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告白 その1

 当然のことだが、体育の授業は男女が別々に分けられ、限りある運動場や体育館などのスペースを活用するために、一組と二組が混同で行われる。

 男子の今日の科目は校庭の半分を使用したミニサッカー。何故半分かというと、残る半分のスペースを女子がバレーボールで使用しているためである。

 一組と二組の野郎どもは、それぞれさらに分けられた赤チームと白チームとで対戦している。俺の属する一組赤チームは今は番ではないので、こうしてグラウンド脇の縁石に腰掛け、目の前のヘタクソなサッカーの試合を眺めている――のではなく、その向こうで行われてい女子のバレーの試合を眺めているというわけだ。

 その中のひと際目立つ一人、長いポニーテールと大きな胸を揺らしなて男どもの目線を集める女子がいた。咲美(えみ)だ。

 トスが打ち上げられる。ボールの落下点で構えた咲美は、バネのように身を屈めて軽やかににジャンプ。最高点に到達すると、やはりばねのごとく撓らせた肢体からスマッシュを放ち、ボールは敵陣のコートに吸い込まれた。

 咲美がスパイクを決める度に周囲の女子と、俺の周囲の男子から歓声が上がる。何もサッカーの試合には見向きもせずに、女子たちのバレーに熱心な視線を送っているのは俺だけではない。現在休憩中の一組と二組の野郎どものほとんどがそうだろう。

 鮮やかに着地した咲美に女子たちが黄色い声援を送る。咲美はクラスメイトの賞賛を衒うこともなく、柔和な笑みで受け止めている。体育の時間のいつもの見慣れた光景だった。

 少しは手を抜けばいいものを、咲美はその生真面目な性格ゆえか、咲美はいつも我らが一組の勝利に貢献しまくっている。少しは俺を見習えばいいものを。いや手を抜いているには違いないが。もし体育の授業などで咲美が本気になれば、それはもはや体育の授業などではなくなる。

 補足しておくと、咲美の成績が抜き出ているのは体育だけではなかった。この前の三限目の生物でも、その前の二限目の世界史でも、咲美は難しい問を教師に当てられていたが、いずれにも受け答えていた。その様を眺めるのは、バレーでスパイクを決めるのを眺めるのと同じぐらい爽快で痛快だった。その時も小さな歓声が上がったが、咲美は嫌味のない笑みを作るのみだった。

 教師たちも難しい問題は故意に咲美に振っているのではないかと思われたが、恐らく間違っていないだろう。受け答えした後の、生物教師と世界史教師の嬉しそうな顔といったらなかった。

 ここが俺と咲美の違いで、俺は体育以外の教科は全く手を抜かずとも、平均に届かないどころか赤点スレスレなのだが。

 入学当初よりその類稀な運動神経と容姿から、 咲美は男女を問わずいつも注目を集めていた。

 かように文武にわたって優秀ながらも、慎ましく控えめな咲美だったが、そんな咲美が生の感情を覗かせる時があった。

 一限目の音楽の時である。音楽教師に咲美が合唱のソプラノパートのリーダーに指名されたのだ。咲美が優等生だからリーダーに選ばれたのではなく、咲美の歌声は素晴らしいからだろう。もっとも、俺はそのことを良く知っていたが――。

 咲美は恐縮しながらも照れて赤くなり、顔が綻んでいた。たかが音楽の授業の10人足らずのパートリーダーに選ばれただけなのに、歌を認められた事が本当に嬉しそうにしていた。

 周りの女子たちも「ビックリしちゃった」「凄いよ、歌手になれるよ」などと囃し立てて、俺の勘違いでなければ、咲美もまんざらでもなくしているように見えた。そのことに内心俺はびっくりしていた。

 審判役の生徒がタイムアップを告げる笛を吹いてゲームセット。体育の授業も終わりだ。

 バレーに使用したボールやらネットやらを皆でかたずけている時も、咲美は女子たちに囲まれていた。そんな女子の塊に近づいていく一人の男がいた。原口だった。そして――、

「なぁ織部、昼飯の前にちょっと大事な話があるんだけど、体育館の裏までいいか?」

 周囲にも聞こえる声でこんなことを言った。

 女子の塊から「キャア」とか歓声が上がり、体育の後片付けに仕えていた1組と2組のクラスメイト達が一斉に振り返った。俺も手にしたバレーボールを落としそうになる。

 今日告白するとは言ってはいたがが、漠然と放課後だと思っていた。昼休みに告白するとは意外に斬新な気がした。

 というか(まゆずみ)の奴……。何も皆の前で言う事はあるまいに。デリカシーのない奴だとは思っていたが。こんな皆の前でそんなことを宣ったら、咲美だってさぞ迷惑だろうに。と思ったが、咲美の表情は背を向けているので分からなかった。

 咲美は――、今どんな顔をしているのだろう。体育や生物や世界史の授業で褒められた時のように、優等生のアルカイックスマイルで受け止めているのか。それとも音楽の授業で見せたようにまんざらでもない、本当の喜びの笑顔を見せているのか――。

 黛は咲美を伴って、二人は体育館の裏の方に歩いていった。

 クラスメイト達は、突如振って湧いた非日常に色めきたっていた。

「がんばれよー!」などと茶化す者も、逆に「どうでもいい」「興味ない」という素振りの者もいたが、この場にいる皆の心境は同じであろう。

 あの二人が羨ましいのだ。

 皆、二人の背に羨望の眼差しを送っているのは間違いない。

 黛をデリカシーのない奴と言った(言ってはいないが)言葉は撤回しなくちゃならないだろう。

 あいつほど勇気のある奴はそうはいない。あんな風に、自分の想いを正直に行動に移せる奴が、同い年の人間に果たしてどれだけいるだろう? 自分の人生の主役は自分なんだと言わんばかりに。

 黛と咲美が体育館の裏に消えると、一同は思い出したように中断していた片づけを再開した。



 5分後――。

 皆が制服へと着替える時に教室前方の扉が開かれた。黛が幽霊のような足どりで(いや幽霊に足は無く、浮かんでいるのだからこの表現は違うな。とにかく、それぐらい存在感の希薄な様子で)入ってくる。

 その様子に皆は察しただろう。誰も結果を聞く者は居なかった。武士の情けというやつだ。

 瞬殺。

 いくら何でも速すぎるだろうとは思った。告白してきた男を瞬殺するのは咲美の特技だった。


 瞬殺――。

 実はこの言葉を咲美に贈るのは比喩ではないのだが……。



 高校生活も三年目ともなればクラスメイトの顔つきが二極化するようになる。

 大学進学を目指している面々と、目指していない面々で、休み時間や放課後につるむ顔ぶれも、自ずとそのどちらかのグループに分かたれるようになる。

 一応、進学校を標榜するわが港高校にも落ちこぼれは存在し、三限の生物の授業で伊藤教諭が話していた『働きアリの法則』を連想せずにはいられない。この法則は人間にも当てはまるのではないのだろうか。

 ちなみに俺は後者の「進学を目指していないグループ」に属し、そいつらと昼食を共にしていた。それぞれにゲームだのアイドルだの目下ハマっていることを好き好きに話している。

 俺はそれを半ば聞き流しながら聞いていた。今日まで17年間生きてきた経験からの推察によると、人間の大多数は、自分の好きなものを語るのが好きらしいが、どうやら俺はそちらの側ではないらしかった。

 俺が口数を少なくしていると、「お前には推しは居ないのか」と問われた。

 天音の顔が浮かんだが、言わなかった。どうせ知らないだろうし、布教する気もない。なぜ自分の推しを布教しないのか?と問われても、上手く説明できない。なんとなくだ。

 しかし、なんとなくとは別に、俺が天音のことを人に話さないのは別にもう一つ大きな理由があるからなのだが……。

 適当に話に相槌を打っていると、食卓を囲む内の一人、黛がこんなことを口にした。

「勉強なんかしても将来なんの役にも立たねぇよ」

 高校卒業後は音楽で立志を立てると豪語して憚らない黛。空気の読めないこの男とは思っていたが、ここまでとは……。いやフラれてヤケクソになっているのかもしれない。

 もしくは……、フラれて気を遣われているのを察して、逆にこちらに気を遣ったのか。「俺はフラれた事に意気消沈していないから、気を遣わずにいつも通りに接してくれ」というアピールか。いや考えすぎか。

 しかい、黛がデカい声でそう言った瞬間、クラスの空気が微妙になったが、本人は気付いていないようだっただが。

 中学生、もとい小学生が口にするならともかく、義務教育でもない高等学校に望んで入った奴が吐くセリフか? 

 その言葉はクラスメイト達の顰蹙を大いに買ったであろうが、表面上は誰も眉をひそめたりはしなかった。

 的外れであると同時に、それは案外、というかやっぱりと言うべきか、的を射た言葉でもあると、皆が思っていたからであろう。皆が内心に思いながら口にできない言葉だったからだ。。

 かく言う俺もその一人ではあった。

 特に卒業後の進路が――俺の場合は、進路という表現が相応しいかは知らないが――決まっている俺にとっては、特に最近は授業を受けている時などは、苦痛を通り超して虚無を感じる時もある。

 退屈というのとは違う。決まりきったレールの上を歩んでいる自分を、もう一人の自分が遠くから眺めている。そんな感じだ。

 食卓の輪を広げる女子たちの群れを見る。

 あいつは――、咲美はどう思っているのだろう。俺と進む道を同じくするあいつは――。

 咲美も他の女子たちと共に優雅にランチに興じていた。告白というビッグイベント、その当事者になった咲美は、好奇の目を輝かせる女子たちの囲み取材を受けているようだった。

 馴染むのが上手い奴だな。俺と違って。



 そんなこんなで本日の学業もつつがなく終了。帰路へ着く。

 帰りのバスは当然、往路とは反対車線より来るので信号を渡りバス停へと向かう。

 時刻表を見るまでもなくバスが来る時刻は覚えている。10分後に来るバスを待ってベンチに腰掛け、スマホを取り出した。

 動画サイトにアクセスし天音のチャンネルへ。今朝と同じルーチン、いつもと変わらぬルーチン。

 今朝も聞いていた新曲を聞こうと再生をタップしかけた時、信号を渡ってこちらに歩いてくる意外な人物の姿が目に入った。

 咲美だ。

 咲美と目が合ったが、変わらぬ様子でこちらに歩いてくる。

 イヤホンを外して鞄へとしまう間に、咲美は俺の座るのと同じベンチへと、人ひとり分離れて隣に座った。

 幼馴染であれば、馬鹿丁寧に挨拶する間柄でもなく「よ」とか短い挨拶を交わす。部活はないのか?

「今日は全休」

 長い足を組んで鞄から文庫を読んで読みだした。何を読んでるんだ?

 咲美はこちらも見ずに文庫だけを持ち上げて背表紙を見せた。詩集らしい。こいつとは長い付き合いになるが、詩を愛でる趣味があったと知らなんだ。

 いや最近になって嗜みはじめたのだろう、……思い当たる節もあるしな。

 もしかして自分で書いたりしているのだろうか。

「……別に」

 文庫に目を落としたまま無表情に応じる。と思いきや、咲美の「ドキッ」と擬音が入るような微細な動揺を俺は見逃さなかった。伊達に長い付き合いではない、というかそんな反応をされたら長い付き合いでなくても分かる。咲美は自分でも詩を書いているのだろう。

 しかしこれ以上は追及するなと、その横顔が言っていたので俺は口を噤む。

 傍から見れば不機嫌そうに見えるがそうではない。本来の咲美は物静かで感情を表に出すことが少なく、一人で本を読んでいる事を好むような質なのだ。

 そんなわけで気心知れた幼馴染たる俺は、今のように邪険にされるのも慣れっこである。嫌われているわけでは決してない……と思うが、今日のこいつは一段とナイーブになっている気がする。告白なんてされた直後だろうから無理もないとも思うが。

 俺がイヤホンを外したのは、お前と会話をしたいという意思表示で、咲美もそれを汲んでくれていると思うのだが、こちらに目もくれない。

 長いのか短いのも分からない気まずい沈黙の中、バスが到着した。

 咲美が本を閉じて立ち上がる。俺は咄嗟にその袖を掴んでいた。

 少し歩かないか?

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