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霊峰の日々(後編)




 霊峰の裏側、見渡す限りに連なる山脈の合間には、外洋に通じるとされる広大且つ深い湖がある。

 その湖の主な水源となっているのが、霊峰より降り注ぐ瀑布――大滝だ。

 山頂に降り積もる雨雪を莫大な水流に変えたそれは正しく神秘、或いは絶景と称して差し支えない景観なのだが、場所が場所――禁足地の更に背面にあたる部分という事で、人間、獣問わず、この地にやってくる者達にとって眼にする処か存在すら気付かない場合が殆どである、所謂秘境の中における更なる隠しスポットとでもいうべき地点であった。


 その大滝の裏に穿たれた、天然の洞窟。

 翼を持つ鳥か、竜か、はたまた壁を這って自在に移動できる類でも無ければ訪れる事叶わぬ筈の其処へ、"母"を背に乗せた白狼は単純な速力で大滝の落ちる絶壁を駆けるという力業で以て飛び込んだ。

 常に大量の飛沫に打たれて滑りやすくなった壁面をものともせず、だが同時に背中の"母"に加速や体勢の負担がいかぬように注意を払って洞窟の入口へと着地。

 内部に入り、ごうごうと落ちる水音を背後にゆっくりと歩を進めると、直ぐに出迎えがやって来た。

 岩肌から滲み出る様に現れたのは、ゆらゆらと揺れるヒトの形をした液体の塊――高純度の魔力を大量に含んだ水を用いた依り代である。


「あらあらあらまぁまぁまぁまぁ、お久しぶりでございますわ姫様。少し前にやってきた不埒者の件ではお役に立てず真に申し訳ありませんでした。いやですねぇ二百にもならない赤子のような術士に出し抜かれるとはワタクシも歳と言う事でしょうか。ですが考えてみれば白狼殿(坊や)以外の領域持ちは全員雁首揃えてかの者共の存在を察知できずに姫様のもとに通してしまった訳ですからこれは連帯責任として頭を丸めるべきなのかもしれませんわねぇ? ワタクシにそもそも丸める頭もありませんが。あぁまったくそれにしても我が身を含め情けない。岩王殿はあの通りの気質でございますからかくれんぼの得意な相手を見逃すこともあろうというものですが、火竜殿まで気づけなかったのは頂けません。普段あれ程に姫様のお住まいに最も近い領域を守護している事を声高に誇るのであれば真っ先に気付いて然るべきでしょうに。結果的には何かと敵視する白狼殿(坊や)のみが姫様の為に尽力し、霊峰における主級のお役目を全うしたとなれば彼も中々に堪えたのではないでしょうか? どんな顔をしているのか実に見てみたいものですが今回に限ってはワタクシも同罪ですものねぇ、自重しておきましょう」

「……えぇと、はい。久しぶりですね」


 怒涛、と言う表現がしっくりくる言葉の弾幕を浴びせられ、"母"が困った様に眉根を寄せてかろうじて返答した。

 依り代とした水を、薄衣纏った若いヒトの雌の様な姿形へと変え、"母"へと嫋やかな所作(うごき)で一礼した彼女こそ、大滝とその周辺の水場を縄張りとする主級……《貴婦人》を自称する水の精霊である。

 相も変わらず口を開けば長口上――処では無い。立て板に大滝の水をぶち撒けたが如き語り口だった。あの黒いのとは別方向で喧しい。


《貴婦人》によって洞窟の奥へと誘われ、進んだ先にあったのは、少々広がった空間と"母"の屋敷で見た様な家具――卓と椅子であった。

 洞窟内の壁面には、所々に微弱に光る苔が生えており、薄っすらとだが暗いこの場所を照らしている。

 その仄かな光を反射する程に磨き上げられた家具は、見た処全て石作り――おそらくは洞窟の岩盤を削り出した物だった。

 緩やかな曲線と丸みを付けられたそれらは、元が壁面と同質とは思えぬ程に滑らかな作りであるが……圧縮した水を操って白狼ですら噛み砕くのに苦労する鉱石すら容易に両断するこの年寄りにかかれば、大した労力も掛けずに行える手慰みでしかないのだろう。


「お茶を淹れますので少々お待ちを。えぇ直ぐにでもお出し致しますので」


 椅子に腰かけた"母"へとにっこり微笑みかけると、《貴婦人》はこれまた石を削り出したらしき器やらを自身の身体の中より取り出した。

 茶、というもの自体は"母"が口にしているのを何度も目にしているので白狼も知っているが、肉身を持たぬ――ましてや水の精霊である彼女が茶の道具や葉を所持しているのは、正直解せない。飲まないだろ、アンタ。

 ……まぁ、お喋り好きで他者をかまうのが好きなこの精霊の事だ、百年単位で見ても訪れるかも怪しい客人の為に、わざわざ一式を常備して(揃えて)いるのかもしれない。

 葉を入れた器に指を突っ込んで指先から直接沸いた湯を発生させてる《貴婦人》は上機嫌だ。

 久方ぶりの来客に喜んでいるのは確かだろう。それに使う機会の無かった道具が日の目を見た事が嬉しいというのもあるか。


 程なくして、卓の上に二つの茶が置かれる。


白狼殿(坊や)も如何です? 姫様に倣って作ったものですが、中々に出来の良い葉になったと自画自賛している品ですよ? 嗅覚鋭い貴方の種族であっても芳しいものとなる様に淹れてみせましょう。えぇ、時間はありましたので暇に飽かせて練習した甲斐はあったものとだけ。好みはあるでしょうが不味いという結果にだけには為らないと断言出来ますのでどうですか?」


 獣の己が飲む訳が無いだろう、という意志を込めて白狼は鼻を鳴らす。

 そのまま石作りの椅子に座る"母"の傍に寄り添うと、我関せずとばかりに洞窟の床に寝そべって眼を瞑った。

 この年寄りは兎に角、口数が多くて喧しい。

 話す相手が複数いると会話の量を分割するのではなく、人数分だけ倍増させて喋り倒すのだ。真面に相手をしていると頭が痛くなってくるので、"母"の要件が済むまでは無言・無反応に徹するのが白狼の行動としては正解だろう。というか、迂闊に会話に付き合おうものならば日が暮れる。

 他所の縄張り持ちの傍で眠る事など有り得ないのだが、見かけだけなら完全に寝る態勢に入った事で会話する気はないと察したのだろう。

《貴婦人》は「つれないですねぇ」と呟いて、水である筈の依り代に露骨に残念そうな表情を浮かべると、そのまま"母"の向かいの席へと腰を下ろした。


「何はともあれ歓迎いたしますわ姫様。久方ぶりのお客人が貴女様というのは実に素晴らしい事でございます。あぁ、この様な喜ばしい来客があるというのなら甘味――せめて果実の類でも用意しておくべきでした。いっそ水場周りに適した樹の苗を植えるべきでしょうか? しかし姫様の霊峰において自然に任せぬ植樹を行うというのも不敬でございますし、なんなら精霊(ワタクシ)的にも己の種族を鑑みてそれってちょっとどうなのかなーと悩む面もありますので悩ましい処ですね。あ、樹といえば最近大滝のすぐ傍から伸びた樹木の枝に可愛らしい()達が巣をつくったのですが、これがまた愛らしくて少々時間を持て余しているときにはよく観察するようになったのですよ。あまり入れ込むのはよろしくないとは思っているのですが日々の小さな潤いになっているのでちょっとした加護でも分け与えてしまおうかと悩んでいる処ですの。まぁ潤いとはいったもののワタクシ生まれてこの方干からびた事などございませんが。というか乾いたら消滅しますし」


 多い。一息に吐き出される情報(ことば)の量が多い。

 白狼の知る限りでは、"母"が《貴婦人》のもとを訪れるのは数十年ぶりだ。

 互いに長命種の中でも一際長い時間を生きているので、そう長い年数という認識は無い筈なのだが……それでも数十年と言う月日の全てを言語化して雪崩のごとく浴びせかけようとすれば、それは凄まじい量になるという事は分かった。こんなアホらしい実感など体験したくもなかったが。

 大半を聞き流している白狼ですらこの認識なのだ。正面から話し相手として言葉を向けられる上、あまり他者と交流する機会が無い"母"は茶に口を付けた動作のまま固まっていた。

 おそらくは返答を思いつく段階で話題が三転くらいしてるので、言葉を差し挟む機会が掴めずひたすら長台詞でブン殴られるが儘なのだろう。"母"を困らせるな、大滝の水源近くに岩精をけしかけて水浴びさせて流れ塞ぐぞ婆。


 無反応に徹しようと思ったものの、眼を開けてつい小さく唸り声をあげてしまった白狼に気付いた《貴婦人》の口が漸く止まった。


「あらあらまぁまぁ、ワタクシとした事が少々はしゃぎ過ぎた様で。何かしら御用があって訪れたのであろう姫様を前に一方的に話し続けるなど、淑女としても一帯の主級としても汗顔ものの行為でしたわね、大変な失礼を致しました」

「……いえ、私の出不精もあって貴女と顔を合わせるのも久しぶりですからね。積もる話の量が多くなるのも仕方無い事でしょう」


 固まっていた動きを再動させた"母"が茶器を卓の上に戻し、苦笑の滲んだ声色で応じる。ついでに傍らで寝そべる白狼の背に掌を這わせ、そっと撫でてくれた。

 小さな感謝の籠った優しい手つきである。機嫌が急上昇した白狼は小鼻をぴすぴすと膨らませ、再び薄く目を閉じて沈黙の態勢に入った。

 瀑布の如きお喋りが再び始まる前に、早々に本題に入ろうと思ったのか、"母"は懐から文字通り話題の『種』を取り出す。


「今回、貴女……というより、霊峰内の各処を廻っているのはコレが理由です。見た事はありますか?」

「……ブホッ!?」


 卓の上に転がされた淡く発光するソレを見て、《貴婦人》が首を真横にひん曲げて口に含んでいた茶を吹き出した。

 依り代を構成しているのが水なので咽る様な事は無かったようだが、それでもその顔には驚愕が張り付いている。白狼としても初めて見る動揺っぷりだ。


「……本物、でございますねぇ……姫様、コレをどちらで?」

「弟子が持ち込んだものです――なんでも、御本人から直接渡されたので候補地として真っ先にこの地が思い浮かんだと」

「やはりそうですか……あの子、一応は人間ですよねぇ? いやまぁ、邪神(アレ)を単騎で滅ぼすなど、本来ならば姫様か不死鳥殿のみが可能だと言うのにやってのけた様ですし、その時点で大分種族詐欺な子だとは思っておりましたが……」


 おそるおそる、と言った様子で霊峰の水を司る精霊は『種』を指先でつつく。どうやら、どういった代物であるのか知っている様子だ。

 大滝の落ちる先にある湖、延いてはその湖に繋がる海。途切れる事無く水が続く環境の御蔭で、この水精は自身から分けた一部をそれこそ外海にまで送り出す事も出来る。

 霊峰内で唯一、この辺り一帯の地から遠く離れた場所について迄を知る事が可能な存在だ。蓄えた知識量、という点では"母"を除けば間違いなく随一だろう。白狼が知り得ない事も彼女にとって既知であるのは何ら不思議な事ではなかった。


「成程、御用の程は理解しましたが……中々に悩ましいお話ですわねぇ。最低でも大陸中央にある一本目と同等……この地の肥沃さもあって上回る可能性も有りともなれば――ぶっちゃけ、下手に高所に植えれば霊峰の何割かが年中日陰になりませんか?」

「えぇ。育ち切れば樹が放出する聖気によって、陽光の不足を補ってあまりある様になるのでしょうが……それまでに山に棲む者達に我慢を強いるのは私としても本意ではありません」

「麓に近い場所か、峰の先端に近い処に適した場を整える事になりそうですが……姫様の地たるこの霊峰の地形を弄ることも、流石に()()が関わることであれば止む無し、と言った処でございますねぇ……にしても、まさか人の子が手ずから界樹の種を受け渡されるとは……割りと前代未聞な出来事ですこと」


《貴婦人》が両手で丁寧に『種』を抱えて持ち上げると、"母"に恭しく掲げて返す。

 そのついでに溢された台詞に"母"も同感だといわんばかりに微かに笑って頷いたのだが、『種』を手に取ったと同時に続けられた言葉にピタリと動きを止めた。


「あの子、真っ当に輪廻に乗れるのでしょうかね? 死後にかの御方のもとに引っ張られそうな予感がひしひしと感じられますとも」 


 チリッ、と。背中の毛先に火の粉が散った様な感覚を覚えて白狼は眼を開き、顔を上げる。

 一瞬の事であり、既にその気配は幻の様に消え失せていたが……少なからぬ驚きを覚えて彼はその発生源――"母"の横顔を見上げた。

 しかし、当の"母"の方も自身の反応……不機嫌や不愉快、といったものに近い動きを示した感情に当惑を覚えたのか、その龍眼をぱちくりと瞬かせている。

 その反応に対し、《貴婦人》の方は実に分かり易い態度であった。

 水で構成されたその顔に驚きを浮かべ、次に喜色に溢れた楽し気な様子で両の掌を打ち合わせる。


「あら? あらあらあらあらまぁまぁまぁ……姫様がむくれた御顔を見せるなど、いつ以来でしょうか。美しく涼やかな普段の立ち振る舞いも大変に良うございますが、懐かしくも愛らしい表情をお見せになって下さり大変に眼福ですわ。本来ならば不快を誘う失言をお赦し願わなければならぬ処、歓びを覚えてしまうワタクシの不出来をどうかご勘弁下さいまし」

「む、むくれた顔などしてはいません、見間違いでしょう」


 依り代に満面の笑みを浮かべる水精に対し、霊峰の主が少しばかり動揺を堪えた声色で即答する。

 とはいえ、白狼にも"母"の気配が一瞬尖ったものになったのは確りと感知出来た。彼女と向かい合わせで座る《貴婦人》がそれを見逃す筈も無いだろう。


「これまでに取った幾人かのお弟子に比べて、才覚と言う面ではややパッとしないものではありましたが……為した大業を筆頭に、色々な面で随分と風変わりな男子(おのこ)でしたものねぇ。えぇ、手のかかる子程可愛いという情は決して不自然でもおかしな事でもありませんわ。御安心くださいませ、相手がかの御方と言えども、ワタクシは姫様の味方ですとも」

「……だから、違うと言っているでしょうっ、貴女は昔から私の行動や反応について少々大袈裟に捉え過ぎです……!」


 これ以上無い程に嬉しそうな《貴婦人》に対し、"母"は怒ったような、慌てた様な――だが先と違って威を発しない気配のまま、少しばかり語気荒い口調で言い募る。

 卓の上に置かれた茶器を引っ掴むとぐびーっとばかりに一気に残りを飲み干して、息を一つ吐き出し。

 彼女は空になった茶器の底を眺めて呟く。

 それは、自身でも把握しきれていない感情を振り返って形にしている様で。


「私は、ただ……あの子は、あの二人の神子と共にあるべきだと思っただけです。あれ程に確りと魂の縁が繋がっているのですから、今生を終えても彼らは何れ再び廻る輪の中で巡り合うでしょう……そうなって欲しいと――叶うなら、遥か未来にあっても、そうなったあの子達とも出会えたらと、思っただけなのです」


 胸中を吐露するように紡がれた言葉には、様々な感情が込められている様であった。

 感傷、懐古、羨望、慈愛。僅かずつ散りばめられたそれらを、白狼が全て汲み取る事は難しかったが……"母"と古くから付き合いのある《貴婦人》には幾らかなりとも理解が及んだ様だ。

 大量の水がごうごうと落ちる音が微かに反響して届いてくる洞窟の最奥で、饒舌だった水精が口を噤ませた事で初めて沈黙が訪れる。


「そうですか……過ぎた言でした、お許しください」


 再度開かれた口はらしくもなく回転が悪い。

 珍しく神妙な態度となり、口数を減らして頭を下げる水精に"母"も穏やかに応じる。


「いえ、貴女が私の裡を慮るが故だというのは分かっています――お茶のお代わりを貰えますか? 久方ぶりなのですから、今回の用件以外にも少し話をしたい」

「……えぇ、えぇ。姫様がお望みとあらば、ワタクシでよろしければ三日三晩でも語り合わせて頂きますとも」

「それは勘弁して下さい。この後も別の仔の領域を訪れねばならないので」


 穏やかに言葉を交わす両者に含むものやぎこちなさなどは生じておらず、白狼は安心して三度目の正直とばかりに眼を閉じて身を伏せた。

 さて、彼女達が用件以外にも話に興じるとして、果たして何刻で終わるか――何せ、相手が話好きの水精である事に変わりは無い。

 日が暮れる前に洞窟を出る事が出来れば良いが。

 だがまぁ……仮に日を跨いだとしても構わなかった。


 "母"の気配は凪いでいて、その瞳に浮かぶ光は、懐かしい記憶を思い出す様に細められ……けれど、決して悪いものでは無い。

 ならば、白狼的には何も問題は無いのだ。


 そんな事を考えながら、彼は眼を閉じたまま、"母"の声と洞窟に反響する滝音に耳を澄ませるのだった。







 お喋りの時間が思ったよりも早く済んだ為、《貴婦人》に見送られながら洞窟から出発。大滝のある場所より更に高所へと移動を続ける白狼と彼の"母"。

 頂上に程近い無数の大樹聳える地帯に脚を踏み入れると、水の精霊がそうであった様にこの一帯を縄張りとする主級が直ぐ様姿を現した。


 大気が豪と音を立て、空が陰る。

 力強い羽ばたきに打ち据えられた空気が巻き上げられ、木の葉や小枝が高々と舞い散った。


 空より飛来し、地響きを立てて着地したのは巨大な体躯を誇る竜である。

 濃淡のある黒灰色の鱗と甲殻の所々に、炎の如き赤の色合いが差し込む威容。

 自在に天を飛翔する大きな翼と、それに劣らぬ程に発達した両の脚。

 今も大地を掴む爪は大きく、力強く。威圧的な形相にずらりと生える牙もまた、鋭い。

 一振りすれば霊峰の大樹ですら纏めて薙ぎ倒す尾をゆらりと一振りし、主級が一体である火の竜は深々と白狼――正確にはその背に乗る"母"に向け、頭を垂れた。


『お久しぶりです、主よ。変わらぬご壮健を誇るその御姿、間近でお目に掛かれた歓びで胸が満ちる想いです』


 竜種に肉声で言語を発する機能は無い。代わりに届いたのは、表層意思を特定の方向に飛ばす意念の魔法だ。

 随分と流暢――というより大層な麗句が板に付いたものだ、『サル(エサ)言語(鳴き真似)』なぞの為に、竜が使う魔法を弄るなど有り得ない等と嘯いていたのが嘘の様である。

 白狼は皮肉気に考える。ヒトであれば鼻で嗤うに近い表情を作っていた事だろう。


 この火竜は、霊峰の主級の中では新参者だ。

 何やら他所の地――それなりに豊かな霊脈を有する火の山で長年頂点として君臨していたらしいが、白狼としては最近喰った肉で一番臭かったもの並みに興味が無いので、詳細は覚えていない。ついでにいうならその山から離れた理由も同じ理由で知らない。

 知っているのは、このトカゲが身の程知らずにも霊峰の主になろうと企み、手始めとして白狼を始めとした他の主級に喧嘩を売って来たということだけだ。

 確かに火竜は当時から強かった。特に、相性が良いとはいえない己があのまま戦えば、文字通り決死の闘争となったであろう。


 ――が、所詮は其処止まり。己ら主級と互角かそれ以上、程度で"母"に挑み、取って代わろうなどと、思い上がりも甚だしい。


 火竜の放つ吐息(ブレス)や火球によって、霊峰各処が火に包まれたのを見かねた母が直接相対したことで、愚か者の増上慢は一瞬で粉砕された。

 空から偉そうに『この地に新たに君臨する王たる我に、頭を垂れるようであれば配下として生かしてやろう』とか白狼に向けてほざいていたトカゲが、"母"を認識した瞬間に己が全力で頭から地面に突き刺さりにいった光景は、今思い出しても失笑物である。


 その後、分を弁えたのは良いが、結局この駄竜は霊峰に棲みついてしまった。

 あまつさえ"母"に心酔し、『我こそが龍の最も傍において侍る、主の安寧を御守りする爪牙にして炎である』などと寝言を垂れ馴染める始末である。足りてない頭を一生地に埋めていろトカゲ。

 白狼の背より飛び降りた"母"が、頭を垂れた火竜の額を軽く撫でながら頷いて挨拶を返す。


「えぇ、遠目に貴方が霊峰の空を舞う姿は日毎に見ていますが……考えてみれば、こうして言葉を交わすのは間が空きましたね。元気そうで何よりです」

『勿体ない御言葉……我に御用であれば、よろしければ巣までお越しになられますか? この身は空舞う竜ゆえ、《貴婦人》程に小器用な身ではありませぬが……常日頃、最低限主に寛いで頂ける様に場を整えてあります――なに、主をお運びする栄誉を頂けるのであれば瞬きの間に着く事をお約束致しましょう。態々地べたを必死に走る四つ足と違い、移動で主のお時間を浪費する事など有り得ませんとも』


 デカい図体で精一杯に格好つけた動きを表現し、背に乗るなら自分にして欲しい、というみっともない要望を気取った言い回しで包んで吐き出す火竜に、白狼は今度こそ失笑に近い鼻息を漏らした。


『……今の鼻息はなんだ、犬』


 誰がイヌだトカゲ。目まで耄碌したのなら"母"を背に乗せるなどという夢を見ずに、大人しく死ぬ迄巣に籠ってろ。


『前々から思っていたが、貴様の不敬は目に余る。我をトカゲ扱いする不遜も許し難いが……偉大なる主に対して馴れ馴れしいにも程があろう! ただでさえ、幼少に主に拾われ手間をお掛けした時点で傲慢の極み! なんと羨……不敬である事か! 弁えよ!』


 どの口が抜かしているのやら。霊峰にやってきた際にあちこちを火の海に変えた奴の台詞としては、皮肉が利いている処では無い。

 自身の過去の所業は自慢の炎で焼き払って無かった事にでもしたのだろうか? だとすれば、竜というのは中々に面の皮も厚い種らしい。


『ぐ……こ、のっ……貴様といい、あの男といい、犬に類する者は余程焼けて死ぬが好みらしいな……!』


 上等だ。やるか、駄竜。

 互いの喉から威嚇の唸り声があがり、火竜の口元からは炎が漏れ、白狼は牙を剥き出して低く構える。


「……そこまでにしておきなさい。相性が悪い者同士で仲良くしろとまでは言いませんが、貴方達の私闘は少なからず周囲の被害が大きい。流石に見過ごせませんよ」


 が、溜息交じりで額に手を当てて吐かれた"母"の言葉に、両者揃って一瞬で戦意を鎮火させた。

 叱られてしょんぼりと項垂れる主級二体の姿に、こういう処は似ている仔達だ、などと思いつつ苦笑する霊峰の主であるが、その胸中を知れば流石の忠狼と忠竜も、この場限りは揃って否の声を上げる事だろう。

 見事な体躯を誇る狼と竜。その鼻先を交互に撫でると、彼女は懐から『種』を取り出した。本日四回目の動作も、これで最後である。


『むぅっ……これは……!』


 "母"の華奢な掌の上で光る『種』を目の当たりにし、火竜が珍しく瞠目の唸り声を上げるのを白狼も感心した気分で見つめる。《貴婦人》の反応もそうであったが、やはり相当に貴重な代物らしい。


「貴方は知っている様ですね」

『はい……おそらくは、大陸中央の古代種……エルフ共の神木と同種の聖遺物かと』

「その通りです。今回、新たに霊峰の地に二本目が育つ事となりました」

『この地が選ばれるは至極当然。遥か昔に神より微かな祝福を受けた程度の種族が、図に乗って一本目を抱え込んでおるのです。神が作り出した始まりの生命たる"龍"である主の方が、本来所持するに相応しき品である事は明白でしょう』


 身を反らして満悦、と言わんばかりに断言する火竜。チラリと白狼に向けられる視線は、彼の知り得ない知識を語る事への優越感に満ちている。嫌そうに顔を顰め、白狼は眼だけで「こっち視んな」と返しておいた。


『此度、主が我らの領域を巡るのは、この地での遺物を育む場の選定でしょうか?』

「えぇ、そうなります。それと、貴方に関しては樹がある程度育つ迄は、その周辺での狩りを自重してもらう事になるかもしれません」

『道理ですな。如何な神由縁の聖遺物とはいえ、苗木のうちに我が炎を受けてはたちまちに燃え尽きてしまいましょう』


 白狼的には反りの合わない相手ではあるが、火竜もまた霊峰に生きる者。自然の儘に、腹を満たす為に行う狩りを制限するというのは、"母"としても心苦しさを覚えるのだろう。

 少々申し訳なさそうに向けられた彼女の言葉に、莞爾とした笑いの波動を乗せて応える火竜には、不平不満の情は一切見いだせない。

 気に入らない奴ではある。が、"母"に向ける敬意の強さについてだけは白狼も認める処であった。


『相応しき大地の選別は地精めが、育むは《貴婦人》がお役に立ちましょう。我はか弱き苗木が一端の樹々として天に伸び上がるまで、空にて見守るお役目を頂戴したく思います』

「えぇ、皆には手間を取らせますがお願いできますか? 私も定期的に様子を見に行く様、心掛けますので」 


 貴方もそのときは、また背に乗せてくれますか? と背を撫でてくれる"母"に、白狼も力強く頷く。

 途端、火竜の視線が苦々しさと忌々しさが半々のものに変わった。

 いい加減諦めろ駄竜。そもそも、そんな尖りまくった硬そうな鱗と甲殻に覆われた背に、どうやって"母"を乗せる気だ。







 秋晴れの空の下、日も傾き始めた夕暮れの中を、白狼はてくてくと歩く。

 霊峰より見下ろせる眼下が緋色に染まり、斜陽によって照らされる光景はどこまでも雄大で美しい。

 沈みゆく夕日を白狼の背に揺られながら見つめる"母"は、景色に見入っているのか無言であった。

 白狼もまた、無言である。本気で駆ければ二分と掛からずに辿り着く屋敷への道程を、敢えてゆっくりと歩いて進む。


 今日一日、朝から"母"を背に一緒に散歩が出来た。

 最近は顔を合わせていなかった同輩連中とも、久方ぶりに言葉を交わしたのも、まぁ、悪く無かった。

 端的にいうのなら、大満足である。例の『種』の件で再び似たような機会が巡ってくるやも、というのも加味すれば、今日は最高の一日と言っても過言では無いだろう。


 ――だが、それだけにこの一日の終わりが近づく事が、なんとも名残惜しい。


 そんな想いが、白狼の歩の進みを緩めていた。


 なんとも不思議な感覚だ。

 白狼とて長命種たる霊獣の一種。過ぎる年月の体感という点では、他の生物よりは時間感覚が曖昧である。

 ……だというのに、ただ一日。

 残り数刻も無いこの時間が、酷く貴重で変え難いものとして感じてしまうのだ。


 それでも、歩み自体は止める事は無い。

 龍の姫を乗せた真っ白な霊獣は、夕焼け照らす霊峰の路をゆっくりと歩く。


「今日は、良い一日でしたね」


 帰りの路もあと僅かとなった処で、"母"が呟いた。

 喉の奥でちいさく鳴いて同意を示す白狼に微笑みかけて、その首筋を優しく撫でる。


「永き時間を生きる私達に、一日、一日を大切に、精一杯に生きると言う感覚はどうしても馴染みが薄いものです……ですが」


 其処で一旦言葉を切り、彼女は再び沈み往く夕陽に顔を向けた様であった。


「……やはり、良いものですね。忙しく、騒がしく――でも、楽しい時間というものは」


 それは、同意を求めると言うよりは、独白に近いものであったのかもしれない。

 やはり"母"はほんの少しだけ変わったのだと思う。

 それが良い事なのか、白狼には分からない。これは散歩の始まりにも思った事だ。


 ――けれど。


「先ずは、何はなくとも『種』を植える場所の確定から。地精(あの仔)が適した立地を、思い出してくれているとよいのですが」


 以前の"母"より、今の彼女の方が、笑うことが増えた。

 良し悪しは分からずとも、それはきっと、幸せとは呼べる事なのだろう。

 ならば、己の為すべき事は変わらない。"母"の笑みが陰ることの無い様、牙を振るうのみである。


 そんな風に、密かに誓いを新たにしつつも。

 今は名残り惜しい時間の終わりに向け、白狼は首を撫でる暖かな感触を堪能するのであった。










白狼くん


母ちゃん大好き真っ白ワンコ。

降って湧いた一緒のお散歩の時間にウキウキで同道。

ちょっと変わった処もあるけどかーちゃんはかーちゃんなのでやっぱり大好き。これからも全力でガードの役目を果たす所存。

あとは偶に撫でてくれればもう言う事は無い。




岩精霊(元祖)さん


気は優しくてのんびり屋。馬鹿みたいに頑丈で、アホみたいな力持ち。

その気性もあって、我の強い主級の中にあって全員と満遍なく仲が良い。

ただし、行動が大地の精霊独特の時間基準で行われるので超スローペースだったり延々と続けられたりするので、戦闘以外で一緒に何かするのには向かない。

現在、霊峰内における『種』の最適な埋め場所を脳内で検索中。多分ここ千年くらい前の時間から候補地の状態を洗い直してるので結論が出るのは当分先。




《貴婦人》


水の精霊。マシガントークの得意な超若作りの全身水製お婆ちゃん。

お姫様との付き合いの長さは霊峰内で一番長い。よって、未だ本分にて明かされないネタバレ的なあれこれも知っていたりする。

過去に色々とあれど、今の姫様の変化は好ましい。なので、原因となった変な人の子にはもうちょっと頻度高く来て欲しいなーとか思ってる。




火竜さん


霊峰の主級で、単純戦闘力ならば一番高い御仁。

尤も、相性とかもあるので確定で最強という訳でもない。

他所から引っ越して来た名の知れた不良ばりにイキり散らかして霊峰をシメようとしたら、番格として出てきたのが全世界全生物無差別級最強王者だった過去あり。

今では熱心な姫様ファン。白狼君が嫌い。決して羨ましいとか妬ましいとかいう感情からではない、とは当竜の弁。


余談だが、遠話の魔法の亜種である意念による会話魔法を学習し、態々人の言語を覚える切欠となったのは嘗て『猿の親戚で毛の無い分喰いやすい餌』でしかなかった人間が、お姫様の弟子になった上に自分をぶちのめして完勝したから。

彼にとって最も美しい毛並みとはお姫様の紺碧を指すが、それ以降は二番手が淡い金灰となった。




龍のお姫様


相も変わらず霊峰に引き籠っているが、最近唐突にやって来た弟子の持ち込んだ物の御蔭でちょっとだけ活動的になった。

弟子と、彼が守護する姉妹に関して若干特別視している。

それがどの様な感情から来るものなのかは、彼女自身にもはっきりとは分かっていない。

今回、とある緊急の事情で訪れた弟子に協力した。その成果くらいは後で聞きたいなーとか思ってる。




駄犬


なんか用事があったらしく、霊峰に向けて全力ダッシュお邪魔しますを敢行した馬鹿弟子。

何かを師匠に頼んだあと、おまけの様に世界最高クラスの聖遺物を丸投げでパスして慌ただしく帰っていった。

その理由と詳細は次回に語られると思われる。



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