魔族領幹部会議(物理)
大陸南方、魔族領。
北方にある霊峰近辺ほどでは無いとはいえ、豊潤な魔力が大地を巡るその土地は、肥沃というには少々旺盛に過ぎる生物や植生が跋扈する地域だ。
南に位置するので比較的温暖であるという事も理由の一つだろう。実際、領の南端にある一部地域には限りなく常夏に近いレベルで気温の高い場所もある。
ともあれ、土地も環境も其処に住まう者もタフなものだらけの地である事には疑いが無い。
そんな魔族領の中心部が他国の区分的には王都と呼ばれる都市である。
宰相にも近い立ち位置の筆頭補佐の努力もあって近年は多少は区画整理も進んで来た街ではあるが、もとをただせばその始まりは、魔族領筆頭である男の単純な武威に惹き寄せられ、集まった者達によって出来た村擬き。
無秩序に肥大化して非常に雑然とした作りとなってしまった都市構造は、まだまだ各所にその名残を色濃く残していた。
そもそも長期的な計画も練り込んだ本格的な街の整頓に着手出来たのが邪神大戦の終結後である。寧ろ二年と少しでじわじわとでも整理された区画が生まれてきた事を賞賛すべきだろう。
長命種によって興された街、ひいては国であるので、歴史と言う点で実は相当に長い。
ならば何故長い間、歴史ある国の首都としての見栄えが整えられなかったのか。
領内の西部に纏まっている吸血鬼達を除けば、実用一点主義というか質実剛健というか……魔族の種族的気性に依るものも理由の一つではあるのだが、それよりも。
「死ねやこの糞鳥がぁっ!!」
「ハッハァ! まだまだ元気一杯だな、よっしゃ来い!」
――ぶっちゃけ定期的に王城の一角やその周辺が吹っ飛ぶ為、お上品な街作りに割いてる時間的余裕なぞ殆ど無いのである!
魔族領王都中心部……白亜の城というより頑強な大規模砦か城塞にも近い其処は、現在一部が瓦礫の山に変わっていた。
長身痩躯の魔族――《狂槍》が振りかぶった投槍が、音速を遥かに超える速度で投擲される。
凄まじい魔力が練り込まれたそれは、直撃すれば迫撃砲の如き破壊力を以て分厚い城壁を粉砕し、竜の鱗すら貫く必殺の一撃だ。
――が、それを嬉々として迎え撃った鳶色の髪と眼をした男は、迫りくる穂先を手にした大剣で事も無げに叩き落とす。
本来ならば接触の瞬間に大爆発を起こす筈の投槍は、宿る攻性魔力ごと捻じ伏せられて男の足元に小さな陥没痕を穿つのみで沈黙した。
男――《魔王》が迎撃の剣を振り切った瞬間、《狂槍》は20メートルはあった距離を一瞬で潰し、手にした槍で体重を乗せた刺突を叩き込む。
「おぉ、何時もよりちょっと重い! 突きの捻り変えた?」
「素手で逸らしてんじゃねぇクソッタレが!」
先の投擲を上回る超高速の突きを、横から拳で引っぱたいて軌道をズラす変態。凶悪な面相を苛立ちで更に歪めて毒付くチンピラ。
弾かれた穂先が一瞬で引かれ、怒涛の連続突きへ転ずる。
間断なく打ち込まれる突きの壁が面制圧を生み出し、津波の如く《魔王》に向けて押し寄せた。
が、それを打ち落す剣閃もまた神速。細かな振りには向かぬ筈の大剣が小枝の様な気軽さで振り回され、魔装の槍が生み出す瀑布の如き突きの嵐を真っ向から弾き散らす。
打ち合い、擦れ、軋みを上げる鋼同士が甲高い音を立て、瓦礫の山となった周囲に激突音を響かせる。
途切れる事の無い鋼の衝突が奏でるは、協奏曲か狂騒曲か。並の手合いはおろか、邪神の眷属であっても飛び込めば即座に千切れ飛んで消滅するであろう超速の刺突と斬撃の打ち合いは延々と続くと思われたが――。
「――うらぁっ!」
打ち合う《魔王》の横手の瓦礫が吹き飛ばされ、粉塵と埃を撒き散らしながら擦り傷だらけになった赤毛の魔族が飛び出した。
手にしたバスタードソードが閃き、《魔王》の横腹へと鋭い斬撃が吸い込まれる。
人外級の戦士であっても回避困難な強襲。だが、それを打ち込まれた超越者たる男は更に剣速を上げて斬撃を打ち落すという、単純だが出鱈目に過ぎる方法で対処してみせた。
「アレで気絶しねぇのは流石だな! けど素面のお前じゃ攻めの圧が足りねぇよ!」
「最初に速攻で酒瓶割ってくれたのはアンタでしょーが! 今日は上物の蒸留酒を持ってきてたってのに……弁償しろやゴルァ!!」
常時ほろ酔いでのらりくらりとした態度の赤毛の戦士――《赤剣》は、今ばかりは容器を粉砕されて地面の染みに変わった酒を悼むが如く、眦を吊り上げて咆哮すると斬りかかる。
怒りの籠った剣が叩き込まれ、酒を台無しにされた酔っ払いの剣戟に合わせる様に《狂槍》の刺突による連撃も激しさを増す。
長い付き合いのある幹部同士、咄嗟に行われる連携はレベルが高い。そうでなくとも両名共に人外級の戦士だ。
個々で見ても二人の振るう武器は勿論の事、それらを握る腕の動きすら人類種でも最高峰の戦士達以外には視認すら難しいであろう速度に達している。
それを正面から迎え撃って捌き続ける奴がおかしいのだ。超速で鋼のぶつかり合う音は、既に剣戟というより重火器――それこそ兵器に搭載する大型の掃射を鋼塊にぶちまけた様な轟音に変わっていた。
「はっはっはー! どうしたオラ、手数にかまけ過ぎて一発が軽くなってんぞ!」
「ちぃっ……! 舐めンなよアホウドリ!」
「毎度毎度、理不尽な生き物過ぎる……!!」
ゲラゲラと楽しそうに笑いながら前に出る《魔王》の暴風の如き剣に圧され、《狂槍》と《赤剣》が押し退けられる様にジリジリと後退する。
更に歩を進めようとしたロ○コンだが、その後頭部に大きな、それこそ短槍の如きサイズの矢が撃ち込まれ、振り向きもせずに首を傾げて躱した。
片手に握る剣で長槍とバスタードソードの連撃を捌きつつ、矢の飛んで来た方向に向けて魔力を練り上げた拳を振り抜こうとして――その動作を中断する。
矢を放った人物――《不死身》は、やや離れた位置にある倒壊や破壊を免れた物見塔の上で次弾を弩に装填しつつ、ニヤリと笑う。
「今年、物見塔を壊した数は既に三回――次やったら問答無用で小遣い9割カットでしたねぇ、塔ごと狙えるならやってみて下さいよ頭領……!」
「ちょっ……きったねーぞお前!?」
ニチャァ……と嫌な笑みを浮かべる部下の青年に向け、憤慨して攻撃の代わりに文句を飛ばす《魔王》だが、同意してくれる者は誰もいない。
「カカッ、自業自得だろうが!」
「ざまぁぁぁぁっ! そのまま延々背中撃たれとけぇっ!!」
どころか切り結ぶ二人は滅茶苦茶楽しそうに煽り散らかす始末である。
追撃で放たれた弩矢を打ち落とし、勢いを増してねじ込まれる槍と剣の切っ先を捌きつつ、《魔王》は思考する。
一旦《狂槍》達を放って《不死身》を直接殴りにいこうかと考えるも、迂闊に背を向ければ怒涛の追撃が叩き込まれるのは確実。
何より「オラッ、背ぇ向けて見ろよその瞬間ぶった斬ってやるよ」と視線だけで伝えて来る舎弟共の思惑通りに動くのはなんかムカつくので、このままなんとかしようと結論を出す。
「次、十七秒ください!」
「えっ、溜め射ちは酷くない?」
物見塔からの叫びに出した結論は即行で棚上げされた。
返答はせずとも、《狂槍》と《赤剣》の武器を振るう速度が更に上がり、任せろとばかりに《魔王》をその場に張り付けにする。
数十メートル先の塔の上で、伏射の体勢になった《不死身》の構える大型の弩――その砲口に紫電を撒き散らして魔力が圧縮・装填されているのを見てとり、部下達による微塵の容赦も躊躇もない必殺連携を前に思わず頬が引き攣りそうになった。
「流石に直撃は遠慮してぇな……!」
あの密度の攻性魔力で身体に穴が空けられると結構痛い。なんてトンチキな事を考える変態不死鳥。痛いで済むのがおかしい事はもはや言う迄も無い。
ギアを一段上げながら、《魔王》は動きを封じようと左右から繰り出される剣と槍の連撃を止めるべく身を捻った。
魔装の槍による刺突を踏み込みながら紙一重で回避しつつ、身体を捻ったことで生み出した勢いを利用して打ち合ったバスタードソードを大きく弾き。
間を置かず引かれ、再度突き込まれた穂先を切り返した剣先で柔らかく巻き取る様に受け、天へと跳ね上げる。
馬鹿げた魔力量と出力、それによる身体強化率と、精密・繊細ですらある体捌きと剣技を両立させた動き――相対する者にとっては理不尽としか言い様が無い。
が、正確な回数など覚えていない程に喧嘩してる魔族領幹部の連中からすれば慣れた理不尽だ。
この程度はやってくる、という認識は全員が持っているので動揺は無い。舌打ち一つ漏らすのみで瞬時に立て直す。
それでも相手が相手だ。刹那にも満たない間に《魔王》は横っ飛びに跳躍し、一時的に二人の間合いから外れていた。
《不死身》の弩に魔力を蓄積させた砲撃は、その超高の圧縮率故に殆ど留めおく事が出来ない。限界まで溜り切れば直ぐに放たれる。
数秒後にはぶっ放されるだろうその一撃に、余裕をもって対応しようとして――。
《魔王》の直ぐ横手、倒壊した元・会議室だった場所から手甲に包まれた腕が飛び出す。
「貴方なら、塔からの射線に対して此処に跳ぶと思ってましたよ」
「ゲェッ!? 《亡霊》!?」
突如として伸ばされた手によって襟首を掴まれた《魔王》が悲鳴混じりの呻き声を上げる。
粉塵と埃に塗れながらも平然と瓦礫を突き破って現れたのは、今回の喧嘩の序盤にて倒壊前の会議室で天井にめり込んだ筈の魔族領筆頭補佐であった。
超越者たる男の探知・知覚すら潜り抜け、今の今まで瓦礫の中で息を潜めていた黒塗りの鉄仮面マンは、眉庇の奥にある瞳をギラリと光らせる。
表情の伺えない仮面……だが底光りする眼力を前に、長い付き合いである《魔王》は腹心たる部下が静かにキレている事を察し、今度こそ顔を引き攣らせた。
「……嫌っ、離して! 変な事するつもりでしょ! 春本みたいに! 薄い春本みたいに!」
だがこの男、全く自重しない。
気色悪いしなを作って吐き出された戯言に、《亡霊》の兜の内でこめかみに血管が浮かぶ。
返答として彼が行ったのは、無言の顔面殴打。
襟首掴んだ手とは逆の腕が、握られる拉げた盾ごと殺意満点で叩きつけられる。
一級の魔装の鎧だろうがベッコリと陥没させるであろう渾身のシールドスマイトを頬に捻じ込まれ、「ブッ!?」と口内の空気を絞り出しながら《魔王》の頭部が派手に仰け反った。
次の瞬間、物見塔より放たれる魔力の極光。
砲撃の媒体となった弩矢が、焼き溶けながら一条の光となって一直線に飛ぶ。超加圧状態で射ち出された魔力砲はレーザーの如き弾速に相応しい貫通力を発揮した。
「あ"痛ぇ"っ!?」
左肩の付け根を抉り飛ばされ、僧帽筋と鎖骨の一部が消し飛んだ《魔王》が箪笥の角に小指をぶつけた様な表情で悲鳴をあげる。
「シャぁッ! 畳みかけンぞ!」
「りょーかいっ! さぁ、俺のラム酒と同じだけの血をぶち撒けろ頭領ゥゥゥッ!!」
普通に考えれば彼らの頭領のダメージ度合いは重症――下手をすれば致命傷に近いのだが、傷を負った本人も周りにいる奴らも当たり前の様に喧嘩を続行する様だ。寧ろ絶好の好機であるとばかりに《狂槍》達は一気呵成に打ちかかった。
実際、その判断は過剰でも何でもなかったりする。
練度や圧縮率の高い攻性魔力を打ち込まれた場合、本来ならば再生・復元能力を有した種族であっても、それらを阻害されて暫くは止血すら儘ならない。
ましてや今回の撃手である《不死身》は人外級。種族的に最も高い回復力を持つとされる吸血鬼であっても再生は容易では無い……筈だった。
だが《魔王》の左肩は白煙を吹き上げながら傷口が泡立ち、既に肉が盛り上がって抉れた骨も繋がりつつある。奇妙奇天烈を通り越して異常極まる回復速度であった。
ちなみにこの再生力を始めて見知った際の某猟犬は、プラナリアだってもうちょっと慎ましい治り方するやろ!? とドン引きして叫んでいる。然もありなん。
「チッ……楽しくなって来たなオイ!」
小さく舌打ちしつつも言葉通りに何処か楽し気な表情となり、片手で剣を握り直す《魔王》。
先程その顔面に一発良いのを入れる事に成功した《亡霊》は、追撃とばかりに腰の鞘に納めていた肉厚の片刃剣を抜き払い、上司の再生中である左肩に向かって振り下ろしの一撃を捩じり込んだ。
火花と鋼の打ち合う音が上がり、霊具の大剣と魔装の片刃が魔力を迸らせて鎬を削り合う。
片腕が上がらない状態でも危なげなく攻撃を防いだ《魔王》だが、いつもよりちょっと殺意の高い部下に対して若干及び腰になって問いかけた。
「……あの、いつもより当たりがキツくない?」
「えぇ、急遽会議なんて言い出したので嫌な予感はしていましたが……予想の三倍くらい阿呆な発案を聞かされましたからねぇ……!」
鍔迫り合いとなった状態で、フルフェイスの奥から凄まじく冷えた低い声が漏れ出る。
《魔王》が素っ頓狂な思いつきで会議を開くのはいつもの事なのだが、どうも今回は輪を掛けてぶっ飛んだ内容だったらしい。
また、すっかり恒例行事と化した部下達による力づくの説得タイムに対しても何時もと反応が違っていた。
この男からすれば、部下達とのド突き合いも定期的に行う楽しみの一つだ。
なので普段はその場のノリや愉しみを優先にして対応した対応を取る。興を挟み過ぎて結果的に鎮圧されてしまう事もしばしばあるのだが、それすら楽しい『遊び』の内という事なのだろう。行動基準がまんま傍迷惑な悪ガキのそれである。
だというのに、今回は《赤剣》を酔わせない様にしたり、司令塔の《亡霊》、壁役の要である《万器》を真っ先に倒しにかかるなど、鎮圧行為を返り討ちにして意見をゴリ押しする気満々だった。
「別にいいだろ。絶対楽しいからやろうぜ」
「ついこの間、《大豊穣祭》が終わったばかりでしょう! 自重しろって言ってんだよ焼き鳥ィ!」
剣を挟んだまま至近距離であっけらかんとほざく自国の筆頭の言葉に、筆頭補佐が怒りと切実さが複雑に入り混じった咆哮を上げる。
同じ《災禍の席》に所属する幹部達であっても大抵は大人しくなる《亡霊》の一喝にも怯まず、《魔王》は胸を張って応えた。
「だが断る! あとこれに勝ったら色々入用になるので、小遣いのカット率を半額にまでまけてください!」
「勝敗関係なく九割九分九厘カットじゃボケェェェッ!!?」
全額と言わないだけ慈悲はあるのだろう。多分。
怒りに任せて《亡霊》が自身の剣の背を盾でブン殴り、その衝撃で互いの剣が弾かれて距離が一歩拡がる。
そこに差し込まれるは、飛び込んで来た他の《災禍》の絶撃。
瓦礫の山に響き渡った叫びに同調する様に、二人の左右から長槍の刺突とバスタードソードの打ち下ろしが繰り出され、物見塔から通常の射撃に戻った弩矢が撃ち込まれた。
邪神の最上位眷属だろうが「あ、死んだわコレ」と諦めて目を瞑る人外級四人の連携攻撃を前に、しかして世界にただ二人の超越者の片割れは慣れた様子で迎撃の剣を振り上げる。
「馬鹿野郎今回は勝つぞ俺はやるぞマジで野郎オブクラッシャー!」
駄犬経由で知った意味の分かってない気合の掛け声を張り上げつつ、とりあえず動く程度に再生を終えた左腕も使い、しっかりと両手で剣を握り直して《魔王》は吠えたのだった。
ちなみに元ネタ的にその台詞は負けフラグである。
――そして、ニ十分後。
「よっしゃ、小遣い半額、ゲットだぜ!」
フラグをへし折り、天に拳を突き上げる《魔王》の姿があった。
「……死ね……糞が……」
「……なんかもう疲れた、とにかく酒飲みたい……」
瓦礫の上で大の字にひっくり返り、ズタボロになりながらも毒を吐く《狂槍》。
壁に上半身が突き刺さって埋まった状態で足をプラプラさせながらボヤく《赤剣》。
ちなみに城の倒壊・破損率は二割に到達していた。一時間後には修繕の人員が慣れた様子で片付けを始めるだろう。魔族領の嫌過ぎる風物詩であった。
勝利を収めた《魔王》であるが、流石に無傷では無い。着ていた鎧も服も破損し尽くし、上半身裸のその姿は普通の生き物なら満身創痍と言える負傷具合だ。
腹を槍でぶち抜かれ、右肩にはバスタードソードが深々と埋まり、尻と右腿にも弩矢がぶっ刺さったまんまである。
そんな状態でも陽気にヤッホゥ! とか叫んで元気に飛び跳ねる不条理生物を前に、城の壁面に巨大なクレーターを穿ってその中心にめり込んだ《亡霊》がうんざりした声色で呻く。
「……九割九分九厘だと言ってるでしょう……年が明けるまでこのままです。絶対にだ」
「……ちょっと位はカット率下がったりしない?」
「しねぇよボケ」
そもそもこの男、「どうせ九割九分九厘ならぶっ壊しても同じだな!」とかほざいて物見塔を真っ二つにし、《不死身》を生き埋めにしている。
塔ごと一緒に斬られたので当分地力では出てこれないだろう。死に辛さ、壊れ辛さという点では《魔王》に次ぐので、瓦礫の下で休息を兼ねた不貞寝でもしている最中だと思われる。
先刻までの激しい戦闘音が収まり、晴れた空の下で穏やかな空気が戻って来た空間。
そこに無数にある崩れた瓦礫の山の一つが力づくで押し退けられると、崩れた城の一画に大きな笑い声が響き渡った。
「うはははは! いや今回は見事にしてやられたのぅ!」
崩壊した建物から無理矢理に出てきたのは、浅黒い肌に白灰色の短髪と同色の髭を生やした壮年の魔族――《万器》だ。
喧嘩が始まった初っ端に突撃してきた《魔王》のちょっと本気の一撃を喰らい、部屋の壁どころか城壁をぶち抜いて吹き飛んで最初に戦闘不能になったと思われたが……どうやら普通に歩ける程度には余力があるらしい。
袈裟懸けに斬られ、胴に灼け焦げた様な斜め傷が派手に走っている《万器》だが、埃塗れの身体を軽く払うと傷の下手人に負けず劣らずゲラゲラと陽気に大笑する。
「ま、ルールはルールっちゅー事だわな。今回は頭領の思い付きを受け入れる方向でえぇか? 《亡霊》の」
「結果は不本意ではありますが、力で物事を押し通すもまた魔族の流儀の一つ。負けた身で異議を唱える気はありませんよ。腹は立ちますが」
会議で上げたお題は、会議(物理)による成否選択可能。一度勝敗が決まれば覆す事はしない。
問題児だらけの《災禍の席》が行う会議にて、これだけはと定められた数少ないルールだ。規範や秩序を重んじる良識担当の筆頭補佐に、それを覆す気は無い。
クレーターに半ば埋まったまま、溜息を吐き出して不承不承、といった様子で首を縦に振る《亡霊》だが、フルフェイスの兜の奥から覗く瞳が若干恨めし気に三席を睨めつける。
「……《万器》殿が早々に落ちなければ結果は別だったのでしょうがね」
「すまんて。初っ端潰しに掛かられるとはワシも思わなんだ」
「嘘ですね――ぶっちゃけ、頭領の提案をちょっと面白そうだと思っているでしょう?」
断言された言葉に《万器》が「なんのことかのう」なんて言いながら明後日の方向を向く。
やっぱりか、といわんばかりに筆頭補佐は再度溜息をついた。
幹部――ひいては領内でも最古参に近いとされる《万器》は、魔族領が国として成る以前から《魔王》と付き合いがある。
それこそ最初期……今は西部で公爵として吸血鬼達を纏めている《宵闇の君》が、嘗て《災禍》の席次を有していた時期、既に彼女の先任として所属していたという。
傍迷惑な変態不死鳥の思考や行動パターンを、おそらく一番正確に把握しているであろう人物なのだ。全く攻め手を読めなかった、などと言う事がある筈も無い。
百歩譲って《魔王》の行動が予想外であったとしても、《万器》の戦闘技術――特に格上相手の防衛戦に関しては、人外級の中でも更に頭一つ抜けている。
これに関しては戦闘狂の気がある《狂槍》でさえ素直に認めている程だ。例外の極みたる超越者級二名を除けば、その防戦能力は大陸随一の可能性すらあった。
相対するのが超越者そのものであっても、殺す気の無い『お遊び』の一撃で戦闘不能になるのは聊か以上に不自然なのである。
一応はこの時期の忙しさや帝国で大きな祭りが終わったばかりな事を考慮して、何時も通り止める側に廻ったのだろうが……提案が面白そうだと感じた事もあって、やる気は余り無かった、という事だろう。そうした精神面から来る隙を見逃す《魔王》では無い。
「だっはっはっは! 全部お見通しかい! こりゃ参ったわ!」
開き直った様にバシンと自身の頭を叩いて《万器》が再度大笑いする。
「いやな? 帝国じゃ色々と面白そうな事もあったと聞いてな? こんな事ならワシも行っときゃ良かった、とか思っとった処に今回の頭領の思い付きを聞いてなぁ!」
今回は勝ってくれた方が色々と楽しそうだと思った、と、胸を張ってぶっちゃける最古参の《災禍》を前に、壁にめり込んだまま筆頭補佐は三度目の溜息を漏らした。
「それなら最初から素直に頭領に賛成して下さい……貴方が抜けていれば渋々ながら了承する幹部もいたでしょうに」
不本意な結果に変わりはないが、今回の喧嘩が無かった分だけ収支的にはマシな部分もあっただろう。
そう愚痴る《亡霊》に向け、《万器》はあっけらかんと返す。
「まぁ、それでも良かったんだがの。今日は単に喧嘩したい日和だった」
「はっ倒すぞオッサン」
想像以上にアホな答えが返って来た。しかも喧嘩したいとか言っておいて早々にぶっ飛ばされて退場している。
《魔王》がフリーダムに過ぎるせいで隠れがちだが、このオヤジも古くからそれに付き合ってるだけあって相当に自由人だ。それを失念していたのは迂闊だったと内心で悔いる《亡霊》である。
「何はともあれ、これで本決まりだ。そんじゃ、早速このメモに書いてある連中に手紙だそうぜ!」
《災禍》の二席と三席の会話を聞きながら身体中に刺さった剣やら槍やら矢やらを引っこ抜いていた《魔王》が、ズボンのポケットから取り出した紙片を掲げる。自分で書いたらしいソレは、意外にもそれなりに小綺麗な文字で結構な数の人名や地名が書き連ねられていた。
どうやら人名の方は教国と帝国の人間が殆どの様だ。上は教皇や皇帝といった国家元首から、下はいちシスターや一介の騎士や傭兵まで様々である。
「折角《門》を開ける魔道具を数貰ったんだし、有効活用しねぇとな! 期間中、日帰りなら来れる奴らも結構多い筈だろ!」
余程楽しみなのか、夏の終業式を終えた小学生の様なテンションの《魔王》。血で汚れたボロボロな格好の上に虫採り網の代わりに担いでいるのは大剣――だが、鼻歌すら歌い出しそうな上機嫌な表情は子供の浮かべるソレと大差無い。
そんな彼の手にするメモには、今回の"思い付き"の内容が詳細に書き記されているらしい。何気にマメな処もある様だ。
先の喧嘩でややボロっちくなっている紙片の始まり部分は『魔族領南部、冬の避寒旅行計画』と書かれ、赤丸で囲まれていたのだった。
魔族領南部=南国
つまり魔族領編は大体南国バカンス回である。