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帰り道(後編)




「どういうつもりだイフェク! あれだけの人数を揃えて失敗だと!?」


 豪奢な――見る者によっては華美に過ぎる、金臭い、と眉を顰めそうな部屋で、一人の男が怒声を張り上げた。


「何の力もない小娘と小汚い学者風情にまんまと逃げられておきながらのこのこと戻ってきおって、この役立たずが!」


 部屋と同じく、必要以上に飾り立てている作り自体は上等な衣類は、はち切れそうな程にせりでた腹のおかげで窮屈そうなイメージしか他者に与えない。

 運動不足の伺える矮躯で地団駄を踏み、肉と皮下脂肪でたるんだ皺の寄った、今は怒りで真っ赤に染まっている顔は――遠慮なく言ってしまえば畜舎でよく見かけそうな面構えであった。


 男の名はリュダクロス=バフナリー。

 北方諸国、無数に存在する小国家の中では、比較的古くから存在する名家――バフナリー伯爵家の現当主である。

 とはいえ、領民を絞り上げることで私財を蓄えていると専ら噂の統治と、戦時中にどれほど望まれても一度たりとて兵を出さず、王家への献金のみで済ませていた過去の行状が自国のみならず、周辺小国群でも広まっているせいで、絶賛坂道を転げ落ちるが如く落ち目の名家(笑)と化している最中ではあるが。


 曲がりなりにも雇い主であり、貴族でもあるリュダクロス対して、もし気取られたならば激昂して処刑されそうな評価を内心で垂れ流し、何処か狐を思わせる風貌の男――イフェクは表向きは神妙に頭を下げた。


「いや申し訳ないッス。伯爵にお預かりした兵も殆ど失いました――全責任は自分にあります、如何様にも処分なさって下さい」


(まぁ、処刑とか手足の腱切るとか言われたらそっこーでとんずらッスけど)


 内心で舌を出しながら表面上は深刻そうに雇い主に頭を垂れるイフェクであったが、下手に言い訳をしなかったのが功を奏したのか、伯爵は怒りで赤黒くなった顔色を幾分かマシな色合いに変えた。


「ふん、本来なら使えん奴を置いておくほどワシは甘くないが……貴様の後任になりそうな者がいないのも事実だ。今の立場を維持できる事に感謝して、死に物狂いで働くがいい」

「御恩情に感謝します(ふざけんな降格しろや)」


 深く頭を下げて隠した表情が、思わず歪む。

 リュダクロスの領地以外では、あっという間に賊として斬り捨てられそうなクズしかいない、バフナリー領の私兵団。

 ときどきイフェク自身も斬り殺したくなる下衆ばかりの集団のまとめ役など、有り体にいって罰ゲームでしかなかった。


 そんな部下の心情を知る由も無く、伯爵は散々に喚き散らして多少は頭が冷えたのか、咳払い一つして自身の第一婦人となるべき娘を迎え入れ損ねた理由を尋ねた。


「それで、護衛の冒険者共の他に妙な闖入者が居たらしいが……部下が殆ど帰ってこなんだのは、そやつらの仕業なのか?」

「えぇ、巡礼者らしき男女三人組です――三人とも、相当な腕利きだったッスね」


 特に、デカいガタイの僧は強いなんてもんじゃないッス。絶対勝てません。と、イフェクは顔を引き攣らせて断言した。

 正確には一番やべー奴なのは黒髪の転移者らしき青年なのだが――ロクに剣も握ったこともない目の前の雇い主にその辺りの感覚を理解できるとも思えないので、黙っておく。


「ふん。その様な下賎はどうでもよい――それより、その三人の中にいた小娘、聞けばワシのローレッタに劣らぬ美しさだというではないか」

「……は。確かに中々の器量よしでは、ありました」


 好色さを隠そうともしない、涎を垂らさんばかりの締まりのない表情をみせる伯爵に舌打ちしなかった自分を、イフェクは褒めてやりたくなった。

 こういった反応が来るのは分かり切っていたから、敢えて伏せていたというのに。

 生き残った部下の誰かが、小金欲しさにペラペラと喋ったのだろう。口止めしていてもコレだ。いっそ自分以外はあの場で倒された事にして始末しておくべきだった。

 黒髪の隙間から覗く死神の眼光の如き不吉な光を思い出し、背筋が冷える。


「古くより続く名家であるバフナリー家当主――ワシの邪魔をしたことは許されんな。愚かな冒険者共も、邪魔だてした愚か者共も思い知らせてやるのは当然だが……その小娘だけは、神などではなくワシに全てを捧げる事を誓えばローレッタ共々、可愛がってやらんこともない」


 考慮してやる、といわんばかりの口ぶりだが、この男の頭の中では既に確定事項なのだろう。まだ見ぬ美しき少女を思う儘に侍らせる様を想像して、欲望と喜悦で歪みに歪んだ見るに堪えない顔を晒している。

 イフェクは、冷や汗で服が張り付く感触を背中に覚え――気のせいか、布地だけではなくあの眼光が、あの視線が背に張り付いている様な気分になって身震いした。


 黒髪の青年を抜きにしても……いや、あの巨漢や、伯爵が欲望を向ける当の少女であっても、三人の中、一人であっても敵にしてはならない。領内の全兵力を出しても蹴散らされて終わる。

 一度でもまともな戦場に出た事があれば、教会の腕利き聖職者という時点で厄介どころでは無い相手だというのは理解できそうなものだが……長らく続いた人類にとって生存競争染みた時代であった乱世で、徹底して鉄火場を避け続けた、ある意味では希少な目の前の貴族は、突き抜けた個人による武力、というものを理解していない。そもそも理解しようともしてない。


 腕利きを雇おうにも、本人に全く目利きが出来ず、家令などもゴマをすって甘い汁を啜ることに注力している者達ばかり。

 結果、寄ってくるのは外面ばかりが凶悪な三流の賊崩れや他所の国で罪人となって逃げだしてきた様な連中ばかりという、糞で固めた負の螺旋であった。


 戦争中はそのなりふり構わない保身と肥やした私財で、なんとか上手い事やれていたようだが……大戦が終結し、世に平和の兆しが見え始めた今となっては、そのやり口に嫌悪を抱く貴族達が露骨に距離を取り出している。

 築き上げて来た欲濡れの富と張りぼての権威が静かに崩れ始めているのを愚物なりに理解はしているのだろう。嘗てと比べて癇癪を起こす頻度が増えたと聞く。

 とはいえ、ならば行いを改めようという発想にすら行きつかないからこその、愚物なのだが。


 私兵団を纏める――正規の軍隊ならば騎士団長の立場にある部下から、腹の中で0点通り越したマイナス扱いでボロ糞にこき下ろされているとは露と知らず、リュダクロスは新たに手に入るであろう美しい少女を夢想しながら、名案とばかりに指輪だらけの手を打ち合わせた。


「今は森を抜けた先……あの猪武者の領地で宿を取っているのだったな? 丁度良い! 未来の夫であり、主であるワシが直々に顔を見に行ってやろう!」

「……あー、直接というと、お隣の伯爵の領地にッスか? 確かあちらの御当主は根っからの武闘派で、こちらと相当険悪な仲と聞いてますが……そもそも領地に入れるッスかね?」

「何が伯爵だ! あの様な剣を振り回すしか能のない野蛮な田舎者が、ワシと同じ爵位を名乗るなぞそれだけで無礼極まりないわ! 元子爵風情が成り上がった程度で図に乗りおって!」


 いや、戦時中にきちんと功を上げたから爵位上がったんでしょ、成り上がりも糞もお前以外の貴族は位上がってるトコの方が多いわ。

 反射的に口に出しそうになった突っ込みは、舌を嚙みしめる事で口内に留まってくれた。


 ふー、ふー、と。鼻息も荒く肩をいからせていた伯爵であったが、ややあって呼吸も落ち着くと、口の端をいやらしく吊り上げて笑う。


「あの都市圏の警備隊の長は、以前からワシの手駒よ。小金を握らせて成り上がりの猪の動向を報告させていたのでな――多少奮発してやれば、ワシを都市内に通す事も、その後に娘達を連れてこさせることも造作ない」

「……なるほど」


 その警備隊長とやらがどれ程の額を握らされているのかは知らないが、この雇い主の評判を知らぬはずがない。

 その上で、使われているのを良しとする人間だ、ロクな奴ではあるまい。

 銀貨の輝きに目をくらませて、蜥蜴と竜の区別もつかなくなってる阿呆で無い事を祈るばかりである。

 白けた眼で己を眺めているイフェクには相変わらず気付く事もなく、リュダクロスはたっぷりと嫌味を混ぜ込んだ口調で彼を詰る。


「奴の働き如何では、ここの兵団の纏め役をまかせても良いかもしれんなぁ。今の地位が惜しければ、精々必死にワシへと忠を尽くすことだ」

「やったぜ(は。精進します)」

「……何?」


 やべぇ間違えた。

 舌の根乾かぬ内に前言を翻すリュダクロスではあったが、イフェク的には朗報でしかない。

 なのでうっかり本音の方が出てしまった。


「では、かの都市へと移動するための馬車の手配をしておくッス。いえ、向こうさんが街を出てしまう可能性も考慮すれば飛竜便の方が確実でしょう、そちらにしておくッスね。護衛の選出と迎賓館への手配も同時に行うので、伯爵はごゆるりとお待ち下さい」

「う、うむ? まぁよかろう。さっさと済ませるがいい」


 誤魔化す為に口早にまくしたてて、勢いで押し切る――うまくいった様だ。相手が馬鹿で助かった。

 ストレスの多い環境にいる為か、つい失言をしてしまった。気を抜かない様にせねば。


 訝し気ではあったが、元より部下への気配りなど存在しない男だ、直ぐに忘れるだろう。イフェクは一礼すると速やかに伯爵の私室より退出し、無駄に壺やら絵画が飾られすぎて統一感に欠ける廊下を一人、歩き出す。


「そろそろボロが出てきそうだし、潮時ッスかねぇ」


 口に出した後で、周囲に人気が無いかを慌てて確認した――どうやら、本格的に自分は疲弊している様だ。このままだと本当に()()に影響が出かねない。

 今回の一件で、意図せず洒落にならない連中と接触してしまった事であるし、本当に切り上げ時かもしれない。

 暗澹とした気分で、私兵団の長として割り当てられた部屋に戻る。

 まずは軽く室内に人気が無い事を確認。念の為、何某かの魔法の痕跡もないかチェックする……問題ないようだ。

 そのまま真っ直ぐに事務机に進むと机の下にしゃがみ込み、床板の一部を強く押しながら引いた。


 僅かに板がずれ、小さな空白のできたスペースに収まっていたのは、細めの小箱だ。


「うーん……これだけあれば充分ッスかねぇ……あとはもう直接……」


『中身』を確認しながら、悩む様に独り言ちる。

















 ――あぁ、見つからないと思ってたらお前さんが持ってたのか。納得。




 そんな声が、すぐ真後ろから聞こえてイフェクは硬直した。

 退いた筈の背中の冷や汗が、ぶわっと音をたてて吹き出す。

 首を捻り、後ろを振り向く――ただそれだけの動作が出来ず、まるで全身が錆びの浮いた絡繰りになった気分だった。


 今更ながら、気付く。

 先程の、背中に視線が張り付いていた様な感覚は、錯覚では無かった。

 最初から聞かれていたのだ、全部。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、吟味する為に。


 急激な緊張に晒されて干上がった口内に、無理やり唾を送り込もうとしてごくり、と喉が鳴った。


 冗談ではない。()()の途中で巻き添えで()()()()()()()()()()()()()()()()()()に殺されるなぞ、ごめんだった。

 自身の立場と、仕事の内容……悩んだのは一瞬で、直ぐに結論は出る。

 いっそこの際、全部この場でぶちまける――そうしなければ最悪、この場で首無し死体になりかねない。


 覚悟を決め、硬直した身体に喝を入れて、両手を上げながらゆっくりと振り向く。


「提案――というか告白(ネタバレ)があるッス」


 赤光を纏った黒い死神に向け、イフェクは引き攣って半泣きになりそうな頬をどうにか笑みの形に吊り上げながら、口を開いた。







◆◆◆




 朝日が遠い山稜線より顔を覗かせ、緩やかに夜の帳を払いのける時間。

 宿の裏手にある広めの庭程のスペースがある水汲み場で、ロックンロールな素手ゴロ令嬢ことローレッタと、筋骨隆々な巨漢の僧、カクは静かに対峙していた。

 軽くつま先で地を蹴り、視界に収めた巨躯へと意識を集中させていたローレッタが静かに宣言する。


「――参ります」

「来られよ」


 彼女の言葉も、応じる言葉も、また端的であった。

 鋭く呼気が吐き出され、訓練用の厚布を巻いた左拳が角張った厳つい顔の鼻下――人中へと奔る。

 早朝の冷たい空気を裂いて放たれた拳が皮膚に触れた瞬間、カクの野太い首が捻られ、打撃の威力が頭を振った動作にて流された。

 予測していたのか、はたまた経験済みであったのか、ローレッタは驚く事も無く踏み込み、返しの右をその分厚い胴体――左脇腹に捩じり込む。

 拳に伝わって来たのは凡そ人体を打った感触ではなかった。

 強いて言うならば、皮一枚張り付けた、鋼で出来た巨木であろうか。

 互いに魔力強化を制限した状態であるとはいえ、素のままであっても鍛えられた大の男の肋骨をへし折り、内臓を押し上げる彼女の胴打ちに、眼前の巨漢はなんら痛痒を示していないのは彼女が一番理解していた。


 ゆるり、と。丸太の如きカクの右腕が持ち上がり、鉤手がローレッタの側頭へと滑らかに突き出される。

 単純な速さで言うなら寧ろ緩やかな一撃ではあるが、凄まじい勢いで本能が警鐘を掻き鳴らし、ローレッタは本来紙一重で避けるべき其れを大きく身を逸らしたスウェーで以て回避してしまう。

 眼前の僧に対し、それはあまりにも悪手であった。


「シィッ!」


 伸びきった上体のフォローの為、彼女は咄嗟に片足を跳ね上げて鞭の様にしなる蹴りを大木の根を思わせる脚へと打ち込むが、半身一つ分の間合いを詰めた巨漢の外腿に弾かれ、更に大きな隙を呼び込む結果となった。

 岩を削り出した様な鉤手が開かれ、ローレッタの華奢な肩に触れる。

 次の瞬間には軸足を優しく、足の甲へと乗せる様にして刈られた彼女の視界は、くるりと一回りした。


「くぅっ」


 捉えられた肩を視点に宙を一回転した身体を捻り、膝と掌を地に付きながらもなんとか脚から着地する。

 次の瞬間に取るべき選択は――背後へ跳躍するか、敢えて前へと出るか。


 思考する迄も無かった。彼女はカッツバルゲルの女である。


 今は片膝を付いた体勢だ。立ち上がっている暇など無い。追撃の為に更にこちらへと踏み込んでいた巨躯へと、低い姿勢のまま、殆ど前転するように飛び込み、肉薄する。

 転がった際に地を離れた両足が再び大地に着いたときには、両者はほぼ密着距離であった。

 ローレッタの位置はカクの足元――彼が脚を振り上げれば、それだけで蹴り飛ばされる。

 故に、彼女は即座に大地を踏みしめ、踏み抜き、真っ直ぐに天へと飛びあがった。


「オラァッ!!」


 全身のバネを使って上空へと跳ね上がる身体ごと、叩きつけるようにしてアッパーを放つ。

 並みの相手であればガードごと叩き潰して顎を砕く一撃が、巌の様な顎裏に向けて吸い込まれ――。


「うむ、勇猛にして果敢。師でもあったという祖父君とも、一度お会いしてみたかったものですな」


 顎と拳の間に差し込まれた分厚い左の掌に遮られ、あっさりと止められた。

 同時に節くれだった右の縦拳が首筋に添えられる。


 寸止めではあるものの、完全なる一本であった。


 ローレッタの眼からみても、祖父を上回るであろう強者であるカクへと稽古を申し出てからはや数日。

 魔力強化に始まり、闘法や組手の際の決め事など、様々な面で彼女の側に有利であろう条件をつけた組手であったが、清々しいまでの全戦全敗である。


「ハァ……世界は広いですわね……上には上がいるとこの身で実感できたことは喜ばしいですが、夢は遠いと現実を叩きつけられた気分ですわ」


 その場に膝を付き、息を整える少女に、カクは莞爾として笑いながら拳を解いた掌を差し出した。


「そう悲観することはありませぬぞ。御令嬢の拳は間違いなく一流――やや実戦経験が不足気味の様ではありますが、逆を申せば経験さえ積めば《刃衆(エッジス)》の末席にならば、既に手が届く域にあるかと」

「まぁ……ひょっとして御坊様はかの部隊の方々と戦地を共にした経験がお有りですの?」


 やけに具体的な巨漢の言葉に、その手を取って立ち上がりながらローレッタはもしやと思い至って問いかける。

 禿頭を空いた手で撫でさすりながら、カクは笑顔のまま頷いた。


「愚僧は駆けた戦場(いくさば)の数だけは多い無骨者でしてな。帝国の誇る名剣たる御仁達とも幾度か肩を並べた事がありますれば。御令嬢の技は、彼らにそう見劣りするものではありませぬぞ」

「……そう言って頂けると、俄然やる気も湧いてきますわね! ……処で、御坊様は相当な場数を踏んだ猛者であるご様子。その他にも大戦で活躍した英傑の方々と共に戦った事も?」

「ふむ? そうですな……帝国以外であっても……凡その国々の最前線で戦う戦士と、共に戦った事があると記憶しております。回数に偏りはありますが」

「クッッッソ羨ましいですわ!」


 両の拳を揃えて握りしめ、くぅー、などと漏らしながら、言葉の通り心底羨まし気な様子をみせるローレッタ。


「故郷を護る為に御祖父様の下で戦場を駆けた事は(わたくし)の誇りではありますが……それはそれとして、大戦史に残るであろう方々と戦友となれるというのは、滅茶クソに憧れますの」

「はっはっはっは! 戦武の道を志す年頃の若者らしい、素直なご意見ですな! 実に結構!」


 呵々大笑する相当な古強者であろう巨漢を前にして、意外とミーハーというか、戦場での英雄譚好きであったらしい少女がやや興奮気味に指折り名前を上げ始める。


(わたくし)と然して変わらぬ年頃らしい、《刃衆(エッジス)》の長たる御二方――《戦乙女》と《銀牙》もそうですが……御坊様の御国の《救世の聖女姉妹》やその守護者たる戦場の生ける伝説、《聖女の猟犬》――あとは魔族領の《災禍の席》の方々……戦士としても、一度は御目通りしてみたいですわねぇ」


 まるで理想の王子様を思い浮かべる様にうっとりとした視線を虚空に向けるローレッタではあるが、何かが変だと突っ込みを入れられる人間は、今この場にいない。

 北方で大きな戦端が拓かれたのは数える程で、それ以外は散発的な小競り合いが主である。激戦区から離れた地域ではあるが、戦場での高名な戦士の名は意外と知られている様だ――挙げられた名が全て顔見知りであったのもあり、カクは戦友の武名が轟いている事を喜んだ。


「うむ、こちらの地方でもお歴々の名が知られている様で、拙僧としても共に戦った身として誇らしいものです――戦場逸話に詳しいのも、祖父君の薫陶ですかな?」

「えぇ、祖父もこの手の話題を好んでいました――と言っても、御祖父様の一押しは聖女様方が現れる一世代前、人類側の旗印であった教国の《四英雄》の方々でしたわね」

「――む」


 令嬢の言葉に、カクは唐突に動きがぎこちなくなり、何処か据わりが悪そうにぽりぽりとこめかみを指でかきはじめる。


(わたくし)の一番の憧れはやはり《刃衆(エッジス)》ですが、元は御祖父様の《四英雄》の逸話語りを聞いて武の道を進みだした様なものですもの。何度も聞かされたお話も多いので、なんなら今でも大体の逸話を諳んじる事が出来ますの」


 えっへん、と豊かな胸を逸らして自慢気に語るローレッタは、困った様に眉根を寄せて空を見上げる巨漢の様子には幸か不幸か、気付くことは無かった。

 どことなく面映ゆさを堪えるような表情でカクは軽く手を打ち合わせ、やや強引に話題を変えた。


「――そろそろ他の方々も目を覚ます頃合いでしょう。浄化魔法で汚れを落します故、食堂で皆様を待つといたしましょう」

「あら、もうそんな時間ですの? 少し話し込み過ぎたみたいですわね……では、洗浄の方をお願いいたします」


 ともあれ、ここ数日の日課となった朝の稽古は終了だ。二人は身支度を整えると、宿へと戻るのであった。











 現在、一行が宿泊している場所は、ある程度大きな宿屋にはよくある構造――一階は酒場兼食堂、二階が宿泊用の各部屋となっている。

 全員揃えば冒険者の中規模パーティー程度の人数になる彼らは、他の客とトラブルにならぬ様に端の席に陣取るのが常となっていた。


「おはよー! 先生もローレッタさんも早いね」

「おはよ、二人とも。今日も朝稽古してたの?」

「おはよう。熱心ねぇ……まぁ、目指してる夢が夢だから必死にもなるか」


 残った女性陣が一階へと降りて来て、既に起床していた男連中とも挨拶を交わし、食堂の丸テーブルを囲んで席につく。


 マリアやローレッタは言わずもがなであるが、冒険者側の二名――イルルァとウェンディも整った容姿をしているが故に、気性の荒い同業や酔客などに絡まれるのは必至かと思われたが……一目で歴戦の武僧と分かるカクと、初日に絡んで来た者達を丁寧に()()()()()スケこと傭兵(モンスターペアレンツ)の御蔭か、以降は平穏そのものである。

 とはいえその片方は初日以降、不在であった。


 ――件の伯爵に対して、ちょっとした嫌がらせが出来るかもしれん。


 そう言って一時離脱を申し出た傭兵に、ローレッタが「あんちくしょうに吠え面かかせられるならバッチこいですわ!」と親指立ててゴーサインを出して、はや数日。

 現在逗留している街は武闘派の貴族が治めている為、例のブタ野郎ことバフナリー伯爵とは険悪な関係らしい。

 なので、此処に留まっている限りは連中も手を出し辛いはずである。というコウジの意見もあって、皆で傭兵の帰りを待つことになったのだが――。


「確か、今日辺り帰ってくるって話だったが……傭兵のにいさんは一体何をしてるんだ? まさかこの数日で伯爵の領まで行き来できるはずもないし」


 皆で朝食を摂りながら、今後の予定について話し合う中、パンを千切って頬張っていたアザルが思い出した様に疑問の声をあげる。

 仲間であるマリアとカクは何やら察しているようだが、他の者達は具体的な内容を知る由も無く、己の思いつく上での予想をそれぞれに語った。


「うーん……自由契約の傭兵っていうなら、伯爵について知ってそうなこの街の情報屋と懇意にしてるとか? でもそれなら何日も留守にしないよねぇ」


 スープを口に運びながら一番手堅い予想をイルルァが立てるが、彼女自身があまり自身の口にした予測を信じていない。

 対してサラダをつつきながらエクソンが上げた内容は、やや現実味に欠けるがそうであれば大いに助かる、という予想というより希望に近い内容だ。


「この街の領主様と御知り合いという可能性はどうでしょう? バフナリー伯爵と不仲であるというのなら、こちらの事情を説明すれば協力してくれると判断なされたのかもしれません」

「それならお嬢ちゃんを連れて行った方が説明もし易いし、話は通りやすいと思うけど? そうなると……駄目だわ、他には思いつかない」


 最後に朝に弱いらしく、飲み物だけを頼んでいたウェンディが仲間の希望的観測を冷静に否定して……結局はコレ、という確信をもった予測は立てられずに、お手上げのポーズを取った。

 四人の代わるがわるのやり取りを聞いていたカッツバルゲル家の二人も、恩人の言い出した事を疑うことはなくとも『嫌がらせ』とやらの内容は気になっているらしく、答えを知っていそうな二人へと、皆の視線が自然と注がれる。

 分厚く大きな手でこじんまりとして見えるナイフとフォークを器用に扱いながら、厚手の燻製肉(ベーコン)が添えられた目玉焼き(ターンオーバー)を丁寧に切り分けて口に運んでいたカクと、ミルクの入ったカップを乾していたマリアが注目されている事に気が付き、顔を見合わせて苦笑した。


「スケ殿はなんというか、他者の予測の斜め上を征く事の多い御仁でしてな。驚くとは思いますが、事態を好転させる場合が殆どであるので心配は無用かと」

「まぁ、大体予想は付くけど……多分、今言っても信じられないと思うので、にぃちゃんが帰って来てから本人に聞いた方が良いと思いますよ?」


 二人が言うやいなやのタイミングであった。


 ――呼ばれて飛び出て俺が来ましたよっと。


「うぉっ! ビックリした!?」


 アザルとエクソンの座る席の間から、唐突に首を出して宣ったのは数日振りに見る黒髪の青年――傭兵スケである。

 驚いて椅子ごと仰け反るアザルに軽く謝罪しながら、他の面々とも挨拶を交わして、空いた席へと腰を下ろす。


「おかえり、にぃちゃん。首尾はどうだったの?」


 ――おう、ただいま。まぁ、予定外な事もあったけど、悪くない結果になったで。


 マリアの言葉にニヤリと笑って返すと、彼は懐から筒状の書状を保存する小箱を取り出した。


 ――ほい。コレは縦ロールちゃんへのお土産ね。


「縦ロールちゃん!? スケさん、元とはいえ(わたくし)、男爵家の令嬢なのですけれど……」

「まぁまぁ、いいじゃないかローレッタ。ちょっとぶっ飛んでる呼び名だけど、君っぽくて可愛らしいニックネームだよ」

(わたくし)は今日から縦ロールちゃんですわ」

「アンタそれでいいの、お嬢ちゃん……」


 傭兵の独特が過ぎる呼び名に苦言を呈したものの、コウジの言葉を聞いて秒で翻したローレッタをみて、ウェンディが呆れた様に呟く。

 兎にも角にも、小箱を受け取って早速中身を取り出す令嬢を見て、マリアが何かを察したのか、無言で簡易な遮音魔法を発動させた。


 ローレッタが箱の中身――幾つか入っていた書類らしき紙束に目を通す。

 訝し気に書類を読み進めていた表情が固まり、何度も瞬きすると目頭を指で押さえる。

 よーく目元を揉み解して、再度、書かれている内容を最初から目で辿り……錯覚でも見間違えでも無いとやっと気付いて、絶叫した。




「……ぬぅわんですのこれぇぇぇぇぇぇっ!!?」




 眼をひん剥いて淑女らしからぬ雄叫びをあげる御令嬢の声量に、発動された遮音空間の内側にいた一同――構えていたマリア、カク、傭兵の三名以外が耳を押さえて悶絶する。


 ――やぁー良いリアクション。渡した甲斐があるってもんだね。


 ニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら平然と言う傭兵の言葉に、ローレッタは酸欠になった金魚の如く、口をパクパクとさせながら手の中の数枚の書類と彼の顔を交互に見比べた。


「え、ちょ……マジですのコレ。手の込んだ偽造品とか……いえ、この押印は本物ですわ」

「うぅ……こ、鼓膜が破れたかと思った……どうしたんだい、ローレッタ。いきなりあんな大声をあげて?」


 隣の席に居た為、もろに教え子の渾身シャウトを喰らったコウジであったが、凄まじく動揺しているその姿をみて教師としての使命感が鼓膜のダメージを上回ったようだ。いち早く復帰して彼女の肩に手を置いて問いかける。

 いつも彼に対して向ける闊達な明るい笑顔ではなく、どことなく引き攣った様な表情でローレッタは無言で手の中の紙束をコウジに手渡した。

 教え子から受け取った書類を、師が訝し気に読み進める。

 表情が固まり、何度も瞬きすると目頭を指で押さえた。

 よーく目元を揉み解して、再度、書かれている内容を最初から目で辿り……錯覚でも見間違えでも無いとやっと気付いて――教え子と同じ様に絶叫した。




「えぇぇぇぇぇぇぇっ!? なんだいコレは!?」




 ひょろりとした外見からは予想もつかない、中々の大音声であった。


 ――二人揃って同じリアクションで草。


 師弟で天丼ネタとかレベルたけぇ、と腹を抱えて爆笑している傭兵に、つい先程までの穏やかな立ち振る舞いを投げ捨ててコウジは詰め寄る。


「いやいや笑いごとじゃないよ、どうやってこんなもの手に入れたんだい!? この数日、何をしていたのか今更ながら心配になるんだけど!?」


 書類と思われた紙束は、バフナリー家の裏帳簿――の一部と、不正な蓄財を行った際の取引を記した証文であった。

 しかもバフナリーの家紋が刻まれた押印と、当主であるリュダクロス=バフナリーのサイン付き……直接手紙を送られたコウジの眼から見ても、間違いなくどちらも本物と断言できる代物だった。

 頑張ったからね。ホラ、俺って出来る傭兵だから。と、何でもない事の様に笑う青年に、カッツバルゲル家の師弟は揃って唖然とした表情で顔を見合わせる。


 冒険者組の四人も、そんな反応をされれば気になるのは当然。

 代表して、頭目であるアザルがおっかなびっくりと言った風に書類を脇から覗き込む。


「……そんなにヤバい物なのか?」

「これだけでバフナリー(ブタヤロウ)の家は焼け野原になりますわ――不正取引に関わった貴族や商人にも少なからず飛び火しますわね」


 こんな特大の爆薬みたいなやべー代物、どうやって手に入れたんですの……と、ポツリと漏らすローレッタを見て予想していたより酷い危険物であると理解したアザルは、即座に首を引っ込めて書類を視界から外した。


「あー、ヤバいもん見ちゃったねリーダー」

「私達は見てないからね、見たのアザルだけだから」

「怖ぇこと言うなよお前ら!? 俺だって殆ど内容は見てねぇよ!」


 意地悪気に笑って揶揄うパーティーの女性陣二人に、洒落になってねぇんだよ! と顔を顰めて怒鳴り返す。

 仲間内のじゃれ合いを横目で見つつ、エクソンが混然としてきた場を取りまとめるように、今後の指針を依頼主である少女へと尋ねた。


「傭兵殿の仰った『嫌がらせ』によって得た物が、極大魔法の呪巻物(スクロール)並みの危険物であった訳ですが……()()を手にしたカッツバルゲル嬢はどうなさるおつもりですか?」


 実際、言う程の効力が書類にあるのならば、これから取れる手段、選べる選択肢は無数にある。

 然るべき場所に提出するだけで件の伯爵の家を前言の通りに焼け野原にした後、カッツバルゲル家を取り戻すことだって出来るだろう。相応に時間は掛かるだろうが。

 だからこそ、悩ましい。

 突如として目の前に広がった、様々な選択肢の数は、小さな男爵家を継いで……直ぐに手放す事になった少女が処理できる情報量を容易く超過していた。


「うぬぬぬぬ……これは難題ですわね……未来が広がったこと自体は喜ばしいですが、広がり過ぎて先が全く見渡せませんわ」


 丸卓(テーブル)に突っ伏して、頭から煙を吹きそうになりながら唸るローレッタの手に、そっと掌が重ねられる。


「あまり難しく考える事はないよ、ローレッタ」


 そう言って、彼女に笑いかけたのは彼女が先生と慕い、それ以上の関係になることを熱望している人物であった。


「君がカッツバルゲルの屋敷や、仕えてくれた人たちの事を考えて悩んでるのは察しが付くけど……断言しよう。彼らは君が君らしく、思うがままに、一直線に突き進める道を選んでくれることを望んでいる――勿論、僕もね」

「先生……」


 ともすれば痩せぎすに見える、お世辞にも逞しさとは無縁の――だが、ローレッタの胸の内を暖かい感情(モノ)で満たして止まない恩師の笑みは、大きく広がり過ぎて見失ってしまった彼女の選んだ道を再び見つけだし、踏み出させるのには充分な切欠となった。




 ――んじゃ、燃料追加ってことで更に情報を一つ。




 腹が据わったらしく、凛とした表情で顔を上げた少女を眩しいモノを見つめる様に眺めていた傭兵が、再び飄々とした笑みに戻って卓に肘をつき、身を乗り出す。


 ――件の伯爵な、今日の昼前にはこの街にやってくるみたいやで。向こうからしたら、自分の嫁やら妾やらにする相手を迎えにいってやる、程度のノリなんだろうがね。


 それは差し詰め、女神の御導きか、或いは悪魔の囁きか。

 まるで彼女が望む選択を見越した様な、お誂え向きの"場"を用意しました、と言わんばかりのこの上ないニトロ燃料(じょうほう)であった。

 少しの呆れと、大きな感嘆――そして何よりも感謝を感じながらも、令嬢は目の前の奇妙な三人組に問いかける。


「……恩人に向かってこの様な質問はするべきではないのでしょうが……スケさん、貴方は、貴方達は何者ですの?」


 一連の流れが偶然とは思えない。そもそも始まりであるローレッタの手の中にある書類でさえ、普通に考えれば数日でどうこう出来る代物では無いのだ。

 当然ともいえる疑問に、傭兵はちらりと隣の巨漢と目配せをして、互いに盛大な悪戯を考えている悪餓鬼の様な表情で笑った。


 ――俺達が何者かって? 俺はスケ。マリアお嬢さんに雇われた傭兵で。


「拙僧はカク! マリア様の御付きである、一介の僧でありますれば!」


 え? え? と狼狽えた様に二人を交互に見る栗色の髪の少女を中心に添え、馬鹿二人がドヤ顔でポーズを決める。




 ――我ら、越後のちりめん問屋のご息女御一行! 旅のついでに世直し上等仏恥義理!!


「――ですな!」

「ここでそのネタ引っ張るの!?」


 愉快な寸劇を見たかの様に、おー、とアザル達のみならず、食堂のメイン客層である冒険者達がまばらに拍手を送った。この宿屋、意外とノリが良い連中ばかりである。

 謎のテンションに置き去りにされたらしいマリアが、「恥ずかしいからやめてよ二人とも!」と羞恥混じりの悲鳴を上げた。


「遮音の魔法、途中で切るんじゃなかった……!」

「いやぁ……ははっ。賑やかでいいねぇ」


 頭を抱えて唸るマリアであったが、元ネタを知っているらしきコウジには好評なようで、非常に楽し気である。

 はぐらかされた形にはなったが、恩師が喜んでいるのを見てローレッタもこれ以上の追及は無粋と、苦笑しながら恩人たちへの疑問を引っ込めた。




 好事魔多し、というべきか。

 或いは、お誂え向きに、というべきなのかもしれない。


 大きすぎる手札を手に入れ、その持ち主となった少女が覚悟を決めた途端であった。




 宿の扉が乱暴に押し開かれ、十人前後の武装した兵士が無遠慮に雪崩れ込んでくる。

 ドカドカと乱雑な足音を立てて、驚きの声や悲鳴をあげる宿の客を押し退けて進む兵士達は端の丸卓――ローレッタ達の前に立ち塞がると、抜刀こそしていないが彼女らを取り囲むように散って半円形に陣取った。

 静まり返った食堂の静寂を割り進むように衛兵の壁の間から進み出たのは、鎧の上にサーコートを着込んだ兵士の中でも上役らしき、大柄の男だ。


「貴様らがここ数日、街に滞在しているという怪しい連中か」


 誰何というにはあまりにも適当な言葉ではあったが、男の中では既に断定された事実であるらしい。有無を言わせぬ口調で矢継ぎ早に告げる。


「お前達には、隣領の領主殿の兵団を襲撃した嫌疑が掛けられている。この場で斬り捨てられたくなければ、大人しく縄を受ける事だ」


 ちらりとローレッタとコウジ――最後にマリアを順繰りに視界に収めると、今にも舌なめずりをしそうな、およそ衛兵には似つかわしくない表情で嫌らしく笑う。


「そこの三名には、代表として取り調べを受けてもらおう……たっぷりとな。下らん抵抗はするなよ、此方の言う事に大人しく従ってさえいれば、お前達の身の安全は保障してやろう」


 他の連中は貴族様の兵を多数殺めた襲撃犯だ、極刑か奴隷落ちは確実だがな。と、嘲りを隠さずに断言する男ではあったが。


「……なんともまぁ、図ったようなタイミングで来ましたわね……これもスケさんの仕込みだったりしますの?」


 ――いや、タイミングに関しては偶然だけど、詳細は知ってる。コイツ、例の伯爵に金貰ってあれこれやらかしてる、所謂銅臭役人って奴だわ。こっち来る前に捕縛しとけとか言われたんやろ。


「この地を治めているのは同じ伯爵でも武闘派の、質実剛健な御方なのですが……そんな方の部下でもこの手の輩はいますのねぇ」


 怯える処か慌ても焦りもせずに、平然と会話を続ける令嬢と傭兵。

 特に声を潜めていた訳でもない会話の内容を聞いた衛兵達と――固唾を飲んで緊迫した場を遠巻きに眺めていた宿の客から騒めきが洩れる。


「ッチ! 下らん戯言をぬかすな犯罪者が! 今すぐ斬り捨てられたいのか!」


 二人の――特に傭兵の言葉を濁声を上げて遮った男が、剣を抜いて躊躇なく切っ先を突き出す。

 言葉は恫喝であったが、見せしめのつもりなのだろうか、避けるそぶりもなければ、視線すら男に向けない傭兵の喉元へと明らかな殺意をもって刃が届こうとして――。


「ふむ。こうなった以上、ここでゆるりと件の悪漢の到着を待つ事もできませぬな――どう動くべきか、御令嬢が改めて指針を示すべきかと」


 横手からカクが無造作に伸ばした指先に剣先を摘まみ取られ、衛兵の上役らしき男の剣は宙に固定されたかの如く、その場でピシリと止まった。

 男と、周囲の人間の驚愕の声には頓着せず、一行は次なる行動について各々に意見を語りだす。


「ボク的には冤罪で牢屋に入ったりするのはゴメンかなぁ。後で面倒になるのも嫌だし、禍根は絶っておくべきだと思いまーす」

「マリア君の意見に同意するよ。ここで大人しく捕まった処で、下手をしなくても書類も取り上げられるのがオチだろうし」


 はいはーい、とのんびりと手を挙げて言うマリアの言葉に、コウジが深く頷き。


「――で、あたし達はどうすんのリーダー? ここで下手を打つと、組合除名からの反逆罪でおたずね者コースだけど」

「そこの汚職役人が言ってたろ、大人しく捕まったってどの道、冤罪確定で奴隷落ちだよ。なら、一発かまして逆転してやるさ、冒険者らしくな」


 イルルァの答えが分かり切っているであろう質問に、アザルが腹を括った様子で笑いながら立ち上がる。


「暴威を振るう悪に義を以て敢然と立ち向かう――私的には、大戦以来の聖職者の本懐ですので、何の問題もありませんね」

「長丁場になりそうねぇ……無理やりにでも朝食食べておくんだったわ、今更な話だけど」


 エクソンが本懐である、と。この状況に気炎を上げれば、朝が苦手なウェンディは、下手をすれば今日一日、空きっ腹を抱えそうな己の腹具合を後悔と共に愚痴った。


 ――で、後は縦ロールちゃんの判断待ちだ。どうする?


 椅子から腰を上げることもせず、喉元で仲間によって固定された剣先を眺めて、笑いながら傭兵(スケ)が首を傾げ。


「――決まっていますわ」


 ギシリと、懐から取り出した鋲拳(ナックルダスター)を装着した手を握りしめ、ローレッタが不敵に笑い返す。


「き、貴様ら、抵抗する気なら容赦ぐげべっ!?」


 巨漢の指先で固定され、空中でぴくりとも動かなくなった己の剣を四苦八苦しながら引っ張っていた男が何某かを喚く前に顔面に拳を叩きつけられ、その場で半回転して床を破砕しながら上半身をめり込ませた。

 犬神家のポーズで床に埋まった警備隊長を見て、衛兵達が慌てて抜剣し、それを為した下手人――一見たおやかな金髪巻き毛の少女に刃を突き付ける。


 一切怯まず、己の武器たる両の拳を打ち合わせ、ローレッタは宣言した。


「わざわざ来てくれるというのなら、此方から迎えにいってやりますわ! 立ち塞がるものは全て蹴散らしてあの野郎をぶっ飛ばしますの! 真っ直ぐいってぶっ飛ばす!」 


 屋敷を追われ、家族同然の家人達と離され――何より愛する恩師の研究と、両親と祖父の思い出に後ろ脚で砂をかけられた少女の、燃え盛るような怒りと共に、反撃の狼煙は上がった。











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