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織部咲美

 降りた停留所に見知った顔を見つけた。

 男にしては長い髪、牧師風のカッチリした制服をだらしなく着崩し、背にギターを背負った、ミッションスクールに通う者にあるまじきチャラい出で立ちをしている。そいつはバスから降りてくる(みなと)高生を物色していて、俺の顔を見つけると、「よぉ!」と言って右手を振り上げた。

 クラスメイトの(まゆずみ)真夜(まや)が俺の事を待ち伏せていた。

 黛は二月ほど前に俺の通う湊高校の同じクラスに転校してきた転入生だ。チャラい見た目に違わず内面までもチャラい奴で、そのこと自体は別に悪くない、というより長所と呼んでやってもいいだろう。誰とでも気さくに接するキャラクターのお陰で転入後にあっという間にクラスの人気者になりおおせた。そのチャラい見た目と内面によって黛は同性にも異性にも――特に異性に――人気がある奴だった。

 休み時間にはいつもクラスメイトの女子たちを侍らせている。いや、羨ましいわけじゃないぞ。だって俺には……。

 その黛が今日はあからさまなぎこちない笑顔に固まっている。良くも悪くも裏表がなく嘘が吐けない奴なのだろう。

 この時点で少し嫌な予感がした。黛はバスから降りる人達を掻き分けなどと言いながら俺の方に寄ってきた。背負ったギターがすれ違う人にぶつかっている。邪魔だ、マナーを弁えろ。

 俺もよぉと気のない挨拶を返しつつ、イヤホンを外した。一応、お前の話を聞いてやらんでもないということの意思表示だ。

 横に並び立った黛が俺と同じ方向へ、学校の方向へと歩みだした。

「何聞いてたの?」と黛。別に。という俺のやはり気のない応えに、黛は気を悪くしたふうでもない。それよりもそわそわすることに忙しいらしい。

「俺も来月の文化祭に向けて練習が大変でさ、オリジナルを()るつもりなんだけど。ほらコレ」 

 と言って、尋ねてもいないのに背負ったギターを見せてくれた。

 億劫なのでこちらから、なぜお前が俺を待っていたのか、とは質さなかった。向こうが勝手に話し出すのを待つだけだ。

 どうでもいい沈黙が数秒流れた後、黛がやおらに口を開いた。

「今日は織部(おりべ)さんは一緒じゃないのか?」

 やはりその話題か。億劫さを表に出さぬよう、見ての通り、と機械的に応じる。これはこれでぶっきらぼうだが。

「いや前はお前らはいつも一緒に登校してたじゃん。……やめちゃったのか?」

 お前の想像している通りだ、と、黛の方へ振り向くことなく抑揚なく応えた。眼前に咲美(えみ)の顔が浮かんだ。

 織部(おりべ)咲美(えみ)。俺の幼馴染。そして現クラスメイト。

 以前は一緒に登校していた。が、今はしなくなってから久しい。久しく感じるのは俺の体感的なもので、実際は一緒に登校しなくなってから一月しか経ってないが……。

 同じ学校に通い、同じクラスで、同じバス路線を使っているのであれば、必然的に通学時間は重なる。どちらかが故意に時間をずらしでもしない限り。

 今現在、俺と咲美は一緒に登校していない。それはつまり咲美に家を出る時間をずらされているということだ。

「やっぱりか~。最近は織部さんだけ先に教室に来るもんなぁ。同じバスで通っているのは知ってたけど、時間をズラしてんのか?お前の方が避けられてんのか?クラスでも話題になってるぞ」

 俺は無言。自意識過剰でなければ、俺と咲美の事がクラスで話題になっているのは知っているが、それをこうも直球で訊いてくるとは相変わらずデリカシーのない奴だ。何よりも俺はともかく、咲美まで一緒くたに「お前ら」呼ばわりされることにうっすらムカついた。

「実は3つ前のバスで織部さんが降りてくるのを見かけてさぁ。その時は思わず自販機の裏に隠れちまったけど、織部さんの隣にお前が居なかったのを見て俺は確信したよ」

 そんなに前から待ち伏せていたのか。暇な奴だな。そして確信したというのなら、なぜ今また俺に確認をする? 咲美を先に見かけたならば咲美に訊けばいいだろうが。どうせ話も、俺じゃなくて咲美の方にあるんだろうが。

 並び立って学校へと歩みながら再び沈黙が流れる。デリカシーのない黛でも流石に言いあぐねている気配が伝わる。ゴホンと一つわざとらしく咳払いをすると、

「なぁ、お前と織部さんって別れたのか?」

 別れたも何も、別に初めから付き合ってない。

「へ!?」

 すっとんきょうな声とともに黛が振り向いた。俺は変わらず前を見つめている。

 前方を歩く同じ学校の女生徒の二人組までがこちらを振り向き、こちらと目が合うと気まずそうに戻した。今の黛の大声はともかく、こちらの会話は聞こえているのか、いないのか。気色ばんだ目をしていたので色恋沙汰なトークに興じている悟られているかもしれない。だが断わっておくが、興じているのは黛だけだ。

 黛がキョロキョロと周りを見回す。いや、衆目を集めているのはお前の大声のせいなんだが。

 幸いにして周りを歩く北校生の数はそれほど多くなく、クラスメイトの姿も見られなかった。先に述べたように、湊高生のほとんどは通学に電車を使い、最寄り駅は、最寄りバス停と校門を挟んで反対側にあった。そしてそのバスを使うクラスメイトも俺と咲美だけだ。

「そう……だったのか」

 黛はさも以外そうに、大仰に芝居がかった声で言ったが、芝居ではなくて本当に驚いているようだった。嘘が吐けない男に、芝居など出来ようはずもない。もしくは、俺と咲美が付き合っていなかったことが、それほどまでに意外だったのだろうか?

 デリカシーのない黛も、ちょっと聞いてはいけない事を聞いたような申し訳なさそうな顔をしていた。だからそんな申し訳なさそうな顔をされても困る。俺と咲美が付き合っていて、その事を隠していた、そして別れた事も周囲に黙っていたのならともかく、俺と咲美は別に付き合ってはいないのだから。

 黛の驚愕顔がやがて笑みへと変化し、その咲美もだらしなく綻んできた。

「じゃ、じゃあ、今日、俺が織部さんに告ってもいいか!?」

 お好きに。

「おっしゃあ!」

 叫ぶや、ガッツポーズを作った。元気で、現金な奴である。やはりと思う反面、少し意外でもあった。お前はもっと派手な女子がタイプだと思っていたからな。そう、例えば教室でいつも一緒にいる御堂(みどう)(みどり)とか……。

「いや~。御堂もかわいいけどさぁ。織部さんの清楚オーラにやられちゃったんだよねぇ」

 清楚……。

 湊高のシスター風の制服に身を包んだ咲美を思い浮かべる。

 容姿端麗、成績優秀、品行方正。湊高始まって以来の才女とも噂され、全ての湊高生より崇められ、それを鼻にかける事もなく、慈悲の心をもって誰とでも柔和に接する……。そんな織部咲美は『湊高の聖女』の渾名を賜っていた。ゆえに言い寄ってくる男も多かった。

 しかし今日とはずいぶん急だな。

「何を言っているんだ。高校生活は3年しかないんだぞ。いや俺達だってまだ若いとはいえいつ死ぬか分かりゃしない。死んでから後悔しても遅い」

 黛の言葉が、俺の胸にチクりと刺さった気がしたが、気のせいだろう。

 横を歩く黛の歩調は、跳ねるようであり今にも駆け出しそうな勢いだ。まだ告白が成功したわけでもないのに、全身で喜びを体現している。本人の言葉通り人生を心底楽しんでいるといった風だ。

 そんな黛が少し羨ましくもあった。

「ありがとうな!じゃ、俺は先に行くぜ!」

 と残し、俺の返事も聞かずに、黛は校門の方へ駆けていった。

 その背中を見送りながら思い出す。中学時代は何度か同じ事があった。クラスメイトの、いや学校中の男どもが咲美に告白する前に、いつも俺に許可を貰いにくるのだ。そして先の黛と全く同じやり取りをし、そして咲美へと突撃していって、そしてこれまた毎度のように全く同じ結末を迎える。今回は割と久しぶり。高校生になってからは初めて。高校に進んでから間が開いたのは、黛の言っていたように、俺と咲美が付き合っていたように見えていたからかな。俺の自惚れでなければ。



 学校は山の上に住宅街にあり、幹線道路から外れたその立地は最寄りのバス停からさらに歩いて10分は掛かる。

 黛に遅れること数分、校門をくぐった俺はグラウンドを挟んだ校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下を歩く咲美の姿を見つけた。

 スラリと細い体に、肩で切りそろえた艶やかな黒髪。凛とした佇まいで遠めだが間違いない。俺が咲美を見間違えようはずがなかった。

 慎ましくありながらも凛とした佇まい、シスター風の制服を完璧に着こなし、正に聖女といった出で立ちで――。

 幼馴染にそんな形容をしている自分の思考に思わず苦笑が漏れた。

 だが咲美には人の目を引きつける魅力があった。容姿がいいというだけでは説明がつかない。天より授かり、生まれ持った天性の魅力のようなものが。それも高校に入ってからはなおさら磨きがかかっているように思われた。ずっとそばで見ていた幼馴染なのに――、いやずっとそばで見ていた幼馴染だからこそ特にその変化を感じるのかもしれない。

 部室棟から出てきたから、朝練でコンピュータ室に居たのだろう。

 このタイミングなら黛とも会っていないだろう。まだ告白もされていないはずだ。黛と一緒でなくて良かった。居たら気まずさでいたたまれなかっただろうからな……。

 ふと風が吹いた。咲美が棚引く髪と制服を撫でつける。その時、こちらに気付いた咲美と目が合った。

 互いの足が止まった。遠目にだが顔は伺えたが、その瞳はこちらに据えても、何の表情も映していなかった。

 すぐに目を逸らし、制服に着いた埃をはたくと、校舎へと入っていった。

 俺も咲美を倣って校舎へと歩みだした。



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