登山(発射式
初日のトラブル以降、目立った厄介事に巻き込まれる事も無く……いや、補給の為に街に入る度にリアに声掛けてくる奴は結構いたけど、大抵は後ろに控えるガンテスを見て引き下がった。
聞いた話によれば、最近の巡礼者というと、大戦終結後に思い立って旅に出る者が多いらしく、大抵はあの戦争を生き残った腕利きばかりらしい。
冒険者の護衛で固められた馬車を襲う賊はいても、巡礼者を狙う命知らずや馬鹿はいない、というのが昨今の旅人達の認識の様だ。
まぁ、聖殿内でも、普段は穏やかなお坊さんといった振る舞いで、一皮剥くと中身修羅勢は結構いるからね……今更ながら、この世界の宗教坊主は色んな意味でガチ勢が多すぎる。
とにかく、行程が遅れる様な事もなく、順調に北上を続けること半月。
遠目に見える山々に、少しずつ雪化粧が施されるようになり、気温も段々と下がってきて俺達は大陸の北端に近づいていた。
予定より大分早いペースなのは、ガンテスが「慣れてきた」と言って速度を上げ始めたのが大きな要因やな。
前半は風を感じてドライブ気分だったのに、後半はちょっと風圧がきつくなってきてリアが弱めの障壁を展開しながら移動する事になり、風圧や空気抵抗が減衰されたせいで更に速度が上がるっていうね。
……今思うと、これ、前にリアを肩に乗せて戦場を走り回ってたときの戦法と酷似しとるな。
聖女様のぶっ飛んだ魔力量を生かしたとんでもねぇ強度の障壁を前面に展開して、鎧ちゃんを完全起動させて全力ダッシュするだけの簡単なお仕事です。
うっかり味方にぶつからないようにだけ注意する必要はあったが、高速移動する破城鎚の如く、敵の密集してる箇所に突っ込んで片っ端から撥ねるのはちょっと爽快だった。
まぁ、今俺らを乗せて爆走してるおっさんにとってはいつもやってる戦い方なんだろうが。
霊峰に近づいているせいか、段々と魔獣の強さも上がっている筈なんだが、遭遇してもあっという間に置き去りにしていくか、正面衝突で轢き殺して終わるので全然実感が無い――以前行ったときもそうだったけどね。
たまに、可食部位の多い奴を轢いたときに足を止めて食料にする位だった。暇を持て余して遠話の魔道具でシアと長話に興じてしまうくらいに平穏な道行きでした。
そんな訳で進行を遮る物も出来事も無く、最後の補給地点である北陸の小さな村を出て、更に走る事二日。
俺達は、無事に霊峰に連なる山脈の麓まで辿り着いていた。
雪化粧の施された雄大な山々に、吸い込むと身が引き締まるような冷たい大気。
山脈に点々と行き交う影は、そこを住処とする飛竜や飛行能力をもった魔獣だろうか。
雪と氷に覆われた地域だというのに、旺盛な生命力と豊潤な魔力をそこかしこから感じる、肥沃な大地。
以前訪れた時も、これだけの土地が一切戦禍に晒される事無く存在していることに驚いたもんだが……改めて見てもやっぱすげぇ景色だなぁ。
「うわぁ……凄いねぇ!」
妹分の感嘆の声に、だよなー、と同意し、ガンテスの負った背負子から飛び降りる。
初見は圧倒されるよなぁ。俺もそうだったし。
単純に、ファンタジーな自然界! といったイメージをどこまでも力強く体現したような光景は、見る者の心にダイレクトに感動を与えてくる。
「拙僧は幾度目かの来訪ですが、やはり素晴らしい光景ですなぁ……創造神の創りたもうた世の神秘と生命の力強さ。この地に足を踏み入れば未熟な我が身であっても、蒙を啓かれた心地になりますれば」
感極まった、といった様子で両の手を合わせて祈りを捧げるガンテスと、背負子に乗ったまま瞳をキラキラさせて景色に見入っているリア。
正直言えば、俺も二人と一緒に暫く景色を堪能していたい処ではある。
だが、肉体的にこの程度の寒さは誤差でしかないおっさんと違って、障壁を解除したんだからリアは早く防寒装備を着なさい。風邪引いたらどうするんや。
俺は最後に寄った村で購入した、この地の暖毛に覆われた獣の革で拵えたコートを羽織った。
前に来た時も同じものを購入したんだが、防寒性高いし、いい感じなのよ。登頂途中の霊獣やら精霊やらとの遭遇で直ぐボロボロになったけど。
生返事で景色に魅入っているリアを抱え上げると、背負子から下ろして腕を上げさせ、同種のコートの袖を通して羽織らせる。
あとは事前に用意してたマフラーを首に巻いてやって、コートと御揃いの手袋にイヤーマフのついた帽子を被せてやれば、防寒対策は完璧や。
「わ、あっという間に終わった……ありがとー、にぃちゃん!」
「ふむ、手慣れておりますな。いやはや猟犬殿とアリア様の仲睦まじき様が伺える様で、これもまたこの地の景観に劣らぬ良きものを見れた思いです」
いやね、これも最後に寄った村で揃えた品なんですけどね、にいちゃんちょっと楽しみだったんですよ。
ぶっちゃけ、村でコート一式のデザインみたときにビビっと来たんスよぉ! これアリアさんに着せたらクッソ似合いそうだなぁって!
実用性の高さも地元の者達が使ってるので折り紙付きだが、見た目もいい感じだ。袖や襟元についたファーと、同じ素材の手袋と帽子――妹分の銀髪と小柄な体躯も相まって、めんこい雪ん子の精の様だ。
カメラが無いのが悔やまれるね! 帰ったら是非ともシアやミラ婆ちゃんにも見せてやりたい姿だ。
「そ、そうかなぁ? そんなに似合う?」
「大変良くお似合いですぞ。婦女子の服飾など屯と識らぬ身ではありますが、今のアリア様はこの地に住まう雪精の如きです」
同感や。副官ちゃん辺りが見たら、興奮してホールドからの頬ずり不可避やで。
おっさんと俺でイイ笑顔でサムズアップしてやると、リアは照れ臭そうに笑いながら自身の恰好を見回して、その場でくるりと回ってみせた。
「そっか! にぃちゃんがそう言うなら、聖都でも冬季になったら着てみるね」
おー、いいね。あ、帰りにシアの分も買っていこう。土産の一つとしては丁度えぇわ。
「そうだね、あっちでは珍しい素材と縫製だし、ちょっと目立っちゃいそうだけど――ボクとレティシアとにぃちゃんで御揃いで出掛けてみたいな。きっと家族みたいに見えるよ!」
俺もかよ。お前ら二人がこの防寒着着て並ぶと絵になりそうだけど、俺が混ざるのはなぁ……嫌という訳ではないが、眼福度が下がりそう。
「んー、眼福とかじゃなくてボクがお揃いで街を歩きたいんだ……ダメ?」
あ、ハイ。駄目じゃないです……まぁ先の話ではあるから、その時においおい、な。
じゃぁ、約束ね! とニコニコしながらわざわざ手袋を外して小指を立ててこちらに差し出してくるリアに、苦笑いしながら小指を絡めて指切りげんまんしてやる。
……そういえばさっきから、ガンテスが無言やな。
そう思っておっさんの方に首を向けると、角張った厳めしい面を、こちらもニコニコと相好を崩して小指を結んだままの俺達を眺めていた。
「――む? 此方の事はお気になさらずとも良いですぞ。御二人の心温まる交流に横やりを入れる無粋は致しませぬ――寧ろ、その様な輩がおれば愚僧の拳を以て打ち払ってみせましょう」
両の手を胸元で揃えて拳を握る、一見するとぶりっ子ポーズの様な構えだが、節くれだった太く分厚い握り拳にぶっとい血管を浮かべて力を籠める姿は、発射される寸前の大砲を想起させた。
気軽に笑ってるけどガチで言ってるやつじゃねーか――ミラ婆ちゃんといい、おっさんといい、俺達がじゃれてると凄い気合入った様子で見守り始めるのはなんやねん。何と戦う気やねん。
後方保護者面――とはまた違うんだよな。なんかあったら寧ろ積極的に前に出てきそうな空気を全開で出してるし……ただの保護者だわこれ!
まぁ、アレだ。人からすれば俺も聖女姉妹もまだまだ若造だし、脇が甘くて心配になる点とかもあるんだろうな。
とはいえ、今回の件はガンテスが同行できるのはここまで――霊峰への登頂は俺とリアのみで行う事になる。
ゆびきりを終えても中々手を放さずに、さりげなく手繋ぎに移行して何故かご満悦の妹分が、今後の予定を思い浮かべたのか小首を傾げた。いや、首を傾げたいのは俺の方なんですけど。手ぇつないでどうすんのアリアさん。
「そういえば、先生は御山には登らないんだっけ。最後に立ち寄った村で待機してるの?」
「予定ではそうなっておりますが……ミラ殿にお聞きした処、麓近辺ならば滞在しても問題無いとの事ですので――この好機に、御二人が霊峰から降りるまでこの地で鍛錬に励もうかと!」
「先生、凄いイキイキしてる」
楽しみでしかたねぇ! と、その場でスキップでも始めそうな様子で瞳を期待に輝かせる修行キチに、相変わらずだなー、とのほほんと笑いながら笑い返すその弟子。
霊峰と比べれば多少はマシとはいえ、その周辺もやべー獣や精霊がごろごろしてる一級危険地帯には変わりないんやぞ。そこはドン引きするとこだよ。
あー……とりあえず、確認をしておこう。持って来てるか?
意外とタフなメンタルをしているリアに繋がれたままの手を、意味も無く前後に振って遊びながら俺は前回と同じ準備は出来てるかと、ガンテスに問いかけた。
準備? と不思議そうな顔をする妹分に、ガンテスは満面の笑みを浮かべて応える。
「うむ、以前我らがこの辺りまで来た際、猟犬殿の発案で登頂時間を大幅に削る為の方法を、互いの合力を以て試したのですが……今回も必要と伺ったのでしっかりと準備をしてきましたぞ!」
背の大荷物を下ろして、野営道具と一緒に大袋に放り込まれていたソレを、おっさんはどこか自慢気に引っ張り出して天に翳して見せる。
「……バット?」
どっちかというと、細身の羽子板だな。木じゃなくて、高密度の魔装処理された鋼鉄製だけど。
ポカンとして、ガンテスの手に握られた羽子板擬き――霊峰のショートカットに使う道具を眺めて呟くリアに、補足説明してやる。
まず、剛力無双のゴリラ。
そしてその全力のパワーに確実に一回は耐える棒状の得物。
あとはマイラブリィバディこと、完全起動した鎧ちゃん。
以上三点が、ショートカットに必要なアイテムになっております。
「まって、ちょっと待って。もうこの時点で嫌な予感しかしない」
ハッハッハ。――まぁ、待ちたまえ。
顔を引きつらせて離れようとするアリア君の小さなおててを、恋人繋ぎよろしくがっちり指を絡めて捕縛する。
「いや絶対まともな方法じゃないよね!? 先生思いっきり素振り始めたし!」
風切るどころか大気を粉砕して、力強いスイング――以前、俺が教えた振り子打法を練習し始めたおっさんを横目に、リアは悲鳴の様な叫び声をあげる。
大丈夫だいじょーぶ、前は成功したから。今回はその経験もあるからより確実だから。なんなら飛距離の更新狙えるから。
「いま飛距離っていった! 山登りなのに飛距離って!」
はいはい、暴れないでねー。
――《起動》。
さり気なく鎧ちゃんをシャキーンと完全起動させて、妹分を抱え上げて拘束し――そのままお姫様抱っこで固定した。
「……はぇ?」
リアが唐突に動きを止めて固まり、俺の腕の中で呆けた表情で此方の顔を見上げてくる。
ぶっちゃけ、お前に危険が及ぶ方法とか取るわけ無いぞ。最悪、失敗しても俺の両足がへし折れるだけだ――それもお前がいるから直ぐに治るし。
そもそも骨折くらいなら、回復魔法が無くても鎧ちゃんが装甲を侵食させて接いでくれるからね。
前回も普通にチャレンジして普通に成功したし。
なので、ちょっとこのまま大人しくしてくれてると助かる。
「うぅ~……もぅ、にぃちゃんはホントにもうっ……!」
何故か、両手で顔を隠してうなり声を上げ始めたリアは、ややあって腕の中から上目遣いで見上げて来た。
ちょっと頬が赤いが、流石にお姫様抱っこは恥ずかしかったか? すまんね、背中におぶるよりは前に抱えた方が飛距離も安全度も上がるので我慢してくれ。
「……じゃぁ、どんな方法なのか具体的に聞いてもいい?」
大体予想してる通りだと思うぞ?
ガンテスの渾身スイングに合わせて、完全起動状態で足裏を"乗せて"脚力と魔力放出で全力跳躍するだけや。
飛距離優先なんで、飛行能力もった敵性生物に襲われるのだけ注意しないといかんが、リアがいるなら魔力障壁で全部解決するので、前回よりずっと難易度は低い。
前は四合目あたりまで行けたので、今回は半分は越えられそうだ。
「はぁ、にぃちゃんだしなぁ……ちゃんとボクを落とさないようにしてね?」
勿の論でございますとも、しっかりエスコートさせて頂きます。一応、そっちもしっかりしがみ付いておくれ。
「うん! 良し。切り替えた。それじゃ、お願いします!」
そう言って、にっこりといつも通りに笑うと、リアは一転して上機嫌そうに俺の首に手を廻してしっかりと身を寄せる。
納得してもらえたようで何よりだ――そんじゃ、そろそろ行くとしますか。
装甲の魔力導線を励起させ、知覚と身体をメインに強化率を上げる。
素振りを終えたガンテスがリアの鎚鉾に匹敵するサイズの羽子板擬きを肩に担ぎながら、静かに俺達の後ろに陣取った。
「では、準備はよろしいですかな? 行きますぞ!」
おう、ドンと来い。
ズチャ、と重量ある物体が大地を擦る音が背後から響き。
「それでは御武運を。……ぬぅぅぅぅん!」
野太い気合の雄叫びと共に、容易く音の壁を越えて巨大な鋼の塊が振り抜かれた。
鋭敏化させた知覚でその軌道を捉えると、軽く地を蹴ってその場で飛び上がり、振りぬかれた鋼棒の打点力がピークになるタイミングを見計らい、衝撃だけを殺しながらそっと足裏を乗せる。
急速に身体にかかる加速に合わせ、曲げた膝から一気に力を解放。スイングの最速地点と同時に背面と脚部から魔力を最大噴射しながら全力で跳躍した。
リアにかかる慣性を《流天》で極力流しながら、万が一にも落とさないようにしっかりとその小柄な体躯を抱える。
「う、わああああああああ!?」
「無事の下山を祈りますぞぉぉぉぉぉ……」
マッハコーンを発生させてそれを突き破る様に宙を跳ぶ俺の耳に、障壁を展開しながら悲鳴をあげて――どこか楽しそうに首っ玉にかじりつくリアの声と、ドップラー効果で尾を引きながら遠ざかっていくガンテスの声が同時に届いた。
◆◆◆
「――あれ?」
「如何なさいましたか、レティシア様」
「いや、なんかアリアの悲鳴が聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな」
「……虫の知らせ、というものでしょうか? 何かあったのか遠話で確認をとっては?」
「いや、なんだろう。なんというか……また抜け駆けされた様な気がする。ちょっと魔道具とってくるよ」
「何の問題も無さそうでようございました。では、こちらの書類もお願いします」
「そんな殺生な」
◆◆◆
――ぃよぃしょぉぉぉぉおっ!
俺、着・艦!
いや、艦でも何でもなくただの地べたですけど。
リアが何も言わずとも円錐状に魔力障壁を展開してくれた御蔭で、空気抵抗がごっそり減った為か、相当飛距離が伸びた。
以前より遥かに記録更新できた事に、しょーもない満足感を抱きながら霊峰の中腹を優に超えた地点に、大地を削りながら滑るように着地する。
ふむ、魔力を含んだ霧が漂ってるって事は……七合目辺りまで行けたか。予想より大分跳べたな。
な? 大丈夫だったろ? と、腕の中のリアに問いかけると「すっごく怖かった!」というお返事と共に、俺の首に回された華奢な両腕がぐいぐいと引かれて鉢と面頬が一体化している装甲の上から、頬と頬をくっつけるようにへばり付かれた。
うん、余裕そうで何より。そんじゃ降ろすぞい。
「……えー、怖かったからこのままが良いな」
なんでやねん。まだ師匠のとこまで少しあるし、ここまで来たら可能性は低いけど、棲んでる原生生物に襲われる事も考慮せんと駄目やぞ。
「そっかぁ。ちぇっ、残念」
珍しく可愛らしい我儘を言う妹分だが、こればっかりはね。こっから先はあぁいうのばっかりだし。
眼をぱちくりさせて「え?」と疑問符を浮かべるリアに、顎をしゃくって霧の向こう――山中にある断崖の先に視線を飛ばす。
その先には居たのは、この辺りに掛かる靄に溶け込むような白い毛並みの巨狼だ。
崖先に佇んで此方を静かに見つめてくる金の双眸に、リアが息を呑むのが分かった。
まぁ、ここまで近づかれているのに全く探知網に引っかからなかったら驚くわな。
なにより、先程までは全く気配も感じさせなかったというのに、認識した途端にしなやかな巨躯から感じる威風すら纏った重圧。
戦えば、完全起動状態の俺やリアでも手古摺るのが見てとれる――というか実際前はそうだった。
暫く互いを値踏みする様に視線が交差するが、やがて巨狼は此方に興味を失ったかのように首を返すと、音も無く霧の奥へと消えていった。
「……今のすっごいモフモフしてそうな狼は?」
この辺りを縄張りにしてる霊獣やな。霧狼とか呼ばれてるらしいが。
六合目辺りからは、犇めく強力な獣や精霊を纏めるようなボスらしき連中が何体かでそれぞれ縄張りを形成して、霊峰内の野生の秩序を纏めているらしい。さっきのもそのボス格の一頭だ。
前回、山頂まで登った際に霧狼を筆頭に何匹かと戦り合う羽目になったが、おそらくだが連中の目的は共通していた。
この地域の頂点――即ち、お師匠に会うに能う者か、害意を向ける者か、その品定めである。
俺の場合は、まず鎧ちゃんが物騒な気配を垂れ流しているおかげで相当な警戒対象だったのだが……不完全ながらも《三曜》を使ってみせた所為か、お師匠の関係者と判断されてたらしく途中で矛ならぬ牙を収めてくれたので助かった記憶がある。実際、あんなレベルの奴等を何体も相手にしてられんわ。
最初の番兵である巨狼が見逃した、ということは他のボス格もスルーしてくれるだろうから、後はちょっと厳しめの登山だけになる可能性は高いが……はぐれ者みたいな獣がいる場合だってあるだろうし、一応は警戒しながら進むとしようや。
アレと同格のが何体もいると聞いて、此処が世界最高峰の危険地帯であるという実感が湧いたのか、お姫様だっこのままだったリアは素直に頷いてくれた。
そうして、半日程かけて残りの道程を踏破した俺達は、無事に山頂まで辿り着いた。
行く道々で縄張りが切り替わる度に、そこの主連中から値踏みの視線を向けられたせいか、リアの顔にはやや疲労が浮かんでいる。
「なんだか龍の御姫様に会うのが怖くなってきた……」
人見知りをあんまりしない奴なんだが、流石に今回ばかりは辿ってきた道の物騒さのせいか不安そうだ。
最初の巨狼を皮切りに、高位のドラゴンやら精霊やら、やべーのばっかりだったからね。アレらを全部シめて文字通りの頂点に君臨してる御仁とか、面識のない人間はそら不安になるだろう。
本人は普通に穏やかで良い人なんで、そこまで警戒する必要は無いぞ――怒らせなければだけど。
この辺り――お師匠の住居近くまで来ると、争いはご法度と言わんばかりに山の住民達も静かになるので、鎧ちゃんを解除して妹分に手を差し出す。
ほれ、あと一息だから頑張れ。まずは俺が挨拶してからお前さんを紹介するから、普通に礼儀正しくすれば何の問題も起こらんて。
「――うん、にぃちゃんがそう言うなら大丈夫だよね。一応、今のボクは聖都からの大使みたいなものだし……しゃんとしないと!」
自分の両頬を軽く叩いて気合を入れると、フンス、と鼻息を洩らして俺の手を握り返し、リアは逆に俺を引っ張る勢いでズンズンと進みだす。
少し進めば幅の広い獣道、といった風だった地面が、馴らされた人の手の入ったものに変わり、岩肌と高地に生える霊木の林の向こうに、そう大きくもない旧い屋敷が見えてきた。
元の世界で言う処の――大陸風な外観であるそれの入口前、丁寧に平らに馴らされた練武場変わりの其処に、今回の目的であるお人は佇んでいた。
背を向けて霊峰の空を見上げていたその人は、ゆっくりと此方を振り返る。
見た目の年の頃は、今の俺とそう変わらない。二十歳前後といった処か。
腰まで届く紺碧の髪に、いっそ人形染みた白皙の美貌。
建物と同じく、どこか大陸風の衣裳――旗袍というやつだろうか。前にも見た事のある装束で、すらりとした肢体を包んでいる。
不思議な光彩を放つ、瞳孔が縦に割れた眼――龍眼が、俺を視界に映して、穏やかに細められた。
「久しぶりですね、よく、生きて戻りました」
――どうも、お久しぶりです。お元気そうでなによりです、お師匠。
すんません、実は一回死んでます。とか内心で思いつつ。
再会を果たした師――《半龍姫》の嬉しそうなお言葉に、俺は拱手を返しつつ頭を下げたのだった。