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三枢機卿



霊峰編における「一方、その頃の聖都では」的なお話。







 聖都中枢、大聖殿。

 参ノ院と呼ばれる、枢機卿の一人が統括する区画にて、密やかな会合が行われていた。


 本来は、各国の重鎮等の賓客を迎えて会談を行う豪奢な作りの部屋は、日除けの窓掛がしっかりと下ろされ、華美な調度品達も影に沈む様に暗がりの中で主張を控えている。


 唯一の光源である、卓に備えられた燭台の火が二人の男の姿を薄暗い室内に浮かび上がらせた。


「……遅いな。彼女はまだ来ないのかね」


 今回の会合参加者の不在を問うたのは、赤いカソックに身を包んだ壮年の男だ。

 白髪の目立つアッシュブロンドの髪を後ろに撫でつけ、片眼鏡(モノクル)を掛けたその顔には、年相応以上の皺が――とりわけ眉間に深く刻まれている。


「今朝方、クソジ……老人に呼び出されていたようです。少々遅れるとの事でしたが……時間的に頃合いでしょう、直ぐにやってくるかと」


 どこか神経質そうな印象を他者に与える男に、宥める様に応じたのは同じく赤いカソックを身に纏った男だった。

 先に声を上げた男よりは本来一回り程若い、学者然とした彼は無造作に伸ばした鈍色の髪を後ろで束ねており、分厚い眼鏡と伸ばした髭のせいで外見的には大差無い年齢に見える。


 片眼鏡(モノクル)の男が、顰め面だった顔の眉間に、更に皺を寄せて頭を振った。


「時間は有限であり、貴重だ――特に我々の様な立場の者にとっては。どうもあの御老人は、それを理解した上で徒に浪費する事を好む悪癖がある」

「さして得手でも無い盤上遊戯をよく打っていますからな。手慰みとはいえ、あそこ迄不向きであれば駒を並べる事に飽いて然るべきでしょうに」


 二人の口に登る老人とやらは、嫌悪や憎悪と称する程では無いが、決して友好的とは言い難い感情を共通して抱く相手のようではあった。

 今回の会合は参加者が揃ってこそ、意味の生まれる内容だ。男達が先に情報の交換を行ったところで片手落ちになるのは必定。

 故に、という訳では無いが、そのまま延々と老人とやらに対する愚痴を投げ合う空気になりかけたが、部屋の扉がノックされた事で両者ともピタリと口を閉ざす。


 素早く二回、間を開けて一回。予め決めておいた、今回の会合に参加する者への符丁だ。


「――杯に満たすは?」

『葡萄酒』


「――地に積み重なるは?」

『歴史と真実』


 男達が順に問いかける言葉に、扉の向こうから女性の声で答えが返される。

 最後に扉越しの声の方から、符丁合わせの文言が室内に向けて放たれた。


『――訪れるべきはぁ?』

「「未来と、平穏」」


 異口同音で男達が答えると、扉が静かに開かれる。

 するりと部屋に入り、音も無く扉を閉めたのは艶やかなマゼンタの髪を伸ばした、年齢不詳の美女であった。

 当然というか、彼女もまた赤いカソックに身を包んでいる。


「毎回、この符丁合わせするのやめなぁい? なんだか馬鹿みたいだわぁ」

「なに、様式美というやつだ……それに、万が一という事もある。情報の漏洩を防ぐのに有効なのは、安易な簡略化や省略を良しとせぬ事だよ、限度はあるがね」

「石頭らしいお言葉ねぇ」


 肩をすくめながら空いた最後の席に腰を下ろす女性。

 卓を囲んだ三方の席が埋まると、片眼鏡(モノクル)の男は両肘を机に立て、腕を組み合わせた。


「では、今回の会合を始めよう……念の為聞いておくが、気取られてはいないな?」

「魔法で確認してるもの。つけられた形跡はないわぁ。猊下の『目』もこの部屋なら届かない――だから此処を会合場所にしたんでしょぉ」

「どのみち、此処で駄目なら私達が不自然無く集える場所は全滅でしょう。最悪、勘付かれる前に目的を達成する心づもりで事に当たるべきかと」


 女性と学者風の男の言葉に、三者の中で纏め役らしき片眼鏡(モノクル)の男は一つ頷き――早速とばかりに今回の会合の趣旨を上げる事にした。


「うむ。今回の状況も考えれば、拙速を尊ぶべきか……では確認だが、『彼』が遠方に出掛けるというのは確かなのかね?」

「此方で確認を取った限りでは、事実ですね。しかも『金銀』の御二方の内、片方は間違いなく聖都に留まる事になる様で」

「こっちでも偶然だけど、確認が取れたわぁ。当人――『金』の方からちょっとした相談を受けたものぉ」


 最後に声をあげた女性の言葉に、片眼鏡(モノクル)の男は眉間に皺をよせたまま片眉をあげて「ふむ?」と呟いた。


「相談か。どんな内容なのか聞いても?」

「ここで話すような内容じゃないわぁ。女の子同士の会話を知りたがるとか無粋よぉ」

「尤もだな。忘れてくれ」

「ハハハッ、『金』の彼女はともかく、卿が『女の子』というのは聊か以上に無理がヘブォ!?」


 最後に揶揄いを含んだ笑い声をあげた学者風の男の顔面に、無詠唱で発動された魔力弾がめり込む。

 椅子ごと仰け反って背後へと倒れ込んだ男に、女性は「ブンブン煩い蚊が居たから潰してあげたわぁ、感謝なさぁい」と吐き捨て、冷え切った目付きのままそれを見下ろした。


「ぬぐ、痛たた……何も魔法まで使う事はないでしょうに」

「今のは卿が迂闊だ。婦女子の年の頃について揶揄するなど、梁から下がった縄輪に首を通して遊ぶのと然して変わらんよ」


 赤く腫れた頬を擦りながら、なんとか起き上がって椅子を立て直す学者風の男に、呆れた様な声で片眼鏡(モノクル)の男が先程の言動を咎めた。

 防音処理も完璧な部屋だ。多少物音を立てた処で外に漏れることは無いが……先に述べた通りに、彼らの時間は一般的なソレより遥かに余裕なく、有限である。逸れるばかりの話題をさっさと軌道修正するに越した事は無い。


「しかし、『彼』が戻り、まだ季節を一つ巡ってすらいない。だというのに、今回の一件は片割れが留守番だというではないか……なんというか、大丈夫なのかね」


 自分たちにとっては好都合な状況ではある。あるのだが……それでも、時間の浪費以上に気になる点ではあった。


「その辺りも含めての相談だったけど、向かう場所が場所なのよねぇ……手早く済んでも二ヵ月は掛かりそうなのが問題だわぁ……いや、私達にとっては都合が良いんだろうけど……」

「ふむ、では遠話用の魔道具の手配をしておきましょう。本来なら軽々と使用できるような魔力消費量では無いですが……彼女らであれば大した問題にはならぬでしょう」

「そうだな、それが無難か。ではその様に頼む」


 懸念事項を手早く片付けると、三人はようやっと、本題へと立ち戻る。


「『彼』と司祭が出払い、『金銀』の片方も残る。状況は我らに味方している――例の噂はどうなっているのかね?」

「聞き取りを行いましたが、若い者達を中心に、噂を熱心に支持する層も出て来ている様ですね。妙な暴走だけはしないよう、少数の過激な者達は注視しておく必要はあるかもしれませんが、概ね問題無いかと」

「猊下や先生も火消しに動いている気配は無し、流れとしては悪くないわぁ」


 緩やかではあるが、順調。

 彼らの『計画』、その進行状況は、そう評することが出来た。

 思案を巡らせながら黙する片眼鏡(モノクル)の男に対し、女性と学者風の男は今後の計画の展開について各々の意見を交換し合う。


「できれば『彼』が戻ってくる前に一段階進めてしまいたい処ではありますね。『金銀』の肯定さえ得られる事ができれば『彼』に関しては一気に問題無くなるでしょうし」

「それはあるわねぇ。先生や司祭もあの三人には相当甘い処があるし、彼らが納得してるなら蒸し返す事も無いと思うわぁ」


 これを機に『計画』の前倒しも検討すべきだ。と、暗に主張する二人に対し、片眼鏡(モノクル)の男が出した結論は、やや慎重性を重視した答えだった。


「取り敢えず、噂の浸透と聖殿内の噂の肯定者の推移をもう暫く確認してからにすべきだ。そうで在る事が望ましい、という空気が完成した後ならば、我々が直接干渉してもそう不自然にはなるまい」


 勇み足で気取られるのも問題だが、最悪、『彼』に『金銀』への害意あり、等と判定されてはたまったものではない。と男は苦々しく付け足す。

 それを言われると二人も積極的な干渉には二の足を踏まざるを得ない。

 立場や肩書をガン無視して、判断からノータイムで行動を起こす……起こせてしまう。

 そんなネジの外れた人外級とか、着火線に火の気を近づけることすらしたくないのだ。


「幸い、『彼』が戻ってくるまでには二ヵ月近い猶予がある。その間に、じっくりと腰を据えて『計画』を進行させてゆくのはどうだね?」

「少々歯がゆいですが……安全性には代えられませんね。それで行きましょう」

「私も異論は無いわぁ。やっぱり安全第一よねぇ」


 あっさりと意見を翻す二人の様子は何処か白々しくも感じたが……片眼鏡(モノクル)の男はそれには言及せず、頷きを返すに留めた。


「では少々駆け足ではあったが、今回の会合は此処迄としよう。この問題に関しては、我らは望みを共通する同士だ。互いの利になるべく、協力して事に当たろうではないか」











◆◆◆




 聖教会大聖堂。

 この世界で唯一、そう称される荘厳な建造物は大聖殿中央区の中心、初めて聖殿内を訪れた者にも容易に見つけることが可能なシンボルマークの如く、圧倒的な存在感を以て聳えていた。

 大きな窓には意匠を凝らしたステンドグラスがはめ込まれ、側廊を彩っている。

 拝廊から入って頭上を振り仰げば、礼拝や祭事には見事な旋律を響かせるであろう、巨大なパイプオルガンが楽廊に設置されているのが見て取れた。


 時刻は早朝。空に昇ったばかりの穏やかな朝日が天窓から降り注ぎ、建物内部の神秘的な雰囲気をより強く、厳かに演出している。

 朝も早くから祈りの時間の為にと、敬虔な聖職者やその見習いによって身廊は混雑しており、聖堂内に入り切らない者達は建物周辺に留まり、その時間がやってくるのを静かに待っていた。


 そして、聖堂に集まった女神の信徒達が待ち侘びた、その時は訪れる。


 聖堂の奥――聖所から現れたのは一人の少女だ。

 淡い金糸の髪を薄手のベールで覆い、蒼穹の空を映し取った様な美しい瞳は、今は長い睫毛の下に伏せられている。

 少女は、彼女と彼女の妹のみが身に着ける事をゆるされた祭服を身に纏い、ゆっくりと創造神の像が祀られた内陣の前へと歩み寄った。

 其処で両膝を折り、聖堂の床へとつけると静かに両の掌の指を絡ませ、組み合わせる。


 祈りが始まると、パイプオルガンの重厚かつ、荘厳さを以て伸びやかに響く音が、朝の陽が差し込む大聖堂を更に神秘的に彩った。


 始まりの言葉も、祈りの聖句すら無い。

 ただ、主の像の御前にて、静かに祈りを捧げるのみ。


 それだけの姿、それだけの行為が、何よりも崇高で侵し難く、完璧な光景として大聖堂に集った僧達の胸を打つ。


 ――救世の聖女。彼女はそう呼ばれていた。


 或いは、この場、この刻に祈りを捧げる者達の中には、象徴(イコン)として祀られた神の像では無く、彼女にこそ祈りを捧げる者もいるのかもしれない。

 金の髪の聖女が祈りを捧げると、一斉に始まった聖職者達の朝の礼拝は、大聖殿に響き渡る音楽が結びを迎えると同時に、少女の祈りの時間と同じくして終わりを告げる。

 ほんの微かにではあるが、感嘆の吐息や声でざわつく聖堂内には頓着せず、少女は再び聖所――内陣仕切りの扉の向こうへとその姿を消した。


 聖女の祈りの時間を初めて眼にした者も、既に何度も訪れた者も、等しく感嘆や軽い興奮、畏敬の念を以て、口の端に先程までの神秘的な時間についての話題を上らせる。

 特に若い僧達からは、何処か舞い上がるような、浮ついた空気も感じられたが、其処は曲がりなりにもこの世界の聖職者。側廊の列を乱す事無く、静かに聖堂からの退出が始まった。


 朝の特別な時間……聖女と祈りや礼拝を共に出来る、聖殿内に勤める者達にだけ許された得難い時間は終わりである。後は朝食を摂るなり、早朝からの業務に励むなり、いつも通りだ。

 そして、多くの者との祈りの時間を共有し、その姿を以て彼ら、彼女らを惹きつけて止まない金の聖女は――。




「……眠っ。朝飯食わなくていいから二度寝したいな」




 内陣仕切りの奥、聖所に置かれた備え付けの椅子にどっかりと腰を下ろし、ベールを無造作に剥ぎ取ると、生欠伸をしながら涙の滲んだ瞳を擦っていた。







 朝の礼拝から一時間後、食堂にて。


「アンタ、今日は本当に眠そうね……夜更かしでもしたの?」


 朝食のハムエッグをつつきながら、プラチナブロンドの髪をサイドで纏めた少女騎士――アンナが怪訝そうな顔で相席の聖女に問いかける。

 それに対し、金の髪の聖女……レティシアは、しつこく眠気が残る眼を半分に眇めながら、やや気怠そうに応じた。


「あぁ。昨日はアリア達も街で宿を取ったらしくてさ、ちゃんとした屋内なら長話も出来ると思ってついつい話し込んでたら、いつの間にか深夜になってた」

「遠話の魔道具を何時間使ってたってのよ。簡易版だとしても普通の術者なら干からびるわ」


 呆れた様子のアンナではあったが、レティシアとしては睡眠不足以上の疲労は特に感じていないので、その辺りは気にしていなかった。

 彼女の相棒と、妹のアリア。護衛のガンテス司祭が霊峰へと出発して、はや数日。


 教会内での立場もあり、気軽に絡める人間の少ないレティシアは、こうして帝国から出向して来ている友人と朝食を共にするのがお約束となっている。

 此処一年足らずの間で、すっかりルーチンワークと化した朝のお祈りタイムだったが、一仕事終えたあとで食堂に向かうと、集団の若い聖職者達が祈りの時間の空気にあてられたのか、フラフラとついてきたり、場合によっては鯱張って声を掛けてきたりする。

 なので、朝はゆっくりと食事を摂りたい身としては、中々心休まらない。


 口にこそ出してはいないが、そういったレティシアの心境を察して、お祈りタイムを終えると合流して朝食を共にしてくれるアンナの心遣いは、大変に有難いものだった。

 出掛けてしまう前まではほぼ毎回一緒に食事をしていた、レティシアの相棒である人物ほど絶大な防波堤効果を持つ訳では無いが、アンナも他国の騎士――しかも音に聞こえた最精鋭である。

刃衆(エッジス)》の副官と金の聖女が席を共にしている、というだけで、物怖じするには十分だ。

 声を掛けてくる者達は格段に減る。ゼロでは無いが。


 が、今日に限ってはその心配も必要無いと思われた。


「やっぱり料理長のご飯は美味しいわねぇ……お酒の持ち込みが不可なのが残念だわぁ」


 レティシアの対面に座り、朝食に舌鼓を打ちながら朝っぱらからアル中の如き台詞を吐くのは、マゼンタの髪を伸ばした妙齢の美女である。


「今更だけど……シルヴィーさんが朝から食堂にいるって珍しいな? 朝食は壱ノ院で済ませてるイメージがあったけど」

「だね。なんでまた急にこっちに顔を出したんですか枢機卿(カーディナル)?」


 不思議そうに二人が問いかける美女の名はシルヴィー=トランカード――聖教会最高位、枢機卿の一人でもある女傑であった。

 彼女達の言葉通り、普段は自身のテリトリーである壱ノ院で午前中の時間を過ごす事の多いシルヴィーが、朝から中央区の食堂にいるのは珍しい。


「これから参ノ院に顔を出さなきゃいけないのよぉ。丁度良いから大聖堂でのレティシアちゃんの御祈りも見ておこうと思ったワケぇ」


 石頭のところはお酒飲めないから長居したくないんだけどねぇ、とボヤく酔いどれ枢機卿殿ではあるが、普通は日も高いどころか昇ったばかりで飲酒OKな場所の方が少ない。

 それを態々突っ込む事はせず、レティシアとアンナは生暖かい視線をシルヴィーに向けた。


「あとは……そうねぇ、例のデートの一件がどうなったのか、おねえさん興味あるわぁ」

「んぐっ!?」


 フォークをゆらゆらと揺らしながら、ニヤリと笑う紅紫の髪の美女の言葉に、金糸の髪の少女が朝食のパンを喉に詰まらせる。


「多少なりともお手伝いをした身としては、やっぱり事の成否は気になるのよねぇ」

「あー、そう言われるとそうですね――で、実際の処どうだったのレティシア」


 アンナまで追撃に加わり、二人がかりでニヤニヤとした笑いと視線を向けられ、なんとか口内のパンを紅茶で流し込んだレティシアは微かに頬を赤らめて咳払いした。


「んんっ……ど、どうって言われても、い、いつも通りだったというか、明確にコレっていう事は無かったというか……」

「嘘ね。アンタ、アイツと二人揃って夜中に帰って来たせいでシスター・ヒッチンにお説教されてたじゃない。しかも怒られてるのになんか楽しそうだったし」

「あらぁ? あらあらあらぁ? いつもは日が暮れる頃にはちゃんと帰って来ていた聖女様とその猟犬クンは、真っ暗になるまで何処でナニをしていたんでしょう……気になるわぁ」

「は、ハァーッ!? なんも無かったし! 下衆な勘ぐりはやめろし!」 


 女三人寄れば姦しいとは言うが、正にその通りな光景を体現している。

 聖女、帝国有数の騎士、枢機卿と、声を掛けられる様な人間は限られている面子ではあるが、その分、視線の集中率は高い。

 自然、声を潜めている訳でも無い会話も食堂を利用している人間にはダダ漏れになってしまいそうなものだが――そこはシルヴィーが気を利かせ、話題を振る前に遮音効果のある魔法を発動させていた御蔭で、聖女のプライベート模様は護られた。

 尤も、顔を赤くして百面相を晒している姿までは隠せていないので、完全にという訳では無いが。


「そういえば枢機卿(カーディナル)、あの日、陽が落ちてから居住区の街壁あたりで大規模な幻惑魔法の行使が確認されたらしいですよ? 何だったんでしょうねぇ」

「私のところにも報告が上がってきたわぁ。なんでも、去年の戦勝記念で見た……ハナビ? というのを再現したものだったらしいの。アレ、綺麗よねぇ、逢瀬の時に二人で見ることが出来たら、とぉーってもロマンチック」

「全部分かってんじゃねーか! タチわりーぞお前ら!?」


 音声が遮られているとはいえ、ぎゃーぎゃーと喧しく騒いで食堂中から視線を集める美少女二人と美女一人ではあったが、その光景に向けて物怖じする事なく歩み寄る人物を見て、多くの人間が驚き、騒めきの声を上げる。


「此処に居たのかね、トランカード枢機卿。一時間後には此方の院で会談の予定だった筈だが、よもや忘れている等ということはあるまい?」


 低い男性の声に、三人がピタリと口を閉ざし、振り返ると――其処にいたのは顰めっ面の、片眼鏡(モノクル)を掛けた壮年の男性だった。

 シルヴィーが面倒臭そうに鼻を鳴らすと、手をヒラヒラと振ってぞんざいに応対する。


「ご機嫌よう、ストラグル枢機卿。忘れてるわけじゃないわぁ。石頭との堅苦しい仕事の時間になる前に、可愛い女の子達とお喋りして気力を充填させていただけよぉ」

「ふむ、ならば良い。無粋は此方だったか。失礼をした」


 面と向かって石頭扱いされた男ではあったが、自覚があるのか懐が広いのか、全く気にした様子も見せずに逆に謝意を述べる。


 トイル=ストラグル。


 奥ノ院に唯一繋がる回廊の存在する参ノ院を管理する、三名いる枢機卿の纏め役にも近い立場の人物であり、順当に行けば次代の教皇になるであろう、とも言われている傑物でもある。

 象徴として長く在位してはいるが、表立って動くことの少ない現教皇に変わり、戦時中は国と国との緩衝や会談を多く取りまとめ、前線に立つ者達が十全に力を奮える様にと万全の体制を構築してきた、影の功労者、或いは縁の下の力持ち(真)と称しても遜色ない男であった。

 その分、限られた物資や戦力・人材を無為に消耗する事をひどく嫌い、国の体面を優先するあまり前線の兵達に消耗を強いる等、"やらかした"国々等からは、鉄血宰相ならぬ鉄血枢機卿、等と恐れ混じりに揶揄され、敬遠されている。


 なんにせよ、実質、聖教国の舵取りを行っている人物でもあるので、数少ない例外を除いて対等に話せる人物は少ない。

 トイルは神経質そうな目つきでじろり、とレティシアに視線を向けると、顰めっ面のままで口を開く。


「こうして会話をするのは久方ぶりだな、レティシア殿。去年お見掛けしたときより、随分と顔色も良くなられた。良い事だ」

「どうも、お久しぶりですストラグル枢機卿。御蔭様で最近は心身ともに良好だって胸を張って言えますよ」


 顔は怖いけど悪い人では無い。そう判断しているレティシアは、表情からは分かりづらいを通り越して全く読み取れない眼前の男の気遣いに、軽く笑って朗らかに返答した。

 この場において、唯一、立場と肩書的にトイルと気軽に絡む事が出来ないアンナは口を閉ざしたまま、静かに会話を聞いていたのだが、当の枢機卿が次は彼女の方へと視線を巡らせ、声を掛ける。


「騎士アンナ。聖女の良き話し相手となってくれている様で感謝する――妹御と『彼』が留守の間、いっそう気に掛けて頂くと我ら教会の人間としても愁眉を開く思いだ」

「うぇっ? あ、し、失礼しました。勿論、そのつもりです」


 まさか声を掛けられるとは思ってなかった、そんな驚きをありありと顔に浮かべて返答してしまうアンナだったが、それを気にすることもなくトイルは満足気に頷いた。相変わらず、愁眉を開く旨の発言とは裏腹に眉間に皺が寄ったままではあったが。


「ちょっとちょっとぉ、いきなりやって来てガールズトークに嘴を突っ込んでくるとか、貴方ヒマなのぉ?」

「暇も糞も、一時間後には卿と顔を突き合わせて仕事だよ。酔っ払いと面倒な書類に挟まれる時間の前に、食事を摂って英気を養いに来た」


 卿と違い、此処のパンケーキを朝に頂くのが私のルーティーンでね、とシルヴィーの皮肉に同じく皮肉で切り返すと、トイルは軽く頭を下げて三人のもとを離れていった。慣れた様子で注文しているのを見るに、鉄血枢機卿殿が毎朝パンケーキを食ってる発言は事実の様だ。

 その後ろ姿を眺めていたアンナが、「あー、びっくりした」と零す。


「話しかけられたときは驚いたけど、おっかない雰囲気と違って意外ととっつきやすい人っぽい?」

「まぁ、そんな感じだな。他国だと一部の連中には毛嫌いされてるらしいけど、教国(ウチ)じゃ肩書き以上に尊敬されてる人だと思うぞ」

「石頭だけどねぇ」


 最後にシルヴィーが混ぜっ返す様に皮肉るが、そう言う彼女もトイルの有能さと糞真面目さには一定以上の信頼を置いている。

 枢機卿という位にある以上、結界や魔法に秀でているのは言うまでも無い事だが……それ以上に、戦時中のトイルは政治力や各国のバランサーとして大きく貢献していた、言うなれば後方支援の鬼だ。

 前線で名を馳せた戦士たちの様な分かりやすい英雄性は皆無だが、その英雄達から高評価を得るタイプの上司である。


「そういえば、帝国(ウチ)の陛下も「昼行燈よりよっぽど付き合いやすい、ウチにきてくんねーかな」とか言ってたっけ……だとすると、噂の方はやっぱデマみたいだね」


 やや温くなったスープを匙でかき混ぜながら呟くアンナの言葉に、レティシアが不思議そうに首を傾げる。


「なんだよ噂って? オレはそんなの聞いたことないぞ」

「そりゃ聖女様相手にしょーもない噂を垂れる奴もいないって……っていうかアンタはここ最近はずっとアイツにへばり付いてたじゃないの。噂なんて耳にも入らないでしょうに」

「へばり付く言うな」


 レティシアの突っ込み代わりのチョップを額に受けながら、アンナはチラリとシルヴィーへと視線を飛ばす。

 どうやら、彼女の前ではやや話づらい内容の噂らしいが、シルヴィーのほうも既にその話は聞き及んでいたらしく、特段気にすることもなく肩を竦めた。


「別に気にすることじゃないわぁ……単に、現職の枢機卿の内、何人か――或いは全員が退いて、聖女様にその座を譲るべきではないか、なんて話がちょっと広まってるだけよぉ」

「いやちょっと待ってくれ、それ十分に大事だって」


 うげぇ。

 そうとしか形容しようの無い、心底嫌そうな表情でレティシアが顔を顰める。


「一体誰だよ、そんな噂広めてる奴は。現枢機卿の全員に失礼だろ」

「特定の誰か、というより聖女姉妹(アナタたち)に特に傾倒してる若いコ達を中心にして、そんな話が持ち上がってるみたいねぇ」

「マジかよ……勘弁してくれ……」


 頭を抱える当の聖女様ではあったが、アンナがその肩を軽く叩いて「アンタも大変ね」と笑いながら慰めを入れると、顔を上げて恨めし気な目付きで友人を睨め付ける。


「お前なぁ、他人事だと思って軽く言ってくれやがって」

「実際他人事だしねぇ……にしても、最近聞いた噂だと枢機卿の内の誰か、ってだけじゃなくズィオロ枢機卿が引退するべき、って話もあったんですけど……出所が違うんですかね?」


 最後は、シルヴィーに問いかける様な口調で放たれたアンナの言葉に――何故か聞かれた当人は真顔になって考え込む様子を見せた。

 予想していなかった反応にアンナが怪訝な顔をしていると、レティシアが馬鹿馬鹿しいといわんばかりに鼻を鳴らして、すっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干す。


「ズィオロ枢機卿だって、結界魔法と大地の魔力の親和性を高める新理論や、邪神に汚染された大地の除染魔法を開発した人だろ。普通に魔法史の教科書に名前が載るのが確定してるような人の後釜とか、絶対ゴメンだぞオレは」


 というか、誰の後釜も無理だ、出来る気がしない。と、自信満々に言い切る聖女に、アンナも呆れ顔だ。とはいえ、気持ちは理解できるのだが。


「……まぁ、そうは言っても、レティシアちゃん達を次代の重職(ポスト)に、っていう声自体はあちこちから定期的に上がるのよねぇ」


 なにやら考え込んでいた現職の枢機卿が、ポツリとレティシアにとって寝耳に水であろう事実を告げた。

 聖女という教会の看板ともいえる称号。それに見合うだけの外見的な魅力――なにより、大戦で成し遂げた様々な偉業ともいうべき功績。

 当人にそのつもりはなくとも、彼女達の放つ輝かしい経歴は、誘蛾灯の様に様々な人々を惹きつける。

 それこそ、聖女派、などという本人達にとっては迷惑極まりない派閥を、ともすれば勝手に形成しかねない程に。


 ――まぁ、それを実際にやってしまうと最悪の場合、害意あり、とカウントした赤光を放つ死神が腰をあげてしまうので、派閥形成にブレーキが掛かっているのが実情だが。


 自分を取り巻く現状を知ってか、一気に暗澹とした面持ちとなるレティシアだったが、そんな彼女にシルヴィーが丁寧に《《期待》》を押し隠しつつ、傍目には極めて気軽な様子で問いかける。


「今じゃなくても、そうねぇ。将来的にはレティシアちゃん、枢機卿やってみたりしないかしらぁ? おねぇさんが人脈の受け渡しでも後見人でもなんでもやってあげるけどぉ」

「うえぇ……勘弁してくれよ、シルヴィーさんまで変な事言い出さないでくれ」


 (ビネガー)でも飲んだ様な表情で顔を顰める金色の聖女だったが、しかして酔いどれ枢機卿が至極真面目な顔を作って悪魔のごとき誘惑を囁いた。


「確かに面倒も多く付きまとうけど、レティシアちゃんにとって悪い話ばかりでもないのよねぇ……例えば、教国は教義の関係もあって一夫一妻だけど、大戦終結の立役者の聖女が、枢機卿まで兼任すれば、その辺りを変えることも難しくないでしょうしぃ」

「んなっ……!」


 頬を林檎の様に染めて絶句する少女であったが、忙しなく視線を上下左右させ――ややあって、目を逸らしながらちいさな声で「お、覚えておきます……」とだけ呟いた。

()()()()()()に、シルヴィーが内心、小躍りしそうな心持ちで更に言葉を募ろうとすると――。




「将来の展望を語るのも良いでしょう。ですが、まずは本日の仕事を済ませてからになさい」




 鋼を思わせる硬質な声が直ぐ背後から聞こえ、反射的に背筋を伸ばす。

 恐る恐る振り向いた先には、聖教会最古参にして最()の御意見番、シスター・ヒッチンが真っ直ぐな立ち姿で三者を見下ろしていた。

 シルヴィーの顔から血の気が引き、頬が引き攣る。


「おはよう、ヒッチンさん。もうこんな時間か、少し話し込み過ぎたかな」

「おはよーございます、シスター。私はちょっと食べ足りないから、ダッシュでおかわりしてくるわ」


 食堂に飾られた柱時計の示す時間を見て、少女二人が慌てて予定に合わせた行動に移った。


「はい、おはようございます。騎士アンナ、健啖なのは良い事ですが、食事は慌てず落ち着いて摂る様に」


 席を立って、他の面々に挨拶して食堂を出てゆくレティシアと、シスター・ヒッチンの言葉に「はーい、気を付けまーす」と返事をして小走りに厨房の注文口へと向かうアンナ。

 二人きりになり、数秒の沈黙が訪れるが……シスターが咳払いをすると、シルヴィーの肩がビクリと震える。


「それで、貴女は朝の挨拶を返してはくれないのですか枢機卿(カーディナル)

「し、失礼しましたぁ、おはようございます、先生」


 慌てたように席を立ち、丁寧に頭を下げる枢機卿とそれに頷いて返すいちシスターという、組織的な視点でみれば珍妙極まりない絵面が展開される。

 ――が、聖殿(ここ)では割と良くある光景なので、誰も気にしない。


「珍しいですね、朝に弱い貴女がわざわざこちらに来て朝食を摂っているというのは」

「た、偶々、早い内に参ノ院での仕事が入りまして……私もそろそろトイルとの仕事があるので、これで失礼しますわぁ」

「まぁ、待ちなさい。そもそも、そのストラグル枢機卿からしてまだ食事中でしょう。彼が慌てていないという事は、時間にはまだ余裕がある――違いますか?」


 チラリとシスターが視線を向けた先には、首を真横にひん曲げて視線を逸らしてパンケーキを食ってる男の姿がある。

 絶対に二人を視界に入れまいとするその表情は、「巻き込むんじゃねぇ! 私は関係ねぇ!」と全力で主張している様に見えた。

 役に立たない同僚の姿に内心で毒を吐きながらも、シルヴィーは引き攣った頬のまま、無理やりに笑顔を浮かべて恩師の言葉をやんわり否定する。


「いえいえ、彼に渡す前の資料を軽く確認するのでぇ……彼より先に執務室に入っておく必要があるんですよぉ」

「そうでしたか、それは素晴らしい心がけですね。引き留めてしまってすみませんでした」


 何とかこの場の離脱が叶い、「お気になさらず、では失礼しますわぁ」と返して、そそくさと食堂を出ていこうとするが。


()()()


 背に向けて、教え子時代の愛称で声を掛けられ、ギシリ、と音を立てそうな程に身を固まらせ、動きを止める。


「丁度良い機会なので、貴女に言っておきましょう……トイルとスカラにも伝えておくように――()()()も程々にしておきなさい」

「……肝に命じておきますぅ……」


 鉄面皮の師より伝えられた言葉に、シルヴィーは項垂れながら、他に返す言葉を持たず。

 そんな二人のやり取りを見たトイルが、頭を抱えているのが見えた。









◆◆◆



「――そんな訳で、聖女達に枢機卿の席を押し……譲る計画……我々の『目指せ、早期引退・セミリタイア☆夢と希望のスローライフにレディー・ゴー大作戦』は暗礁に乗り上げた訳だが」

「その作戦名、やめなぁい? 本気で馬鹿みたいだわぁ」

「「喧しいぞ戦犯が」」


 至極真っ当な発言を述べたシルヴィーであったが、男二人ににべもなく切り捨てられ、不貞腐れた様子で顔を逸らす。


 参ノ院、賓客用の会議室にて。

 定期的な密談を行っていた三人の枢機卿達は、計画していた各々の目標がいきなり頓挫しそうな事態に頭を抱えて項垂れていた。


「そもそも、最初は自重しようという意見で纏まっただろうに。抜け駆けした挙句に藪をつついて竜を叩き起こす様な真似をしくさりおって、この酔っ払いめ」

「舌の根乾かぬ内とはこの事ですね、もうコイツ禁酒させた方が良いのでは?」


 いい年した男二人に大人げ無くボロクソに罵られ、涙目で反撃する。


「なによぉ! それを言うならスカラだって噂の上書きしようとしてたじゃなぁい! 私達の誰か、って話だったのを自分だけに挿げ替え様としてたの、知ってるんだからねぇ!」

「ハァ!? な、何を言ってるのか分からないですし! 全く身に覚えが無いし!」


 お前もか、という目付きでトイルに睨み付けられた髭面の男――スカラが、慌てたように否定するが、もうその反応が既に語るに落ちるを地で行っていた。

 それを見たシルヴィーが鼻息も荒く、同じ穴の貉であった同僚をせせら嗤う。


「自分もやらかしてた癖に、私一人を攻め立てて被害者面とか笑っちゃうわぁ。アンタこそ土いじりを禁止しなさいよぉ」

「ざっけんなフィールドワーク出来ないくらいなら死ぬわそっちこそ同罪なんだから禁酒しろ」

「お酒が飲めないくらいなら死ぬわぁ」

「反応が私と同じじゃねーか! そんなんだから嫁の貰い手が無いんですよヘブォ!?」

「そんなに地面が好きなら一生這わせてやるわよぉ、この地質オタぁ!」


 これが数々の実績とそれに裏打ちされた実力を持つ、教会最高位の権威を持つ者達である。

 しつこい様だが、バーカバーカ、酒臭い行き遅れぇと罵ったり、それにブチ切れて魔力弾で顔面を殴打したりしてるコイツらが、聖教会の枢機卿である。大事な事だから二度言った。


 椅子を蹴倒し、卓をひっくり返して繰り広げられる良い年した男女の子供の様な争いを眺めつつ、トイルが沈痛な面持ちで呟く。


猟犬(かれ)が帰って来てくれた事で、凍結していた計画も再始動出来ると思っていたのだが……こんなにも早く頓挫の危機を迎えるとはな」


 その言葉に、魔力弾の軌道を操作していたシルヴイーと、卓を盾にしてそれをやり過ごしていたスカラも動きを止めて、揃ってバツが悪そうに天井を仰いだ。


「まぁ……仕方ないわぁ……猟犬クンが帰ってくるまでは、とてもじゃないけどあの子達に重職を押し付けるなんて、出来そうになかったものぉ」

「というか、あの状態の彼女達にそんな無体を働いたら、普通に畜生じゃないですか。有り得ないですよ」


 そんな訳で、ほんの二ヵ月程前までは、涙を呑んで生涯現役も覚悟していた彼らだったのだが。

 まことにめでたい事に、『彼』は帰って来た。聖女達だけではない、三枢機卿にとっても、その帰還は福音に等しかったのである。

 その福音も、即行で暗雲に包まれて聞こえなくなっているのが現状なのだが。


「……諦めるにはまだ早い。聞けば、婚姻の法改正について語った処、悪くない反応だったというではないか」

「そうですね、先生が釘を刺してきた時点で、猊下も気付いているでしょうが……本人が乗り気になってくれたのなら、まだ望みはあります」


 前途多難ではある、が、望みが潰えた訳では無い。

 そう、己を慰める事にして、ひとまず彼らは自身を納得させた。


「あぁ、折角戦争も終わったんだから、思う存分各地の地質調査をしたい……というか遠話の魔道具貸し出したときに霊峰の土を持ち帰ってくれる様に『彼』に頼めばよかった」

「私はさっさと引退して、小さな醸造所でも買い取ってそこで暮らしたいわぁ……お酒を飲みながら、酒造りの得意な旦那様とのんびり過ごしたぁい」

「醸造所と違って、結婚相手は買い取れないんですよ?」

「今すぐ大好きな土に還してあげましょうかぁ」


 再び魔法と卓を用いた攻防に移りそうな同僚二人を眺めながら、トイルは再度、溜息をつく。


 二人はまだ良い。自分よりは一回り以上若いし、或いは聖女達以外にも有力な後釜が後年見つかるかもしれない。

 だが、自分にはもう後が無い。

 あの老人は、戦争終結したからと言って先に()()()気満々なのだ。

 冗談ではない。今のままでは、引退どころか新教皇の座までノンストップで真っ逆さまである。

 あのクソジジイが胡散臭いくらいに爽やかなスマイルをばら撒く若者であった、数十年前。

 若くして教皇となった、当時はまだ素直に尊敬していた先輩の「未熟な自分を支えて欲しい」という言葉に絆され、教会史上最年少の枢機卿にまで上り詰めた嘗ての己を、出来る事ならブン殴ってでも止めてやりたい。

 しかし、現実は残酷。時間が戻せる訳でも無し――ならば、せめて残りの人生を穏やかに、のんびりと過ごしても良いではないか。


 同僚二人と違って、堅物の己には聖職者以外の生き方は出来そうにもない。

 だから、せめて。枢機卿などという重苦しい肩書を誰ぞに投げ渡して、小さな教会でいち神父として、子供達に勉強を教えたりして過ごすのだ。

 どんな仕事でも気苦労や大変さはあるだろう。だが、各国の狸や狐と延々化かし合いをしつつ、膨大な書類や数字と睨めっこする――有り体に言って糞ったれな職場環境と比べれば、天国と言っても良い。

 というか、自分を差し置いて早期引退とかふざけんな、お前らもあと十年は現役でいろ(くるしめ)


 前回の会合では同士だ協力だと、耳に心地良い言葉を口にしたが……トイルにしても、本音はこんなもんである。

 責められる謂れは無い――何故なら、他の二人だっておんなじようなモンだと確信しているから。




 嗚呼、夢のスローライフはまだ遠く。




 残念な本音と本性を、優秀な能力と分厚い外面で押し隠しながら、なるべく早くの引退を夢見て、枢機卿達は今日も多忙な毎日を過ごすのであった。どっとばらい。















トイル=ストラグル


枢機卿で一番の古株、次の教皇を押し付けられそうで内心一番焦ってる人。

自身を古いタイプの石頭であると自覚しているが、それが出来てる時点で石頭ではあるが頑迷では無い。

早く引退して、小さな村の教会とかで、子供達や素朴な村人に囲まれて静かに過ごしたい。



スカラ=ズィオロ


地質オタで歴オタ。三度の飯よりフィールドワークによる実地調査が大好き。

作り上げた魔法や新理論も全部、土絡み。

将来は自分の足で調べ上げた情報で地学を元にした歴史博物館とかを建てたいとか思ってる。

尚、足腰立たなくなって死ぬ迄実地調査を続ける気なので、博物館は生涯拡張され続ける。それも引退できればだが。



シルヴィー=トランカード


酔っ払い。三度の飯よりお酒が大好き。

醸造所のオーナーになれば、好きなだけお酒が飲める! という頭の中が既に酒臭い理論で将来設計を夢見る乙女()。

怒涛のお見合い連敗記録更新中。所詮シルヴィーは婚活の敗北者じゃけぇ……。





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― 新着の感想 ―
[一言] あ、こっちにも投稿されてたんだ。気がついてなかった。はーめるんでも読んでるけど、せっかくだし読み返し気分で読ませていただいたです。 正直、他の二人はともかく、トイルさんはもうトップになること…
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