霊峰での各々(後編)
苦悶の表情を浮かべた死霊の塊が、雪を穢す様にぶち撒けられる。
白く染まった雪面だけでなく、その下にある大地まで侵食するように、強酸が染み込む様な音を立てて死霊は弾け飛んだ。
――だが、本来狙った相手には掠めもしていない。
霊峰の麓、その雪原を更に白く染めるが如く、色濃く満ちた朝霧の中を霧の一部と見紛う白い四肢が駆け抜ける。
朝靄に同化する様に半ば姿を消しながら、音も無く邪神の信奉者達に爪を叩き付けたのは、真っ白な毛並みの大狼だ。
擦れ違いざまに半身を抉られた男が、鮮血と内臓をばら撒きながら雪の上に転がった。
「おのれ、畜生風情が!」
仲間を殺されたせいか、単に良い様に翻弄されているが故の怒りか、駆け抜ける獣の背に罵声と共に様々な魔法が放たれるが、白い毛並みに覆われた体躯が霧に同化するかの様にかき消え、悉く不発となる。
「また消えたかっ! 厄介なっ」
「間違いなく高位の霊獣だ! こちらの障壁を容易く貫いてくるぞ!」
「魔力障壁では駄目だ、繰屍か召喚魔法を使って壁とせよ!」
口々に警戒の怒声をあげながら、男達は手近な者と背中合わせになって死角を消し、様々な生物や死せる繰り形を喚び出す。
「ちっ……霊峰の最上位――主級がこの様な麓をうろついておるとはな……」
喧々囂々に霊獣――《霧狼》と呼ばれる白狼の対処に追われる配下を眺めながら、一歩引いた場所で戦闘を俯瞰していた老年の屍使いが、忌々しそうに舌打ちした。
「如何に力に溢れていようが、所詮は獣――そう、思っていたが……」
無造作に杖を掲げると、足元から飛び出すように、ここ数日の間に傀儡とした《氷霜の巨人》の屍が召喚される。
直後、青白く凍った巨体の右腕が千切れ飛び、それを為した影が軽やかに跳躍して屍使いの頭上を越えて背後へと降り立った。
食い千切った巨人の右腕を吐き捨てると鋭い視線を向けてくる白狼に、屍使いは寧ろ関心した様な表情をみせた。
「やはり部下共を相手にしながら此方を伺っていたか。儂を群れの長と判断しながら、直ぐ様に牙を向けるのではなく、隙を晒す瞬間を狙う……此方の役立たず共より余程頭が回るとみえる」
追加の《氷霜の巨人》の屍を喚び出して壁を作りながら、屍使いは杖先に魔力を充填させる。
「少々予定外ではあるが、まぁ、よい。大狼よ、貴様の躯があれば他の主級の攻略も容易かろう。我らの神に捧げる贄となれ」
再び霧と同化する白狼へと、風を纏った魔力が叩きつけられた。
既に姿を消した巨躯へと向け、嘲るように鼻を鳴らすと、屍使いは強風によって散らされた霧が再び立ち込める前に、《氷霜の巨人》に冷気を操らせ、霧を無数の氷塊へと変える。
「ふん、やはり霧が無ければあの隠形は不可能か」
その間に白狼の強襲が無い事に自身の推測への確信を強めると、男は配下へと一喝した。
「狼狽えるな馬鹿者共が! この様な早朝にアレが襲撃をかけてきたのは、この時刻こそがアレの得意とする濃霧が辺りに満ちる刻であるからだ!」
さっさと霧を散らせ、愚図め! という屍使いの言葉に、配下の男達が慌てて風の魔法やこの地で手に入れた氷を操る繰屍を用いて周囲の朝靄を払い始める。
「師よ、主級の隠形を潰したお手並みは流石ですが……少々時間を掛け過ぎています。このままこの場での戦闘を続ければ、隠蔽の魔法に綻びが発生するやもしれません」
脇に控えていた配下――弟子の内の一人がそう危惧すると、屍使いは顎髭をしごきながら思案する様に唸る。
「ふん。とはいえ、アレが此方を見逃すとも思えん。短時間で仕留めようにも、その為に伏せ札を使えばどのみち隠蔽は難しくなる――そうなれば頂上にいるであろう、かの龍が気付かぬ筈が無い」
――或いは、既に気付かれていて、この白狼は斥候代わりなのかもしれぬ。
最悪の予想も脳裏を過ったが、口には出さない。己の弟子を含む数名はともかく、他の木っ端共はただでさえ士気が低い。最低限使い潰せるだけの動きは保持させねばならなかった。
周囲の霧が払い除けられると、ゆらり、と、遠間にある空間がゆらぎ、白狼の巨躯が露わになった。
自身の隠形が短時間で見破られた事に警戒を覚えたのか、その金色の瞳には一切の油断は無く、静かに男たちを視界に収めている。
だが、それは屍使い側も同じだった。
「手札を一つ潰したとはいえ、相手は主級の霊獣。甘く見れば即座に喉笛を食い千切られると思え」
男の声に配下の者達が呼応し、召喚した壁役を前面に押し出して緩やかに包囲網を描く。
「無理に囲み切ろうと思うな、四足の霊獣の脚力は人のソレでは追いきれぬ。死角を消す為の二人組を維持したまま、速さを削ぐ事を優先とせよ」
男にしてみれば、此処で負けるのは論外だが、折角の主級を逃すのも悪手であった。今の様にある程度有利な盤面で戦える状況、というのなら猶更である。
背後の弟子に僅かに視線を遣り、当人にしか届かぬ声で小さく指示を呟く。
「貴様は引き続き、隠蔽の範囲結界に注力せよ。維持が難しいのであれば――構わん、役立たず共を何人か『喰って』でも魔力の補填を行え」
「承知しました、師よ」
言葉少なに頭を下げる弟子に頷きを返すと、屍使いは杖に魔力を込めながら、己も一歩前へと、歩を進めた。
「さぁ、最初の大物狩りよ。汝らの信仰を神に捧げるが良い!」
◆◆◆
――信奉者達は、追い詰められた白狼が逃走に徹する事を最大の危惧としていたが、当の彼にはどんなに劣勢となろうとも、逃げ出すつもりは微塵も無かった。
野に生きる獣である彼にとって、逃げる事は決して恥ではない。
霊峰における闘争とは、生きる為の糧を得る手段であり、それ以上の意味は持たない。
だが、何事にも例外は存在する。
――嫌な匂いだ。と、最初に眼前のヒトの群れの匂いをその嗅覚で拾ったとき、まず思った。
性質が合う、合わないというのはたとえ自然界であっても、高い知能、強固な自我を有する霊獣ならば、持ち合わせていて当然の認識だ。
事実、霊峰内で白狼と同じく主級と呼称される個体でも、反りの合わない相手はいる。
だが、コレはそういうレベルの話では無かった。
群れのオス共の多くが放つ、身体に染み込んだ死臭も酷いものだが、もっとその奥――精神か、魂か。
そこから滴るように零れ、大気に乗って届く悪臭は、毛並みが逆立つ悪寒と凄まじい嫌悪を掻き立てる。
ヒトという生き物自体は、何度か見た事があるし、知っている。
だが、コレは違うモノだ。
皮と肉は同じかもしれない。けれど、その奥にあるものが致命的にヒトから――否、この世にあるべき生命から外れていた。
本来ならば、自身の縄張りに踏み込んでこない限り、関わりたくも無い。誰がすき好んで糞塗れの汚泥に鼻先を突っ込みたいと思うのか。
だが、そうもいかない理由が、こうして山を下りて己の有利な朝靄立ち込める刻に強襲を仕掛ける理由が、白狼にもあった。
《氷霜の巨人》や《地蛇竜》といった、山の麓で暮らしていた者達の屍が、どこかギクシャクとした動きで白狼に襲い掛かる。
元が屍であるが故か、手や足を爪で削いだくらいでは怯みもしない。
四肢を撓め、込めた力を一気に爆発させて手近な一体の懐へと飛び込む。
加速に乗った前脚の爪の一撃は、《地蛇竜》の頭部を砕き、腐食の始まった赤黒い血液で地に積もった雪を染めた。
間を置かずに、別の個体へと飛びかかろうとして――頭を失った筈の《地蛇竜》が絡みつき、白狼の動きを縫い留める。
頭を潰しても平然と動き続ける――生命の在り方に対してあまりにも埒外、冒涜的とすら言える繰屍の術。それらの悪意が寄らぬ地であった、霊峰の獣であるからこその隙。
間髪いれず、屍を操る者達から様々な魔法が放たれた。
力尽くで拘束を脱し、押し寄せる魔力の暴威の隙間を縫うように駆け抜ける。
己の種族の得手たる霧化無しでは、絡みついた蛇竜の躯ごと葬らんとする無数の魔法を、全て躱しきるのは困難だ。
幾つかが四肢を掠め、白い体毛と共に血肉が削り飛ばされるが、知った事ではない。
魔力の弾幕を突破し、屍を操る術者の群れへと襲い掛かる。
「ヒッ――く、くるギッ!?」
白狼との間に壁となる様に、幾つかの既知の霊獣と、この地の生物ではない未知の魔獣が立ち塞がるが――その迎撃を全て躱し、最も距離の近かったヒトの形をした汚泥の首へと牙を食い込ませた。
何かを喚こうとしていたが、こんな外法を使う連中だ。呪言の類でないとも限らない。即座に顎を閉じ、無造作に首を振るとぶつんと千切れた首が雪の上を転がった。
――最初に仕留めた分と合わせ、これで二匹。
口元に敵の鮮血、真っ白な毛皮に覆われた体躯には己の血と、あちこちを朱で染めながらも白狼は全く動きを衰えさせず、敵陣に飛び込んだ後に悠々と包囲を離脱する。
死体の相手をするのは初めてなので、思わぬ痛打を受けたが、もう理解した。既に死んでいる物をまともに相手をしていてもキリが無い。
己の脚を以て哀れな屍の攻撃は全て振り切り、それらを操るあのヒトの振りをした汚物共を咬み砕く。
人間の言葉で表すのなら、不退転の覚悟、と評せるであろう意思を金の瞳に漲らせ、白狼は牙を剥いて唸り声を洩らした。
削られた四肢の傷からは、未だに血が滴り、足元の雪を斑に染め上げている。
対して獲物――否、敵は多くが健在。特に奥に控えている二匹は、万全の状態で一対一であろうとも、決して油断できる相手では無い。
だが、それが何だというのか。
白狼は気付いていた。
この者達の悪意は、己の住処である霊峰――特に、その頂上へと向けられている。
ならば、断じてこれより先に進ませる訳にはいかなかった。
己の縄張りをコレらが踏み荒らしてゆく光景など、想像するだけで不快であり、認め難い。
だが、それよりも。
旧くからこの地の主であり、己の"母"と呼べる存在を、この様な連中の悪意に近づける、晒させるなど、自身の矜持が許さなかった。
元より、《霧狼》は繁殖場所である濃霧の満ちる地以外では、そう厄介な霊獣ではない。
その名の由来である能力の霧化も、獲物を強襲する為というより、より強大な獣と相対したときに回避・撤退を容易とする為のものだ。
故に、より優れた力を持つ強者によって蹂躙される事も、弱肉強食の自然の中において、珍しい事ではない。
――再度、群れの中へと突撃する。
厄介な事に、今度は己を仕留める為では無く脚を止める為に打ち込まれる魔法は、威力より範囲を優先して弾幕というより壁と化していた。
強引に抜けても先程の魔法より負傷は少ないだろうが、その瞬間、動きが鈍るのを狙い打ちにされるだろう。
白狼には両親と呼べる同族はいない。
他の獣に敗れて喰らわれたか、はたまた逃げる途中で己を落としたのか。
幼い、赤子と然して変わらなかった当時の白狼は、必死に、ときに駆け擦り、ときに這いずるように他の獣の匂いが薄れる場所へと逃げ続け――辿り着いたのが。
この山に住まう者達にとって不可侵である、霊峰の主たる"龍"の住処であった。
「――必死に生きようとする赤子に、縄張りやこの場の不可侵を語るのも無粋ですね」
ヒトの形をしながら、ヒトとは余りにも違う――死を冒涜する輩共とは真逆の、生命の根源、その奔流を極めた様な存在は、圧倒的な存在感とは裏腹に、酷く優しい手つきで己を抱き上げたのを、今でも覚えている。
――自身より更に巨躯といえる《氷霜の巨人》の懐に飛び込み、盾としながらついでにその発達した両腕を爪で抉り、牙で噛み砕く。
腕がなければこの巨人には大した攻撃方法は無い。冷気の放出は、同じくこの地の出身である獣には皆、耐性がある。
屍を喰うでもなく弄ぶ連中と同じ真似をするのは業腹だが――それを一匹残らず咬み殺す為となれば、己の躯を良い様に操られている者達も文句は言うまい。
それから季節がひと巡りか、ふた巡りする間、白狼は"龍"のもとで過ごした。
彼にとっても、"龍"にとっても、瞬きの様な短い時間であったが、それでも。
白狼にとって、"龍"が"母"へと変わるには充分過ぎる程の時間ではあったのだ。
――巨人の影から飛び出し、術者の元へと一気に肉薄。爪を振るうが、壁役の召喚獣の妨害で、肩を付け根から抉り飛ばすに止まった。
悲鳴をあげながら腕を失ったオスが地べたを転がり、のたうち回るが、トドメを刺そうとすれば、諸共に範囲魔法の餌食となるのは目に見えている。
諦めて、再び包囲を抜けて距離を取った。
"龍"にとっては、そんなつもりは無かったのかもしれない。
永い刻を生き続ける間の、ほんの気紛れ……無聊を癒す手慰みであった可能性だってあるだろう。
それでも、白狼にとって"母"と呼べる存在がいるとしたら――それは彼女だけだった。
獣である己に、その想いを伝える術は無いが……元より伝えるつもりもない。
己がただ、そうであると。故に慕い、必要とあれば"母"の為に牙を振るうのだと、己自身が知っていればそれでよい。
幼かった白狼はそう決意し、"母"の元を離れた後も、そうやって生きてきた――後に"龍"の近くに縄張りを置く、主級の霊獣。その一角に昇り詰めるまで。
野生に生きる身としては、己はきっと異端なのだろう。
或いは、そうで在るが故に両親は己を打ち捨てたのかもしれない。
だが、その御蔭で"母"と出会えたのであれば、寧ろ感謝しても良いくらいであった。
だからこその、不退転。
それは、野に生きる獣としてはあるまじき『誓い』であった。
何としてでも、この腐臭を放つ忌まわしき者共を此処で仕留める。
その上で、ここで死ぬつもりは無い。
そもそも、新たな季節に入ってから"母"に獲物を届けていないのだ。つい最近、彼女の元を訪れたヒトが二匹、未だ住処にいる事を考えれば肉が足りなくなる事も有り得るだろう。
さっさと片付けて、新鮮な獲物を届けてやらねばなるまい。
戦う理由も、生きる理由も、これ以上無く揃っている。
――ならば、後は只、勝つのみ。
身に負った傷など、知らぬとばかりに気迫を込めて白狼は吠える。
高く、遠く。霊峰の頂まで、届くように。
そして、三度目になる、敵の群れへの突撃を敢行しようとして――。
「弱肉強食は自然の理なれど、暴を働くが邪神に魅入られし悪漢共ともなれば、助力も止む無し」
どこからともなく声が響き渡り、敵の群れと白狼、双方の動きが止まった。
数瞬後、上空から降ってきた影が両者の間に砲弾の如く着弾し、派手に雪の粉塵を巻き上げる。
もうもうと上がる白い煙幕の向こうから現れたのは、やはりヒトだった。
「大自然を生きる野生でありながら、その身から感じる確固たる意志! 感服の至り! 助太刀いたすぞ大狼殿!」
上半身を剥き出しにした、筋骨隆々という言葉ですら生ぬるい、削り出した岩塊の如き体躯を持つその巨漢は、実に良い笑顔で白狼に向かって笑いかけ。
――え、なにこれ、ヒト……ヒト?
スチームの様な蒸気を全身から噴き出して仁王立ちする筋肉に、白狼は混乱した。然もあらん。
◆◆◆
「朝の鍛錬に精をだしておれば……いやはや、とんだ鉄火場に遭遇したものですな」
全身から滝の様な汗と人体から発するとちょっと可笑しいレベルの熱気を放出しながら、ガンテスは争っていた両者――この地の霊獣であろう純白の毛皮の大狼と、邪神の信奉者達を順繰りに眺めた。
「全く、大本が討たれたというのに――何処にでも湧くな、お主等は」
ここ最近は、穏やかに細められている事の多かった両の瞳をギョロリと見開き、突然の闖入者に警戒を向ける屍使い達を睥睨する。
ガンテスの身形から、いち早く素性を予測した屍使いの弟子が、師へと小声で伺いを立てた。
「師よ、おそらくこの地にやってきた修験者の様ですが……」
「殺せ。ただの人間でもこの地に修練に来るのならば、多少は足しになる力を持っておるだろう」
即座に命に応える様に、最も近くにいた《氷霜の巨人》の繰屍がその巨腕を振り上げる。
巨人の白く濁った眼球と、木偶の如き不自然な動きを見たガンテスは痛ましげに表情を顰めた。
「死霊術の類とは……哀れな、この地に生まれながらこの地を穢す尖兵とされるなぞ、さぞ無念であろうに」
両の手を合わせて祈りを捧げる筋肉の脳天へと、太さだけならば彼の胴よりもある巨人の剛腕が叩きつけられる。
巨岩を容易く砕く一撃だ。突如現れた巨漢は、何も為せずにその頭部を砕かれ、哀れんだ屍達の仲間入りを果たす――そう、誰もが思った。困惑中の白狼でさえ、なんか来たと思ったら即座に殺られた……とか考えた。
「――ふんっ」
だが残念、筋肉だ。
普通に棒立ちのまま、巨人の一撃を額で受けると、ガンテスは普通に裏拳を振るって相手をブン殴った。
ちなみに人体の額には表情筋の一種である前頭筋以外に、筋肉は無い。当たり前だが。
大気を砕きながら放たれたバックブローは、巨人の繰屍の頬にめり込み、振り抜かれる。
頸椎から破砕音を響かせながら《氷霜の巨人》の首が凄まじい勢いで一回転すると、周回遅れでその巨体まで回りだし――宙を舞った。
その場にいたガンテス以外の全員の口が、あんぐりと開かれる。
ぶっ飛ばされた《氷霜の巨人》は空中でトリプルアクセルを決め――着地は出来ずに地響きを立てて地面に沈んだ。
「せめてもの供養よ、拙僧の拳にて浄化して進ぜよう。穢されし命、真っ当に巡って創造神の御許へと還らんことを」
再び手を合わせて瞑目する大男に、その場のほぼ全ての人間が「浄化関係ねぇだろ」という突っ込みを堪える。
一方で白狼の方は、己の知識にあるヒトと比べてあまりにも頑丈すぎる目の前の巨漢に、妙な既視感を覚えていた。
稀に"母"の元へとやってくるヒトは、皆、獣の持つ強さとは別の技術を持つ強者ばかりであったが、このオスの頑健さと剛力……まるで"母"の様……では、無いな、うん。というかコレが"母"と同じ区分とか何か嫌だ。
では何か――と、思考を巡らせて割と直ぐに思い至った。
己と同じ、"母"の住処である頂の周辺を縄張りとする岩の精だ。
山に古くからあった大きな霊岩が、天地の氣を取り込み続ける事で一種の精霊となったソイツは、目の前のオスと同じ、岩を削り出した様な――というか岩そのものな巨大な剛体を誇る。
どちらかというと、こっちの方が近いだろう。どっちもゴツゴツしてるし。
どうやら己に助力しに来たらしいこのヒトのオスっぽい何かが、あの岩の精と同類というのならばこれ程心強い味方もそういない。
そう判断して、白狼は眼前の岩精との共闘を決めた。
浄化(物理)で一撃の下に繰屍を鎮めた様に見えたガンテスだったが、屍使いだけは正確にその打撃の性質を見抜いていた。
その剛力も脅威の一言だが、頭を砕かれても動き続ける繰屍が、本来首が一回転した程度で止まる筈が無いのだ。
だが、事実として既にその巨体は動かない。
打撃の威力に目を奪われがちだが、よく練り上げられた聖気がその拳に込められていたのを、男は見逃さなかった。
「拳士ではなく修道僧――忌々しい教会の狗か」
「如何にも」
苦虫を数匹纏めて嚙み潰した様な顔で唸る屍使いに、厳かな表情で告げるガンテス。
「お主らがどんな企みを以て、この地にやって来たのかは知らぬが……未熟なれど、拙僧も神に仕える身。どんな目的であれ、阻止させてもらおう」
シィィィィッと、鋭い呼気を吐きながら腰を落とし、前羽の構えを取るその隣に、白狼が並び立つ。
ガンテスの闘気に呼応したかのように、更なる熱波と共に全身から煙の如く蒸気が立ち上る。
現在、霊峰の頂上に居る青年が見れば、どうみても勝〇煙です本当にありがとうございました。などと、戯言を溢しそうな光景だ。
この岩精が放つ蒸気が辺りに満ちれば、己の能力も再び使えるようになるかもしれないが……これと同化するのはなんかヤだな……。
寒冷地帯出身にとっては暑苦しい蒸気を隣で浴びながら、白狼はちょっと悩んだ。
「ほざけ、神とは我らの仕える御方、一柱のみよ。偽りの女神を頂く蒙昧共め」
唾でも吐きそうな口調で吐き捨て、忌々し気に巨漢と白狼を睨みつける屍使いであったが、その頭は冷えたまま、冷静に自陣の不利を悟っていた。
(本当に、忌々しい。よりにもよって何故この機会に教会の特級戦力と遭遇する!?)
両者とも面識がある訳では無かったが、屍使いはガンテスを教会の聖女を筆頭とした最高位の実力者達の一人だと判断しており、ガンテスもまた、屍使いを『信奉者』の幹部に相当する人物だろうとアタリを付けていた。
そしてお互いの予想と真実に、大きな隔たりは無い。
故に、ガンテスは目の前の集団――取り分け中心人物である屍使いを逃がす気は毛頭無く。
屍使いは、一気に不利になったこの状況を、計画に妥協を許してでも突破する必要があった。
「――参る!!」
「殺せ!!」
互いの叫びが号砲となり、激突する。
真っ先に飛び出したガンテスが、壁役の召喚獣や繰屍越しから放たれる魔法を正面から蹴散らして進む。
「馬鹿な!」
「この男、本当に人間か!?」
「失敬な!」
魔法が直撃したというのに、ガン、だのゴィン、だの、およそ人体にぶつかったモノとは思えない音と共に全て弾かれ、悪夢を見たかの様に男達が絶叫した。
悲鳴混じりの罵倒に憤慨した巨漢は、大口を開いて自身を吞み込もうとする《地蛇竜》の上下の顎を引っ掴むと、更に開く様に力いっぱいに引っ張る。
顎どころか胴体の半ばまで裂け、鱗に覆われた長躯から黒色化した血液が雨の様に飛び散った。
「この様な中途なひらきを作っていては、まだまだと笑われてしまいそうですな!」
ビチビチと痙攣しながらも激しく動く大蛇の躯を後方に放り捨て、冷気を吹き付けながら突進してくる《氷霜の巨人》に前蹴りを叩き込むと、胴体に風穴――を通り越して胴体そのものが消し飛んで、宙ぶらりんになった両腕と頭部が、衝撃で錐もみしながら四方に弾け飛ぶ。
その後方から、ガンテスの肩を蹴って軽やかに跳躍するのは白狼だ。
行き掛けの駄賃とばかりに、何匹かの召喚獣を前脚で抉ると、ビリヤードの球の如く、互いに叩きつけられて四散した。
そのまま、白色の疾風と化して屍使いの配下達の間を存分に走り抜ける。
何人かが首を抉られて鮮血を噴水の様に吹き出し、辛うじて身を捩った者は肩を噛み砕かれて雪の大地へともんどり打って倒れた。
敵陣に深く切り込み過ぎたか、まだ動ける壁役や配下の男達が白狼を囲むように動き――
ニヤリと――獣でありながら、まるで笑ったかの様に、白狼が口の端を吊り上げて牙を剥きだした。
両腕を交差させた跳躍の態勢のまま、筋肉が降ってくる。
白狼がそちらに向けて跳ぶと、上空で擦れ違うガンテスを再度足場にして一気に離脱。
入れ替わる様に着地した巨漢は、両の腕を高々と掲げて天に向けて叫んだ。
「女神よ! いと高きにおわす創造神よ! 我が戦武、我が信仰――」
握りしめた拳と腕に、太々しい血管が脈打ち、金属塊を思わせる力瘤が浮かぶ。
「 御 照 覧 あ れ ぃ ! ! ! 」
二本の豪腕が全力で振り下ろされた。
――戦場から、音が、消える。
一瞬おいて、火山が大地を灼いて噴き上げるが如き爆音が、周囲を揺らした。
ガンテスを中心として、圧倒的な破壊力を有した衝撃波が地を、空を奔る。
壁となった屍も、魔獣も、何の意味もなかった。
全てを粉々に消し飛ばす純粋な衝撃に、幾人もが飲み込まれる。
最後の悲鳴すら飲み込む破壊の波に晒されながら、或いはソレに呑まれる仲間を目の前にしながら――男たちは心を一つにした。
――ただの腕力だろ。
そして、機を伺っていた屍使いが動く。
「捨て駒とする数は充分揃えてくれたわ――やれ」
傍らの弟子に命じると、己も杖を掲げ、魔力を練る。
一瞬、彼らの背後に巨大な"何か"の顎が浮かび、それが消えると。
ガンテスと白狼によって打倒された者達の躯やその破片から、次々と漆黒の泥が噴きだした。
「――ぬぅっ!?」
大戦中に幾度も遭遇した背中が粟立つ悪寒に、ガンテスが咄嗟に後方に飛びすざる。
「大狼殿! 此方へ!」
言葉が通じたのか、逼迫した声に何かを感じたのか。
瞬時に隣へと駆けて来た白狼の胴へ向けて左手を翳すと、右手の指で聖印を切り、魔力を練って聖性へと変える。
「――喝!」
気合を込めた一声と共に、自身と白狼を覆う様に聖気を纏わせた。
己を囲う馴染みの薄い力の膜に、白狼が不思議そうに身体を見回すが……噴きだした泥がうねる様に纏まり、触手へと形を変えるのを見て瞬時にそちらへと警戒を向ける。
「貴様とそこな大狼を糧に出来ぬは惜しいが……本来の目的成就が優先よ。ここで退かせてもらおう」
信奉者達の魂に刻まれた邪神の加護――それらが暴走して悪性の呪詛塊と化した配下の躯越しに、屍使いは薄ら笑いを浮かべた。
「散々に邪魔をしてくれた礼だ。役立たず共の搾り滓の如き加護ではあるが――我らの神の恩寵に見えるがよい」
何某かの隠蔽の術を発動させたか、その姿と気配が急速に薄まってゆく。
生き残った配下達が、慌てて駆け寄り、その範囲に転がり込む様に飛び込むと――信奉者達の姿は完全に見失われた。
今ならそう距離も離されていない筈だ。集中して探知を行えば見つけるのは難しくないだろうが……。
「コレを放置する訳にもゆかぬか……!」
既に複数の躯から顕現した泥は一つの塊となり、嫌な水音を立てながら形を変えようとしていた。
まんまと一杯食わされた現状に、ガンテスは歯噛みする。
純粋な実力であれば、後れを取る気は微塵も無いが、戦局を見極め、悪辣な手段を多数駆使するあの屍使いは相当に厄介な相手のようだ。
眼前の泥は多人数の加護と肉体を糧に、眷属化の兆候を見せている。
打倒自体は不可能では無いが――時間を取られるのは確かであり、その間にどの様な企みが為されるのか。
今度こそ身命を賭して守護すると誓った、青年の惚けた表情と少女の笑顔が脳裏を過り、らしくも無く焦燥に腹の底を炙られる。
青年ならば、何があろうとも少女を守り抜くであろう。それは信頼というより確信であり、単なる事実であった。
だが――その過程で青年が喪われる様な事が、もし再び起これば。
少女とその姉君に与えられた、過酷な二年の日々がまた繰り返される様であれば。
ガンテスは今度こそ、己を赦す事など出来そうに無かった。
と、その時である。
焦りの見える思考を断ち切るかの如く、隣に立つ白狼が戦意に満ちた咆哮を上げた。
「む……」
視線が交わり……迷いの無い金色の瞳がガンテスを睨み据える。
グダグダと考えている暇があるなら、さっさとコレを片付けて、後を追うぞ。
言葉以上に雄弁な瞳に、そう、言われた気がした。
「……承知! ならば、全力で推して参るのみ!」
まさにその通りだ。
眼前の眷属擬きを片付け、直ぐに彼奴らを追撃する。
真っ直ぐに、正面からブチ抜く――それが己にとっての最速だ。
そうして、筋肉と獣は不格好な人型となった泥と相対し、渾身の一撃を狙いすまして構える。
《半龍姫》を巡る邪神の信奉者達の策謀と、それを阻もうとする者達。
両者の邂逅を以て、状況は一気に加速しようとしていた。
例の台詞を言わせたかっただけです、ユルシテ……。
イメージは竜王の大斧R2
今回、あんまりにも男しかいねぇから白狼君を白狼ちゃんにしようか迷った。