龍の姫はかく語りき
予定上では、山を下りるまで残り二日、という日の早朝。
今日はいつも聞こえる朝稽古の音が聞こえなくて、どうしたのかと思ったんだけど。
取り合えず、起きて直ぐに練武場を覗いてみると、広場の真ん中でにぃちゃんが静かに座禅を組んでいた。
「おはよう、にぃちゃん」
おはようさん、といつも通りの感じで挨拶が返ってくる。
何はともあれ朝の挨拶を交わして、今日の朝稽古はどうしたのか聞くとにぃちゃん曰く、今日は休み、らしい。
でも、昨日夕飯の席では、後二日だから稽古も詰めに入るって《半龍姫》様と話し合ってたと思うんだけど……どうしたんだろう?
小首を傾げていると、座禅のままのにぃちゃんがお師匠の様子を見に行ってやって欲しい、と言ってくる。
――朝からちょっと様子が変でな。師匠はお前の事をかなり気に入っとるから、話をするなら俺より適任だと思う――頼めるか?
「うん、全然かまわないよ。ここに滞在してる間、すっかりお世話になったしね」
勿論、否は無いので快諾したけど……どうしたんだろう。何かあったのかな?
にぃちゃんも、就寝前に遠話の魔道具で連絡を取ってるレティシアも、ボクが《半龍姫》様に気に入られてるってよく言うけど……そうなのなぁ? あんまり実感は無いんだけど。
特にレティシアの方は、結構本気で驚いてるのが声から感じ取れた。
なんでも、自分に対して、《半龍姫》様は壁というか――遠慮やうしろめたさがあるせいか、あんまり砕けてくれないから、ボクが羨ましいって。
レティシアは過去に《半龍姫》様に一度、邪神討滅に力を貸して欲しい、と直談判した事があるみたい。
多分、にぃちゃんと出会う以前、前の戦争が激化するより更に過去の話だと思うから、今ならそれもリセットされてると思うんだけど。
姉の嘗ての話も気になるけど、今は《半龍姫》様だ。
屋敷に戻って、一通り見て回るけど……何処にもいない。
自室で休んでるとしたら、お邪魔するのもまずい気がするし、どうしようかな。
一応、彼女の部屋へと足を向けながら屋敷の中を歩いていると渡り廊下の裏手――大きな樹がある屋敷裏の小さな庭の様な場所に、その姿が見えた。
こちらに背を向けて、樹の根本で佇んでいる姿からは、特に体調が悪そうとかそういった様子は無さそうなんだけど。
何故だろう、何時もより小さく、そしてひどく寂しそうに見えた。
「あのっ、《半龍姫》様」
気のせいかもしれないけど。
その背中に、ほんの数か月前まで毎日見ていた、姉や鏡に映った自分の姿が被ったような気がしてボクは思わず声を掛けていた。
普通に近づいたので、彼女が気配に気づいてない筈も無い。
ゆっくりと振り向いた《半龍姫》様の表情は、少なくとも見た感じはいつも通りに見えた。
ううっ、つい咄嗟に話しかけちゃったけど、何も考えて無かった。
「お、おはようございます?」
「――はい、おはよう。どうかしましたか?」
苦し紛れに朝の挨拶を捻りだすと、ちょっとだけ微笑んで挨拶を返してくれる。
くぅ……これちょっと苦笑も入ってる笑い方だよね。そりゃそうだよ、なんで疑問形なんだよボク。
トークで滑った気恥ずかしさを堪えながら、朝稽古が中止になった事の疑問と――にぃちゃんが心配していた事を告げると、《半龍姫》様はほんの少しだけ眉根を寄せて……自嘲する様に一人ごちた。
「えぇ、実は少しだけ夢見が悪かったのです。稽古を始めて直ぐに、今日は中止しようとあの子に言われてしまいました……心此処に在らずを弟子に指摘されるとは、なんとも情けない話ですね」
「夢見、ですか?」
なんだろう、《半龍姫》様も怖い夢なんてものをみるのかな。
思いもよらなかった理由を告げられて、少し驚いたけど……でもちょっと納得した。
怖い夢ではなくても――きっと、哀しい夢ではあったんだろう、って。
少し会話をして、改めて思ったけど……やっぱりさっき感じたイメージは気のせいじゃない。
ほんの少しだけど、何かを懐かしむ様な、それでいて哀しそうな。
押し殺している間に、擦り切れてしまった感情の欠片を久しぶりに手に取って眺めている――そんな風に、見えた。
ボクが突っ込んで聞いて良い話なのか、正直迷いはある。
でも、この場所で何日も過ごして、時間と会話を重ねて……龍であること云々を差し引いても、彼女の事はすっかり身内認識になってしまった。
以前から、にぃちゃんに色々な話を聞いてたのもあったしね。なので出来る事なら、抱えている感情が苦しいものであるなら、少しでも楽になって欲しい。その為に力になってあげたい、そう思う。
だから、勇気をだして言ってみる。
少しでも話す事が辛そうに見えたなら、きちんと謝って、もう聞かないようにしよう。
「よかったら……本当に《半龍姫》様がよければですけど、どんな夢だったのか話してみませんか? 話すことで楽になる事って結構ありますよ」
「……そうなのですか?」
「はい、そうなんです」
いつも彼女とにぃちゃんがしているやり取りを、態とらしく冗談めかして言ってみる。
そのやり取りのおかげか、ちょっとだけ《半龍姫》様は笑うと、一歩、脇に避けて傍にある木の根元を視線で示した。
そこには、簡素な、だけど丁寧に手入れがされていると分かる、小さな石塚がふたつ並んでいる。
「……お墓、ですか?」
「えぇ、父母と――友人のものです」
埋葬したわけではない、形だけのものですが。と、呟く彼女の表情はとても穏やかだった。
「久しぶりに、貴女やあの子……人とまともに交流したせいでしょうか。懐かしい夢を見ました」
そう言いながら、膝を折って。石塚の片方にそっと指を這わせる。
「夢の中とはいえ、もう見る事の叶わない大切な者の姿を見れたのは嬉しい――その筈なのですけど、ね」
何処か力無く感じる言葉に込められた感情は、それとは裏腹に。
郷愁、寂しさ、痛み――そして愛しさ。様々な感情が溢れているように思えた。
霊峰の頂上に似つかわしくない、どこか穏やかな風が、優しく大樹を揺らす。
「……どこか、貴女に似ている子でした」
言い回しからして、御両親じゃなくてお友達の方だよね?
ひょっとして、ボクが気に入られてるっていうのもその友人が関係しているのかも。
「そうなんですか。会ってみたかったなぁ……ボクと似ているっていうならレティシアともそうだろうし」
「いえ」
少し笑って、片膝を付いたまま《半龍姫》様は振り返った。
「似ているというのは、空気や雰囲気、といった面ですね。外見という点であれば、貴女の片割れにも、貴女にも共通点は少ない――あの子は黒髪でしたから」
「……転移者ってことですか?」
「えぇ」
もう一度、石塚の方へと向き直ると。
それをジッと見つめたまま、彼女は暫くの間、何かに迷う様に沈黙を続けた。
ボクは、何も言わずにただ彼女が口を開くのを待つ。
大切な、だけど、もう居ない"誰か"のことを。
誰かに話す事で楽になる場合もあるけど、言葉にしてしまう事で自分の傷口を抉ってしまうことだってある。
忘れない様に、敢えて何度も抉って二年間を過ごしたボクには、《半龍姫》様が自分と同じ選択をしたとしても止める資格が無い。
だから、せめて。
その、大切な友達に関わる事を語るのが、彼女の気持ちが晴れる切欠となることを祈って、ボクは《半龍姫》様の言葉を待った。
「……私は」
そして、躊躇いがちに、桜色の唇から言葉が零れだす。
「私は、恐ろしいのです……父や母、あの子と過ごした記憶が、褪せてしまうのが」
それは――。
この世界における、最高位階にあるとまで言われた存在にはあまりにも似つかわしくない言葉で。
だけれど、誰もが当たり前に持っている感情だった。
「我が半身はまがりなりにも龍。物理的な記憶の摩耗とは無縁です――ですが、それ故に、龍であるが故にそちらに傾いてしまったとき、この記憶が、この想いが、己の中で変質してしまうかもしれない――それが何よりも、恐ろしい」
膝の上に乗せられた手が、震える程に握りしめられていて……彼女が本当にソレを恐れている事がありありと分かった。
なんとなく、意味は伺える。
本来、龍とは自然の化身。空の、大地の、世界の意思の代弁者。
あらゆる生命の頂点にして、最も神様に近い超越存在だ。少し魔法をかじった事がある人なら誰だって知ってる。
だから、その在り方に相応しく、本来は人間とは全く異なる価値基準を持っているものなんだと思う。
けれど《半龍姫》様はその通称のとおり、半分は人間だ。
持っている力が、本来の龍と比べても遜色無いものだとしても、その在り方と心は、ものすごく人間に近いんだ。
だから、遥か昔に失った大切な人たちを、こうして今でも想い続けている。多分、これからもずっと。
だけど、今の自分の――人間に近い精神構造が、龍本来の超越者としての永劫不変に変わってしまったら。
今まで自分にとって何よりも大切であった記憶が、思い出が、そうではなくなってしまうんじゃないか。
彼女にとって、それは何よりも恐ろしくて――忌避すべき事なんだと思う。
話を聞くついでの形ではあるけど、彼女の色々な逸話や、立ち位置に関する疑問が氷解した。
空や海にも、等しく穏やかなときと荒れ狂うときがあるのに、彼女が後者の面を見せた事は歴史上でも数える程しか無く。
また、自然の化身でありながら、世界を穢し、壊そうとする邪神に対してすら不干渉を貫いた、徹底した世捨て人染みた在り方。
《半龍姫》様は、自身が本気で龍としての力を振るう事で、その心が龍のソレへと近しいものに傾くことが嫌だったんだ。
正確には、そうなってしまうことで、自分にとって大事な人達の記憶と想いが、ただの記録という認識に変わるのを恐れた。
それを身勝手という人もいるのかもしれない。世界の危機をどうにかできる力があるのなら、身を粉にして捧げるべきだと主張する人もいるのかもしれない。
けれど、ボクはそうは思わない。
それこそ、にぃちゃんならそういった声を聞いても鼻で笑って、負け犬乙。まずは自分で死に物狂いでなんとかしてみるべき。と一刀両断しちゃうのが目に浮かぶ。
実際、無謀でも暴論でも、それで邪神討滅しちゃった人なので、世界中の誰も反論不可能っていうね。多分、分かった上で言うだろうから、滅茶苦茶タチが悪いと思うよ。
何よりも――それこそ世界よりも大切なものがあって、その為に"戦わない"選択をしたというのなら……それだって立派な答えだ。
ただ、《半龍姫》様にとって世界よりも大事な人達が、既に思い出の中にしかいない事が、少しだけ淋しいと思ったけど。
ボクが色々と思い至った事は、察したんだと思う。
《半龍姫》様は、ちいさな声で石塚に向き合った――こちらに背を向けたままの姿勢で呟いた。
「このような臆病な在り方が、それを良しとしたのが、私なのです……失望されても仕方のない事だと思います」
「失望なんてしません」
それだけはハッキリと否定しておきたくて、殆ど被せる様に即答する。
「大切な人を失くして、残った思い出を護ろうとした人の選択を、臆病だなんてボクは思いたくない。ボクだけじゃないです、レティシアも、にいちゃんも、シスター・ミラだって。《半龍姫》様の事を知れて良かったって思うことはあっても、絶対に失望なんてしないと思います」
最後に、冗談めかして付け足す。
「レティシアなんて、ボクが《半龍姫》様と仲良くなったって言ったらすごく羨ましがってましたよ? 自分には変に遠慮してるのにーって」
言い終えるやいなや、《半龍姫》様の反応は劇的だった。
勢いよくこっちを振り向いて、表情は驚きを隠せないままに。その不思議な光彩に彩られた龍眼が見開かれている。
「羨ましいと、そう、言ったのですか……貴女の片割れの、あの金色の神子が?」
呆然としながら漏れ出た掠れ声は――聞き違いかもしれないけれど、震えてすらいたと思う。
一緒に過ごした十日足らずの時間の中で、見た事もない大きな動揺を見せる彼女に驚きながら、ボクは戸惑いを押し殺して首肯した。
「はい、昨夜も言ってました。以前、助力を断られた事は、自分は全然気にしてないんだからもっと自然体で接して欲しいって」
そう、姉の望みを伝える形で彼女に告げると、《半龍姫》様は目を伏せ、「あぁ……」と、胸に詰まった感情を吐き出すように吐息をつく。
「強いですね、彼女は。本当に……本当に強い。幾度となく世界を回帰させ、その度に多くを失ってきたのでしょうに……その強さに、その真っ直ぐな心根に、敬意を」
その言葉に、今度はボクが驚いて――次いで納得した。
「そっか……《半龍姫》様は知っていたんですね。姉が――レティシアが『繰り返して』いる事を」
「えぇ、知っていて尚、私は彼女への助力を拒みました……故に、恨まれていて当然だと、私を憎むのは彼女の権利ですらあると、愚かにも思っていたのです」
侮っているにも程がありましたね……と、恥じ入って小さくなる《半龍姫》様に、ボクは敢えて笑いながらフォローを入れる。
「それなら……今度会うときには、変な遠慮とかは取っ払って普通に対応すれば良いと思いますよ。それが一番本人も喜ぶでしょうし……ふんぎりが付かないなら、ボクも協力するので思い切って全部ぶちまけて謝っちゃいましょう!」
そう、笑顔を向けて提案しながら、膝をついたままだった彼女に手を差し出した。
そんなボクを、どこか眩しそうに、何かを懐かしむ様に、眼を細めて、見つめ返して。
「――そうですね、そのときが来たら、お願いできますか?」
ふんわりと、花がほころぶ様な優しい笑顔を見せて、《半龍姫》様は手をとってくれた。
わ、綺麗な笑顔だなぁ……これ、ひょっとしたらにぃちゃんやシスターだって見た事無いんじゃない? ――そうだとしたら、後でちょっと自慢できるかも。
なんにせよ、ちょっとでも元気が出たみたいで良かった。
そのまま、手を引いてあげると彼女は立ち上がって――唐突に表情を厳しいものに切り替え、屋敷の方を……正確には、その遥か向こうを険しい眼で見据えた。
どうしたんだろう、と思ったけど、その背からにぃちゃんとの稽古のときでさえ欠片も発していなかった戦意を感じとって、ただ事では無いと意識を切り替える。
「麓の方で、悪性の呪詛の胎動を感じました――微弱ですが、間違いなくかの悪神のものです」
「ッ! ――邪神の信奉者達がいるってことですか!?」
この地の特異性、不可侵性を考慮すれば、あんまりにも予想外だった言葉に、ボクは驚愕した。
もう瓦解して散り散りになった、残党と呼べるかも怪しい戦力なのに、なんで《半龍姫》様のお膝元の霊峰に……いや、違うよね。
「……追い詰められているからこそ、なりふり構わなくなったってことか」
大戦中、健在だった邪神が万が一にも敵対することの無いようにと、人類側と示し合わせた様に不可侵を選んだ、己を打倒しうる超越者、龍の姫君。
命を下した邪神自体が居なくなったことで、何某かの大掛かりな――一発逆転を狙って《半龍姫》様に何か良からぬことをしようとしていると考えれば、納得のいく話だよ。
正直、連中にどんな手札があろうと――それこそ、過去にボクが自分諸共に封印した上位眷属並みの戦力が複数揃っていたとしても、《半龍姫》様をどうにか出来るとは思えない。
でも、ボクは彼女が大きな戦いを拒む理由を知ってしまった。
なら、教会の聖女としても、ボク個人としても、取るべき行動は一つだ。
「《半龍姫》様は、屋敷で待機していて下さい――いつも通り、お茶でも淹れて一息ついてもらえれば、その間にボク達が終わらせます」
連中が何人で行動しているのか知らないけど、《半龍姫》様を標的にしているのなら数人なんて事はない筈だ。
そして、大人数で邪神の信奉者達が行動しているのを、ボクの先生が気付かない訳が無い。
なんか筋肉の声が聞こえた気がした、とか言って隠れ潜む集団に向けて突撃しているのが目に浮かぶよ。
《半龍姫》様が察知した気配も、先生との戦闘で隠蔽が難しくなったせいと考えれば、納得しかない。
なら、例え先生から逃げおおせたとしても、その戦力は半減……大きく削られている筈だ。あの人ならどんな相手であれ、それくらいはやってのける。
道中のおっかない霊獣や精霊達の事も考えれば、気負う必要すら無い、圧倒的な戦力比の防衛戦。
万が一に備えて、油断だけはしない様に気を引き締めるけど……それも杞憂に終わるんじゃないかって思えてしまう。
――だって、いまボクらの側にはにぃちゃんがいる。
例え、想定外や予想外の出来事が起こっても、にぃちゃんなら全部引っ繰り返してしまう。
そう信じているというより、今まで全部が全部そうだったっていうだけの、ただの事実。
そう、後ろにボクが、レティシアがいるなら、にぃちゃんは負けない。
その背中に、そんな子供じみた願望を抱いて、いつだってその勝手な期待に応えてくれて。
ときには期待以上にやらかして、悲劇を覆すのではなく、喜劇に置き換えてしまうのが、ボクの、ボクとレティシアのヒーローだ。
「……おそらく、狙いは私でしょう。降りかかる火の粉を払う程度の事は忌避するつもりはありません、私が……」
「大丈夫! ボクとにぃちゃんに任せて、《半龍姫》様はドーンと後ろで構えていて下さい! 大戦中だって、ボクたち二人でこう、連中を千切っては投げ、千切っては投げしてきたんですから!」
「そうなのですか……? ですが、あの子は既にかの者共の気配に向けて、山を駆け下りている最中の様ですが……」
「はい、そうなんで……なんて???」
「あ、今ちょうど中腹辺りまで下りた処ですね……どうやら麓の気配は囮か、敵対者への置き土産で、本命の者達が居たようです……そろそろ接敵するでしょう」
に、にぃちゃーん!?
相変わらず仕事早すぎるよ、せめて気付いたらボク達に一言いってから行動しようよ!
あぁ、もう、にぃちゃんはホントにもうっ!
自分が打って出るから、護りを固めておけって事なんだろうけどさ!
隣にボクがいないと、また無茶をするかもしれないから不安なのに!
帰ってきたらお説教だ、《半龍姫》様にも手伝ってもらうから覚悟しろよ!
◆◆◆
やめてください師匠と二人がかりとかこころがしんでしまいます(白目
急に怖い電波を受信した様な気がして、身震いする。
……ちょっと山を下りて害獣を狩ってくる、くらいは言っとけば良かったかもしれん。
でも、うまい事隠れ潜んでるのか何か知らんが、すげー速度で登って来てたからなぁ。
あんまり近寄らせたくも無いし、さっさと迎撃に出たかったのだ、仕方ないね。
さて、なんのつもりか知らんが、霊峰の不可侵ルールガン無視でやってきた邪神の信奉者はあそこか……。
背の高い樹木の上から見下ろすと、そこには魔術師という共通点以外は、バラバラな恰好をした連中が各々浮遊板に乗って移動していた。
纏め役らしき若い男を先頭に、十人程度の集団が霊峰の空気におっかなびっくりと言った様子で辺りを見回している。
……なんか先頭の男以外はへっぴり腰だし、明らかに周辺の獣の気配に脅えてるし、とてもじゃないが霊峰を登れるような実力があるとは思えんなぁ……。
その分、トップらしき男の隠蔽の魔法は凄まじい精度だ。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね(ガチ
残念ながら、俺の女神様印の特典は連中の御本尊である邪神の隔離空間ですら飛び越えて、奴本体を知覚できる代物だ。
かくれんぼが得意みたいだが、俺は鬼役をやって信奉者を捕まえ損ねた事は無いねんで。
とりあえず、気配を殺したまま樹上で待機し――最後尾の奴が下を通り過ぎると同時に、背後に音を立てずに着地。
介錯人よろしく、皮一枚残して手刀で首を刎ねる。
絶命した相手を抱えて跳躍し、再び樹木の枝上へ担いだ死体ごと戻った。
死体の乗っていた浮遊板が力を失い、音をたてて霊峰の地面を転げ落ちて、乾いた音を立てる。
連中が、一斉に振り返って背後を注視した。
乗っていた男がいないと騒ぎ出すのを樹の上から確認して、鎧ちゃんの静音性を保ったまま起動率を上げ、跳躍。連中の進行方向にある樹の上に着地すると、抱えたままだった死体の脚を適当に毟っておいた蔓を使って括り、枝と結び付けて蹴り落とす。
枝葉をかき分ける落下音に、視線が前方へと戻ると――仲間が首無し死体になって逆さ吊りで降ってきた事で、悲鳴混じりの絶叫が上がった。
んー……これで先頭の奴が動揺して隠蔽を解除してくれたら、霊峰の住民達と一緒に囲んで袋叩きに出来たんだが……大して動じてねぇな。
第一印象の通り、あの男だけ突出してる感がある。
逆に言えば、そいつ以外は明らかに場違い――雑魚って訳じゃないんだろうが、少なくとも霊峰に挑めるようなレベルじゃない。
……なーんか腑に落ちねぇな。ヤケクソでお師匠を狙ってるにしては、隠蔽は相変わらず滅茶苦茶丁寧だし。
背を向けて山を下りる方へと逃げ出した別の奴の頭に、さっきチョンパした首を投擲する。
ちゃんと鎧ちゃんのアシストも使って放った生首弾丸は、逃げ出した男の後頭部に情熱的なキッスを交わして諸共に爆砕した。
当然、投擲後にすぐに別の樹に飛び移って、射線からの発見は逃れている。
――そろそろ頭上に意識が向くかね? 降りるか。
男たちの進行ルートから外れた、少し奥の木々へと跳び移ってそこから地面へと降りる。
なるべく鬱蒼とした茂みの中へと身を隠しながら、怯えながらゆるゆると登頂を再開した連中と平行して俺も移動する。
チラチラと上ばっかり気にしてるのは危ないぞ。まぁそうなるように布石を打ったのは俺だけど。
全員の視線が上方に向いたタイミングを見計らって、一瞬だけ鎧ちゃんを完全起動。
地面スレッスレの低空で跳躍し、男達を挟んで向こう側の茂みに飛び込む一瞬に、手刀を振るって擦れ違いざまに二ツ胴を腰から下で斬り落とす。
注視していた処で、黒い影が一瞬横切った様にしか見えなかっただろうし、頭上に注意と視線が向いていたなら何が起こったのかも分からんやろ。
輪切りになって崩れ落ちる同僚二人に、更にぎゃぁぎゃぁと喚きだす残念集団を眺め、さて、詰めをどうするかと思案する。
「ふざけるな! 何が隠形は有効だ、だ! 完全に狙われているではないか!」
「このままでは嬲り殺しだ、壁役を召喚させろ!」
目を血走らせて先頭の男へと詰め寄る他の面子に、男が平坦な口調のままで説き伏せるのが聞こえた。
「落ち着け、現状、確かに我が隠術は機能している。効果が無いなら、今頃この山にいるあらゆる獣共に集られ、我らは骨も残っていない」
おそらく、こちらの隠形を見抜くだけの実力者が《《一人》》。此方を陰に紛れて強襲している。と推測を述べる男に、俺は少し関心した。
へぇ、後手後手に回ってるとはいえ、相手が獣じゃなくて人間だと理解はしてるんだな。
まぁ、樹から死体ぶら下げたり、恐怖を煽るやり方で攪乱するなんて、なんぼ知能が高くても霊峰の動物がやる筈もないしな。
それも分からん位に混乱してくれたなら、もっと楽だったんだが……他の奴らはともかく、あの男はこんな小細工じゃ崩れそうにないね。厄介だこと。
隠蔽が効いてないと主張する割には、本当にそうであれば辺りに響き渡るであろうヒステリックな声音で、男達は先頭の纏め役へと食って掛かる。
いいね、そのまま仲間割れでもして殺し合いまでいってくれ、そうすりゃ残った首を落とすだけで済む。是非ともそのままイっちゃって。
「そもそも、屍使い殿ならば兎も角、何故貴様如きの命に従わねばならんのだ! 若造が図に乗りおって!」
「別動隊といっても、中腹で既に半壊しているではないか! 師には申し訳ないが撤退すべきだ!!」
「然り! ここは捲土重来を期して引くことこそ……!」
おい待てや。
別動隊、師って……こいつら囮かよ。
あー、糞っ。人材はお粗末なのばっかだけど、隠蔽してる奴の技術がホントにガチだから可能性は低いと思ってたんだが……逆張りが正解だったとは。
なんぼ囮っていっても、分割して残した戦力がコレって事は……本命なんて質が高くても片手に余る程度の人数にしかならんだろ、アホか。
こいつらの狙いってお師匠だよな? そんな人数であの人相手に何ができるんだよ、エキセントリックな自殺か?
とはいえ、そのアホの計画に引っかかって囮に食い付いた間抜けが俺だ。
丁寧に安全重視でやってる暇は無くなった。最速で片付ける。
茂みから飛び出そうと、腰を上げると――。
「愚かだとは思っていたが、ここまでだとは師も私も予想外だった」
反吐でも吐き捨てるような、男の声が響いて。
喧しく囀っていた連中も、背後で案山子のように突っ立っていた連中も、全員纏めて頭部が弾け飛んだ。
周囲に赤黒い破片がバラバラと飛び散ると、一拍置いて赤い噴水がいくつも噴き上がる。
「貴様らの喚き散らした戯言自体が、利敵行為だとも気付けぬ、愚昧め」
鮮血をまき散らしながら崩れ落ちた仲間の躯を、ゴミを見る様な目付きで見下ろすと、男はぐるりと辺りを見回した。
「何者かは知らぬが、見事な手並みだ。本来ならもう少し頂に近づいてからこの木偶共を処置したかったが……」
姿の見えない敵――つまり俺に、味方に向けていた視線とは真逆の、素直な賞賛を述べると手に握った短杖を掲げる。
「此処まで来れば、最低限師の命は果たせるであろう。さぁ――我らの神……」
うるせぇ、死ね。
《起動》
なんかやらかそうとしていた男の言葉を待つ事も無く、鎧ちゃんを完全起動。
一瞬で間合いを詰めて、その身体を袈裟懸けに両断した。
同行してた連中を木偶扱いして殺す言動といい、身体に染み付いた死臭といい、死屍使いの類だろ。
わざわざ術が発動するのを待つわけがないよなぁ?
内心で毒づきながら、残心を保って斜めにずれる男の上半身を注視していると――。
台詞の途中で胴を両断されたまま、開きっぱなしだった口から、黒い触手が弾丸の様に放たれる。
おぉっと、生きてんのかい――いや、死んどるわこれ。少なくとも肉体は。
此方の額を狙ったそれを首を傾けて躱し、即座に伸びた触手へと掌底を叩き込んで消し飛ばす。
次の瞬間、左右を挟み込むようにして二体、《氷霜の巨人》の繰屍が高速召喚され、其々にその剛腕を振りかざした。
《流天》を発動させ、左右から迫る打撃を逸らすと、互いにクロスカウンターを決めた様に繰屍同士の頬に拳が突き刺さる。
無防備になった二匹の脇腹に、魔力を練った《命結》の拳をねじ込み、気脈を破壊。死屍使いの魔力で無理やり動かされていた哀れな繰り人形は、真っ当な躯に戻った。
この間、二秒弱。既に男はずれ落ちる身体を泥で補強しながら、後方へと跳躍している。
「ク、ははッ。やはリ、師の慧眼ニハ、おそれイル。更なる不確定ヨウ素を想定シタ囮は正解でアッタ……! よもや、黄泉路から戻ッテきているとはナ――忌まわしき大敵ヨ!!」
あら、バレた。まぁ、鎧ちゃん完全起動してるし、当たり前か。
にしても――奴の言う師とやらが術を施したのか、自分で行ったのか分からんが……自身を繰屍化して操作するとはね。
おまけに、邪神の加護を意図的に暴走させておきながら、自我を保ってるときたもんだ。
死体になった自身に、死霊術を用いて保存しておいた自我をコピペみたいに貼り付け、魔力で操作する。
あくまで自我は外側から加えられた情報なので、肉体が泥に侵食されても関係ない、って事か?
……どのみちロクな方法じゃねぇな。加護の意図的な暴走ってのもそうだ、つい最近、見た覚えがありすぎる。
「キサマが"龍"のモトにいたのハ、大キナ計算違いデハあったガ……師の邪魔ハさせん。我ラの神の恩寵ニ見えるがイイ……!」
危惧した通り、頭部の爆ぜた他の死体からも泥が噴き上がり、うねりながら黒い触手へと姿を変えてゆく。
限定的ではあるが、邪神の加護を制御する手並みは――俺の大戦時の記憶にも無い、新たな脅威だ。
いうて、大本がもう存在しないので、先細って消えていくだけの無駄な技術だが。
隠蔽の魔法はとうに消え去り、無数の泥とそれを従える死屍使い……いや、邪神の眷属擬きは、その邪気を垂れ流しにして霊峰の大地と大気を穢す。
……マズイな。
気配に充てられ、霊峰に棲む獣や精霊達が敵意マシマシで集まってきているが……力は強くても、こいつらへの耐性を持たない此処の連中じゃ、相性が悪すぎる。頂きの近辺にいる奴等ならまた別なんだろうが。
最悪、旺盛な生命力を取り込みまくった泥が高位眷属化しかねん。
本音を言えば、今すぐにでもリアの処に戻りたかったが……癪な話、この状況を放置する訳にもいかず、まんまとその選択肢を潰された形になる。
悲惨な大混戦になる前に、俺が独力で片付けるのが最適解。
上等、つまりいつも通りって事だ。
目の前にいるボットン便所の中身みてーな奴らを始末して、リアとお師匠に今も段々と近づいているであろう、こいつらの本命も追っかけて叩き潰す。
一匹残らず、根こそぎだ。邪神とその金魚の糞共死すべし、慈悲は無い。
大地へと震脚を叩き込み、地を巡る魔力を足裏から吸い上げる。
全力稼働した装甲の魔力導線がより紅く、より強く発光し、唸りをあげて励起した。
鎧ちゃんの魔力も惜しみなく放出し、敵意と戦意を隠すことなく垂れ流す。
こいつは眼前の敵では無く、今にも押し寄せようとしている霊峰の住民達への威嚇だ。
長くは保たんが、暫くは警戒して踏みとどまってくれるはず。
手加減抜きで踏み込む。
鎧ちゃんによって極限まで強化された身体能力は、衝撃波をまき散らしながら音の壁をぶち抜き、地にクレーターを刻んだ。
環境破壊とかあんまりやりたくないが、どの道、邪神の眷属とこの量の泥が顕現した時点でこの周辺の植生は重度の汚染確定だ。後の土地の浄化・回復の補助にもなるし、いっそ更地にするつもりでいく。
眷属化の進む死屍使いの知覚を振り切る速度で間合いに入るが、こちらが視認できなくなった瞬間に、奴は全力で後退しながら泥に呑まれた躯を前に押しだし、壁としてくる。
頭部のあった場所から無数の黒い触手を揺らめかせる躯共から、一斉に泥を用いた攻撃が振るわれるが、《流天》で逸らすまでも無い。
知覚を最大レベルで加速。地を這う様に身を低くし、前にでる。
――0.1秒。
攻撃動作は始まったばかりだ――なので攻撃に移る前の予備動作が終わる一瞬前に、下方から潜りぬける形で突破した。
――0.3秒。
右方の泥の依り代の胴体部分に、掌底を抉り込む。
螺旋軌道を描きながら泥ごと消し飛ぶのを尻目に、《命結》を乗せた手刀を左の個体に叩き込んだ。
魔力噴射も加えて推力を増した一閃は、赤く灼熱しながら脳天から股間まで一気に灼き切り、発生した高熱を伴った真空が後方にいた別個体に直撃して、轟音を響かせて吹き飛ばす。
――0.6秒。
吹っ飛んだ個体に瞬時に追いすがって追撃。縦拳を打ち下ろして地面にめり込ませると、頭部から生えたプ〇ーガみたいになってるキモい触手を踏み砕いて大地の染みに変える。テ ボイア マタル!!
――0.8秒。
この時点で、やっとこ相手の一斉攻撃が背後の地を叩いて、盛大に地べたを侵食した。
自身の屍を操作するとは言っても表情までは再現できないのか、男の顔は能面状態の儘だったが、その眼には分かりやすく驚愕が浮かんでいる。
何が起こったか分からんか? なら分かりやすく言ったるわ――速さが足りない!
別の個体へと一足飛びに間合いを詰め、脚を高々と跳ね上げ、断頭刃の如く振り下ろす。
空中で繰り出した踵落としは、目標ごと大地を爆砕し、飛び散った破片が衝撃に呑まれて消し飛んだ。
依り代ごと黒い染みになって圧潰する泥の向こうから、生き残りが黒い触手を槍衾の様に変化させて打ち込んでくる。
避けても《流天》で流してもいいが――拳を顔の高さにまで上げて構えると、ボクシングスタイルで槍群に向かってジャブを連続で打ち込む。
俺の間合いの外だ。拳打では届かないが……最近開発した鎧ちゃんの装甲を破片化させて発射する小技で、多数の散弾銃を連射した様なストッピングパワーを発揮し、泥の攻撃を塞き止める。
お師匠との稽古では滅多に有用性を示せず、いまいちだと思った新技だったが……牽制には悪くないなコレ。
元が鎧ちゃんの一部だから、攻性魔力は充分に乗ってるが……《命結》の打効は流石に無理か。ま、しゃーないね。
連打連打連打。魔力噴射で小刻みに音速越えステップを繰り返して回避と間合いの調整を行いながら、左ジャブで虚空を叩き続け、破片散弾をばら撒く。
衝撃で押しやられて何体かの泥がある程度一カ所に固まると、《命結》で魔力を練り上げ続けていた右の手刀で、周辺の樹々や岩ごと纏めて横一文字に両断した。
《三曜の拳》による攻撃は、威力も申し分ないが魂を起点とした力の流れを正しい形――世界にとって自然な形へと導く特性も持っている。
なので、繰屍や邪神関連みたいな不自然と歪の塊みたいな相手には耐久性を無視した特攻が入るのだ。
邪神の信奉者で死屍使いとか相性最悪の筈なんだが……なんでこれで《三曜》の開祖であるお師匠にちょっかい出そうとした?
余程の阿呆でない限り、根本的な力の差に加え、相性まで最悪と来たらこんな暴挙には及ばない。
新たに大量の繰屍を喚び出し、自身の前に盾として配置して、徹底的に時間を稼ぐ態勢の死屍使いを、腹底を探るつもりで観察する。
ここまで執拗に手を打ってる男とその首魁が、そんな脳足らずとも思えん。
……何かあるのか? 師匠を――《半龍姫》を相手にして、勝ちの目を生み出せる様な"何か"が。
そこまで考えて……思考の愚を悟って考えを打ち切った。
馬鹿馬鹿しい。無駄な事を考えすぎだ。
何の為に此処で戦ってるのか思い出せ。
相手に何らかの鬼札があろうが、例えそれが師匠を害しうるものであろうが関係ない。
何があろうと――それらを全部根こそぎ台無しにしてやるのが俺の仕事だ。
ならば、尚の事ここで時間食ってる場合じゃねぇ。
多少のリスクは無視して、次の一手で盾役ごとぶち抜く。
再度、《地巡》で魔力を巡らせて、鎧ちゃんに注ぎ込んで火を入れる。
腰を落とし前傾姿勢になると、最大出力で突撃を開始しようとして――。
「猟犬殿ぉぉぉっ、助太刀いたしますぞぉぉぉぉぉっ!!」
ビリビリと樹々を震わせるような大音量が響き渡り、上空が陰ったかと思えば。
空から筋肉を背に乗せたデカい大狼が降ってきた。
えぇ……なぁにこれぇ(困惑
ガンテスと――《霧狼》やんけ、どういう組み合わせだコレ?
も〇のけ姫に出てきそうな白狼とそれに乗った半裸のガチムチという眩暈のする光景に、脳がショートしそうになる。
「麓で信奉者の集団と遭遇しましてな! 我らで撃退しようとした処、恥ずかしながら取り逃がしてしまい、こうして追撃に参った次第です!」
騎乗したまま、上からガンテスが手短に経緯を語ってくれるが――下の白狼が身じろぎして唸り声をあげた。
ケモリンガルでも何でもないが、何言いたいのかは俺でも分かるぞ。多分これ「重いからさっさと降りろ」って言っとるやろ。
余程嫌そうな空気を出していたのか、ガンテスも察した様だ。「む、これは失礼」と呟いてひらりと白狼の背から飛び降りて、オッサンは、眼前の泥と繰屍の混成軍を睨み据えた。
「こちらでも疑似的な眷属化を行っているとは……明確に技術化された手法と判断するべきか、厄介な」
――みたいだな。ついでにいうなら、この集団を率いてる後ろの奴……自分を繰屍化させて操ってるぞ。
「神をも恐れぬ生命への冒涜ですな。全く以て度し難い」
肩を並べて好き勝手に酷評する俺達に、死屍使いの男は動かない表情のまま、嘲りと憤慨をない交ぜにした引きつった笑い声を上げる。
「ク、ひ、ヒヒヒハ。神とハ我らの戴ク御方のみ。ソ、ノ祝福ヲより強く、確かニお受けスル為のォgじいr、g、ス、崇高ナ研究の成果ヲ理解セヌ、キ、教会の狗風情ガ」
じりじりと眷属化の進行が深まっているのか、ノイズの混じりの雑音の様な音が、男の喉から粘性を湛えて垂れ落ちる。
……この男、どうやら相当な量の加護を注がれていたらしい。
このまま放置しているだけでも、時間経過で上位眷属化するかもしれん、さっさと片付けよう。
頼もしい加勢が一人と一頭加わり、いざ一気に攻勢・殲滅へと踏み出そうとすると、その助っ人本人から待ったが掛かった。
「ここは我らにお任せを。猟犬殿はアリア様と《半龍姫》様のもとへお急ぎ下さい」
ずいっと前に出て、そのぶっとい腕で俺の前を遮りながらガンテスは危惧を口にする。
「あの男の師……首魁である屍使いは、麓で取り逃がした際に見た手際からして、相当に厄介な手合いである筈――万が一に備え、御二方と一刻も早く合流なされませい」
強い口調で断定するおっさんの隣に、白狼が静かに並び、その金の瞳で此方を睨みつけて来た。
"譲ってやってるんだからさっさと向かえ、あの人が傷でも負ってたらお前を咬み砕く。"
目は口ほどにものを言う、という言葉がピタリとはまる程、明確な意思が込められた視線に押され、俺は即座に決断した。
――任せた。
「――承知! 任された!!」
大地を力強く踏み込んで構えを取るガンテスの返答と、戦意に満ちた白狼の咆哮が重なる。
呪わしき死者の群れと、それに立ち向かう一人と一頭の激突によって生じた轟音を背に、俺は大きく跳躍し、戦線から離脱すると来た道を駆け戻る。
既に早朝から刻が空け、陽が高く登るべき時間だが……。
霊峰の空には不吉な未来を示唆する様に、暗雲が垂れ込めていのだった。