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白百合の水練 中編

 



 地元の子供達による舌戦? は、それから数分続きましたが、最終的には女の子が怒って場を離れる事で有耶無耶になってしまいました。


「なによなによ! この馬鹿犬! そんなにおっぱいが良いか! 去勢されちゃえ馬鹿!」

「お前本当にやめろよ!? というか今日の会話で一言もおっぱいなんて言ってないだろ!」


 それは今日以外は口にしているという自白なのではないでしょうか……?


 肩をいからせて踵を返す彼女に、犬さんが悲鳴じみた抗議の叫びを挙げます。

 当然、彼女が子分と称した少年達もそれについてゆく形です。

 背を向けた彼らと女の子に、犬さんが思い出した様に慌てて声をかけました。


「あ、オイ! いつもの海に出て散歩はやめろよ! 今は――」

「うるさい! そんなの知ってる! そーゆーところばっかり気を廻すな馬鹿!」


 杭を打ち込む様な強い口調で言葉を遮り、女の子は足取りも荒く砂を蹴立てる様にして歩き去ってしまいました。


「チェッ、なんだってんだよアイツ……」

「今回の爆発はちょっと大きめだったね」

「……多分、焦りとかも、あった」


 ほぼ一方的に怒鳴られ続けた事で不満が溜まっているのか、口の中で小さく愚痴る犬さんですが、友人二人の反応は小さな苦笑と短めの感想でした。

 不貞腐れた顔は、子供らしからぬ疲れた表情へと変わって盛大に溜息をつきます。


「何の焦りだよ、意味わかんねー」


 声量や口調こそ激しいものでしたが、実際に手が出る様な荒っぽい空気にはならなかったので、最後まで座って眺めているだけだったリリィとアンナ様も立ち上がりました。


「う~ん、この漂う朴念仁(にぶチン)感……まぁ、まだ子供だし、あの手おくれ駄犬よりは成長する目があるか……」

「…………」


 肩を竦めるアンナ様に感じる、何度目かの謎のモヤっとした感覚です。流石に慣れてきた感があります。

 ちなみに今回の謎の感覚は、彼女に投擲具の類を渡せ、というものでした。しかも単純な投刃などではなく、脳裏に思い浮かんだのは刃輪(チャクラム)やブーメランといったあまり見ない種です。

 相変わらず内容に統一性がないうえに、唐突に過ぎます。なんなのでしょうこれは。

 悪霊や物騒な質の精霊などに目を突けられているのだとすれば、ゆゆしき事態なのですが……不思議と悪いものではないという謎の確信だけがあります。良し悪しどちらにせよ、不可解なのに変わりはないのですが。

 自身に起きている謎の現象にリリィが悩んでいると、空気を変える様にアンナ様が強く掌を打ち鳴らしました。


「ハイちゅーもく。個人的には先の気になる痴話喧嘩(ドタバタ)だったけど……切り替えていこっか」


 改めて視線が集まった事を確認すると彼女は軽く頷き、その碧眼で全員の顔をぐるりと見回します。


「とりあえず、予定はそのまま。リリィちゃんの泳ぎの特訓をする事になるけど……三人組も泳法を一通り習う、って事で良い?」

「はい。よろしくお願いします」


 何はともあれ、ここにやってきた本来の目的を忘れてはいけません。

 最初にリリィが頭を下げると、気を取り直したのか犬さんも大きく手を挙げました。


「さっきの帝国式のじゅーなんってやつも結構タメになったし、知らない泳ぎ方があるなら知りてーよ。俺としては速く泳げる方法があるなら、それが一番気になる!」


 アンナ様の言葉通りに気持ちを切り替えたのか、つい先程までの眉根を寄せた表情は引っ込め、元気いっぱいに声を上げます。リリィ個人としては、こういった切り替えの早さはその人の美点と呼べると思います。

 犬さんの上げた声に口の端を持ち上げ、ちいさく笑みを浮かべながらアンナ様は片目を瞑って見せました。


「ま、元を辿ると帝国式っていうより異世界式って言った方が良いのかもしれないけどね。とりあえず、クロールから覚えてみましょうか」


 そういって、彼女はサマードレスの裾をめくって膝上で結び、サンダルを脱いで素足となったのでした。






 名称のある幾つかの泳法は、(あに)様の様な異世界からやってきた方々から伝えられたものらしいです。

 最初にアンナ様が一通り(フォーム)を陸で見せ、それぞれの泳法のコツの様なものを教えて頂きました。

 やはり明確な型というものがあると違いますね。リリィ達は練習を始めたばかりなのでバタバタとして水面が騒がしくなりますが、アンナ様が着衣のまま軽く見せて下さった泳ぎは、パッと見ただけでも力強く、洗練された動作でした。

 当然、早さも相応です。海面をぐいぐいと進んでゆく様は、お魚さんを思わせる見事な速度なのです。

 とはいえ、アンナ様が運動――特に水に飛び込むには向いていない服装なのは確かです。


「まともに泳いだのなんて久しぶりだけど……結構覚えてるモンねぇ」


 海からあがり、転がっていた大きな石に腰掛けた彼女は虚空を見上げてボヤく様に呟きます。

 水を吸ってすっかり重くなったサマードレスの裾を絞ると、結構な量の海水が溢れ出て足元の砂浜に落ちてゆきました。


「……いや、横着しないでシャツと短パンに着替えて来れば良かったわ。流石に動きづらい」

「そうですね、手本を見せて頂いたのはとてもありがたかったのですが……」


 苦笑いするアンナ様に、リリィも練習の手を止めて同意します。

 泳ぎの型を指導して頂けるだけで十分、そう思っていたのですが……実際に海で実践するにあたって、やはり口頭だけでは掴めない感覚がありました。

 やや苦戦しているリリィや他の皆さんを見て、躊躇なく海に飛び込んで実際に泳いで見せた辺り、彼女の面倒見の良さが伺えますね。教わる側としては申し訳なくもあり、同時にありがたくもあります。


「……隊長と買い物にいったときに御揃いで買ったやつだったけど……ま、これも良い思い出ってね――いや、このネタを切欠にまた一緒に行く約束を……」


 何やら顎に手を当てて考え込むアンナ様です。そのお顔はとても真剣でした。

 獣人の御三方も熱心に話し合いながら教わった泳法を練習しています。

 ちなみに皆さん水着姿ですね。あのお店の店長さんも、この地方のみならば少しずつ水着を着用する方が増えてきている、と仰っていたので彼らも利用者という事なのでしょう。


「クソーッ、なんかアンナねーちゃんのクロールみたいにスッと進まねー!」

「速度出そうとして力み過ぎなんじゃないかなぁ……どんな型でも水に浮くのが大前提なんだし、腕は水をかくときだけ力を入れてみたら?」


 犬さんが大きく水飛沫を立てて泳ぐ傍らで、兎さんが助言を行っています。

 なるほど、一理ありますね。型を意識するあまり身体が強張っていては浮力が得られないのかもしれません。

 そんな二人の直ぐ傍を、牛さんが平泳ぎでスーッと静かに横切ってゆきます。


「……これ、ゆっくりだと疲れなくて、良い」

「見た目、まんまカエル泳ぎだけどな」

「でも、長距離泳ぐときは理に適ってるよ? クロールは速いけど疲れるし」


 それに関しては同意ですね。

 泳法其々に特徴・長所があるのでしょう。ちなみにリリィはお空を眺めながら泳げる背泳ぎがお気に入りになりました。疲れたらそのまま止まってプカプカと波に揺られるのもぐっどなのです。

 エルフの郷に居た頃も、水浴びついでに湖に浮かんで森の樹々を眺めるのが好きでした。前が見えないので、何か、或いは誰かにぶつからない様にだけ気を付けるべきですが。

 全員の状況を一通り見廻したアンナ様が、水練を再開したリリィへと視線を戻します。


「ま、どんな泳ぎ方でもきっちり練習すればそれなりに速さは出るよ――で、リリィちゃん、クロールの息継ぎは上手くできそう?」

「むぅ……少し苦戦中です」


 苦しくなって顔をあげると、どうしても身体が沈んでしまいます。結果、直ぐに苦しくなってまた息継ぎを行う。堂々巡りになっているのです。

 教わった型を意識しつつ、短い距離を泳いで習った動作を反復するのですが、どうにも上手くいきません。


「くっ……手強いです。おねえちゃんにあるまじき不甲斐なさです」

「ふむ、どれどれ」


 サマードレスが吸った水分を絞るのは諦めたのか、アンナ様は一旦髪を解いて後ろに上げて纏めると、再度海の中に足を踏み入れます。


「……一度に大きく息を吸おうと顔を上げ過ぎてる、かな? 頭は上げないで首の向きだけで水面から口を出す様にね」

「なるほど……ではもう一度、です」


 間近でリリィの泳ぎを観察し、その上で行われた助言を意識して再度挑戦すると……おぉ、確かにこちらの方が楽です。糸口を掴んだ気がします。

 少しずつですが、泳法の習得に近づいています。出来なかった事が出来る様になるのは、やはり充実感がありますね。

 泳ぎの習得が文字通り波に乗り出したのもあって、少々余裕が生まれたせいでしょうか。

 獣人さん達も交え、練習の合間に雑談を挟むようになりました。


「そういえば、(あに)様は泳ぎが得意だと仰っていましたが……他の皆様はどうなのでしょうか?」

「あー……そういえばアイツは遠泳とかやった事あるって言ってたっけ。私達帝国騎士も、水練が訓練課程に入ってるから、誰でもある程度は泳げるけど……」


 アンナ様に手を引かれ、どるふぃんきっく、というお魚さんの様に下半身をくねらせる脚の動きを練習中、ふと思いついて問い掛けます。

 教国の方々となると、ちょっと分からない。というのが彼女の答えでした。


「あ、でも司祭様はバタフライ――今、リリィちゃんが練習してる泳法が得意っていうのは聞いた事があるかも」

「グラッブス司祭様がですか?」

「うん。アイツは"アレはちょうちょやない、魚雷や"とかなんとか言ってたけどね」


 ぎょらい、とは何でしょう? リリィが知らない魔法か何かでしょうか?

 聞いたことの無い単語に首を傾げるも、アンナ様も御存知無いとの事です。「あの駄犬が偶に意味の分からないこと言うの、何時もの事だし」とも仰っていました。

 少々逸れてしまった話を戻します――水泳に関してですが、一般の方達も含めれば、内陸において泳ぎが達者な方はあまり多くないだろう、との事です。


「そもそも一定以上の腕前になると、前衛型の戦士は少しくらいなら水上を走ったりできるのも多いし、魔導士は飛行魔法があるからね」


 この地の様な海に面した場所ならば兎も角、内陸では得意、と呼べる程に熱心に水練を修める必要性が薄いのだとか。

 その言葉に反応したのは犬さんです。彼は目をまぁるく見開いて、思わず、といった様子で身を乗り出しました。


「水の上を走るって……え、マジで? もしかしてアンナねーちゃんも出来るのか?」

「当然。これでも自国じゃそこそこ腕の立つ部類よ」


 なんでもない事の様に答えるアンナ様です。不敵な笑みがとても様になっていますね。

 (あに)様も"副官ちゃんはかっちょいい娘だからね"と、しみじみ呟いていた事があります。流石は我が好敵手(ライバル)、相手にとって不足無し、というものです。

 折角なのでリリィの好敵手の凄さを知ってもらいましょう、新情報を投下です。


「銀髪の人は帝国でも高名な騎士なのです。《大豊穣祭》にて行われた闘技大会の優勝者でもあります」

「え、確かソレって、少し前に帝国で開催した、凄い規模のお祭りだよね?」

「……そういえば、確か、優勝したっていう騎士の人……アンナって名前、だった」

「うぉーっ、すげー! 有名人じゃん!」


 犬さん達のキラキラとした視線を受け、アンナ様は――何故でしょう? 居心地が悪そうでした。


「いや、褒めてくれるのは嬉しいんだけどね……あの大会自体は消化不良だったというか、素直に優勝したと喜べなかったというか……」


 ふむ……そういえばあの大会、決勝戦はアンナ様の不戦勝という形でしたね。

 一緒に観に行く予定だった孤児院の子供達も、残念だと嘆いていました。


 準決勝以降、(あに)様を筆頭として各国の皆様が忙しく動き回っていたのは覚えています。

 魔族領の方々も一夜のみですが全員で出払ってしまったので、あの夜は一晩だけオフィリ達と一緒にお泊りしたのです。

 事の仔細はリリィには知る由も無いのですが……おそらく、皆様は共通して一つの問題にあたり、それを解決に導いたのではないでしょうか?


 どういった問題であり、どういった決着を迎えたのか。

 これもまた、未熟であるが故にお留守番していたリリィには分かりません。


 ですが、その結果として大会決勝戦に影響が出たのでしょう。推論というにはあまりにも判断材料が欠けているので、ほぼリリィの勘なのですが。

 一廉の騎士であり、戦士であるアンナ様にとって、文字通りの決勝となる戦いを経ずして手に入れた優勝は素直には誇り難いもの、という事ですね。

 決勝まで勝ち抜いたという時点で素晴らしい戦果だと思うのですが……こればかりは当人の受け止め方や気質もあるのでしょう。


 犬さん達は若干興奮した様子で、試合内容や戦った選手についてアンナ様に根掘り葉掘り聞いています。やはり男の子はこういった話題に喰い付きが良いのです。

 彼らの勢いに少々押され気味のアンナ様でしたが、苦笑しながら質問には答えています。

 予想以上に反応が良かった為、水練が一時中断されてしまう形となりましたが……話題を振ったのはリリィです。ここは大人しく待っておくべきですね。


 暫くはこの状態が続く、そう判断したリリィでしたが――唐突に犬さんが顔を上げ、沖の方へと振り返りました。


「……なんか聞こえなかったか?」

「……? 僕にはなんにも」

「右に、同じく」


 眉根を寄せてじーっと沖を注視する彼の言葉に、お友達二人だけでなくリリィとアンナ様も訝し気に顔を見合わせます。


「リリィにも聞こえませんでした」

「私も特には――何が聞こえたの?」


 種族的に耳の良いリリィもそうですが、この場の五人で一番に五感の鋭いアンナ様も、特に何かを耳に拾った様子はなさそうです。

 内容を問うアンナ様の言葉に、犬さんは何やら言い辛そうにお口をモゴモゴと動かすに留めます。


「あー……いや、その……気のせい、かも。知ってるって言ってたし、そこまで馬鹿じゃないだろうし」


 むむっ? 今日から交流をもった身であるリリィが言うのもなんですが……なんというか『らしくない』態度ですね。

 これまでの快活さは鳴りを潜め、彼は歯切れ悪く言葉を溢して後頭部を掻く仕草を見せます。

 その煮え切らない態度に何か感じるものがあったのか、アンナ様が軽く腕を組んで顎先に指を這わせました。


「ふむ……無理に聞く気はないけど……何か気になるならちゃんと言う事。別に茶化したりしないから、ね?」

「……ま、まぁ、そこまで言うなら、一応……」


 優しく、やんわりと言い聞かせる様な声色に、犬さんも少々考えを変えた模様です。

 明後日の方向へ視線を彷徨わせながら、躊躇いがちに口を開いたのでした。







◆◆◆



 水練を行うリリィ達のいる砂浜より、やや離れた沖にて。

 穏やかな波に揺られ、一艘の小舟が四人の少年少女を乗せて緩やかに進んでいた。


「ムカつくムカつくムカつく! あの馬鹿犬、余所者にデレデレして!」


 憤懣やるかたなし、といった面持ちで、ツインテールの少女は舟の縁を何度も平手で叩く。

 彼女が子分扱いしている少年達は、其々に顔を見合わせて苦笑いしたり肩を竦めるばかりだ。


「お嬢、一応言っておくけどあのワン公は特にデレデレしたりはしてないと思うぜ?」

「うるさい! アンタもデカい胸の女が好みでしょう! 前にこっそりアイツと話して盛り上がってたの知ってるんだからね! 何がおっぱい教だこのバカ共!」


 甲高い声で「そんな奴の言葉信用できるかーっ!」と叫ぶ少女に対し、犬人の少年へとフォローらしき発言をした子分は藪蛇だったとばかりに首を竦める。


「でも、大丈夫ですかお嬢。宿の子倅の台詞じゃないですが、沖の方はヤバい魔獣がうろついてるとかで船を出さない様に触れが出てるんじゃ……」

「ふん、ただの宿屋と違って、アタシのパパは漁師連中にも顔が効くのよ――魔獣の種や詳細は聞いてる」


 沖って言ってもこの位の場所なら近づきもしないわ、と断言する少女の言葉に、不安そうだった別の子分は安堵の溜息を漏らした。

 今日に限らず、この小舟で少しばかり沖の方へと漕ぎだしたり、遠泳の練習をする獣人トリオを揶揄う為に態と近くをうろつくのは少女の日常である。

 気になる男の子にちょっかいを掛けずにはいられないが故の行動であったが……哀しい事に、ちょっかいをかけられてる少年は嫌われてるので嫌がらせをされている、という認識以外は持っていない。

 素直になれない娘の自業自得、と言ってしまえばそれまでであるが、面と向かって指摘すれば少女は激しく落ち込むだろう。なんなら此処は人目の無い海の上だ。泣き出すかもしれない。

 毎回付き合わされる身である子分達からすれば、いい加減、何か進展があって欲しいと願うのは当然なのだが……はっきり指摘する事によって『親分』である少女が傷ついたり泣いたりするのは避けたい事態だ。

 故に、二の足を踏んでいるのが現状であった。


 年若いとはいえ、彼らも分類すれば町のチンピラと呼ばれる類だ。

 だが、言葉こそキツイが兄二人と違って性根の善性が透けて見える小さな『親分』を、彼らは存外に気に入っているのである。少なくとも上の兄二人の取り巻きとなるよりは、随分と上等な選択であると思っていた。

 町の有力者である彼女の父が、宿屋の夫婦を半ば敵視している為、その息子である少年と表立って仲良くは出来ないが……まぁ、アイツならお嬢とくっつくのも許せる。という程度には犬人の少年を認めてもいたりする。

 宛ら、年下の少年少女の色恋を応援する兄貴分の様な心持なのである。本人達にその自覚は無いが。


 人目の無い場所で一頻り罵り、叫び、ある程度は発散されたのか。

 大きく溜息をつくと、少女は船の上で三角座りの態勢となり、不貞腐れた表情(カオ)で海面へと視線を落とす。

 彼女が落ち着いたのを見て取り、年上の子分達は揃って目配せをして小さく頷き合った。


「お嬢、ちっと思ったんだけどさ……あのワン公を切欠にして、公爵様に顔を繋ぐってのはどうだ?」

「……何よ、急に。なんでそこであのおっぱい魔人が出て来るのよ」

「それ、俺達以外の前では絶対言わないでくれよ、いや本気で、マジで」

「言わないわよ、流石に。下手したらパパの首が飛んじゃうし」


 少女からすれば、気になる少年をおっぱい教徒なる業の深い性癖に開眼させた元凶である。

 なので呼称が辛辣になるのも仕方なし、と言いたい処だが……流石に発言が不敬に過ぎてヤバいというのは、学の無い子分達にも十分察せられた。

 当然、少女も理解はしている。なので、子分の懇願にも似た言葉は素直に受け入れ、その前言の続きを促した。


「……で? なんで唐突にそんな事言い出したの?」

「ほら、お嬢の親父さんも、あの宿は気に入らなくても、あそこに金を出した公爵様とは仲良くしたいんだろ?」

「まぁ、そうね……よく『あんな寂れていた宿ではなく、公爵様は私を重用すべきだった』とかなんとか愚痴ってるわ」


 更に別の子分が、発言を引き継ぐ。


「けど、最近になってお嬢の兄貴達、やらかした訳で」

「……まぁ、うん。流石にパパも怒ってた」


 長男は件の宿の客に町中でちょっかいを出し、相当に危ない相手だったらしく、衆人環視の中で大小失禁しながら悲鳴を上げて逃げ出す羽目になり。

 次男はよりにもよって公爵や宿の客の入浴を覗こうとし、その護衛と思われる者に簀巻きにされて吊るされた。

 どちらも醜聞である。女公爵と懇意になりたい少女の父にとって大きな疵であり、公爵の件を抜きにしても、暫くは町中の失笑ものな話のタネとなるのは間違いないだろう。

 ちなみに、長男次男のやらかしに対して、結果として激烈なカウンターを叩き込んだのは同一人物――某猟犬と呼ばれる青年だったりするのだが、流石にそこまでは少女達の知る処ではない。


「そこでお嬢の出番ですよ。あの子倅と仲良くして、そこから公爵様と顔合わせ出来る機会を伺うんです」

「……そんなに上手くかしら。あの馬鹿犬だって、勝手に憧れてるだけでそこまで公爵様と仲が良い訳じゃ……無い、筈よね?」


 瞳を輝かせて女公爵のプロポーションを褒めちぎる少年を思い出したのか、不機嫌と一緒に不安も再燃させる少女。

 その不安を解消する意味合いもあって、子分達はここぞとばかりに口々に言い募る。


「だからこそだって! 公爵様がこの町に来るのなんて年に一回か二回だろ?」

「そうそう、その少ない機会に挨拶出来るチャンスを作る為だと思えば」

「実際に挨拶できるのなんて、何時になるか分からないだろうから……そうッスね、取り敢えず五年くらいはあの子倅と上手く付き合ってみるのはどうでしょう?」


 勿論、彼らとて口にした計画が上手く行くなどとは思っていない。

 あくまで方便だ――素直になれない彼らの『親分』が、あの犬人の少年と大手を振って仲良く出来る、或いは、仲良くしなければいけない、という尤もらしい理由付けの為の。

 彼らなりに知恵を絞って考えたテコ入れの方便であるが、実は何気に有効な手段であった。

 実際、女公爵が犬人の少年とツインテールの少女の関係を知れば、それはもう楽しそうに茶々を入れて来るだろう。

 相手が子供なのでお得意の愉悦勢ムーヴは随分と控えめになるだろうが、毎年来るたびに二人の関係をつつく様になるのは確実だった。


 ――が、それは子分達にとって重要では無い。繰り返すが、本来の目的は少年少女の言い争ってばかりな関係に対するテコ入れである。


 彼らの言葉と、そこに込められた熱量に押されたのか、段々と少女の方も乗り気になってきたようだ。


「……そ、そうね。パパも困ってるみたいだし、お馬鹿な兄さん達の尻拭いをしてあげるのも妹の務めよね」

「そうそう、やってみる価値はあるって!」

「次に子倅にあったら、これまでケンカ腰だった事をゴメンって言ってみるのはどうです? 今までが今までだから、謝り辛いかもしれないッスけど……上手く行ったら一気に距離が縮まりますよお嬢!」

「きょ、距離って! ま、まぁこれも計画の内よね! 検討しておくわ! ……あ、アタシは別にしたくないけど、仲良くなったら手を繋いだりする羽目になるのかしら! まったく嫌になっちゃう!」


 獲らぬ獲物のなんとやら、と言った風情の発言だが、船上の空気は先程までと比べれば随分と明るく、軽いものに変わっていた。

 暫くは今しがた打ち出した『計画』について語り合っていた親分子分達だが、元より親分である少女の気晴らしの為に出した小舟だ。

 上機嫌となった今、一応は船を出す事に自粛を求められている状況なので、浜に戻ろう、という事になった。


「じゃ、折角だからあのワン公のところに行こうぜ」

「!? ちょ、ちょっと急じゃないの? 計画を実行するのは明日からでも良いじゃない」

「お嬢ー。こういうのは早い方が良いんスよ」

「そうそう。親分の、カッコ良いとこ見てみたい! なんつって」


 最後のお道化た言葉に、少女は頬を赤くして言葉を詰まらせ、子分である少年達は声を上げて笑い。

 

――船底に激突した何かに小舟を引っ繰り返され、全員が宙を舞った。


「「「「ぎゃあああああああっ!?」」」」


 全くの不意討ち、予期せぬ衝撃に小舟は為す術も無く転覆する。

 四つの悲鳴が同時にあがり、その直後にいくつもの水飛沫が上がったのだった。







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