You are my sunshine
時間は少し前――祭りの準備期間中にまで遡る。
具体的にはクインと一緒にマイン氏族の工房に訪れたときの事だ。
「こりゃ駄目だね。多分、《報復》の方で制限を掛けてるよ」
赤髪と赤銅色の肌を持つドワーフの美人――ファーネスの言葉に、俺は特に驚きを感じることは無く。
あったのはやっぱりかー、といった諦観混じりの納得の感情だった。
此処を訪れた一回目、副官ちゃんと行ったときは前族長である先代に見てもらったんだが……その際もほぼ同じ意見だった事を見るに、他の要因は無し――これで確定と言ってよいだろう。
マイラヴリーバディこと鎧ちゃんの名付け。
聖殿で散々に参考になりそうな資料を搔き集め、シアやリア、副官ちゃんにミラ婆ちゃんまで巻き込んでギャーギャーと騒いだ末、漸く本決めとなった其れは、肝心の高位の霊具や呪具への銘名の儀式の段階で躓き、そのまま棚上げになっていた。
ただでさえ呪物への銘名ともなると、儀式魔法には慎重かつ繊細な魔力運用が求められる上、鎧ちゃんは世界中見渡しても上が見つかるか怪しいレベルの特級の呪物だ。
儀式の完遂には求められる魔力だってとんでもねー量が求められる。
当然、俺がピンでどうにか出来る量じゃないので、リアに頼んで魔法の構築を手伝って貰い、魔力も借り受ける形で儀式は執り行われた。
ちなみにシアはものっそいブー垂れて嫌そうにしてたので、比較的説得の容易だった妹分に助力を頼んだ形だ。「いっそ解呪の儀式にしちまおーぜ」とかとっても綺麗な笑顔で言うのはやめようレティシア君!
で、難易度の高い魔法ではあるが、聖女であるリアの助力があれば特に問題無く済むと思われたんだが……これがまぁ見事に失敗した。
いや、妹分のサポートもあって、魔法の発動と銘名の入力待ち、って段階までマジでスムーズだったのよ?
ただ、現在の正式な銘を持たない『無銘の超級呪物』って状態の鎧ちゃんにきちんとした名を付けるには、前述の通り相当な量の魔力を一緒に注ぎ込まんとしっかり刻まれない訳で。
最初に一応は主である俺がなけなしの魔力を注いで取っ掛かりを作り、不足分をリアに補助してもらう形で儀式を続けようとした処で――肝心の鎧ちゃんが補助として注がれたリアの魔力を弾いてしまったのだ。
何回やっても注がれた補助の魔力をびしゃー、と音が聞こえそうな感じで垂れ流して内に留めてくれないマイバディに、リアと一緒に困惑して顔を見合わせたのを覚えている。
名付けの儀式には魔力の相性なんかも重要らしい。
なので、ひょっとしたらリアが鎧ちゃんとの魔力的相性があんまりよくなかったのかもしれん、という事で、渋るのを説き伏せて姉の方に御出陣いただいたのだが……リアが注いだときの三倍くらいの勢いで魔力が吐き出されてこれも失敗した。
専用の陣の上に召喚されて設置された鎧ちゃんに向けて、さっさと終わらせようとしたのか、シアがやや強引に注いだ膨大な量の魔力がものの数秒で圧縮されて頭部……というか口に近い部分からビシャっとばかりに放出されたからね。
なんとなく「カーッ、ペッ!!」とか聞こえたのは俺の気のせいだと思いたい……シアも同じようなイメージを抱いたのか、真顔のままで攻性魔力を練りだしたのを必死こいて止めたけど(白目
その後、丁寧に注いでもやっぱり駄目なので魔力を弾く原因があるのでは? という事で名付けは一時中断。
その間にも《大豊穣祭》の報せが届いて帝国に向かうことになったので、渡りに船とばかりにファーネス達の工房にお邪魔して相棒の精査を依頼。こうして原因を探ってもらっているという訳である。
状態確認も兼ねてファーネスに手伝って貰って再チャレンジしたが……やっぱり駄目だった。
聖殿でも、今回も儀式魔法の手順に間違いは無かったし、途中まではスムーズだったからもしやとは思ってたんだが……やっぱり鎧ちゃんの方から魔力を拒んでたのかー。なんでじゃろ。
首を捻る俺を他所に、ファーネスが手にした鍛冶鎚で肩を軽く叩きながら至近距離で陣の上に鎮座する漆黒の全身鎧を眺め廻す。近いってばよ、さっきみたいに味見とかいって齧ろうとしたらそっこーで鎧ちゃん送還するぞオイ。
「いけずだねぇ……まぁ、今回はこっちがお前さんの相棒見たさに強請った面もあるからね、無理強いはしないよ。で、肝心の銘名の方だけど、"自我持ち"の呪具が主以外の魔力を受け入れないってのは偶にある事さね」
ただ、と少しばかり歯切れが悪そうに続けるのは、やはりマイバディの状態はあまり見た事のあるものでは無い為らしい。
「大抵は呪具の成り立ち自体が使い手に深く関わってたり、そもそもの制作コンセプトが特定の個人専用だった場合なのさ。過去に複数の使用者がいる《報復》がこの手の反応を示すのはちと見ないケースだね」
マジっすか。おたくでも分からんとなると困った事になるな。
先代もファーネスもこの道での超一流――武具に関しては大陸最高峰の知識と技能を持った鍛冶師だ。彼らで正確な原因が絞り込めないとなると、ワンチャン可能性がありそうなのなんて後はお師匠くらいしか思いつかんぞ。どーすんだこれ。
俺の心配を他所にファーネスはその見事な赤髪をかき上げて「例が少ないってだけさ、魔鎧側からの制限って点は間違ってないよ」と補足を入れ、ついでに肩も竦める。
「だが……猟犬の坊。鍛冶屋なんてもんは長く鉄を叩いてるとね、なんとなく鋼の機嫌が分かる様になるもんさ。この子のソレは臍曲がりな質の武具よりはよっぽど素直だよ」
つい先程まで至近距離で鎧ちゃんを見てた際の、涎を垂らさんばかりの恍惚とした表情は何処へやら。
マイン氏族の長は、まるで微笑ましいものを見る様な細めた視線と共に魔法陣の上に座する相棒の肩部に手を乗せ、優しい手つきでそれを撫でた。
「多分だけどね、魔鎧はアンタの魔力以外で名を刻まれる事を嫌がってるのさ。いやはや、括りの上では呪物だってのに芯の部分の在り方は精霊の宿る霊具に近い。面白いねぇ。元の構造からしてそうなのか、それとも……アンタが主となってそうなったのか」
むぅ、そうなんか……いや、そうだとしたら悪い気はしない……というか普通に嬉しいが。
一緒くたに微笑ましいものを見る視線で見比べられて、なんとなく気恥ずかしさで居心地が悪くなる。
暫くはそのまま鎧ちゃんを眺めていたファーネスだったが、なんだか妙に悪戯っぽい顔付きになって半眼になり、意地悪気に笑う。
「……ま、後は単純に"拗ねてる"感じがするね。坊、アンタ最近、大量の魔力を流し込むような使い方をしたときに、この子が嫌がる真似でもしたんじゃないのかい?」
えぇー。いうて《三曜の拳》で溜めのある技を使うときには大抵はデカい魔力を運用するし、そんな鎧ちゃんが臍を曲げる様な真似なんて記憶に……記憶に…………あったわ、そういえば。
指摘を受けて記憶を撹拌すると、直ぐに浮き出て来たのはちょっと前の大森林での一件だ。
俺がエルフ達から聖者だなんだと呼ばれる様になった黒歴史にも近い出来事――その原因となった女神様印の聖気を大量にぶち込まれた際、鎧ちゃんはちょっと息苦しそうにしていた。
苦痛とか機能障害が出るレベルの異常とか、そういった感じではないのだが……なんというか、美味いけど普段食い慣れないものをしこたま腹に詰め込んで胸やけを起こしたような……ゲップでもしそうな、そんな感じ。
呪物でありながら、この世界における至高や究極とも称せる質の聖なる力をみっちり詰め込まれたが故の反応だろう。
界樹の浄化に大体はブッ込んだのだが……結局、使い損ねた幾らかは無意味に放出するのも勿体なくて数日は鎧ちゃんの中に留めたままだったのだ。
最終的には大森林からの帰り際、シグジリアのお腹にいる赤さんとサルビアへの祝福にブッパしたんでもう殆ど残って無いけど……鎧ちゃんからすればあんまり留めておきたくない高純度が過ぎる聖気を、数日間は腹の中に入れっぱだった訳で。
……可能性としてはそれが一番高いな。というか他に思いつかん。
あのー、鎧ちゃーん? 今回の銘名に関して他者の魔力を拒むのは、エルフの聖地でのわたくしめの迂闊な運用も理由だったりしますかー?
当然ながら、言語的な意味で返答が返って来る訳では無い。
無いが、なんだろう。やっと気づいたか、と言わんばかりに腕を組んでツーンとそっぽを向いてる様な、そんな感じのイメージが相棒から伝わって来た。
うむ、つまり俺のせいですね分かります(白目
「心当たりはあったみたいだねぇ」
白目を剥いて天を仰いだ俺を見て、ファーネスが笑いながら工房の床に描いた魔法陣を親指で指し示す。
「ま、そうと分かれば通常の銘名や契約に使う陣からちと弄る必要があるね。坊個人の魔力で名付けを最後まで終了させるってのは、簡単にはいきそうにないが……そうさね、魔法と陣の構成を調整すれば一時的な仮契約くらいには持っていける様になるだろうさ」
今の処はそれで精一杯だろうねぇ、と言葉を結び、後は視線だけでどうするか問うてくる彼女に、俺は力無くそれでお願いします、としか返せなかった。
自業自得なのでなんも言えん。直ぐには無理でも将来的には儀式を完遂させて名を刻み終えるトコまで持っていけるようにしたいが……。
単純に、要求される総魔力量が俺が五人いても足りんのよ。儀式魔法を専用にチューンして魔法陣も同じく改良しても、流石に消費魔力が八割減なんてなる筈も無い。
結局は俺が鍛錬で魔力を伸ばすのは必須という事になる。鎧ちゃんにちゃんと銘をあげられるの何時になるんやコレ……。
……戦争は終わってるのが救いだな。急務って訳でも無いから一歩ずつやっていくか。
極論、名前があろうが無かろうがマイバディとは一生モノの付き合いだ。
亀の歩みになるだろうが、必ず銘名儀式の終わりまで漕ぎ着けるからさ。嫌じゃなかったら気長に待っててくれよ。
そんな風に、正面に鎮座する相棒に語り掛けて。
気のせいか、それに応える様に装甲を走る魔力導線が柔らかく明滅した様に見えた。
◆◆◆
――《銘名》"ガーヴェラ"。
そう、青年が唱えた次の瞬間。
光が溢れ、そして収束する。
相対する漆黒の魔鎧に生じた劇的な変容に、白の魔鎧を纏った男――ジャック=ドゥは眼を見開いて瞠目する事となった。
全身鎧としては細身である全体像はそのままに、手足の装甲はより重厚に、だが獣の爪牙を思わせる鋭利さとなり。
何かの機構が追加されたか、肩の装甲がより肥大化してより攻撃的なフォルムへと変わる。
ゆらりと背から伸び、姿を現したのは、無数の節が連なって出来た鋼の尾だ。
ピシリ、と音を立て頭部装甲の面頬部分に涙を思わせる新たな魔力導線が刻まれると同時、其処を基点として全身を走る深紅の魔力に変化が訪れる。
呪いの魔装の象徴ともいえる鮮血の如き赤から、鮮やかな緋色――そしてこの場に降り注ぐ朝の光を思わせる黄金にも似た陽の色へ。
ジャックには知る由も無いが……それは嘗て、青年がエルフ達の聖地で纏った光にも似ていた。
変身と呼べる程に変化激しい姿、これまで以上に増大した魔力と威圧。
何より、眼前で行われたソレには、特級の呪物であった魔鎧が明確に"変わった"であろう事を確信させる何かがあった。
それはまるで、血の染み込んだ戦場の大地の中で、それでも咲いてみせた純白の一輪の様な。
忌まれるべき、或いはそうであった筈の存在から生まれた、侵し難い奇跡の様な。
魔鎧としての外殻はより力強く、凶々しくさえある変貌を遂げていながら、しかしてその裡から溢れる"意"は呪われた魔装というにはあまりにも――。
男は戦いの最中であるというのに、手を翳して眼前の相手の姿を視界より遮りたくなる。
根から絶つ為とはいえ外法の道に加担し、血生臭い生き方を選んだ身にとって、ひどく眩しいものを見せられた気分だった。
本家本元の変化に影響されたか、《栄光》の魔力導線が激しく明滅し、装甲が軋みを上げるように震える。
邪法によって無数に詰め込まれた怨念・思念から溢れ出た激情は、元となった魔鎧への妬みにも、或いは憧憬にも似ていた。
ごった煮同然の、酷く雑然とした思念が精神に侵食しようとしてくる感触に、微かに憐憫を覚えるも……剣鬼は其の感情を侵食ごと捻じ伏せて蓋をする。
自分は今更になって己の魔鎧に……否、誰に対してであっても、同情を向けられるような真っ当な人間では無い。手当たり次第に切り裂くだけの人斬り包丁だ。
此処からが本領だと、猟犬は宣言した。ならば本当の戦い――己の望む死闘も此処からだ。
剣鬼は正眼に構えた剣を、改めて強く握る……ある種の予感を抱いて。
対する青年は短文の詠唱を行なった低い構えの儘、生えた尾だけを静かに揺らめかせ、告げる。
――こっから先が本番だ。タコ殴りになっても文句を抜かすなよ。
「上等」
湧き上がる戦意に任せて唇の端を吊り上げ、堪え切れぬとばかりに剣鬼は打って出た。
草木生い茂る丘の上でありながら、水面を滑るが如き足捌きで間合いを詰める。
剣の間合いまであと二歩――その瞬間に《栄光》の背面より魔力噴射が発生し、急加速した。
これ以上ないタイミングでの緩急を用いた歩。軽く跳ね上げた切っ先は次の瞬間、奔る紫雷の如き速度で上段からの打ち下ろしに変じ――。
黒い魔鎧の爆発的な超加速により刃を振り下ろすより先に懐に潜り込まれ、空いた胴へと強烈な体当たりを叩き込まれた。
(……ッ、これ程か!)
驚愕する暇も無い。
強かに胸部を打たれて白い魔鎧の胸板に亀裂が走り、打ち込まれた衝撃を殺す為に半ば自分の意思で後方に吹っ飛びながら、ジャックは装甲の下にある顔を警戒と歓喜が複雑に絡んだ感情で歪めた。
だが、その表情も次の瞬間には全身を撫で挙げる不吉な悪寒に完全に引き攣ったものとなる。
打ち据えられ、衝撃によりその両脚が宙に浮いたと同時。バクン、と音を立てて黒の魔鎧の肥大化した肩部装甲が開く。
周囲の空気が音を立てて其処に吸い込まれるのを見て取ったジャックは、白の魔鎧が胴の装甲の破損が治りきるのを待たず、地を削って吹き飛ぶ身体に急制動を掛けると湧き上がる戦慄と焦燥に押されて剣を構えた。
それと同時に、両肩の装甲に呑まれた大気が轟音と共に吐き出される。
ただ暴風を吹き付けたのでは無い。凄まじい圧縮を掛けた空気に物理的破壊力すら伴う音量を乗せ、指向性を持たせたそれは、正しく音の砲撃であった。
直撃すれば終わる。だが完全な回避も不可能。
瞬時にそう判断した剣鬼は、最速で剣を振るう。
選んだのは迎撃――迫る不可視の音撃に向け、自身と《栄光》の魔力強化の出力を全開にして無数の斬撃を叩き込んだ。
音の壁と剣撃の壁がぶつかり合い、前者が切り刻まれて砕け散る。
だが、圧縮された空気ごと斬り裂かれた音は、その威力と量を減じながらも周囲にまき散らされた。
迎撃の瞬間、ジャックは身体強化の中でも聴覚に回していた魔力はカットしていたものの、それでも耳孔に飛び込んできた大音量は鼓膜を揺らして余りある。
(ぐ……こいつはっ……マズッ……!?)
視界が揺れ、僅かだが足元が覚束なくなる。
戦闘が不可能、という訳では無いが眼前の相手を前にこの状態は致命的なものとなりかねない。
回復まで数秒。この隙を見逃す事無く殺りに来るであろう猟犬を迎撃せんと、剣鬼はフラつく視界を叱咤して剣を構え――。
――うぉおぉ……み、耳が……視界に星が廻るぅ……!
「……ってアンタもダメージ受けるのかよ!」
動きを止め、頭を抑えて呻いている黒の魔鎧の姿に揺れる視界も無視してツッコミを入れる。
二人ともなんとか構えを取るものの、互いに自分と相手、どれだけ先の音撃での影響が大きかったのか判断が難しい状況、一転して間抜けなお見合い状態となりそのまま十秒程が経過した。
奇しくも揺れる視界や耳鳴りが収まったのはほぼ同時。だが、命のやり取りをしているというのにアホなやり取りが混ざった所為か、両者ともに何となく気不味い空気で仕切り直しに間合いを図る。
摺り足でじっくりと距離を詰め、様子を伺うジャックだが……妙ちきりんな結果となった攻防で得た情報は彼の方が多かった。
僅かに交わした会話やこれまでの言動からして青年――《聖女の猟犬》は、その功績の大きさや立ち回りの速さによって隠れがちだが、相手を狩る為の入念な準備や下調べを軽視しない人種だと思われる。
少なくとも時間や機会が許すのならば、自己の武装の性能把握を怠って自爆する様な真似はしない筈。
だとすれば、答えは一つだ。
「……その姿、殆ど使った事が無いな? 使用時間か、或いは回数か、制限があると見た」
指摘を受け、青年は無言。
動揺など欠片も見せずにスルーされたが、おそらくは正解だろう。確信に近い感覚を以てジャックはそう判断した。
そして、その予想はほぼ当たりと言って良い。
動じてこそいないが、青年は魔鎧の頭部装甲の下で渋面を浮かべていた。
あんな滑ったコントみたいなんで其処まで見当つけてくんのかよ、めんどくさっ。と、内心と表情を一致させて胸中でのみ吐き捨てる。
《銘名》――それは名付けによる性質の強化と使い手への完全最適化である。
ファーネス……と言うよりマイン氏族の工房のドワーフ達が我も我もと総出で行った調整により、最終的に儀式魔法による銘名直前の状態を保持する事が可能となった《報復》。
しかし、主である青年の魔力のみによって結ばれる名付けの儀式・契約は、哀しいかな完成の為に求められる持ち主の魔力が全く足りていない。
現状では彼の魔力を根こそぎ注ぎ込んでも一時的な仮契約状態が精一杯。忌憚なく言ってしまえば"仮でも契約状態に移行できるだけ上等"な魔力量の為、持続時間に換算すれば10分もあれば良い方だった。
加えて言うなら、青年がこれを行うのは本日《《二度目》》だ。
一度目は死にかけていた女の子――ファルシオンと呼ばれていた少女の救命手段として使った。
霊薬と併用して《三曜の拳》による気脈の操作・治療の補助が必要だったのだが、普段の彼の練度では治療に使うのは難しい為、使用に踏み切っている。
時間自体は1分にも満たなかったが、それも併せてにも日没から延々と魔鎧を使って戦っていた彼の魔力はこの場において万全とは言い難い。持続時間は更に短くなっているだろう。
とはいえ、青年に焦燥や不安――ましてや後悔は欠片も無い。
あの亜麻色の髪の娘を死なせてしまえば、戦友にして気の置けない友人でもある少女の心中に大なり小なり傷を残す可能性があった。
そんなロクでもない結末は認められない。言葉にする事こそほぼ無いが、人生は一流の悲劇より三流の陳腐な喜劇によって彩られる方が良い、その為に打てる手は打つべし。というのは彼の行動基準の一つである。
時間制限あり――それがどうした。
手にした新たな力を使い慣れていない――それがどうした。
それでもやれると、青年は確信している。
だって彼の相棒である魔鎧が、その意思を明確に、真っ直ぐに伝えて来た。
自分達ならば勝てる、と。
だから自分の銘を呼んで、と。
ならば、それに応えるのは彼からすれば当然である。
初っ端にトチって間抜けを晒したが……その御蔭で大まかにだが今の相棒の使用感とでもいうべきものは掴んだ。
あとは勝つだけだ。
――行くぞ、相棒。
仕切り直しとばかりに再び力強く呼びかけ、猟犬は疾走を開始。眼前の剣鬼を狩るべく打ちかかった。
一方でその剣鬼――ジャックの方は、奇妙な睨み合いの間にも交した一手から新生した黒の魔鎧の性能を考察していた。
先の攻防、漆黒の流星が瞬きより早く密着距離にまで踏み込んで来た瞬間、咄嗟に柄打ちに切り替えて飛び込んできた肩口へと打ち付けたが装甲に罅すら入らず、幾らか突進の威力を減衰するに留まっている。どうやら単純な装甲の強度も上がっていると見てよさそうだ。
魔鎧の持つ魔力噴射機構は咄嗟の移動や体勢を問わない急加速を可能とするが、圧縮した魔力を狭い噴射口から吐き出す為に動作の入りはどうしても派手になる。
それ故に、敵意、戦意、或いは害意や殺意――闘争に置いて実際の攻撃よりも必ず先に届くであろうその意識の軌道を読む事に長けた彼には、その超高速に対応できるだけの先読みのアドバンテージがあった。先程までは。
"意"を読み取って尚、反応がギリギリとなる程の加速。
その上先程までの魔力噴射と比べ、放出が格段に滑らかになっている。端的に言えば、動作の予兆は数段読み辛くなっていた。
(元から性能差はあったが……魔鎧の機能が全面に出る部分で競うのは不可能に近いな)
只でさえ複製品であり、あくまでジャックにとっては装備の一つでしかない《栄光》と、文字通り新生し、極限まで性能を引き出したらしき青年の魔鎧。
元より格差は明確。この上、《報復》の方に更なる強化が為されたというのであれば、機能・性能の押し付け合いでは勝負にならないのは明白だった。
だが、それで良い。
男は剣士であり、剣こそが青年にとっての魔鎧だ。
これで漸く、本当の意味で互いに本身――ならば、後は存分に猛るのみ。
ジャックは嗤う。望んだ死闘――その最上のものであろう時間が訪れる確信に。
青年は笑わない。ただ己が纏う相棒への信頼を瞳に乗せ、勝利をもぎ取る為に真っ直ぐに敵を見据え、迫る。
そうして、名無しの修羅と聖女の猟犬の戦いは再開された。
低い姿勢で飛び込んでくる猟犬の追撃を、剣鬼は得物を構えて迎え撃つ。
最短距離で空を抉って繰り出される縦拳に刃を合わせて弾く。
切り返した切っ先が虚空に銀光を描き、胴を薙ごうとする。
全体で見れば装甲が重厚化したにも関わらず、黒の魔鎧は格段に速くなった魔力の圧縮と噴射を用い、魔装の鎧すら容易く切り裂く斬撃を手刀で打ち落とした。
大気を灼き焦がして獣の爪撃の如き蹴りが飛ぶ。刃が添えられ、軌道が逸らされる。
蹴りを捌けば拳のソレよりも格段に大きな隙が生まれる。返す刀で軸足を斬り飛ばさんと白刃が翻った。
鞭が空を打つような音と共に、鋼の靭尾が唸りを上げて刃を打ち据え、火花を散らす。
尾と剣が競り合った瞬間、刹那の動きの停滞を縫う様に猟犬が魔力噴射を使って右手に回り込む。
一瞬にも満たぬ間にその動きを読んだのか、剣鬼は尾を強引に弾くと同時に魔力噴射で旋回と無手の間合いからの離脱を図る。
再度踏み込む黒、八双の構えで再び迎え撃つ白。
魔装の鋼が打ち合い、微かに鉄の焦げる臭いと共に無数の甲高い音と火花が虚空に咲き乱れてゆく。
日の出の光照らす丘の上、加速してゆく白と黒の鎧姿はやがて流線の如くぶれ、目まぐるしく位置を変えながら両者は紅と陽色の魔力光の尾を引いた地上の流星と化す。
おそらく人外級の戦士であっても、これ程の超高速戦を経験したものは稀であろう。
そう断言できる程の戦い――魔鎧同士の激突は、地を抉り、砕き。宙を裂き、焦がし。それでも足りず。
二人だけの戦場で、その姿が、音が、更に加速してゆく。
拳が、刃が交差し、その度に流星を彩る様に飛び散るのは攻防によって破損した装甲の破片だ。
白と黒の星屑――両者の間に舞うその色は、白の方が圧倒的に多い。
「ッシィッ!!」
気炎を乗せた鋭い呼気が吐き出され。
猟犬の一撃を捌き、剣鬼が身を捻って打ち込んだ反撃の一刀が鋼の尾によって逸らされる。
斬撃のもつ物理・魔力両面でのエネルギーを柔らかに散らされ、流れる様に打ち込まれる拳打を魔力噴射と一寸の見切りを併用して躱す。
大気を穿つ打撃が、一瞬前まで白の魔鎧の頭部があった場所を貫き、火花と小さな破片を宙に散らし。
耳元を掠めた一撃の寒気すら感じさせる鋭さに、ジャックの背に何度目か分からぬ戦慄が走り抜けた。
(出力は上がり、基礎機能の扱いも向上した。あの尾も厄介だ――だが何より……!)
何より、青年の振るう技。
単純な体術は勿論の事、魔力を主軸として、相手や周囲の力の流れそのものを掌握するような絶技。
一手打つごとに、一手しのぐ度に、凄まじい速度でそれらの精度が向上している。
それは技量自体が上がるというより、元よりあった技術が掘り起こされ、使い手たる青年の身体に馴染んでゆく様であった。
魔鎧によって脅威的な速度と威力を与えられているとはいえ、あくまで技自体は粗削りな面が目立つ――言ってしまえば才無き凡庸な者が数年丁寧に鍛えた、程度の練度でしかなかった筈の体術は、天賦の才を持つ者が無数の屍を積み上げた先に至る領域へ。
ジャックの言う処の絶技……即ち《三曜の拳》のソレに至っては、彼が一手でも対応を誤れば致命的な痛打か隙を齎すであろう超絶の域に近づきつつある。
技の冴え、キレ。全てにおいてまるで別人――それこそ、中身が入れ替わったかはたまた何かに憑かれたのかと思う程の変わりっぷりだった。
(原理は分からんが、この技の練度、何処まで上がる……!?)
これで何合目か。
一際鋭い剣の一閃と手刀の一閃が交わり、互いにすれ違う体勢で繰り出した一撃が弾き合って二人の身体を一歩後方へと押しやる。
立て直しは両者ともに刹那。
だが、離れた二歩分の間合いは剣の距離であり、故に白の魔鎧が一手先んじた。
明確にあったの技量の差を埋められつつある剣鬼が、不利な流れを断ち切らんと瞬時に、だが深い集中状態に移行。
柄を硬く握りしめていた指が、剣を構えた腕がゆるりと脱力し――刹那、力を漲らせて加速する。
横溜めに剣を傾げた八相の構えより繰り出されたのは、初速の段階で音すら断ち切った神速の斬撃。
空を裂く剣閃は一息に三つ。二息でその倍となる。
単純な手数だけでみれば、同じ系統の剣士である《刃衆》の長たる少女にも同数以上の斬撃が繰り出せるであろうが、男の放った連撃はその全てが人外級の首に届き得る必殺の一撃であった。
瞬きよりも早く迫る銀光を、遅れも怯みも無く構えられた漆黒の魔鎧の両腕が迎え撃つ。
鋼同士の擦過音、飛び散る火の華、削れ飛ぶ僅かな黒の破片。
獣の爪が如き鋭利さを持つ腕は、絶死足り得る攻撃の全てを逸らし、弾く鉄壁の盾として剣鬼の連撃を悉く凌いで見せた。
袈裟斬り、左斬り上げ、翻って左薙ぎ――全て猟犬の翳す手掌によって捌かれ、叩き落とされる。
が、刃は止まらず、一撃凌がれるごとに更に加速。
打ち落とされた剣先を跳ね上げ、逆風――握った拳が手首の返しだけでそれを逸し、切っ先は天へと振り抜かれた。
間髪入れずに唐竹――落雷の如き一閃は、魔力噴射によって半身が傾けられた漆黒の魔鎧の、頭部装甲にある角らしき部位を掠めて斬り飛ばす。
天から地へと落ちた切っ先は、それに匹敵する速度で引き戻されて喉への刺突となって奔り――今度こそ翳した両腕の護りを突破。
その手が防ぐより早く、逸らすより早く。喉元へと剣が迫る。
だが次の瞬間、脇下を潜って強襲した猟犬の尾が、寸での処で刺突を打ち据えて弾いてみせた。
「……ク、は、ハハハハッ!」
極限の集中、其処から繰り出した絶死の連撃。
同格の強者であっても無傷で凌ぎ切るのは容易では無い其れを、一つ残らず対処してのけた相手を前に、剣鬼は歓喜の哄笑を上げた。
やはりそうだ、先程感じた感覚は正しかった。
いや、闘技場で戦ったとき――或いは、《大豊穣祭》の開会式で、尖塔の上に立つ《聖女の猟犬》と眼が合ったときから、予感があった。
打ち合う。既に何合目か、数える事も億劫となった拳と剣を、飽きる事なく交わす。
打ち合う。一手ごとに僅かに、だが確かに天秤が傾いてゆく感触。それに益々の歓びを覚え、剣を振るう。
打ち合う。相手の速さに対してついに対応の遅れが出始めるが《栄光》に魔力を叩き込み、無理矢理に追いつかせる。
裡にある、死闘を求める修羅の如き衝動が満たされる、これ以上無い充足感。
だが、それ以上に。
「いいねぇ! 最高だ《聖女の猟犬》! やはりお前が、俺の――!」
攻防の最中、興奮の儘に叫ぼうとしたジャックの歓声を、興味無しとばかりに無反応を貫いて猟犬が断ち切る。
脇構えから脛を狙って払われた一刀が、足の側面を使って逸らされた。
動作としては攻撃を捌けるようなものではない。だが、接触した部分から完全に物理と魔力の流れを掌握され、攻撃自体が明後日の方向へと流された白の鎧姿の上体が僅かに泳ぐ。
それを魔力噴射で瞬時に立て直し――だがその一瞬すら隙と見做した強烈な一撃が叩き込まれた。
突き込まれた拳が、白の魔鎧の装甲を砕く。
喉を狙ったそれをジャックは身を捻って外し、逸れた打撃は左胸上部を打ち抜くに留まる。
致命打は避けたが受けた衝撃は凄まじい。装甲を破壊し、威力を貫通させた打撃が鎖骨に罅を入れる感触を感じながら、剣鬼は後方に弾き飛ばされた。
吹き飛び、だが空中で魔力噴射を用いて体勢を立て直す。地を抉りながら急制動を掛けて着地した。
致命こそ回避できたが痛手を負った。それでもまだ腕は上がる。剣は振れる――ならばまだ戦える。
魔鎧による痛覚の鈍化と身体中を駆け巡るアドレナリンの効果で、なんら動作を停滞させる事無く男は剣を握り直し、顔を上げ。
同時にギシリ、と亀裂の走るような音が響くのを耳に拾い、その発生源を見て絶句した。
「――――ッ!」
虚空を軋ませ、視界一杯に発生した馬鹿げた量の魔力弾を見て眼を見開き、空に瞬く無数の星屑が地上に下りてきた様な圧倒的な光景に、息を呑む。
細く尖った、弾というよりは錐の如き形状のそれらを背負うは、腰を落とし、半身になって構えた《聖女の猟犬》。
緩やかに開かれた左の掌を前に突き出し、逆の腕は脇に畳み、胸元で握られた拳は弓の弦を引き絞るかの様に力を撓めている。
互いに言葉は、無い。
それでも、戦いの終わりが近い事を両者ともに感じ取った。
昂る闘志に呼応して二つの魔鎧から唸りを上げて魔力が立ち昇り、陽色と紅の光が明滅する。
(あぁ、やはり……)
気息を整え、正眼に構え直し。
首筋を撫で上げる戦慄と怖気、胸に溢れる歓喜と充足に挟み込まれて剣鬼は笑う。
(猟犬。お前が俺の死か)
渇望した死線の果て、齎されるであろうものがすぐ傍まで忍び寄ってきている感覚を覚え、それでも笑みを浮かべる男。
はたして男が真に望んだのは、戦いそのものか……それともその先の結末であったのか。
何もかも、今更だ。
今はただ、眼前にある死闘を制する。
その為に剣鬼は冷静さを保った儘、同時に本能に火を入れて血を滾らせた。
魔力と戦意だけが天井知らずに膨れ上がり、ぶつかり合い、渦を巻いて丘の上に満ち満ちて。
やがて永劫にも思える対峙は、唐突に終わりを告げる。
全身の噴射機構を用い、最大加速で前に出る剣鬼の纏う《栄光》。
凄まじい速度でありながら、滑る様な歩を乱さぬそれを迎え撃つは、猟犬の展開した膨大な数の魔力弾。
一斉に放たれる流星群の如き魔力の錐――その一波を白い魔鎧が加速に任せて潜り抜ける。
だが、放たれる魔力の雨はそれで途切れる事は無い。視界を埋め尽くす魔法を急所を打つであろうものだけを選んで打ち落し、残りは限界まで魔力を流した装甲で受け止めた。
身体のあちこちに魔力錐が突き立ち、血飛沫を上げ――だが《栄光》の装甲に阻まれ、表面の肉を抉るに留まる。
「お……お、お、お、オオオオッ!!」
魔力の瀑布を突破し、その向こうにいる猟犬へと渾身の一刀を振るうべく、剣鬼の喉から裂帛の気合を乗せた咆哮が上がった。
押し寄せる魔法、その最後の波を跳ね上げた切っ先で斬り砕き、弾き飛ばそうとした、その瞬間。
降り注ぐ魔力錐の雨を突き破り、漆黒の魔鎧の姿が眼前へと現れる。
剣鬼の意識が魔法の突破に専心した瞬間を狙っての突撃。
その為に自身の放った魔法に躊躇なく飛び込んで身を晒した黒の魔鎧は、向かい合う白の魔鎧と同じくあちこちに錐が突き刺さり、朱に濡れている。
拳を構えた儘、真っ直ぐに飛びこんで来たその姿を見た剣鬼が感じたのは驚愕と敬意、そして歓喜。
己を打倒せんと力を撓めた拳を解放しようとする猟犬を、魔法の迎撃を放り投げて全力で迎え撃つ。
後の事など一切考えない、文字通りありったけを込めた正真正銘の渾身の一太刀。
全身全霊を振り絞った正面からの一撃は、それ故に男の限界を超え、完全に出遅れた筈の一撃を間に合わせる。
何百合目かの、そして最後となるであろう拳と剣の激突。
間違いなく互いの最大威力の激突に、爆風の如き魔力が荒れ狂い、紫電を撒き散らして残る魔力錐を消し飛ばした。
凄まじい轟音と衝撃の中、打を放った黒の装甲、剣を握った白の装甲共に震え、軋み、ぶつかり合う拳と刀身が互いの攻性魔力に炙られて赤熱化する。
単純な出力ではオリジナルに劣る《栄光》。
正面からのぶつかり合いにおいては不利な筈であったが、使い手たる剣鬼の、一撃に命諸共全てを掛けんとする意思により、その限界を超えた力を引きずり出され、この瞬間のみ、猟犬の魔鎧と拮抗してみせた。
――だが。
(……まだ、上がる……!?)
鬩ぎ合う力の奔流の中心、男は新たなる驚愕で上塗りされた表情で眼前の競り合う相手――黒き魔鎧を纏う青年を見つめる。
その驚きが示す通り、猟犬の――魔鎧の出力は更に上昇を続けていた。
陽色の光溢れる魔力導線は上がり続ける出力に影響され、その輝きを強める。
淡い朝陽より眩い陽光へ。
そして、更に白熱した先、陽の光を受けて輝く――白雪を思わせる純白へ。
その瞬間。
男は今も死力を尽くして競り合う青年の背に寄り添う、少女の姿を幻視した。
青年と同じく、真っ直ぐに此方を見つめる紅い瞳に宿るは、敵を打ち倒さんとする意思と青年への無上の信頼。
そして、更にその背後。
二人の背を押す様に続く何人もの"誰か"は、ごく普通の若者であり、古強者然とした魔族の戦士であり、年若い魔導士でもあり――。
「――あぁ、そうか。タコ殴り……そういう事かよ」
納得が行ったような、苦笑いを含んだ声色でその口から言葉が零れ落ちる。
「勝てねぇワケだ」
剣が弾かれ、跳ね上げられ。
すれ違いざまに一閃した猟犬の手刀が、剣鬼の胴を深々と貫き、切り裂いた。
噴き出た鮮血によって半身を朱く染め、男が膝を着く。
「ゴ、フッ……ハ……終わり、か」
吐血し、早くも死相の浮き出たその表情は、名残惜し気でありながらどこか安堵が滲んでいるようにも見えた。
――なんか言い残す事はあるか?
その位は聞いてやる、と続け。
薄い燐光に包まれ、元の姿に戻ってゆく黒の魔鎧が振り向き、問い掛けた。
殺すべくして殺した相手に、随分と優しい事だ。
霞む思考の中、そんな思いが掠め、男は再び苦笑する。
「ねぇ、よ、そんなモン……ちと早い終わりだったが、楽しかった。満足だ」
遺言なぞ、ある訳も無い。
剣に狂った人斬りとして進むと決め、寄り道がてら外道に加担し、いざ本道に戻らんとして最初の一人目に負けて死ぬ。
堕ちるとこまで堕ちた人間にお似合いの末路だ。その一人目がこの青年だというのなら、猶更に後悔は無い。
……ただ、まぁ。
望みがあるとすれば、それはくたばった後だ。
この世界の生命は、死後須らくその魂、創造神たる女神の下へ流れつくという。
所詮は人聞きの話だ。実際にそうであるかは知らないが、もし。
もし、叶う事なら、その神とやらには戦争が終わった後にノコノコとこの世界にやってきた間抜けの魂を、元居た場所へと放り捨てて欲しい。
戻ったところで箍の外れた人斬りが死後向かう先など、地獄以外の何処でも無いだろうが、それでも。
それでも、きっとこの異世界よりは、アイツらの居る場所に近い筈だから。
そんな、未練がましい願いは口にする事無く。
名無しの剣鬼であった男は、力を喪った身体で大地に転がり、朝焼けが夜闇を押し退け始めた空を見上げる。
そうして暗くなってゆく視界の中、ゆっくりと眼を瞑ろうとして――なんとなく、この世界で出会った義妹と同じ髪色をした少女の事が思い浮かんだ。
あの娘に剣の振り方を教えたのは、単なる気紛れだ。己の生き方には不要だと振り切っておいて何を今更。
この期に及んで言い訳じみた間抜けな事を考える己を鼻で嗤い。
それでも、その気紛れの理由が、あの娘が出会った頃の義妹の様な辛気臭い顔であったという事を思い出して。
「あぁ……ふり、か……た」
もう一度、見てやる。そんな口約束をしていた少女に、約束を破った事への謝罪を口の中で呟くと。
虚空に伸ばしたその手は何も掴む事無く、力を失くしてポトリと落ちて。
誰でも無い男は、静かに事切れたのだった。
《銘名》ガーヴェラ
猟犬専用に最適化させた別名、スーパーおんぶに抱っこモード。
歴代使用者が魔鎧に継承させた技術や魔法の多くを中の主人格が全力サポートする事で使用可能になっている。
形態変化以降から時間経過で更に適合度合いが上がって完全最適化状態になるが、現状の仮契約状態だとそうなる頃には維持時間がラスト1分くらいになってる。なんもかんも駄犬の魔力が貧相なのが原因。
銘名儀式の完全な完了が為されるまでは、実質時間制限ありのパワーアップ形態みたいなもの。
"聖女姉妹やメンテしてくれたファーネスの魔力も弾かれたし、こればっかりは自分でなんとかするしかない"
と、腹を括っている駄犬であるが、自分以外の魔力でも鎧ちゃんが無条件で受け入れるであろう唯一の人物が身近にいる事には気付いて無い。
尚、その当人も銘名の儀式で補助に手を挙げようとしてソワソワした挙句、結局立候補出来てないので残当である。
誰でも無い男
本名不詳。確認出来る限りでは最後の転移者。
転移してくる前から斬鉄とかが可能なレベルの剣の達人。そこに転移者ボーナスが加わって、転移時点で人外級に到達する事が確約されていた。
バトルジャンキーとそれに伴うリスクジャンキーでシリアルキラー予備軍。
元居た世界でも異世界でも生まれて来る・生きる時代を間違えた男。
それでも元の世界では、自身のヤバい本性と折り合いをつけて生きてゆこうと思えるだけの人の縁に恵まれたが、転移して人間関係リセットした事で箍が外れた。
飄々とした言動を気取っていたが、元の世界の縁に対して未練タラタラの死に場所探しマン。
本性に沿った屍山血河の路を征きつつ、それでとっとと死ぬであろう事も薄っすら期待していたが、本格始動の一人目が猟犬だった事でそれは早々に叶った。