月明かりの下で
男は焦る気持ちを抱え、必死に馬を走らせていた。
「くそっ、一体全体、何がどうなってる……!?」
時刻は夕方。祭りの只中である帝都は半ば不夜の街と化しているとはいえ、ここまで離れれば既にその灯りも遠くにて空を照らすばかりだ。
曇天の空を見上げ、星明りは期待出来ないと判断した男が一度手綱を引き、速度を落とす。
腰に備え付けていたランタンに簡易な魔法で火を入れ、明かりを灯すと再び馬の腹を蹴りつけ、夕闇に包まれた街道の移動を再開する。
休日に祭りを堪能し、朝起きたら職場が壊滅していた。
男の陥っている状況を端的に述べるなら、その一言である。
職場への移動に使っていた《門》が解体され、騎士が検分を行っているのに気付けたのが不幸中の幸いだ。祭りを満喫したは良いが、出勤の時間まで浮かれた気分の儘であれば《門》の周辺に衛兵や騎士が多く配置されている事にも気付かずに近づき、捕縛されていただろう。
職場はお世辞にも真っ当とは言えない――処か、一度存在が明るみになれば討伐・殲滅の為の兵が差し向けられるであろう何処に出しても恥ずかしい、所謂犯罪組織というやつだ。
祭りにかこつけて派手に動いている、程度の情報は上の人間から聞いていたが、十中八九、それが原因で国側に気取られたのだろう。
それにしたって一晩で壊滅は無い。相当な規模であり、多数の《門》を経由せねばならない組織形態である男の職場を、どうやったら一夜で綺麗さっぱり潰せるというのか。
帝都の兵を全軍動員すれば不可能では無いだろうが、祭りにはトラブルの対処の為にいつも通り衛兵や騎士が巡回していた。というか、全軍動員したら先ず祭り自体が一時的にせよ中止になるだろう。
限られた兵力でどうやったのか、殲滅級の大魔法で各拠点を爆撃したとでも言うのだろうか?
未だに信じ難い話だったが、実際に壊滅しているものはどうしようもなかった。他の《門》の設置地点を何カ所か確認したが、近づくだけで明らかに衛兵の数が増えた事から見て、既に制圧済みなのは間違いないだろう。
こうなれば、選択肢など無い。
最低限の荷物だけ搔き集め、帝国領を脱する。
今は、その逃避行の真っ最中であった。
捕まった同僚や部下、上役が構成員の情報についてゲロすれば、直ぐに面は割れる。男の判断は早かった。
組織内においてそれほど重職には就いてなかったが、男はそれなりに古株であり、それなりに腕も立つ。
所属していた者達の御多分に漏れず、後ろ暗い経歴の持ち主ではあったが……捕らえて来た実験材料となる人間の中に見目の良い女がいても特に手を出したりはせず、警備や資材の搬入に関しても問題を起こさずこなしていた為、とある剣士の手によって行われた人員整理という名の粛清からも逃れた人間である。
とはいえ比較的マシ、というだけであって所詮は同じ穴の狢だ。
それなりに長い年数所属した事実と、普段の仕事振りで得た信用を用いて、男は密かに幾つかの研究資料をくすねていた。
勿論、重要度の高い物や最新の物は無理――というかリスクと利益を天秤に掛けて男自身が避けたし、資料自体も廃棄される予定だった物を一部、選んで懐に収めただけである。
それでも目利き自体は悪く無かったのか、男の収集した資料は然るべき場所――他国の研究機関などに持っていけば、結構な枚数の金貨に化けるであろう物だ。
帝都を出る前に兵に荷を調べられる危険性も考慮し、逃げ出す前に宿の暖炉に放り込んでしまおうかとも思ったが、他所の国で裸一貫でやり直すのならば資金は欲しい。結局は身に着けた革鎧の内側に縫い付ける形で持ち出した。
違和感の無いように丁寧に細工したので脱出日は次の日にずれ込んだが、即日に帝都を出ようとした見覚えある顔が数多く都市の城門前で捕まっていたのを見れば、結果的にこの判断は正解だったようだ。
(前職の経験が活きたな……再出発の元手になりそうな物があるのは有難い)
組織に所属する以前、男は違法な物品の運び屋をしていた事もある。
軽く確認しただけでも、帝都に敷かれた警戒網は最大に近いレベルである事が伺えた。
祭りの警備に併せて上手く溶け込ませているのだろう。水路を辿る、都市を覆う壁を越える、といった非正規の手段を試みれば、おそらく何処であっても即座に気取られる。
一見リスクが最大に見えるが、都市の入口前の検問から堂々と出るのが一番マシな選択だ。
過去に得たノウハウも用いて施した偽装は功を奏し、検問が緩くなる、大量の馬車が出入りする時間を狙ってなんとか帝都を脱出したのであった。
他にも休暇や所用で強襲作戦の現場に居合わせる事を免れ、帝都を出ようと試みた組織の関係者はいた様だが……結果はお察しである。
他の者と違って男が完全な単独であり、同時に殆ど荷を持たない遠出とは程遠い格好に見えた点も、脱出成功の一因なのだろう。
既に帝都を照らす灯りは遠く、時間帯もあって街道に人の気配は無い。
獣に襲われるリスクはあるが、素性が割れて都市から追跡の手が伸びる前に街道から外れるべきか。
少し悩んだ末……男は先に小休止を取る事にした。
街道を進むにせよ、逸れるにせよ、帝国領を出るまでは馬も自分も強行軍になるのは確実だ。
近くの木立の下に馬を寄せ、自身も馬から降りて皮の水筒を腰から外し、水を飲む。
大きく息を付くと、そのまま木の根元に腰を下ろし、ランタンを足元に置いた。
身を休め、馬にも水を与えてやりながら、これからの行動を思案する。
(道行きの危険度は上がるが、やはり街道は外れるべきだろう。帝都の方から追手がこなくとも、連絡を受けた関所などから街道を巡回する人員が出るかもしれない)
そこまで考え、では北と南どちらのルートで進むかとすっかり暗くなった周囲を見回して――。
(……待て、静か過ぎないか……?)
人気の無い平原だというのに、周囲に虫の声一つ聞こえない事に気付いて動きを止める。
秋真っ只中の季節だ。旺盛に虫が鳴く時期はとっくに過ぎたが、それにしたって不自然な程に音が無い。
前職の経験もあって、気配には敏感な方である男の知覚であっても小動物の息遣いすら感じ取れないのは違和感があった。
まるで、無数の虫や動物達がこの周囲一帯から一斉に逃げ出したかの様な。
そう、思考すると同時、馬が突如として嘶きを上げてその前脚を持ち上げる。
ひどく興奮――いや、これは怯えているのだろうか? とにかく尋常な様子では無い。尻を蜂に刺されたが如く激しく身を捻り、首を左右に振って鼻息荒く暴れ出す。
「ちょっ……おい、待てっ!?」
男が慌てて立ち上がり、宥めようとするも、木の幹に掛けた手綱を強引に首を振って幹から外した馬は、そのまま勢いよく走りだしてしまう。
一心不乱に駆けてゆく馬の背に手を伸ばすが、届く筈も無い。あっという間にその姿は夜闇に呑まれて見えなくなる。
蹄が土を抉る音が遠ざかっていくのを為す術無く見送り……男は呆然として伸ばした手をダラリと地に向けて下ろした。
と、そのときだ。
秋の曇天、宵の口にしては生ぬるい風が男の頬を撫でる。
季節を感じる様な冷たさは無い筈のその感触に、何故か背筋が粟立ち、鳥肌が立つ。
樹の近くに置いたランタンが風に煽られたのか倒れて転がり、その衝撃で内部に灯った光が消えた。
あっと言う間に降りてくる夜の帳。
男も真っ当な人生、などというものとは縁遠い人間だ。暗闇には慣れていると言ってもよい生き方をしている。
その筈なのだが、どうにも背を撫で上げる不吉な予感に悪寒が止まらない。
まるで暗がりを恐れる小娘の様に、引き攣った悲鳴が喉からせり上がって来るのを必死に噛み殺す。
幸いにして夜目は多少利く方であった。月と星の明かりすら無い中、おそるおそる木の下へと戻ると手探りで倒れたランタンを掴む。
どうにも情けなく震える手で何とかランタンの蓋を開け、魔法で火種を生み出して再び火を灯すと――。
―― や ぁ 。
淡い光源に照らされ、眼前に浮き上がって来たのは夜に染み込む様な漆黒の死神の姿だった。
驚愕と恐怖で喉に栓をされ、「ヒュッ」という笛の音を思わせる間抜けな音だけが男の口から零れ落ちる。
死神に全身を巡る血が浮き出た様な深紅の光が灯ると、その手が伸ばされた。
(あぁ、なん、で、こんな……)
恐怖で強張り、石の様に固まった身体は動かない。
迫る漆黒の腕を前に、虚脱状態にも近い精神で考える。
どうすれば正解だったのだろう。
いっそ、帝都でそのまま自首でもすれば良かったのか。
後悔か嘆きか、今更に過ぎた想いが脳裏を掠めるが、時既に遅し。
抵抗も反応も出来ずに掌で顔面を鷲掴みにされ、男の意識は遠のいていった。
時は少しばかり遡る。
帝都を舞台とした混沌とした大捕り物が終わり、二日目を迎えた日の午後。
「此度は中々に刺激的な"祭り"を体験出来ました。えぇ、鉄火場に立つなどかの大戦以来でしたとも――その上、我が領を含め国の裏に巣を張っていた害虫の駆除も一夜にて決着するとは……いやはや、これも全て陛下の御威光あっての事。その眩きたるや帝国に遍く届かんばかりですなぁ」
「第一声がそれか。絶好調だなお前」
帝国王城、謁見の間にて。
面会を申し出た貴族――シュランタンの開口一番の皮肉に濡れた美辞麗句に、うんざりとした表情を隠しもせずにスヴェリアが玉座の上で頬杖を付く。
「前にも言ったが、お前と話していると疲れる。さっさと本題に入れ」
立て板に皮肉を希釈した水を流し続ける様な言を遮り、要件を話せと告げる皇帝の言葉に伯爵も一旦言葉を切る。
「では陛下の御心の儘に……今日明日中には、帝都を離れ、領地に戻ろうかと考えておりますので、そのご挨拶に」
「ふん。問題は片付いた上に、祭りの視察も済んだようだしな、当然か」
恭しく頭を下げる男の頭頂部をつまらなそうに眺め、頬杖をついた腕とは逆の指先で顎下に蓄えた髭を弄んでいたスヴェリアだが……ややあって小さく嘆息すると僅かに身を乗り出した。
「戻るのは構わんが、明日にしろ。今日は王城内での催しを捻じ込んだ」
軽く手を振って広間に控えた小姓を呼びつけると、指示を受けた者が静かにシュランタンの傍に歩み寄り、銀の盆に乗せた招待状を丁寧に差し出す。
言葉の通り、突貫で用意した物なのだろう。王城――即ち皇帝が主催する催しの招待状としては簡素な其れを手に取り、吟味する様に眺め廻す伯爵。
「ふむ、確かに唐突……察するに、本日行う予定であった闘技大会の穴埋め、といった処でしょうか?」
「貴族共への、という意味ではな。ついでだ、昨夜の件でお前とレーヴェが歩調を合わせた事で、其々の派閥内で騒ぎ出す連中を黙らせる」
「手綱を絞るのは帰宅してからと思うておりましたが、早い内に済むのなら僥倖ですなぁ――承知致しました、臣も今宵の宴に参じる事、この場にて誓いましょう」
胸元に手を当てて慇懃に一礼するシュランタンだが……それに応じる事もなく、皇帝は黙したまま玉座よりその蛇の如き面相を見下ろす。
その視線を受け、貴族派の首魁たる男は再び「ふむ」と呟いて僅かに首を傾げた。
「何か懸念、あるいは疑問がお有りでしょうか? なればなんなりと。臣たる者、陛下に向けて閉ざす口は――」
「何故、使わんのか。それを余が疑問に思う事など、容易に理解できるだろうに」
何時もの調子でその口から流れ出ようとする長台詞を遮って放たれた言葉に、シュランタンの口上がピタリと止まる。
何を、とは今更問う迄も無い。
彼が帝都に訪れた目的でもある、人買い・人攫いを行っていた組織の捕捉、叶うのならば壊滅。
それ自体は二日前の強襲作戦で成った訳だが、首魁がケントゥリオ侯爵――レーヴェの実弟であった事は、政敵であるシュランタンにとって絶好の交渉材料になる筈だ。
ひいてはレーヴェを擁する皇帝の痛点にも成り得る話であり、実際、ケントゥリオ侯爵家に責を問う、或いはその代替として貴族派に有利な条件を突きつけることは容易であった。
だが、日を跨いだにも関わらず、シュランタンがその情報を元に行動を起こした様子は無い。
それ処か配下の者達にも緘口令を敷き、情報自体の公表やそのタイミングなどは王城側に委ねている節があった。
断じて同情や憐憫の類で政治的な判断を鈍らせる様な男では無い。彼を知る多くの者達からすれば、腑に落ちない真似をしているのは確かである。
その疑問を解消すべく、この場にてスヴェリアが問うのは当然の帰結であった。
だが、挙げた疑問の声とは裏腹に帝国の主の顔には嫌そうな表情が張り付いている。
それは、既に答えの見当はついているといわんばかりのものであった。
シュランタンもそれを察したのだろう。蛇と揶揄される何処か爬虫類じみたにんまりとした笑みを浮かべ、これ見よがしに、だが無礼に当たらない程度に肩を竦めて見せた。
「そうですなぁ……帝国の主たる陛下に語るは汗顔ものの話ではありますが、先ずは前提として、私は今の己の立場を中々に気に入っているのですよ」
興味があるのか、単に相槌を返すのも嫌なのか。
無言で続きを促すスヴェリアに対し再び慇懃に一礼すると、三枚舌扱いされる事も多い滑らかな口周りを用いて答え合わせが続けられる。
「単なる外聞としてもそうですが、我が愛する領地を富ませる為に今の天秤は実に都合がよろしい。そうでなくとも、これ以上に均衡が傾いた状況は聊か以上に風情に欠けるというものです」
均衡。そう、均衡だ。
人類種最大国家という看板に揺ぎ無く、不足無く、帝国が大戦を乗り越えたのはスヴェリア=ヴィアード=アーセナルという傑物があってこそ、というのは誰であっても理解している。
その傑物たる皇帝が繫栄させる国において、彼にあっさりと潰されない程度には影響力を持ち、何よりも自領を最優先出来る。
謂わば敵対的中立に近い関係を維持できる今の自身の立ち位置は、名と実利、両方共に実にシュランタンにとって好ましい。
「薬も過ぎれば毒となるもの。ましてや、此度の一件の情報は劇薬に等しい。天秤に配する錘を弄ることに夢中になる余り、それら全てを乗せる台座自体に劇薬を溢して痛めるなど、愚の骨頂というものでしょう」
徒にティグルの件を突き、ケントゥリオ侯爵家自体に大きな傷を与えれば現状の帝国の屋台骨自体が不安定に為りかねない。
人類最大国家における指折りの名家、皇帝の政敵たる大派閥の首魁。
その肩書を好み、その立ち位置を以て自身の領地を存分に富ませて来たシュランタンにとって、帝国の持つ国家としての『格』が落ちかねない今回の一件は、公にするよりは寧ろ封じてしまいたい類の話題という事だ。
存念語り終えた伯爵を前に、皇帝は顔を顰めて鼻を鳴らす。
「ふん、やはり行き付く先は自領か。つくづく変わらんな貴様は」
「自身の領地を護るに手一杯故の、臣の浅はかなる小知恵でございます。何卒陛下には赦意を御恵み頂きたく……」
三度目となる慇懃な礼。
深々と頭を下げたシュランタンは、そのまま首だけを上げてにんまりとした笑みの儘、思い出した様に付け足した。
「我が身とは水と油の関係にあるかの獅子に関わる醜聞――それに眼耳を塞いだ事が陛下の一助となるならば、是非も在りますまい。ですが、そうですなぁ……我が領の前任者と引継ぎ当初から親交があった事、どうか御目溢し頂けるのなら望外の喜びにございます」
ちゃっかり前任者――スターディン辺境伯の一族を先帝時代から援助し、取り込んだ上にそれを秘していた事を不問にしろと要求してくる。
以前、スヴェリアが正式にスターディンの捜索を行い、復権保障までして呼びかけた事を知っている上でこの発言である。
肝も神経も図太い蛇の要求に、中指おっ立てて「くたばれ爬虫類が」とか言えたら気分良いだろーなー、なんて思いつつ、苦々しさをたっぷりと湛えた顔で皇帝は首を縦に振った。
その程度の便宜で済むなら安いものだ。シュランタン独自の価値基準が多分にあるとはいえ、貴族派からケントゥリオ侯爵家への突き上げが無いと保障された事が有難いのは確かなのだから。認めるのは実に業腹だが。すました作り笑いが最高にムカつくが。
舌戦、という程のものでは無いが、少なくともこの場においてのやり取りでは一枚上手を行かれたスヴェリアは、口内に溢れ返って零れ落ちそうな苦虫を吐き出す様な心地で愚痴る。
「……嘗ての若気の至りとはいえ、お前を一度でもレーヴェの隣に置こうとした事は余の人生最大の黒歴史だ」
「昔も同じ答えをお返し致しましたが、領地より離れた職場など御免被りたいものですなぁ。とはいえ、陛下御自ら宰相の位に臣を推して下さった事、生涯の誇りでございますとも」
「忘れろって言ってんだよ、分かれよ」
皮肉とツッコミだらけの言葉の応酬は、止まる気配を見せない。
謁見の間に控えた兵や小姓、文官の胃に地味にダメージを蓄積させる際どい会話は、もう暫くの間続きそうであった。
◆◆◆
やべぇ、遅刻した(白目
今日は陛下主催の王城の方で開催されるイベントがあったんだが……ふっつーに遅れちゃったよ、どうしよう。
いや、一応シア達には若干遅れるかもしれん、とは告げておいたんだけど正直に言えばあいつらが王城入りする直前位には合流できるだろう、と高を括っていたのだ。
俺はこの二日間、襲撃を行った当日に偶々帝都で休暇や休日だったらしき人攫い共の残党をとっ捕まえる手伝いをしていた。
と言っても、正式に連携したり協力を申し出た訳じゃ無い。一匹たりとも逃がさんとばかりに都市の各所で網を張っている兵隊さん達を、それでもすり抜けて帝都から脱してのけた連中に狙いを定めてたのよ。
ゆーても、国のデカさに負けない位には優秀な帝国の兵――しかも首都の精鋭兵だ。警戒網のレベルの高さは伊達ではなく、ほぼ全ての残りカス共を捕縛する事に成功していた。
俺が手を出したのなんてこの二日で一人だけだった。なので、夕方近くになってそろそろ約束の時間に近いし、切り上げよーかなーなんて思ってたのだ。
ところがぎっちょん、その後直ぐに二人目――厳重化した帝都の検問を抜けて脱走した、件の組織の構成員らしき人物を発見。
確信が抱けるまでこっそり追跡し、人気の無い処で片付けたは良いが時刻は既に夜。既に催しは始まっている時間だった。
「あんまり遅くなる様なら、お前が会場入りするときに盛大に名乗り上げてくれるように案内の人にお願いしとくからな」
そんな風に悪戯っぽく笑ったシアに、はいよー、了解。とか軽く返して屋敷を出た朝の自分が恨めしい……!
俺が注目集めるのは嫌なのはアイツもよく分かってるので、本当に実行する可能性は低そうなのだが……ウチの聖女様は偶にちょっと悪ノリした悪戯を仕掛けてくる事もあるんですよねぇ! 主に俺限定で!
リアも居るし、止めてくれると思いたいが……王城で開くイベントなんて貴族だのガチの豪商だのしかいない場所で、声もデカデカと「《聖女の猟犬》のおなーりぃー」とかされてみろ、俺はその場で回れ右して逃げ出す自信しかないぞ(断言
二人には顔を出すって約束してるし、ブッチする選択肢はハナから無い。
が、遅刻した後ろめたさと、仕掛けられているかもしれない恐ろしい羞恥の罠に足踏みして王城前でうろうろする俺。衛兵から見たら職質待ったなしの不審人物ですね分かります。
で、そろそろ本当に衛兵さんに声を掛けられるかもしれんと思っていた処、先に俺を見つけて声を掛けてきた人物がいた。
「あれー? わんこ君じゃん。こんなトコで何してんの? 舞踏会出るなら城に入ればいーじゃん」
「あら本当……どうかなさったんですか先輩?」
ありゃ、隊長ちゃんにダハルさんことシャマダハル嬢やんけ。背を丸めてうんうん唸っていたので気付かんかった。
王城から出てきたらしき《刃衆》の二人。その後ろには彼女達の同僚である魔法剣士のローガスの姿も見える。
もう日も落ちたのに見回りか。分類的には騎士の中でも特上のエリートだろうに、大変だねぇ。
「今夜の王城の催しはアンナちゃんが参加必須ですからね。私は彼女の代理として見回りの班に加わった形です」
「あたしも参加したかったなー。まー、ふくちょー以外は基本不参加なんでしょーがないし……で、わんこ君はなんで此処にいんのさ?」
いやまぁ……一応は俺も顔出す予定だったんですけどね? ちょーっとだけ遅刻しちゃいまして。
片手を挙げて軽く挨拶してくるニコチン中毒者なローガスに同じく片手を挙げて返すと、不思議そうにしているお嬢さん方二人にちょっと情けない現状を説明してみる。
頭を掻いて目を逸らす俺を見て隊長ちゃんとローガスは苦笑し、ダハルさんはケラケラと声を上げて笑った。
「お前さんらしいっちゃらしいが……此処で悩んでいても時間が過ぎるばかりだろうに」
「相変わらず仕事中とそうでないときのギャップが酷くてちょー受けるんですけど」
くぅ……分かっとる。分かっとるがな。ここで時間潰しててもただの浪費だし、覚悟を決めてそろそろ行こうと思ってた処ですよ畜生。
一方、部下二人と俺の会話を何やら思案顔で聞いていた隊長ちゃんだったが、やがて何かを思いついた様子でポン、と掌を打ち合わせた。
「それでしたら、いっそ入口以外から会場に入ってしまうのはどうでしょう? 場所は中階の大広間です、先輩なら中庭を見渡せるバルコニー部分に跳んでそこから広間に入れると思うんですが」
え、それってオッケーなの? 後で怒られたりしない?
「大丈夫ですよ、私が話を通しておきますので」
おぉ、頼もしい発言。流石は《刃衆》の隊長殿だ。
いやマジで助かるわ……じゃぁ、お願いしてもいいかな?
「はいっ、では少しだけ待ってもらえますか?」
笑顔の隊長ちゃんの言葉に頷くと、次の瞬間、彼女はトンッという軽く地を蹴る音と共にその場から消えた。
分かってたけど超はやーい。戦闘モードじゃなくてもこれかぁ。
二年前の時点で大概だったが、今ではもう素の状態だと距離があっても視認するのすら難しくなっとる(白目
「たいちょーったらわんこ君にちょーあまーい。普段はこの手の横紙破りは滅多にしないのにねー」
「言ってやるなよシャマ。実際入る場所を変えるだけだし、大した話でもないだろ。陛下は寧ろ面白がって許可しそうだしな」
「それに関しては同意するし」
ローガスとシャマ嬢の会話を聞く限り、やっぱりちょっと特別扱いになる話らしい。有難いやら申し訳ないやら。
ふーむ……後で何か礼でもするかねぇ。
「そうしてやってくれ。隊長殿も二日前の大捕り物からロクに休めてないからな。祭りが終わる前に、もう一度くらいは休みを取って貰いたいが……」
「てか、折角わんこ君いるんだし、たいちょーも舞踏会に参加すれば良かったのにねー。例の一件も片付いたし、ただの見回りならあたしちゃんとおじさんで充分っしょ」
ちょっと待ちなされダハルさんや。さっきも聞こえたが……舞踏会ってなんぞ?
俺の記憶が確かなら、今夜の催しは副官ちゃんの闘技大会優勝のお祝いも兼ねた、お貴族様相手の催しとしてはそこそこにカジュアルな立食パーティーだった筈だ。
首を捻って問いかけた疑問は、逆に「いや、新しい招待状届いてね? ちゃんとそっちは読んだ?」と返されてしまう。
すいません、この二日間殆ど屋敷に居なかったんで、内容が更新された新たな招待状の存在すら知りませんでした。
俺の言葉を受け、装いこそ騎士のソレだが見た目まんまギャル系のお嬢さんが、肩を竦めて大雑把に説明してくれる。
「ほら、今日やる予定だった決勝戦。対戦相手がアレだったからふくちょーの不戦勝で、催しとしては消化不良だったっしょ?」
あー……成程ね、そういう……。
今日、闘技大会の決勝戦を観戦する筈だった観客はものの見事に肩透かしを食った形だ。
後日に一般の観客に対しても席料の払い戻しなんかを行うのだろうが、試合を楽しみにしていた人達の中でも貴族やお偉いさんの立場にある面子に対しては、今夜のパーティーの格式を上げる事で一先ずの詫びにするのだろう。
ぶっちゃけ、一番の人気や収益が見込めそうだった闘技大会が最後の最後でポシャったんで、ついたケチをある程度清算する意味合いもあるんだろうね。
思ってたより堅苦しそうな宴になりそうではあるが、基本、シアリアにくっついて飯食ってるだけの俺にはそこまで大幅な行動の変化はないと思われる。そもそも貴族絡みのイベントに興味の薄いウチの聖女様方が出席したのも、副官ちゃんのお祝いだからってのと陛下の顔を立てて、っつーだけだし。
大変なのは副官ちゃんやろなぁ……。
一番の候補だったとはいえ、優勝前提で祝勝の催しの予定まで組まれてた重圧は胃に悪そうだ。
それに見事応えたのは流石だし、舞踏会に内容変更されたとはいえ、彼女も変わらず主賓の一人と言っても良いのだろうが……半端な形で優勝が転がり込んできたのを喜ぶ様な娘じゃないし、気分的には複雑だろう。
その辺を堪えて主賓として振舞わなくてはいけないというのは、中々にしんどそう。会場入りしたら様子は早く確認したい処よね。
本日の城内でのイベントに変更があった理由にも納得が行った。
変更理由を考えると参加者の数は増えてそうだが……どのみち皇帝陛下主催なのは変わらんし、シアとリアに変なちょっかい掛ける奴もおらんやろ。っていうかやったら陛下の顔面に泥団子を渾身のスローイングシュート決めるも同然だ。その程度の事も分かんない奴はそもそも弾いてるだろうし。
俺がアホ面でほへーと頷いていると、ダハルさんがなんだかちょっと悪戯っ気というか意地悪気というか、そんな表情になって口元に手をあてて笑う。
「わんこ君、この手のイベント嫌そうだから来ないと思ってたけど……いやー、出るなら面白い事になりそう。やっぱあたしも参加したかったー」
えぇ……まだ何かあるんですか。ちょっと面倒な要素大杉問題。
こちらがちょっと食傷気味の顔になったのに気付いたんだろう。彼女は「ちがうちがう」と口元に添えた手を横に振って俺の不安を否定する。
「むしろその逆、みたいな? でもきっと見たら驚くし。なんせ――」
内緒話をするみたいに耳打ちしてくるダハルさんに、俺もふむふむと首肯しながら顔を近付けると、その瞬間に隊長ちゃんがシュバッと残像の尾を引いて戻って来た。
「お待たせしました先輩! ……内緒話ですか?」
こそこそ話の体勢だった俺達を見て、彼女は小首を傾げる。
それを見たダハルさんがちょっと考える様な仕草を見せると「やっぱやーめたっ」なんつってパッと俺から距離を取った。
「考えてみたらこーゆーのは黙ってた方が面白そうだし。ネタバレ厳禁ってやつっしょ。ね?」
最後の問いかけは隊長ちゃんに向けたものだ。
彼女もダハルさんが言わんとしていた事を把握しているのか、ちょっと苦笑しながら首を縦に振り、同意を示す。
寸止めっすかー、逆に気になるんですけど。
とはいえ、行けば分かる話だ。折角隊長ちゃんが裏口入場的な段取りを付けてくれた事だし、ありがたく向かうとするかね。
「そうしとけ。俺達も巡回に出ないといけないしな――会場で副長に会ったら優勝おめ……いや、お疲れ様ですと伝えといてくれ」
ローガスが煙草を取り出して咥えながら言う言葉に頷いて返し、互いに軽く手を振り合って俺は三人と別れる。
ありがとなー、特に隊長ちゃん。後でお礼するってばよ。
そのまま城の門前に向かった。
話は通っているのか、門番の人から「では、中庭にお通りください」と言われる。うむ、では失礼します。
《大豊穣祭》開催前の準備期間中に王城内部を見学させてもらったので、中庭への行き方は把握してる。
特に迷ったりという事もなく辿り着くと、わざわざ中庭前にも人を配置してくれたらしくて文官の人から手招きされた。
「猟犬殿、こちらです」
陽も落ちて静かな、だけど相変わらず見事な造形の緑の園を連れ立って進むと彼は中庭の真ん中から見える、上階から大きくせり出たバルコニー部分を指さした。
「あそこが舞踏会の行われている大広間です。静かに入りたいのならば、先ずは近くの樹木を昇って其処から伝って入ると宜しいかと」
うっす、了解です。いやごめんなさいね? こんなしょーもない悪戯じみた入り方の手伝いとか。
「いえ、二日前の一件にて、猟犬殿を筆頭に教国の方々には帝都の洗浄に大変寄与して頂きましたからね。この程度の融通は些細な事です」
食事も王城の妙を凝らした物が出ているので、お楽しみ下さい。と笑って言うと、文官さんは一礼して来た道を戻ってゆく。
いや、ただ会場入りするだけだってのに、色んな人に助けられてるな俺。なんやこれ(呆れ
我が事ながらアホやってんなーとか思わなくも無いが……まぁ、ここまで来て言ってもしゃーない、行くか。
パーチーに参加って事で、前に隊長ちゃんと行った工房で買ったスーツで来てるし……会場入る前から汚したらあかんな、気を付けんと。
軽く魔力で身体強化し、服に木屑が付かない様に注意しながらバルコニー近くの樹に飛びついて登る。
子供の頃の話ではあるが木登りは得意な方だった。スルスルっとてっぺん近くまで労せず登り切ると、位置的にちょっと見下ろす形になったバルコニーを観察する。
人が居ないならそのまま飛び移ってしまおうと思ったんだが……間の悪い事に、丁度誰かが会場となった広間からバルコニーへと出てきたところだった。
あらら、タイミングが悪かった……貴族の御令嬢かな。ちょっと外の空気でも吸いに来た感じだろうか?
肩の出たデザインの淡い青のドレスを着たお嬢さんは、なんだか疲れた様子でバルコニーの手摺へと体重を預けて深々と嘆息している。
舞踏会に気疲れするとかなんとも御令嬢らしくないが、ちょっと親近感が湧くね。
息を殺しつつ、樹の上から木の葉による帳に隠れる形で彼女の様子を伺うも、直ぐ中に戻る感じではなさそうだ。どうしたもんか。
ふと、手摺に半ば突っ伏す様にして俯いていた御令嬢が顔を上げる。
曇天だった筈の夜空はいつの間にか雲の量を減らし、差し込む月明かりに照らされて綺麗な銀髪とそれを飾る青い宝石で飾られた髪留めが視界に入った。
――正直に言おう。
滅茶苦茶驚いた。もし鏡を見たら、今の俺は間違いなく全力でアホ面である。
貴族の御令嬢かと思った淑女は、よく知ってる娘だったのだ。
ドレス姿に加えて普段と違って薄く化粧でもしてるのか、常の快活さは鳴りを潜め、月光に照らされる様は御伽噺に出てきそうな妖精を思わせる。
いつもサイドテールにしてる髪もストレートに下ろされ、なんというかグッと大人っぽい雰囲気だ。
樹の上でかくれんぼ状態の俺に気付いたのか、真っ直ぐにこっちを見上げた碧眼が僅かに警戒する様に細められ――一秒後にそのまま半眼になって、その視線が呆れ一色に染まった。
「……何やってんのよアンタは」
あー……いや、まぁ。色々と経緯がありまして。
目付きだけでなく、表情と声まで完全に馬鹿を見るときのソレで見つめて来る彼女――副官ちゃんに向け、俺は頭を掻いてきまり悪く答えたのだった。
樹上の不審者を見る目とただの馬鹿を見る目を合体させた様な視線に耐え切れず、俺はそそくさとバルコニーの上に降り立つ。
半眼のままな副官ちゃんは、腕を組んで少し高い位置にある俺の顔を見上げて来た。へへ、すいません……正座した方がいいでしょうか(糞雑魚感
「……一応聞いておくけど、無許可で忍び込んだ訳じゃないでしょうね?」
あ、それは大丈夫です。招待状は前のバージョンのだけど持ってるし、ここから入るのもちゃんと許可を得てますハイ。
「他の参加者に見られたら賊と間違えられて捕縛待った無しじゃない。ったく、陛下の稚気にも困ったモンね」
発案は隊長ちゃんなんやで?
「なら問題無いわ。胸を張って堂々と入りなさい」
変わり身の速さァ! 相変わらずのミヤコニウム中毒者っぷりやでぇ……。
格好のせいか、一見すると儚げですらある雰囲気なのだが、口を開けばいつもの副官ちゃんでちょっと安心した。いや、正直めちゃめちゃ似合ってるし、綺麗だと思うけど。
「だからそう言うのは……」
何やら言い掛けた副官ちゃんだったが、何故かちょっと口をモゴモゴさせて言い淀んだ。
「ハァ……まぁ、いいわ」
疲れた様に溜息を吐かれてしまった。解せぬ。
しっかし、大分お疲れやね。やっぱりそのドレス姿が原因?
俺の問いに、彼女は更に盛大な嘆息を漏らして気怠そうに下ろした髪をかき上げる。
「まぁねぇ……何時もの装備で良いって話だったのに、舞踏会になった催しで主賓がそれじゃカッコ付かないだろう、って陛下のお達しでね」
副官ちゃん的には出来れば固辞したかったらしいが、決勝が不戦勝になって武威を示すにも画竜点睛を欠いた状態なので、それを埋め合わせる為に見目のインパクトも盛る為、と言われてしまったらしい。
ダハルさんや隊長ちゃんを始め、部隊内の同性の同僚達にも折角だからお洒落してみろと言われたのもあってなし崩しに、といった流れみたいだ。
「決勝無しで優勝した事に、貴族派の参加者から嫌味を言われないのは良かったけど……代わりに踊ってくれだの息子を紹介したいだの……勘弁して欲しいわ」
着慣れないドレス姿で飯も喉を通らない、と愚痴るその表情には、割と本気の疲労が滲んでいる。
彼女からすれば、実際の処は優勝処か決勝で戦う筈だった相手と一戦交えて倒された上、身柄をかっ攫われたのだ。
性格的にも優勝者でござい、と胸を張れるもんではないんだろう。そういう処は生真面目な娘だ。
元はと言えば自分が不覚をとったせいだとか考えて、忸怩たる思いを抱いているのは予想が付いた。
ローガスが言っていた言葉の意味がしみじみ理解出来た。そらしんどくもなるわ、お疲れさんですマジで。
「……ま、正直気疲れするのは眼に見えてたからね。レティシア達を巻き込んでやったのは我ながら良い仕事したわ」
むむ? と、言うと?
気分を切り替える様に肩を竦めた副官ちゃんは、肩に掛かった髪をふぁっさーとこれ見よがしに再びかき上げ、ちょっとドヤ顔になった。
「ふっ、死なば諸共の精神ってやつよ――ゲストの聖女様二人にもドレスを着せてやったっての」
なん……だと……!?
驚愕のあまり劇画調になってそうな俺の顔を見て、彼女は実に悪い笑顔でニヤリと笑う。
「やー、流石は救世の聖女姉妹。あの二人が登場した瞬間に一気に会場中の視線を掻っ攫っていったわ。御蔭でこうして一息つけてるって訳」
そらそうやろ。元の知名度と人気もさることながら、アイツらが公式の場でドレス着用とか何気に初めてじゃね? ……アンナさんマジパねぇ。グッジョブ!
やんややんや、ってなモンで、「くるしゅうない、もっと褒めなさい」とかノってくる副官ちゃんにヒューヒューと口笛を吹いて小声で喝采を送る。
よっしゃ、こうしちゃいられねぇ。早速俺もシアとリアのドレス姿を拝みにいくぜ!
ウキウキ気分でスキップしながらバルコニーの扉へと手を伸ばした俺の背に、さり気ない感じで声が掛かった。
「あ、ちなみにあの二人を説得する為に『アイツが来たらドレスの見物料代わりに、何曲でもダンスに付き合わせてやれば良い』って言ったから。頑張って聖女様のパートナー役を務めてね」
なん……だと……(二度目
再び驚愕してギクシャクと振り返ると、さっきより更に意地の悪い笑顔になった銀髪の美少女の御姿があった。
お、俺まで巻き添えにするとか酷いぞ! 鬼! 悪魔! アンナさんマジアンナさん!
「随分な言い様ねぇ。ならあの娘達のおめかし姿を見るのを諦めて、ここに引っ込んでるって?」
ぐぉぉ……なんつータチの悪い二択を強いてくるんじゃこのお嬢さん……!
折角のあいつらのドレス姿、見たいか見たくないかでいったらそら見たい。割とガチで見たい。
あと自分でもちょっとキモいとは思うのだが、ロクに交流も無かった貴族だの商人だの何処ぞのお偉いさんだのが今もシア達のドレス姿を見てるのに、俺が見れないというのはなんかモニョる。
だがっ、俺にっ、舞踏会のダンスは難易度が高い、高すぎるっ……!
俺の実際の踊りの経験値なんぞ元の世界の文化祭でやったフォークダンスが精々だぞ、どうしろっつーねん。
単純に自信が無い、躍るのが嫌だ、というのもあるが……ダンス中にドレスの裾を踏んづけてあの二人に赤っ恥をかかせる可能性だってあるのだ。躊躇するなって方が無理やろ。
実の処、大戦時代に「聖女の御付きとして各国を廻るのだから」という周囲の声もあって、簡単なステップとかだけは聖殿でちょっと勉強した事がある。
けど、マジで最低限な上に結局は一度も使用する機会の無かった知識だ。錆びつく処か錆の塊になってるよ、錆落とししたら何も残らねーよ。無だよ。
八方塞がりな状況、頭を抱えてう〇こ座りでしゃがみ込んだ俺の頭頂に、呆れた様な声が掛かる。
「……本っ当にダンスの知識すらおぼつかないんだね……レティシア達は経験ほぼ無いけど覚えてるステップはあるって言ってたけど」
死体蹴りはヤメロォ!? 誰にでも向き不向きはあるだルルォ!?
得意な事は特に無いけど苦手な事はいっぱいあるぞ俺は! 女の子と躍るダンスなんてモンはその最たるものなんだよ! 非モテの童貞なめんな!(キレ気味
「力強く情けない事を断言するなっての――まぁ、焚き付けた私にも責任はある、か」
しゃがんだ体勢のまま見上げると、副官ちゃんは広間の様子をガラス張りになってる部分から確認した処だった。
「次の曲が始まるまで少しは時間がありそうね……よしっ」
立ちなさい、と声を掛けられてしょぼくれた顔で渋々と立ち上がった俺に、彼女はさっきまでの悪戯顔ではない、普通の微笑みを浮かべて手を差し出す。
「ここで練習するよ。一番簡単なのだけ突貫で覚えなさい。この際付け焼刃でもいいから基礎のステップだけでも覚えれば、一曲くらいはあの娘達と踊れる筈よ」
出した結論がスパルタすぎるんですけどこの娘。
バルコニーの広さは十分だけど、音楽も無し、精々20分も無いであろう時間で俺にダンスが覚えられるのか(白目
「多少もたついた足取りでも初心者って事で大目に見て貰える。要は開き直って楽しむのが大事、ってね。というか陛下が直接招待した賓客を笑う命知らずは居ないから」
むぅ、そっか……ならちょっと悪足掻きしてみますか。
自信は相変わらず無いが、それでも、俺がなんとかやる気になったのを察して副官ちゃんが一つ頷く。
そうして、軽く咳払いするとちょっと澄ました感じのお言葉と共に手の甲を向けて来た。
「よし……コホン――それでは、私と踊って頂けますか、騎士様」
――騎士、って程立派な身の上でもないですが、喜んで。
手を取り、うろ覚えにも程がある動作でぎこちなく腰を曲げて一礼する。
変な自虐は入れないの、なんて言って友人が笑い。何だか照れ臭くて俺も笑い。
人の気配も、煌びやかな照明も、音楽もない、月明かりだけが降り注ぐバルコニーの下で、静かに二人のダンス――の、練習は始まった。
手を取り、息を合わせ、ゆっくりとステップを踏む。
一番簡単なの、と副官ちゃんが言った様に、実際、覚える量だけでいえば簡単に暗記出来るものではあった。
あくまで基礎的な動きのみ、応用やアップテンポ無し、って前提だけどね。一夜漬けですらない一刻漬けでは俺にはこれが限界です(白目
「はいそこ、ゆっくりでいいから合わせる――レティシアやアリア様はアンタと私より身長差があるんだから、一歩の歩幅をもう少し狭くしなさい」
うっす、アンナ先生。こんな感じでしょうか?
「よろしい、それじゃこのまま。そう、ワン、ツー……」
ゆったりと、単調ではあるが真剣な時間が過ぎてゆく。
躍るにしても三、四分程度で済む曲を予定しているため、緩やかなステップを反復で繰り返して少しでも身体に慣れさせる。
三巡目くらいに入った辺り、カチコチだった俺の動きが気持ち半解けくらいになった処で、踊りの練習なので自然と身を寄せ合う形になっている副官ちゃんがポツリと呟いた。
「……ありがとね」
唐突な礼の言葉に、慣れぬダンスに四苦八苦しながらも俺は面食らう。
どしたん? 礼を言うべきは、今まさに練習に付き合ってもらってるこっちの方だと思うんですけど。
「色々よ、色々。今回の件ではアンタに借りが出来たわ――特に、アンタが居なかったらあの娘は助からなかった」
そっか……確かファルシオン、だっけ?
容態は《銘名》切って精度を爆上げした《三曜》で安定させたけど、それまでの出血量が既に結構な危険域だった筈だ。
その後どうなったのか、聞いても?
「一命は取り留めた。けど、やっぱり重症だからね。治療と並行して調書を取ってる最中よ」
それこそシアかリアに頼めば完治に時間は掛からないのかもしれない。
それを副官ちゃんが言い出さないのは――やはり彼女、ファルシオンと呼ばれていた少女が、完全な被害者とは言い難い立ち位置だからだろう。
副官ちゃん個人があの娘に危険は無い、と判断していても、対外的には例の組織に積極的に検体として協力していた人物だ。
《刃衆》の副隊長が傷だらけになって鎮圧した相手だというのも警戒感を煽るのに一役買っている。
下手に完治させて逃亡されたら捕縛は容易では無い、という意見が多方から上がるのは仕方ない話なんだろう。
幸い、副官ちゃんが立ち会った聞き取りによれば、ファルシオンは極めて素直……協力的な態度で取り調べに応じているらしい。負傷の具合がまだまだ酷いので少しずつ、という段階みたいだが。
全くの無罪や執行猶予あり、とは行かないだろう。なんぜ所属していた組織が第一級の犯罪組織として認定されている。
とはいえ情状酌量の余地はあるみたいだし、罪を裁かれるにしてもそこまで重いお勤めにはならないんじゃなかろうか。
何にせよ、彼女はまだまだ年若い女の子だ。
法に則って罪を償って――その後で、再出発してお天道様の下で幸せになる事だって出来るだろう。
そう返すと、ゆっくりとしたステップを踏んだまま副官ちゃんも眼を閉じて、噛みしめる様に言葉を零した。
「そうね。そうなって欲しいと、私も思ってる」
お互いに少しだけ無言になって、ゆったりと――確か分類的にはブルースなんて呼ばれるダンスの歩を反復するのに集中する。
ややあって、再び口火を切ったのはやはり副官ちゃんだった。
「ねぇ」
なんでしょう、アンナ先生。
「あの男は、どうなったの――勝ったんでしょ?」
……お見通しか。まぁ、あの状況で別行動するって言ったら察するわな。
うん、勝ったよ――戦った場所の近くに埋めた。
「……そ、お疲れ」
素っ気ないが、どこか憂いが浮かぶ声色と表情になった友人に、敢えて調子を変えずに告げる。
俺が勝手にやるべきだと思ってやっただけだからね。礼も労いも不要だよ。
――あの娘の傷が癒えたら、俺が自分の口で伝える。
だから、副官ちゃんが気を揉む必要とかないのよ。オーケー?
「……アンタもこういう事には大概勘が良いわね」
そう応えた声には、苦笑に近い物が含まれていた。
まぁ、なんとなく、だけどね。
決着後、ジャックを丘の近くの樹の下に運ぶ際に、俺が胴ごと断ったらしき千切れたロケットペンダントがその懐から零れ落ちた。
多分、元居た世界から持ち込めた物なんだろう。あの位のサイズで、肌身離さず持っている物なら一緒くたに転移出来ると聞いたことがある。
家族か、恋人か分からんが……中に入っていた写真の二人の内片方――亜麻色の髪の女性は、何処かファルシオンに似てる気がしたのだ。
あの二人に何が繋がりがあるかも、なんて感じた根拠なんてそれだけだ。後は、それがついさっきの副官ちゃんの表情で確信になったってだけ。
どうであれ、ジャックを殺したのは俺だ。
それを告げるのも、或いは恨み節を向けられるのも、俺であるべきだろう――こればっかりは誰に譲る気も擦る気も無い。
そんな諸々は全て呑んだ上で、俺はあの剣鬼を打倒したのだから。
暗に、副官ちゃんであってもファルシオン嬢にジャックの事を告げるのはノーセンキュー、と主張すると、彼女は笑みとも溜息ともつかない、曖昧な短い吐息を漏らす。
「結局、アンタ任せか……今回はホント、負けるわ攫われるわ捕まるわ、良い処ないね、私」
えぇ……(困惑
俺とトニー君が施設に突入する前から脱出済みで、中の連中の半数近くをぶっ飛ばしてた人が言う台詞なのそれ?
「犯罪組織に所属してたような無頼漢に負けた時点で、《刃衆》の看板に泥跳ね付けた様なモンよ。自分の未熟が恨めしいわ」
副官ちゃんが未熟とか、世の戦闘職にある方々の九割以上が「雑魚でスイマセン」って壁に向かって項垂れる羽目になると思うんですけど。
「どうだかね~……本当の処は決勝戦で負けたも同然だし、下手すれば副隊長の席も降りる事になったりして」
いや絶対ないって――っていうかちょっと口調がワザとらしいぞ。副官ちゃんだってそんな判断を陛下がするとか微塵も思ってないやろ!
俺が至極真っ当なツッコミを入れると、何故だか彼女はちょっとムッとした様子でダンスを中断して、こちらと組み合わせていた手を離し、そのままその手で俺の頬っぺたをガシッとばかりに挟み込んだ。
「……と・に・か・くっ、平の隊員に戻る可能性だって出てきたって事! ――アンタ、そうなったら何時までその呼び方を続ける気?」
話が明後日の方に音速でカッ飛んどるやないけ! なんのお話ですかぁ!
「えぇい、鈍ちんかっての駄犬!? ……あんときは普通に呼んでたでしょうが! 呼べるなら普段からそうしてみろ!」
先程までの静かな――しんみりというか、しっとりとした空気すら感じさせた雰囲気から一転して、何時も通りギャーギャーと騒ぎ出す俺達。広いバルコニーとはいえ、よく大広間側から気付かれないなコレ!
両頬というか顔の両側面をギリギリとプレスされ、変顔を晒す俺と、折角の可愛いドレス姿なのに「ふぬぬぬっ」とか鼻息荒くして両腕に力を込める副官ちゃん。
おぶぼぼぼばばっ、か、顔が潰れるっ、ヤメロォ! 人の顔面骨格にゴム毬みたいな弾性は無いんやぞぉ!
分かった、呼ぶから! よーぶーかーらーっ! 手を離して下さいアンナ先生!
「さんも先生もいらない! 普通に呼べっ!」
勝ったといわんばかりに鼻を鳴らしてパッと手を離し、彼女はそのまま腰に手を当てて近距離から睨め上げて来る。
くそぅ、逆ギレしてくる相手に負けた気分だ……。いや、別に呼ぶのが嫌って訳じゃ無いんだけど、ちょっと悔しい。
縦に圧縮されていた顔を揉み解しながら、軽く深呼吸。
間近にある翠玉みたいな碧眼を見つめて、瞳の持ち主の名前を気持ち恐る恐る呼ぶ。
――それじゃ、えーと……ァ……アン、ナ。
「……なんで急に照れてんの、アンタは」
仏頂面の呆れ声――だけど、彼女も改まった感じが気恥ずかしかったのか、ちょっと頬が赤かった。
いやでもさぁ、こういうのってちょっと気不味くない? ずっと苗字とかニックネームで呼んでた仲の良いクラスメイトとかを名前で呼ぶのとか、今更感あって恥ずかしいっていうアレよ。
「言わんとしてる事はまぁ、分かるわ」
だよね? ゆーても副官ちゃ……アンナが綽名呼びはやめろっつーなら俺に否は無いけど。
即座に呼び直した瞬間、彼女はいきなり自分の口元を覆う様に右掌をバチン、と押し当てた。
結構いい音したけど大丈夫か。赤くなったりしたら場所が場所やし、ちょっと大変じゃない?
「……無しで」
うん? 何だって?
「やっぱさっきの無しで。いつも通りに呼んで」
理 不 尽 !?
……いや、まぁ、否は無いって言ったし、副官ちゃんがそれで良いならそうするけどさ。
暫くは自分の顔の下半分にセルフアイアンクローしていた副官ちゃんだが、ややあって顔に押し当てていた右の手を下げ――両の掌を使い、俺の胸元をトン、と軽く突いて、近かった互いの距離を離した。
「そろそろ時間ね。音楽始まってあの娘達にお誘いが殺到する前に、傍に行っておきなさい」
む? もうそんな時間か。なんか後半は何時ものノリで騒いでたから気付かなかった。
うーむ。正直まだ不安はあるが……基礎のステップと前後の作法をおさらいできただけでも良しとしておこう。
「なら良いわ。私はもう少し此処で休むから――健闘を祈ってあげる」
おう、助かったよ、ありがとう。
それじゃ、今度こそ行って来るぞい。
ひらひらと手を振ってくる副官ちゃんに、軽くガッツポーズを向けて返し、ようやっとバルコニーの扉を開けて大広間へと足を踏み入れる。
幸いにして注目は大広間の奥――多分、陛下やシア達が座る場所に集まっているので、こっそり入った俺に怪訝な視線が向く事は無かった。
バルコニーへの扉を、音を立てない様に静かに閉めようと振り返って――。
「……バーカ」
月明かりを背に、楽しそうに、そしてちょっとだけ退屈そうに。
此方を見つめる友人と眼が合って、俺達はどちらともなく、笑い合ったのだった。
イッヌ
後片付けも独自にお手伝い。全自動(打ち漏らしの首)とってこーい! に精を出す。
ギリギリになって獲物を発見したせいで出席予定のイベントに大遅刻をかまし、色んな人の助けを得て最終的には飼い主こと聖女様のドレス姿を堪能できた。
聖女二人も一曲だけだけどイッヌと踊れたのでニッコリ。
その光景を見た父の代理で参加したとある双子の片方が、尊さの過剰供給で心停止を起こしかけたのは完全な余談。
皇帝と獅子と蛇
仲良くケンカしな、というには互いの立場が重すぎる二人。
ある意味ではフった男とフられた男。
首都もキレイになったし、皇帝は頑張って益々国を発展させ、蛇もそれに併せて自領を発展させつつ適度に政戦を仕掛けて煙たがられるのだろう。
獅子はお家の当主の座を降りる事も考えたが、現状だと洒落にならない問題があちこちに出るからやめろと皇帝、そして蛇にすら窘められた。
明確な形で責を負う事が難しいなら、せめて身を粉にして国に尽くさんと前を向く。
生まれと歩んできた道故に、どれ程辛くとも獅子はそれが出来る漢であった。
月夜のバルコニー
彼と彼女は友人である(強弁
少なくとも彼にとってはそうである。
彼女に問うてもまた、それに近しい答えが返って来るだろう。
少女にとっての彼とは、近くて遠い、ほんのちょっとだけ特別な――只の友達である。