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ブラチラ、ラノベ、智慧の木脳理論、多胞体ウイルス

 キーンコーンカーンコーン


 3時間目の始まりを告げる予冷がなった所で俺はイヤホンを外した。

 もうすぐ生物担当の教師であり、クラス担任も務める伊藤教諭が教室に入ってくる筈だ。

 伸びをして、読書で凝った体を伸ばした。

 クラスメイトたちは授業に備えて席に戻りつつあるが、まだ喋っている者も居る。

 次の科目の生物の教科書とノートを出し、イヤホンをカバンにしまおうと思った時だった。俺の隣に座った御堂翠(みどうみどり)に声を掛けられた。

「何を聞いてたの?」

 ずいっと顔を寄せて俺の手の中の本を覗き込む。その時に第二ボタンまで開けられていたブラウスの、その豊満な胸の谷間にうっすらと黒い布が見えた。ブラジャーだ。

 相変わらず距離感が近い女子だな。そんなに喋った事もないのに。

 俺は御堂の胸元から目を外しながら、努めてぶっきらぼうに応えた。

「……音楽」

「そんなの見れば分かるよ!何?君はそんなに私の事をバカだと思ってるの?ひどーい!なにを聞いてたか聞いてるの!」

 別にそこまで馬鹿とは思っていないが、……いや思ってなくもないが、早口でまくしたてられて、フォローする機を失してしまう。

 どう答えたものか考えていると、前の席の椅子が引かれて、原田が俺の目の前に座った。ニヤニヤと笑いながら、含んだ視線を寄こす。めんどくせぇ……。

「これは……知り合いの歌い手が歌っている曲なんだ」

 適当に誤魔化しても原田にツッコまれるだろうから正直に応えた。

「えーー!? 歌い手の知り合いが居るのーー??すごーいすごーい!!」

 大声で言う御堂にクラスメイトの注目が注がれる。だから言いたくなかったのだが。

 口調からおちょくられているのかと思ったが、ビックリ眼の顔を見ると本当に驚いているらしい。そこまで驚くほどの所かね?いや、でも、その歌い手の素性を話せば驚くかもしれない。別にそこまで話す義理はないが。

「『元カノ』だよな?」

 このヴァーカが。余計な事を言うんじゃない。と、原田を睨みつけたが、俺の批判まじりの視線に原田は動じていない。いや、こちらのアイコンタクトの意味など気付いてもいないのかもしれない。ヴァカだからな。

「えー??俺くん、彼女いたの??へー?へー?ウソー?信じらんなーい」

 しかし御堂は、俺の知り合いに歌い手が居る事はまるで疑いなくすぐに信じたくせに、俺に彼女が居たって事は信じないって失礼じゃないか?いや彼女ではないんだが。というより懐疑的というか、眉根に皺を寄せてやや不機嫌にも見える。なんなんだ一体。

「幼馴染だよ。……別に彼女じゃない」

 口に出して否定すると、何か胸に突っかかりがあった。何故だ?そうだ、あいつは俺の彼女ではなかった……。

 なおも詰め寄ってくる御堂と原田だったが、伊藤教諭が教室に入ってきたことでお喋りの時間は終いとなった。


「……智慧の木脳理論、あるいは樹脳理論、他には拡脳理論などとも呼ばれているな。人の脳が象る電気信号のやり取りが樹の形に似ていて、その信号のやり取りが脳を超えて拡がると言われる理論だ」

 伊藤教諭が教壇で喋っていた。

 今日の授業は、脳の機能についてだ。曰く脳は化学物質や電気信号のやり取りで、情報伝達するとか。しかし今、伊藤教諭が話している内容は最新の学説で、教科書にも載っていない内容だったが、その事に水を差す者は教室に居なかった。真面目に聞き入っているのか、あるいは興味がないのか、大半の者は後者だろう。

 俺たちの通う高校は一応進学校を標榜してはいるが、実態は偏差値は中の中の至って平凡な学校だ。一年次から受験を意識して真面目に授業に取り組もうなんて奴は見渡す限りにいない。来年度の受験コース選択で、クラスメイトの7割は文系に行くのであれば生物は受験科目ではなくなる。理系コースに行っても科目選択で生物を取らなければやはり受験科目ではなくなる。

 かく言う俺は……伊藤教諭の熱弁を割と真面目に聞いていた。単純に内容に興味があった。今読んでいる小説の内容と被る所があるからだ。

「人……ホモサピエンスの脳は、祖先がまだ魚であった時代から、両生類、爬虫類、哺乳類、猿、霊長類、人、ホモサピエンスと経て進化と肥大化を辿ってきた。だが大脳新皮質に覆われた脳はこれ以上大きくなることは不可能だと言われている。それで、人の脳がより進化するためには、脳の機能を「脳の外」にまで拡張するしかない……樹脳理論とか拡脳理論と呼ばれる理由だな。

 脳の外にまで飛び出した信号を、もし他者が読む事が出来るようになれば、人は言葉や他の手段を介さずにより高度なコミュニケーションが取れるようになるだろう……と」

 クラスメイトたちがおお、と感嘆の声を上げる。一部には忌避しているような態度の者も居るが。

「それってテレパシーってことですか?」

「ええ?心が読まれちゃうって事でしょう?やだー」

 などと思い思いに口にしている。

「そう呼んでもいいかもしれん。あるいは機械的な補助に頼る事になるかもしれないがね」

 そこでまた教室がザワつく。

「でも先生、脳内を流れる微弱な信号を他者が読むなんて事ができるんですか?」

 と委員長。その疑問は俺にとってももっともらしいものと思えた。

 しかし伊藤教諭は、その問も予期していたかのように応える。

「生き物の中には電気信号を読むどころか、自ら作りだした電気を武器にするものだっている。ウナギやナマズだな。さらにヘビは熱を精確に読む事はできるし、サケやイヌに至っては磁気を読むことが出来る。人間と同じ哺乳類であるイヌが出来るんだったら、ヒトにだって出来ておかしくはないだろう?」

 ヒトとイヌでは大分離れた生物のような気もするが……、生物教師の見解は違うのであろう。

 委員長は納得がいったような、いってないような顔。俺もだが。

「何より今こうして話している事だ。声。人は声色を巧みに操り、空気の振動を介して、他者に複雑な伝達をしている。すごい事だと思わないか?」

 伊藤教諭の言葉にクラスメイトは呆け顔。声で意思伝達するなんて当たり前のことすぎて、疑問に思う事も驚いたこともなかった。

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。「声」を持つ動物はヒトに限らず、イルカなどの哺乳類や、カラスなど鳥にも居るという事をテレビで見た事があったが、人が操る声の複雑さはそれらの動物には及ばないだろう。

 俺は人が声を持っていなかった時代に思いを馳せた。。何十万年前、何百万年前だろうか?それまで声を持っていなかったヒトが、ある時、声を手に入れたのならば、それが生きるためにどれだけのメリットになっただろうか。

 以前に読んだ本にも似たような話があった事を思い出した。その本では厳密には「声」ではなく「文字」だったが。人は文字を手にした事で、自身の得た情報を他者に、時間や空間を超えて――例えその者が死んだとしても――伝達することが出来るようになった、だったかな。

「さらにそれについて、もっと面白い研究もあるんだ。日本人が……、先生の大学の同期で同じ研究室にいた仲間が発見したんだがな」

 その話は皆知っている。伊藤教諭がその話をするのは何度目かだし、テレビでもよくやっていたから。もし発見されていればノーベル賞は間違いなし()()()とか。

多胞体ポリコラルウイルスと呼ばれている。まだ発見されていない架空の存在だが」

 そういう伊藤教諭はまるで自分の事のように誇らしげだった。でも嫌味なところはない。本当に自分の仲間が偉業を達したことが本当に嬉しいらしかった。

「ウイルスはよく耳にするし、この前の授業で少し触れたから知っているな。菌なんかよりもさらにずっと小さい『もの』だ。なんで『もの』という言い方をするかというと、生命かどうか議論がまだ決着していないからなんだが……。

 ウイルスが生命じゃないとする論拠に、ウイルスの体は、図面で引いたように幾何学的な構造な構造をしているというのがある。正四角形やサイコロのような結晶構造から、二十面体や十二面体……それらが合わさったサッカーボールのようなフラーレン構造をとるようなものまである。

 ポリコラルウイルスは、構造が多胞体ポリコロン構造をしているウイルスの事だ」

 フラーレン構造ならば知っている。ちょうど今読んでいる小説にその名があった。サッカーボールや蜂の巣のように六角形を敷き詰めた構造をフラーレンというのだとか。

 しかし多胞体というのは知らない。ニュースの解説を見た事はあるが、実態はよく理解できなかった。

「高校の数学では教えないが……、理系に進む気ならば知っておいてもいいだろう。物体というのは縦、横、高さ、の三つの次元で表されるというのは分かるな?多胞体というのはそれに加えて四次元方向にも広がりをもつ立体の事で、そしてポリコラルウイルスは、この多胞体構造をしていると言われている。そしてポリコラルウイルスはあまねく存在しているのではないか、ともな」

 四次元方向に広がりを持つ物質?いや、生命?いや、生命ではないと言ったか。それが俺には分からなかった。

「普く存在?じゃあどこにでもいるってことですか?」

 委員長が追及する。

「風邪を引き起こす菌やウイルスが今この時にも、体内や空気中のどこにでも居るように、ポリコラルウイルスも生物の中に……人間の中にもいるんじゃないとな」

 改めて聴くと少しゾッとしない話だった。クラスメイト達も同じようで、隣に座る御堂もしかめ面をしている。

「問題なのは四次元方向に座標を持つ物体……ウイルスは「観測が出来ない」ということだ。二次元から三次元は決して観測できないように、三次元から四次元もまた観測できない。物語の登場人物は、作者や読者の事を決して認識できないようにな」

 またも分かるような、分からないような例えだった。伊藤教諭はコテコテの理系畑と思いきや、稀にこんな詩的な事を言う事があった。

 俺はまた、読んでいた小説の事を思い出した。確かに、俺には、本の中のセトやタルテの事は観測することは出来るが、逆は決してあり得ない。あいつらは自分たちが物語の中の登場人物だと認識する事もないだろう。そしてまだ読み止しの、未完の物語の結末は、彼らの行く末は、作者のみの知る所だ。

「そのポリコラルウイルスを観測する術が発見されたと言われていたのだが……」

 伊藤教諭に少し言い淀む気配があった。あの地震と津波の事を気遣ってるのだろう。

 ……あの日からこの国は大きく変わった。クラスメイトの親類や知人にも被害を受けた者はいたはずだ。

「でもその多胞体のウイルスと、脳が進化する話がどう関係あんの?」

 先を促したのは俺の前の席に座る原田だった。意外にもこいつは伊藤教諭の特別講義を真面目に聞いていたらしい。

 あっけらかんとした声音に伊藤教諭もクラスメイトもやや面を食らっているが、とるには足らんといった空気だった。伊藤教諭は生徒たちの心情を慮ったのかもしれないが、子供たちは大人が考えているよりも強いもので、多くの者はすでにあの災害から立ち直っている。あるいは表に出さないようにしている。もちろん全ての傷が癒えるという事もないのだろうが。

 原田なりに重くなった空気を変えようとした気遣いだったのかもな。いや、考えすぎか。

 伊藤教諭は、一つ咳ばらいをして、

「そのウイルスに感染した者は、四次元方向への知覚を得て、時間や空間、生物を含む物質から情報を読み取れることが出来るようになる……。さらにはウイルスと共生した細胞は四次元のエネルギーを生産するようになる……テレパシーどころかほとんど魔法だな」

 教室に苦笑が起こる。高校生ぐらいのガキでも、伊藤教諭が口にしたことが突拍子もない事だと感じたらしい。

 確かに本当に四次元の情報が読めたり、エネルギーを細胞が作れるのならば、それはもうテレパシーどころの話じゃない。空を飛んだり、瞬間移動をしたり、果てはタイムトラベルなんて事も可能なのではないかという気がしないでもない。

「それが実現するには、ウイルスとの共生やウイルス進化といった話もあるんだが……、あながち笑えたものじゃないぞ。高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないとも言う。お前たち若者がこれからの……」

 伊藤教諭が再びロマンティックな話をしだした時、


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが終業の音を鳴らした。

「あぁ、今日はここまで。次はえー、139ページから。日直!」

 結局授業は進まなかった。でも俺にとっては、それなりに有意義と思える時間だった。

 

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