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明くる日




 連日続く祭りの喧噪も、流石に日の出直後の早朝ともなれば相当に控え目である。

 街の活気の中心から更に離れた、他国の賓客が逗留する為の屋敷は、柔らかな朝陽に小鳥の囀りまで加わり、実に穏やかな雰囲気と早朝の爽やかな空気に満ちていた。


「あー、終わったぁ……いやぁ、流石に一晩中都市一つ対象にした儀式魔法は少し疲れたな。久しぶりにガチで魔法行使に精を出した感がある」

「屋敷に運び込まれた人達の治療も一段落したし、午前中はじっくり休んでもいいかもね。ボク、流石にちょっと眠いや」


 つい先刻まで、治療が必要とされる者にそれを癒す者、多くの人間が詰めていた屋敷の玄関広間。

 既に今では人も捌けて静かになった其処に居るのは、かたや昇る朝日を浴びながら自身の肩を揉み解して腕をぐるぐると廻し、かたや生欠伸を堪えながら語り合う少女達だ。


 一夜限りの物騒な祭りが明け、帝都は表面上、昨日までとなんら変わらぬ賑やかな《大豊穣祭》の喧噪に包まれた活気に満ちた朝を迎えた。


 だが、もう一つの祭り――人外級入り乱れる魔境の大捕り物と言うべき騒乱に関わった者達にとっては、事後処理という名の煩雑な後片付けが待っている。

 外部協力者やそれに近い立場の者はそうでもないだろうが、渦中の国たる帝国所属の者にとっては面倒なのはこれから、と言ってもよいだろう。


 幸い、強襲した犯罪組織の施設は悉くが無力化、そこに所属していた人員もほぼ捕縛及び殲滅済みという状況だ。

 各所に捕らえられていた拉致被害者や非道な実験の被験者なども、救助が可能な者は全て搬送を終えている。

 強襲先であった各拠点・施設の調査や後片付けに限っては最早急務となるものはない。《大豊穣祭》に人手が割かれる現状、そこだけは救いと言えるだろう。

 裏で事後処理に奔走する者達の二徹三徹上等の修羅場は表沙汰になることは無く、表面上は恙無く大祭の終盤へ向けて盛り上がっている帝都であった。


 今回の大捕り物における他国の人間、外部協力者、という立場なので面倒な後片付けはほぼ無いであろう二人――レティシアとアリア。

 とはいえ、鉄火場にこそ立たなかったが夜を徹しての大魔法の行使に加え、逗留先の屋敷に戻ってからは救助された中でも身体に重篤な異常があった者の治療も行ったのだ。

 彼女達の力が無ければ強襲作戦自体が成り立たず、救出された被害者達にも助からなかった者がそれなり以上に出たであろう事を思えば、間違いなく今回のMVPと言って良いだろう。

 久しぶりのシビアなスケジュールでの作戦行動に、流石に腹が減った、眠いとぼやき、と腹を押さえたり目を擦ったりしながら二人は玄関の長椅子に並んで腰かけ、背もたれに身を預けて脱力している。

 ちなみに彼女達の警護を務めていたガンテスと屋敷で救助者の治療にあたっていたサルビアは、帝都内の教会関係の治療院に移される者達の移送を手伝う為に騎士達と行動を共にしている。現在、使用人達を除けば屋敷に居るのは姉妹のみであった。

 屋敷の管理を任されている男性は一流の執事(バトラー)だ。昨夜の屋敷への大量の傷病者の搬入にもしっかり対応した上、徹夜明けのレティシア達の為に胃に優しい軽食を用意して今も普段使いしている客間で待機している。

 当然、彼も徹夜明けだ。自分達が休まないと執事である男性も休息を摂らないであろう事は分かっているのだが、申し訳無く思いつつも二人は玄関広間で眠い瞼を擦り、他愛も無い会話で時間を潰している。

 理由は当然、今回の件の発端となった、彼女達に助力を乞うてきた青年の帰りを待つ為であった。


「アイツめ、早く帰って来いってんだよー。こっちは眠気もそうだけどぶっ通しで魔法使ったから腹減ってるってのに」

「だねぇ。どうするレティシア? 客間でスープだけでも飲んでくる?」

「いや、もうちょい待つ。今腹に暖かい食いモン入れたら眠気に勝てなくなるし」


 眠そうな姉の言葉にはアリアも同感だったのか、欠伸を噛み殺しながらのんびりと頷いた。

 青年が帰ってきたらおかえりを言いたい、というのもある。

 が、それ以上に自分達が先に寝てしまった場合、彼はそれを起こす事を嫌がって怪我をしていてもほったらかしにしてしまう可能性が高い。

 放置すると危険な怪我でも、帝都内の治療院にお邪魔するか、起きてる知り合いに応急処置だけ頼んで済ませてしまうだろう。


 帰って来た青年を真っ先に労うのも、負った傷を癒すのも、自分の役目。


 そんなささやかな、けれどちょっと独占欲じみたものも混じる拘りもあって、こうして頑張って起きてる聖女二人である。

 ともすればそのまま二人揃って長椅子の上で寝落ちしてしまいそうであったが、その前に玄関の扉がそっと開かれた。

 静まり返った早朝の空気に蝶番が軋む音が思いの外大きく響き渡り、途端に眠気で半分呆けていた意識を覚醒させた姉妹が表情に喜色を滲ませて立ち上がる。


「お、やっと帰ってきたか……先ずは怪我の有無だな」

「うん。おかえりー、にぃちゃん! どこか痛いとこ、ろ……」


 浮かんだ笑顔が言葉と共に尻すぼみとなり、聖女両名、スンッとばかりにテンションが一気に平常に戻った。


「……いや、なんかすいません。自分もこの時間にお邪魔するのはどうかと思ったンスけど……」


 レティシア達の表情を見て本気で申し訳なさそうに頭を下げたのは、何処か狐を思わせる容貌の青年――トニーである。

 お邪魔しても? と控えめに問いかける騎士に、何となく彼のやって来た理由を察した聖女二人は寧ろ労う様な視線を向けて頷く。

 それを受けて扉の隙間からするりと身を潜らせたトニーは、音を立てない様に静かに玄関扉を閉めた。


「夜明け前までは旦那と行動してたんですが、別れ際にコイツを御二方に届けておいて欲しいと渡されまして」

「やっぱそんな感じか。ウチの馬鹿が使い走りみたいな事させて悪いな」


 彼が懐から取り出した畳まれた便箋をレティシアが受け取り、妹と一緒に広げた紙面を覗き込む。

 走り書きされたであろう文面を眼で追い、ざっと目を通し終えた姉妹は顔を見合わせて嘆息した。


 書かれていた事は大体予想通りである。

 アンナの救出は無事終わった事――まぁ、これは救助した重症者を屋敷に送りにきた帝国騎士達から聞いていたが、一応は書いたのだろう。

 仕事は大体片付いたが、まだやり残した事があるので、帰るのが少し遅くなること。

 これを渡す時点では特に怪我らしい怪我はしてないこと。

 あとは、手紙を渡したトニーが怪我をしているので診てやって欲しいとの事だった。


「大方想像した通りの内容だったねぇ……とりあえずトニー、怪我を見せてよ、治すから」


 何はともあれ、眼前の騎士の負傷とやらを診ようとするアリアの手招きする。

 トニーが恐縮した様子で再度頭を下げるのを横目に、レティシアが目を瞑った。


「……遠いな。帝都から出てちょい北の方か?」


 過去の治療の際に青年に施した魔法的な"枷"を用いて彼の現在地を探るが、流石に距離があるので都市外の更に北上した位置、程度のやや曖昧な位置把握が精々な事に眉を顰める。

 青年の居場所をあっさり把握した方法や原理こそ分からないトニーだったが、聖女の持つ魔力や魔導の技術があれば不可能ではないのだろう、と納得して傷の治療を受けながらレティシアの疑問に応えた。


「多分ですけど、北の山脈方面ッスね。追撃するにしても、危険度が上がるこの季節に北の山からわざわざ帝国領を抜ける相手ッスか……」


 具体的な根拠は無いのだが、青年が追ったのはおそらく、今現在癒してもらっている傷の原因となった剣士だろう。

 騎士がそう述べると、治療に当たっているアリアの顔色が変わる。


「え、この傷の? 多分、相当な腕利きでしょ? な、なら今からでも……」


 それなりの時間が経っているであろうに、傷に残る鋭利さすら感じる攻性魔力と、見事な切り口であるが故に外科的な縫合は寧ろ楽であっただろう傷痕。

 治療の際に得た情報から判別して、間違いなく下手人が超一流である事を察した銀の聖女が腰掛けていた長椅子から慌てて腰を浮かす。


「そんなにか?」

「トニーの傷を見たボクの感覚だけど……最低でも、ミヤコさんに近いと思う」

「おい、ってことはアンナを攫ってアイツが闘技場で怪我した原因もソイツか? とんだ大物じゃねーか……! 急ぐぞ!」


 妹の言葉に同じく焦りの表情を浮かべて立ち上がるレティシア。

 慌ただしい様子の二人に対し、あっさりと完治した腕と胴の具合を確かめながらトニーは口を挟む。


「念の為に、ってのも選択としては十分有りですし、御二人が旦那のトコに向かうのはお止めしませんが……多分、大丈夫かと」

「……根拠は?」


 焦燥もあってやや棘のある口調で問う金色の聖女に、騎士は元通りに動く様になった右腕を使って後頭部を掻いた。


「旦那の性格的に珍しい事だと思うんスけど……あの男に関しては『次やったら勝てる』ってきっぱり断言してたんで。何か弱点でも見つけたのか、有効な札でも手に入れたんじゃないスかね?」


 軽い口調とは裏腹に、"旦那"と呼ぶ青年への信用・信頼が伺えるその言葉に、レティシアは「むぅ」と短く唸ると黙り込み……ややあって難し気な顔をしながら腕を組んだ。

 本音を言えば、今すぐ飛び出して相棒たる青年のもとに向かいたい。

 だが、こと戦いに関しては自信や自負と言ったものをほぼ持たない彼が、断言する程の勝機を見出したというのだ。

 大戦時、彼は無茶がデフォルトだっただけに心配するなという方が無理なのだが……それでも、信頼のおける者に託す、或いは信じて待つ、といった選択もときには必要だというのは今更語るべき事でも無い。

 付き合いの長さ、という点ではそれほどでもないトニーがこうして信じているというのに、自分が不安を抑えきれずに飛び出してしまうのは……なんというか、一番付き合いの長い自分が青年を信じ切れていないようではないか。


「うぐぐ……」


 腕を組んだまま眼を閉じ、俯いて唸り続ける。

 友人として、戦友として、相棒として――異性として。

 なんもかんも青年の一番でありたいという欲張りな拗らせ方をしている聖女様が、頭から煙を吹きそうな様子で煩悶する。

 それでも心配だ、怪我をされるのが嫌だ、といった感情が強いのは最後の部分の比率が大きいからなのだろう。恋は盲目……とまでは行かずとも、直情・視野狭窄になり易い側面があるのは確かである。


 悩む。

 悩んで、迷って、頭すら抱えそうになって――ようやっと捻りだした結論を以て、レティシアは顔を上げた。


「……よし、オレも待つ」

「えっ!? レティシアがそっちの結論に行くとか予想外……」

「おいコラ、どういう意味だ(おとうと)よ」


 心底びっくり、といった表情を隠しもせずにマジマジと見つめて来るアリアに対して、心外だといわんばかりに顔を顰めて見せる。

 しかし、アリアからすれば実に意外な判断だと言わざるを得ない。青年の相手がおそらくは人外級であろう事を加味すれば猶更だ。

 不安と心配がない交ぜになったその表情は、姉の判断に対する微かな不満が見え隠れしていた。


「でも……いいの? にぃちゃんがそこまで断言するなら勝つんだろうけど……怪我とか無茶は絶対するのに」


 確定事項だ、と言わんばかりに断言されるが、青年の過去の行動を顧みれば残念でもなんでもなく当然である。

 それに関してはレティシアも否定しない、というか出来ない。なにせ彼女自身が「あの馬鹿、無傷とは言ってないし、勝ちはしてもあちこち血だらけで帰って来そう」とか思っているので。


「良くはない。良くはないけど……アリア、あいつが戻って来てからオレ達は何回無茶をするな、怪我したら直ぐに言え、って言ったと思う?」

「えぇ……覚えてないかなぁ……事あるごとに口を酸っぱくして、としか言えないや」

「うん、そうだな。ぶっちゃけオレも正確な回数なんて覚えちゃいない」


 戦争が終わったとはいえ、人里から少し離れれば野生動物・魔獣問わず、危険な生物が闊歩している。

 元居た世界よりは遥かに戦いや危険と言ったモノが身近にある世界だ。そこで生きていく以上、生涯無傷で怪我を一切するな、などと言う無茶を言うつもりは無い。

 青年本人がトラブルの渦中に巻き込まれやすい、という体質なのもある。半分以上は自分から飛び込んでいる気がするが、不可抗力の場合も多々あるのでこればかりはどうしようもなかった。

 だが、トラブルの最中に自分達を頼らない、ましてや怪我や不調を抱えたのにそれを黙ったまま、というのは言語道断だ。後からそれを知る身にもなれというのだ。

 それも自分達に余計な手間や負担を掛けなくない、という思考から来ているのだろうが……知らされない方が余程しんどい、いい加減学習しろ馬鹿、とレティシアは思っている。


(そういう意味では、今回の件はちょっと……いや結構……かなり……とにかく、嬉しかったんだけど)


 だから、まぁ。

 今回、青年は自分を、自分達を頼ってくれた訳であるし。

 レティシアも、彼が元気に帰って来てくれる事を信じて待つべきではないかと、思ったりしたのだ。

 そんな考えを語って聞かせると、アリアも納得はしたのか静かに頷いて見せた。それでも心配は尽きないようだったが。


「怪我をしていても、真っ直ぐにオレ達の処に帰って来てくれれば直ぐに治せる――ただし、変な寄り道したりして自分の治療を後回しにする様なら、今度こそ容赦も遠慮も無しだ。部屋に押し込んでベッドに拘束してなんかもう分かるまで徹底的に分からせる」

「なるほど、後夜祭で王城に行く日まで缶詰だね……寧ろそっちの方がイイかも」


 ちょっと頬を染めて決然とした表情で付け足された姉の言葉に、妹も似たような表情で力強く首肯した。

 ちなみにトニーは「ただし」の辺りから持ち前の危機察知能力を発揮し、最速で耳を塞いで背を向けて「アーアー、キコエネーッスゥ!」と呟き続けている。耳に入らなければ後々この件で上司に問い詰められても聞いていないと言い張れるのだ、素晴らしき処世術――というより生存戦略であった。


 斯くして、"枷"を用いた青年の位置情報と魔力の観測は続けつつも、交代で休息を摂ることにした聖女姉妹。

 尚、当の青年は決着を付けた後に独自の後片付けに奔走する気満々だったのだが、なんか妙な予感がする、と謎の嗅覚を発揮して一旦彼女達のもとに直帰した。

 無事の帰還を喜ばれつつも、二人から「こういうときは勘が良いとか、こいつホンマ……」みたいな眼で見られて困惑したらしい。然もあらん。







 長い一夜が明け、再び一日が始まった。

 文官、騎士、衛兵――帝都にて国仕えの職に就く者達の尽力により、《大豊穣祭》の運営と大捕り物の事後処理が並行して進められる修羅場の一日目は、なんとか無事に過ぎようとしている。

 目まぐるしい一夜から更に時は流れ、時刻は再びの夜。

 忙しさと重責という点でランキング付けすれば間違いなくワンツーフィニッシュを決めるであろう二人が、王城最上階の一室にて向かい合っていた。


「御苦労だったな、レーヴェ」

「いえ……此度の作戦の成功は、陛下の御威光と部下達の奮戦によるものです」


 部屋の主である灰色の髪をした浅黒い肌の男の言葉に、特徴的な赤金の髪をした偉丈夫が丁寧に腰を折って応じる。

 贅を凝らしていながらも、快適さも計算し尽くされた部屋は、現皇帝、スヴェリア=ヴィアード=アーセナルの私室だ。

 豪奢な椅子に腰かけた皇帝と直立不動で向かい合うは、帝国将軍レーヴェ=ケントゥリオ。

 唯一皇帝の私室に控える事を許された側仕えのメイドを含めても、現在部屋に居るのはこの三名のみであった。


「……まぁ、なんだ。取り敢えず座れ」

「……いえ、吾輩は」

「お前、強襲作戦から不眠不休のままだろうが。いいから座れ」


 つい小一時間前までは同じ様に休みなく執務室に籠り続けていた皇帝が、やや強引にレーヴェの言葉を遮って向かいのソファへと顎をしゃくる。

 数秒、沈黙し……《赤獅子》は「失礼いたします」とだけ呟いて柔らかな長椅子にその巨躯を沈めた。

 腰を下ろすと同時に、組み合わせた両拳を額に押し付け、俯くレーヴェ。

 皇帝も黙して語らず、壁際にひっそりと控えるメイドも動かず、無人の部屋の如き沈黙が室内を満たす。


 数十秒か、或いは数分か。


 静寂を破ったのは、ひどく気疲れした様子の皇帝がソファの背もたれに身を預けて天井を仰いだ事で起きた、長椅子の布部分が擦れる音だった。


「……ティグルの、書斎だがな」

「は……」


 常と比べれば精彩を欠いた様子で、帝国の主と第一の家臣は静かに言葉を交わし始める。


「奴の遺した言葉通り、事後処理に必要な大量の資料が保管してあった……それこそ、今回の件と完全に無関係だった国との摩擦も限りなくゼロにできる程度には、な」

「……陛下、それは」

「身体を妙な技術で弄った処で病床の身には変わりない。よくもまぁ一人であの量の情報を纏めたものだ」


 幾つかの仕掛けを用いて秘された隠し棚。

 そこを埋め尽くしていた書類、書簡、手紙や羊皮紙には、文字通りティグルの生み出した組織の全てが記されていた。

 時期ごとの人員、当初から現在に至る迄の配置や推移、研究内容の詳細、それに対し出資した他国の動きとその証拠。

 そして、可能な限り収集したと思われる、犠牲となった被験者達の氏名と生い立ちを記した名簿。

 この中でも、特に組織との繋がりの在った各国の情報は貴重だ。

 ティグルの息の掛かった者がその国の中枢近くに喰い込んでいるらしく、出資額や被験者の供給人数など、ほぼ完璧な形の証拠と共に詳細に記録されている。


 今回の件、膝元でこれ程の犯罪組織が活動していた事と、その首魁が侯爵家の人間であった事。

 公表すれば、国際的に帝国への批判が集まる事は避けられない。

 だが、これらの証拠を表にだせば、芋づる式に様々な国にも飛び火する。

 中には小火では済まない、出資した国にとって大きな火種となり得る様な情報まであるのだ。

 おそらく、各国に散ったティグルの同士ともいうべき者達の手によって、彼の死と同時にこれらの情報が帝国の手にある事が伝わっている。

 これで組織に出資した国々は、知らぬ存ぜぬでほっかむりを決め込む事は不可能になった。

 公表後、槍玉に上げられる帝国に対して全面的な味方につき、事後処理への協力や賠償を行わざるを得ないのだ。自国に飛ぶであろう火の粉の量を少しでも減らす為に。

 元より帝国は人類種最大国家。不祥事によって国際的な名誉が損なわれたとしても、そこに十に届こうかという国々の必死のフォローが入るならば、国として受ける疵は極僅かで済むだろう。

 既に犠牲となった者に家族がいる場合も、被験者名簿の情報によって国からの賠償や援助はスムーズに行える筈だ。


 組織に所属した者、関わった者、余さず、残さず。

 徹底的に表に曝け出し、闇に沈ませる事無く、明るみに引きずり出そうという執念すら感じる膨大にして詳細な記録の山が、ティグルの遺した物であった。


 あの馬鹿め、と。皇帝が苦々しい表情で漏らす。


「此処まで事前の準備が済んでいるなら、素直に此方に全て話せば組織の解体も容易だったろうに」

「…………」


 ボヤき、と称するにはあまりにも重いものが滲んだ言葉に、レーヴェも再び黙して組んだままの両の手を額に押し付ける。

 無数に浮かぶ『何故』という疑問の言葉。

 今となっては全てとは言わずとも、幾つかは心当たりがあるが故に、二人はその言葉を容易に口にする事が出来なかった。

 おそらく、ティグルには時間が無かったのだ。

 一年ほど前から体調を崩す頻度が増えていた。

 "閣下"として立ち回る為の仮病、という面もあったのだろうが、犯罪組織は戦中から存在しており、表裏の顔を使い分ける事は以前から行っていた筈。

 それを踏まえれば、時間を捻りだす為というよりは、単純に病の進行が危険な域に達していたと考える方が自然だった。


 帝国皇帝たるスヴェリアが選ぶ王道は、決断の末に少数を切り捨てる事はあれど、自ら進んで食い潰し、未来への布石に変える事を決して良しとしない。

 真意がどうであれ、自らの相談役であった男が秘していた行いは、絶対に認める事が出来なかった。

 そして、そんな王であるからこそ……ティグルは兄と共に忠を尽くした。

 敬愛する王と兄が居る国を護る為に、決して許されない行いに手を染めた。

 例え王や兄が望まず、掴み取った未来の先、王の手によって処断される事になろうとも。


 だが、そんな想いも今となっては無為なばかりだ。


 外法を以て祖国を、人類を勝利に導こうとした男は、結局は始めた行いによって成果を齎す事も無く、作り上げてしまった負の遺産を清算しきる事も無く、外道共の首魁としてその生涯に幕を下ろした。

 一国の王として、スヴェリアはそれを憐れむことは出来ない。悼むなど以ての外だ。その情を向けるべきは、罪人(ティグル)によって"必要な犠牲"に選ばれた民であるが故に。

 当然、それは軍部の長たるレーヴェも同じだろう。


 ――だが。


 壁際に控えていた側仕えのメイドが、トレイに二つの杯と一本のボトルを乗せて静かに歩み寄る。

 用意されていたのは、普段互いの私室で彼女が用意する紅茶ではなく、彼らにとっては飲み慣れない――病床にある者が暖めて口にする事が多い葡萄酒(ワイン)であった。


「御二人とも、僅かなりとでもお休みになるべきかと。仮眠の前の寝酒としてご用意させて頂きました」


 テーブルの上に置かれたソレを無言で眺める皇帝と将軍に微笑んで一礼すると、彼女は音一つ立てずに下がって再び壁際に控える。

 封すら切られていないボトルと、二つの空の杯。

 沈黙が続く部屋の中、手を伸ばしたのはスヴェリアだった。

 トレイの脇に置かれたナイフで、乱雑にボトルのトップラベルを引き剥がす。

 やはり無言のまま、瓶の口をレーヴェへと向ける。

 応じる彼もまた、何も言葉にすることは無い。

 伸ばした指がボトルに栓をしたコルクを摘まみ、その強靭な指先で無造作に引っこ抜く。

 帝国の皇帝と将軍が其々に手酌で杯を満たすと、どちらともなく、それを掲げた。


 口には出来なくても。

 言葉にする事は、立場が、選んだ道が、己自身が赦さなくとも。

 それはきっと、最初で最後の、道を違えた『誰か』へと捧げた献杯だったのだろう。


 杯が空になり、再び葡萄酒(ワイン)が注がれる。

 明日からは更に忙しい日々が待っている。件の事後処理もそうだが、《大豊穣祭》が佳境を迎えたとなれば猶更だ。

 だが、それでも。

 この場、この時間(とき)だけは、未来を見据えるのではなく過去を偲ぶ男達は静かに杯を傾け、夜は更けていくのだった。






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