閑話:長旅前の一日(前日)
「ハァ……」
自室でベッドに身を投げ出したまま、オレは本日何度目かの溜息を洩らした。
霊峰――正確には其処を住処にしている、半龍の御姫様の元への訪問。
弟子であり、現在の身体の状態を調べてもらう為にも旅のメンバーに確定で入っているアイツに対し、同行できる大使の様な立場の人間は一人のみ。
当然、その席をアリアとの奪い合いになったのだが、接戦の末、ジャンケンに負けてしまった。
最後は前衛寄りの能力のアリアが、身体強化にものをいわせて強引にチョキをパーに変えて持っていった形になる。
くそっ、あそこでパーを出していればまだ勝ちの目はあったんだけどなぁ……。
諦めきれずにこっそり用意していた自分用の旅の荷物は、シスター・ヒッチンに見つかって没収されてしまったし、大人しく留守番するしかないんだろうか。
「……長いよなぁ」
霊峰は大陸の北端近くにある。聖都からだと、馬を必死に飛ばしても余裕で一ヶ月は必要だし、更にそこから強力な原生生物や精霊が跋扈する山脈を登頂となると、相当な時間が掛かるとみて良いだろう。
ベッドの上で転がって、あー、うー、と言葉に為らない不満や不安を呻き声にして溢しながら、無意識にシーツを引っ張って大きな皺を作る。
……そもそも、アイツが帰ってきてまだ二か月も経ってないじゃないか。それなのに、帰ってきてからの時間より長い間、遥か北に出張って酷くないか?
正直に言えば、一年くらいは聖都から出すのだって反対だった。
でも、アイツがあの鎧を手放す気が無い以上、アレに起きている変化の詳細な把握は、アイツの身の安全に直結する。
頭では理解しているんだ――だけど、どうしても感情が追い付いてくれない。
二年も我慢したんだから、その半分くらいは常に近くに居る事を望んだって良いじゃないか、なんて。
我ながら束縛――いや、この場合は独占欲か。が、強いとは思わなくもないけど、この結論に至った理由の半分くらいは怖さも含まれているのだ。
眼の届かない場所に行かせたら、また無茶をするんじゃないか。また、大怪我をするんじゃないか――また、オレをおいていってしまうんじゃないか。
今が間違いなく幸せで、満たされていて、望んでいたものが手の中に確かにあって。
だからこそ、ふと怖くなるときがある。
少しずつ、アイツの戻ってきた日常を積み重ねていく度に、薄れていく恐怖ではあるけど。
それでも完全には無くならない……漠然とだけど、多分、ずっとついて回る感覚なんじゃないかと思っている。
『治療』が終わった事――こんな言い方はすべきじゃないんだろうけど、終わって《《しまった》》事も、この感情に拍車を掛けていた。
その……なんだ、お楽しみとか、枷とか、まぁ、副次的なモノもあったけど?
あいつの消耗した魂を戻す事が目的で、何よりも優先すべき最重要事項だったのは確かだ。それは間違いない。
けど……それと同時にオレにとって――おそらくはアリアにとっても、何よりも強い実感が感じられる行為だったのだ。
この二年間、帰ってきたのだと、オレのそばにいるのだと――幾度かそんな夢を見て、目を覚ます度に現実に押し潰されるような気持ちを味わった。
あの馬鹿の傷ついた一番深い場所に触れ、それを直接癒し、魔力を注ぎ、空洞を満たしていく事で。
夢でも自分の生み出した妄想でもなく、此処にいる、オレの隣に。抱きしめた腕の中にいる。
そう強く実感して、この上ない確信と安堵、それ以上の幸福感を得られる。
アイツの『治療』は、オレ達にとって、そんな時間だった。
相棒の魂の疲弊が癒された事は、本当に嬉しい。それを為したのが自分であるということも大きな満足と歓びを与えてくれた。
……けれど、あの夜の時間が終わってしまった事に、一抹の寂しさを感じてしまうのも確かだった。
「はぁ……」
また、溜息が漏れる。
遠話用の魔道具は持たせるつもりだし、ずっと音信不通になる訳じゃないけど。
「……嫌だな…………」
数日後には、あいつは聖都にいない。遠く離れた霊峰に行ってしまう。
二ヶ月か、三ヶ月か。やっとオレの側に戻ってきてくれたのに、また離れてしまう。
あぁ、くそっ。
嫌だなぁ、本当に嫌だ――離れたくない。
さみしいよ。
下手をすれば季節を一つ跨ぐ間、帰ってくるのを待ち続けねばならないと考えると憂鬱になるけど。
「……アリアにこんな気持ちをさせずに済んだ、と考えれば、いいか……」
そう考えれば、ジャンケンに負けた事にも納得が出来る。
オレは姉貴だからな。妹が寂しがって泣くような事はすべきじゃないし、したくないのだ。
皺くちゃになったシーツを引き寄せ、身体を丸めて包まって、胸に湧き続ける寂寥感を追い払おうと眼を閉じると――。
――レーティシーアくぅぅぅん、あっそびましょぉぉぉぉ!
ドバーン! と。
部屋のドアを豪快に開け放って、馬鹿が意気揚々と飛び込んできた。
よっす、今ちょっといい? などと、飛び込んできてから手をシュタッと挙げて宣う相棒に、オレは唖然として――次いで、吹き出した。
あぁ、こいつはホントに、もう。
え、なんでシーツ被って丸まってんの? カタツムリの次はミノムシ? と、いつもの惚けた調子で首を捻る馬鹿野郎に「うるせー、何となくだよ、何となく」と笑いながら返して、枕を投げつける。
寂寥感は日に照らされた雪が解ける様に、あっという間に胸中から消え去ってしまった。
お前のその、謎の嗅覚とタイミングは、なんなんだよ。
顔がみたい、会いたいな。会いに来てくれないかな、なんて。
寂しさの中でチラリとでも思うと、出待ちしてたみたいに即座にやってきやがって。
毎度毎度、こんな事ばっかり繰り返されたら、仕方ないだろ。
仲間や親友のままじゃ、満足出来なくなったって、仕方ないだろ。
いつか絶対、オレをこんな風にした責任をとらせちゃる。と、固く決意してシーツを跳ねのけてベッドから身を起こす。
「で、遊ぶってなんだよ。もう夕方だぞ」
おっと、そうだった。正確には明後日遊びましょ! だった。と笑う相棒に、いや、普通に執務あるから。と、ビシッと平手でツッコミを入れた。
――大丈夫や、ミラ婆ちゃんに頼んで明日――は、急過ぎて無理だったから明後日はまるっと休日にしてもらった! あとその分の仕事は教皇に押し付けたから問題無し!
前にオセロで凹ったときの勝ち分、ここで使わせてもろたわ。なんて、ドヤ顔で胸を張る馬鹿野郎に、少しの呆れと大きな嬉しさを感じてその首っ玉にかじりつきたくなるのを堪える。オレに休みを取らせる為に教皇を顎で使おうとするのなんて、この世界広しといえどお前くらいだよ、馬鹿たれ――いつか押し倒されても文句言うなよ。
さっきまでの感情と入れ替わる様に湧き上がる喜びと幸福感に、頬が緩みそうになるのを我慢していると。
まぁ、そんな訳で二日後、お前さんの予定は丸ごと空いたから――一日俺とデートしようず!
そんな、何も考えて無さそうな相棒の発言で、感情も思考もすべて真っ白になって吹っ飛んだ。
そして、翌日。
「という訳で、アンナ! 助けてくれ! もうお前くらいしか相談できる相手がいない!」
「帰れ」
夜も明けたばかりの早朝、興奮と悩みで寝付けなかったオレは、早々に助けになりそうな人物を求めて部屋を飛び出した。
寝起きの不機嫌そうな表情のまま、一言でぶった切ってすげなく自室のドアを閉めようとする部屋着姿の助っ人に、必死になってしがみつく。
「頼むよ、本当に困ってるんだ! ――デートって何着ていけばいいんだ? よ、予定とか組んでた方いいのかな? 一日って言ってたし、ま、まさか、お、おおお泊りとかは流石に無いよな!?」
「たまにアンタの、あの馬鹿限定で発動するぽんこつな部分が心配になるわ」
なにがなんでも離さんと、しがみ付いたまま拝み倒すオレを、残念なモノを見るような目つきで眺めながらアンナは溜息をついた。
だって、だって仕方ないだろ! デートだぞ!
アイツの事だ、深い意味があって言った発言じゃないのは分かってる。
いつもの感じで出掛けよう、って言う誘い文句を、茶化して言っただけなんだろう……けどさ!
あの馬鹿の口から、デートのお誘いなんていうものが出てきたのは初めてなんだぞ!
なら、これはもう何時もの一緒に街をブラつく時間とは別物じゃないか。少なくともオレにとってはそうだ。
「安上りとかチョロいとかってレベルじゃねぇこの聖女」
寝癖であちこち跳ねた髪を押さえる様に頭を掻きながら、アンナはオレをあっさりと引き剝がすと、部屋の中に向けて顎をしゃくった。
「はぁ……ま、いいわ。取り合えず中で話聞いてあげる――いっとくけど、こんな朝早くに突撃してくる相手に茶なんて出さないからね」
隊長だったら何時でもウェルカムだけど。と、呟いて自室へ招いてくれる友人に、当然の事だと頷く。本当にスマン、そしてありがとう。今度なにか奢るからさ。
出向してきた他国の騎士、という立場のせいか、アンナの部屋は意外にも片付いていて、目立つ私物もそんなに無い。
精々、備え付けの机に小物が飾られているのと、枕が自前の物らしい程度だ。
適当に座って。という部屋主のお言葉に甘え、机に備えられた椅子へと腰を下ろすと、アンナは立ったまま机上にある水差しからコップに中身を注ぎ、腰に手を当てて豪快に飲み干す。
プハーっと、風呂上がりに一杯やったおっさんみたいな一息を洩らすと、部屋着であるシャツとショートパンツのままベッドに上がって、その上で胡坐をかいて頬杖をついた。
「で、起き抜けに凄い勢いでまくし立ててくれたおかげで、大体事情は把握は出来たけど――レティシアはどうしたいの?」
「どう……って」
オレが言葉に詰まると、アンナは欠伸を嚙み殺しながら、頬杖をついたものとは逆の手で自身のプラチナブロンドの髪をかき混ぜる。
「基本方針くらいは自分で決めなよ。一から十までデートプランをアドバイス出来るほど、私も経験豊富じゃないっての。というか出来る事ならデートなんて私がしたいわ、隊長と」
「そ、そうか……そうだな。方針か……」
促されて、自分がどうしたいのかと一晩中悶々と悩み続けていた思考を振り返ってみる。
あぁしたい、こうもっていきたい、という形にも為らない願望が無数に浮かんでは消えて……最後に思いついたのは、我ながら切実な一言だった。
「……あいつに意識してもらいたい。男友達みたいな感じじゃなくて、もっとこう、ちゃんと……」
「あー……まぁ、そこからだよね」
……やっぱり傍から見ていても、同性の友人みたいな間柄に見えるんだろううか?
今の関係が心地良すぎて、崩す為のリアクションが取れてない、程度の自覚はあるけど……。
「レティシアの方は割と分かりやすいって――問題はあの駄犬の方じゃない? 少なくとも、見た感じは完全に同性の親友って扱いだし」
「うぅ……やっぱり、そうだよな……」
まことに遺憾だが、これに関しては――かなり自業自得な部分も多いので、なんとも言えずにオレは頭を抱える。
――最初は、得体の知れない胡散臭い転移者だと思った。
それが、信じてみても良いかもしれない奴に変わり、信用できる恩人に変わり、信頼できる新たな友人に変わっていった。
そして、それ以上の……友人から、オレにとっての特別になる、その間に――オレは相当やらかしてしまった。
今、想い返すと痛恨の極みだ。もう『繰り返す』のはゴメンだが、それでも、この件に関してだけは時間を巻き戻したい、と何度願った事か。
実際に魔法が存在する異世界で、こんな事を言うと陳腐な表現になってしまうけど。
御伽噺の魔法使いの様に悲劇を喜劇に変えてのける、繰り返しの果てに得た同郷の友人に、オレは、友人以上の感情を抱く前から大分入れ込んでいたと思う。
独りで『繰り返して』いたオレにとって、戻っても、変わらずオレの事を覚えている、前の出来事を共有できる人物というのは、有り体に言って喉から手が出るほどに渇望した存在だった。
その上、そいつが関わったおかげで、何度繰り返しても拓けなかった展望が、望んだ結末が、冗談みたいに次々と手の中に飛び込んできた、ともなれば……色々と仕方ない面もあったと思うんだよ。絶賛後悔中だけどさ。
同郷だというのも、ガードを大きく下げる要因になってたと思う。嘗ての自分を語ったり、逆にアイツの話を聞いてみたり。
戦いの中で僅かに得られた余暇や休息の時間を使って、オレは時間や予定の許す限り、久々に、本当の意味で対等だと感じた『友達』と遊び倒した。はしゃいでいた、浮かれていたと言ってもいい。
長年連れ立った、気心しれた旧友の如く、一緒にハメを外したり、一緒に馬鹿騒ぎしたり――一緒になって怒られたり。
或いはその積み重ねも、オレの中の感情が変わっていく理由の一つであったのかもしれないけど。
それでも、もうちょっとやり方があっただろうにと、今では心底思う。
一緒に綺麗なおねぇさんがいる店に飲みにいって、あれこれ堪能したり。
この世界、エロ本とかそっち系のアイテムがあんまり発展してねーよなー、そこが残念だわー、とか学生みたいな下ネタ談義で盛り上がったり。
挙句の果てに、「いつか生やす魔法とか開発したら、一緒に卒業しようぜ! お互い、抜け駆けしたらブッ飛ばすって事で」なんて、酒の席の勢いでおふざけとはいえ、馬鹿な事を言ったりもしたのだ。
あぁ、過去の自分をブン殴りたい。本当に、真剣に殴りたい。何て事言ってんだオレは。
男同士の結束を高めるには、共通のエロ話で盛り上がるのが手っ取り早いとか聞いたことがあるが――散々にそういった事もやらかしたおかげで、相棒の中のオレは完全に男友達として固着されてしまっている気がする。
余波でアリアにまでその認識が及んでいるのは、正直悪かったと思っているが……勝手な話ながら、妹にスタートダッシュで大きな後れを取る事態にならずに済んで、ホッとしている部分もあった。
後悔先に立たず。
今の関係と距離感も、充分に幸せで、心地良くて――それでもそれだけでは満足出来なくて。
それ以上を望むオレに圧し掛かってくるのが……過去の己の所業である。
頭を抱えたまま、かつての自分の迂闊さを振り返って煩悶していると、アンナは「うん」と一言呟いて――肩を竦めてお手上げのポーズを取った。
「いやー、ちょっと無理だわ。難易度が高すぎる案件です」
「おい、そりゃ無いだろ!? こっちは切実なんだぞ!」
「あの駄犬に、女の子のそこら辺の複雑な機微を察してもらう――察せられる様に誘導するとか、素手で邪神の眷属の頭割るより難行だってば」
私に手伝えるとしたら、服とか、軽いお化粧のやり方とかその程度ね。と、お手上げ体勢のままで無情にも断言する。
ぐぅ、元はと言えば自分で撒いた種なので、それを刈り取るのが難しいと言われてしまえばどうしようも無い。
……いや、デートの服装とか、その辺りを手助けして貰えるだけありがたいよな。あとは、自分でなんとか、こう、一歩踏み出してみるべきなんだろう。
そうだ、怯むなオレ。この程度の窮地、何度だって超えてきたじゃないか。
問題は――今まで窮地を突破するときに、さり気なくやってきては手を引っ張ってくれていた奴が今回、乗り越えるべき相手って事なんだけど。
自身を鼓舞しながらも、不安を打ち消せずに唸り声を洩らしてしまうオレに、アンナはふふん、なんて笑って、普段はまとめてサイドに垂らしている銀髪を片手でかきあげた。
ちょっと格好つけてるつもりなのかもしれないが、寝起きのあちこち跳ねたままの髪のままだと、あんまり決まってない。
「早合点はするもんじゃないわ。私は今言ったこと以上の手助けは難しいけど、他にアテがあるよ」
「……他に相談できそうな人いたっけ? 他のシスターとかだと、オレの立場的に気軽に絡めないんだよ」
聖殿に勤める聖職者は模範的な人物が多いとはいえ、オレ達と同年代の連中なら、それなりにそちらの方面に詳しい子もいるだろうけど……そういった娘達に混ざって気軽にアドバイスを求めたりするには、聖女の立場が足を引っ張る。
オレ自身は気にならないけど、相手はそうもいかないだろう。アイドルみたいな扱いで大騒ぎされるのも困るが、驚かせたり委縮させてしまうのはもっと本意では無い。
そういった諸々を含めて、思い浮かんだ相談出来そうな相手がお前だけだったんだけど……。
オレの疑問に、アンナはベッドの上で立ち上がると腰に手を当て、胸を逸らして自信あり気に笑う。
「ま、私も出向中の交流で、色々とツテが出来た訳よ。うってつけの人材がいるから、このアンナちゃんに任せておきなさい」
聖都中枢区、大聖殿は大まかに五つの区画に分かれている。
大きな聖堂を中心部に据えた、聖職者達の居住区や勤務箇所となっている中央区。
その上部を囲むように設置された、三枢機卿がそれぞれ統括する、壱ノ院、弐ノ院、参ノ院。
参ノ院からのみ道が続く、教皇の住まいにして教会の秘儀が眠るとされる奥ノ院。
大戦中、アリアが振るっていた大神器なんかも、普段は奥ノ院に安置されている。
今回、アンナに先導されて向かったのは、壱ノ院――その主の居室だった。
「そんな訳で、是非とも力を貸して欲しいんです、枢機卿シルヴィー」
「帰りなさぁい、小娘共ぉ」
早朝のオレとアンナのやりとりの焼き直しの様に、にべもなくアンナのお願いを突っぱねたのは、豪奢なマゼンタの髪を伸ばした、年齢不詳の美女だ。
シルヴィー=トランカード。
若くして聖教会の最上位と言って良い地位にまで上り詰めた俊英、三枢機卿の紅一点である。
学者気質の弐ノ院、鉄血宰相ならぬ鉄血僧侶と呼ばれる参ノ院の枢機卿二人に比べ、その艶やかな美貌と洗練された立ち振る舞いで、各国との外交を一手に引き受ける政界方面での教会の『顔』ともいえる人物なのだが――。
「なぁんで自分のお尻に火が付いてる状態で、若い子の面倒をみなきゃいけないのよぉ。行き遅れに甘酸っぱい若い恋を応援しろとか、飲まなきゃやってられないわぁ」
執務も行っているのであろう、大きなマホガニーの事務机にうつ伏せに身を伏せながら、言葉の通りやってらんねぇ。という雰囲気を隠しもせずに右手に大きな木杯、左手にワインボトルを握ってくだを巻くその姿は――オブラートに幾重にも厳重に包んで言っても、酔っ払ったダメな大人で、残念な美女を体現した様な有様だった。
「えーと……またお見合い失敗したんですか?」
「……そうよぉ、また失敗よぉ! 事実を振るって死人に鞭打つのはやめなさぁいアンナちゃん」
「お相手の人のこと、めちゃくちゃ褒めてませんでしたっけ? 向こうも満更でも無さそうって話だったのになんでまた」
「酒の飲めない男はお断りよぉ」
「完璧に自業自得じゃないですか。独り身は嫌だって何時も愚痴ってるのに、嗜好で選り好みしすぎだと思います」
「私にとっては重要なのよぉ!」
気安い様子でやりとりする二人に、オレは置いて行かれた気分で所在なさげに佇む。
というか、本当に仲良いな。出向してきた帝国騎士と教会の枢機卿か。どういう繋がりがあって知り合ったのやら。
「中庭仲間ね」
「中庭仲間よぉ」
語尾だけを違えて、異口同音で言ってのけた二人に「あぁ……」と呆れ交じりで得心が行った。
アンナもシスター・ヒッチンの御説教の常連ではあるが、シルヴィーさんの方も大概だったな……。
執務中ですらこっそり酒瓶を隠し持っていると言われてる――実際今もボトル抱えてるし――酔いどれ枢機卿殿は、アルコールをこよなく愛するその性のせいで、シスターによく怒られている。
外交時の外面が隙なく、完璧に熟してる分、ホームである聖殿内だと反動だと言わんばかりに存分に吞兵衛の気質を発揮しているせいか、意外と部下や他の僧達との距離は近い。
一緒に並んで説教喰らった仲とか、そんな感じなのだろう――これを自信満々でツテというのはどうかと思うぞ。
そんな思いを込めて、アンナをジトっとした目で見つめるが……おい、目を逸らして口笛を吹き始めるなよ。こっちを見ろ。
……まぁ、アンナとの出会いの経緯は脇に置いておくとしても、シルヴィーさんがこの手の話で頼もしい味方になってくれる、というのは確かだろう。
教会の白百合の中に咲く、紅紫の薔薇。なんて各国貴族のお偉いさん達の間で評判の彼女なら、デートのコースプランなんてお手の物、という訳だ。
「シルヴィーさん、なんとか引き受けてもらえないかな。オレも結構切羽詰まっていてさ、アンナに案内されて藁をも縋る思いで来たんだ」
出来れば、助けてほしい。と、丁寧に頭を下げると、彼女は悩まし気に嘆息して手の中の杯を一気に干す。
「レティシアちゃんが直に頭下げるとか反則よぉ……これ私の中で断る選択肢が発生しないやつじゃないのぉ」
そう言って赤ら顔のまま苦笑するのを見て、申し訳ない気持ちになる。やはり、お見合いが破談になったばかりらしい女性に対して余りにも無体なお願いだっただろうか。
シルヴィーさんは回復魔法を発動させると、アルコールを解毒して一瞬で酔いを覚まして、うつ伏せになっていた机から身を起こした。
「はいはい、そんな顔しなくていいのよぉ。ここで断ったら、お酒が気分良く飲めなくなるから引き受けるだけ……いわば自分の為みたいなものだしねぇ」
そう言って、艶やかに微笑むと、彼女は両手の指を絡ませて机に肘をつき、組んだ手の甲の上に自身のほっそりとした顎を乗せた。
「それじゃ、経緯と、レティシアちゃんのご要望を聞きましょう――多分、猟犬クンは強敵よぉ?」
「まず、結論から言うわぁ。そんなに悩まずに、レティシアちゃんはレティシアちゃんのままでいいの」
オレがなんとか相棒に意識してもらいたい、という点を強調して経緯を話すと、シルヴィーさんは笑ってあっさりと言ってのけた。
「そう、なのかな……だって、今のままだとただの男友達でしかないんじゃ……」
「レティシアちゃんが女の子で、女の子として猟犬クンを見てる時点で、その心配は無意味、杞憂よぉ」
やー、青春ねぇ、お酒が進むわぁ。なんて笑いながら、彼女は先刻は嫌だと言っていたオレのこ、恋模様、というやつを聞いて上機嫌に再びワインを呷り始める。
女の子、か。
やっぱり、そうだよな。
オレはオレのままで、変わって無いつもりだけど。
アイツに向けるこの感情は、オレ自身が自分をどう定義しようと、異性――女として、男に向けるソレなんだろう。
言葉を交わして、浮足立って。
触れ合って、喜んで。
他の娘に目を向けられると、腹が立って、胸がチクリと痛む。
そして、オレを庇うときに見せる本気の横顔や、オレの為に負った傷痕に――どうしようもなく魂が昂る。
――ハ。今更だよな。それこそ、『治療』の期間の自分の乱れっぷりがとっくにそうであることを証明してる。
思考を整理して、言わずもがなの結論に達したのを見計らった様に、シルヴィーさんが杯を空にし終えてプハッと美味そうに吐息をついた。
「あー……若い子の恋の悩みを肴に飲むお酒も、思ってたより全然いいわぁ。もっと苦くなると思ってたけどぉ……レティシアちゃんの御執心の相手が猟犬クンっていう点でも、話が簡単になると思うのよねぇ」
「そうなのか? ……して、その心は?」
是非とも聞いてみたい答えを、耳を澄まして待ち受けると、悪戯っぽい、揶揄うようなニヤニヤとした笑みが返される。
「だって、感情の向いてる方向が同性寄りってだけよぉ――猟犬クン自体は、レティシアちゃんの事、大好きじゃないのぉ」
……うぇえ!?!?
ちょっと崇拝とかも入ってる気がしなくもないけどねぇ、なんて続く言葉は右から左だ。
耳に入ってきたとんでもない情報に、一瞬で顔が熱くなる。
「だから、最初に言った通り、貴女は貴女のままで良いと思うわぁ。ときどき、アクセントで女の子である事を見せてあげる、程度でいいのよぉ」
そのうち勝手に、猟犬クンの感情の方から進路変更してくれるわぁ、なんて、実に有難いアドバイスを頂いているのだが、先程の衝撃的な情報で熱暴走を起こしたオレは、カクカクと木偶みたいに頷きを繰り返す事しか出来ない。
席を立って、シルヴィーさんは此方にやってくると、両の掌でオレの両頬を挟んでぐにぐにとこねくり回す。
「うーん、腹立つくらいすべすべのお肌ねぇ。これならホント最低限のお化粧と、グロスを塗る程度でいいんじゃないかしらぁ」
「あ、じゃぁ私のをレティシアに貸しますよ。それくらいなら当日にやってあげても良いし」
「そうねぇ、お願いねアンナちゃん」
「あ、いや……その」
トントン拍子に話を進める二人に、尻込みしながらなんとか声を差し挟む。
首を傾げてオレの顔を見つめてくる二人に――だけど、これは最初に決めていた事だから。と、躊躇いながらも切り出した。
「出来れば、化粧のやり方は教えて欲しいんだ――簡単なのくらいは自分でも出来るように、なりたいから」
さっきの熱の名残もあって、オレの顔は赤らんだままだったと思う。
シルヴィーさんとアンナは顔を見合わせて、楽しそうに笑った。くそぅ、オレが女の子っぽい事言い出したらそんなにおかしいかよ。
「それじゃぁ、折角だから、このままちょっと練習してみましょう? ――こういうのも楽しいわねぇ、若返る気がするわぁ」
「いいですね! ついでに、髪型も弄ってみましょう! こう、いつもと違うのを……なんて言うんだっけ? 確か『ぎゃっぷもえ』ってアイツも言ってたし」
ノリノリの二人に押され、「お、お手柔らかに……」なんて尻すぼみで返して。
明日のアイツとの時間を夢想しながら、オレは手を引かれて、部屋の隅に備えられた化粧台の前に座ったのだった。