小幡和輝「学校は行かなくてもいい」を読んだ感想と内容紹介
ひとつの意見として、この本は読む値する本だと思います。どうやってこの本を知ったかは覚えていませんけれど、書店で注文して買いました(ちなみにちょうどそのとき台風が直撃したので書店に到着は大幅に遅れたのが残念です)。
著者の小幡さん自身も小2あたりから中3まで不登校だった。小学2年生なのに中学校で習うマイナスという概念を知っていたそのこと自体が返って異質な存在とみられたのかもしれませんね。異質な人は排除されやすい傾向にあるのも事実でしょう。僕もそういう傾向があるので、20代になった今は小中学生時代の同級生とはひとりも連絡を取っていません。というか今だったらゆたぼんのように自由登校で「良い」と考えるほどなので。有料のスタディサプリや無料のヨビノリなどのネット講義は今の時代ありますし、仮にわからないところがあってもYahoo!知恵袋で訊いたら大学3年生くらいのレベルまでなら5科目当たり前に正しい答えがすぐに来るからです(大学入試問題ネット投稿事件のときに京都大学の数学の入試問題にあっという間に正しい回答がついていたな)。
著者の小幡さんの主張はわかります。「これまでの教育は平均点を上げることを目的としていた。けれど機械が発達した今はそういう単純作業は機械の方が正確だし、プログラミングをきちんとすれば内引きやバイトテロも一切起こさない」。ウルトラに数学出来、国際数学オリンピックで全問正解を取れる実力があっても高校のテストの満点は100点。仮にその試験がセンター試験(少し前に廃止になりましたが)だったら、満点の200点しか取れないということ(とは言え、そこまでセンター試験はそこまで易しいレベルの試験ではない。高認と違い受験者をふるい落とすのが目的の試験だから)
ただし、この本は多少真似できないようなレベルのことも書いてある。著者の小幡さんは定時制高校生時代に起業したとある。結果としてみるとうまくいかないこともときにはあったとはいえ、なんとかうまく行った。けれど、廃業に追い込まれる人や企業だって珍しくない。数年前に田舎なのに台湾料理店が出来たときは「潰れるんじゃないの?」と思っていたが、案の定あっさり数か月後に閉店した。
Amazon★1の批判レビューの意見もわかります。どうしても社会は学歴が物いう傾向にあるのは間違いないからです。「仮にこの本を完全に信じて学校に行かないで人生がうまくいかなかった場合に著者はどうするつもりなのか?」と。
ただし、その一方で不登校の生き方、というのも模索しても「良い」とは、僕は、思うのです。