコウジが付け足す。
のんびり時間を潰せる状況でも無くなった訳だが、そこに関しては杞憂であると、傭兵とマリアが横から声を挟む。
――ま、今から真っ直ぐ北の城門に向かっても、着く頃には頃合いの時間になってるでしょ。
「みたいだね。宿の外に待機してた衛兵の人達、応援を呼びにいったみたいだし」
宿の外で待機していた気配の幾つかが、慌てて離れていくのを感知していた傭兵とマリア――二人の言葉にウェンディとイルルァが嫌そうに眉を顰めた。
「職務熱心ねぇ。どれくらいの規模の追加人員を呼んで来るのやら」
「てーか、森で襲ってきたみたいなゴロツキ擬きなら容赦なく射貫けるけど、この街の衛兵相手だと迂闊に弓を使えないんだけど。あたしだけメイン武器縛りとかキツイわ」
「ふむ。よろしければ拙僧が矢じりを潰しますが……如何なさいますかな?」
あ、じゃぁお願い、全部やっちゃって。とカクに矢筒を渡す仲間の斥候を横目で見つつ、エクソンが小振りな鎚鉾を右手にぶら下げたまま、戦意を緩めること無く宿の入口周辺に探知の魔法を発動させる。
「妙ですね。衛兵以外でも、害意を持った者もちらほらと宿の外に見受けられる様ですが……」
「豚さんに小金貰ってる連中でしょ。この街に着いた時点でちょこちょこいたし……監視のつもりだったんだろうけど、露骨過ぎてお粗末だったわ」
所詮はゴロツキよねー、と。矢じりを握り潰されて非殺傷用に早変わりした矢の調子を確かめながらイルルァが鼻で笑う。
大方、賄賂漬けの衛兵隊長殿が失敗した令嬢の確保を自分たちが成功させれば、代わりに報酬が貰えると皮算用を弾いた者達であろう。或いは、単純にバフナリー伯爵が懸賞金でも掛けているのかもしれない。
目論見自体はそう的外れではないが、致命的に難易度を見誤っている点についてはご愁傷様としか言いようが無かった。
「街の衛兵に加え、襲撃してくる豚伯爵の私兵やら破落戸も相手にするのか……いよいよ以て大立ち回りって感じになってきたな」
「どの道、衛兵を殴り倒した時点で摂るべき選択は一つですわ。あの伯爵を公衆の面前でブチのめせば、此処の領主様も出張ってくる筈です」
アザルの呟きを拾って反応し、あとは領主様に書類をお見せしてフィニッシュですわ。と、楽観的ともいえる発言をするローレッタ。
短い付き合いではあるものの、これ迄の彼女の言動を知る面子からすればそれが楽観論から出た言葉では無く、その言葉を実現してみせる、という覚悟と共に吐かれた気炎である事は容易に知れた。
衛兵達を打ち負かした際に荒れた店内を颯爽と進み、カツン、とブーツの踵から音を立て、宿の扉前で立ち止まると令嬢は背後を振り返る。
己の仲間達――その背後で事の成り行きを眺めている、食堂にいた客や二階の階段からこちらを覗き込んでいる宿泊客を見渡し、優雅にスカートの裾を摘まみ上げて一礼した。
「お騒がせして失礼いたしましたわ――所用により、この場を離れさせて頂きます。皆様の穏やかな朝を乱した謝罪は後日、必ず」
たとえ身一つ同然になったとしても、彼女は民の為に戦う貴族であり、戦士である。
守護の対象である者達に、無用な不安や騒乱の空気を感じさせた事に対し、真摯に謝意を告げた。
市井では滅多にお目にかかることのないレベルの美しい少女。
美しさには棘があると言わんばかりに、圧倒的な腕っぷしを衆目に披露した後の、気品に満ちた所作に多くの者が目を奪われた。
祖父の血を引くが故か、或いはローレッタ自身の才覚か。
未だ若く、未熟なれど。
ただそれだけの立ち振る舞いで他者を惹きつけ、歓声を呼び起こす様は――間違いなく憧れた英傑達に劣らぬ資質を、彼女が有している証でもあった。
『場』の状況も味方した、といえる。
既に、断片的な会話の内容から御令嬢一行と衛兵を引き連れた警備隊長、どちらに非があるのか察していた者も多かったのだろう。
無実の罪を着せられた、旅する貴族のお嬢様が、これから下手人である貴族を打ち倒しに征く。
まるで物語か、歌劇に謡われる勧善懲悪か。
奇しくも自身もその登場人物になったかのように思える現状は、常ならぬ昂揚と熱狂をその場の者達に齎した。
割れんばかりの歓声と拍手、口笛つきの声援が宿に響き渡る。
「上手いわね。元とはいえ、貴族なだけはあるわ……差し詰め劇的な人心掌握術ってところかしら」
――いやぁ、多分アレは天然やろ。よく見たらちょっとキョドってるわ。
感心した様子で頷いたウェンディの言葉に、傭兵が笑いを堪えながらこっそり指摘する。
事実、鷹揚に頷きを返して余裕を崩さぬかに見えるローレッタだが――何故いきなり大歓声で称えられたのか理解できず、その眼は若干泳いでいた。
――才覚も、本人の意思も十分。ちょっとした可愛気もある。こりゃ将来が楽しみな逸材だね。
「うん。自慢の教え子だよ」
転移者二人の、笑いを噛み殺した台詞が聞こえたのだろうか。
ほんのりと赤らんだ頬を誤魔化す様に、ローレッタは殊更に威勢よく仲間達に問いかける。
「さぁ、皆さん! 準備はよろしくて? 目指すは北の城門、バフナリーの野郎がやってくる検問前ですわ!」
羞恥を隠す為でもあったとはいえ、その闘志に偽りなく。
準備も覚悟も万端と、意気を以て返す一行と、更なる歓声に推され、令嬢は宿の扉を豪快に開け放った。
◆◆◆
宿を飛び出て、北門へと一同は進む。
小走りに進む一団を遮るように、ガラの悪い連中――恐らくは、バフナリー伯爵の命で監視をしていた私兵が立ち塞がるが、最前列に並び立ったスデゴロお嬢様と筋肉製人型要塞に二秒で蹴散らされ、地べたにたたきつけられた。
幾らも進まぬうちに、宿を見張っていた衛兵の呼んだ増援とカチ合う。
「おどきなさい! 職務を全うしている者達に拳を向けるのは本意ではありませんが、立ち塞がるならば容赦なく押し通りますわよ!」
「はっはっはっは、いや痛快! 街の治安を守る兵の皆々様には申し訳ありませぬが、今の拙僧は御令嬢に合力する『ちょいわるおやじ』なるモノなのでご容赦をば!」
「先生、それ多分違う」
マリアの若干呆れた様な突っ込みが最後に入るが、それはさておき。
ローレッタの一喝と、何より一目で歴戦の聖職者と分かるカクの姿に衛兵達が怯む。
単純な迫力に押されたというのもあるが、それよりも。
巨漢の隣に並ぶ令嬢と、肩に乗る栗色の髪の少女は明らかに高貴な出自と察せられる容姿なのに加え、これ程の威容を誇る武僧が下らない犯罪者の類であるとは、にわかには信じ難い。
街の防衛の為に、幾度も聖教国の派遣してくれた聖職者達と戦場を共にしたことのある兵達からの、僧職に就く者達への信頼度は高い。
ただでさえ、自身の仕える領主とは不仲とされる隣地の伯爵のかけた嫌疑というだけで胡散臭いのに、容疑者とされる一団に聖職者が多数在籍しているのである。
これで士気高く任に当たれという方が酷であった。
「なにをしているきしゃまらぁ! しゃっしゃとソイツらを斬りしゅてろ!!」
及び腰の兵達を怒鳴りつける声が宿の方向から響き、一斉に視線が転じられると。
ローレッタの開幕右ストレートで床に埋まった警備隊長が、顔を押さえながらフラフラと宿から現れ、怒りで顔を赤く染めながら怒鳴り散らしていた。
鼻が潰れてひん曲がり、前歯は埋まった床下に全部置いてきたらしき男は、怒り心頭といった様子で生まれたての小鹿の様に震える膝を叱咤して、再度部下に命じようと口を開き――。
開けた大口に剛速球で投擲された石ころが直撃し、おかわりといわんばかりに鳩尾に矢じりを潰された矢がぶち当たって一瞬で昏倒した。
石を咥えたまま地面に大の字にぶっ倒れる警備隊長殿ではあるが、みるみる内にズボンの生地に染みが広がって微かに異臭が漂い出す。
どうやら失禁したらしい、泣きっ面に蜂である。実際は蜂ではなく石だが。
「傭兵さん、容赦ないねぇ。アレじゃ年単位で硬いもの食べれないでしょうに」
――いやいや、そっちこそ。人通りの多い道の真ん中で漏らして失神とかもう街にいられんでしょ、ワロス。
「どっちもどっちね、変な部分で譲り合いしてんじゃないわよ」
傭兵とイルルァの追い打ちコンボを見たウェンディがばっさりと言い切り、右手の建物の屋根へと杖を向けて雷撃の魔法を発動させる。
迸る稲光と、上がる短い悲鳴。
弓を構えていたらしき、数人のガラの悪い男達――おそらくはバフナリーの私兵であろう連中が、煙と軽く焦げた匂いをあげながら膝からくずれ落ちた。
「――エクソン!」
「お任せを!」
槍を構えた衛兵を押し返したアザルの声に応え、エクソンが左方へと手を翳し、魔力障壁を展開させる。
高所からの複数の弓兵による奇襲は、左右同時がセオリーだ。
その予測に違わず、魔法によって打ち倒された私兵達の居た建物の反対――左手屋上から、無数の矢が降り注ぐ。
障壁に敵の矢が遮られると同時、文字通り矢継ぎ早に返礼された非殺の矢が屋上の襲撃者達の脳天へと命中、次々と失神させた。
頭目の一声で流れる様に行われた息の合ったコンビネーションに、傭兵が口笛を吹いて楽し気に笑う。
――おぉーいいね、これぞ冒険者って感じの戦い方だわ。
「そりゃどうも。尤も、こんなに圧倒出来てるのはおたくのトコのマリア嬢さんの御蔭だけどなっ!」
アザルは賛辞の声に笑い返して応え、嚙み合っていた衛兵の槍を柄ごと叩き折ると、剣の柄尻で兜越しに頭部を打って意識を奪う。そうして、ちらりと巨躯の肩に乗せられた少女へと目を向けた。
視線に気付いて少しばかり自慢げにピースサインを返すマリアに、苦笑する。
「この人数にこのレベルの身体強化とか、とんでもないお嬢さんだよ、ったく」
「初めてお会いしたときに見せて頂いた回復魔法からして、既に私とは格が違うと分かってはいましたが……ここまで段違いだと笑うしかありませんねぇ」
パーティーの頭目が少女を絶賛すれば、エクソンが衛兵の持つ盾ごと相手を吹き飛ばせるまで強化された自身の腕力を確認して、いっそ清々しいといわんばかりの笑みを浮かべた。
「ふむ……想像以上に件の伯爵の手勢が多いですな。街の警備を担う者達を纏める者が手駒とされていた事から鑑みても、相当な数の私兵が街中に散っているようですが」
優しく、それこそ撫でる様な手加減っぷりで衛兵達を気絶させたカクが思案する様に呟くが、同じく加減して衛兵をノックアウトしたローレッタが好都合とばかりに不敵に笑う。
「では、騒ぎを起こしてしまったせめてもの償いですわ。決着ついでに街のお掃除と参りましょう」
「教え子が頼もしく育って何よりだよ……僕はこういうときに役立たずだから、ちょっと歯がゆいけどね」
一行の中心で護られるようにして歩みを進めるコウジの自嘲の混じった賞賛の言葉を、当のローレッタが呆れたように師を振り返り、否定する。
「何を仰るのかと思えば……先生らしくも無い。鉄火場で武を振るう者と、探求の場で知を深める者、得意とする戦場が異なるのですから当然ですわ」
一旦言葉を切り、敬愛する師を、思慕を向ける男をジッと見つめて――少女は淡く微笑んだ。
「出来る事が無いなどと嘆かず、どうか私を見ていて。先生が見ていてくださるのなら、私は何者にも負けません」
見つめ合う師弟。
教え子の笑顔を見たコウジは、少しばかり呆けた後、照れ臭そうに頷いた。
――やだ、なんだかとっても甘酸っぱい。
「駄目だよにぃちゃん、茶化さないの」
キュンデス! と心境を実況する傭兵に、妹分からの手厳しい注意が飛んだ。
微妙にストロベリってる空気を出しつつも、一直線に北の城門に向け、進む。進む。
騒ぎが大きくなり、各詰め所から応援に出て来た衛兵達が立ち塞がり、交戦中に漁夫の利を得ようとバフナリーの私兵達も散発的に手を出してくる。
当然、街の衛兵からすれば私兵団も違法な武力行使の現行犯として、捕縛の対象だ。
其処かしこで両者の衝突も発生し、いよいよ以て場は混沌とした状況になって来ている。
街を上げた大捕物といった様相を呈してきた中、騒ぎの中心である一同は、元気に大暴れしながら大通りを駆け抜けていた。
マリアの反則的なレベルの回復と強化もあって、忙しく敵を相手取り、蹴散らしながらも各々どこか余裕すら伺える始末である。相手をしている側――とりわけ、仕事に真面目に取り組んでいるだけの街の衛兵からすると帰って酒飲んで不貞寝したくなるレベルの理不尽さであった。
「まるでお祭り騒ぎだな! 遠巻きに眺めて喜んでる連中までいないかこれ!」
路地の隙間から飛びかかって来たゴロツキ風の男に蹴りをぶち込んで、再び隙間に送り返したアザルが周囲を見回して叫ぶ。
「どうも聞こえる限りでは、宿場でのカッツバルゲル嬢の宣言が広まってるようですね! 祭りというのは言い得て妙かもしれません!」
直接的な戦闘では埒が明かないと思われたのか、投げ込まれた複数の投網を障壁を展開して阻むエクソンが叫び返す。
「民衆が味方に付きそうな流れは助かるけど……どんだけノリが良いのよこの街の連中は! 暇人だらけか!」
「でも、悪い気はしなくない? 思い描いていた冒険とは違うけど……あたしは今、冒険譚の真っ只中にいる、って感じがしてる!」
追いすがってくる兵や、高所から此方を狙う者達を魔法と弓矢で牽制しながら、ウェンディとイルルァも負けじと声を張り上げた。
「……正直、ちょっと俺もそう思ってる!」
何度目かの兵の増援を迎え撃ちながら、冒険者達は顔を見合わせて、笑った。
あの酷い戦争が終わって、戦力として各地で戦う冒険者と傭兵の区別も付かないような混沌とした状況が変わり、二年。
これで幼い頃に夢見た様な、真っ当な冒険者稼業に精を出せると喜んだものの、子供ながらに憧れた『冒険』とはどうしたって縁遠い、堅実ではあるが代り映えのしない仕事の日々。
自身のみならず、仲間の生活だって掛かっている以上、なんとか上手くやれている現状に不満を唱えるのは贅沢だとは分かっていたが。
知られていない手つかずの遺跡や、未開の地に遠征するだけの実力を持った高ランクの冒険者達の冒険譚を耳にする度に、どうしたって思ってしまうのだ。
折角平和な世になったのだ。いつか、自分達も彼らの様な、多くの人達に語られる様な『冒険』を。心躍る様な、常には無い挑戦と物語を。
仲間達だって大なり小なり、そう思っている事だろう。というか、そうでなければ冒険者なぞやってない。
古代の遺跡でもなければ、未踏破の秘境でもない。大勢の人が住む、街のど真ん中ではあるものの。
常ならぬこの状況に、どこかワクワクしているのを彼らは自覚していた。
「何も不自然な事ではありませんわ!」
騒動の中心人物、彼らの依頼人でもある少女が物陰より奇襲してきた私兵を胴打ち一発で沈め、返す拳で衛兵の顎を打ち抜いて意識を飛ばす。
「大きな悪意や暴威に立ち向かい、打ち下す――冒険者であれ、国に仕える者であれ、これに昂るは戦士の性というものですの!」
――へー、そうなのかー。
「なんでスケさんがその反応なんですの!? 御坊様に次ぐ実力者に初耳みたいな顔された私の立場!」
――いうて、今まさに俺達が張り倒してる衛兵さん達も暴威に立ち向かってる最中だからね、仕方ないね。
「士気が下がりそうな発言!? いえ事実ですが、事実ですが! 自重してくださると嬉しいですわ!」
漫才の如き掛け合いを続けながら、前方で待ち構える私兵達が弓を構える姿を見て即座にポジションをスイッチ。
避難済みとはいえ、周囲の一般人に全く配慮しない水平射撃の斉射は、傭兵が両腕で弧を描いた軌道の延長上に合わせ、全て巻き取るように一纏めになって地に落ちる。
魔力の展開が無いことから魔法ではなく、体術の延長であることが伺えるが……アザル達は勿論の事、ローレッタから見ても意味の分からない謎の超技巧であった。
住民にとっても危険な攻撃を行った連中に対して、ローレッタとカクが少しばかり手加減を忘れて突撃し、一息に叩きのめす。
追って来ていた衛兵達も街の人間に被害が出そうな行動をとったごろつきが見えたのか、此方はそっちのけで捕縛に掛かりだした。
先程から幾度か繰り返された光景は、特に意図した訳ではないが当初のローレッタの言葉通り、街の大掃除に繋がっている様だ。
衛兵が騒動の原因たる御令嬢一団を追いかけることで、皮肉にも街に巣食う賊の予備軍の如き連中に対する検挙率はうなぎ登りに上昇し続けていた。
進撃スピードを緩める事も無く、障害を押し退けながら街中を走り抜け、真っ直ぐに突き進み続けると。
「見えたよ、城門だ!」
マリアの指さした先には、分厚い木材と鋼板で補強された頑健な門構えが見えた。
全員の視界にそれが入ると同時、開かれていた開口部から格子がゆっくりと下がり始める――逃亡者の予想以上の速度に慌てて出入り口の封鎖にかかったようだ。
「先生!」
「承知! スケ殿、マリア様をお任せしますぞ!」
巨漢の肩から少女が飛び降り、傭兵の青年の腕の中に飛び込む。
いやちょっと待って、これ俺が受け止める意味あった? などと首を捻る青年の声はスルーし、カクは先行して一気に飛び出した。
そのまま、地面にゆっくりと降りようとしていた巨大な格子の下に潜り込み、気合一声。筋骨隆々の巨躯が比喩抜きで一回周り大きく膨れ上がる。
「ぬうぅん!」
門の閉鎖を押し留めるを通り越し、常識外れの剛腕によって鉄作りの格子が持ち上がると、人が悠々と通れる高さのまま動きを止めた。
「さ、皆様! 今の内にお進みください!」
「分かっていたけど、三人とも出鱈目すぎるなアンタ達は!」
ニッカリ笑って余裕のアムズアップを決めるカクの脇を、呆れた様子でまずはアザルがすり抜ける。
伏兵は無し! という彼の言葉に、ローレッタとコウジが門を潜り抜け、冒険者達、少女を抱えたままの傭兵と続く。
最後に巨漢自身が頭を潜らせ、門の機構を破損させぬように、ゆっくりと優しく地に下ろした。
追いついた衛兵達が降りた城門の格子に阻まれる形となり、慌てて開門の要請を叫んでいる。
それを横目で見ながら、令嬢は軽く息を吐きだした。
「取り合えず、第一段階はクリアですわね。あとは――」
「なんの騒ぎだ! 名家たる貴族が来訪したというのに喧しく埃をたておって! どこの下民共が騒ぎ立てているのだ無礼者が!」
どうやら、第二段階は一気にすっ飛ばして、事は一気に最後の詰めへと入るようだ。
ガラの悪い無数の護衛に囲まれ、憤慨で顔を赤くしている腹の突き出た小男が、居丈高に喚き散らしている。
男の名はリュダクロス=バフナリー。
美しい少女達が自身の所有物となる未来を疑っていなかったが故か、随分と急ぎ足でやってきた黒幕――というには小物が過ぎる人物との、邂逅であった。
◆◆◆
手駒である警備隊責任者による事前の手引きもあって、意気揚々と街に入ろうとしていたリュダクロスであったが、いざ潜ろうとしていた北門で騒ぎが発生していると知り、不快感も露わに罵声を上げる。
これだから成り上がりの猪が治める街など、ロクなものではないのだ。己の領地であれば貴族を前にして騒ぎを起こす不届き者など、即座に処刑か財産没収の上、奴隷落ちである。
名門たるバフナリー家当主の己に頭を垂れるという当たり前の義務すら知らぬ慮外者へと、身の程を教えてやろうとその矮躯を乗り出して。
騒ぎをおこした下手人達を睨みつけると――そこにリュダクロスが求めてやまなかった少女の姿を認め、不機嫌だった表情はあっという間に反転してだらしなく歪んだ。
「おぉ、ローレッタではないか! ワシを迎えにくるとは中々に可愛らしい真似をする。全く、初めからそう素直であれば手間もかからぬであったというに!」
涎を垂らさんばかりに口で幅広の弧を描き、舐め廻すように金髪巻き毛の少女へと視線を這わせる肥えた小男に、視線を向けられた当人のみならず、女性陣全員から小さく「うげぇ」という声が洩れる。
「ブタブタいってたけど……これは豚さんにごめんなさいしないといけないヤツだわ」
「そうね、お世話になってるものね、燻製肉とか、串焼きで」
ひそひそと小声でやりとりするイルルァとウェンディ。
(全く以て同意ですわ、豚さんにごめんなさいですの)
心底後ろの冒険者達に同意しつつ、ローレッタは素早く周囲を確認した。
城門越しではあるが、背後には無数の衛兵と、何故だか大勢集まって事の成り行きを見守っている、多くの住民達。
前方にはリュダクロスが押し退けたと思われる、都市に入ろうとしていた順番待ちの商人や旅人。
衆目は多く、且つ門の前は開けた街道となっており、荒っぽいことになっても部外者が戦闘に巻き込まれる心配も無い。
「――うん、場としては良いね」
背後で自身と同じ結論に至ったらしき恩師の言葉に、頷きを以て返し、一歩前へと進み出た。
「お久しぶりですこと、バフナリー伯爵……相も変わらず、殴り甲斐の有りそうなだるんだるんの面構えで、安心しましたわ」
「ははははっ、何、妻となる者を迎えにいってやるのも男の度量と……え? だるん……なに?」
見目麗しい、深窓の令嬢。己に手折られるのを待つばかりの手弱女。
一目視たときに固定されたイメージのままに、その美しさのみに囚われ、執着していた男にとって、形の良い唇から放たれた剛速球の罵倒は予想外に過ぎた。
言葉は右耳を突き破って左耳から抜け、理解する前に彼方へと飛び去っていく。
混乱している伯爵を尻目に、彼が自身の脳裏で幾度も弄び、遠からぬ未来に実際そうなると疑っていなかった少女は、鋲拳に包まれた両拳を打ち合わせ、花が咲くような綺麗な笑顔を浮かべた。
「察しの悪い伯爵様にも理解できる様、簡潔に言って差し上げあげますわ――私、テメェをボコボコになるまでブン殴りにきましたの」
「――なんだ、何を言っている? どうしたというのだローレッタ」
この期に及んで理解を拒むリュダクロスに、散々に辛酸を舐めさせられ、ついに反撃を開始した御令嬢は、小箱より取り出した書類を高々と掲げ、宣言する。
「リュダクロス=バフナリー! 戦時中の物資横領及び、戦後の復興資金を不正に蓄財した所業。その他諸々合わせて証拠の書状を以て、此処で告発いたしますわ!」
よく通る少女の凛とした声に、衛兵、街の住人、商人、旅人――職種人種を問わず、その場にいた様々な者達から大きな騒めきが広がる。
リュダクロスが初見でのイメージに囚われた様に、見目麗しい令嬢と、絵に描いた様な悪徳貴族といった風貌の伯爵。並べてみれば多くの人間が心情的にどちらに傾きやすいか、論ずるまでもなかった。
一般人のみならず、先程までローレッタ一行を捕縛しようと必死に頑張っていた衛兵の皆さんまで、本来、雲の上の存在である筈の伯爵を屠殺場に連れていかれる豚を見る様な眼で見つめだす。
伯爵を囲む賊崩れの様な見た目の私兵達も、流石に冷えた視線の集中砲火は居心地が悪いのか、顔を見合わせて身じろぎする。
ここまで来ると察しの悪いリュダクロスであっても、流石に言葉の意味と――何より周囲から注がれる視線によって、嫌でも現状を理解させられた。
当然というか、その反応は怒り一色であった。
「な、ふ、ふざ、ふざけるな!! 見目の良さ故に眼をかけてやったというのに、世迷言を吐きおって! 何が書状だ、そんなもの――」
「去年の春と冬に二件、今年に入って二件――あら、一番新しい取引はつい最近でしたのね。他の名家の方々に愛想を突かされているというのに、変わらず腐臭のする銅貨を抱え込もうとするとは、筋金入りですこと」
顔を赤黒く染めあげた憤激は、間髪入れずに読み上げられた書状の内容を聞いて、反転したように血の気を引かせて鎮火する。
ひらひらと手の中の書類を振りながら、ローレッタはシレっとした顔で致命打となる言葉を続けた。
「納得が行かないのであれば、取引先の名前をここで列挙してもよろしくてよ? ついでに、書類にはほぼ全て、そちらの家紋の押印と貴方の直筆サインが記されていますわ」
「そんな馬鹿な……」
その書類が、こんな場所にある筈が無い。
口を開閉させ、驚愕に打ちのめされた表情からは、ありありとそんな言葉が読み取れた。
もう完全に観戦モードに入った背後の仲間達は、片膝ついたり城門に寄りかかったりしながら、口々に二人のやり取りについて語る。
「もう決着ついたろこれ。御貴族様の司法関連とかさっぱり分からないけど、お嬢さんとあの伯爵じゃ役者が違うってのは分かるぞ」
「まだ分かんないんじゃない? あの手の男って見苦しさと諦めの悪さをはき違えてるタイプが多いし」
「ふむ。では最後のひと暴れがあるやもしれませんな。事が始まるまで、御令嬢の大岡裁きを特等席で眺めるとしましょう」
「カク殿は時代劇ネタにハマってるのかな。ネタの出所は傭兵クンかい?」
――ノーコメントでござる。帰り道にヒマこいて時代劇や池●正太郎先生の著作について語ったりしてないでござる。
会話の中で上がった内容の通り、リュダクロスは諦めが悪い様であったようだ――無論、悪い方に。
「――ッ、違う、何が告発だ! そんなものは出鱈目だ! ワシは認めんぞ!! そもそも、発言を聞き入れる司法に関わる第三者がおらぬではないか、こんなものは無効だ!!」
「では、騒ぎを聞きつけてやってくるであろう、この街の領主様に宣言を改めて聞いて頂くとしましょう、丁度、罪人を捕らえる為に武装して此方に向かっているはずですわ」
その罪人というのは、街で大騒ぎを起こしたローレッタ達だったりするのだが、リュダクロスがそんな事を知る由も無い。
寧ろ、ここまでの流れから判断すれば己と忌み嫌い合っているこの街の領主が、目の前の少女と結託して自分に政治的な致命傷を与えようとしているとしか思えなかった。
「あの成り上がりの猪なぞに、このワシが裁かれるだと……!? そのような理不尽、あってなるものか! 貴様ら、その小娘から書状を取り上げろ! 為した者には金貨を袋ごとくれてやる!」
「予想通りの反応過ぎて草も生えませんわ――ですがまぁ、これで最低限『場』は整いましたの」
周囲の眼があるにも関わらず、金貨と聞いて脊髄反射の様に目を欲望にギラつかせるチンピラくずれの私兵団を見据え、ローレッタは拳をゴキリと鳴らして不敵に微笑む。
既に不特定多数の衆目に致命的な醜態を晒し、どうやっても全員に口封じは不可能な状況での無粋な実力行使。
ここまで来れば、正当防衛の名の下に思う存分、このふざけた下衆をぶちのめせるというものである。
後は、やってきた領主に書類と共にリュダクロスを引き渡せば、丸く収まる。
これだけの騒ぎを起こしたのだ、此方の面子全員とは言わなくとも、騒動の中心であるローレッタくらいは投獄される可能性があるが――己の我儘に付き合ってくれた者達が放免されるというなら、特に文句は無かった。
唯一、不安があるとすれば……没落令嬢を通り越して前科者にまで落っこちた自分を、恩師がどう思うかであるが……。
未練にも似た感情を断ち切る様に、ローレッタは拳を打ち合わせた。
「細けぇ事はいいんですの! 取り合えず殴ってから考えますわ!」
此処までは、令嬢の描いた絵図の通りであった。
だから、これより先は全く予想の埒外なのだろう。
ある意味ではお約束でもあり、同時に、僅かでも悲劇の要素を嫌う者にとっては喝采を以て迎えるべき特大のネタばらし。
決意と共に拳を構える令嬢と、彼女の動きに呼応して最後の大立ち回りに助力せんとする冒険者達。そんな令嬢を静かに見つめる彼女の恩師。
脂汗を顔中から滴らせ、目を血走らせながら自身の窮地を無かったことにしようと足掻く悪徳貴族と、報酬に釣られ、欲望を剥きだして剣を抜く配下の悪漢共。
そして、そんな騒動の顛末を見届けようとする、北方に住む様々な人々。
その全ての視線を集め、一人の少女が進み出た。
美しい少女だ。ともすれば、この場にいる誰よりも。
これだけの多くの人間が居ながら、つい先程まで何故注目されていなかったのか。いっそ不思議な程に、その娘は強烈な存在感を放っていた。
「――その告発、ボクが立会人となり、聞き届けました」
鈴を鳴らすような声での宣言。
静かな、なれど耳朶に染み入るような響きをもって、静まり返った場で少女の言葉は続く。
「告発者であるカッツバルゲル家当主、ローレッタ=カッツバルゲルの提示した証拠の有効性を、ここに認めるものとします」
言い終えるや否や、艶やかな栗色の髪が淡い光を放ち――少女が自身に施していた高度な幻惑の魔法が解除される。
顕れたのは、陽光を受けて煌めく、目の覚める様な美しい銀髪だ。
同時に、抑え込まれていた膨大な魔力――聖性を帯びた、陽炎すら立ち上らせそうな圧倒的なソレを解き放つ。
「聖教国所属、聖女アリア=ディズリングの名に於いて、告発者の正当性と――容疑者であるバフナリー伯爵への嫌疑を追認します! 色んな人に長年迷惑を掛けた分、たっぷりと反省しなさい!」
ビシッと、音を立てそうなくらいの勢いでリュダクロスへと指を突き付けるマリア――否、銀麗の聖女の姿に。
突如として現れた救世の英雄に、一瞬、真偽を疑うも……視認すら出来そうなその膨大な聖気を目の当たりにして、本物であると誰もが確信して。
黄色い悲鳴混じりの、爆発的な歓声が北門一帯に響き渡った。
「……馬鹿な! こんな場所に教会の聖女が居る筈があるか!」
周囲の熱狂的な歓声に推し潰されそうになりながらも、尚も己にとって都合の悪い現状を徹底して否定する腹積もりのリュダクロス。
「で、ですが伯爵、あの魔力、俺達にも分かりますぜ。あれはどう見たって……」
「喧しい! あんなものはまやかしだ! そうだ、何かの間違いだ……! そうでなければおかしいのだ……! ワシが……このワシがこのような屈辱を浴びるなど有り得てなるものか!!」
見るからに怖気づいた部下の声を口角泡を飛ばして遮り、目を血走らせて今にも尻をまくって逃亡しそうな配下達を睨みつける。
「ワシが失脚すれば、貴様らの過去の行いも連座で裁かれるぞ! なんとかして書状だけでも取り戻すのだ! この際金に糸目は付けぬ、この場を切り抜けられたのならワシの資産を一部切り崩して報酬をくれてやる、貴様らの三代先まで遊び惚けていられる額をな!」
常にない、必死の叫びに本気であると感じ取ったのか。
目も眩む――それでも、邪神を打倒したとすら謡われる英雄と事を構えるには不足だと言わざるを得ないが――量の金貨の輝きを思い浮かべ、全員とはいわなくとも、私兵団の半数程度が戦意を取り戻した。
地獄の沙汰も金次第とは言うものの、敵に回す相手の質を鑑みれば、阿呆を通り越して脳味噌が耳から垂れていないかを深刻に心配するレベルの愚かさである。指摘してくれる親切な人間はこの場にいないが。
未だ周囲の歓声冷めやらぬ中、呆気に取られてアリアを見つめるローレッタとコウジ、冒険者四人を尻目に、最後の悪あがきとしか言い様の無い暴挙に移ろうとするバフナリー私兵団。
そこに立ち塞がったのは、ノリッノリの表情した傭兵と筋肉であった。
期待に満ちた表情でアリアを振り返る二人に、彼女は少しばかり苦笑しながらも、凛とした声でお約束のアレを口にする。
「スケさん、カクさん――懲らしめてやりなさい!」
――合点!
「承知ぃ!」
ご満悦の表情で、二人の人外級がヒャッハー! とばかりに私兵団へと襲い掛かる。どっちがゴロツキなのか分かったものではない。
時代劇の殺陣というより、ギャグ漫画みたいな吹っ飛び方をして宙を舞うバフナリーのチンピラ達の悲鳴をバックに、漸く驚愕から復帰したローレッタが慌てて地に片膝を着こうとして――アリアに止められる。
「わ、待って待ってローレッタさん。服が汚れちゃうよ、膝なんて着かなくていいから」
「マリ……いいえ、アリア様。知らぬ事とはいえ、御身に我が家の恥を晒したばかりか、この身の事情に巻き込んだ醜態……祖父の言うセップクの作法を学んでおきませんでしたこと、今ほど後悔したことはございませんわ」
「鎌倉武士みたいな発想やめよう!? 素性を隠してたのはこっちなんだから、気にしなくていいって! ホントに!」
押し問答の末に、なんとか令嬢を立たせる事に成功したアリアは、未だにぼっけもんばりの恥の濯ぎ方を実践したがる彼女に、指を突き付けて強く言い募る。
「気にしなくていいの! そもそもボクが正体を明かしたのはローレッタさんの介錯するためじゃないよ!」
そう言うと、ちらりと此方を心配そうに見守るコウジをみて、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「全部ハッピーエンドで終わらせて、二人が帝国に無事に辿り着く――そんな結末を見たいんだ、だから」
金髪巻き毛の御令嬢の両肩を掴んで、くるりと身を反転させると、銀の聖女はその背を軽く押し出した。
「決着、着けてきなよ。ローレッタさんが望んだ、ローレッタさんらしい方法で」
回った視界の先にあったのは、悉く配下を蹴散らされて、既に周囲には部下の一人も残らず、ぽつねんと佇むリュダクロスの姿であった。
「あぁ、全く。敵いませんわね……それが聖女様の御注文というのならば、是非も無し、ですわ」
「――ヒッ!?」
敬意と、感謝と、喜びと、僅かばかりの照れ臭さ。
聖女の暖かな指先と、胸に湧き上がる様々な正の感情に背を押され、ローレッタが歩を進める。
対して、顔を引き攣らせて腰を退かせたリュダクロスが、顔面を蒼白にして辺りを見回した。
「だ、誰ぞ、誰ぞおらんのか!? い、イフェク! イフェクはどうした! 早くワシを守らんかぁ!!」
「この期に及んでまだ他人任せですの。マジに救えない野郎ですわね」
ボキボキッっと指を鳴らして、視認出来そうな程の闘気を全身から立ち昇らせる少女の姿に、完全に気圧された肥え太った小男の悲鳴が響く。
「ま、待てローレッ――」
「馴れ馴れしく……私の名を呼ぶなっ! このクソったれ!!」
後ずさりしようとした、リュダクロスの突き出た段腹に、理想的な体重移動からの左胴打ちが突き刺さった。
「オギェ!?」
潰れた蛙の様な悲鳴を上げて宙に浮きあがる肥満体。
おそらくはリュダクロスの人生で初めてであろう殴打の衝撃――しかもとびっきりの代物を喰らい、悲鳴に劣らず拉げた蛙の如き表情を晒す顔面に向け、間髪いれずに右の打ち下ろしが炸裂する。
頬骨を砕き、顎を割り、歯という歯を口内から発射させた一撃は、二度三度とその身体をゴム毬の如く跳ねさせ、最後は白目を剥いて顔面から涙鼻水涎血液とあらゆる体液を垂れ流した顔をお天道様の下に晒させたまま、リュダクロスの意識を遠い彼方へと連れ去った。
拳を振り切った体勢のまま、残心を行っていた少女がややあって、息を吐き出す。
「――すっきりしましたわ!」
満足気に、晴れやかな表情をみせて。
ローレッタは心からの笑顔を浮かべたのであった。
かくして、街中で繰り広げられた大捕物からの、一転しての物語の如き勧善懲悪の一幕は〆を迎え。
渦中にあった当事者たちと、それを見届ける事となった多くの人々に、様々な感情を齎しつつも、終幕となったのである。
と、思われた矢先であった。
「――追ひぃ詰めひゃしょ、こひょ、はんさいしゃともが!!」
やたらスカスカと空気の洩れてそうな発音の、怒りに満ちた声が響き渡る。
城門に降りた格子の向こう。
そこに居たのは、顔に幾重にも包帯の巻かれた、サーコートを着込んだ鎧姿の男――逃走劇という名の令嬢の進撃序盤において、失神&失禁の失笑コンボを決めて見せた警備隊長殿であった。
「うわ、アレで追いかけて来たんだ……タフねぇ」
「身体が? それともメンタル?」
「両方」
思わず、と言った様子でやり取りするイルルァとウェンディではあるが、彼女たちの言葉は中々に的を得ている。
二度に渡ってブチのめされ、散々な目にあったというのによくもまぁ立ち上がって追いかけてきたものだ。流石に染みの広がったズボンは変えたようだが。
とはいえ、男も流石に考え無しに追って来た訳では無いようであった。
鎖を使った機構が動き出し、遅ればせながら北門が再び解放される。
集まっていた住民の人垣と、衛兵達の壁を割って進み出てきたのは、騎馬に乗った鎧姿の騎士達であった。
街の衛兵とは一線を画する、歴戦の強者としての空気――街を治める領主が直接指揮する、生え抜きの戦団であると伺える。
先頭の一際優れた体躯の軍馬に跨った、傷痕夥しい魔装の鎧を纏った老年の騎士が、静かに馬を進めて前に出る。
「――あの一行が、お前の言う貴族襲撃犯の凶悪な犯罪者集団とやらか?」
「ひゃい、しょのとほりでございます、閣下! どうか閣下のおひからで、ふぁたしや部下のむねんひょ!」
嬉々とした様子でローレッタ達を指さす警備隊長に。
閣下、と呼ばれた、おそらくはこの街の領主であろう、如何にも古強者然とした老騎士は、伸ばした白髪の髭をひと撫でして頷いた。
「うん、まぁアレだ。ちょっと黙れ。何喋ってるか分かんねーんだよ馬鹿」
「――へ?」
呆けた様な表情で、男が馬上の領主を見上げ。
その殆ど歯の残ってない口に、捻じ込まれる様にして鞘付きのままの長剣が叩きこまれた。
憐れ三度目のダウンを迎えた男は、残った僅かな歯すら地面にばら撒きながらまたもや大の字にひっくり返って失神する。
一応、部下であった男を容赦なく殴り倒した老年の騎士は、背後に控える自身によく似た雰囲気の青年騎士へと振り返って告げた。
「息子。ちょっと父さんコイツぶっ殺したあとあの人達の前で腹掻っ捌いてくるから。領地の事は任せた、頑張れ」
「大体予想通りでしたけど、やめて下さい父上。今死なれたら色々洒落になりません」
知ってた。と言わんばかりの跡取りの青年に向け、至極真顔のまま、リュダクロスに猪と呼ばれた領主は断言した。
「いや、アレどうみても銀の聖女様じゃん。その奥にいる方、グラッブス司祭じゃん。戦場で助けられて以来、何十年儂がミラ様と司祭を推してると思ってんの? あの方に冤罪着せるとか絶許案件なんだけど。今すぐこの馬鹿ぶっ殺したいんだけど。ミラ様に嫌われたらどうしてくれんの? マジで殺したい」
「父上」
「何、もう殺して良い?」
「推しだの絶許だの、無理して若者の使う言葉を使わないで下さい。気持ち悪いです」
「息子が辛辣すぎる。泣きそう」
はっちゃけたトークを繰り返しているこの地の伯爵親子を見ながら、アリアがカク――改め、聖教会司祭、ガンテス=グラッブスへとそっと声を掛けた。
「……あの人、この街の領主様? 先生の知り合いなの?」
「御顔に見覚えがありますな。何度か戦場で肩を並べた方です……ご子息生誕の際に聖都にお越しになって、わざわざ愚僧による祝福を指名して下さったのもよく覚えております」
「ガチ勢じゃん。先生、人気あるんだねぇ」
「いやはや、なんともお恥ずかしい」
はっはっは。などと照れ臭そうに笑うガンテスと、のんびりと笑うアリア。
事情は把握できていないものの、どうやら領主と直接事を構えずに済みそうだと、胸を撫で下ろすアザル達。
あとは、ガンテスの本名を知り、「くっそヤベーですわ! いい加減キャパオーバーですの!」と叫んでひっくり返りそうになり、慌ててコウジに支えられているローレッタ。
それらを眺めていた未だに名称不詳な青年、傭兵スケは、満足した様に頷いて、一声張り上げる。
――んむ。これにて一件落着!
「いや、流石に混ぜすぎだと思うなぁ」
何処か幸せそうに腕の中で目を瞑る教え子を抱えたまま、コウジが呆れたように呟いた。
◆◆◆
あれよあれよと言う間に、事の片づけは進んだ。
多数の証拠ありということで、リュダクロスは一時的にではあるがこの街の牢に叩き込まれ。
衛兵隊長を筆頭とした、街に潜んでいた彼の私兵も多くが御用となり、後に余罪を追及されて裁かれる――殆どが犯罪奴隷落ちか、極刑だろう。
街を騒がせた件について、改めて直接領主へと謝罪したローレッタであったが、肝心の領主はそれを笑い飛ばした。
曰く、「律儀なのは儂が右腕として迎え入れたかった男にそっくりで、見た目はそいつを搔っ攫っていった女にそっくりだ」と。
ちなみに全員軽傷であったが、一連のゴタゴタで怪我をした衛兵達は、アリアが手ずから範囲魔法を行使し、治療を行っている。
聖女様に癒してもらった傷をドヤ顔で自慢する同僚をみて、折角無傷だったのに即座に壁に頭をたたきつけて額から派手に出血したまま、治療の現場に向かおうとした者が多数、という珍事が発生したが、それは余談である。
領主の強い要望と、その息子である青年の「来ていただかないとウチの父上が腹を切ろうとするので助けて下さい」という言葉に押し切られ、聖女一行とカッツバルゲル家の二人、アザル達冒険者パーティーも含め、揃って伯爵家の屋敷で数日の歓待を受ける事となった。
――隣領で民を苦しめる悪徳貴族を成敗したのが、嘗ての領主様の戦友のご息女と、聖女様の御一行だった。
街はそんな噂で持ち切りであり、酒場や宿場といった人の集まる場所では吟遊詩人が早速新たなネタに飛びつき、各々にその武勇伝を謡いあげて一山儲けている。
冷え込む日の多い北方の街は、ちょっとした騒動から起きた英雄の絡む冒険譚、というホットな話題を提供され、戦後一番の賑わいを見せていた。
そんな、どこか熱気に包まれた、喧噪広がる街とは打って変わり。
衛兵詰め所の地下にある、犯罪者を一時的に拘留しておく地下牢で、リュダクロスは痛む顔面と腹を押さえ、粗末な寝床で寝返りを打っていた。
「あぁっ、クソっ。痛い、痛いぃ……何故ワシがこんな理不尽な仕打ちを受けねばならんのだ……!」
そのまま放置してると死にそうだったので、一応回復魔法である程度の治療は施されているのだが……聖女であるアリアの行使する魔法ならばともかく、並みの術者の回復魔法ではローレッタの打撃を癒しきる事は難しく、赤黒く腫れあがった顔面と腹部は、熱を持って心臓の鼓動と共に鈍痛を響かせる。
「クソッ、くそぉっ、おのれ、何が聖女だ、あの詐欺師の小娘が……! ローレッタもそうだ、ワシのモノになるに相応しい美貌を持っていながら……ワシにこの様な屈辱を与えるとは……!!」
未だにアリアを偽物と断じ、根本的に心得違いにも程がある思考を自覚することもなく、自身をぶっ飛ばした少女へと怨嗟を募らせる。
此処を出たら、絶対に思い知らせてやると、傍からみれば滑稽とすら言える決意で、襲い来る痛みを押し殺すリュダクロス。
いざとなれば、アテがある……深く関わる気はなかったが、あの小娘達を這いつくばらせ、己に赦しを乞わせる事が出来るのならば、本格的に関係を深めるのも考慮に値した。
妄想じみた未来を思い浮かべ、暗い笑みを浮かべる彼の耳に、何者かが地下への階段を降りてくる靴音が届く。
ゆっくりと、踏みしめる様に階段に音を響かせ、現れたのは……はたして彼のよく知る人物であった。
「やぁ、凄い顔ッスねぇ。うっかりオークが蛙と合体事故起こした様な有様で」
「貴様、イフェク……!?」
ヘラヘラと笑いながら鉄格子越しに歩み寄って来たのは、どこか狐を思わせる面持ちの青年――リュダクロスの配下の中で随一の腕利きであるイフェクであった。
「今更ノコノコやってきてなんのつもりだ、この役立たずが……! いや、それよりも、鍵は持っておらんのか? さっさとワシを此処から連れ出してバフナリーの領地へと連れてゆけ!」
肝心なときに居なかった部下に、たっぷりの苛立ちと侮蔑を込めて罵るが……これは好機だ。財産を没収される前に資産を纏めて隠すことができれば、いずれ返り咲くことも、いつか小娘共に正当なる報復を下してやる事も容易となるだろう。
そんな皮算用を脳内で弾き、さっそく部下へと鍵の捜索を命じる。
「再会して早々に注文が多いッスねぇ。まぁ、鍵ならもう持ってるンスけど」
「おぉ、でかしたぞ……! では早速――」
リュダクロスの言葉を皆まで聞くまえに、イフェクは彼の捕らえられた牢のカギを開け――僅かに開いた格子扉の隙間に滑り込むようにして牢屋の中に入り込んだ。
「――ハァ? 何を遊んでいるのだ、この間抜けが! さっさと……!」
「いやいや、これで合ってるンスよ――なんせ、こっからが自分の本業なんで」
何を言ってるのだ、コイツは。
困惑と苛立ちを覚え、いつも通りに眼前の青年を罵倒しようとして。
無造作に伸ばされた手がリュダクロスの肩を掴み、その腕を捻り上げると薄汚れた牢の床へと彼の身体は転がされた。
「なんっ――!?」
「ハーイ、動かないで欲しいッスねー、動くと痛い思いするッスよー」
反射的に口から飛び出そうとした悪罵は肩と肘から走る激痛で蓋をされ、口内で呻き声に変わる。
相も変わらず、どこか軽薄な印象すら感じる口調のまま、イフェクはリュダクロスの弛んだ顎下へと、冷たく硬い、何かを押し付けた。
「伯爵にはちょーっと聞きたい事があるんッスよね、なので、素直に教えてもらえるとお互い嫌な思いをせずに済むッス」
顎下の肉に鋭い痛みが走り、熱を伴った何かが首へと伝う。
部下の突然の暴挙に、リュダクロスの頭は混乱したままではあったが、
本能が危機を察知したのか、声を噛み殺しながら、反射的に身体は頷いていた。
「おぉ、思ったより素直な反応、有難いッスね。んじゃま、早速――」
ヘラヘラと、お道化た調子のままであった声が、一瞬で平坦になった。
「伯爵の領地で匿ってる連中の具体的な隠れ場所を知りたいンスよ――複数あるなら、一つ残らず話せ」
リュダクロスは息を呑んだ。
何故、どうしてコイツが。そんな疑問が脳裏を過るが、話せば身の破滅に直結する内容だ――当然、シラを切るしか彼に選択肢は無かった。
「な、なんの事だか分からんナ”、グァ……ッ!」
「はーい、あと九本っすよー。まぁ、やっぱ素直にはいかないッスよね、内容が内容だし」
捻り上げられた腕の末端部分――小指に灼熱感が走り、ジクジクと肉と骨に響く激痛を訴えてくる。
耐えきれずに叫び声をあげるリュダクロスを冷ややかな目で見ながら、イフェクは軽薄さを取り戻した口調で宥める様に声を掛けた。
「これ、完全に親切心で言うんスけど、"旦那"が来る前に全部ゲロった方が良いッスよ。全部話してくれたと判断すれば、自分も旦那も無駄に苦しめたりはしないッスからね」
そもそも旦那の逆鱗踏み抜いたのは伯爵ッスからねー、巻き添え喰らいかけた自分はたまったもんじゃねぇッスよ。と、弓なりに反った目を僅かに開き、遠い眼をして牢の天井を見つめる青年。
悲鳴を上げても、衛兵が気付きもしない――あるいは気付いていても降りてこない事を理解したリュダクロスが、絶叫して荒れた呼吸のまま、おそるおそるイフェクを、自分の部下であった筈の男を地に伏せた態勢のまま、見上げた。
旦那とは誰の事だ、一体何が目的なのか。そして……この男は本当に己の部下であったイフェクか?
腕こそ立つが、他の部下と比べて甘っちょろいと言っても良かった男の、表面だけは一切変わらぬ冷たい刃の如き空気を、今更ながらに、漸く感じ取る。
「おま、おまえは……何者だ? 本当にイフェクなのか?」
「ん~? ……まぁ、本来は自分みたいなのが堂々と名乗りを上げるのはどうかと思うんスけど」
『裏方だろうが汚れ仕事担当だろうが、アンタもウチの部隊の騎士よ。名乗るべきときが来たのなら、胸を張って名乗りなさい――誰にも文句は言わせないわ』
かつて、自分にそう言ってくれた本来の職場の上司を思い出し、青年は苦笑する。
「ま、副長も騎士の名乗りは忘れるなって言ってたし……いっちょ自己紹介しておくッスよ」
くるくると、手の中で血の付いた短剣を廻しながら、少しだけ気取った様に。
牢内の蝋燭の光を刃に翳して見せる。
「イフェク改め、帝国麾下、対邪神討伐部隊《刃衆》所属、トニー=レイザー。本名では短い付き合いになると思うッスけど、よろしく」
絶句する偽りの雇い主へと、にっこりと――表面上はフランクな笑顔をみせたトニーは、再度仕事に取り掛かった。
「んじゃ、さっきの質問の続きッス。おたくの匿ってる"信奉者"達の隠れ家、ちゃんと教えて欲しいッスよ。聞き終わったら現地へ旦那と一緒にパーティーしに行く予定なんで」
◆◆◆
領主の惜しみない歓待を受け、街に逗留すること数日。
聖都への道を再び歩み出すために、街を出るのは聖女一行のみであった。
「――それじゃ、お屋敷は取り戻せそうなんだね」
「えぇ、此処の御領主様の御蔭で、そう時間もかからずに家人達も呼び戻せそうですの」
聖都へと南下する道程――南門へと集まったこの数日間で結成された奇妙な一団は、今は旅立つ側と見送る側へと別れ、再会の約束と共に別れの挨拶を告げていた。
良かった良かった、と喜ぶアリアに、ローレッタも微笑みを返す。
素性をバラしてからというもの、やはり始めは敬意と緊張の為か対応が硬かった令嬢ではあったが、元より肝っ玉の太さに定評があるのがカッツバルゲル家の女である。
数日もあれば硬さも取れ、かつてに近い砕けたやり取りを行うようになって、こっそりアリアを安堵させていた。
「とはいえ、夢を諦めた訳ではありませんわ。お屋敷の買戻しと家財の再整理が終われば、留守を家人に任せて今度こそ帝国を目指しますの」
次に帰宅するときは、華々しい凱旋ですわ、と瞳に意気を燃え上がらせるローレッタに、三人はそれぞれに激励を返す。
「ローレッタさんなら、《刃衆》にだって入れるよ、頑張ってね!」
「御令嬢の拳なれば、長ずれば憧れる御二方に迫ることができるやもしませぬ。精進ですぞ」
――縦ロールちゃんが将来有望だって、帝国の知り合いに伝えといたからさ。とっかかりにはなると思うから後は縦ロールちゃん次第さね。
お偉いさんの歓待とか苦手だからパス。という書置きを遺して、街の酒場を飲み歩いていたという傭兵の青年が、少しばかり眠たげに令嬢にとって重要な情報を告げる。
その様子を苦笑しながら見ているアリアとガンテスに少しばかり怪訝な気持ちを抱きつつも、別れの時間にそれを指摘するのも無粋と思い直し、ローレッタは優雅に屈膝礼を行うと名残惜しさを堪えて微笑んだ。
「皆さんには、本当にお世話になりました……何時かまた、再会できる時を女神様にお祈りいたしますわ」
――いやいや、マメイさんの味噌と醤油の為にも、関係を切らす気とか全くないよ? 寧ろたまに帝国に進捗状況確認しにいくまである。
「ははは。いやぁ、そこまで食い付いてもらえると嬉しいねぇ。研究者冥利に尽きるよ」
「傭兵のにいさん、どんだけそのミソとショーユってのを楽しみにしてるんだよ……そこまで反応されると俺も気になってきたな」
やはり照れ臭そうに自身の頭をかくコウジと、傭兵の調味料への執着っぷりに興味を掻き立てられた様子のアザル。
アリアが両者に視線を転じると、改めて彼らの予定も確認がてらに問いかける。
「皆さんにもお世話になりました! ……皆もローレッタさんの予定に合わせて行動するんだっけ?」
「うん、もとから一緒に行こうという約束だったしね。何より――僕自身がローレッタが夢を掴む瞬間をなるべく近くで見てみたいんだよ」
「こっちは乗り掛かった舟って奴ですね。ま、屋敷の整理で力仕事も必要になるだろうし、のんびり手伝って、時期が来たら護衛として同行しますよ」
コウジの言葉には笑顔で頷いたアリアであったが、領主宅に逗留中も、とうとう敬語が取れなかったアザルに対しては、少しばかり不満そうな表情をみせた。
「むぅ、敬語……ボクは気にしないんだけどなぁ」
「勘弁してください。知った今となっちゃ、タメ口とか無理ですって――俺らはごく普通の冒険者なんですから」
これでも充分砕けてるつもりですよ、と。アザルが苦笑いする。
「ま、一連の騒動も含めて、得難い経験ってヤツだったわよね」
「あー、最後には聖女様と知り合いになれた、なんていうとんでもないコネも出来ちゃったしねぇ」
「アリア様に失礼ですよ、二人とも――聖都へと無事の帰還を祈らせて頂きます。どうか、お元気で」
ウェンディとイルルァ、エクソンがそれぞれにこの数日間について思い返し、滅多にない希少な冒険譚に加わる事が出来た、と感謝と歓びの念と共に、別れの挨拶を交わした。
「この場で行く道が別れること、本当に名残惜しいですわ……アリア様は、私たちの帝国までの旅路を見届けたいと、そう仰って下さったのに……」
「予定が変わるのは仕方ないよ。それに、嫌な理由とかじゃないんだし、家族の思い出が詰まったお屋敷を取り戻せたって事は素直に祝福したいし――あ、でも」
どこか申し訳なさそうなローレッタにアリアは何かを思いついた様に表情を輝かせ、こっそりと内緒話をするように耳元へと顔を寄せた。
(帝国に着いたら、マメイさんとのアレやコレやがどうなったのか、今度会ったときに教えてね。他の皆……特に、にぃちゃんには内緒で!)
(まぁ……心得ましたわ! 先生との甘美なる時間は、微に入り細に穿ち、余すことなく記録してアリア様に自慢いたします!)
(待って、そこまで全力じゃなくていいから。お願い待って)
ふんす、と気合を入れて了承の意を示す令嬢に、頬を染めながら慌てて追加注文を入れる聖女。
なんとなく見つめ合い……やがて二人は同時に吹き出した。
「それじゃ、ボク達はそろそろ行くよ……皆またね!」
「同じ大地の下、平和となった世なれば、また道が交わる事もありましょう。それまでの御壮健を祈りますぞ!」
――じゃーねー、今度聖都に遊びにきてーな。色々案内するぞい。
「はい――皆さん、どうかお元気で!」
三人の其々の言葉に、ローレッタが代表して笑顔で答え、他の者達も各々に手を振り――お嬢様と愉快な仲間達は一時解散と相成った。
暫しの間、のんびりと三人並んで街道を歩く。
――良い縁も繋げたし、終わり良ければ総て良しって感じだったな。
「まさしく。拙僧としては、猟犬殿に道すがら聞かせて頂いたミトの御老公の如き世直し事に加われたこと、まっこと感無量でありますれば」
――おう、オッサンも気に入った? じゃぁ次は俺のイチオシ、三○が斬るの神回を……。
「そろそろ自重しようね二人とも!? ボクはもう乗らないからね!」
えー、と不満そうにブーイングを飛ばす野郎二人を、少女がぷりぷりと怒った声で叱り飛ばす。
彼らの故郷、彼らの家と呼べる地まで、あと少し。
帰れば、会いたかった仲間や家族、友人が待っている。
魔道具で定期的にやり取りしてるとはいえ、直接会って話したい事は山とあるのだ。
味噌と醤油の発見か。
或いは、ガンテスが時代劇語りにハマった故の面白エピソードか。
旅先で出会った、鉄拳お嬢様を筆頭とした、新たな戦友達について語るのも良いだろう。
大切な想い出と、大切な約束。
そう言えるだけの、新たな出会いを積み重ね、聖女と猟犬、筋肉は家路への道を進むのであった。
ローレッタ=カッツバルゲル
鉄拳スデゴロお嬢様、別名縦ロールちゃん。
当初のプロットだと気丈だけど普通の御令嬢だった。なぜこうなった(白目
由緒正しい逆○によって惚れた男を射止めて来た肉食系女子の家系。
何年か後には、ミドルネームでマメイとか追加されてるかもしれない。
コウジ=マメイ
豆井浩二。転移者である。
言うまでも無く、名前の元ネタは豆麹。現時点で味噌と醤油の製造法を握る、転移・転生者にとって何気に重要人物足り得る人。
戦闘力2のヒョロガリ学者先生だが、恩義に篤く、彼なりに縦ロールちゃんの祖父を生涯の主と仰いでいた、現代日本人としては珍しいタイプの人。
地質研究を基礎とした農法とかにも手を付けているので、どっかの枢機卿と組ませると悪魔合体を起こすかもしれない。
冒険者パーティー
実はモテ野郎だぞ爆ぜろ!頭目の剣士アザル
斥候のペタン娘イルルァ
何気にモデル体型だよ魔導士ウェンディ
普通の聖職者は良心枠だと証明する男エクソン。
端役みたいな扱いとはいえ、聖女の絡む冒険譚で一役を担えた事は密かな彼らの自慢だったり。
教国と帝国を拠点に、交互に往復して活動する腕利き冒険者として名を馳せるかもしれない。
トニー=レイザー
イフェク君改め、実は縦ロールちゃんの先輩ポジだった人。
本文でも触れた通り、直接戦闘より内偵、調査といった方面に優れる。
汚れ仕事担当と割り切ってはいるものの、それを含めて頼りになる騎士であると断言してくる部隊のトップとトップ補佐には、何気に高い忠義心を抱いている。
モンペにエンカウントしたせいで、長期の潜入任務結果が焼け野原になりかけた胃痛枠。
結果的にはモンペを味方に引き込めた御蔭で、めちゃくちゃ楽に仕事の仕上げを済ませる事が出来た。胃痛枠だけど有能。
あくとくきぞくさま
知らぬ存ぜぬを六本になるまで頑張った。
殺っちゃうと領主様が困っちゃうのだが、生きてりゃえぇんやろ理論のモンペの無情拳によって無事廃人となった。
信奉者の皆様と繋がりがあった時点で死刑が確定。
刑が執行されるまで、涎垂らして揺り椅子に揺られながら植物みたいな時間を過ごす。
或いは、断首の刃が落ちる瞬間こそが彼にとって唯一の救いなのかもしれない。