表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/134

聖女のみる夢

「アリア! 傷の浄化はまだか!?」


「やってるよ! もう殆ど終わってる筈なのになんで……!」


 焦る気持ちのまま、(おとうと)につい怒鳴り声をあげてしまう。


 焼け焦げた大地に穿たれた巨大なクレーター。

 その中心でオレとアリアは死に物狂いで馬鹿野郎の治療を行っていた。

 空間ごと隔離されていた其処は吐き気を覚える程に邪神の気配が濃かったが、アリアの浄化で殆どが散っている。

 大本である邪神自体が霊核を半身ごと吹き飛ばされて消滅したせいだろう。浄化自体はスムーズに行われ、辺り一帯の凄惨な破壊痕はそのままに周囲は清浄な空気に入れ替わっていた。


 この状態なら回復魔法だって万全に起動する筈なのに、一向に治療は進まない。

 どうしてだよ! オレとアリア――癒しに関しては世界最高峰と言える聖女の称号持ちが二人揃ってるのに……!


「クソッ、なんでだよ……!」


 焦燥感で灼け付く胸中を押し殺して、傷口に精査の為の魔力を走らせる。

 四肢はボロボロ――特に右側の手足が消失してるのに、出血が異様に少ない……いや、これは……。


「出血するだけの血液が、無い……?」


 ゾッとした。

 既に流れ尽くしたとでもいうのか? ふざけるな。

 こいつはまだ生きてる。脈も呼吸もわずかだけどある、血だけが無くなって生きてるなんてことはどんな呪法の反動でも有り得ない。


 肉体の衰弱を押し止める為に回復魔法を注ぎ続けながら、精査も同時に行って原因を探る。身体の状態さえ把握できればオレ達なら治せる。治してみせる。


 でも、何時だって現実は残酷で。

 まるでお前達の行為は無駄だといわんばかりに、理不尽に終わりはやってくる。

 ――パキン、という音が響いた。


「こ……れって……」


 残りの浄化と回復魔法の循環、補助をこなしながらも、必死に呼び掛けていたアリアの目が愕然と見開かれる。

 返答してる余裕はオレにも無い。オレも、それに目を奪われていたからだ。

 肘から消失していた傷口が、白くヒビ割れて硬質化している。


 白灰化。


 魂を燃料にして爆発的な強化を行って死んだ者達の、心臓や核部分に起こる現象。

 それが四肢部分に発生したということは、まさか――血が流れないのも、回復魔法の通りが悪いのも、これが、身体中に――


「ぅ、あ……」


 喉から、何かが漏れた。

 そんな、ちがう。ダメだ。嫌だ。

 だって、最初に白灰となるのはその生物の中心部分だ。だから短時間しか使えないし、心臓のみがそうなって力尽きるのだ。

 だから違う、四肢の白灰化なんて聞いたこともない。別の理由がある筈だ。


 違う、はずなのに。


 決壊が始まったみたいに、耳を塞ぎたくなる悪夢のような音が断続する。

 最初は腕からだったそれは、同じく欠損した腿や抉れた肩、胴から次々と発生して薪が爆ぜるような音を立てていく。

 回復魔法は発動させ続けたままなのに、それを嘲笑うように全身の白灰化――いや、崩壊は進んでいった。


 あり得ない光景に、信じたくない事実に硬直していると、一際大きな音を立て、首元から頬にかけてヒビが走る。


「――ぃ、ぁっ」


 その光景にアリアが耐えきれなくなった。


「い、嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 浄化も回復の補助も、手に握っていた大聖杖(神器)すら放り出してその胸元に取りすがる。


「起きてよ、にいちゃん! 起きて! お願いだよ!」


 それは懇願というより、嗚咽混じりの悲鳴だった。


「ボクをおいていかないで! ボクをひとりにしないでよぅ……!!」


 アリアにダダ甘だった、いつだってアリアのお願いならアホみたいな条件反射で即座に応えていた馬鹿は、ピクリとも反応しない。


 必死の形相で呼び掛けながらぼろぼろと涙をこぼす(おとうと)の姿に。


「――ンな」


 あぁ、いつもだったらどんなときだって、オレが呼べば応えてくれた、動かない馬鹿野郎に。


「――けんな」


 懸命に冷静さを保とうとしていたオレの自制心にも亀裂が入る。


「ふざけんなよ……!」


 一度あふれてしまえば止まらない。疑問と怒りが次々に湧いてくる。


 なんで何も言わずに出て行った。

 なんで一人であんな神格(バケモノ)と戦おうと思った。


 なんで、オレを置いて逝こうとしてるんだよ……!!


 認めないぞ。オレを――オレ達を置いて一人勝手に逝ってしまおうとする馬鹿の理屈なんて、それがどんなものであれ認めるものか……!


 アリアが手放した大聖杖を拾い上げると、硬く握りしめる。

 込められた聖性と自身の魔力を同調させて一気に励起・増幅したそれを、崩壊の進む馬鹿の身体へと注ぎ、細心の注意を払って高速循環させ始めた。


 擬似的な魔力暴走(オーバーロード)


 まがりなりにも聖女のオレがこの状態で魔法を行使すれば、条件付きだが死者蘇生だって可能になる。

 魂の器が損壊して回復の為の魔力が溢れるというのなら、溢れた傍から注いで此方で体内をブン回してやる。

 それでも尚、回復には至らない。けど崩壊は止まった。

 ならばあとはこの状態を維持する。どこまで魔力が保つか分からない、時間との勝負だ。最悪、生命力を代替にしてでも保たせてみせる……!

 手ならある。アリアに聖都への連絡と転移を頼んで、時空凍結の封印を準備するのだ。

 時間の流れすら極限まで遅滞させるアレならば、今は直せなくても()()()()()()()のを避けられる。 

 封印が有効な間に、治療の為の魔法や儀式を探す――無いのであれば新たに作る。

 全ての行程が綱渡りの連続みたいな作業だ。何度も、幾度も繰り返す中で様々な無茶をしたが、その記憶を根こそぎひっくり返してもこんな難易度の魔法行使は行ったことがない。

 どういう形になっても、オレにも少なからず反動が残るだろう。


 でもいい、構わない。置いていかれるより、ずっといい。


 そんな思いと共に、大馬鹿野郎のツラを強く睨み付けて――。

 その閉じられていた瞼が、うっすらと開かれてオレを見つめ返した。


「――――」


 咄嗟に出る言葉も無くお互いの視線が交わり、ここにいる筈のない人間を見たかのように奴の眼が軽く見開かれる。

 普段は騒がしく変わる表情が、いつもはやぶ睨みの目付きが、穏やかにオレだけを映して。

 バツが悪そうに、ちょっとだけ笑った。


 なんで笑うんだよ、こっちは怒ってるんだぞ。かつてなく本気だぞ、そんな風に笑うなよ。


 こんなときなのに、眼が離せなくなって息が詰まる。

 意識が戻っただけだ。決して安堵できるような状況じゃない。

 それでも笑いかけてくれたことがひどく嬉しくて、さっきまでの怒りと混ぜ合わされた感情に胸の中がかき乱される。

 睨み付けていた筈の視界が滲む。喉が腫れ上がったように痛んで、しゃくり上げてしまいそうだ。


「――! に”ぃち”ゃん!!」


 眼を覚ました事に気付いた、涙で濡れた顔をくしゃくしゃに歪めたアリアの声。

 奴は残った腕を億劫そうに持ち上げると、既にボロボロの手の平でぎこちなく、泣いている(おとうと)の艶やかな銀髪を撫でて。

 その手をアリアは大事そうに抱え、頬に擦りよせた。

 オレがこらえてしまった感情(モノ)を代わるように、何度も何度も息を詰まらせながら、にぃちゃん、にぃちゃん、と抱えた手を大切な壊れ物のように抱きしめる。

 ――こんなとき、素直に自分の気持ちを、心を言葉にできる(アリア)が少しだけ羨ましかった。


 ロクに動かないであろう指で、それでも優しくアリアの頬をなぞると馬鹿野郎は再び瞼を閉じる。

 また意識を失ったのかと、不安に声をあげそうになるが直ぐに理由は知れた。


 オレの行使している回復魔法が奴の身体から弾かれたのだ。


「――ッ! なにしてんだお前!?」


 そんな状態で回復を耐魔(レジスト)するとか馬鹿なのか!?

 思わず怒鳴ると、困ったように眉根をよせながらひび割れた唇が動く。


 もうやめとけ、いみないから。


 声帯が機能してないのか、掠れたような音しかでてこない。けど唇の動きからそう言ったのは簡単に分かった。


 怒りと衝撃で、思考が一瞬白く染まる。

 けど反論は思考なんて関係無しに、即座に口から飛び出した。


「アホなこと言ってんな!! まだ手はある!!」 


「にぃちゃん、耐魔(レジスト)をとめて! 身体が!」


 オレの怒声とアリアの悲鳴が重なる。

 それでも流し込もうとする回復魔法は身体から弾かれるままだ。

 口論になったときだって、オレ達二人が意見を変えなければ大抵は自分から折れていたのに。

 どんなに言っても、怒鳴りつけても泣き出したとしても、決まりが悪そうに口をへの字にしたまま話を聞かないときがあった。


 一目みて、此方の魔力暴走(オーバーロード)に気づいたのだろう。この後に何をしようとしているのかも察した筈だ。

 オレ達に負担がかかる、オレ達に危険が及ぶ。そう判断すると絶対に意見を変えないんだコイツは……!


 今までもそうだった。いつだってそうだった。

 普段はふざけた言動ばかりの癖に、こっちがキツいときやしんどいときはいつの間にか傍にいて。

 何度繰り返してでも、例えそれで自分自身が磨り減っていくとしても救いたかった人達を、オレだけでは救えなかった人達を――オレだけでは失うしかなかった大切な(きょうだい)を。

 シレっとした顔で現れては救ってきたのが、目の前の大馬鹿野郎だった。


 オレが心底望んだ結末へと、届かなかった一歩を届かせてくれる。

 オレの相棒。オレのヒーロー。


 前にも、その前にも、失われていた……ずっと助けられずにいた人達が、欠けてしまっていた大切なピースが欠けないままに増えていって。

 何度も経験した辛い別れと終わりの記憶は、まるでいつか見た夢の続きのような。

 誰一人欠けていない、そんな出来すぎな未来へと繋がって、新たな思い出と新たな笑顔で上書きされていく。

 助けられた多くの人達がコイツを認めて、慕って――オレだけのヒーローじゃなくなったことが少し不満だけど。

 その何倍も嬉しかった。誇らしかった。

 オレのヒーローは凄いだろう、そんな子供染みた、自分の一等大事な宝物を自慢するような気持ち。

 心地よくて、どこか気恥ずかしいそれはオレの新たなピース(欠けてはいけないもの)になった。


 でも絶対調子に乗るから本人には言わない、言ってやらない。

 そんな建前と変な意地を張って、もう一つの気持ちには蓋をし続けた。


 転生前はオレも男だったから、アリアも同じ気持ちだろうから、今は戦争中だから、今の関係が心地よいから。


 自分でも白々しいと思うような言い訳は幾らでもできた。

 今回はきっとうまくいく、もう失敗するような不安要素はない。この感情に関してはそれから考えればいい。

 もし、もし何か最悪な出来事が起こってもう一度繰り返すことになったとしても――

 コイツならきっと、何度だってオレと一緒に……。


 当人がソレをさせたくないが為に、何度も無茶をしてきた事も忘れ。

 此処までの道程を否定するような、愚かな薄甘い考えを一瞬でも抱いた罰だとでもいうのか。

 欠片というには余りにも大きくなりすぎたオレの大切な存在は、手の届かない場所に逝ってしまおうとしている。


 回復魔法を拒み続けた身体は再び崩壊をはじめ、もう、どうにもならない処まで来てしまっていた。

 アリアもそれを分かっているのか、大粒の涙がこぼれるに任せたまま嗚咽をこらえている。

 白く灰化してしまった腕を抱き締め続けている小さな身体は、直ぐに来るであろう大きな喪失に怯えて震えていた。


 魂の殆どを邪神を滅ぼす為の糧にしてしまった大馬鹿は、死どころか輪廻の環にすら乗れずに消えてしまうかもしれないのに。

 ちっとも堪えた様子も見せずに、ひたすらバツが悪そうにいやマジスンマセンと、既に音を発しない唇を動かした。

 泣かせたかった訳じゃない。ただ、もうしんどい思いなんてせずに笑っていて欲しかっただけ。

 圧縮言語ですらない、ふざけた謝罪の中に隠した本音は手に取るように分かった。


 ――最期の最期までコイツはこんな感じかよ。


 怒りと、呆れと、哀しみと――愛しさで。

 ぐちゃぐちゃになった感情はとっくに制御なんて利かないまま、涙になってあふれだしていた。


 いいだろう、もう分かった。もうゴチャゴチャ考えるのはやめだ。

 お前がそういう態度なら、こっちにだって考えがあるからな。

 このまま一人勝手に、満足して逝かせるなんてさせるかよ。最後に特大の告白(ばくだん)をぶつけてやる……!

 深呼吸一つすると、声が震えないよう、いつも通りの語調になるように努めながら口を開いた。


「ふざけんなよ……この極馬鹿野郎が!!」


 分かってないだろう、お前がどれだけオレの心を救ってくれていたのかなんて。


「毎度毎度、勝手に無茶して勝手にボロボロになって! 極めつけがこれかよ!!」


 知らないだろう、いつからか、オレがどういう気持ちでお前を眼で追っていたかなんて。


「オレは! オレは、た、だ……!」


 さぁ、言うぞ。聞いたあとで後悔したって文句は受け付けないからな、精々驚きやがれ。


「おまえと……! ずっと一緒に居たかっただけなの、に……!!」


 ……あれ?


 勢いで思いの丈をぶちまけてやろうとした叫びはみるみる失速して、やっと出てきたのはどうしようもなく泣いて震えて、みっともなく裏返った声で。

 肝心な言葉が何一つ含まれていやしない、そんな一言だった。


 こんなときになってまで、本当に伝えたい事も言葉にできない自分に愕然とする。

 なのに。それなのに。

 盛大に滑ったはずのオレの一世一代の告白に、奴は照れ臭そうに、けど本当に嬉しそうに笑ったのだ。


 そうだな……できればおれも、ずっと……おまえらと……。


 そんな風に、既に聞こえる筈のない声が聞こえた気がした。

 待ってくれ、待っ――。


 ――そうして。

 オレのヒーロー(すきなひと)は真っ白な灰になって、崩れて消えた。


 あ……あぁ。嫌だ……嫌だ! 逝かないでくれ、オレをおいていかないで。

 まだ何も言えていない、まだ一緒にしたかったこともできてない。

 もっとずっと一緒にいたかった。もっともっとお前のことを知りたかった、オレのことを知ってほしかった。

 お前が変えてくれたこの世界で、お前と――。


 わずかに残った灰の欠片を胸にかき抱いて、泣き叫んで、喉が嗄れても涙は止まらず。

 アリアと、オレ自身の慟哭が焼け焦げた大地に吸われて消えていった。





◆◆◆






「……久しぶりにみたな」


 見慣れた寝室の天井をぼんやりと眺めながら、呟いた。

 泣き過ぎて腫れぼったい瞼を手の甲でぬぐいながら寝台から身を起こす。


 ここ数ヵ月は夢みることもなかったアイツの最期は、相も変わらず強烈にオレの情緒を揺さぶってくれる。

 どうやら二年足らずでは薄れることすら無い程度には、惚れていたらしい。

 元より、一生忘れてやるつもりは無いけどな。


 邪神の軍勢から世界を救った聖女、なんて肩書きのせいか無駄に広くて華美だったオレの私室だが、聖職者足るもの清貧に努めるべきだ、と理屈を捏ね回してなんとか落ち着いた内装になった。

 最初の一年くらいは部屋の内装なんて意識すら出来ないような状態だったので、意見を通したのは最近なんだけどな。

 まぁ、それでも部屋自体はだだっぴろいままなんだけど。


 裸足のままベッドから降りて、ペタペタと音を立てて備え付けの机に歩み寄る。

 机に置かれた魔法の掛かった宝石箱を手に取ると、蓋を開けて質素なペンダントを取り出して。

 いつものように首からそれを下げると、真っ白な灰を押し固めた中央の石に静かに口付けを落とす。


「おはよう」


 日課の挨拶を終えると、ほころんだ頬にぬぐいそこねた涙が少しだけ流れた気がした。

 さぁ、今日も一日が始まる。






「おはようございます、レティシア様。よくお休みになられましたか?」

「あぁ、おはようヒッチンさん。よく眠れたよ、やっぱり部屋が豪華すぎるよりは寝心地がいいみたいだ」


 せっかく聖都の総本山にいるのだから、と周囲の同僚達の声に推されて始めた大聖堂でのお祈り時間(朝のルーチンワーク)を終えて食堂へと向かう。

 その途中で顔を会わせたシスター・ヒッチンと朝の挨拶を交わすと、そのまま連れだって食堂を目指すことにした。

 教皇の同期で枢機卿の教育係も兼ねていたという、現職の聖職者の中では最古参に近いシスター・ヒッチンは自他共に厳しいお人柄なので、浮わついた若い連中なんかには大層恐れられている。

 朝のお祈りからアイドルの追っかけみたいに遠巻きで眺めていた連中が、そそくさと散っていくのが頼もしい。

 悪気があるわけじゃないんだろう。でも毎度毎度、聖堂から食堂まで大名行列みたいになるのは勘弁してほしい。

 朝飯くらいは静かに食わせて欲しいのだ。彼女と合流できたのは幸いだった。


「それは良いことです。とはいえ、レティシア様のお立場を考えるとある程度の調度品は揃えませんと示しがつきません。本来は教会の権威、などというものはこの様な形で見せるものではないとはいえ、何事も形式というものは必要です」

「う”っ……仰るとおりです。留意しておきます……」


 勿論、清貧を良しとする旨は素晴らしいお考えですが。と、年齢を感じさせない背筋を伸ばした姿勢で、真っ直ぐに前方を見つめたまま仰るシスター・ヒッチンに、首を竦めて返答するオレ。

 ちなみに聖女という称号は、立場的には枢機卿とほぼ同格といっていい肩書きなんだけど。

 目の前の御婦人はその枢機卿が頭の上がらない人物なので、オレが逆らえる筈も無かった。


 ちなみにそのこわーい御婦人を「尼さん帽取ったら髪がトグロ巻いてそうw」「背筋に太い針金入ってそうww」「三角眼鏡がアホ程似合いそうwww」と評して、真冬に素足のまま石畳の上で正座させられたキングオブ馬鹿もいたな。

 その後、懲りずに本当にプレゼントした三角の細眼鏡は、意外にも気に入ったのかシスターの愛用品となっている。贈った当人は真夏に石畳の上で石を抱いて正座することになったが。


 数年前の、だけど遠く懐かしく感じる記憶に苦笑しながらペンダントに触れる。

 こちらを横目でちらり、と見たシスター・ヒッチンが自身の鼻梁に乗った眼鏡に軽く触れ、少しだけ穏やかな口調で続けた。


「最近はお顔も血色が戻られたようでなによりです。尤も、夢見が悪い日々が続くようでしたらハーブティー等を用意する事もできますが」


 どうやら夢の中で泣きはらしたことまでお見通しらしい。顔を洗ったときに軽く回復魔法を掛けて目の周りの腫れはさっさと治したんだけどな。


「大丈夫だよ、久しぶりにちょっと夢を見ただけだし――悪い夢なんかじゃないんだ」


 夢に見る度に――いや、今でも思い出すだけで胸が痛いけど。

 それでもアイツとの最後の時間が、悪い夢な訳がない。


「そうですか」

「うん、そうなんだよ」


 お互いにアイツの残した品に触れながら言葉少なにやり取りする。

 共通する思い出をシスターも思い返しているのかもしれない。


 二人して食堂に到着すると、オレは中をぐるりと見渡す。本日の朝のお祈りはオレだったので、この時間、いつもだったら先にアリアが来てる筈なんだけど。


「アリア様なら、夜明け頃に執務室前でお見かけしましたので休暇を取って頂きました」


 ピシャリと、いつもの厳しい口調に戻ったシスター・ヒッチンが言ってのける。


「あいつ、また徹夜で仕事してたのか……?」

「御本人曰く、ちゃんと寝たとのことでしたが、ここ数日同じようなやり取りを繰り返し行っていますので」


 アリア様の本日の予定は全てキャンセルし、執務室の出入りを一日禁止させていただきました、と眼鏡をキラリと光らせるシスターが怖い。

 どうやら(おとうと)がやらかしたので、(オレ)のほうも無理をしてないか確認するために大聖堂に寄ったらしい。

 仕事をしているほうが気が紛れる、と言われてしまうとその気持ちが分かるオレとしては注意もし難いので少し困っていたのだが・・・・・・流石はシスター・ヒッチン。上の人間が休まないと下も休めないとバッサリ切って捨てたようだ。


「仮眠を取った後に、街へとお出掛けになると仰っていましたので騎士アンナに護衛と監視をお願いしておきました」


 おもいっきり監視って言っちゃってるよこの人。

 まぁでも、最近のアリアは働き過ぎだ。街をブラつくと称して視察とかになりかねないしな。

 アンナがいればあちこち引きずり回して結果的に気晴らしになるだろう。

 オレの方はいつも通りに、朝食を取って仕事に向かうとしよう。


「アリアが今日はいないのは分かったよ。それじゃヒッチンさん。朝飯を頂くとしよう」

「えぇ、よろしければご一緒させて頂きます」


 何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。

 飯が食えるなら人間簡単には死にはしないってアイツも言ってたしな。






 執務室に籠って書類と格闘すること数時間。

 枢機卿と同じくらい偉いといっても、名誉称号みたいな扱いである聖女には本来実務なんてものはないらしい。

 が、大戦中に戦地で実績を積み上げまくったオレとアリアにはそれ相応の実権と、それに付随して仕事が付いてくる。

 各地をひたすら転戦していた頃はそれも極々最低限だったが、本拠を聖都に移してからは結構な量の書類を捌かねばならないのだ。

 政を司る元老院のようなものはあるが、司教以上は就任と同時にそこに席ができるようなものなので実質高位の坊主=為政者みたいな事になってるけどな。

 ちょっとガバガバな制度ではなかろうかと思わなくもない。

 けど延々と邪神の勢力と戦争やってたこの世界では、これくらい適当じゃないと人員の損耗とそれに伴うポスト異動の回転が追い付かないんだろう。戦争も終わったし、これからは変わっていくことに期待だ。

 高位の聖職者ほど前線で引く手数多で、実際に政務なんてブッチして戦場で暴れてる人も結構いたので先は長そうだけど……。


 そんな事をつらつらと考えながらひたすら書類に目を通してはサインをする作業を繰り返していると、執務室の扉の向こうからなにやら押し問答する声が聞こえて顔をあげる。


「いや、ですから今は聖女様は執務中でして……」

「急用だっていってるでしょ! アリア様にも話は通ってるんだって!」

「でしたら御本人かそれに類する判紙が……」

「そんなことやってる場合じゃないの! ほんとに大事な用件なんだから通して!」

「しかし、そ「あぁ、もういい! レティシア! 入るよ!」ちょっ!?」


 ドバーン! と派手な音を立てて扉が開かれ、守衛の僧を引きずりながらズカズカと部屋に入ってきたのはプラチナブロンドの髪を纏めて横に垂らした少女だ。


「あー……アンナ、一応言っておくけどノック位はしろよ?」

「そんな事いってる場合じゃないんだって! 大変なのよ!」


 守衛を無視して部屋に飛び込んでくる時点で、実際はノックも糞もないのだが必死に背にしがみついて止めようとしている衛兵さんが気の毒なので、やんわりと注意する。

 軽装の騎士服を纏った少女――アンナは興奮しているようで、どこ吹く風といった様子だが。


 アリアと並ぶと髪色が似てるせいか、オレより姉っぽくみえるんだよなこいつ……ちょっと複雑だ。

 もっとも、精神年齢は絶対アリアのほうが上だろうけど。他国から招かれてる騎士って立場なのに、しょっちゅうシスター・ヒッチンに正座させられてるし。


「……で、何が大変なんだ? 前みたいに屋台の串焼きが全品半額だったとかいう話だったらこの場に即ヒッチンさんを呼ぶけど?」

「ヒェッ」


 興奮しすぎて暴れ牛のような雰囲気だったアンナは一瞬で鎮火した。大方、石畳の感触でも思い出したんだろ。

 苦手を通り越して天敵になりつつある人物を呼びつけると聞いて大いに怯んだ様子だったが、それでも引き下がる気はないようでこちらに顔を寄せる。


「そもそもお前、今日はアリアの護衛(と監視)があっただろ。なんでこんなとこで油売ってるんだよ」

「そのアリア様に頼まれたの、急いで伝えてきてって」


 アリアに……?

 というか前から思っていたけど、なんでこいつアリアにはもの凄い丁寧に接してるのにオレにはこんなに砕けてるんだろうな。いや、全然嫌じゃないし、寧ろ気安い態度は有りがたいくらいなんだけど。


「だってアリア様はもう如何にも聖女様!って感じじゃない? レティシアも外見はそうだけど中身までしっかりレティシアだし」

「ぶっ飛ばすぞお前」


 なんだよ中身レティシアって。オレは金太郎飴か何かか。


「って、そんな事はどうでもいいの! 大変なんだから!」

「マジでぶっ飛ばすぞお前」


 ちょっと笑顔で凄んでみるが、続く言葉におちゃらけた雰囲気は吹き飛んだ。


「アリア様が、黒髪黒目の男を見つけたの。多分、ニホンジンよ」

「……!」


 一瞬、瞠目すると、直ぐにアンナの背中にしがみついていた衛兵を下がらせる。機密って程でもないが念の為だ。

 邪神討伐後、オレ達の世界からの転移・転生者は確認されていなかった筈だ。

 黒髪黒目ということは、おおよそ2年ぶりの転移者、ということになる。


 もっともそれは各国の報告が真実ならば、という前提だ。

 実際には今回の転移者の男というのが、二年間で最初でもなんでもなかった、という可能性だってある。

 オレも含め、こちらの世界にやってきた地球の人間は何かしら特典のような下駄が履かされる。

 囲い込もうとしている国もあるので、隠蔽は十分にあり得るのだ。

 最悪、それらの国の間者だったというオチだって有りうる。


「今はアリアがそいつを見てるのか……危なそうな奴じゃないんだな?」

「……そんな感じはしなかったかな。言ってる事はちょっと分かんなかったけど」

「うん? そいつは何て言ったんだ?」

「えーと確か、『この世界にジャ○プってあるか?』って」


 異世界に来て最初に欲しがるのがジ○ンプかよ!

 一気に気が抜けた。これだけで気を許すのは早計だが、確かにそんなに危険な感じはしなさそうだ。


「とにかく、オレも一度会ってみるかな。折角の転移者だ、囲い込むってわけじゃないができれば聖都に定住して欲しいし」


 軽い口調で言ってみると、アンナは珍しく迷うように眉根をよせて視線を泳がせた。


「その……驚かないでね? 私も最初に見たときビックリして……いや、アリア様もなんだけど……」

「なんだよ、奥歯にモノが挟まったような言い方して?」


 本当に珍しいな。アンナがこんな風に言い淀むのは。

 普段とは正反対の、メチャクチャ歯切れの悪いその様子にやはり何かあるのかと警戒感を持ち直す。

 けど――。


「よく見たらちょっと若いし、傷とかもないんだけど……でも、『アイツ』にそっくりで――ううん、私も、多分アリア様も、『アイツ』にしか見えない。こうしてる今でもそう、思ってる」


 ――え……?









マジキチ「女神様、ジャ○プはやっぱ無いみたいなんですけど」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ