駄犬の一日・旅行編 早朝
朝陽も昇りきらぬ早朝。
ちょっとした岩場の上から海面を見つめ、釣り糸を垂らす。
宿が貸し出してた海釣り用の道具一式と大きなバケツを持って、俺は独り、磯釣りに来てきた。
昨日みたいな海でのレジャーに町の観光と、皆で楽しむ予定はぎっしりだ。一人でのんびり釣りが出来る時間帯はここしかない。
つーか何時ものノリで大騒ぎしてたら魚も逃げちまうわい。なので、単独でひっそりと来た訳ですよハイ。
漁業関係の規則なんかもあるにはあるらしいが、そこは流石というかやはりというか魔族領。組合が決めたルールは相当に緩いっぽい。漁船出したり網拡げてる場所から離れてれば、個人としての釣りに特に制限とかは無いそうだ。
というか、肥沃なのは大地だけじゃねぇって事っすわ。
海も海で魚から魔獣から色んな海洋生物が旺盛に繁殖しまくってるので、現状漁業で獲れる量程度じゃ『獲りすぎ』っていう現象自体が起こらないらしい。代わりに漁の危険度自体も相応みたいだが。
大戦時代、邪神の軍勢自体が海より陸に狙いを絞ってたので被害が殆ど無かった、っていうのもあるんだろうね。
宿を経営してる獣人夫婦の倅だっつー坊主から教えて貰った穴場だが、釣果は悪くない。
釣り糸を垂らし始めて小一時間も経っていないが、既に二匹ほどゲットしてる……両方とも見た事ねぇ異世界系フィッシュだけどな! そもそも食えるのかすら分からないでござる。
ま、釣りは竿を垂らして待つ時間も楽しむモンだ。ボウズじゃないなら良いか。
白んで来た海と空の境目を眺め、欠伸を一つ。
穏やかな潮風と、早朝特有の爽やかな空気がなんとも心身の弛緩を誘う。
遠くに微かに聞こえる声は漁師さんのものかね? 朝の早い職種なので既に漁に出てるか、その準備をしてるんだろう。お疲れさんです。
うむ……こういう時間の使い方も久しぶりな気がするわぁ……振り返ると、この世界に来てからは結構忙しない時間の使い方ばっかりだったもんなぁ。
忙しくても楽しかったり大事な記憶だったりも多いけどね。そういう意味では、俺は恵まれているのだろう。
波の音を聞きながら、ボーッと釣り糸の先にある浮きを見つめ続ける。
……お、動いた。三匹目来たか?
軽い手応えと共にしなり始めた釣り竿を握り直し、引こうとした瞬間――。
「ハッハッハッハッハッ!!」
普段聖殿でよく聞く事のある爆音みたいな笑い声と共に、ドヴァァッ! と水音というには重すぎる轟音。海面がうねって弾けた。
砲撃を海面にぶち込んだ様な水柱と共に海から飛び出てきたのは、筋骨隆々な巨漢――誰かなんて言う迄もない、ガンテスだ。
空中でグルングルンと縦回転しながら体勢を整えたガチムチは、そのまま俺の傍に重すぎる音を立てて着地する。着地点の岩場が裸足の形にべっこり凹んだ。
一拍おいて、海面からの筋肉エントリーで天に吹き飛ばされた海水が、局地的スコールになって周囲に降り注ぐ。当然の事ながら俺は一瞬で濡れネズミになる。
全身からうっすら湯気を立ち昇らせる筋肉ゴリラは、昨日と同じく上をはだけた旅用修道服姿だ。
「うむ、良き哉! 内陸で行う水練ではこうはゆかぬ!」
ご機嫌な儘、たっぷりと海水を吸って重くなった修道服の裾を絞ろうとして、びしょ濡れになって半眼で見ている俺に気付く。
「……む。これは猟犬殿、以前仰っていた磯釣りですかな?」
たった今、強制中断されたけどな! 海の出入りくらい静かにやれや!
海辺に旅行にきて、早速朝から海中鍛錬を行っていたらしい修行キチに、ゼロセコンドでビシィ! と平手ツッコミ入れたのも仕方ないと思うんだ。
――で、三分後。
「むぅ……この周辺は釣り人の良き穴場でありましたか。朝の穏やかな時間を騒がせてしまった事、まっこと申し訳なく」
うん、そうなの。次からは陸に上がるのは、この辺から少し離れた場所にしておくれやす。
言葉の通りに巨体を縮こまらせて丁寧に頭を下げて来る姿に、怒りも持続する筈無く。
肩を竦めた俺はびしょ濡れになったTシャツを脱いで、そのシャツで頭の水気を拭き取る。
どうやらガンテスは、折角海にきたので鍛錬として水中を走っていたらしい……そういやこのオッサン、普通にしてると水に浮かべないとか言ってたっけ。
どんなに脱力してようが、岩か鉄の塊を落としたみたいに一直線に水底に沈んでいくのだそうだ。カナヅチ(真)じゃねーか。ホントに人類ですか(真顔
そんな身体なので、海から出るには浅瀬になるまで移動し続けるか、水底を蹴って力づくで飛び出るしかない。
水深数メートル程度の場所で走ったり型稽古に精を出していたが、水面が白んで来たのでそろそろ陽が出てきたと判断して一気に飛び出てきた、との事。
「いやはや、本格的な水練は久方ぶりですが……深き場所であればあるほど、身に掛かる負荷は増えてゆきます故、実に良き鍛錬となります!」
おめめキラキラさせて上機嫌で大笑するオッサンは、先程から上機嫌をキープし続けている。
もう驚かんぞ。生身で水深ウン百メートル越えの場所でニ十分くらい鍛錬してたとかこの人型筋肉要塞ならふっつーにやるだろ。
釣りはこのまま終了。近くにいた魚は逃げちゃっただろうし。
まぁでも、機会は今回だけじゃないからね。旅行中に早起きしてもう何回かやるつもりだし、取り敢えず今日はここまでって事で良いか。
一応、二匹は釣れてる。両方ともちょっとカラフルなマジカルフィッシュだけど。
おっさーん。これ、食えると思う? 来る前に見た南部の生物図鑑に載って無かったんですが。
軽くバケツを掲げて見せると、中を覗き込んだガンテスはちょっと首を捻りながらも答えを返してくれた。
「ふむ。おそらく、若干の魔力適応を起こした個体かと。元の種自体は食用に適したものですが……味や滋養は豊かになれど、身の耐久が上がった事で毒餌も口にしているやもしれませぬ」
あー、やっぱそんな感じか。毒あるかは後でシアリアに精査してもらうべ。
食えるにしても適した調理法ってやつがあるだろうしね。後で宿の人に見せてみよう。
生食出来る奴だと良いなぁ……折角醤油あるんだから、刺身食いたい刺身。
「拙僧の記憶が確かなれば、ニホンより訪れた方々が時折口に上らせる品ですな。食に関しては識に欠ける身ゆえ、海産物の生食は寡聞にして存ぜぬ話です」
うん、ぶっちゃけ俺達の生まれた世界でも生魚食う文化は珍しい部類だったよ。
カルパッチョとかマリネとかあるにはあったが、極論、醤油と切り身があれば材料としては成立する刺身は生食の中ではかなり尖った部類だ。日本人にとっては別に普通なんだが、他国の人間からすればハードルの高い料理ではあるだろう。異世界なら猶更なのは言う迄も無い。
釣り具を片付け、二人並んで宿への道を歩き出す。
刺身の話題から派生して、宿の朝飯に美味い魚料理が出るらしい事を話しながら歩を進めると、町の方から大柄な人影が歩いて来るのが目に留まった。
最初は俺と同じく、朝の釣りにでも来た町人かと思ったんだけど……遠目からでも分かる特徴的な赤金の髪に気付いて、思わず立ち止まって目を凝らす。
「む……?」
ガンテスも気付いた様だ。俺達は顔を見合わせると、再び歩き出してその人物へと歩み寄る。
小さな壺を両手で大事そうに抱えたその人は、真っ直ぐに背筋を伸ばして堂々と歩く普段の姿とは真逆に、その頑健な恵体の背を丸めて考え込む様に俯いていた。
これまた普段の装備――役職に相応しい獅子を象った重装鎧も今は身に着けておらず、上品だけど身軽な服装だ。
よっぽど深く考え込んでいるのか、俺達には気付かずそのまますれ違おうとして……流石に自分を頭一つ分超えるガンテスの巨躯に目を惹かれたのか、顔を上げた。
「――ぬぉっ、猟犬殿に司祭殿ではないか!?」
「お久しぶりですな閣下!」
ウッス、お久しぶりです。
来るとは聞いてたけど、結構お早目の参加っすね、レーヴェ将軍。
驚いた様子で目を丸くしたのは、赤金とでもいうべき髪と髭を獅子の鬣の如く伸ばした偉丈夫。
帝国軍部を纏める将軍、レーヴェ=ケントゥリオその人だった。
なんでも、半ば王城を追い出される様にバカンスにやってきたという将軍閣下。
上司である皇帝陛下は勿論、部下やら子供達からまで「少し休め」と口を揃えて言われて、あっという間に逃げ道を塞がれて《門》に放り込まれたのだとか。
「貴殿らにも合力して貰った一件以降、帝国は事後処理に奔走している。軍部を指揮する吾輩が休暇に現を抜かすなど言語道断、陛下にはそうお伝えしたのだが……」
限度があるでしょ。上からも下からも「休め」って言われてる時点で全然休んでないのが容易に察せられるんですけど。
手近にあった岩に腰掛け、困った顔で呟く赤毛のライオン丸おじさんに、至極真っ当な意見を述べてみる。
身内がとんでもねー事やってた訳だし、責任感強いレーヴェ将軍としては本来なら引責辞任とかしたい位なんだろうね。帝国の今後を見て陛下が却下したみたいだけど。
その分、死に物狂いで後片付けに奔走してる、って事なんだろうが……それで周りに心配かけちゃあかんですよ。
隣のガンテスも当然ながら俺と同じ意見だ。以前と比べてやや頬がこけている様に見えるレーヴェ将軍に、労りの籠った目を向けている。
「閣下が身を削って責務を熟し続けている様を見ては、御身を慕う方々も心安らかに身を休めるとはゆかぬでしょう。御立場故に激務である事は察するに余りありますが、であれば猶の事、周囲の者達の意を汲むべきかと」
「……分かってはいる、つもりだ。陛下からも『お前が休まないと、余も大手を振って休めないだろうが』とお叱りを受けた」
将軍は溜息交じりで吐息を吐き出し、上等な生地に包まれた分厚い身体を丸めて項垂れた。
無意識の動作なのか、大事そうに抱えた儘の小壺を軽く撫でている。なんじゃろなアレ?
壺としては本当に小さな、それこそレーヴェ将軍の掌だとすっぽりと収まってしまうくらいサイズだ。ソレを彼は、とっても大事な貴重品の様に丁寧に両手で抱え込んでいる。
当然、ガンテスも気付かない筈がなく――けれど口に出して問う事はせずに、二人で将軍の手の中にある小壺へと目を向けた。
俺達の視線を受け、獅子の如き偉丈夫は何かを迷う様に視線を彷徨わせ……一度目を閉じると、腹を括った顔で真っ直ぐに此方を見つめ返してくる。
「……これから、町の者に聞いたある場所に向かう。貴殿ら……特に司祭殿、良ければ付いてきてはくれまいか?」
レーヴェ将軍の願いを聞き入れた俺達は、三人で移動を開始した。
陽が昇ったばかりで、時刻はまだまだ早朝だ。
宿の皆が起きて来るまでもーちょいあるし、朝飯までは更に時間がある。特に問題はないだろう。
向かった先は、俺が釣りしてた場所より北寄り……漁場や遊べる浜辺のある方向の反対、岸壁に波が打ち寄せる岩礁地帯だ。
ここらへんは潮の流れが強いし、波も荒れやすいという事で船着き場の類は一切無い。
海風も強く、岩ばっかりで寒々しい感じだが、この辺の住人にとっては商売っ気のある話とは別ベクトルで大事な場らしい。
此処はこの地域で葬儀代わりに行われる弔い――遺灰を海に撒く、もしくはソレを入れた陶器なんかを海に流す、といった行為が行われる場所なのだそうだ。
漁業に携わる人、単純に遺言が残っている人。
海を生きた、或いは海を愛する人達を葬送る、そんな場所なのだと。
高くせり出た岸壁の上。
片膝をついた姿勢で、風に乗せて壺の中身を海へと撒くレーヴェ将軍。
その傍らに立ち、略式ではあるけど葬送の祈りを捧げるガンテス。
厳かな雰囲気を纏う偉丈夫と巨漢の背を眺めつつ、俺は少し離れた位置で静かに一連の行為が終わるのを待つ。
風に吹かれて海へと舞ってゆく灰が誰のものなのか。
なんぼ休暇だバカンスだと言っても、帝国の重鎮である《赤獅子》がなんで一人っきりで他国の町をうろついていたのか。
馬鹿でもなければ、なんとなく察する事は出来る。けど、俺もガンテスもそれを態々口にする事は無く、ただ静かに一連の行いを見守った。
レーヴェ=ケントゥリオは帝国の武威の象徴。全ての騎士、全ての兵の頂点で、規範となるべき人物だ。
本人もそうであろうと、象徴足り得んと背筋を伸ばした騎士の生き方を実践してる人である。
或いは皇帝や彼の部下達が彼の望みを察し、汲んでいてくれてたとしても。
赦されざる咎人に、確かな情と想いを向けて葬送する事を彼自身が納得しない。その立場と責務故に。
だから、この旅行は丁度良い『妥協点』となる――そう、皇帝陛下が判断したのだろう。
遠い外国。帝国の軍部を纏める総大将という立場に付随する様々な重しを、幾らかでも降ろせる場所。
護るべき民、若しくは率いる者達がいない地でなら……レーヴェ将軍も果たさんとする責務への妥協点を見つけ、本当の意味で自身にとっての休暇を行なえるだろうと。
この一点でだけみると、《魔王》の思い付きも捨てたもんじゃないって事やな。いや、今回は良い面もあったってだけで、いつもは九割九分九厘捨てるトコしかねーけど。
ぶっちゃけ、俺を誘ってくれたのはオマケだろう。
本命は自身が信頼する戦友で、高位の聖職者でもあるガンテスに葬送の祈りと聖句を唱えて欲しかったって事なんやろね。
付いて来たは良いが、結局ちょっと離れて見てるだけなのは――これまたぶっちゃけるが、遺灰の主は俺に見送られるのを嫌がりそうだと思ったから。
顔を会わせたのは一回、話したのだって簡単な自己紹介と挨拶だけだったけど……まぁ、完璧過ぎる営業スマイルだったからね。
自己の好悪を切り離して会話を行う外交用の外面は、ウチの聖女様も職務上、割と被る。
シアやリアより数段分厚い完璧な猫かぶり――私心を1ミリも見せない笑顔だったからこそ、素だと多分隔意があるんやろなー、と思った訳だ。勘だけど当たってると思う。
レーヴェ将軍は立場や無数の柵もあって、これまで遺灰の主を自分の手で確り弔う事が出来なかったみたいだが……俺個人としては既に亡くなった人間のその後の扱いにまでごちゃごちゃ言うつもりは無い。
死なば皆仏、ってな。
死んだからって全ての報いを受けた、或いは犯した罪を清算したとは欠片も思わんが、亡くなった人間の関係者が気持ちにケリを付ける為の行いまで否定するのは人情に欠けるってモンよ――ただし邪神の信奉者は除く。お前ら用の席ねーから!
壺のサイズ的にも、中に入っていたのは火葬したものの一部だけなんだろう。
極短い、静かな見送りの時間は終わりを告げる。
風に攫われ、海へと散ってゆく灰を見届けて、レーヴェ将軍が独白の様に呟いた。
「……アレは、幼い頃によく海を見てみたい、平和になったのなら外洋を調査してみたいと口にしていてな」
片膝を岩肌へと着けた儘、過去を噛みしめて漏れる言葉は……やはり見送った"誰か"を明言する事は無い。
こんな場所で位は呼びかけたい、声に出したいその名前を素直に呼んでも良いんじゃないかと思うのだが、この人なりのけじめというか、引くべしと判断した線引きがあるのだろう。
それでも、灰の名を口にすること無く過去を語るその後ろ姿は、懐古、悔い、哀しみ……そして確かな情に満ちている。
「結局は本当の海を見る事も無く、帝都の中で生涯を終えたが……この様な形とはいえ、見せてやる事が出来て良かった」
灰に塗れた両の掌が組み合わさって、鍛え上げられた巨躯が厳かに祈りの形を取った。
「さらばだ――」
小さく口の中でだけ紡がれた最後の台詞は、何であったのか。
呼ぶことの無かった名か、はたまた他の別れの言葉であったのかは分からないが、どの道それを聞こうとする無粋を俺もガンテスも選ばなかった。
家族思いの男が、ごく最近亡くなった身内を弔った。
それだけの事だし、それだけの話であるべきなんだろう。
身じろぎ一つせずに祈り続けていたレーヴェ将軍だが、やがて軽く息を吐き出して立ち上がる。
そのまま振り返ると、俺達に向かって丁寧に一礼した。
「吾輩の唐突な願いを聞き入れてくれた事、感謝する」
「なんの、未熟なれど拙僧も僧籍に在る身。弔いを乞われて拒む道理は持ち合わせておりませぬ」
ですよねー。俺に至ってはマジで後ろから見てただけなんで、逆に場違いでごめんなさいって言いたい位なんですけど。
敢えてカラカラと笑って見せる俺とオッサンを見て、赤金の鬣に覆われた精悍な面貌が苦笑の形をとった。
「その様な事は無い。猟犬殿が立ち会う事にアレが眉を顰めるのであれば、馬鹿者に付ける良い薬だと叱り飛ばしてやる処よ」
小さく笑い、もう一度、一つ息を吐き出し。
目を細めて早朝の青空を仰いだいレーヴェ将軍は――唐突に拳を握り、自らの額に叩きつけた。
ゴォンという肉と骨というより岩か金属同士がぶつかった様な音が、波音を押し退けて岩礁地帯に響き渡る。
「――うむ、切り替えた。これよりは南方の常夏を楽しむとしよう!」
額から一筋の血を垂らしながらも、出てきたのは溌溂とした声での宣言。
どこか消沈した雰囲気は一気に消え去り、知性深い獅子の如き空気を纏う将軍閣下。
彼なりの区切りが着いた、という事だろうか。多少はカラ元気もあるのかもしれないが、いつもの剛健・豪快な雰囲気に戻って何よりである。
しかし意識を切り替えるときに、割と本気で自分をド突くのはケントゥリオ一族のお約束なんやろか? ノエル君も顔面打撲するレベルで自分の頬ぶったたいてたし。
「では、宿に戻るといたしましょう。閣下は朝食は既に召されておりますかな?」
「いや、まだだ。だがそれより――司祭殿、二度目の申し出となるが、少々付き合ってはくれまいか? 久しぶりに身体を思い切り動かしたい気分なのだ」
「……おぉ、これは願っても無い!」
――あ、ぼくはお腹空いてるんで一足先に帰らせて頂きますじゃそういうことで!(早口
赤毛のライオン丸な厳ついおじさんがニヤリと笑って願い出た申し出に、超合金より頑丈そうなガチムチ筋肉が満面の笑みで顔を輝かせた瞬間。
俺は即座に踵を返して身体を180度回転。口早に離脱を告げながら脱兎の如く駆けだした。
これは近くにいたらフィジカルモンスター共の鍛錬に巻き込まれるやつだ、おれはくわしいんだ、だってたいけんだんだもの(白目
「ハッハッハッハ! では久方ぶりに四つ身と参りましょう! 先の祭りでは、閣下の剛力と競う機会を逸した事、内心で無念に思うておりましたが……いやはや、"さぷらいず"はなんとも唐突にやってくるものですな!」
「付き合ってくれる事、後悔はさせん……この次は腕押しとゆこうか! 以前は負け越したが、此度はそうはいかんぞ! フハハハハハッ!」
切り替えたってのはマジみたいですねぇ! 元気戻り過ぎなんですけど!
とりあえず巻き込まれる事はなさそうなので、駆け足の速度を落として後ろを振り返る。
ちょっと移動した場所で距離をとった二人は、相撲ばりに腰を落とし、姿勢を低くして突撃の為の体勢に移った処だった。
正直に言えばこの力比べ、純粋なギャラリーとしてならかなり興味がある。なんなら見応えという点では帝国で観戦した闘技大会より上かもしれない。
しかし、だ。
パワー特化の人外級同士のぶつかり稽古とか、腕利きの魔導士が障壁張ってくれてないと見てるだけでも死人が出る(確信
あと「一緒にやろーぜ!」と言われるリスクも考えると、二重の意味で恐ろし過ぎて近くに居られない。
こっちが尻込みすれば、いつもなら察してウチの筋肉を止めてくれそうなレーヴェ将軍も、今はちょっと変なテンションになってるしな。君子どころかリスクジャンキーの類だって見えてる核地雷へわざわざ近寄って踏みにはいかねーんですよ!
首を前方に向け直し、走って距離を取り続けること更に数秒後――。
至近距離でぶっ放した砲撃同士が激突した様な轟音と共に、背後から膨れ上がった豪風に背を押され、つんのめって転びそうになる。
……こんだけ距離があって衝撃が届くのかよ。絶対に人体の激突で出して良い威力じゃねぇ(白目
でも発生した突風に煽られる程度なら、安全距離入ったって事だろう。
そう判断して、足を止めて再度振り返ろうとして。
二人の激突の衝撃で弾かれたのか、ボッ、という重い風切り音と共に俺の髪を掠める様に吹っ飛んできた小石が眼前の樹にめり込んだ。
……全ッ然大丈夫じゃねぇぇぇっ!? 走るんだよぉぉぉぉっ!
後ろを見てる余裕なんぞねぇと思い直し、全力ダッシュで駆けだす。
死者を弔う場所の近くだろうが! 自重しろやオッサン共!?
俺の悲鳴混じりの抗議も、爆撃みたいな衝撃が発生し続ける超人ぶつかり稽古の真っ最中の獅子と筋肉には届く筈も無く。
普段は人気の無い、打ち寄せる波と通り抜ける風の音だけが響いているのだろう岩場に、元気な馬鹿笑いをするオッサン二人の声が響き渡るのだった。
駄犬
旅行二日目、その一日を追う。
顔も広いし、一緒に遊びたがってるメンバーも多いし、なにより本人がトラブル誘因体質なので騒がしい事になるのは明白である。
筋肉
海での水練は滅多に出来ないので、毎日堪能する気マンマン。
数少ない自分と力勝負が出来る人物の稽古の誘いに、嬉々として乗った。
とはいえ、幾らか空元気であるのを見抜いて気分転換になれば良いと付き合った側面もある。
調子が上がり過ぎて岩礁地帯がちょっと荒れてしまったので、反省して片付けと、ついでにもうちょっと海葬に適した場になるように整地したり道を均した。素手で。
墓参りに来る現地の人達には歩きやすくなったと好評らしい。
赤獅子
不眠不休に近いレベルで働き詰めだった人。
立場から来る責任感とか身内がやらかした事への罪悪感とかで雁字搦めで、大分精神的にキテたのを察した皇帝が強制的に休暇を言い渡して《門》に放り込んだ。部下と家族まで協力してたので抵抗すら出来なかった模様。
死後、侯爵家から絶縁されて共同墓地の無銘墓にひっそりと埋葬された身内の遺灰。
その一部を、出発前に手渡して来たのは息子だった。
子の成長を噛みしめ、公人としての立場故に関わる事も出来なかった家族の葬送を自らの手で行う事が出来て。全力でぶつかれる戦友と、力いっぱい鍛錬に打ち込んで。
その夜、久しぶりに熟睡した獅子は、子供達と亡くなった家族――父母や妻、弟と共に笑い合う夢を見た。見る事が、出来た。