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夏だ、海だ、水着だ!(後編)




あらかじめ言っとくと、今回糞長いです。









 晴れた空の下に、暗褐色のボールが高く浮かび上がる。

 って言うと、何かちょっと変だな。革張りのボールだからこういう色になるのは当然なんだけど、やっぱり白とかの方が海遊びには良いなぁ。

 でも、塗装なんてしても用途的に直ぐ剥げちゃいそうだしね。使用感重視で選んだのは間違ってないと思う。


「そっち行ったぞー、アリア」

「おっけー!」


 波音をバックに、レティシアの声に応えて落ちて来る球をレシーブ。

 上手く数歩手前に落ちてきたソレに向けて、レティシアが軽く駆けて跳び上がる。


「アターック、ってな!」


 魔力による身体強化抜きでも、(あに)は普通に運動神経が優れた部類だ。

 タイミングばっちりで打たれたボールは小気味良い音と共に打ち下ろす軌道で真っ直ぐに飛ぶ。


「ふっ!」


 結構な速さだと思うんだけど、低い体勢から鋭い呼気と共に危なげなくそれをレシーブするミヤコさん。

 真上に跳ね上がったボールに対し、彼女はすかさず背後に下がり、位置をスイッチする様にシャマダハルさんが前に出る。


「よっしゃー! そぉ……れっ!」


 褐色の肢体が高く跳躍。

 そのままスパイクしてくると思ったら、彼女は身体を捻って空中で上下逆さまになり、さっき自信があるって言っていた長い脚を勢いよく振り抜いた。

 オーバーヘッドキックみたいなシュートを決められ、ボクもレティシアも反応しきれずにボールが砂浜へと突き刺さる。


「隊長チームに1ポイント」


 審判役を買って出たローガスさんが、手にした小石を自分の足元右側――ミヤコさんチーム側の方へと置く。石の数は五個目、こっちに置いてあるのはまだ一個だ。


「おいシャマ、手を使えよ手を。セパタクローじゃないんだから」

「えーっ、ボールを地に着けなきゃ良いって言ってたじゃないですかー?」

「レティシア、バレーはサーブ以外は足を使っても反則じゃないのよ?」

「えっ、マジで? それじゃヘディングとかも?」


 ミヤコさんが言うには、昔は駄目だったらしいけど現行ルールだとOKらしい。

 そうなると魔力強化抜きで普通に遊んだ場合、サーカスの軽業みたいな事が出来るシャマダハルさんが強すぎるなコレ。足でスパイクされるとボクもレティシアも球威を捌き切れない。


「ひっひっひ。良いねこのビーチバレーって遊び。あたしちゃん大活躍じゃね?」

「まぁ、素直に凄いとは思うけど……ゲームとして成り立たないぞ。ハンデくれハンデ」


 口元に手をあてて得意げに笑う褐色肌の騎士様を見て、(あに)が手を挙げてルール変更を申し出ている。

 まぁ、あくまで遊びの一環で、別に本気で試合してる訳じゃないしね。

 ボクが近接寄りではあるけど、本来タイプとしては後衛の聖女二人と純前衛の騎士二人相手じゃ確かにパワーバランスが悪いよ。ここはテコ入れするべきだと思うな。

 そんな訳で、ボクも挙手して意見を出してみた。


「それなら、メンバーシャッフルでもする?」


 ローガスさんは審判役から動く気は無いみたいだしね。「いい年した男一人で、若い娘達に混じって球遊びとか勘弁してください」だって。


「メンバー変えも良いけど……アンナちゃんがそっちに加わわればバランスとしては良いんじゃないかしら?」


 ミヤコさんの言葉に、ビーチバレーに興じる皆の視線が一斉に転じられる。

 パラソルの下に敷かれたシートとビーチチェア。

 それぞれ3セットずつ並んだその真ん中……シートの上に、相変わらずタオルを肩からがっちり被ったままのアンナが三角座りで待機していた。

 実際、彼女が加わればチームバランスとしては丁度良い気がする。多分、アンナならシャマダハルさんのシュート(ビーチバレーでシュートって時点でおかしいけど)を普通に止められるだろうし。


 でも、当人がなぁ……。

 ふるふると勢い強めに横に振られる首。サイドテールの銀髪が併せて馬の尻尾みたいに揺れる。


「無理です。こんな格好で思いっきり飛んだり跳ねたりとか本気で無理」

「意外と恥ずかしがり屋だったんだなぁ、お前……」


 ちょっと呆れた様に言うレティシアだけど、こればっかりは個人の感覚もあるしね。

 流石にここまで恥ずかしがるとは思ってなかったんだろう。半ば強引にアンナに水着を着せた立場のミヤコさんとシャマダハルさんは、ちょっとバツが悪そうに苦笑している。


 心なしかグッタリしているアンナだけど……水着に着替えたばかりが理由じゃない。

 その()()であろう彼女の左右へと視線を巡らせ、再度レティシアが呆れた様に――けど、幾らか同情交じりの声をかけた。


「いや、でもさぁ……お前ずっと()()にいるつもりか? 確かに動かない方がタオルもズレたり取れたりはしないだろうけど……なんというか、そのままで大丈夫か?」

「大丈夫じゃない……タスケテ……」


 ハッキリと指摘され、アンナの顔色が暗澹たるものに染まる。

 眼が死んでるってこういうのを言うんだろうなぁ、なんて思う位に彼女がどんよりとした雰囲気になると、その()()である左右のビーチチェアから同時に声が上がった。


「おい、客の一人が具合悪そうにしてんじゃねぇか。空気悪くしてる原因はさっさと帰れよ」

「ほざけ、普段阿呆丸出しの緩んだ顔を殊更に顰めているのはそちらであろう。貴様が消えよ、なんなら現世から消滅しろ」


 どっちも尖りに尖った不機嫌丸出しの声色で、発言と同時に物理的に火花が上がりそうな強烈な睨み合いが発生した――アンナを挟んで。


 ボク達から向かって右側のビーチチェアに身を横たえているのは、つい先程出会った吸血鬼(ヴァンパイア)の長である女公爵様。

 季節的には冬に近いし、一年の中では穏やかではあるんだろうけど……なんで日差しの強い南部(ココ)にいるんだろう……?

 その傍にあるサイドテーブルには、付き従っている《陽影》さんが影から取り出した透明なグラス――中はトロピカルジュースみたいなカラフルな液体で満たされている。

 公爵様はサマードレスの裾が捲れ上がるのも構わず、その白く長い脚を組み替えて、グラスに刺されたストローを軽く吸い込む。


 うーん……相変わらず怖い位に美人で、それ以上に妖艶だなぁ。


 同性であっても視線が吸い寄せられそうになる美貌と仕草は、まさしく魔性の美というやつだ。今は不機嫌そうに眉根が寄ってるけど。

 スタイルもやばい。なんだよアレ、《陽影》さんより大きいのに腰とか細すぎる……にぃちゃんが3DCGでしか存在しないレベルのモデル体型って言ってたけど、本当に比喩抜きでその通りだ。


 そんな彼女を横目で見て「ケッ」なんて嫌そうに舌打ちしたのは、左側のビーチチェアの上で胡坐をかいた《魔王》様だ。

 アロハの胸ポケットに刺していたサングラスを取り上げ、不機嫌な表情を隠す様に装着する。

 ついでにサイドテーブルに置いた干し肉らしきものに手を伸ばし、ガジガジと齧り始めた。

 ボクはそんなにこの人と交流がある訳じゃないんだけど、記憶にある限りでは会う度にいつも楽しそうにしてたイメージがある。戦場で遠目に見た時は流石に別だけどね。

 人生エンジョイしてる! って感じの人だと思ってたので、こうも露骨に不機嫌なのは初めて見るよ。

 ……レティシアから「あの二人が揃ったら気を付けろ」なんて何度も言われてたけど、本当に仲が悪いんだな……。


 で……繰り返すけど、そんな二人に挟まれる形となっているのがアンナだ。

 その碧の瞳からは既に光が消えかけてる。唇だけが動いて「タスケテ……」って言った気がした。






 どうしてこうなったのか。

 その疑問は、今も二人に挟まれてるアンナが一番に感じてる事だと思う。

 公爵様が登場して直ぐ、当然気付いた《魔王》様が文句をつけて、それに公爵様も反撃の皮肉を飛ばして。

 最初は向かい合って口論してた二人なんだけど、お互いに舌打ち一つしてビーチチェアに移動したんだよね。

 二人とも互いに隣り合って腰を落ち着けるのは嫌だったのか、一個間を空けたチェアに身を預けたんだけど……運が悪い事に、真ん中のシートには既にアンナが座ってた訳で。


 あとは見ての通りだ。こうなったのは本当に場の流れと運が悪かっただけなので、アンナには心底同情する。

 本当は今すぐにでも移動したいんだろうけど、迂闊に動けないんだろうな……。

 それが切欠でまたギスギスした口論が始まるのが目に見えてるし、万が一どっちが原因だ、なんて聞かれる流れになったら嫌過ぎる。ボクだったらもうなりふり構わず飛行魔法使って離れた場所に全速離脱するしか思い浮かばないよ。

 レティシアが声をかけたのも、半分救助を兼ねてたんじゃないかな? ボクらがビーチバレーしてるのは楽しむ為もあるけど、二人が本格的に着火したときに備えて距離を取っておく為もあるし。

 アンナからすると誘いに乗れば水着姿を御披露目する羽目になるので、悩んだ末に断ったみたいだけど……ローガスさんが真っ先に「あの空間から離れたいんで審判やらせて下さい」って言って審判役に収まっちゃったからね。今、自然に参加できるのはプレイヤー側だけなんだ。

 現在勤務中――公爵様の側仕えという役目に徹している《陽影》さんなんて、離脱出来る機会が訪れたのに結局は固辞してシートに座ったままのアンナを横目で心配そうに見ている。


 あの二人が睨み合いを始めて直ぐ、にぃちゃんは先生に耳打ちして二人で急いで買い物にいっちゃったし……何か頼まれたらしい《万器》さんと《赤剣》さんも同じく不在だ。

 特に《赤剣》さんの方は、最初は「畜生ゴタゴタも修羅場も後にしろってんだいい加減酒を買いに行かせろオラァ!?」なんて叫んでたけど、にぃちゃんに何か頼まれて嬉々として出掛けて行った。

 にぃちゃんと先生は店長さんのお店に、《災禍の席》の二人はちょっと離れた市場に行ったらしい。どうやら、この浜辺から少し内陸方向に進んだ先にちょっとした町があるみたい。ボクらの宿も其処にあるとか。

 ちなみにリリィは《虎嵐》さんと一緒に砂でずんぐりむっくりした何かの動物を作っている。


「むぅ、兎さんのお耳は難しいです……」

「……後で樹木から葉を何枚か貰うとしよう……それを耳にしてあげなさい」

「……! 流石は義父(とと)様です。では、この子に兄弟とお父さんとお母さんを作ってあげましょう。これで兎さんは家族がいっぱいですね」


 どうやらアレは兎らしい。うん、まぁ……縦長の葉っぱで耳をつければ、うん。見える見える。

 夢中なその姿を見て、その度に《魔王》様が幾らかでも機嫌を回復させてるのがせめてもの救いかな――主にアンナにとって。

 まぁでも、ボクらが現場に居るのに、にぃちゃんがこの状況を放っておく筈もない。

 なので、何か空気が穏やかな方向に行くような物を買いに行ったのかもしれない。取り敢えずはそれを待つ感じだ。


「そもそもお前に招待状は出してねぇ。なんで来てるの? お呼びじゃないんですけど」

「ハッ、阿呆め。元よりこの季節になれば、この近辺に遊興に出向いている。貴様の下らん思い付きなど知った事では無い」

「はーっ、自分が太陽に耐性あるからって常夏の陽の下に部下を連れてくんなよ。女王様気質(めんどくせぇ)女に振り回されるとか気の毒だわー」

「今の側仕えになるまでは身一つで来ていたわ、戯けが。あと後半の戯言は鏡でも用意して己の面に向けて吐け鳥頭」


 ……それまでアンナのメンタルが保てばいいんだけど。

 何度目かの皮肉と敵意に塗れた応酬が始まって、間に居るアンナがそろそろ白目を剥き始めた。うん、にぃちゃん。割と真剣に急いで。

 その間にも、仲の悪すぎる二人の舌戦は続く。


「なら混ざってくんなよ。このチェアとかデカい日傘だって借りたのはこっちだぞ。なんで普通に使ってんだお前」

「ふん、ならば貴様こそ感謝して頭を垂れよ――二年前、あの針子と出会い、この地における出店や品作りに出資したのは我が身よ」


 え、なんだか今、唐突に驚きの情報が出なかった?

 思わず彼女を見てしまったのはボクだけじゃない、皆の視線が一斉に公爵様へと注がれる。

 そんな周囲の反応には一切頓着せず、彼女は手にしたグラスを傾けて中身を乾すと《魔王》様だけを見据え、心底楽しそうな――有り体に言って猫が鼠か小鳥を嬲って遊ぶ様な笑みを浮かべた。


「貴様が今使っている椅子も卓も、日除けの傘も、我が財を元に揃えた物なのだがぁ? こうして潤沢な器具を揃えて遊興を楽しめているのは、はて誰の御蔭になるのであろうなぁ?」

「オイィィィィッ、店長(同志)ィィッ!? 頼る相手は選ぼうぜ! なんでよりにもよってこの女をパトロンにしちゃったの!?」


 殆ど悲鳴みたいなトーンで、海の家の方へと首を向けて絶叫する《魔王》様。

 釣られる様にそっちを見てみれば、オペラグラスを使ってこっちをしっかり見ている店長さんが親指をグッと立てて腕を突き出しているのが見えた。


「怖い程の超絶美人でボン、キュッ、ボンの優良出資者とか契約一択! 舐めろと言われれば脚だって舐めますよ! 寧ろ な" め" だ い" !!」


 ついでに、こっちにまでバッチリ届く大音声の雄叫びも返って来る。

 聖都の店と違って従業員なんかも居ない完全に趣味の店なせいか、今の店長さんにはブレーキが全く無い。叫びの内容が欲望に忠実過ぎるよ……。

 にしても、本業もあるのに、店長さん個人でよくここまで出来たなーなんて思ってはいたけど……公爵様が出資してるなんてね。魔族領の中では間違いなく最上位のコネって言っても良い。

 でも考えてみれば、店長さんは日本の衣服とかを再現できる上、布製魔装の発案・開発者だ。実績と能力で見れば寧ろ公爵様の方が取り込もうとして接触を持ってもおかしくないのかも。


「おっ? アイツ、買い物終わったのか」


 ボクが思考を巡らせていると、隣のレティシアが手で庇を作って店長さん――の、背後に眼を向けた。

 あ、ホントだ。にぃちゃんと先生が店の奥から出てきた。去り際に店長さんに代金を渡してこっちに急ぎ足で戻って来る。


 ――すまん、待たせた。


「唐突の中座、ご勘弁を。公爵閣下が同席なさるという事で追加の座を用意した次第です」


 二人は簡潔に謝ると、てきぱきと言葉通りにパラソルとシート、ビーチチェアをもうワンセット設置し始めた。

 公爵様の隣、つまりは右端に新たに各種レジャーアイテムをセットし終えると、にぃちゃんはアンナの座るシートの傍まで向かう。

 何か調子悪そうやな? 生きとるかー、副官ちゃん。という問いに、アンナはのろのろと顔を上げた。


「……あー……かろうじて」


 ぐったりしながら返された答えに、にぃちゃんは一つ頷いて設置したばかりの右端のチェアを指さす。


 ――ちょーっとここで作業したいねん。しんどそうな処を悪いけど、あっちの端に移動してくれるか?


 その言葉に、頼まれた側のアンナはババッと顔を上げる。

 半分死んだ様な目付きになっていた碧の双眸には、安堵と感謝の光が灯っていた。


「……正直ありがたいわ。私的に100ポ……90ポイントで」


 錯乱、とまでは行かなくても、やっぱり相当ギリギリだったみたいだ。アンナが変な事を言い出した。

 なんのポイントか知らんがやったぜ、なんて喜ぶにぃちゃんに向けて深く頷き、誰憚ることの無い口実を得て彼女は意気揚々と立ち上がる。

 地獄に仏、と言わんばかりの反応だけど、さっきまで物騒な空気にサンドイッチされてた人間からすればそれも当然なのかもしれない。

 そそくさと移動を開始するアンナを横目に、再び脚を組み替えて伸びをした公爵様がにぃちゃんを見て愉快そうに唇の端を吊り上げた。


「今の状況を見越していたか。随分とまぁ気の廻る男よ」


 いや、アンタら絶対に仲良く隣にケツ下ろすとかしないでしょう。誰かしら挟まれる奴がいたら罰ゲームやんけ、なんて言って苦笑いするにぃちゃん。応じる間にもお店から買ってきたものをサイドテーブルに広げる。

 何か始める気みたいだ。皆が興味を持って眺めていると、その当人がちょいちょいとこっちをみて手招きした。


 ――ヘイ、ローガス氏。これ凍らせておくれYO!


「俺を御指名か。まぁ、構わんが……」


 掲げられたのは縦長の寸胴鍋みたいなフォルムの容器。

 中になみなみと満たされているのは……うん、水だね。普通の。

 水魔法の使い手は多いけれど、その発展系である氷結系魔法の使い手は実はそんなにいない。単純に魔力の消費量や魔法自体の難易度が上がるからだ。

 でも、武器に魔法を付与(エンチャント)するタイプの魔法剣士のローガスさんは、殆どの属性魔法を網羅してるらしい。

 どんなタイプの敵でも安定して特効持ちになれる前衛って凄い貴重なんだよね。今回にぃちゃんが頼んだ仕事は冷凍庫代わりだけど。


 ローガスさんがにぃちゃんの傍に行くのに着いて行く形で、ボクらも近くに寄る。


「……何となく予想がついてきたな」


 テーブルの上に幾つも並んだお椀くらいのサイズの容器を見て、レティシアが呟いて。

 ボクとミヤコさんも同意見だったので、二人揃って頷いた。


「ひょっとして氷菓ってやつ? 確かにこういう場所で食べたらおいしそーだし」


 シャマダハルさんも察したのか、ボールを人差し指の上で回転させながら興味深そうににぃちゃんの手元を覗き込んでる。

 正確には日本の『かき氷』だと思うけどね。以前にこの世界(こっち)で氷菓を食べたとき、にぃちゃんは氷がザクザク過ぎやろ……これじゃカチ割氷やん……とか言って微妙な顔してたし。

 その手の不満を残した品を皆に出す人じゃないので、記憶にある自分が満足する品に寄せて来ると思うよ。


 そこでタイミング良く、《災禍》の二人も戻って来る。

《万器》さんは大きめの壺を抱えてる……中には果物を中心に色々と入ってるみたいだ。

 一方の《赤剣》さんは、色んな種類の瓶や小さな樽を両手に抱えていた。多分、全部お酒だねあれ。出掛ける前の不本意そうな顔から一転して満面の笑みだよ。

 買い物の内容からして、二人は氷の上にかけるシロップを買いに行ってたみたい。南部特有の、あんまり馴染みのないデッカい果物とかも見えるけど。


「おうおう、御所望の品を買ってきたぞ猟犬の」


 壺をそのままにぃちゃんの陣取るテーブルの脇に置くと、《万器》さんがアロハの胸元を引っ張って中に風を送りながら、逆の手で額の汗を手の甲で拭う。


「やれやれ、急ぎだっつーからこの暑い中、割と本気で走るハメになったわい――ワシらがこうして骨を折っとるのは、お前さんらが会う度喧嘩しとるからだぞ?」


 台詞の後半は、今も険悪な雰囲気の二人に向かってだ。怒られた《魔王》様と公爵様は互いにそっぽを向いて頭ごと視線を逸らす。

 やっぱりそうなるよね。にぃちゃんの発案で二人の気を逸らす様な物を急遽買ってきた、って事だろう。

《魔王》様はなんというか、子供っぽい部分がある人なのでその反応も分かるんだけど……公爵様の方まで叱られた子供みたいなリアクションを取るのはちょっと意外だなぁ。かなり珍しい物を見た気がする。


「仲良くしろと迄は言わんが、この場くらいはバチバチした空気は引っ込めんかい。大将は旅行に誘った面子に通すスジっちゅーもんがあるし、お嬢の方はどういう形にせよ飛び入りじゃろ。先にいる(モン)にちぃと配慮くらいはせんとな?」

「……わーったよ、ちっとだけ我慢してやるさ」

「……貴兄が言うのなら、幾らかは聞き入れよう。幾らかは、な」


 不承不承、といった感じではあるけど《魔王》様と公爵様が御説教されて同時に首を縦に振るって凄い光景だな。

 ボクの中では《万器》さんって《魔王》様の次くらいにフリーダムな人のイメージがあったんだけど……こういう年長者然とした役回りも出来るんだなぁ……ある意味ではさっきの公爵様より更に珍しい物を見た気分だ。

 サイドテーブルの脇に買い込んで来た酒を並べていた《赤剣》さんが、自分用らしき小振りな樽を手に取って呟く。


「いつもそうして欲しいんだけど。頭領(ボス)と《宵闇》の姐さんの喧嘩止められるの《万器(アンタ)》だけなんだから」


 ――おい、それ初情報やぞ。それならおっさんがそこの二人を諫めれば済む話だったやん。


 呆れた声色の、ボヤきにも近い声ににぃちゃんが反応した。

 かき氷を作る手を止めて抗議の視線を《万器》さんに送るけど、それを向けられた当人は肩を竦めてどこ吹く風、って感じだ。


「バッカ、大将にしろお嬢にしろ、そうそう人の言う事を聞くタマかい。毎回ワシだけで仲裁しとったら身がもたんわ。今回だって《亡霊》の奴に、何度も何度も"頭領の面倒を見てくれ"と念押しされたからやっとるだけだっちゅーの」


 つーか、やらんと給料差っ引かれる。と付け足された言葉に、さっき感じた年長者としての威厳みたいなものは気のせいだったのかも、なんて思うボクである。







 何はともあれ、にぃちゃんは取り敢えず作業を続けることにしたらしい。

 材料も既に買っちゃってるからね。《魔王》様達のケンカを抜きにしても、常夏の浜辺で食べるかき氷とか皆喜ぶには違いないし。

 シロップの方は先生が担当だった。現在進行形で色んな種類を作ってる最中。

 作り方は単純。頑丈な容器に果物と蜂蜜と一緒に入れて、「奮ッ」って掛け声一発。

 高速で容器を振ったと思ったら、数秒後には中身は果肉たっぷりの濃厚な果実のソースになってる、という寸法だ。


「徒手の方が手早く作れるのですが、皆様の口に入る品ですからな! 少々手間を頂きますがご容赦をば!」


 先生的には、素手で握り潰して圧縮した方が楽に作れるらしいけど、衛生的な視点からみて道具を使ってるらしい。

 相変わらず下手な魔法より魔法してる筋肉だよね。自分で言っててちょっと意味分からなくなるけどさ。


 でも、にぃちゃんの方はもっと自重してない。

 だって籠手部分だけとはいえ、魔鎧を起動させてかき氷作ってるし。

 今もそうだ。掌底で氷の塊を叩いて振動と衝撃を徹して、限界まで細かく粉砕されたソレは柔らかな粉雪みたいになって吹き上がる。

 飛び散るそれらを《三曜の拳》を使って大気ごと流れを操作、キラキラと輝く雪の粒がそおっと優しく纏まって器に盛りつけられた。

 演出という面だけで見ても相当派手なパフォーマンスだよ。芸事にうるさいらしい公爵様が「見世物としても上出来な部類」って評価する位には。実際、ボクも皆も思わず拍手しちゃったし。

 本人は"前々からやれそうだと思ってたから、丁度良いのでやってみた"なんて言ってるけど……大丈夫かなコレ……シスター・ヒッチンや《半龍姫》様に知られたらにぃちゃん怒られない?


 ボクの心配も他所に、にぃちゃんはリリィのかき氷にウサギさんカットの林檎を乗せてあげている。

 楽しそうだなぁ……《大豊穣祭》で色んな屋台や店を巡ってるときも十分に楽しんでた様に見えたけど、なんというか今は生き生きしてる感じだ。

 イベントでは提供側として参加する方が、にぃちゃんの性に合ってるのかもね。見ていてボクも嬉しいし、お手伝いして最後に一緒にかき氷食べれば良かった。


「……で、今更だけど、なんでアンタはココに居るんだよ公爵」


 そのときだ。ふわふわの粉氷にブルーベリーのソースを掛けたかき氷を口に運びながら、レティシアが本当に今更ながら疑問の声を上げる。

 ちなみにボクはオレンジソース。口当たりがとっても軽い雪みたいな氷と、濃厚な柑橘のソースとの相性が凄い。コレを食べようと思ったら日本でもちょっと良いお値段すると思う。


「ふむ……あの阿呆鳥相手にも少々溢したが、元より我が身はこの季節、南部を視察と遊興を兼ねて訪れてる事があってな」


 公爵様が少し気の無い素振りなのは、手にした器――かき氷に集中してるせいなのかな。

 葡萄酒(ワイン)を凍らせた氷の上に葡萄のソースを垂らした品を匙で一掬いした彼女は、紅い舌先を使ってそれを舐め取っている。


「うむ、悪くない。香りは流石に飛ぶが、この陽気の下で口にする氷菓は中々に風情がある」


 上機嫌に一つ頷いて――けど視界に《魔王》様の姿を捉えてしかめっ面になった。

 嫌そうに眼を逸らした公爵様は、再び手にした器に盛られたかき氷に視線を落とす。


「あの汚泥共が跋扈していた間は滅多に行えぬ道楽の類ではあったが……戦が収束してからは毎年の行いよ――要は、この場でお前達と顔を合わせたのは偶然だ」

「本当かよ……」


 レティシアはなんだか疑わしいものを見る目付きだ。

 確かに図った様なタイミングでの登場だったから、公爵様を『苦手な女』扱いしてる(あに)からすると、色々と勘繰りたくなるのかもしれない。

 ジトーっとした疑いの視線を受けて喉の奥で笑った公爵様は、再度匙を使って凍った葡萄酒(ワイン)を掬う。


「信じられぬか? だが、この場で虚言を弄した処で意味など無い。何より――ククッ、貴様と猟犬が行楽に来ていると知っておれば、我が従僕にも海辺に相応しき装いをさせていたとも」


 ニヤリと笑うその表情には、口元を歪めて舌打ちするレティシアの反応……それに対する愉悦が滲んでいる。

 うわー……悪い笑顔だぁ……でも、それも様になってるから凄いな。美人は何やっても美人を地で行くような人だ。


(嗜虐的な笑みが似合う美人ってのは怖いもんだな……)

(実際、苛烈な人でもあるみたいだね。一緒に戦った吸血鬼(れんちゅう)も、この人の手で怠惰な同胞が何人も粛清されたり放逐されまくった、って言ってたし)

(こっわ……あたしが見て来た中で一番の御霊峰だから、一回で良いから揉ませてくれないかなー、とか思ってたのに……流石に無理かぁ)


 シャクシャクとかき氷を頬張りながら小声で会話する《刃衆(エッジス)》の皆。

 その声がちょっと怖がってる様に聞こえるのは、多分気のせいじゃないと思う。

 あとシャマダハルさんは勇者過ぎるでしょ。公爵様を間近で見て出て来る感想がソレって肝が太すぎるよ。

 そんな会話の間にも、話題のネタにされた《陽影》さんが流石に困った顔で口を開いた。


「主……この場において私は御身の傍に侍る為にいますので……」

「我が身が良いと言うている。いっそ今からでも、お前にあの針子のもとで水着を選んで来いと命じるか迷っている処よ」


 そこで一旦言葉を切ると、公爵様はちょっと考える様な仕草をとって……直ぐに形の良い真紅の唇が再びの深い弧を描いた。


「ふむ……そうだな、其れが良い。主として命ずる、今すぐに針子の店へと向かい、場に相応しい衣裳となるがいい」

「あるじ!?」

「良い機会だ、執心の(おとこ)に"欲"を向けさせる程度の策は打て」


 悲鳴染みた声を上げる《陽影》さんに、当の彼女の主はかき氷を口に運ぶ動作を再開させつつ、呆れた声で告げる。


「あれほど再会に向けて気を滾らせていたと言うに、褥に引きずり込む処か口付けすらしておらぬ様ではな。事が進むのは何時になるやら、分かったものでは無いわ」


 うぐっ……何となく身に刺さる台詞……!

 っていうか、今のってボクらに対してもだよね。明らかにこっち見ながら言ってたし……!


 一瞬、『治療』のときに色々凄い事してるし、なんて言い訳みたいな考えも頭を過った。

 でも、にぃちゃんがちゃんと起きてる間に何か出来たか、と言われちゃうと……ハイすいません、ボクなりに頑張ったり勇気を出したりしてるつもりなんですが、大したことは出来てないです……。

 レティシアとミヤコさんも似た様な結論に至ったみたいだ。

 その証拠に、褥云々に反応して口を挟もうとした二人は怯んだ様に沈黙してしまう。

 それでもレティシアだけは直ぐに復帰して抗議の声を上げた。


「《陽影》の意見くらいは聞けよ。無理に着替えさせても意味ないだろ。実際、そこのアンナは今でもてるてる坊主のまんまだし」

「おいコラ、私を引き合いに出すなっての」


 うん。抗議の声に対してあがる抗議のツッコミっていうも何か変だね。

 でも、そんな声に対しての公爵様の反応は、言葉の内容というよりレティシアの切り返しの早さに注目したものだった。


「ほう? その返しの早さからするに、貴様だけは多少は進展があるか。察するに唇てい――」

「うぉぁぁぁぁぁぁっ!? やめろぉ!? 大勢いる場所で何してくれてんだアンタ!」


 愉し気な言葉を手足をみっともなくバタつかせて大声を上げて遮る(あに)を見て、自分の表情がスッと抜け落ちるのが分かる。

 多分レティシアは、大森林――界樹の浄化での件をカウントしてるんだろうけど……アレはノーカンだよ。

 だってアレ、有事の際の『枷』の性能チェックみたいなものも兼ねてたし。

 なんならボクがシても良かった筈の事を、レティシアが勝手にやっただけだし。

 事前の相談抜きのフライング――つまり反則・ルール違反みたいなものだ。

 うん、結論は出たね。ハイ証明終了。


「アレはノーカン。異論は認めない」

「アリアちゃんの言う通りね。アレはカウント外よ」


 我ながら隙の無い理論だ。ニッコリ笑って断言する。

 何故かアンナやシャマダハルさんが「ヒェッ」なんて声を上げた気がしたけど、気のせいだ。

 だって当たり前の事を言っただけだし、ミヤコさんだって笑顔で同意してくれてる。


「成程な。神子共を筆頭に、一騎当千の強者同士で牽制し合えば、遅々として事が進まぬのも道理か。あの男も難儀な鞘当ての当事者にされたものよ」


 公爵様は納得と呆れが半々の表情となり、《赤剣》さんに混成酒(リキュール)を使ったかき氷について教えてあげてるにぃちゃんを横目で見て……続いて後ろに控えたままの《陽影》さんへと振り返った。


「とはいえ、だからこそ。と言うべきであろうな。後発のお前が座る程度の"場"はあるだろう――我が側仕えならば、渇望するモノをその手に握る為の努めを怠るな」


 従者が戸惑いながらも頷くのを見届けるより先に、彼女はサイドテーブルに手を伸ばし、置いてある小さなハンドベルを手に取る。

 摘まみ上げられたソレが一度だけ振られ、リィンと涼やかな音が浜辺に響き渡った。


「お呼びでしょうか公爵(パトロン)様ァ!」

「うおっ!?」


 次の瞬間、ボク達の背後にニュッと生えた――唐突過ぎてなんかもう、そう表現するしかない――店長がビシッと敬礼を決めて叫び、位置的に殆ど隣だったローガスさんが心底驚いてビクリと仰け反る。


「あ、相変わらず気配も何も感じない……」

「つか、《刃衆(アタシ達)》からするとホイホイ後ろ取られるの割と沽券に関わるんですけど。マジでどうやってるし」

「聞いても『お針子の嗜みです』で片付けられてしまうものね……」


 アンナとシャマダハルさんも戦慄を覚えた、みたいな表情で顔を引き攣らせてる。

 どうやら帝都の工房時代から店長の神出鬼没ぶりは色んな人を驚かせているみたい。ミヤコさんですら近距離に詰められても気付かないって、ホントにどうやってるんだ……。


「従者が海の装いに着替える。そやつの身に最も適するものを選べ」

「ウッヒョーッ! いえすまむ! 粉骨砕身の心持で選ばせて頂きます!」


 命じる側、命を受け取った側、どっちもノリノリだ。戸惑っているのは着替える当人ばかり、って感じだよ……あ、それでも最後の抵抗とばかりに、《陽影》さんがおずおずと手を挙げた。


「あ、あの、出来ればリリィ嬢の着てる様なワンピース型が……」

「それ以上抗弁する様であれば、我が身と同じ水着(モノ)を着せるぞ」

「申し訳ありません黙ります」


 脅しなのかよく分からない公爵様の切り返しによって、一瞬で抵抗は握り潰される。

 そのまま大人しく店長と連れ立って海の家(おみせ)に向かう《陽影》さんを見送りつつ、レティシアが溶けたかき氷の残りを口に流し込んで、ボソッと呟いた。


「てか、アンタも水着とか着るんだな」

「場に適した装いという物はあろう。その衣裳が、纏うに相応しい良き仕事をしているともなれば猶更よ」


 ニヤリと頬を吊り上げて、公爵様は着ているサマードレスの肩紐部分を軽く引っ張る。台詞から察するに、どうやら下に水着を着てるみたいだね。


「貴様らに披露してやるのも吝かでは無いが、その前に片付けるべき些事があるでな」

「水着姿をお披露目するのに条件あるってなんだよ」


 そっちの方が気になるわ、なんて言う(あに)の言葉も御尤もだ。

 疑問に対して答えが返される前に、一通りかき氷を作り終えたにぃちゃんが声をあげた。


 ――お代わり欲しい人は言って、どうぞ。ただしお腹冷やすから量は最初の半分なー。次はスイカ割りしようず!


 そう言って持ち上げられたのは、《万器》さんが買ってきた品の中でも一際大きい楕円形の果物だ。ウリ科っぽいから野菜かもしれないけど。


「お、ならお代わりはやめとくか」

「スイカは当然食べた事あるけど……スイカ割りは初めてだよ、やろうやろう!」

「懐かしいわね、子供の頃にやった記憶があるわ」


 初日からかき氷にスイカ割り……《魔王》様と公爵様の気を逸らす為もあるんだろうけど、イベント目白押しだ。正直テンションあがるね!


 真っ先に反応したのは、転移・転生組のレティシア、ボク、ミヤコさん。

 そもそも類似品はあれど、"西瓜(スイカ)"という品自体を知らない人達は首を傾げてた。

 そんな皆に、にぃちゃんと、にぃちゃんから事前に説明を受けていたらしい先生がざっくりと概要を語る。

 スイカ割り自体は単純なレクリエーションみたいなものだしね。直ぐに全員が内容を把握した。

 使うのはさっき言った通り類似品――地元の人達には単に甘瓜とかデカ瓜なんて呼ばれてる品だ。


 魔族領……とりわけ南部は、気候的にも魔法的な視点からみても肥沃が過ぎる土地だ。

 なので、作物全般、ちゃんと吟味した場所なら大きさも品質も極端に良い物が出来る、らしい。流石にほぼ全ての植生が魔力を帯びる霊峰ほどじゃないみたいだけど。

 このスイカ擬きもその一つだ。こんなにデッカくて瑞々しいのに、凄く甘いんだって。

 これだけ聞くとあらゆる国が羨む土地条件だけど……その分、中型の魔獣なんかが人里にまで頻繁に現れる。それこそ、小さな国なら騎士隊を派遣しなきゃいけない様な危険度の、だ。

 それを普通に倒せる人達が農家だったり市場の物売りだったりする魔族領だからこそ、土地の有効活用も可能なんだろうね。


 ……邪神の軍勢が魔族を孤立させたのは、《魔王》様を自国に縛り付ける為だった、っていうのが一番の理由だと言われてる。

 けど、別の理由として、街や村なんかでテロを行っても、道行く通行人が普通に強かったりしてその実行犯を倒しちゃう魔族領の人達を心底煙たがった、っていうのもあるんだと思う――そんな風ににぃちゃんが言ってたっけ。


 ……ちょっと思考が逸れた。旅行中に変に難しい事を考えちゃ駄目だよね、もっと楽しまないと!


 軽く頭を振って、ワイワイと甘瓜を囲んで話し合う皆の輪に加わる。

 といっても、皆実戦経験豊富な一流の戦士や魔導士ばかりだ。普通のスイカ割りをやったら目隠ししたくらいじゃ障害にもならない。

 なので、ビーチバレーと同じく本来のルールにプラスして魔力強化全般禁止。特に人外級に相当するメンバーはボクかレティシアが幻惑魔法による方向感覚の阻害を行う事になった。


「では、先陣は誰が切りますかな?」


 新たなシートを拡げて甘瓜を設置する先生の言に、二つの手が勢いよく上がる。

 シュバッと音が聞こえてきそうな挙手は、リリィと《魔王》様のものだった。


「最初はリリィか。頑張れよ」

「上手く割ったら皆でいただくし、最初に成功させちゃっても全然問題無いの。頑張ってねリリィちゃん」


 にこやかに応援するレティシアとミヤコさん。皆も口々に軽い激励を送る。

 自然に一番手と見做されたリリィだけど、本人は首を横に振った。


「いえ、リリィより《魔王》様の挙手が早かったのです。ですから「どうぞ姫! こちらをお使い下さい!」ま……そうですか」


 固辞の発言が終わる前に《魔王》様が跪いてリリィに向けて木剣を差しだす。

 まぁ、そうなるよね。この人がちいさな女の子と順番被りをしたら、譲らない訳がない。というか子供相手なんだから《魔王》様じゃなくても譲るんだけどさ。


「……では、不肖の身ですが一番手を頂きます。美味しい瓜を皆で頂きましょう」


 木剣を受け取り、むん! とばかりに細い腕で力瘤のポーズをとって、気合のハチマキ代わりに目隠しをして頭の後ろで結ぶリリィ。

 スタート位置に移動すると、《虎嵐》さんに支えてもらいながらぐるぐると回り出す。

 決めたルールだと二十回転だけど、十回でイイんじゃね? と言うにぃちゃんの言葉は今度こそしっかり固辞された。なるべく皆と同じ条件で挑みたいらしい。


「19……20っ……おぉぉ、ぐらぐらします……これは、思ったより難しそうですね」

「……うむ、足元に気を付ける様に。応援の声をよく聞いて、甘瓜の位置を探りあててみなさい」

「らじゃー、です義父(とと)様」


 お父さんの声を聴いて、彼女は敬礼してみせた。二十回転が効いてるみたいで、明後日の方向にだけど。

 にしても、リリィは語彙というか語録というか……段々とにぃちゃんの影響を受けてる感じがするなぁ。

 大丈夫だとは思うけど、あんまり変な言葉を教えないようにね、にぃちゃん。シグジリアさん達に怒られるよ?


「転ぶなよー」とか「そこもうちょい右回転」とか「左に一歩ずれて真っ直ぐー」とか、皆で応援兼アドバイスを送っていると、ひっそりと、息を殺す様にして《陽影》さんが戻って来た。


「おかえり、《陽影》さん」

「何かの遊戯の最中かい? 正直、ちょっと助かったよ……」


 注目を集めたくないらしい彼女は、殆どの視線がリリィに向けて注がれている状況にホッとしている。

 それでも真っ先に気付いたらしい彼女の主人――公爵様は、チェアの肘掛けの上で頬杖を突きながら楽しそうに笑った。


「来たか。此の身の側仕えたる者が何を縮こまっている? 見せるを躊躇う程に貧相な身ではあるまい」

「本当に勘弁して下さい主。僕の基準だと、この水着とやらは肌着の類と大差無いんです」


 困った顔で身を隠す様に自分の肩を抱いている《陽影》さんの台詞に、アンナが物凄い勢いで何度も頷いてる。水着に対して近い反応の人が現れたのが嬉しいみたいだ。


 そんな《陽影》さんの水着は、シンプルな黒のビキニ。ただし、精一杯の抵抗なのか下はボクらと似た様なパレオを着けている。

 それでも、彼女を上回るスタイルの持ち主である公爵様が未だサマードレス姿なので、現時点で一番目に毒な映え姿だ。

 トップスはもう言う迄も無い。圧倒的なボリュームを誇るバスト。水着によって自己主張度を増している。

 隣でゴッ、って鈍い音がしたので見てみれば、レティシアが無表情になって自分の額に拳を押し付けていた。また故障する前に自分で叩いて直したらしい。

 大袈裟だとは思うけど……正直、(あに)の気持ちも分からなくはない。こうまで差を見せつけられると、世の中って不平等だと感じてしまう。

 パレオも一見脚が隠れてるけど、ちゃんと見ればトップスとは逆ベクトルで攻めてる。

 裾部分がめくれ上がらない様に、スリットがある方の太腿に付けたバンドと繋がってるみたいだけど……これ、逆に妖しい感じになってない?

 パレオ自体も黒のレースっぽいデザインだし、スリットから見えるバンドもなんかガーターベルトっぽく見えなくもないし……うん、間違いなく店長さんのチョイスだコレ。

 と言うか公爵様が命じてたしね。《陽影》さんにメチャクチャ似合ってるのは確かだ。確か、なんだけどさぁ……!


 うぐぐ……! 正直、にぃちゃんには見せたくない。色々ダメでしょコレ。


 水着――というか衣類のコンセプトとして、可愛い系とか美人系とか、種類はあると思うけど……公爵様のテコ入れもあって《陽影》さんの水着姿は……ぶっちゃけて言うとエッチ系なのだ。そういう露骨なのは良くないと思います……!

 本人は相当に恥ずかしいのか、可能ならアンナに倣ってタオルを被ってしまいたそうにしているけど、彼女の主がそれを許さない。

 無情にも公爵様は、親指を立ててクイッとリリィを応援してるにぃちゃんを指し示した。

 その顔はやはり満面の笑みだ。「行け」っていう端的な命令が無言で――けど、これ以上無く明確に伝わって来る。

 諦めた様な……けど羞恥で頬どころか顔全体を赤くして、ギクシャクとにぃちゃんのもとに進む《陽影》さんの後ろ姿に、モヤっとした気持ちより先に同情の方が湧き上がって来た。我が事ながら複雑すぎる心境だよ、胸やけしそう。


「……公爵閣下、流石に御自身の側仕えに無体が過ぎるのでは?」

「同感だ。パワハラって知ってるかアンタ」


 ボクと同じ気持ちなのか、《陽影》さんへの同情と警戒が入り混じった複雑怪奇な表情で、ミヤコさんとレティシアが公爵様に詰め寄っている。

 溶けてしまったかき氷を器に口をつけて飲み干した彼女は、唇に残った葡萄酒(ワイン)の名残を舐め取りながら、やっぱり余裕の笑みを浮かべたままだった。


「ほほっ。二の足を踏んだままの小娘共が吠えよるわ。番う前の雄に独占欲を向けて進展が生まれるとでも? あの男が己の所有(モノ)であると刻みつけてから、相応の口を叩くのだな」

「ぐっ……相変わらずこの女は……!」

「レティシアが苦手だと言う理由が分かった気がするわ……」


《陽影》さんを案じる言葉――その奥にある複雑な感情を見透かされて、二人の顔が苦々しいものに変わる。

 あの二人の圧のある視線を同時に向けられて、愉しそうにそれを受け止めるとか肝が据わってるってレベルじゃない。実際、アンナ達は平然としてる公爵様を見て驚愕してるし。

 そして案の定、にぃちゃんは《陽影》さんの水着姿を至近距離でお披露目されて、挙動不審になっている。

 視線を彼女の胸元や腰回りに向けない様にしたせいで、自然と顔――つまりは見つめ合う形になった二人。

 当然、そのままにしておくのはモヤっとするので、ボクはさり気なく傍に向かった。


「にぃちゃーん? 公爵様に着替えさせられて恥ずかしがってる人をあんまりじろじろ見たらダメだよ?」


 ――ご、ごごご誤解でござる! 谷間とかガーターっぽいの付けたおみ足とか見てないでござる!


「うん、語るに落ちてるよ?」


 視線を上と左右に激しく泳がせて更に挙動不審になるにぃちゃんを、少しだけ意地悪な気分になったボクはジトーっとした目で下から見つめる。

 この自爆みたいな言動も、半分はワザとなんだろうけどね。《陽影》さんの格好の大胆すぎる部分を遠回しに指摘しつつ、ついつい見ちゃった事も正直に告げてるんだから。

 他人に分かり辛い、気づかれにくい形で紳士さを見せるのはにぃちゃんの悪癖だ――ボクは気付いてるし、そういう処も良いと思ってるけどな!

 ……問題は、にぃちゃんになら見られても寧ろオッケーだと思ってそうな《陽影》さんが、その分かり辛い紳士ムーヴの対象な訳で。

 頬は相変わらず赤く、モジモジとしながら自分の蜂蜜色の髪を指先で弄んでいる彼女の瞳には、紛れも無い歓びの色が灯っている。

 今の格好もあって破壊力が凄い。常夏の空気は人を解放的にさせるって言うし、視覚的に分かりやすい巨乳(つよみ)を持つ《陽影》さんは、侮れない強敵だ。

 本人が二番、三番でも構わないっていうスタンスだって聞いたとき、正直ホッとしたのは記憶に新しい。


「ククッ、同じ神子でも月の方は中々に抜け目がない――そうと気付かず網を抜け、獲物を咥えかねん猫といい、銀の毛並みは強かの証なのか?」


 なんだか背後から揶揄を含んだ声が聞こえるけど、気づかないフリ。

 声の主が弁が立つどころじゃないのは嫌と言う程理解したし、下手に反応したり反論を試みても愉悦の為の燃料を与えるだけだ。レティシアみたいについつい反応して玩具にされるのは遠慮したい。


「――捉えました、ここです」


 そんな中、皆の声援を受けて最後の位置調整を終えたリリィが木剣を振り上げ、えいやっとばかりに振り下ろす。

 振り上げた時点での位置はほぼ正解。足元にはきちんと甘瓜が鎮座している。

 でも、魔力強化無しだとリリィに木剣は重かったみたいだ。

 重さに負けて泳いだ切っ先は、大きな甘瓜を掠める様にして敷かれたシートを叩くに留まったのだった。







「……駄目でした。あれ程皆様に応援して頂いたのに、未熟を痛感します」

「いや、惜しかったぞ嬢ちゃん。子供用の木剣を用意せなんだワシらのミスだわな」

「……三席殿の言う通りだ。振り上げた時点では直撃の軌道だった」


 がっかりした表情で目隠しを外すリリィ。その肩を優しく《虎嵐》さんが抱き、《万器》さんが笑いながら頭を撫でている。


「確かに惜しかったけど、スイカ割りは遊びの一種だ。そんなに気負う必要は無いぞリリィ」


 レティシアの言う通りだね。

 失敗しちゃったら笑って次の人にバトンタッチ、一生懸命応援すれば良いんだよ。


「むむっ……そうですか。では、リリィは次の方を全力で応援させて頂きます」


 消沈した表情が消え、リリィがふんす、と両拳を胸元で握って気合を入れたと当時。

 砂浜に突き立てられた木剣を引き抜き、一振りして肩に担いだのは《魔王》様だった。


「後はお任せを姫! 無念は俺が晴らしてみせましょう! きっちり当てて一発で粉々にしてやるのでどうかご覧下さい!」


 ――粉々はやめろや鳥。後で皆で食うんやぞ、砂まみれの破片食わせる気か。


 気合の入り過ぎてる《魔王》様に対して、にぃちゃんが即座にツッコミを入れている。

 実際、魔力強化抜きでもこの人がちょっと力んで叩いたら、ただの瓜とか文字通り消滅するだけだ。鼻息も荒い今のテンションでちゃんと加減出来るのかな……?

 大丈夫かコイツ、みたいな目で皆が気合満タンな《魔王》様を見ていると、《赤剣》さんが買い物で果物を入れていた壺――中身がカラになったソレを抱えて持って来た。


「まぁ、最初に手ェ挙げてたし、二番手に異論は無いかな――ハイ、頭領(ボス)。これどうぞ」


 そうして、ごく自然な動作で壺を《魔王》様の頭に被せる。

 壺頭になった本人から、当惑した様な声が漏れた。


「……え、なにこれ」

「いや、アンタは普通のハンデじゃ全然足りないでしょ。頭領(ボス)はこれ被って」

「ちょっと酷くない? あと声出すと中で反響してスゲェ煩いんだがコレ」

「酒の。壺の前に目隠しと耳栓を忘れとるぞ」

「あ、そうだった。じゃ、これもちゃんと付けて下さい」

「酷くない?」

「回転数も二百でよろしく。ちなみに10秒以内で回り切って、どうぞ」

「ひどくない?」


 文句は悉くスルーされ、更に目隠しと耳栓を手渡されて、スンッと平常のテンションに戻る《魔王》様。

 ブチブチと文句を零して目と耳を塞いでるけど、言われたハンデ自体はしっかり守る気みたいだ。よーいドン、という《赤剣》さんの声と同時に、片足で爪先立ちになって竜巻みたいな勢いで回転を始める。

 砂煙を吹き上げながらドリルみたいに足元を穿って埋まっていく《魔王》様を見て――公爵様が薄っすらと嗤った。


「ふむ、そろそろ頃合いか。まぁ、機会としては丁度良い」


 そう独り言ちて、ゆっくりとビーチチェアから身を起こして立ち上がる。

 意味深だけど真意の伺えない言葉に、不穏なものを覚えたのはボクだけじゃない筈だ。

 発言の意味を聞きたい。けど、浮かべた笑みが恐ろしく綺麗で――それ以上に怖くて聞けない。


(あれ、不味くない? 何をするつもりなのか聞いた方が良い様な……)

(いや、無理だろ。あの笑顔はヤバい、聞いたらダメなやつだ)


 姉妹(きょうだい)でヒソヒソとやり取りするも、解決策は出なかった。

 ボクらの中では一番気安い会話が出来るレティシアですらちょっと怯んでいたんだけど……先生が穏やかな口調で、ごく普通に公爵様へと問いかける。


「公爵閣下は何やら思い至った御様子。愚僧にその深慮を慮るが可能な筈もありませぬが……穏やかならぬ結果を呼び寄せるは、どうか御容赦を願いたく」


 すげぇ……と、にぃちゃんが先生を見て呟くのが聞こえた。

 いや、でも実際凄いよ先生。あの笑みを浮かべた公爵様に、柔らかめとはいえ説法みたいな事が言えるんだから。

 教国と帝国のメンバー全員が、先生に向けて少なからず尊敬の視線を向ける中、やんわりと御説教された公爵様は気分を害する処か「ほう?」なんて言って面白そうに頭四つ分くらい上にある先生の顔を見上げる。


「貴様が年長に向けて説法とは、中々に珍しいなグラッブス――そこまであやつらの遊興の時間が大事か」

「拙僧は御二方の目付であります故。普遍的な旅行の妙とは縁遠い、無骨者の我が身ではありますが、今回の旅行、お若い方々が憂いなく楽しめる時間となる事を強く願っております」

「過保護、と言ってしまえばその通りだが……終戦後の二年と貴様やあの堅物娘の性根を併せてみれば、そうなるも止む無しと言った処か」


 先生に対してすらクツクツと愉しそうに笑う公爵様。もう何ならこの愉悦の笑みが崩れるんだろう、ある意味無敵すぎるよこの人。

 結局、何をするのか語る気は無いらしい公爵様は濃藍の髪をゆっくりとかき上げた。

 二百回転を終えて砂浜に埋まった足を引き抜き、改めて壺を被り直した《魔王》様を道端を移動するゲジゲジを見る様な目で眺めている。


「ウェップ……流石に酔った……あ、でもなんか治って来た」

「相変わらず復帰が早すぎるんだよなぁ」

「金銀の嬢ちゃん達、二人で幻惑魔法頼むぞ。回転酔いは大して意味がなさそうだわい」


 不安は残るけど……公爵様が話さない以上どうしようもない。

《万器》さんのリクエストに応えて、取り敢えずボクとレティシアは《魔王》様の頭部に向けて魔法を飛ばした。

 聖女は魔法全般に強いけど、その中でもデバフ系だけははあんまり得意なジャンルじゃないんだけどね。

 それでも二人掛かりなら相手が人外級でもそれなりに……って手応えが硬い。

 ボクらの魔力が浸透しない。なんというか、ゴムの塊に水を染み込ませようとするかのような、そもそも無理だろって感じの感触が返って来る。


「おい《魔王》、耐性緩めてくれ。普通に耐魔(レジスト)されて通らないって」

「待てって、今やってるから。頑張って下げてるんだよこれでも」

「頑張って下げてるのにこの魔法耐性(かたさ)かよ……」


 なんつー出鱈目な生き物だ、とボヤいたレティシアの台詞を、ボクは否定できない。現在進行形でその理不尽な魔法耐性を体感してるので特に。

 壺頭な《魔王》様が壺ごと頭を抑えて唸り声を上げると、ようやく、ほんのちょっとだけ幻惑魔法が通る手応えがあった。


「おぉ……? なんか酒に酔ったような……酩酊感とか久しぶりだな。なんか感動する」

「分かったから早く始めてくれ。今にも耐魔(レジスト)されそうで維持が地味に面倒くさい」


 心なしか嬉しそうな《魔王》様に向け、ぞんざいに手を振ってスイカ割りを開始しろと訴える(あに)。ちょっと申し訳無いけど、これにも同意見だ。

 微妙に千鳥足になった《魔王》様が、その場で更に十回転くらいした後に砂浜を歩き始める。

 足取りが少し覚束ないとはいえ、これだけ五感に制限を掛けた状態なのに進む方向自体は間違ってないのは流石だ。ゆらりゆらりと、確実に甘瓜の方へと近付いている。

 そんな姿を見て「割るだけだぞー、吹き飛ばすなよー」とか「失敗(ミス)ったら他の同僚達に話したいから空振りよろしく」とか、応援というより野次に近い声が多く上がってるよ。

 それを受ける本人は楽しそうなんだけどね。いや、頭に壺被ってるし、表情は分からないんだけど雰囲気でなんとなく。


「そのまま真っ直ぐなのです……あ、今ので右にズレました。一歩分修正を」


 そんな中でも、リリィだけはしっかりと声援と助言を送っていた。

《魔王》様もそれは聞こえているのか、決して声量が大きいとは言えないリリィの声をしっかり拾って「了解しました姫!」なんて言って木剣を元気に振り回してる。

 更なる応援の為に、リリィが手でメガホンを作って声を上げようとして――そこで彼女の肩に手を置いて制止する人が現れた。


「……? 何か御用でしょ――」


 振り向いて、不思議そうに小首を傾げるリリィ。疑問の声が唐突に途切れる。

 小さな唇にそっと指先を添えて、動作だけで静かにする様に促したのは公爵様だった。

 いきなり義娘の傍に現れた人物を見て《虎嵐》さんがちょっと身構えるけど、少し笑って首を横に振る公爵様。身振りだけではあるけど「リリィには何もしない」と示す。

 ……何をするつもりなんだろう。《魔王》様のお気に入りだからって何かするような人では無いのは分かってるけど。

 ボクらの視線が集中してる事は一切気にせず、彼女は両膝を砂につけてリリィと目線の高さを合わせ、軽く自分の喉に手を当てた。

 微かに「んんっ」と声が漏れ、まるで喉の調整を行うように深呼吸が行われる。


「――少しズレています。身体の軸を左斜めに」


 紅い唇から流れ出た声は、リリィのものとそっくりだった。

 皆の眼が軽く見開かれ、唖然として公爵様を見つめる。《災禍の席》の二人は既知だったのか、顔を見合わせて肩を竦めてるけど。

 魔力の流動は一切無い。つまり、魔法の絡まない純粋な技術って事だ。

 声真似……というより声帯模写って言うべきかな。いや、普通に凄いよ。確かによーく聞けば元の声が公爵様のものだって分かるけど……それはこうして目の前で見てるからだ。

 この声で後ろから呼ばれたりしたら普通に気付かずにリリィだと勘違いすると思う。少なくともボクは引っ掛かる。

 耳栓やら目隠しやら壺やらに加え、自分で基礎能力や耐性を限界まで縛り、更にボク達の幻惑魔法で五感の精度を落としてる《魔王》様も、流石に気付いてないみたいだ。公爵様の声に従い、素直に進路変更した。


「もう少し左です――そう、そのまま真っ直ぐ」

「こっちですか姫!」

「良いですね。そのまま進んで下さい」

「姫! なんか足元に波が当たってる気がしますが!」

「気のせいです、真っ直ぐなのです」


 誘導されるがまま、砂浜を進む《魔王》様。

 もう足首まで海に入っちゃってるよ……素直過ぎる。リリィの言う事ならどれだけ脊髄反射で聞き入れてるんだ……。

 ざぶざぶと進んで普通に海の中に進んで行って、深さが腰まで行った辺りで公爵様が無造作に腕を掲げ、指先を擦り合わせて打ち鳴らした。


 パチィン! という快音。

 一拍おいて、《魔王》様の直ぐ目の前(目は塞がれてるけど)の海面が、爆発したみたいに膨れ上がる。


「え」


 呆けた声は、浜辺の誰かのものだったのか、それとも《魔王》様のものだったのか。


「GYUIIIIIIIII!!」


 固い肉が擦れ合う様な、なんとも言えない鳴き声と共に波が豪快に弾ける。

 海面から飛び出して来たのは、物凄くでっかい、無数の吸盤の付いた触手だった。

 見た目からして巨大なタコの足にしか見えないソレは、《魔王》様に向かって一瞬で絡みつき、海に引きずり込もうとする。


「うおぉぉぉっ!? ちょっ、何だオイ!?」


 流石に焦ったのか、慌てて被っていた壺に手を掛けて頭から引っこ抜こうとする《魔王》様だけど、その直前に二度目の指を打ち鳴らす音が響き渡った。


「……! ぬ、抜けねぇ!? こいつは影の固着……オイコラてめぇかぁぁぁっ!? 何してくれてんだBBAァァッ!!」


 幅だけでも牛の胴より太いタコ足に拘束されながらも、壺頭から反響する様な怒声が上がる。

 視界が塞がれたまま触手を外そうとする《魔王》様だけど……何故か手間取ってる感じだ。彼がその気になれば、引き千切る位は簡単に出来る筈なのに。

 再び上がる咆哮じみた鳴き声――多分、あのタコ足の持ち主のものなんだろう。


「GYUI! GYUUUU♪ GYU!」


 ……なんだろ、本体は海の中で見えないし、見えてる足だってちょっとグロテスクな蛸の足なんだけど……海面から響いて来るその鳴き声はちょっと楽しそうというか、見た目に反して邪気を感じない。


「あやつは去年の遊興にてこの地を訪れた際に、近隣の海を荒らしていた魔獣よ」


 リリィの頭を一撫でして、公爵様が立ち上がる。


「といっても、普段は深海で苔と小魚を食って過ごしておる小僧でな。地上の腐臭――あの汚泥共の気配が薄れたのを機に好奇心で海上に昇り、遊泳していたらしい。図体と、それに見合わぬ移動速度の御蔭で幾つもの漁船と衝突を起こしていた故、気紛れに我が身が叱りつけてやったのよ」


 バシャバシャと水飛沫を上げて、徐々に海に引きずり込まれている《魔王》様を見るその顔は、ものすっっごく愉しそうな笑顔だった。

 どうやら公爵様は去年海に遊びに来た時に、悪気無く近隣の漁業海域を荒らしていた魔獣をお仕置きした、って事らしい。

 それ以降は使い魔というか、舎弟(ペット)というか……とにかく、ちょっと懐かれて呼べば現れるようになったとか。


「種族年齢は若年の部類ではあるが、魔獣としての格は周辺海域の主級に相当する小僧よ――遊戯の相手に飢えている故、たっぷりと付き合ってやるがいい」

「てめぇ後で覚えてろ!? 直ぐにオボァガボボボボボボッ!?」

「GYUII~☆」


 巨大な触手による爆音みたいな水飛沫に、怒声と楽しそうな鳴き声が重なり、そして――。


 トプン、と。


 最後に小さな飛沫を一つ上げて、《魔王》様と蛸足は海へと消えた。


「――さて、これで騒がしい上に目障りなモノは消えたな。スイカ割りとやらを続けるが良い」

「あんなド派手にやらかしておいて第一声がソレかよ」


 上機嫌にビーチチェアへと座り直した公爵様に向けて、レティシアがビシッとツッコミを入れる。

 平然とかき氷に使った葡萄酒(ワイン)の残りをグラスに注ぎ始める彼女に向けて、《万器》さんが無言で近づいて――なんとその頭に向けて拳骨を落とした。


「あ痛ッ」


 小さく、短い声ではあったけど、泰然とした女王様みたいな人の口から飛び出るには可愛らしい悲鳴が上がる。


「痛い様にやっとるんだっつーの。――まったく、珍しく大将が我慢しとったのに、お前さんの方からやらかしてどうする」

「……アレにはそこのエルフの娘という、機嫌を上向かせる源があったではないか。我が身ばかりがアレを視界に入れる度に我慢を強いられるのは不本意だ」


 拳骨された頭頂部を撫でながら、公爵様が抗弁。

 チェアから身を起こして《万器》さんを見上げるその表情は、驚いた事に拗ねた様に唇を尖らせていた。

 なんだかさっきから怒涛の展開で情報過多になりつつあるけど……更なる驚愕の追加が来たな。そろそろボクはお腹いっぱいだよ。

 隣のにぃちゃんも同意見みたいだ。頷きながら、スイカ割りしても食えるかねコレ……なんて言ってお腹を擦っている。

 でも、驚くのも仕方ないと思う。公爵様があんな表情するとか予想外だよ。

 そういえば、最初に《万器》さんに叱られたときも、素直に彼の言葉を聞き入れてたっけ。《魔王》様とは幼馴染って話だし、《万器》さんとも昔馴染みなのかもしれない。

 その間にも件の二人は、叱る側と言い逃れようとする側で会話を続けていた。


「元より、今日は針子の新作を着て遊泳する予定であった。あの阿呆鳥がのさばっていては、おちおち水着姿にもなれん」

「別に水着姿を見せる位えぇじゃろが。初心な小娘でもあるまいに」

「無論、此の身の肢体に恥じるべき点など何一つ無い。だが、アレの居る場で肌を晒すなど御免被る」

「小娘どころかガキんちょか、お前さんは」


 嫌なものは嫌だ、そう主張して譲らない公爵様を前に、珍しく《万器》さんが疲れた顔で空を仰いだ。

 そのままグリッと首を真横に向け、まるっきり他人事な顔で小さな酒樽から麦酒(エール)を直飲みしてる《赤剣》さんに視線を向ける。


「……な? 大人しくしとる様に見えていきなりコレだぞ。毎回仲裁しとったら身がもたんだろ?」

「うんまぁ……偶には苦労しても良いんじゃないかな。《亡霊》さんの代理だと思えば」

「かーっ、他人事だと思って気軽に言ってくれるのぅ」


 バリバリと頭を掻きむしって、嘆息して。

 それで切り替えた《万器》さんは、一応の確認とばかりに公爵様へと再度問いかけた。


「あのタコ坊主、お嬢の言う通りに大分若い様だが……この辺りの主級なんじゃろ? 大将と遊んで怪我でもしたら、縄張りに関わるゴタゴタが起きんか?」

「問題無い。アレ――オクトは、あやつの基準でじゃれついているだけよ。あの阿呆鳥は、敵意も悪意もなく戯れて来る小僧に傷を負わせる真似はすまい」


 通りで拘束を抜けられない筈だよ。怪我させない様にしてたって事か。

 仲の悪い二人けど、彼女も《魔王》様のそういう部分は信用してるみたいだ。

 だからこそ躊躇なくあのでっかいタコをけしかけたって考えると、嫌な信用の仕方だなぁとは思うけどね、正直。


「名前まで付けてんのかよ、完全にペットじゃねーか」

「案を出したのはあの針子だがな」


 レティシアの再びのツッコミに端的に返し、グラスに注いだ葡萄酒(ワイン)を一気に飲み干して公爵様はもう一度立ち上がった。


「さて……折角だ、砂浜の遊戯を体験するも一興よ」


 サマードレスの肩紐に手を掛け、ボタンを外して無造作に脱ぎ捨てる。

 清楚なデザインですらあったドレスの下に隠されていたのは、艶めかしい白い肌と、ワインレッドの水着だった。


 ――あ、なんか嫌な予感――ホアアアアアッ!? 首がぁぁぁぁっ!?


「あ、ご、ごめんねにぃちゃん。つい……」


 ボクは慌てて謝りつつ、にぃちゃんに向けて回復魔法を発動させる。

 つい反射的に身体が動いてしまった。にぃちゃんの首を横に曲げて、公爵様を視界に入れない様に。

 ……けどさ! それも仕方ないと思うんだよ!


 なんだよアレ! 水着なのアレ!?


 公爵様の水着は、なんというか凄かった。

 シャマダハルさんのパレオの下とか、《陽影》さんのビキニなんて目じゃない。というか布地が少なすぎる! 紐!?

 上も下もかろうじて大事なところが隠れてるだけじゃん! グラビア雑誌とか、グラビアアイドルのイメージビデオとか、そーゆー業界でしか見ない様なやつだよ!

 スタイルがぶっちぎりなのは最早言う迄も無い。

 女性陣で一番の長身な上、《陽影》さん以上のバストサイズで、それなのに全然重力に負けてない。

 ウエストはシャマダハルさん並みに細くて、お尻はミヤコさんより大きくて同じ位に引き締まってる。皆が合体して生まれた無敵超人かな?


「あぁ、とうとう見せてしまった……城の者達がみたら揃って悲鳴を上げて服を着せようとするだろうなぁ」


 頭痛を堪える様な仕草で指を額にあて、《陽影》さんが溜息を漏らしている。

 さっき同じ水着を着せるぞ、なんて脅されて秒で屈した彼女だけど……今となっては納得だよ。あの水着を着るくらいなら、そりゃ普通のビキニの方が遥かにマシだもん。


 先生と《虎嵐》さんは直ぐに眼を瞑ったみたい。特に先生の方は目隠しして鍛錬とか偶にやってるので、全然問題無さそうにかき氷用のシロップを片付けている。

 リリィは眼を閉じて動かないお義父さんを見上げて困惑してるね。ちょんちょんと指で腕を突いて、虎毛に包まれた手をそっと握った。


「……義父(とと)様、何故おめめを閉じているのですか?」

「……他の娘達はまだ衣類と呼べる装いだが、あれは駄目だ。女人の肌は、見るも触れるも生涯妻のみと決めている」

「むむっ、義母(かか)様とお風呂に入ったという事ですか? 二人だけでズルいのです。リリィも一緒に入りたいです」

「……うむ、そうだな。機会があれば、それも良い」


 苦笑いしながら、リリィと小指を絡めて約束を交わす《虎嵐》さん。

 見ていてほっこりする光景だけど、突如として砂浜に発生したスーパーモデル級のR指定姿は他の人達にも混乱を齎している。


「うっわ……エッロ……で、なんでおじさんは背を向けてるのさー? 助平の癖に」

「目の保養を通り越して毒だありゃ。下手にアレに見慣れると、後の生活に障りが出そうなんでな」

「どーせ娼館行っても比べちゃって興奮しなくなるとかそんなんっしょ。サイテー、《虎嵐》さんを見習えー」

「妻子持ちと一緒にするなよ……こちとら堂々たる独身貴族だぞ」

「私は隊長一筋私は隊長一筋私は隊長一筋……それはそれとしてあのくびれのラインはアンナちゃんポイント四桁の破壊りょぐふぅっ……!」

「アンナちゃん!? 大丈夫!?」


 帝国の人達も喧々囂々、死屍累々って感じだ。謎ダメージを受けて屍みたいになってるのはアンナだけだけど。

 レティシアもサマードレスがチェアの上に放られると同時に眼を剥いてた――直ぐにぃちゃんの方を見たけど、安心してよ。ボクが首を曲げた方角を見たまま、ずっと目を閉じてるから。

 護身完了……! とか呟いてるにぃちゃんを見て安心したのか、(あに)は公爵様へと視線を戻す。


「アンタなんつー格好してるんだよ! 露出度が高いって言っても限度があるだろ!?」

「先にも述べたが、我が身に晒して恥ずる点など一つとして在りはしない。精々眼福を噛みしめて仰ぎ見るがいい」

「その姿で胸を張るんじゃねー! 嫌味かコラ!?」


 圧倒的なプロポーションを惜しげもなく陽の下に晒し、公爵様は歩を進めた。

 スイカ割りが始まったので、ちょっと砂を掘った窪みに置いたボールを掴み上げると、軽く宙に放り、キャッチする。


「びーちばれー、だったか? 貴様らの住んでいた異界は、球遊び一つとっても技や規則が洗練されている。遊興の一環としては中々に悪くない」


 五指でボールを掴んで顔の横まで持ち上げると、妖艶な美貌に愉悦とは別種の――不敵な笑みが浮かんだ。


「どれ、我が身と我が側仕えが相手をしてやろう。畏れぬ者は挑み来るが良い」


 えぇ……また唐突な。

 そうと言われて意気揚々と手を挙げる空気でもない。

 驚きと困惑がない交ぜになった表情で、ボク達は近い面子で視線を交わし合う。


「ふむ、気が乗らんか? ならば、そうさな……」


 鮮血を思わせる真紅の視線が、首を真横に向けたままのにぃちゃんを捉えた。


「猟犬よ、貴様はスイカ割りとやらの続きを進行させよ。あの幼子に再び挑ませるも良いであろうよ――それとも」


 貴様が我が身と戯れてみるか? なんて言葉と共に、チロリと紅い舌が同じく紅い唇の上を這う。

 にぃちゃんの反応は早かった。

 いえすまむ! 命に従います! なんて叫んで敬礼。そのまま回れ右してリリィのもとへ向かう。

 それを妖しい笑みを浮かべたまま見送った公爵様は、にぃちゃんがあっちでスイカ割りの続行を言い出すのを確認してボク達へと視線を転じる。


「さて……尻込みしている小娘共に、気炎を灯す為の餌をぶら下げてやろう――びーちばれーとやらで我が身に勝利すれば、我が血族に伝わりし褥に用いる魔導を幾つか伝授してやる」


 ざわり、と。

 声こそ上がらなかったけど、何人かの雰囲気が変わって、空気が動いた気がした。

 分り易く目の色が変わったのはレティシアだ――多分、ボクもだけど。

 それでも警戒感が先立つのか、少し疑わしい視線を公爵様に向けている。


「血族、って事は吸血鬼(ヴァンパイア)固有の魔法か……そもそも人間が覚えられるモンなのかそれ」


 種族由来、となると確かにその疑問は出て来るよ。習得自体が困難か、そもそも習得しても他の人類種に対しては使用が向かない可能性だってある。

 いち魔導士としては抱いて当然の疑問だけど、公爵様はレティシアにボールを放ってパスすると、軽く肩を竦めた。


「先達や同胞達が体系化した事により、初歩の術は純然たる魔法技術へと転換された。確かに応用や秘奥は人間ではほぼ習得不可能だが……元より生娘でも獣の様に乱れる呪や、枯れた雄が三晩猛り続ける香の生成といった、性に奔放な者共が作り出した冗句の類よ。貴様らには十年早いわ」


 み、三日三晩……しかも枯れてる人でもと来た。

 普通に健康的な人なら、どうなるんだろう…………に、にぃちゃんはちょっと前に不調も治ったみたいだし、凄い事になるんじゃ……。

 いや待て、落ち着けボク。そもそもそれは応用・秘奥だって言ってるじゃないか。教えてくれるのは初歩っぽいし、そこまでとんでもな魔法でもないだろう。

 ぐるぐると色んな思考が脳内を駆け巡る。顔がなんだか熱い。

 初歩なら前衛型の戦士系の人でも十分習得可能、という言葉を聞いて、ちいさく唾を飲み込む音が聞こえた。多分、ミヤコさんだ。


 生存戦争真っ只中の世界に転移・転生したボク達が真っ先に触れた魔法は、戦いに関するものばかりだった。

 この世界の人達が最初に覚えるのは、火種を生み出すとか、少量の飲み水の生成とか、日々の生活に使えるちょっとした魔法なんだけど……ボクとレティシアは確か初っ端に回復魔法と浄化、次いで普遍的な属性攻撃系の魔法だったと思う。

 多分、ミヤコさんも似た様なものだろう。そうでなくとも早々に身体強化を習得する為に、色々と段飛ばしだった筈だ。

 それだけに生活に根差した魔法(モノ)は、後々に覚えてもなんとなく馴染みが薄いままで……だからこそ、夜の生活に特化した魔法、なんていうのはちょっと衝撃的だった。


「……教国だと、エロ系魔法なんて幾ら資料文献探しても見当たらなかったんだけどな……おそるべし魔族領」


 渡されたボールを手に、戦慄を滲ませた口調でレティシアが呟く。

 というか、探した事あるんだ。図書室でエロ本探す小学生みたいな事する聖女ってどうなのさ……。

 いつもだったらその辺りをミヤコさんも指摘して、ちょっとした口喧嘩が始まったりするんだろうけど、今はそんな空気も生まれない。

 主にボクとレティシア、ミヤコさんで「どうする?」とばかりに視線を交わし合い――躊躇いながらも、少しずつ公爵様の誘いに乗る雰囲気になって来ている。

 そこに、更なる爆弾が落とされた。

 公爵様はビーチバレーに強制参加させるらしい《陽影》さんに向けて振り返り、笑みを深める。


「当然、お前にも飴はあって然るべきよな。この戯れで小娘共を全て下した暁には、同じ術を手ほどきしてやろう――ククッ、お前であれば、秘奥まで習得できるやもしれんなぁ」

「……ふぁっ!?」


 水を向けられた《陽影》さんは不思議そうに首を傾げた後……一拍置いて驚愕の表情になると、素っ頓狂な声を上げた。


「あ、主!? 元をただせば、秘奥は長寿故に出生率が低い爵位級吸血鬼(ハイ・ブラット)の方々の為の魔法なのでは!?」

「そういった側面も無くはない――が、先にも言うたであろう。秘奥などと謳った処で、その実同胞の戯れ混じりよ、殊更に秘匿するものでもないわ」


 アワアワと手をバタつかせて言い募る従者を見て、公爵様は物凄く愉しそうにニヤニヤしながら煽る様に――否、色々諸々煽る気満々で続ける。


「秘奥を修めた後にあの男と懇ろになれば、元来他種と子を為すのが困難な吸血種(われら)であっても障り無いであろうよ。初の伽で懐妊というのも中々に浪漫があるではないか、ん?」


 ミシリ、と革が軋むと共に、レティシアの手の中にあるボールが縦長に変形した。

 能面みたいに表情が抜け落ちた(あに)は、素の腕力で革張りの球を押し潰しながら抑揚に欠けた声で問いかける。


「……一応聞くが、オレ達がアンタの遊びに付き合わないと、どうなる?」

「当然、我らの不戦勝だな」


 その場合、自分の側仕えに件の魔法を余さず教える事になる。

 公爵様の顔は、言葉にはしなくともそのつもりである事が確信できる、愉悦に満ちた笑顔だった。

 返って来る言葉は予想がついていたのか、レティシアは特に反応する事も無く静かに目を閉じる。

 ――数秒後。再び双眸が開かれると、その顔は一変した。

 眼前の濃藍の髪の美女を見据える表情は気迫漲り、燃え上がる闘志に満ち満ちている。

 顔だけじゃない。ボクと同じ空色の瞳は、焦燥とか決意とか欲望とか嫉妬とか、なんかもう後半聖女らしからぬ感じの気炎でギラつき、揺らめいてすら見えた。


「ミヤコ、手伝え」

「えぇ。呉越同舟というやつね」


 端的な誘いの言葉に、同等の気迫を垂れ流し始めたミヤコさんが頷く。

 教会最高戦力の《金色の聖女》と帝国最強の騎士である《黒髪の戦乙女》が並び立ち、眼前の強敵に対して手を携えて立ち塞がった。


「アリア。公爵と《陽影》の動きや連携によっては、オレよりお前の方が相性が良い可能性も有る。準備しといてくれ」

「分かった」


 肩越しに振り返って告げられた言葉に、ボクも動じることなく頷く。

 発火しそうなやる気の炎を背に負う二人だけど、それを見て何を思う事も無い――だって、ボクも今、おんなじ様な状態の筈だから。

 微妙に距離をとり始めた他の《刃衆(エッジス)》の皆の隣に向かい、相手の動きの観察を兼ねた観戦をするつもりで腰を下ろした。


「……皆も座ったら?」

「「「アッ、ハイ」」」


 奇妙に鯱張ったアンナ達が、ギクシャクとした動きでボクに倣ってその場に座る。なんで緊張してるんだろうね? 変なの。

 砂浜に突き立てられた二本の木製ポールと、網型(ボールネット)ですらない一本のロープ――それらを挟んで、レティシアとミヤコさん、公爵様と《陽影》さんが対峙する。


「――勝つ。ぶっ倒す」

「……こちらが勝ったら、先の言葉を履行してもらいます。公爵閣下」

「フッ、その意気や良し。来るがいい」

「なんでこんな事に……あぁでも、秘奥……僕はどうしたら……!」


 四者四様、それぞれの胸中を強く、言葉にして。

 レクリエーションでやるビーチバレーとは思えない戦意が渦を巻き、負けられない戦いの火蓋が切って落とされようとした、そのときだった。




「オラァァァァァッ! 高いたかぁぁぁぁぁぃっ!!」

「GYUUUUU! GYUIIII♪」




 沖の方角から変な叫び声が上がり、此処から見ても巨大だと分かる水柱が上がる。

 海面を突き破って現れ、高々と空を舞ったのは、全長が30メートルを超えてそうな怪獣みたいなサイズのタコだった。

 八本ある手足をわちゃわちゃとバタつかせ、海で泳ぐみたいに空気を掻こうとするその姿は、遠目に見ても「たーのしー!」という主張・感情が伝わって来る。

 そのままドッボーン、という魚雷が爆発したみたいな音と共に着水する巨体。あ、でもまた空に跳んだ。

 今もレティシアが手にしてる、ビーチバレーに使っているボール。

 それを放り投げました、みたいな気軽さで宙を舞う、大型船を上回るサイズのタコさん――確かオクト、だっけ?――の姿。

 皆が呆気に取られてその馬鹿げた光景に魅入る。

 当然ボクも視線が釘付けだったけど……大きな舌打ちの音が聞こえて思わずそちらの方へと目を向けた。


「……チッ。悪戯好きの小僧同士、意気投合もするか。にしても、この短時間で友誼を結ぶのは流石に予想の外であったわ」


 忌々しい、とばかりに顔を歪めて唸るのは公爵様だ。

 そんな彼女に対してボクが何か反応を返す前に、海で三度目の水柱が上がる。

 でも、それはさっきみたいにオクトが空を舞い、着水して発生したものじゃなかった。

 その本人……本蛸? は海面から半分だけ姿を覗かせて、水柱に向けて触手を一本、フリフリと振っている。

 まるで「バイバーイ」ってしてる様なジェスチャーの理由は、直ぐに分かった。

 水柱から飛び出て来たのは、オクトと比べれば遥かに小さな、人影だ。

 沿岸からここまで、パッと見でも数百メートルはありそうな距離をひとっ飛びで大跳躍してきた人物は、頭や肩に海藻を引っかけた姿で砂浜を蹴立てて着地する。


「……へっ! やっぱりあの位の坊主には高い高いが良く効くぜ!」


 膝を屈めた着地態勢から身を起こし、鼻の下を親指で擦って得意げに笑ってみせたのは、言う迄もなく《魔王》様だった。

 流石に壺はもう被ってない。公爵様が魔法で脱げない様にしてたみたいだし、叩き割ったんだろうね。


「あ、頭領(ボス)。思ったより早い御帰りで。麦酒(エール)飲む?」

「おう、くれくれ。いやーあのタコ坊主、まだガキなのにけっこー力強ぇわ。あと二百年くらいしたらもうちょっと楽しく遊べそうだ。今の内に舎弟(ぶか)にしてぇな」

「うははは、城に呼ぶにはちぃと図体がデカすぎだっちゅーの。寝床になりそうな湖も、あの坊主が飛び込んだら水がごっそり溢れ出ちまうわい」


 皆、度肝を抜かれたと思ったけど……どうやらさっきのトンデモたかいたかいは、《災禍》の人達にとって特に驚く事もない光景だったみたいだ。

 あの光景に対して、会話のトーンが平常過ぎる……こっちの頭が変になりそうだよ。


「ぬぅっ……あれ程の巨体、拙僧では精々が半分の高さに放るが限度でしょう……! 《魔王》陛下の御力の一端を垣間見た思いです、まだまだ精進が足りませぬな!」


 ――おいやめろオッサン。只でさえ魔族領以外の面子は脳がバグりかけてんのに、これ以上SAN値を削る発言をするんじゃない。


 先生が瞳を輝かせて楽しそうにバァンと柏手を打ち、その発言を拾ったにぃちゃんが、こめかみを指で揉み解しながら真顔でツッコミを入れてる。先生には悪いけど、にぃちゃんの発言は教国・帝国メンバーの総意だと思うよ……。


 駆けつけ一杯とばかりに小樽に入った麦酒(エール)を飲み干している《魔王》様に、リリィが小走りで駆け寄った。


「《魔王》様、リリィは再度スイカ割りに挑戦させて頂きました。(あに)様と義父(とと)様の助言を力に、今度はばっちり木剣を当てたのです」


 そう言って彼女が差し出した小皿には、木剣で砕かれたことで少し歪な形の甘瓜が乗せられている。

 心なしか自慢する様に胸を反らしているリリィと小皿を見比べて、《魔王》様は直ぐにニッコニコの笑顔になって皿を受け取る。


「おぉ、お見事です姫! きっちりリベンジを果たした姫の勇姿、是非とも拝見したかった……!」


 シャクシャクと大振りの瓜の欠片を齧り、上機嫌で頬を膨らませていた《魔王》様だけど……ふと何かを思い出した様に首を巡らせた。


「あ、そうだ。あの女にきっちり礼をしてやらねぇと……」


 呟きと共に、この場にいる人達を、鳶色の瞳がぐるりと見渡して――。

 不機嫌丸出し、むっつりとした顔で腕を組んだ公爵様を見つけて固定された。


 何度見ても凄い格好の彼女を、上から下までしっかり眺めて。

 甘瓜を咀嚼していた口が、身体と一緒にフリーズする。


「なんだ、そのアホ面は」


 軽く目を見開いて動作を停止させた《魔王》様を見て、心底嫌そうな表情で公爵様が吐き捨てた。

 きっかり五秒後。再度動き出した口が、甘瓜を強引に嚥下して飲み下す。

 瑞々しい瓜を摂取したばかりの舌で、滑らかに、躊躇なく、ただ一言。




「キッツw 無理すんなBBAw」

「死ね」




 次の瞬間、公爵様のグーパンチがデリカシーゼロ発言をした人の顔面に炸裂した。

 吸血鬼(ヴァンパイア)の能力を使ったのか、砲弾みたいな威力の拳は顔面にめり込むと同時に鮮血を思わせる紅い爆発を引き起こす。

 縦回転して吹っ飛び、10メートルくらい砂浜をヘッドスライディングする《魔王》様。

 邪神の眷属だって一発で粉砕するであろう拳を受けて――けれど直ぐに彼は飛び起きた。


「痛ってぇな!? てめぇ今本気で殴っただろ!?」

「戯けが。殺す気で殴ったわ」

「なお悪ィわ!? 姫の声真似までするし、キツイのは事実だろーが! 年齢(トシ)を考えろバーカ!」 

「はぁーっ!? 我が身は王位級(オリジン・ブラッド)だし! 老いとか無いし歳とか関係なくいつもピチピチだし! 貴様こそ糞みたいな性癖を改めろこの変態焼き鳥が!」


 う わ ぁ 。

 なんだかとんでもない事になっちゃったぞ……。

《魔王》様の方はまだしも、公爵様までいきなり同レベルな感じの罵り合いを始め、先のたかいたかい以上の驚愕がボク達を襲う。


「あー……今回は無事に終わるかと思ったんだけど……無理だったか」

「こりゃイカンな。何時もの流れになっとるわい」


 あ、《万器》さんと《赤剣》さんがジリジリと距離を取ってる。

 あの二人の喧嘩を見慣れてる人達がこの反応って事は……つまりそういう事だよね。


 嫌過ぎる予感……というより確信をこの場の全員が抱きつつある中、ギャンギャンとした子供みたいな怒鳴り合いを続ける二人から物騒な魔力が膨れ上がった。


「こンのボケ鳥がぁっ! 今度という今度こそ、黄泉路に生ごみとして出荷してやるわぁっ!!」

「上等だBBAァァッ! そのキッッイ水着見なくて済む様に砂に埋めてやるオラァァァ!!」


 公爵様の周囲――砂地から虚空まで、あらゆる場所から紅い刃が大量発生し、その切っ先が一斉に同じ方向を向き。

 対する《魔王》様はスイカ割りに使った木剣を一振りして、その剣身に灼熱の炎を纏わせる。

 とんでもない魔力を秘めた血刃と炎剣――その使い手が同時に腕を振り上げた。


 ――総員、退避ィィィィィッ!!


 喉も枯れよとばかりのにぃちゃんの叫びが砂浜に響き渡り、渦中の二人を除く全員がなりふり構わず離脱を開始する。


「走れ走れ! とにかく走れ! 最低でもあいつらが見えなくなるまで距離取れ!」

「はっはっは! いやぁこれは災難! ですが突発の出来事もまた旅行の醍醐味と言えるでしょう!」

「各員、全速で離脱! 事の収束後に近場で落ち合いましょう!」

「りょーかい! 浜がぶっ壊れて遊べない、なんて事になりませんよーにっ!」

「待っ……今走ったら――ちょ、あ"ーっ!? タオルがぁーっ!?」

「今は走りましょう副長! そんなモン気にしてたら死にますって!」


 魔力強化を全開で行使し、とにかく各々が出せる最速で四方八方に散るボク達。

 レティシアと並んで全力疾走しながら首を巡らせれば、死に物狂いで走り出す皆の姿が見える。

 あ、《虎嵐》さんが完全獣化しながらリリィを咥えて風みたいな速度で駆け抜けていく。獣化した処は初めて見たけど、完全に虎だね。カッコイイや。

 その後を追う様に走るのは、魔鎧を起動させたにぃちゃんだ。近くにいたタオルが外れかけて動きの鈍いアンナを担いで、陸上選手みたいなフォームでスタコラダッシュしてる。


 周囲に気を配れたのはそこまでだった。


 剣戟音、激突音。弾け飛んで衝撃波を撒き散らす魔力と、ミサイルが近場で炸裂したみたいな爆風が背後から押し寄せる。


「ぎゃあああああっ!? 旅行先でくらい自重しろよアイツらぁ!?」

「本当にね! いや本当にね!?」


 咄嗟の魔力障壁。けど、全力疾走中の不安定な障壁ごと、爆風はボクらを包み込んで強く押し出して。

 隣を走っていた(あに)の悲鳴混じりの叫びに心からの同意を示しつつ、姉妹(きょうだい)仲良く宙を舞ったのだった。


 ……この場合、爆発オチなんてサイテー! って言った方がいいのかな? 







《hr》




 アホ過ぎる喧嘩に巻き込まれ、散り散りになってはや小一時間。

 俺は同じ離脱ルートを走ることになった面子と一緒に、先の浜辺から離れた海岸で時間を潰していた。


 直径40センチくらいの、イイ感じに平らな断面の石を焚火で炙りつつ、ボケーっと思考を巡らせる。


 本当はシアとリアの二人の後ろに付きたかったんだがなぁ……互いに《魔王》と女公爵を挟んだ位置関係だったので、どうやっても無理だったのだ。

 一瞬、《銘名(リネーム)》を切って二人の激突をやり過ごしながらシア達の処に行こうかとも考えたんだが……ふっつーに捌き切れずに空を舞う可能性もあったし、何より近くには被ったタオルを気にしてモタついてる副官ちゃんがいた。

 あの状況で見捨てるのは流石に気の毒過ぎるので、彼女を担いで《虎嵐》に追従するので精一杯だったのよ……。


 あぁ、心配だ。シアとリアなら《魔王》達のケンカとはいえ、余波程度じゃ怪我なんてしないだろうと分かっていても……やっぱり心配だぁ。

 あいつらの安全が確定確認出来ないので、なんだかポンポン痛くなってくる。

 過保護と言うなかれ。本来あの鳥と女公爵のケンカとか、邪神の下位眷属くらいなら巻き添え余裕で消滅するんやぞ。

 危険度という点では下手な戦場よりよっぽど上だ。その状況下であいつらの傍に居ない・居れなかったっていうのは、俺的に結構なストレスなんだよ。


「……あの二人ならば、障壁を張っているのが見えた……展開は間に合っていたので、衝撃で飛ばされはしても負傷の類はないだろう」


 近場を散策して戻って来た《虎嵐》が、俺の不安を汲んだのか良い事を教えてくれた。

 それだけでもありがたいんだが、父ちゃんについていったリリィが更なる朗報を齎してくれる。


(あに)様、御二方から遠話が届きました。リリィでは受信出来るのは短文だけでしたが、御二人とも怪我一つ無いそうです」


 ……おぉ、そいつは良かった! いやー安心したマジで!

 肩の荷が下りた様な気分になって、深い吐息が漏れる。

 現金なモンで、アイツらが元気だと分かった途端に調子が上がって来た。

 よーし。じゃ、さっさと始めるか! あと少ししたら砂浜に戻るしな!


「……うむ、頭領と公爵も浜辺や店長殿の店を破壊せぬよう、沖合に移動した様だ……そろそろ戻っても良い頃合いだ」


《虎嵐》が頷き、丁度良いタイミングで副官ちゃんも散策から戻って来る。


「ただいまー。一応、聞いた通りの特徴の貝とか拾って来たけど……これで合ってる?」


 おうおう、おかえり。うん……あ、コレだけはちょっと駄目なやつ。他は全部食えるやつやで! やりますねぇアンナ先生!

 流石は魔族領、というべきか。肥沃過ぎる土地もあって、食用に適する貝類なんかも海辺の岩場を探すとゴロゴロ出て来る。

 俺達が避難してきた場所が、お誂え向きにそういった岩場に囲まれた場所なので、ちょっとだけね、こう、四人で海の幸を抓もうか、なんてね。そんな話になった訳よ。

 俺が鉄板代わりの石を熱して火の番をしている間、皆には旅行に来る前に調べた知識を元に、この世界で食える貝や甲殻類なんかを探してきてもらったのだ。

《虎嵐》がちょっと素潜りしてくれたらしく、海老を獲って来てくれたのは嬉しいサプライズだった。

 見た目クルマエビっぽいけど……世界が違うせいか、かなりの大振りやね。

 リリィと副官ちゃんが拾って来た貝もそうだ、見た目ハマグリとかアサリに近いけど、相当なビックサイズの物が多い。素敵やん?


 ……では、これより海の幸のつまみ食いを行う! 各員、他の連中には内緒にするように!


 先ずはリリィの鞄にあった小刀を借りて、軽く下拵え。

 海老なんかは適当にだけど背ワタを取って、貝も開いて砂を取る為にリリィに水の魔法で洗い流してもらう。

 あんまりジャリジャリする様なら、ちょっと勿体ないが貝柱だけにしとこう。極論、海に蒔けば魚の餌になるから無駄にはならないし。


「結構手慣れてるわね。さっきのかき氷とやらも美味しかったし……アンタ結構料理出来るよね」


 下処理を終えた海老と貝を焼き石に並べていると、俺の手元を覗き込んだ副官ちゃんが呟く。

 いうて、隊長ちゃんみたいな丁寧な仕事は出来んよ? アウトドア系が若干得意っつーだけですしおすし。


 あ、ちなみに副官ちゃんだけど、別に水着姿で無理に動いてもらってる訳じゃないぞ。


 なんかに引っかかったのか、馬鹿喧嘩の余波で裂けたのか、彼女の被ってたタオルの丈が半分くらいになっちゃったみたいでね。

 担いでた肩から下ろした途端、岩陰に隠れて「近づいたらころす」とか言って出てこなくなったので、間に合わせとして俺のシャツを貸したってワケよ。

 上はそれで隠れるし、下だけなら半分になったタオルでも腰に巻けば余裕でスカート代わりになる。

 斯くして水着姿から逃れて元気を取り戻した副官ちゃんは、海の幸の捜索に出てくれたのだ。

 代わりに上着は『とりかわ』って日本語で書かれたダサTだけどな! 

 帝国で隊長ちゃんと一緒にいるときに買ったやつだけど、他にもあるから一個くらいあげちゃっても構わんわ。

 つーか、折を見て《魔王》に着せてみたい。シアとか隊長ちゃんに見せたら絶対噴き出すぞ(畜生感


 熱した石は板状に近くて結構良い形をしてるので、鉄板代わりとして上等な仕事をしてくれる。

 火が通って来たのか、パチパチと薪が爆ぜる音と共に段々と香ばしい魚介の香りが漂いだした。

 こういう場所での醍醐味として、軽く海水つけて塩味でも野趣あふれる感じで悪くは無いのだが……今の俺にはコレがある!

 懐から取り出しますは、本来は霊薬なんかを保存する頑丈な小瓶。

 中を満たすは黒に近い暗褐色の液体……即ち、醤油である!


「小分けにしてずっと持ってたんだ……どんだけ早く使いたかったんだか」

「ほう……それが……シグジリアにも教えてやりたいものだ……」


 呆れた声と感心した声は一旦スルーして、熱石の傍にしゃがみ込んで食い入るように海老と貝を見つめているリリィを少し下がらせる。ちょっと跳ねるからね。

 ちゃちゃっと醤油を振りかけると、実に良い音を立てて煙が上がり、香ばしい香りが数倍に膨れ上がって全員の鼻腔を直撃した。

 ごくり、と。副官ちゃんとリリィが同時に唾を飲み込む。


「うわぁ、匂いヤバぁ……これは凄いね」

(あに)様、まだでしょうか? この端の貝はもういける気がします」


 ふはははは、まぁ待ちたまえ、そこの腹ぺこコンビ。

 鉄板から立ち昇る香りから見ても分かる通り、醤油は少し焦がして表面に付けると更に美味いのだよ。

 どれ、先ずは無難にこのでっかい貝柱からにしよう。海老は引っ繰り返しておこうか。デカいからまだ火も通り切ってないだろうし。

 大振りの貝柱二つを半分に切って、四等分する。

 追加で醤油を数滴たらし、じゅうじゅうと音を立てる海の幸を前に俺は厳かに掌を合わせた。


 ――いただきます。


「「「いただきます」」」


 俺に合わせてくれたのか、三人も手を合わせて日本式の食事の挨拶を唱和する。

 箸やフォークもない、指を使った文字通りの摘まみ食い。

 だけど、口内に放り込んで噛みしめ、広がった美味と香りは、どうしようもなく感動と郷愁を掻き立てる。

 あぁ……うめぇなぁ……。

 そして、それ以上に懐かしい。

 今となってはこの世界に来たことに微塵の後悔も無いが、それはそれとして久しぶりの醤油と魚介の合わせ技は、心へと訴えかけてくるものがあった。

 俺一人で抜け駆けしたのが申し訳ないな。後でシアとリア、隊長ちゃんとも一緒に食おう。

 なんならシグジリアにも味わってもらう為、ちょっと醤油を分けても良い。彼女は現在妊婦さんなので、魚介じゃなくてもっと食いやすい物になるだろうけど。


「うっま……魚醤は口にした事あるけど、香りの鮮烈さがダンチだわ……」

「これは良い物です。塩辛いのに、貝柱の旨みを殺さず高める豊潤な香り……お肉にも魚介にもお野菜にも卵にすら調和するであろう、無限の可能性を感じます」

「……これが、猟犬殿やシグジリア達の故郷の味か……拘るのも頷ける」


 三人の反応も上々だ。気に入って貰えたようで何よりですハイ。

 というかリリィがちょっと饒舌になってて草。グルメリポーターばりの食レポやんけ。

 量的には大したことの無い、ちょっとしたつまみ食いの時間は和気藹々と続く。


「あ、このエビの頭の中のやつ……かなり癖があるけど濃厚で美味しい。なんかお酒と合いそう」


 おぉ、あっちの世界でも苦手な人は結構いるのに、海老味噌の味が分かるとはやるね、副官ちゃん。

 じゃ、次はカニだな。味噌の量はあっちのほうがずっと多いし、タラバ系がこっちにもいるなら脚だけでもかなり食いでもある。無言になるレベルで美味いんやぞ。


「へぇ、カニ……沢蟹なら見た事あるけど、海のは無いわ」

「……む。ひょっとして銀髪の人は、エビを食べるのは初めてではないのですか?」

「帝都の行きつけの食堂にエビフライがあるのよ。店主のおじさんが冷凍したエビの仕入れに成功したときだけなんで本当に偶にしかでないけど……っていうかリリィちゃん、私、自己紹介したよね?」

「はい。ですが、銀髪の人は銀髪の人なので」


 三個目の貝柱をモグモグと噛みしめながら、キリッとした表情で断言するリリィ。

 いや何でやねん。杓子定規な呼び方ってんならともなく、銀髪の人て。

 思わず副官ちゃんと顔を見合わせ、小声でやり取りする。


 ……副官ちゃん、リリィに何かしたん? この娘がこういう呼称するの初めて見たんですけど。


(知らないわよ。前にさっき言った食堂で一回だけ顔を見た事があるけど、そのときはただの観光客の女の子だと思ってたし、会話だってしてないっての)


 俺達が顔を寄せ合ってこそこそ話してる横で、義娘の副官ちゃんへの呼び方を流石にどうかと思ったのか、《虎嵐》がやんわりとリリィを嗜めた。


「……リリィ。きちんと挨拶と名乗りを上げた御仁に、その様な呼び方は失礼にあたる」

「申し訳ありません、義父(とと)様。ですが、リリィは好敵手(ライバル)として安易に彼女の名を呼ぶ訳にはいかないのです」


 好敵手(ライバル)て。ホント何やったの副官ちゃん。


「私が聞きたい。割とマジで」


 ちびちびと貝とエビの身をつつき、他愛もない話に華を咲かせる。

 そろそろ他の皆も砂浜に戻る頃合いだろうし、俺達も後片付けをして向かった方が良いだろう。


 置きっぱなしの荷物とか、吹き飛んでなけりゃ良いんだがなぁ……まぁ、荷に関しては聖女様印の結界で保護してあるから無事だとは思うが。

 あと、店長と彼女の店は無事なんやろか。距離的にも大分近い場所にあったし、屋根くらいは吹っ飛んでどっかにいってそう。


 ちょっと小粒の貝の身を摘まみ、口に放り込んで。

 豊かな旨みと、けれどジャリっとした砂の感触も同時に感じて、俺は眉をしかめたのであった。








《魔王》

幼馴染を相手にすると知能が二割減する男。

仲が悪いのは確かだが、嫌悪とか憎しみといったガチな悪感情は無い。普通に仲が悪いだけ。

手の出る喧嘩になると流石にスペック差があって多くの場合、判定勝ちになる。

が、女公爵が我慢出来てる冷静な内はオツムの差で痛い目を見る場合も結構ある。


女公爵

幼馴染を相手にすると知能が半減する女。

冷静に立ち回れば腕力・武力以外の方法で幾らでもやり方があるのだが、普段の余裕ぶっこいた態度は《魔王》相手だと行方不明になりがち。結局はド突き合いになる場合が多い。

愉悦勢ムーヴしながら女性陣を好き放題に引っ掻き回したが、最後は頭パーな罵り合いを全員に見られるというオチを自分でつける事になった。

尚、びーちばれーは勝者無しで全部無効試合である。当たり前だが。


金銀・戦乙女

エロ魔法の存在を知る。

更にそれをライバルの一人だけが全部習得可能と知って若干穏やかとは言い難い気分。

尚、金は後で魔族領の西部発行の魔法書をドカ買いする気満々。

多分、「吸血鬼にしか覚えられない魔法なら、自分で術の構成を弄って人間用に調整すれば良い」とか言う、聖女だからこそ可能なごり押し戦法を使うものと思われる。


リリィ

砂遊び、かき氷、スイカ割り、海の幸。

旅行っておいしい。そして楽しい。


《虎嵐》

犬から嫁さん用に醤油を分けて貰って喜ぶ。

物騒なトラブルもあったが義娘も旅行を楽しんでるし、来て良かったとか思ってる。


オクトくん

蛸の魔獣。南部の海の主級だけどまだひゃくさい。

たかいたかいたーのしー! またやってほしい。


夏らしい野外レクの準備と実行に余念が無い男。醤油ウメェ。

実は蛸……ミズダコ……刺身……とかオクト君見て呟いてた。女公爵に聞かれたら流石に怒られるやつ。


店長

クインの水着も自重しないで趣味丸出しのを着せたし、オペラグラスで公爵のエロ水着もがっつり鑑賞。

鳥との激突が始まる前、既に椅子に座って鼻血垂らしながら真っ白になって気絶してた。

尚、起きた彼女が最初に目にしたのは、屋根が半分吹っ飛んで外壁が罅だらけになってちょっと焦げてる自身の店の姿である。


副官ちゃん

友人(強弁)のシャツを着る女。マジでそーゆーとこやぞお前。



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