探せ、海の幸(前編)
午前中のそれぞれの予定も消化して、時刻は昼過ぎ。
元・日本人組を中心として、港にある市に向かう時間がやってきた。
午前中に皆でやったビーチバレーや各種海の遊びは楽しかったが……女公爵が大人しかったのが逆に不穏だったな。
隙を見せれば揶揄ってくるのはいつも通りではあったけど、あの女にしては珍しく、その弄りも控え目だったのだ。
――が、油断は出来ない。後日に妙なちょっかいをかけてこないか警戒しておくとしよう。
言っとくが、この評価に関しては言い過ぎでもなんでもないからな。周りを引っ掻き回して右往左往する様を眺めて愉しむSッ気の強い女だ。大人しく普通に遊んでるって時点で、勘繰りたくなるのも仕方ないだろ。
さて、午後の予定である魚市場の見学・観光だが、集合場所は宿の玄関前。時間には少し早いので、まだ来てない面子もいる。
今いるのはオレとアリア、ミヤコ。そして相棒――先にも言った元・日本組の四人だ。残りのメンバーもそろそろ来る頃だろう。
オレは昨夜相棒から貰った麦わら帽子をしっかりを被り直すと、高揚する気分の儘に現時点で集まった面子を前に掌を一つ、打ち鳴らす。
「さて、そろそろ出発の時間も近いけど……なんか気持ちぐったりしてないかお前?」
素の体力・スタミナという点では相当にタフである筈の相棒が、なんだかちょっとだけくたびれた様子なので、首を傾げて問い掛けてみる。
受け答えなんかはいつも通りだし、パッと見は分からないけど……よく見ると少しだけな。
本当に調子が悪かったり容態が深刻だと、オレ達に心配をかけまいとして隠そうとするのはコイツの悪癖だ。
そういう意味では、比較的分り易い今の状態は、あくまでちょっと調子が悪いとか疲れてるとか、その程度なんだろうけど……。
――あー……追いかけっこしたり締め上げられたりでちょっとなぁ。
歯切れ悪い、って程じゃないんだが、やっぱりその声には微かに疲れが滲んでいる気がする。
「確か、朝から《狂槍》と全力で追いかけっこしてたんだったか?」
オレの再びの問いに、相棒は無言で首を縦に振った。
立ち合い自体は《万器》の口添えで回避できたみたいたけど、その所為で午前中いっぱい死に物狂いで逃げ回る羽目になってたら意味がないだろうに。
《災禍の席》の中でもスピードに優れたやつ相手に、延々と迫真の鬼ごっこをしてればな。魔鎧込みだとしても、そりゃ疲労するだろうよ。
「にぃちゃん大丈夫? アンナも午後は休む事にしたみたいだし、心配だなぁ……」
アリアのやつが若干猫背になっている相棒の背を擦りながら、その顔を心配そうに下から覗き込む。
なんでも、地元の子供達と遊んでいたリリィとアンナの方でも、トラブルがあったらしい。
結果的には怪我人も出ていない、という話だけど……子供を襲っていた海の魔獣を蹴散らしたというアンナは、慣れない海での戦闘もあって相当に疲れたようだ。
相棒よりよっぽどグッタリした雰囲気を漂わせ、「今日はなんかもう色々と無理」と言って午後からの予定をキャンセルして部屋に引っ込んでしまった。
旅行先の外国で、騎士としての仕事に精を出す羽目になったのはお疲れ様としか言い様が無い。それで人命が救われた訳だし、それ自体は良い事なんだけどな。
アンナは職業意識というか……騎士として結構ストイックな部分がある。
戦った魔獣の格は、陸で同程度の奴を相手したならサクっと終わる、位のものだったみたいだが、海上という慣れない環境でそれなりに苦労したらしい。
気に病む、ってほど大袈裟な話ではないだろうが、自身の立ち回りに思い返す部分があるのかもしれない。
オレとしては子供達を怪我一つ無く救助した、っていう時点で十分誇れる立派な戦果だと思うけどな。
「うーん……切り替えが遅いのはアンナらしく無い気もするけど……にぃちゃんは何か知ってる? 最後の方で合流したんだよね?」
――うむ。なんかよく分からんが怒られて砂浜に沈されかけた。
「そっか。つまり大体いつも通りって事だね」
キメ顔で情けない事を言う馬鹿たれに対し、笑顔で返す妹の台詞が何気に辛辣である。滅多にないアリアからの舌鋒鋭い反応に、相棒はちいさくオッフ、と呻いて白目を剥いた。
「大丈夫よ、アリアちゃん。アンナちゃんも疲労困憊とか怪我をしたって訳じゃないみたい」
「あ、そうなんだ?」
ここに集合する前に、部屋で休んでる部下の様子を見に行ったらしいミヤコが、安心させる様にそっとアリアの肩に掌を乗せ、頷く。
「えぇ。レティシアかアリアちゃんを呼ぼうとしたら、本人から止められたくらい――ただ、それなら何故お布団を頭から被って唸っていたのか、そこがちょっと気になるけど」
ふむ? 自分にも救助対象の子供達にも怪我一つ無いのに、確かにそれは妙だな。
そこで一旦言葉を切ると、ミヤコは相棒に視線を転じて……なんとも綺麗な、ニッコリとした笑みを浮かべた。
「先輩」
同性から見ても美しいと評せる笑みを前に、何か感じるものがあったのか。
相棒が背筋を伸ばしてハイ! と即答する。なんなら敬礼でもしそうな勢いだった。
「アンナちゃんは出掛けるとき、私と色違いのサマードレスを着ていたんですけど、帰ってきたら《《また》》先輩のシャツを着ていました――部屋での様子もちょっとおかしかったですし、理由を御存知無いですか?」
「……そういえば、そうだったな」
ミヤコに同調する形で、オレも相棒にジトっとした視線を向けてやる。
さっき見たときは真っ先に突っ込もうとして、二人揃ってやたらグッタリしてたんで一度は棚上げしたが……。
当然、オレとしては面白くない。
面白くないが、人命救助に精を出していたと聞けば、怒るに怒れない。
相棒達が駆けつけるまではアンナが単独で子供達を守ってたみたいだし、怪我がなくとも着ている服が戦いで破損したとか、そんなところだろう。
実際、相棒の答えも大体予想した通りのものだった。
曰く、様子云々はよーわからんけど、シャツは着ていた服が戦いで破れたので貸した、だそうだ。
タオルを被ったてるてる坊主状態で宿まで歩いて来るのも色々とアレなので、取り敢えずの間に合わせとして自分の着ているダサTを渡したらしい。
場の状況や成り行き的に、不可抗力なのは分かる――分かるんだけどさぁ。
気安い間柄なのは今更だけど、着てるモン普通に脱いで渡して、受け取った方も普通に着るのかよ。
前から常々思ってたけど、こいつとアンナ、互いに対するパーソナルスペースは狭い。
普段の距離感で見てもオレやアリアよりは幾らか間合いがある、程度。
つまりは異性の友人相手としては近すぎるって事だ。
なんならミヤコは距離感って部分ではアンナに負けてる気がする。ハハッ、涙拭けよエ清楚。
「……レティシア、何か言ったかしら?」
「気のせいだろ」
すぐ隣から若干冷えた声色で問い掛けられるも、動揺は欠片も見せずに切って捨てておく。間違っても声になんて出して無いってのに勘の鋭い奴だ。
とにかく、だ。
この二人、見ていて艶めいたり良い雰囲気になったりって事は全く無い癖に、「いや近いだろ、距離を二歩取れ」と思った事自体は一度や二度じゃない。
……まぁ、それでも一番近いのはオレだけどな!
相棒だし、将来的には更にそれ以上になる予定だし。寧ろゼロ距離が当然ですらあるのだ。異論は受け付けない。
――って、オレの事は良いんだよ。
問題なのは、見ている限りでは紛れも無く互いに友人認識である筈の相棒とアンナだ。
特にアンナの方はなぁ……誰とでも距離感ベッタリなら、複雑だけど「まぁ、そういう奴だしな」で済む話だけど……当然、相手は限定されている訳で。
ぶっちゃけて言うと、偶に疑わしくなる。こう、色々と。
ミヤコ、更にはアリアまで参加し、ジトーッとした視線の量が三倍になって相棒へと注がれる。
相も変わらず、こういった方面では鈍いとか察しが悪いとかを通り越している超絶鈍ちん野郎は、向けられてる視線に居心地悪そうにしてキョドっていた。
「……不毛だな、この場での追及はやめておくか」
オレの呟きに、二人も異論は無いのか頷く。
実際問題、『なんか妙な視線で見られてる』というのは認識していても、視線に込められた意味自体は理解してない馬鹿たれの事だ。
このモヤっとした何とも言い難い感覚を察しろというのが無理な話なのである。
それにこの場合、追及を行わなければいけないのは……どちらかというとアンナだ。
帝国での女子会も、最強の肉食女子であったローレッタのとんでもない艶話でアンナの方の話は有耶無耶になったしな。
機会があったら、その辺りも含めて話をしてみるべきだろう。じっくり、たっぷりと。
その際は焼き直しって訳じゃないが、アリアは勿論の事、出来ればミヤコや《陽影》も同席させるべきか?
今回はこうして集まれているが……本来は皆、違う国の人間だ。相談して予定を擦り合わせる必要があるので、ちょっと時間は掛かりそうだけど。
脳内で次の女子会という名の審問について予定を立てていると、残りの出発メンバーであるグラッブス司祭と《虎嵐》、リリィの親子が揃ってやってきた。
「いやお待たせ致しました。猊下から連絡を頂きましてな、御用の詳細を伺うのに少々時間をかけてしまった事、まっこと申し訳なく」
「皆様、お待たせしました。適度にお腹も空かせてリリィの準備はバッチリです」
「……少々、待たせた。すまない」
司祭が丁寧に一礼して遅参を詫び、すっかり食いしん坊となったリリィが気合十分といった様子でピースサイン。その後ろでは《虎嵐》が静かに頭をさげる。
「三人とも後から来た事を気にする必要は無いぞ? 集合時間にはまだ余裕があるし、別に遅刻って訳じゃないからな」
「そうそう、ちょっと早めなくらいだしね」
アリアと二人で気にすることはない、と告げると、改めて揃った面子をぐるりと見回す。
アンナのやつが抜けて計七人、これで全員だな。
「良し……例のブツの準備は?」
オレの問いに、相棒がグッと親指を立てて応え、逆の手で腰のポーチを軽く叩いてみせる。
割れにくい小型の容器に、持って来た醤油をいくらか移してきたみたいだ。刺身につけたり焼き物に塗るくらいなら七人で分けても十分な量だろう。
「それじゃ……出発だ! 目指すは和食を再現できる海の幸!」
オレは気合を入れて天に拳を掲げ。
力いっぱいだったり控え目だったりと、それぞれにリアクションの度合いに差はあるものの、全員が揃って「おー!」と拳を突き上げて応えたのである。
元よりそう大きな町でもない。目的地へはそう時間を掛けずに到着した。
港に程近い場所で開かれている市場は、真っ昼間という事もあってたいそうな賑わいを見せている。
流石に《大豊穣祭》のときの帝都と比べれば人の数や市場の規模自体は小さいものだが、活気という点では劣らない。
今も様々な種族の様々な人々が忙しく行き交い、漁の成果を売り出す人達が、品を見て値段の交渉を行う町人や商人が、喧々囂々と声を張り上げている。
ときたま怒号に近い叫びも上がるけど、これも周囲は慣れたものらしい。常夏の日差しに負けない陽気な喧噪というべきものが満ち満ちた場所だった。
「うわぁ……凄い活気だねぇ」
「皆さん、とても元気です。今日はお祭りか何かなのでしょうか?」
アリアが呆気に取られた顔で感嘆の声を上げ、リリィは活気に満ちた魚市場を前に、何かの催しがあるのかと首を傾げてるな。
相棒がちょっと笑いながら、右に左に忙しく周囲を見回しているエルフのちびっ娘の頭を撫でてやっている。
特に催しの類はやってないと思うぞ? 単にリリィの言う通り元気なだけや。とぶっちゃけるその言葉は、まさしく正鵠を得ていると思う。
なにせ住民の殆どが逞しい連中揃いの魔族領辺境――そこに住む漁師や漁業関係者だ。熱気というか、エネルギー旺盛であるのは自明の理というやつだろう。
「それで、これからどうしましょう? 皆、お昼はまだでしょう?」
「……ふむ、そうだな……漁師の利用する食堂か、店先で調理された品を買い込むか……」
「猟犬殿のお持ちになった調味料を試すならば、後者の方が良いやもしれませんな」
町の人口からすれば相当に大きな規模の市場を前に、さて、どうするかと皆で軽く相談を始めようとした、そのときだった。
「フハハハ! どうやら我らが開く市はお気に召して頂けた様子! 名誉網元として鼻高々な気分!」
野太く、それでいて快活な大音声が全員の右耳を叩いた。
いや、割と本気で驚いた。気配を感じなかったのもあるけど、直ぐ後ろにいるグラッブス司祭ばりの声量だ。
当然ながら、皆一斉に右方向へと首を向ける。
向けて、見て――ギョッとした。
「「……へ、変態だぁーっ!?」」
「フハハハハ! 辛☆辣!」
数瞬の間を置いて、思わずオレとアリアが同時に叫び、相棒とミヤコがさりげなく立ち位置を変え、リリィを背に隠す。
一方の声の主は、言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。
そこに居たのは、声を掛けられるまで気付かなかったのが不思議な位の巨漢である。
真っ黒に日焼けした肌に、鍛え上げられた体躯。
声量だけじゃなく、体格的にも司祭に近い。そうだな……上背や筋量ならレーヴェ将軍に匹敵するんじゃないだろうか?
もうそれだけで見た目のインパクトは十分なんだけど、それを超える特異さを発揮しているのは、巨漢の服装――というか出で立ちだった。
袖なしの前を開けたジャケットに、下は褌一丁。
分厚い胸板や割れまくった腹筋は黒光りして夏の日差しを反射し、見た目の暑苦しさという点では司祭を遥かに上回る。
とどめに、何故か頭はフルフェイスタイプの被り物を身に着けていた。
魔獣の甲殻や角を加工した、魔族領独特のゴツくて威圧感のある兜だ。
……百歩譲って褌はまぁ、いい。
大陸南端に近い、言ってしまえば相当な田舎町の港区だし、御婦人方に配慮した格好、なんていうのは二の次三の次だろう。漁師さんなんかは下着一丁みたいな格好の人だって多い筈だ。上を着てるだけまだマシですらある。
でも――。
「なんで兜被ってんだよ、おかしいだろ」
オレの台詞に、アリアやミヤコ、相棒も一斉に頷く。
うん、本気で意味が分からない。
首から下は如何にも町の漁師然とした格好なだけに、相当な逸品であろう実に防御力の高そうな頭装備が異彩を放ちすぎている……いや、異彩というより異様だなコレ。
いつもフルフェイスで顔を覆っているといえば《亡霊》が思い浮かぶが……あの鉄仮面男は人前では基本正装やフル装備だし、全身像という点では違和感が無い。
隣で相棒がスゲェ……と呆気に取られた様子で呟くのが聞こえた。
言葉に込められいるのは間違っても感嘆の類じゃない。どっちかというと、奇怪なUMAを目撃した衝撃でつい声が漏れた、といった感じだった。うん、そこはオレも同意するぞ。マジで。
突如現れた変態(悪いけど外見上はそうとしか評せない)は、ただでさえ筋骨隆々なボディを見せつける様にポージングを取る。
「遠国よりようこそお客人。私は《漢槌》! この漁場で名誉職に就いている漁師だ! あ、あと《災禍》の席次も一応持っている! よろしく!!」
挨拶と同時に腕の力瘤や胸筋をピクピクと蠢かせ、巨漢――《漢槌》は再び快活な笑い声をあげたのだった。
「……やはり町に滞在しているというのは貴方だったか。久しく、八席殿」
突如現れた珍妙な巨漢の挨拶――その予想外にも程がある内容にオレ達が面食らっていると、真っ先に反応したのは《虎嵐》だった。
特に困惑している様子も見せずに《漢槌》のもとに歩み寄り、軽く一礼する。
幹部補佐みたいな立場である彼が丁寧に挨拶を返した事で、図らずも先の自己紹介は本当の事だと証明されてしまった。
「本当に《災禍》なんだこの人……」
アリアが思わず、といった感じで小さく言葉を溢しているのが聞こえる。
人懐っこいコイツにしては珍しい、ちょっと引いてる反応だけど……安心しろ妹よ、この場の殆どの面子は同じ気持ちだ。
やはり《漢槌》と名乗った眼前の巨漢が、この町に長期滞在している《災禍の席》の一人らしい。
つまりはオレ達の市場での食材探しに融通を利かせてくれる様に《万器》が頼んだ人物、って事だ。
「フハハハハハ! お久しぶりだ《虎嵐》君! そういえばシグジリア君とは無事に夫婦になったと聞いた! 遅ればせながら祝いの言葉を贈らせてもらおう!」
ポージングを維持したまま大笑いして鷹揚に返答する《漢槌》。笑みにも言葉にも知人の慶事を喜ぶ裏表のなさが見て取れる。
なんというか……ビジュアル的には強烈過ぎるのは確かなんだけど、発言自体は結構紳士的だ。オレとアリアがうっかり声に出して変態扱いしてしまったのに笑って流してたし。
「妻は身重故、今回の旅行に同行していないが、義娘を連れてきている――リリィ」
「はい義父様。初めまして、です《漢槌》様。リリィはリリィ=エルダと申します。義母様と同じ氏族の出身であり、御二人の義娘であり、生まれて来る子のおねぇちゃんでもあるのです」
「ほほう! 丁寧な挨拶を痛み入る! 既に長女としての自覚を持っているとは利発なお嬢さんだ! これは将来が楽しみだな《虎嵐》君!」
眼前の黒光りしている巨漢は《虎嵐》が義娘を紹介し、更に現在は嫁さんが身重である事を聞いて柏手を打って喜んでいる。
――見た目がアレだが、教国の筋肉担当と似てんなぁ。
「あぁ。正直、オレもちょっとそう思う」
ボソリと言う相棒の言葉に首肯する。
眼前の日焼けした大男は、服装こそ強烈に珍妙だけどそれ以外――体格とか、言動自体は紳士的なところとか、なんとなくグラッブス司祭を思わせるのだ。いや、司祭の服装は真っ当なごく普通の修道服だし、割とその一点が重要だとは思うけどさ。
「うん、格好はスゴイけど良い人そう。変態扱いは失礼だった」
「個性的なのは確かだけど……考えてみれば《災禍の席》の方達は殆どがこう……独特だったわ」
そこは素直に変人揃いって言っても良いと思うぞ、ミヤコ。
何にせよ、アリアとミヤコも新たに知り合った巨漢の外見に早くも慣れつつある様だ。
まぁ、幹部連中を抜きにしても魔族領自体が色んな種族の坩堝みたいなところだし、ちょっと変わった奴くらいなら大勢いるからなぁ。実際、周囲の人たちは特に気にしてないし。
《虎嵐》に会話を任せて立ち尽くしたまんま、っていうのもなんだし、そろそろこっちも挨拶するべきだな。
先ずは先陣を切ろうと、オレが進み出ようとすると――。
「…………」
珍しく無言のまま、ズイッと先に前に出たのはグラッブス司祭だった。
ゆっくりとした歩調で《漢槌》の前まで歩み寄り、手を伸ばせば届く距離で止まる。
かたや巌、かたや黒鉄を思わせる二人の分厚過ぎる巨躯が向かい合い、無言で見つめ合った。
「…………」
「…………」
敵意とかは全くない。けど、互いに真剣な表情で両者の視線が交差する。
時間にして数秒程度だが、体感としては奇妙に長く感じる対峙の時間が過ぎ――。
「……ぬんっ!」
「――ふぬぅっ!」
二人同時に野太い気合の声を発し、肉体を誇示する様にポージングに移行する。ムキィ! とかミチィ! とか音が聞こえてきそうな筋肉の隆起が両者の全身に発生した。
人体であるにも関わらず、陽光を反射してギラギラとした光を放つ筋肉モリモリマッチョマンの二人を見て、相棒がサイドチェストとモストマスキュラ―……キレッキレ過ぎやろ、とか戦慄した様に呟いている。乱読派の読書家なのもあって、変な雑学とか用語とか知ってるよなお前。
「ハッハッハッハッ! お久しぶりですな《漢槌》殿! 旧き戦友が壮健な事、まっこと喜ばしい!」
「フハハハハハハ! そちらもだグラッブス君! 以前から見事な剛体だったが更に鍛えこまれているな! 特にその上腕、実にキレていて素晴らしい!」
「おぉ、お分かりになりますか! この地に来て水練が捗ります故、水底での腕の振りに力を入れていましてな!」
ワッハッハッハ、と。
快活な挨拶と共に市場の入口に響き渡る二つの呵々大笑。
やっぱりというか案の定というか、二人とも旧知の仲だったらしい。
しかも仲が良さげだ。滅茶苦茶ご機嫌な様子で様々なポージングを取りながら大笑いして談笑している。
グラッブス司祭はその人柄もあって人望豊かで友好関係が広い人だけど、眼前の彼に匹敵する巨漢とはその中でも更に親し気な感じがする。どっちも分り易い力自慢な体格してるし、気が合うんだろうか?
それにしても……司祭は言う迄も無いが、《漢槌》も追随するレベルの恵体なので視覚的な圧がえらい事になってるな……ただでさえ気温の高い常夏地方だってのに、ここら一帯だけ気温が二、三度上昇してる気がするぞ。
「凄い光景だなぁ……魔法で氷生成したら駄目かな?」
アリアのやつもオレと同意見だったのか、手で首元に風を送りながら涼をとる為に魔法を使おうか悩んでいる。気持ちは分かるがこのあと直ぐに移動するだろうし、大きいのを放置していくのは周りの迷惑になりそうだからやめとけ。
更にその隣では、相棒が水筒を取り出してよく冷えた水をミヤコに差し出していた。体感温度がはっきりと上がったせいもあり、普通に水分は欲しいのでオレも貰っておく。
二つの巨躯の隣にいるリリィ達親子に目を向ければ、一緒にさり気なく二歩ほど下がった《虎嵐》が、娘に塩飴を舐める様に促している。
まぁ、こればかりはな。司祭と《漢槌》には申し訳ないけど……ぶっちゃけ物理的にも見ていても相当に暑苦しいのは確かだし、この土地の気候だとそれも倍増しだ。
とはいえ、何気にコミュ力や気配りに優れた司祭がオレ達を放置して長々と旧交を温める筈も無い。
「では、聖女の御二方と拙僧の若き戦友御二人を紹介したく――おそらくお互いに遠目に姿を見た事はあれど、確とした面識は持たずと記憶しておりますが……」
厳つい貌に穏やかな笑みを浮かべ、ガッシリと握手していた司祭が振り返ると、オレ達に向けて掌を差し向ける。
その言葉を受け、顔はフルフェイスの兜で隠されてはいるものの、非常に分かりやすく喜色を声に滲ませた《漢槌》が言葉通りに喜びの柏手を打った。
「おぉ、その通りだともグラッブス君! あの戦場――かの大戦の大一番で獅子奮迅の活躍を見せるお歴々を見掛けはしたが、私の部隊の配置箇所もあってどうにもな! こうして面と向かって言葉を交わせる機会が得られたのは正に僥倖!」
跳ねる様な……というか実際スキップしてる足取りでオレ達の前までやってくると、彼はキレッキレの動きで一回転ターン。そしてそれ以上にキレてる力瘤を盛り上がらせ、再びポージングを決めて高笑いした。
「では再度の挨拶といこう! かの金色と銀麗の御姉妹に黒の戦乙女。そして戦場の最新の伝説とまで言われた男……いや改めて見ても凄まじい面子だな、今日と言う出会いの日に感謝を!」
ポージングは維持したまま、キラーンという音が聞こえて来そうなグッドサインを見せて来る黒光りする巨漢に、オレ達は自然と苦笑してなんとは無しに目を見合わせる。
滅茶苦茶にガタイが良くて、声がデカくて快活で人も良さそう――眼前のフルフェイスの御仁は、やっぱりグラッブス司祭に似通った点が多いのだ。ビジュアルの強烈さとか夏場の暑苦しさは二段くらい上だけど。
一応はこの面子での代表って事で、オレが前に出て開いた掌を差し出した。
「うん。はじめまして、で良いのかな? レティシア=ディズリングだ。教国で聖女なんてモンをやらせてもらってる、よろしく」
向こうは戦場でオレ達を見かけていたみたいだけど、こっちは皆、お初だしな。
握手して伝わって来たのは、ひたすらに分厚くて硬い、素手なのにガチガチの手甲を握ったみたいな感触だった。
でも返って来る力加減自体はそっとした紳士的なものだ。一見豪快に見えて気配りの利いたこの辺りの塩梅も、ウチの司祭やレーヴェ将軍を思わせる。
オレの挨拶を皮斬りに、後ろの相棒達も口々に軽く自己紹介を行ってゆく。
お互いの立場的に、もっと堅苦しい形式ばった出会いになっても可笑しくないんだけど、そこら辺は元々緩い魔族領。そしてオレ達も旅行中のオフの身だ。
穏やかに、そして何事も無く顔合わせは終わる――そう、思われた矢先の事だった。
「ちょっと待ったーっ!!」
瞬時に反応した相棒のちょっと待ったコール!? というアホな叫びは置いといて。
高く、鈴を転がす様な声がその場に響き、一瞬、頭上に影が差す。
空を振り仰ぐ前に、上空から落下して来た声の主らしき人影がスチャっとばかりにオレ達の前に着地した。
「なんだか面白そうな面子が揃ってるじゃないか! 僕も混ぜてもらうぞー!」
着地態勢から立ち上がり、元気にピースサインで決めポーズして見せたのは見覚えのない娘だ。
魔族なのは間違いない、と思う。
好悪の無いフラットな目線で見ても、人形みたいに整った面差しの少女だった。表情自体は物凄い豊かだけどな。
外見的な年齢はオレと大差無い。水色に近い青い長髪をリボンで飾り、この世界全体で見ても珍しい、フリフリした感じの袖なしワンピースを着ている。
やはり眼を惹くのはその髪だけど……ここまで鮮やかな髪色は魔族でも滅多に見ない。精霊種みたいな本来幽体に近い種族の血を引いているんだろうか?
新たな人物の唐突な登場、文字通り降って湧いた感のある謎の闖入者に、オレ達は揃って呆気と困惑混じりの視線を向ける。
それを受けて青髪娘は、さっきの《漢槌》みたいな華麗なターンを決めて再度決めポーズらしきものを取って見せた。
そうして鮮烈な色合いの髪をかき上げ、キャルンッ♪ とでも擬音が聞こえてきそうなちょっとぶりっ子の入ったウィンクを一つ。
「よーこそ、新たなお客さん達よ! 僕はクロンちゃん、魔族領の"アイドル"だゾ☆」
この世界においてあまりにも馴染みの無さ過ぎる職種と共に、彼女はにんまりと笑みを浮かべてみせたのだった。