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逢魔が時

 稜線に夕陽が触れると、木々の長い影は徐々に闇に溶けて見えなくなっていく。

 不意に山肌を昇ってきた強風が肌を撫でて過ぎた。

 木々が一斉にざわつき、烏が鳴き声を上げながら飛びたった。

 夜の山が奏でる音に不気味なものを感じるのは、いま、俺達が置かれている状況と心理によるものだろう。

 アラームを受けてから10分、俺と咲美は妖魔の出現報告のあった森深い山を歩いていた。

 市街地に寄り添うように聳える古い山だ。風が吹いた麓を振り返ると、電気の灯りに彩られた市内が見下ろせた。

 俺達の暮らす小さな小さな箱庭。あの灯りの一つ一つに人の生があり、俺達はその命を守るために今、戦いの地へと赴いている。

 そう思うと、誇りと義務感で身が引き締まる――。

 とは思わなかった。一度も思った事もない。

 幼い頃より退魔師(エクソシスト)になるべく育てられた俺は、自分が退魔師であることに疑問を持ったことなど一度もない――わけがない。

 妖魔が人々を、友達たちを手にかけて殺すかもしれない恐怖はあった。それを防ぐ力が自身にあるのならば、そうしたいとも思う自分も確かにいる。

 だがそれと同じぐらいに、妖魔そのものに対する恐怖、自分が戦いによって殺されるかもしれない恐怖も確実にあった。

 任務の時はいつもそうだ。戦いに赴く時は底なしに湧き上がる恐怖で身が竦み、頭がどうにかなりそうだった。

 なぜ俺なんだろう?

 退魔師は退魔師であること明かしてはならない。妖魔に勝っても感謝もされなければ、敗けて殺されても使命に殉じて戦死したとして悼まれることもない。

 退魔師にならなければ、俺もクラスメイトたちのように放課後に寄り道を楽しみ、原田のように趣味や恋愛に全力で一喜一憂するような人生があったのだろうか。

 咲美の方を振り返ると、咲美もまた町を見下ろしていた。学校の方を見ている気がした。

 その瞳に哀感のようなものを見えたよう気がし、そんな顔の咲美もまたキレイだと場違いな感慨に浸った。

 たった30分前まであの学校で一緒に授業を受けていたのに、今は人里離れた暗い山中に居る。それもバケモノと一戦やらかすために。

 現実感が遠のく感覚に襲われる。あの宝石箱のような、日常という世界からずいぶん遠くに来てしまった気がした。彼岸に立ち入ってしまったような……。縁起でもねぇ。

 咲美と二人で夜景を望む――。

 これが任務でなければどれほどよかったかと、胸中に吐き捨てる。

 それぐらい思う権利はあるだろう。でなきゃ退魔師なんて商売やってられん。

 咲美は……咲美はどうなんだろう?あいつは退魔師である自分に疑いを持ったことはないのだろうか。



 やがて太陽が完全に山の向こうに消えさると、夜の帳が森を包みこんだ。

 闇の眷属たちが最も力を放つ時――。

 不意に飛来した「気配」が体を撫でて通り過ぎ、全身の肌が泡立った。

 風ではない。悪寒のようでもあり、猛獣の生暖かい吐息のようでもあるそれは、今や俺達を包む森の全方位から、明らかに俺達に向けて発せられている。

 良く知った気配であるが、全く慣れないし、まして慣れたくもない。

 この邪悪な気配を発する震源に妖魔がいる……!

 折り重なる木々の奥へと眼を凝らす。その底暗い闇に灯りが灯った。

 連鎖するようにそこここで灯りが灯り、俺達を取り囲む。その数は両手両足で足りんほど。妖魔たちが獲物を仕留めんと、眼を血走った血の色で染めていた。

 俺と咲美は即座に背中合わせになり、懐から「柄」を取り出した。

 こちらの気迫に妖魔たちがたじろいだのも一瞬、攻撃の色に染まった瞳たちが、じりじりと距離を狭め、包囲の中心にある退魔師に一斉に襲い掛かった。

 だが、

「はっ!」

 俺は柄を妖魔に向けて叫んだ。

 掌に力を込めると、柄の先から光が伸び、輝く矢となって妖魔の体を口から貫いた。

 上段に構えた柄を、そのまま渾身の力で叩きつけた。併せて動いた光の柱が妖魔たちに振り下ろされる。

「稲妻斬り!」

 飛び掛かってきた妖魔の群れが海割りのごとく二つに割れ、その先にあった大木が雷を受けたように真っ二つに裂かれた。

 一太刀で二つに分離した魔狼たちの肉体が錐揉みしながら宙を舞った。

 その影に隠れるように、妖魔たちは臆することなくなおも飛び掛かってくる。大振りを放った俺は無防備な背を晒していたが――。

 俺の肩を蹴り、頭上に跳んだ咲美が聖銀刀を抜きながら叫んだ。

舞蛍(まいぼたる)!」

 瞬間、俺の周囲で光の竜巻が起こった。

 無数の蛍が高速で飛び回るかのような光の暴威に触れた妖魔たちの体は、シュレッダーを通過したように千々に分離した。

 光の剣によって焼き切れた妖魔の体がぼとぼとと地面に落ちると、断面から銀色の炎が噴き出した。それは瞬く間に広がり、5秒と経たずに妖魔の体を灰も残さずに消滅させた。

 聖銀刀。

 魔除けの印や紋章がナノレベルで封じ込められた銀製の柄を介して、使用者の気を媒介に剣の形となって顕現した祓魔の光。輝く銀の剣。

「背中がお留守だぞ!」

 俺の眼前に鮮やかに着地した咲美が憎まれ口を叩いたが、その口調はどこか喜色ばんでいる。 戦いの高揚感。獲物を仕留めた達成感。まるで俺のことを助けた事が、世話を焼いて貸しを作ったことが嬉しいかのような。

 俺が大技で妖魔どもを薙ぎ払い、迫りくる妖魔どもは咲美が切り捨てる。

 オフェンスとディフェンスのフォーメーション、俺と咲美のコンビのそれがバトルスタイルだった。

 いつもとと変わらぬ咲美の舞姫のような戦いぶりと憎まれ口ぶりに、俺の口も少しばかり綻んだ。

 不思議なもので、戦いの前には恐怖に竦んでいた心と体が、いざ戦いが始まると、まるで枷が外れたかのように軽くなる。

 退魔師として経験が体を勝手に動かして、肉体の活性に脳が連動するような。戦いの事だけで思考が満たされ、恐怖も麻痺するのかもしれない。

 そしてその自己暗示のような酩酊感に入ると、心の奥の方から喜びや楽しみと呼ばれる類の感情が湧き上がってくる。

 日頃の鍛錬の成果を示し己の力を試し、人類を守っているという誇りと、人を脅かす化け物をこの手で屠っているんだという被虐と復讐の感情――、正と負の感情が同時にこみ上げてきて、戦いを楽しんでいる自分に気付かされる。

 油断や慢心というのとは違う。むしろ緊張感と高揚感が同時に高まった時にこそ、最も肉体はパフォーマンスを発揮するという事を、俺は経験から悟っていた。

 高揚しているのは咲美にしても同様であろう。聖銀刀を構えた咲美の顔は、口角が三日月型に薄く吊り上がっている。

 いや高揚どころではない。今の咲美は戦いに望む喜悦を、退魔師の義務感という薄皮一枚の下に押し留めている。そんな風情だ。

 笑みを浮かべながら妖魔を屠る鬼神の如き戦いぶりは「どちらがバケモノか分からない」と評されるほどで、仲間たちからは「咲華姫さくやひめ」の渾名を頂戴していた。

 長く共に戦っていて、実際、咲美には自分の身を案じていないと思う節があった。まるで死を恐れていないような――。

 戦術の上では俺が攻撃で咲美が防御だが、咲美はともすれば暴走することがままあった。

 だから俺が咲美のことを守ってやらなければならない。

 俺と咲美は互いの背中を預けるように構え魔狼たちの襲撃に備える。だが魔狼たちはすぐに襲い掛かって来なかった。

 死を恐れているのではなく、こちらの強さを認めて攻めあぐねているのだろう。

 だが、包囲をジリジリと狭めた魔狼たちは、示し合わせたように再び一斉に襲い掛かってきた。

 跳躍し、空中まで含めた全方位から襲い掛かる狼たちの群れ。

 しかし、俺と咲美は魔狼たちの爪を同時に受ける愚は犯さない。

 こちらから前方に吶喊。地面のすれすれを走った俺は跳びかかる魔狼の腹の下に潜り込み、その体を正中線より二つに両断した。

 空中に居れば方向転換も出来ず、攻撃も躱せなくなるのは道理であり、まして光の剣ならば受け止める事も不可能だ。

 目前の魔狼を排除した俺と咲美は包囲を抜けて、逆に魔狼たちの背後に廻った。

 円陣からの同時攻撃も、対象が動けば同時攻撃ではなくなる。

 魔狼たちの爪が数瞬前まで俺達のいた空間を切り裂く。その隙をついて俺達は再び聖銀刀の光刃を巨大化させて稲妻斬りを放った。

 二条の雷が十字に打ち落とされ、その交差点にいた魔狼たちが肉片に変わる。

 刃を逃れた魔狼たちも雄叫び――というよりも悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように八方に跳び退った。

 距離を置いてこちらに向き直り、グルルと喉を鳴らして血走った眼をこちらに据えた――。

 が、その様子に俺は違和感を覚えた。

 奴らは仲間を斬られて怒りに震えているが、それとは別の感情も瞳の奥に覗いている気がした。

 魔狼は妖魔の中にあっても知能が高い部類だ。連携を採る戦い方もすれば、勝てないと判断した相手には逃げる事もある。こちらの強さが読めないという訳でもあるまい。たった二度の攻防で魔狼たちの数は最初の半分にまでになった。その半分にしたって手足がもげているものもあり、もはや戦いの結末は確定的と思われた。

 だが魔狼たちからは戦いを収める気配が感じられない。

 何が奴らを駆り立てているのか、仲間を殺した俺達に対する怒りか?

 いや、違う。あれは――恐怖?

 俺達に対してではない。「別の何か」だ。魔狼たちはその何かに怯えている。

 まさか――。

 グルルと全身で呼吸する魔狼たちがこちらを睨み据える。

 その目にはいささかの闘志の衰えも見えないどころか狂気さえ孕んでいた。戦いの興奮と恐怖に充てられてまともではなくなっている。

 刹那、魔狼の一匹が喉を仰け反らせ遠吠えをした。正に呼応するように俺達を囲む全ての魔狼が耳障りな雄叫びを連鎖させる。

 来る。

 魔狼たちは三度、跳びかかってきた。

 数は僅かで、五体が満足でないものも居る。

 だが、俺と咲美に慢心はなかった。手負いの獣ほど恐ろしいものはない。何よりも命知らずの特攻をかけてくる魔狼の気迫に当てられては手を抜けよう筈もなかった。

 全力で、それでかつ冷静に迫りくる狼たちを斬り払う。

 最後に残った二匹を、俺と咲美がほぼ同時に串刺しにした。

 光剣を引き抜くと同時に噴き出した血が、地に触れる前に燃えさかり煙となって消えていった。

 全ての魔狼たちを屠り、場を満たしていた邪悪な気配は去った。

 そう思い、俺と咲美は自覚のないほどにほんの僅かに気を緩めた。

 それが油断となった。

 この時を待っていたものが居た。深い森の梢にてこの戦いを眺め、二人の退魔師が敵を排して隙を晒す瞬間を眈々と待っていたものが。

 漆黒のマントに身を包んだそれが音もなく枝を蹴り、咲美の頭上より降りかかった。

 マントの隙間から覗かせた鋭い刃――そのものの爪を、咲美の首筋に突き刺さんと振り下ろす――。



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