其は《報復》に非ず
「二年程前でしょうか。かの神性と接触したのは感じ取れましたが……正直、驚いています……アレを滅ぼしたことも、貴方が生き残っていたことも」
北の高地らしからぬ、穏やかな風が頬を撫でる。
深い碧の長髪を揺らしながら、お師匠は静かに此方に歩み寄り。
その綺麗な龍の瞳で、少しばかり高い位置にある俺の顔を見上げて来た。
「貴方は、貴方の目指した望みを、全て叶えてみせたのですね」
……あー、一番クソ邪神の討滅は片付けましたが、一番大事な奴の笑顔は道半ばです。此処で終わり、っていうのは無い感じなのでこれからも精進していく予定であります。
「……そうなのですか?」
はい、そうなんです。
不思議そうに小首を傾げるお師匠だったが、やがて得心がいった様子で一つ頷いた。
「そうですか……では、そのめんどくせー目標を越えた分、ということで」
そう言って、ひとたび振るえば万物を引き裂く刃にも爪にもなる繊手を俺の頭上に伸ばすと、掌を俺の頭にのせる。
「よく頑張りましたね。えらいえらい」
……オッフ、こう来たか。
アンタ前にお世話になったときも何度かやってきたけど、この年齢になって、幼児の如く撫でられるのはちょっとメンタルに来るんですよ師匠ォ!
――いや、嬉しくない訳じゃないんですけどね? こうね、今はリアも隣にいるし、にいちゃんとしての沽券的なものがね、行方不明になっちゃうとね?
元から無いだろうそんなもの、という幻聴が何処からともなく聞こえた気がしたが、知らん知らん。アーアーキコエナーイ(逃避感
紛れもなく善意で、頑張った弟子を褒めているだけなので文句を言う気にもなれない。面映ゆいやら気恥ずかしいやら。
「……むぅ」
黙って頭を撫でられていると、リアが俺の服の袖を引いてきた。
僅かに漏れた声は、何処か面白くなさそうだ――すまんな、この人も無視してる訳じゃないんや。ただ……阿呆みたいなレベルの長命種なせいか、単に天然なのかは知らんがテンポが独特なのよ。
お師匠の気が済んだら紹介に移るから、ちょっとだけ待ってくれ。
心の中で妹分に謝りながら、少し背伸びをしたお師匠が、俺の頭から掌を離すのを待つ。
「…………」
よしよしと言わんばかりに、撫でられる。
「…………」
撫でられる。リアがこれ以上不機嫌にならんといいんだが。
「…………」
まだまだ優しく、撫でられる。
「…………」
撫で――お師匠。
「? ……なんですか?」
ちょっと長いッス。
「……そうなのですか?」
はい。そうなんです。
さっきも言ったが、その長命の所為か、天然な所為か、師匠のテンポは独特だ。或いは両方なのかも知れない。
――でも個人的には後者の割合が高いんじゃないかと思ってます。
取り合えず掌を引っ込めてくれたので、やっとこ連れを紹介できそうや。
お師匠ー、こっちは俺が前に話してた一緒に行動してる二人の片方です。
良い子なんでよろしくしてやって下さい。と、待たせてしまったリアの頭を撫でた後、軽く背を押して前に出してやる。
先程の俺とのやり取りで、逸話の様な怖い人では無いと分かったのか緊張はあっても不安は消えたようだ。実際、普段のおっかなさっていう点だったらミラ婆ちゃんの方がよっぽど上やぞ。
本人にバレたらシバかれそうな事を考えていると、胸を張って師匠の前に出たリアが礼儀正しく頭を下げる。
「初めまして、アリア=ディズリングです! 聖教国で聖女の号を与えられています。今回は戦争終結後の《半龍姫》様との友好を再確認する為の特使として参りました!」
ハキハキと、少しばかり鯱張った様子で挨拶すると、「こちら、教皇猊下からの書状となっています!」と蜜蝋で封をされた手紙を差し出す。
それを受け取ると、お師匠はリアの顔をマジマジと見つめ――気のせいか、その龍眼が揺れた様に見えた。
「そうですか……貴女が今代の聖女の片割れ……」
そう呟いて、妹分を凝視して……そっと掌をその頭頂に乗せた。
「いらっしゃい。書状は確かに受け取りました、何もない場所ですが……良ければゆっくりしていきなさい」
微かに微笑んで、頭を撫でながら歓迎の意を示すお師匠にリアが「ありがとうございます!」と元気よく返しながら笑顔を浮かべる。
ふむ? なんというか。
普段から穏やかな人ではあるが、気のせいかリアに対しては、特に当たりが柔らかく見えるな。
いつもの静けさが古から聳える大樹の様な――言ってしまえば何処か植物染みた超然としたものだとしたら、今の師匠は酷く人間くさく見えた。
なんやろな。気に入った、って事なのかね?
二人が仲良くやれそうなら、俺としても万々歳なのでいいけど。
ただ、まぁ。それはそれとして、だ。
師匠、師匠。
「? ……なんでしょうか?」
撫でるのは結構なんですが――長いです。リアが困惑してます。
「……そうなのですか?」
はい。そうなんです。
コテンと首を傾げながら、なんか不思議そうな顔をしてるお師匠に、思わず苦笑する。
以前の見知ったものとは雰囲気がちょっと違っても、やっぱりその独特なテンポはお師匠のままだった。
互いの紹介も済んだので、そのまま屋敷に招かれ、三人で小さな卓を囲んで座る。
お師匠が教皇の爺さんからの書状に目を通している間、俺達は彼女が手ずから淹れてくれた茶を啜ってのんびりと読み終えるのを待っていた。
火炉に焚べられた薪が爆ぜる音だけが時折部屋に響き、その静謐な空間に充てられたのか、リアが顔を寄せて小声になって話しかけてくる。
(ねぇ、にぃちゃんにぃちゃん)
なんだい、アリアくん。
(この花茶? ってやつ。初めて飲んだけど花の香がはっきりしてて面白いね)
あれ、飲むの初めてだっけ? 転生前にジャスミン茶とか飲んだことないの?
(うん、無かった。これ、お土産にできたりしないかなぁ)
どうだろうなぁ。師匠のお手製っぽいし、そんなに量無いんじゃないか? ――この辺の植物使ってるだろうし、希少価値って視点からだと霊峰の外だと高級品ってレベルじゃねぇし。
(そっかぁ、残念。似たようなお茶、聖都にあるかな?)
探せばあるんじゃね? 此処のは素材からして桁が違うから同じレベルのは厳しそうだが。
二人でヒソヒソと他愛ない話に興じていると、お師匠が「なるほど」と呟いて手元の書状から顔を上げた。
「教皇も相変わらず、先を見据えて動いている様ですね。悪神がこの世界から失せた今、力を増した加護によって振り回されていないか少々気がかりでしたが……杞憂だった様で何よりです」
「あの子……」
教皇を幼子みたいに扱う師匠の発言に、リアが目を見開いて驚くが……考えてもみなさい。俺だけじゃなく、ミラ婆ちゃんの師でもあるんやぞ。そらあの爺さんも小僧扱いになるわ。
「――そうだよね、ボクより少し年上のお姉さんにしか見えないからイメージがちょっと湧きづらいけど……」
なまじ、あの爺さんが周囲で『一番年食った大人』という認識だったせいやろな。実際は教皇よりミラ婆ちゃんの方が年上らしいが、これは口に出すと後が怖いから絶対話には出さないけど。
少し温くなったお茶をくぴくぴと飲んでいる妹分を卓に頬杖ついて眺めていると、お師匠が俺に探る様な視線を向けてくるので、なんぞありましたか? と、首を捻りながら問いかける。
「――脱ぎなさい」
「ブフーーーーーーーッ!?」
リアの口から含んだ茶が豪快に発射された。
「!? エホッ、げほっ、――ッ!?」
思いっきり噴いた上に、気管に茶が入ったのか咳き込んで身体をくの字に曲げてえずくその背を、慌てて擦ってやる。
おい、大丈夫か。茶が思いっきり入ったか?
「――ケホッ、う、うん……だいじょう、ぶ」
ひとまず安心した俺は、涙目で咳き込むリアの姿をおろおろと狼狽えた様子で眺めていたお師匠に嘆息交じりで突っ込んだ。
お師匠、端折り過ぎです。手紙になんか書いてあったんでしょうけど、スッ飛ばさないで説明してください。
「……そうなのですか……?」
はい、そうなんです。
多分、さっきのやり取りで自分のテンポがゆっくり過ぎるとでも思ったんでしょうが、今度は省略し過ぎだから。無理に会話のギア上げようとしなくていいから。ただでさえで他人と会話する機会が少ないのに、急に難易度高い事に挑戦しなくていいから。
コミュ障という訳では無いんだろうが、稀に来訪者と会話する事があっても、再びその機会がやってくるスパンが致命的に長い師匠は、コミュニケーションにおいて変なとこでポンコツになる事がある。
今も、リアの背中を擦ってやるかどうか迷って結局手を出せなかった感がすごい。すごいっていうか酷い。
以前から割とこんな感じなので、《半龍姫》と畏敬交じりで呼ばれる、世間のイメージとは乖離すること甚だしい訳だが――却って住んでる場所が、人の立ち入らない秘境同然の此処で良かったのかもね。
意外ととっつきやすい……与し易いなんて勘違いした馬鹿が来ることも無いだろうし。
今も、俺に駄目だし食らったせいでちょっと落ち込んでる姿からは想像し難いだろうが、彼女に対する世間の『気性』のイメージは激しいズレがあっても、『力』の逸話については、誇張でも何でもないのだ。
霊峰を自力で踏破出来る人間にはそう大きな問題は無いだろうが、師匠が不快に感じる、又は怒りを覚えるだけで、周囲に非戦闘員が居たらその場でショック死しかねない。
呪いでも、殊更に魔力を放出してる訳でも無い。人ならば、日々を過ごす間に当然起こる情動……嫌な気持ちになる、イラっとする――その程度の感情の動きだけで、力無き者ならば死に瀕するだけの圧を放ってしまう。
会話のテンポがスロウリィ気味でも、実は残念なとこがあっても、彼女は神代の龍――その力を人という鋳型に押し込めた超越者なのだ。
……或いは、その辺も考慮してこんな人里離れた僻地に独りでいるのかもしれんね。
そうだとすると、なんとも遣る瀬無い話ではあるが、実際の処は師匠が何を思って霊峰に居を構え続けているのかなんて誰にも分らない。
……壁という壁を越え尽くし、人外級に到達した者は、純粋な人間種であっても常人よりずっと長い時間を生きるようになる。
そんな相手でも誤差の範囲になってしまう様な時間を生きている――これからもそう在り続けるであろう存在に、軽々と生き方を問う様な真似は憚られる――んだろうね、普通は!
どうせ最後は決まってるし、と、物怖じという概念をゴミ箱にシュートしてしまっていた当時の俺は、普通に修行中に根掘り葉堀り、アレコレ聞きまくったけどな!
明確な答えが返ってきた事は殆ど無かったが、今までやってきた――師事を願った者達には居なかったタイプが新鮮だったのか、ウザがる処かちょっと気に入られたっぽいのは僥倖だった。
単に、滅多に巡り合わない沢山会話してくれる人間だったから、という可能性もあるけど(白目
そんな風につらつらと、リアが卓に吹き出した茶を布巾で拭き取りながら前回来たときの記憶に思いを馳せる。
若干ヘコんだままなのを復調したリアが慌てて慰め、それによって心持ち上機嫌になった師匠。あんまり表情動かない人なんだけど、少し目尻が緩んどるな。ほんとにリアの事気に入ったんやなぁ。
――まぁ、それは一旦置いておくとして、さっきの発言に至った経緯を聞きたいんですけど。
卓を拭き終えて、部屋の隅にある空桶に布巾を放り込むと、俺は棚上げになっていた疑問を取り出して、改めて目の前に下ろした。
いつの間にか仲良しになったっぽい二人の、ほんわかした空気を中断するのは少し心苦しいが、眺めているだけでも話が進まんからね。
「……そうでした、書状に貴方の体調を診て欲しいとも書かれていたので、つい」
手をポン、と打ち合わせて何でもない事のように続ける。
「先程、軽く見た限りでは……おそらく貴方の侵食武装――魔鎧について私に調べて欲しいのだろうと当たりをつけましたが……間違いありませんか?」
さっき見てたのはそういう理由かぁ。つーかあの数秒でそこまで把握したのかよ、相変わらずパねぇ。
「詳細に診るには、素肌に触れる必要があったので衣類を脱ぐように促したのですが……性急過ぎたようですね」
ちょっとバツが悪そうに眼を逸らすお師匠。言葉足らずってレベルじゃねぇぞ。
とりあえず、理由は分かりました。診断って一口に言っても、そんなにパパッと終わるモンなんですかね?
椅子から腰を上げて、自身の旅装束に手をかけながら質問すると「早ければ数分、長くとも三十分はかかりません」というお言葉が返ってきたので、さっさと脱ぐ事にする。
火炉による熱があるとはいえ、北端の高山なので気温はかなり低い。丹田に力を入れ、微量に魔力を巡らせて外気への耐性を上げながら着込んだ装備と衣類を座っていた椅子に放っていく。
あー寒い寒い。手早くおながいします――上半身だけでいいですよね?
「そうですね、背に触れる事ができれば充分です……火炉の前の方が良いでしょう、そこで此方に背を向けて座る様に」
お気遣いどーも。では、お言葉に甘えて。
剥き出しになった二の腕をさすりながら、そそくさと熱源の前に移動しようとして――ゴクッと何かを嚥下する音が聞こえ、卓から身を乗り出して俺をガン見していたリアと目が合った。
……なんぞ珍しいモンでもあったの? 散々っぱら治療のときに見慣れてると思うが。
数年間、無茶なペースの戦闘と鍛錬を繰り返しては回復魔法や軟気功で癒していたおかげで、それなり以上に鍛えられた身体にはなってると思うが、身近にガンテスがいるせいで大したもんには見えない。というかあのおっさんと比べたら殆どの人型生命体は貧弱に見えるけど。
「――うぇっ、な、なんでもないよ?」
ぐりんっと音が聞こえそうな勢いで顔を真横に逸らすと、さっき師匠に淹れ直してもらっていたお茶をゴクゴクと飲み干す妹分。気に入ったのはいいが、あんまり飲み過ぎると腹が緩くなるぞ。気温の低い此処で腹を悪くするとしんどいからその辺にしときなさい。
茶碗を乾しながら、チラチラと此方を伺っているリアを横目に、俺は火炉の前に腰を下ろすと結跏趺坐の姿勢をとって瞳を閉じた。
瞼を下ろした暗闇の中に、師匠の声が静かに響く。
「では、始めますよ?」
――いつでも。
背中の中心にひんやりとした掌が当てられ、一拍おいて、暖かな力の流れが注がれると、血潮が巡るように身体の内部をごく自然に走り出す。
深く息を吸い、吐き出す。
精査し易い様に、体内の魔力を鎮め、流れと同調させるように意識して緩やかに巡らせる。この辺りは《地巡》と同じ要領だ。
……十分程、そうしていただろうか。
掌を離したお師匠の「もう良いですよ」という言葉に、眼を開けた。
んむ、あっという間に終わったな……して、診断結果の方は如何でしょうか。
俺が脱ぎ捨てた衣類を抱えて、ちょこちょこと隣にやってきたリアから順序良く服を受け取って袖を通しながら、師に問いかけた。
そうですね、と顎に指を添えて暫し考え込む仕草を見せると、言葉が纏まったのか、俺を診断していた片膝をついた体勢から立ち上がり、卓へと戻る。
手早く着替え終えた俺が、同じく卓を囲む椅子へと座り直すのを見計らい、師匠は精査の結果を語りだした。
「端的に言うと、魔鎧は貴方の魂に半ば食い込む形で存在しています――如何に強力な侵食武装と言えど、此処迄高い融合率は稀です……一体どんな無茶をしたのですか」
最後の一言に、ほんの少し呆れと、無茶を咎めるような響きを感じ取って俺は明後日の方角に首を曲げて、出鱈目に口笛を吹き鳴らす。
アレです、色々っスよ、色々。それも今は治ってるから、ノーカンって事になりません?
ジトっとした視線の主が、二人に増えた。なんでや。
「……苦労している様ですね」
「《半龍姫》様も、師として大変だったでしょう? お疲れ様です」
おい、二人揃って溜息はやめろ。急速に分かり合った感だすのやめやがってください(懇願
頭痛を堪えるように、人差し指でこめかみを揉み解しながら、師匠は続きを口にする。
「これ程に侵食が進んでいると、嘗ての呪物の儘であれば深刻な副作用が懸念されましたが……今はその心配は無いでしょう」
むむ。と、仰ると?
「悪性の呪具としての特性が薄れ、本来の魔道具としての要素が強く出ています……魔鎧の在り方の根源であった、悪意と憎悪。その対象を手ずから討滅したのが原因でしょう。大幅に浄化され、別の"何か"を根源として再構築されている」
彼女はそこで言葉を切ると、すっかり温くなったお茶で唇を湿らせた。
"何か"っつーと……其処までは流石に判断は付かない感じなんだろうか?
確定では無いですが、と、前置きして師匠は自身の推論を語る。
「邪気の薄れ具合や、貴方の身体を精査した際の感触から予想は立てられます。この状態になってから、既に何度か使っていますね?」
え? あ、はい。戦闘起動も含めればそれなりに――今までと比べて、妙に反動が少ないのが気になって、挨拶がてら診てもらおうってのが今回の事の発端です。
「ならば、それが答えでしょう」
お師匠は確証を得た、といった表情で頷き、眩しいものを見るかの様に目を細めて微笑んだ。
「おそらく、魔鎧は己の意思で自らの根源を再定義した筈です。あれ程の悪性を帯びた業を打ち捨て、主の――貴方の保全を望む存在へと変わった……この身は永く在りますが、特級の呪詛の塊をこの様な形で昇華させたのは私の知る限り、貴方が初めてです」
あー……これは褒められているんだろうか。
「はい、このうえ無く」
修行を付けてもらっていたときのフォロー感全開にした慰め混じりのお褒めの言葉では無い、混じりっ気無しの賞賛なのだろう。自身の生きた時間の中でも初めて見る出来事を起こした者への、感嘆と敬意が感じられる。
きっちり《三曜》を修めてドヤりたかった身としては、師弟関連とは掠りもしない内容なのがちと残念だが、それが気にならない位には、診察の結果は嬉しいものだった。
この際、細かな事はえぇねん。とどのつまりは、重要なのは!
鎧ちゃんがデレたって事や。ツンドラだった相棒のデレ期突入やぞ、テ ン シ ョ ン 上 が っ て き た 。
「……何故彼は、高速で首を左右に振りだしたのでしょう?」
「発作みたいなものなんで、放っておいて良いと思います」
心底不思議そうなお師匠と、なんか呆れた様な妹分の声が聞こえてくるが喜びに満ち溢れている今の俺は気にならない。
はー、良かった。何かしらの変化とが起きてるって聞いて構えてた部分もあったけど、蓋を開けてみれば朗報も朗報だったわ!
「分類的には未だに呪物のままですよ? 乱用は控えるように――それと、再定義によって魔鎧としての性能に変化が起こっている可能性があります。可能なら、暫く逗留して行きなさい。把握と調整を手伝います」
言われてみればその通りだ。折角師匠の元に来たんだから《三曜》の鍛錬もしたいし、是非ともオナシャス!
――という訳で何日か滞在したいんだけど、どうでしょうかアリアさん?
ちょっとご機嫌ナナメな理由が分からんので様子を伺うつもりで話を振るが、これに関しては特に否は無かったのか、普通にこっくりと頷いてくれた。
「では、二人とも客間に荷物を置いて……あぁ、客人が二人もいるのであれば追加の薪も必要ですね。食事も、山の仔達が持ってきてくれた肉が足りるとよいのですが」
久方ぶりの複数の泊り客でちょっとテンション上がっているのか、お師匠の語尾が若干跳ねている。
薪割りなら俺がやりますよ――リア、此処は五右衛門風呂あるんだがどうする? 今日入浴するか?
「五右衛門風呂! ちょっと入ってみたいかも! あ……に、にぃちゃんも入るの?」
火の番するから最後になー。前に俺が来た時に、しっかりした仕切りを作ったからその辺も安全安心だぞ。
釜茹でタイム初体験の効果であっという間に機嫌の戻ったリアに、問題無く楽しめる事を追加情報として教える。
「そっかぁ……ざん……んんっ! にぃちゃん、何気にDIYとか得意だよね。じゃぁボクは、ご飯の用意を手伝おうかな……《半龍姫》様、良いですか?」
「えぇ、一人でいると食事も疎かになりがちですからね。腕が錆びついていないとも限らないので、手伝って貰えますか?」
はい、頑張ります! と両拳を胸元で握ってフンス、と気合を入れるリアと、表情こそあまり変わっていないが御機嫌なのが丸分かりなお師匠。
腕が錆びつく、なんて言ってるが、此処で俺に修行を付けてくれている間、飯の面倒をみてくれたのは彼女だ。普通に料理上手だったので、リアの好意に配慮してくれたんだろう。
もう大分仲が良い感じでホント何よりだ。これから数日、お互いに楽しめる時間になりそうで良かったわ。
鎧ちゃんに関する件はあっさりと片付き、リアも大使としての仕事を問題無く片付けた。何事も無いのが一番だよね、うん。
聖教国の聖女と《半龍姫》の会合というより、親戚のお姉さんとのお泊り会みたいな和気藹々とした空気に俺ものんびりした気分になりつつ。
霊峰での初日は過ぎていくのだった。
◆◆◆
霊峰に連なる山脈――その内に数えられる山中で、一つの集団が動き出す。
入念に入念を重ねた、隠蔽・隠密の魔法を幾重にも張り巡らせた洞窟の中で、僅かな光源である蝋燭を囲む様にして会話は行われていた。
「一段階目の準備は終えた……これより我らは霊峰に向かう」
二十人程の、魔導士らしきローブや衣服に身を包んだ者達の中で、中心人物らしき老年の男から決然とした声で告げられる。
服装が不揃いなら、言葉に対する反応もまたバラバラだ。意気高く同意する者、不安を露わにする者、反感を込めた目付きで男を見つめる者。
反感を示した者達の中から年若い男が歩み出で、諫める様な口調で男に進言する。
「……おそれながら、師よ、今回の策はあまりにも無謀です。かの龍姫を標的とするなど如何に我らの神の加護あろうと――」
若者が言えたのは其処までだった。
虚空から飛び出た巨大な咢がその胴体に喰らいつき、ベキベキと枯れ木をへし折るような音を立てながら喰い千切り、咀嚼してゆく。
断末魔の声さえ無く、巨大な"何か"の顎に咥えられたまま、若者は絶命した。
「他に反論のある者はいるか? この期に及んで尻込みする惰弱なぞ、居るだけ無駄よ」
吐き捨てるように投げつけられた言葉に、反意を抱いていた者達は勿論、同意を示していた者達も顔から血の気を引かせて沈黙を選ぶ。
男が鼻を鳴らして手に握った杖を一振りすると、喰い殺した若者ごと、"何か"は再び虚空へと沈み込んだ。
「やぁ、流石は我ら同胞の中でも指折りの《屍使い》だ。見事なものだ」
黙り込んだ集団の中から、一人。陰気と言っていい者達の中で異彩を放つ、明るい雰囲気の青年が拍手をしながら感嘆の声を上げる。
貴族の様な立ち振る舞いと、秀麗な顔立ちの青年は楽しそうに笑いながら何度も頷いた。
「《半龍姫》への接触、可能ならその殺害。貴公の業とそれを補強する入念な準備――揃えばあながち、絵空事ではあるまい」
いっそ不自然ですらあった朗らかな表情に、皮の下一枚捲り上げた様な、歪な笑みが浮かぶ。
「私も可能な限り協力しよう……ククッ、かの龍姫を組み敷いた男なぞ、歴史上におるまい。実に昂る話――」
再び虚空から顎が顕れ、欲望を剝き出して語り続けていた頭部を嚙み砕く。
鼻梁から上をごっそりと消失した青年は、かろうじて残った中身を地にぶち撒けて膝から崩れ落ちた。
「愚か者が。あの龍の躯は、我らの神が再臨する為の器と成り得る逸品――云わば神の新たなる玉体よ。穢す等以ての外、論外だ」
男が先にも増して吐いて捨てるような口調で呟き、糸の切れた人形のように洞窟に転がった頭部の無い死体を、憤懣遣るかた無し、といった表情で足蹴にし、踏み躙る。
「まだ下らぬ戯言を吐きたい者がいるならさっさと言え。我が屍傀儡への滋養は潤沢である程良い」
三度目の上がる声は無かった。
それに満足したのか、或いは然程興味も無いのか、男は冷笑を浮かべると握った杖を地に打ち付け、他の者達を睥睨する。
「まずは霊峰に向かい、麓から頂まで、螺旋を描いて進む。――道中の獣共も龍に劣るとはいえ、素晴らしい素材だ。本命を押さえる為の屍の強化にはうってつけよ」
指先でクルクルと螺旋を描きながら、やがて冷笑は怖気が奔る様な狂気的な笑みへと変わる。
「霊峰の力ある獣共の命を余さず喰らい、かの龍姫の命も喰らい、神への供物とする。今一度、この地へと降臨して頂く為の、な」
漏れ出た含み笑いはやがて狂った哄笑に変わり、蝋燭の薄明りに照らされた洞窟に響き渡った。
――邪神の信奉者、その残党である男達が、不可侵である筈の龍の姫君へとその悪意を伸ばす。
尚、現在その姫君のもとには、邪神とその取り巻き絶対殺すマンが滞在している事を、彼らは知らない。
???「脱がせる瞬間がたまらないって姉が言ってたけど、自分で脱いでるのを見るのはもっと凄かった」