それぞれの日和
・大体いつも通りな四人
時刻は既に夜。
本日も宿で出される海鮮たっぷりの夕飯を味わったオレ達は、なんとなく集まった面子で共有スペースでお喋りに興じていた。
と言っても、居るのは四人だけだ。
オレとアリア、ミヤコ、そして相棒――所謂日本からの転移・転生組だな。
「流石に鰹節は無さそうだけど、にぼしの類はありそうだよな」
「そうね、にぼしも市場で探す品に加えましょう」
思い付きで言ってみた言葉だったが、ミヤコも同意みたいだ。頷いて手元のメモ帳らしきものに何かを書き加えている。
夕飯を食べたばかりだが、話してるのはもっぱら飯の話――明日の午後に向かう市場での買い物の内容だ。
特にミヤコの場合、相当に料理上手だからな。一番得意な和食を再現する為にも、思いつくものは全てチェックしておきたいんだろう。
……正直、相棒が餌付けされるんじゃないか、という危惧はあるのだが……オレも和食は食いたい。市場での食材探しは主旨とも合致するし、ここは素直に協力しておくべきだろう。
ちなみに後はもう風呂入って寝るだけではあるのだが、オレもアリアも、御揃いの麦わら帽子を手にしている。
本日の午後はヒッチンさんの買い物に付き合ったという相棒が買ってきた品だ。飯時に渡されたのでそのまま持ち歩いてる形だな。
曰く、強い日差しを受けて髪めっちゃ綺麗に光ってるけど、それだけ暑いって事だから、だとさ。ほんっとこういう処はマメな奴だ。
全く……ニコニコ嬉しそうにプレゼントしてくんじゃねーよ、押し倒すぞ馬鹿野郎。
麦わら帽子を手に取り、顔の前に移動させてしまりなく緩みそうになる口元を隠す。
「ねぇねぇにぃちゃん、似合う?」
勿論アリアも喜んでいた。被った帽子のつばを両手で摘まみ、満面の笑みで被ったり脱いだりを繰り返す姿は我が妹ながら大変に可愛らしい。
相棒は無言で、けどやたらと力強く親指を立ててグッドサインを見せている。
しかし、オレ達姉妹の分をセット扱いで買って来たのは相棒らしいけど……こうなると結果的には省かれた形になるミヤコが若干気の毒ではあるな。
幾らかの同情とちょっとした優越感を以て、黒髪をポニーテールにした友人を横目でチラリと見ると――。
「先輩、コレを挿し忘れていたんですが、手伝っていただいても良いですか?」
「――ってオイコラ、簪くらい自分で挿せよ!」
……油断も隙も無い! ミヤコは以前相棒から贈られたという品を取り出し、髪に挿してくれる様にちゃっかりと頼んでいた。
オレも正確な知識がある訳じゃない。
ないが、『未婚の娘に簪を贈り、あまつさえ髪に触れて手ずから挿す』というのが古式豊かな特別感に溢れた行為なのだというのは想像がつく。
ふざけんな断固阻止だ、麦わら帽子と簪じゃレートが違うだろうが。
「あら、レティシアも挿してもらえば良いでしょう?」
「ぐっ……持ってきてないんだよ……!」
シレっとした顔でぬかす恋敵に対するオレの表情は、苦虫を嚙み潰したソレになっている事だろう。
ミヤコの後追いという形になったのは若干面白くないが、一応はオレもアリアも相棒から簪を贈られている。
けど、今回の旅行には持ってきてはいない。
海があるし、全力で遊び回る気だったし、実際その通りにしているので身に着ける機会があると思ってなかったんだよ。
何より、普段そういった品を使う機会が無いので、慣れない場所で紛失したり傷付けたりしてしまうのが怖かった。
アリアも似た様なものだ。お互いに『相棒から貰った装身具』というのが貴重過ぎて、自室の鍵付き宝石箱の中に大事に保管している。
折角もらったんだから使った方が良いというのは分かってるんだけどさ、聖都内とかなら万が一失してもまだ探せるけど、慣れない土地で落としたら見つけるのは難しそうだし……。
この辺りの認識は単なる個人差、ってやつなんだろう。
オレやアリアは貰った簪を大事にし過ぎてついつい使う機会の逃しがちになってるが、ミヤコのやつはちょくちょく身に着けては相棒にそれを見せているらしい。
今もそうだ。こっちが言葉に詰まってる間に、相棒が手渡された簪を髪留めに添える形でさっさと挿してしまった。
「おまっ、そんなあっさり……!」
「ふふっ、ありがとうございます」
いや髪に挿しただけやん、じゃねーんだよこの馬鹿! ホンっとコイツは……!
笑顔と共に向けられる礼の言葉に、相棒はあいよー、なんて軽く返事して笑い返している。
ミヤコにはドヤ顔でも向けられるかと思ったが、深く考えずに普通に髪に簪を挿した馬鹿たれを少し頬を染めて見つめていた。
あぁそうだよな、嬉しいよな。オレも同じ立場だったらお邪魔虫なんてアウトオブ眼中、相棒だけを見るさちくしょう。
この場においては、簪を持ち歩いていたミヤコが一枚上手だったって事だろう。
なんなら敢えて身に着けずにいて、相棒に頼むタイミングを伺ってた可能性すらある。というか、後は風呂入るだけなのにこの場で挿す意味がないだろ。絶対狙ってやがったぞコイツ。
「うぐぐぐ……」
「むぅ……ボクも簪持ってこれば良かった」
当然の事ながら、オレとアリアは眼前の光景が面白くない。
とはいえ、簪を挿してたらこの麦わら帽子も被れなかった訳で。
なんとも複雑な気分を二人揃って味わう羽目になっている。えぇい、相も変わらず無自覚に人を振り回す奴め。
オレ達はお互いに目配せした。ずっと一緒にいる姉妹だ、次にとるべき行動を口にするまでもなく理解しているってな。
「ほれほれ、オレも被ったぞ。お前が買った麦わら帽子なんだから、なにか気の利いた言葉はないのか? ん?」
「ボクらの分だけじゃなくて、にぃちゃんのも買おうよ。三人で御揃いとか良くない?」
二人其々に言い募り、さり気なくミヤコと相棒の間に割って入る。そうして、四人でわやくちゃになって騒ぎ出した。
いつも通りと言えばいつも通りの空気だが、ミヤコと良い雰囲気になるのを阻止するのが目的だからな、これで良いのだ。
◆◆◆
・各地の古強者達、歓喜
「猟犬殿」
宿での自室に戻る途中、背後からかけられた声に俺は振り向く。
まぁ、相手も特に気配を隠したりして無かったので分かってはいた。獅子の鬣を思わせる赤みの強い金髪と髭、極限まで鍛え上げた巨躯――レーヴェ将軍だ。
その後ろには御供らしき同世代かちょい上くらいのおっさん連中が数人。皆、それなりに旅行に相応しいラフな格好だが、以前に戦場で見た顔もいる。多分、将軍直下の第一騎士団の人達だろう。
ともあれエリート揃いかつ年上で目上ばかりの面子だ。俺は身体ごと向き直ってしっかりと一礼する。
ウッス、お疲れさんです。部屋から出てきたって事は残った書類仕事は片付いた感じですか?
「うむ、部下達の協力もあってどうにかな。既に日も落ちた故、本格的に休暇となるのは明日からとなるが」
鷹揚に頷くその顔には、長い時間の書類仕事で少しばかり疲れが浮かんではいるものの、暗い色は見えない。
弔えなかった身内をしっかり葬送したことは、レーヴェ将軍にとって良い区切りとなった様だ。幾らかでも元気を取り戻せたってんなら、皇帝陛下やノエル君達も一安心だろう。
音に聞こえた帝国軍部のトップ、本来ならこんな最低限の礼節で相手すべきお人じゃないんだが……現在はプライベート時間。おまけに本人がかなりフランクな人だからね。
その辺は皇帝陛下と同じタイプだ。格式ばったのが苦手である俺的にはありがたい。
「猟犬殿も久しく。壮健で何よりですな」
「全く以て。嘗て共に戦った若人と、無事の再会を喜ぶ――実に喜ばしい事よ」
後ろの騎士団の人達も、口々にフレンドリーな挨拶を返してくる。
小脇に抱えた着替えの類を見るに、どうやら皆で風呂に向かう途中だろうか? 折角の露天風呂だし、引き留めて入浴の時間を削っちゃ悪いな。
一歩脇に逸れて道を譲るも、おっさん連中は動かない。
……? はて、なんだか妙な感じだ。レーヴェ将軍を筆頭に、後ろの部下の皆さんも互いに目配せをして何かを言いたげである。
帝国第一騎士団は、所属する騎士の殆どが何年もバチバチに大戦で戦い続けた古強者ばかりだ。
肝の据わった剛毅な気質の人達が多いので、こんな風に揃って煮え切らない態度を取るのは見た事が無い。
深刻そうな雰囲気は無いので、軽い気持ちでなんじゃらほい、と首を捻っていると……視線による無言のやり取りが終わったのか、意を決した様にレーヴェ将軍が一歩、進み出る。
「ウォッホン! ……あー、猟犬殿。その、一つ問いたい事があるのだが、良いだろうか?」
え、なんスか改まって。
なんかワザとらしい咳払いなんかしてる将軍閣下に、取り敢えずはどーぞどーぞと首を縦に振って続きを促してみる。
「うむ、感謝する……実はだな、部下の一人が日中に市場で買い物をしている貴公を見掛けたらしいのだが……」
そこで言葉を切り、やっぱり歯切れ悪く口籠る将軍閣下。
今日の昼間の話だよな? 確かにミラ婆ちゃんの買い物を手伝ったが……何か気になる事があったんじゃろか?
言葉だけじゃなく、態度もらしくない。レーヴェ将軍だけじゃなく後ろの部下の人達もおんなじ様な表情をしている。
なんつーか……どうしても気になる事がある、けど聞きたく無い。でも知りたい、みたいな?
相反する複雑な複雑な心境がそのまま顔に出た様な、そんな表情だ。マジでなんだろう。
暫くは黙したまんまだったが、やがて覚悟が決まったのか。
獅子を思わせる偉丈夫はスゥッっと大きく息を吸い、勢いをつけて吐息と言葉を同時に発する。
「……えぇい、我ながら不甲斐無く、回りくどい! 端的に聞くぞ! 貴公に同伴していたという妙齢の女性、教会の御意見番殿――シスター・ミラの御親類であろうか……!?」
ズイッと一歩踏み出して聞いて来る将軍の圧が酷い。戦場で見るようなマジ顔である。
上司がようやっと問い掛けを捻り出して見せた途端、後ろのおっさん共が次々に騒ぎ出した。
「ぐぉぉっ……聞きたくない、聞きたくないっ……! が、気になって居ても立っても居られん……!!」
「ミラ様に、娘……! めでたいお話だと思わねばやっぱ無理相手の野郎許せんぶっ殺したい何かの間違いだうぉぁぁぁぁっ」
「しかしあの御婦人、ミラ様のお若い頃と瓜二つだったぞ……! 甦る懐かしき我が青春と淡き思い出……だが、だがっ……! あぁ、脳が、脳が壊れる……!」
「うぉぉぉっ、嫌じゃぁっ! シスター・ミラは儂らの永遠の偶像なんじゃぁ! ずっと清い身の儘なんじゃぁ!」
騒ぐを通り越してほぼ阿鼻叫喚だ。最後の人なんて堂々たる漢泣きである。発言自体は若干キモい厄介ファンみたいだが。
壮年から初老まで、イイ年齢したおっさん共が頭抱えて血の涙流しそうなツラで呻いたり叫んだりしてる様はなんかもう絵的に酷い。ハマってるアイドルの唐突な結婚&妊娠出産の報告を聞いたドルオタかよ。ワロス。
成程ねぇ、そういえば姉弟子殿の現状は聖都以外にはまだまだ周知されてなかった。
昼間に俺と一緒に買い物してるミラ婆ちゃん見て、そっち方面に勘違いしちゃったかー。
あの人が現役時代、相当に名を馳せていたのは知ってるが……どうやら思っていた以上にファンの類が多いみたいだ。古株の帝国騎士までこんなんだとは思わなかった。
まぁ、若返ると普通に美人だしなぁ。あの戦争に参加してた人達は大なり小なり強さをリスペクトする面があるだろうし、クソ強でキリッとした美人とか確かに人気でそう。婆ちゃんの現役時代を知る世代にとって、尊敬や憧憬の対象だったんだろうね。
奇妙な納得感と、眼前に広がる珍妙愉快な光景に半笑いになっていると、部下よりは比較的落ち着いているレーヴェ将軍が焦れた様子で再度口を開く。
「……で、どうなのだろう? 差し支えなければ教えてはもらえまいか――我らも覚悟は決めている。どの様な答えであっても粛々と受け止めよう」
ほんとぉ?(疑念
後ろの歴戦の騎士様方、「娘さんです」とか言おうもんなら悲鳴を上げて卒倒しそうなんですけど。
実際に言ってみたらどうなるのか、ちょっと見てみたい気持ちもある。
が、その為だけに大ボラを吹く訳も無い。
じゃぁどうするか。ちょっとだけ考え――直ぐに答えは出た。
まぁ、普通に言って良いやろ。婆ちゃん本人も吹聴する気はないけど殊更に隠す気も無いみたいだし、相手は教国とガッツリスクラム組んでる友好国のお偉いさんとエリートだし。
数秒の思案を終え、俺は一つ頷いて改めて眼前のレーヴェ将軍と目線を合わせる。
まぁ、なんだ。驚かないで……というのは無理でしょうけど、落ち着いて聞いて下さい。
「うむ……しかし、その言い様ではやはり我らの危惧……いや、この物言いは御息女への礼を欠くな……予想は正しかったという事か」
心なしか沈んだ表情と口調で将軍が呟くと、後ろの阿鼻叫喚が加速した。
熱量たけぇ~……全員、かどうかまでは分からんが、レーヴェ将軍を筆頭に、おそらくは殆どが妻子持ちだろうに。
マジで推しのアイドルの為に車や家を売る類の重篤ファンみたいな反応ですねぇ。これは草生えますわ。
頭抱えて慟哭でも始めそうな帝国でも指折りの古強者達に向け、宥める意味も込めて少しだけ声を張って彼らの勘違いを訂正する。
落ち着いて下さいってば――あれはミラ婆ちゃん本人ですよ。
「……やはり、そうか。かの女傑の当時の御立場を考えれば、伴侶や御子がいた事を秘するのも…………はっ?」
「「「えっ?」」」
先頭の獅子おじさんのしんどそうな雰囲気と面相が消し飛び、同時にオッサン共が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で一斉に異口同音で唱和した。
滅多に……否、今まで見た事のない呆けた表情を晒したレーヴェ将軍は、一拍置いて真顔になり、唐突に小指を立てて耳の穴にぶっ刺してほじり始める。
数秒、ぐりぐりと指を動かして耳孔の通りを良くしたと思ったら、やはり真顔のまんまで軽く頭を下げてきた。
「……すまぬ、吾輩としたことが聞き逃した様だ。もう一度頼む」
だから、あれ本人。ミラ婆ちゃんです。
俺はもう一度耳孔に指突っ込もうとする将軍閣下を止め、あれはミラ婆ちゃんである、と再三繰り返した。
「……幻惑魔法の類であろうか?」
いえ、本物です。詳細は省きますけど、体調不良を治療したらなんか若返りました。
若返り、のあたりで脳味噌がキャパオーバーを起こしたのか、あんぐりと口を開いて絶句する将軍と騎士の皆様である。
まぁ、気持ちは分かる。大いに理解できる。俺もそうだった、意味分からんよねマジで。
なんせ治療に関わった聖女二人が「わけが分からん」と匙を投げた話だ、どれだけぶっ飛んだ事なのかは言う迄も無い。
けど、どんだけ突拍子が無くとも、ぶっ飛んでいても、事実なんスよ。
驚愕が過ぎて固まったままのガタイの良いオッサンの集団に、俺は復帰を待たずに追加情報を与える。
なんなら今も続けていた修練による経験と技量に、全盛期の身体が加わってパワーアップしたまであるみたいですねぇ。
脳裏に思い浮かぶのは、若返った身体の調整も兼ね、ガンテスと組手をしていた姉弟子の理不尽っぷりだ。
お互い本気とは程遠い、流す様な試合だったとはいえ、あの筋肉要塞が延々打撃を捌かれてはぶん投げられ続けてるのを見て目を剥いたのは記憶に新しい。以前に鎧ちゃん抜きでKAWAIGARIを受けて生き残った自分を褒めてやりたい、心底(白目
ちなみに散々に投げ飛ばされていたガンテスだけど、滅茶苦茶楽しそうでした。
少なくとも二十回は地面に叩きつけられたのに完全にノーダメだったらしく、終わった後にウッキウキのテンション高い状態でそのまま筋トレに移行してたわ。あのおっさんはおっさんで大概おかしいと思うの。
ま、なんにせよ、だ。
あと何日もせん内に本人が改めてこの町に来るんで。真偽を確認したいなら、ちょっと話をしてみてはどうでしょーかね?
言葉を結び、反応を伺うも……相変わらずレーヴェ将軍以下、帝国騎士達は顎が外れそうな位に口をかっ開いたまま固まっている。
十秒くらい待って、これ放置して部屋に戻って良いのかなーとか考え始めたところで、さっき漢泣きしてた年嵩の騎士が震える声を絞り出す。
「て、手紙を……」
んん? 手紙?
掠れた声で零れた言葉に思わず聞き返した瞬間――雄叫びに近い絶叫が炸裂した。
「文を出すんじゃぁぁぁぁっ!! えらいこっちゃぁぁっ! 各地の戦友達に教えてやらねば!!」
うぉっ!? びっくりした!
廊下に響き渡る唐突な大音声に、思わず身を仰け反らせる。
眼を血走らせて喉から迸らせた叫びを皮斬りに、処理落ちしてた他の面子も再起動して騒ぎ出した。
「ま、まことか! あの御婦人がミラ殿だと!?」
「ど、どうすれば良い!? い、今からでも鎧を取りに戻って正装でお会いすべきか!?」
「待て待て待て! 旅先でそれは無粋であろう! いっそ挨拶時に花でも添えて贈るべきだ!」
「阿呆、全員で送りつけては迷惑になるわい! ここは代表として儂が――」
「「「ざけんなブッ殺すぞ!?」」」
ごめん、正直に言って良い? 超うるせぇ。
イイ年したおっさん連中――しかも帝国で《刃衆》と双璧を為すとまで言われる歴戦の騎士達が、揃いも揃って思春期の小僧みたいなテンションで大騒ぎしている。
喧々囂々というよりは纏まりなくギャーギャーと叫んでいるだけなその姿は、やはり騎士というよりは強火のドルオタ集団みたいだった。
誰が代表してミラ婆ちゃんに話を聞きにいくか、そのときに何を贈るか。
宿の廊下だという事も忘れて熱心に語り合う中には、しっかりレーヴェ将軍も混ざっている。
今も立場的に自分が代表として挨拶に行くべきと主張し、部下全員からブーイングと共に却下されとるわ。それでも部下に比べれば割と冷静だけど。
いやぁ、元気になったみたいで何より。皇帝陛下は勿論の事、ノエル君とイヴ嬢にも見せてあげたいグヌヌ顔してますねぇ。
すっかり蚊帳の外になってしまった俺だが、元より話題の内容とテンションの高さについていける気もしない。気配を殺してそーっとその場を離れる。
うむ、唐突に始まって唐突に終わったが、中々に面白い時間ではあった。
レーヴェ将軍の意外な一面もそうだけど、ミラ婆ちゃんが上の世代の人達にかなり人気者っぽいのはマジで草生えるわ。怒られそうではあるけど本人に話振ってみてぇ。
よーし、あとでシア達にも教えてやろう。なんなら普段婆ちゃんによく怒られている副官ちゃん辺りに話して、是非とも反応を見てみたい。
というか、副官ちゃんは姉弟子様の若返り&パワーアップを知らんかった筈だ、先に教えなきゃな。ぼくとおなじようにしろめをむこうね!(畜生感
そんな風に明日の予定、というには他愛のないお喋りのネタを脳内で整理しつつ、俺は自身の宿泊する部屋への扉を開けて入室、音を立てない様に静かに閉めたのだった。
◆◆◆
・老兵達の企み
聖都の冒険者向け宿屋、《武器掛け棚亭》。
夜も更け、一階の酒場にも殆ど人がいなくなったこの時間。
店主であるラック=ラインは、唐突にやってきた友人二人とカウンター席を挟んで向かい合っていた。
「そんな訳で、明日は僕達も魔族領に向かう予定なんだけど」
「その前夜に酒場へ来る奴があるか」
楽しそうにグラスを傾ける真っ白な髭を伸ばした僧服の老人――ヴェネディエに向かって、間髪入れずに突っ込む。
それでも酒を出すのは、酒場を営む者としての酒飲みへの礼か、単に腐れ縁であるが故か。
どうであれ、店主は呆れを隠さない目付きをヴェネディエに向けた後、その隣に座る老シスター……ミラへと視線を転じた。
「お前が止めないのも珍しいな」
「えぇ。今回はこの面子で少々話がある、と言われました」
彼女はカウンターの上に置かれた琥珀色の酒で満たされた杯に指先で触れつつ、鉄面皮の如き表情のまま頷く。
教皇としての職務をサボっては飲みに向かう不良坊主を捕縛し、引き摺って帰る事の多い女傑だが、今回はその当人から一緒に酒場に行く様に乞われての同行である。
ヴェネディエの地位から見ても――なのは今更として、単純に教国の旅行メンバー……その最年長組として、あまり褒められた行為ではない。
それ故に、普段のミラならばその願いにも容易に首を縦に振る事は無く、或いは振ったとしても渋い顔の一つでも見せていただろう。
――だが。
ふっ、と。女傑の表情から力が抜ける。
「今日は、少し飲みたい気分なので」
微かにではあるが、口の端を常より緩めて呟かれる言葉に、男二人が目を見開いて顔を見合わせた。
「お前の口からそんな台詞が出るとはな」
「いやはや、誘ってみるものだねぇ」
かたや楽しそうに、かたやしみじみとした口調で言葉を返し。
誰ともなく、老兵三人は其々がまだ手を付けていないグラスを軽く掲げる。
乾杯の唱和は無く、だが軽やかに杯が打ち合わされ、酒を酌み交わす時間が始まった。
ヴェネディエは若い頃から面白い事を好む男だ。
生来の悪戯好きな気質もあるのだろう。それだけに、そういった祭りや催し、旅行といったものへの準備や心構えは怠らない。
今回の旅行も確りと楽しむ為に前日は早々に身を休める――少なくともミラの知る彼ならばそうする筈だった。
こうしてある程度夜も更けた時間にミラを誘ってラックの酒場に向かう、という点から見ても、大事な話があるというのは本当の事なのだろう。
とはいえ、折角の酒の席。早々に本題に入る事はなく、近況やごく最近にあった出来事などを各々が語る。
「いや驚いたよ。確かに変装用の衣類一式をチェルシーに届けてもらったけれど、ミラが実際に袖を通す可能性は半々程度だと思っていたからね――ましてや、そのまま帰って来るとは思っていなかった」
「ほう。と言う事は、お前はコイツが洒落た格好をしてる姿を見たのか?」
「僕だけでなく、聖殿に勤めている子達が大勢見たねぇ。いやぁ、あれは愉快な光景だった。トイルが大口を開けて放心する様を見たのなんて何年振りだろうね」
「……その話題はもうよいでしょう。此処に来る前から何度話を蒸し返すのですか、ヴェティ」
最初に見せた穏やかな表情は何処へやら、普段の鉄面皮を通り越して苦々しいしかめっ面となっているミラである。
彼女としても己が迂闊だったという自覚があるだけに、いつもの如く説教する事も出来ない。
弟弟子たる青年と、彼の相棒たる魔鎧、その奥底に在るであろう少女。
突発的なものではあったが、この二人と買い物を楽しめたという事実は、らしくもなく彼女を浮足立たせていた。
――そう、浮かれすぎて、己が似合いもしないサマーワンピースなぞ着ているという事を失念する程に。
当然、本人にとっては不覚にも程がある話だ。
タイミングとしては気付いても時既に遅し、というやつで。軽い足取りで《門》を潜って大聖殿に戻り、さて、猊下が仕事をサボっていないか確認しようと奥ノ院へと歩き出して暫くしてからだった。
ぶっちゃけ、遅めの昼食の為に廊下の向こうから歩いて来た教皇本人に指摘されたのである。
《三曜の拳》を極めて高い練度で修めたミラにとって、各種身体操作は基礎も基礎だ。
故に表面上は動揺や羞恥を表に出す事無く、指摘を受けた瞬間に自室に向かっていつものシスター服へと着替えたのだが……付き合いの長いヴェネディエには、足早に踵を返す彼女の背が、相当に焦せっていた事が分かったのだろう。
慌ただしく走り出す事こそなかったが、凄まじい速度の早歩きで自室に飛び込んで行った、青いサマーワンピースを着た若返った姿の友人。
そんな彼女を見て、驚愕のあまり呆けている聖殿の僧達。
それらを眺め、腹を抱えてえずくほど笑ったせいで、今でも若干腹筋にダメージが残っているヴェネディエだったりする。
不覚をとったとばかりに渋面を晒している女傑とは対照的に、非常に楽しそうなニヤニヤとした表情で酒を舐める男二人であった。
滅多にない自分が弄られている状況に、暫くはこれが続くのかと嫌そうな顔をするミラだったが、ここでヴェネディエが思い出した様に「そういえば」と、別の話題を切り出す。
「旅行初日の夜、《万器》殿が《門》を使ってやって来たらしいね。聖都への滞在時間自体は極短くて、直ぐに戻ったみたいだが……察するに弟子である君への用事だと思うのだけど、どうなんだいラック?」
唐突に水を向けられた店主は口に含んだ酒を危うく噴き出しそうになり、だが寸での処で堪えて嚥下した。
あのクソオヤジ、こっそり来たとか言っといてしっかり把握されてんじゃねぇか。と、馬鹿笑いしている師の面を思い出して内心で毒付く。
「……あの師匠のしょうもない思い付きだ。毎度付き合わされる身にもなって欲しいもんだ」
「まぁ、いつもの如く、というやつか。あの御仁も悪い人ではないんだけどねぇ」
「身近に《魔王》陛下がいらっしゃるので、その陰に隠れがちですが……あの方も相当に自由人の類ですからね」
素知らぬ顔で詳細はボカして返すも、若い頃から店主が定期的に師の思い付きムーヴで振り回されていたのは二人も把握している。なので、彼の答えにも特に不審は抱かなかったようだ。
――否、ミラの方は納得した顔で杯に口をつけているが……ヴェネディエは台詞とは裏腹に、新たなからかい先を見つけた、といった表情で悪戯っぽく笑っていた。
舌打ちしたくなるのを堪え、店主は視線と僅かな表情の動きだけで眼前の不良坊主と声無きやりとりを行う。
(この話は終わりだ……次来た時に、俺の晩酌用の一本を出してやる)
(前に言っていた蒸留酒かい? いやぁ悪いねぇ、楽しみにしてるよ)
男二人の間でアイコンタクトによる密やかな会話を素早く終え、話題はさりげなく別のものへと移った。
いつものミラならばそれに気付く可能性は高かったが、本人が「飲みたい気分」と言っていた通り、普段は殆ど口をつけない酒も今回はペースが早い。多少なりとも酔いが回り始めているのもあって、無事に買収は成功しそうだ。
普段通りの仏頂面こそ崩さないが、つい安堵で小さな溜息が漏れそうになる店主である。
彼からすれば、いきなりやってきた師に魔族領まで引き摺られていった挙句、ミラの弟弟子と立ち合いをした、などという話題は間違っても口にしたくない。
なにせ、少し前にミラから「彼と"あの娘"が力を合わせた姿を、未だに見れていない」と愚痴られたばかりなのだ。
一方で、あくまで試し合いとはいえ、店主自身は件の二人の姉弟子兼師である彼女が御執心のソレ――変化した魔鎧の新たな姿と力に、僅かではあるが触れている。
弟弟子と《《弟子》》が関わると普段の糞真面目な堅物っぷりが崩れやすい……遠慮なく言ってしまえば、過保護な親バカにも近い面を見せる女傑に知られれば、中々面倒な事態になるのは火を見るよりも明らかであった。
それからも各々のペースで杯が干され、楽しそうに店主の出した肴を摘まむ教皇を会話の中心として、老兵達の酒の時間は進む。
元より、ミラとラックはそう多弁では無い。友人間では、他者との交流に秀でたガンテスとヴェネディエのどちらかが会話を円滑に回す役割だ。その片方がいなければこうなるのは自然な成り行きと言える。
「……さて、そろそろ本題に入ろうか。いや、参ったね。最近は楽しい話題が増え過ぎてついつい会話も寄り道が多くなってしまう」
「ふん、辛気臭い話ばかりよりはマシだろうよ」
「そうですね、羽目を外し過ぎるのは感心しませんが……良い事ではあります」
空になった杯を手酌で満たしながら、空いた手で笑って顎髭を撫で擦る友人の言に、女傑と店主もこればかりは素直に同意を示した。
これは彼らだけでなく、長年の生存戦争にも近い戦いを生き残った老兵達にとっては共通の認識と言えるだろう。
注いだ酒を一口呷り、静かに杯を置いたヴェネディエが真面目くさった表情でカウンターに両肘をつき、組んだ両の手に顎を乗せる。
「そうだね……では、僕らにとって一等愉快な話をするとしようか――近日中に、大森林から魔族領に向かうエルフの最長老殿より、事前連絡があった」
「「ほう?」」
その言葉に、普段は仏頂面やしかめっ面でいる事の多い女傑と店主が揃って眉の角度を跳ね上げ、興味深そうに僅かに身を乗り出す。
相手は一種族の代表だが、酒の席で切り出す時点で真面目な話ではない――寧ろ、良い肴となるモノなのは確実だ。ぶっちゃけ最長老云々はこの話題にとって大して重要な要素では無い。
「エルフにとっては、先人が大きくした魔族との確執を改善できる貴重な機会だ。短い日程ではあるけど、最長老殿自身も旅行に参加するらしいね」
聖殿内ではそれなりに周知された話題なので、これは店主への説明も兼ねているのだろう。
その前置きにミラは軽く頷き、初耳であるラックも「なるほどな」と、短く呟いて顎先をしゃくって続きを促す。
ヴェネディエはやや勿体つけた動きでゆっくりと酒を舐め、白い髭に覆われた口元が実に楽しそうに弧を描く。
「エルフが新たに他種族との友好を掲げたとはいえ、今回は特に蟠りのあった魔族領への外遊だ。観光にしろ、地元の民との交流にしろ、有事の際に仲立ちの出来る人物の協力をお願いされてねぇ」
「そういう事ですか。成程、サルビア殿は中々に積極的ですね」
「相手があの筋肉馬鹿だぞ、この場合は頼もしいと思うべきだろうよ」
全てを察した様子で、ミラとラックも何処となく楽しそうに杯を傾ける。
偶に集まっての友人同士での酒の席。
一人欠けている時点で、その欠けた一人――ガンテス=グラッブスに関する話題であるというのは察しが付く。
エルフの最長老ことサルビアが、彼らの友人である筋肉武僧に想いを寄せていることは既に知れた事実だ。
そして今回の彼女の要望――順当に考えれば、教会の古株であるが故に魔族領でもそれなりに顔が広く、既に帝国の《大豊穣祭》で実況解説の仕事を共に行ったガンテスが担うのが、人選としては妥当だろう。
種族の代表としてもサルビア個人としても有益な、一石二鳥の一手である。立場や肩書は伊達では無い、といった処か。
ヴェネディエやミラは既に帝国の祭りで彼女と面識を得ている。
サルビアが自分達の友人に向ける感情が、その立場に反して非常に一途で純情なものである事は既に理解していた。当然、ラックにもその所感は伝えてある。
身も蓋も無く言うと――面白過ぎる、応援一択である。
人生の八割が筋肉と鍛錬で構成されていそうな友人へと吹く春風の気配。
祝福と喜び、野次馬根性を等分させた心持で、三人は酒杯片手に額を突き合わせる。
「サルビア殿の旅行期間中、お役目にガンテスを宛がうのは当然として……問題はその間の聖女の護衛とお目付け役だねぇ」
「私は教皇猊下の護衛がある……ブランが手隙ならば頼めたのでしょうが、難しいでしょう。さて、どうするか……」
「というか、現場が魔族領になると俺はまた蚊帳の外か? いい加減その最長老とやらがどんな女なのか見てみたいんだが」
嘗ての、彼らがまだ若かった頃の様に。
だが、あの頃には決して出来なかった、"平和な時代に友人の色恋沙汰を弄る"という最上の酒の肴を以て、小さな酒宴は進む。
ちなみに女傑の弟弟子たる青年がこの会話を聞けば、言うてアンタらも全員独身やん、ワロス。とでも突っ込んでいただろう。
明日、自分達もその旅行に参加する、或いは普通に仕事があるのだと言う事を忘れた様に熱心に語り合う老兵達の夜は、もう暫くは終わらない様子であった。




