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花の巫女

 多くの村や森を、その身――大枝に収める秦樹は、頂上に向かうにつれて先細る形状となっていて、遠くから見れば、秦樹は針葉樹の形状に似てなくもない。空気の密度や、秦樹自身の重さが関係しているのだろうか?とぼんやりと、考えてタルテはかぶりを振った。この常識外れにバカでかい「木」にそんな普通の木と同じ常識が当てはまるはずがない。畏敬の念をもって『秦樹の民』などと自称しているタルテたちではあったが、秦樹について分かっている事はあまりにも少ない。人の理解などとても及ばない存在が我らの神木、秦樹であった。

 巫女様であれば秦樹の事を知っておられるのだろうか?秦樹のお告げを聞くという花巫女フルリであるなら……。

 タルテの駆るブランビィはその傾斜を沿って飛んでいた。まもなく巫女様の御座す『梢』に着く。

 秦樹の幹の太さが一抱えほど太さにまで細く見えるようになった頃、水平飛行に移行して幹に開いた「うろ」にブランビィを向かわせる。

 洞はすぐに到達できずに、代わりに細くなったと思った幹が今度は太くなっていく。秦樹は巨大すぎるせいで、遠近感を狂わせる。エルクルスに乗り始めた頃はこの感覚に戸惑った。見習い(ニュウビィ)が陥りやすい『秦樹酔い』だ。

 その奇妙な感覚は秦樹をより神秘的なものに見せていた。

 秦樹の洞の中でも最も高い所にある洞に、ブランビィを降ろし、タルテはアンバーから降り立った。洞と言ってもエルクルスも楽に出入りできる巨大なもので、まるで自分がキツツキかリスにでもなったような気になる。

 たるてを出迎えたのは、巨人たるエルクルスのさらに3倍以上の高さの巨大な木の城だった。

 ここまで大きな建造物は、秦樹の枝上にある村にも、浮島にもない。

 この巨大な城は全て、秦樹の枝をそのままくり抜いた一枚岩――ならぬ、1枚の木材から切り出されている。なので城のそこここから枝が生えて、鳥が巣を作ってもいる。

 一つの木からくり抜かれた城は、透かし彫りの彫刻に見えなくもなく、キツツキかリスでなければ小人クルスにでもなったようだ。

 でもこの巨大な尖塔、あるいは一本杉も、秦樹の梢近くの幹のさらにくり抜いたものでしかなく――、途轍もないスケールの場所にいるのだとタルテに思わせた。

 門をくぐり入った先は、天井の高い空間だった。城は内壁を螺旋階段が上まで続き、細長い吹き抜け構造となっていた。

 広間の中央に立つタルテの足元に、壁――木の割れ目から陽光が斜めに差し込みんでいる。

 ふと天から花の香りが降ってきたように感じ、タルテは天を見上げた。

 尖塔の頂上にポッカリと開いた小さな丸い穴が空を映している。

 その空の青の一点に染みが生じる。その姿シルエットは見る間に大きくなり、花びらか蝶のように揺らめかせながら降ってきた。

「その者」の体はおぼろげに輝き、エルクルスなしで完全に普力を制御し、宙を舞っているのだった。。

 花のような香りと姿をし、七色の燐を撒き散らす「その者」――花巫女は、蝶のように身を翻し、音もなくタルテの前に降り立った。

 タルテは跪く。

 花巫女が口を開いた。

「タルテ……おもてを上げて」

 澄み渡る、心が洗われるような声音だった。しかしタルテは応じない。

「巫女様……」

「聞き及んでおります。大儀でありました」

「この度の事は……」

「あなたは義務を果たしました。今は同胞たちの御霊が、迷わずに秦樹に還る事を祈りましょう」

 巫女様はタルテを攻めずに、労いをかけてくださる。それがタルテにとってより呵責となった。

「タルテ……自分を責めないで。顔をみせて頂戴」

 タルテは意を決して顔を上げた。巫女様はタルテの瞳を覗き込み、フッと微笑んだ。

 その笑顔にタルテの眦から涙が零れた。


 城の中、中庭に設えられたテーブルにタルテは腰掛けている。テーブルの上には、カンテラ、ヤカン、カップにポット。

「フフ、今回のは自信作なんだー」

 と、巫女様はいつもと同じセリフを言いながら、ポットに茶葉を入れている。巫女様配合のハーブティーだ。

 未知の恐蟲が現れ村を襲い、住人が犠牲になったこと。タルテとセトの二人でこれを屠り、村の生き残りの少女と、アンバーを伴い帰った事を報告をした後に、危機がまだ去っていないかもしれない事を告げようとした時、タルテは促されるままに椅子に腰かけた。

 村の住人が犠牲を告げると、タルテはその事についてどんな責も受けるつもりではあったが、

『同胞たちの御霊が、迷わずに秦樹に還る事を祈りましょう』

 と、弔いの辞を述べただけで、他には何も言わなかった。

 ヤカンがカンカンと音を立てて、花巫女様は慣れた手つきでポットに湯を注ぐ。

 ……と思いきや、跳ねたお湯が指にかかり、「あつーい!」と言って指を口に咥え、涙目ながらにこちらを見た。

 タルテは目を伏せ、巫女様の失敗を見なかった事にした。巫女様はそんなタルテを見てむくれている。

 いつもの光景だった。タルテが巫女様の元を訪れると、お手製のハーブティーの新作を振舞われ、感想を問われ、詔とは関係のない話に付き合わされるのが常だった。

「話し相手に飢えているから」というのが理由らしい。

 しかし私と話すのが巫女様にとって楽しい事なのだろうか?

「召し上がれ」

 巫女様は注がれた茶を差し出し、タルテは「いただきます」と慇懃に応じてからカップに口を付けた。

 清涼で、花のように香しく、芯から体が温まり、疲れも吹き飛ぶような、美味しいお茶だった。

 アロマの作用もあるのか、心も落ち着いてくるような――まるで今のタルテの心境を察しているかのような味だった。

 当然と言えば当然だ。ハーブの薬用の知識について、巫女様の右に出る者は天曜に居ないのだから。

 しかし、巫女様に言わせれば、このハーブティーの極意については、千年を研究した今でも極められていないらしい。

 その巫女様の意欲にも頭は下がる。千年もの時を探求を、いや、千年の時を生きる巫女様だからこそ、そう言った寄る辺が必要なのかもしれない。

 巫女様はタルテの向かいに腰掛けて自分もお茶を啜った。そしておもむろに口を開いた。

「で、タルテはセトとはどこまでいったのかしら?」

「北天側、遥か下方にある大枝の村です。その村は秦樹の樹液、アンバーを護り育てている村でした。そして、そこで保護した少女がアンバーの適性を……」

「あらぁ、その事じゃないわよ」

 澄まし顔だった巫女様が、ニヤーッと口の端を吊り上げて煽情的に微笑んだ。巫女様がこんな顔を見せる時は……。

「『セトとは』どこまでいったの?」

 タルテは巫女様の詰問の意を察して、口からハーブティーを勢いよく噴き出した。

 巫女様はテーブルを拭きながら、むせ返るタルテを尻目に、

「チューはしたの?」

 こちらまで歩み寄って下から顔を覗き込んでくる。よくもまぁ綺麗に唇を半月の形に吊り上げる事が出来るものだと、タルテは毎度の感慨を抱く。あの顔だ。巫女様がタルテをおちょくる時のあの顔――。

「そんな事……!」

 とっさに否定しかけて、言い留まる。

 先の大枝にて、種を口移しで与えた事を思い出した。タルテと目の前で、眠りこけるセトの顔。その顔と顔が近づき、唇と唇がそっと触れ合って――。

 唇がその感触を思い出して、今更ながら羞恥が込み上げてきた。それは脳天まで昇り頭を沸騰させ、瞬く間に顔が熱く紅潮していくのが分かる。

「アレレ?図星だったかー。カマ賭けただけなのに。全く分かりやすいわね、あなたは。そっかそっかー、タルテちゃんもお年頃だもんねー?」

 さも愉快そうに言いながら、巫女様は踵を返して椅子に収まった。なぜ分かる?まるで見ていたかのような鋭さだ。

「ついこの前までは、こんなにちっちゃかったのに……」

 などと言いながら、目の端に浮かんだ涙をハンカチで拭っていた。何故そんな一瞬で泣くことが出来る?本当に表情がコロコロと変わるお人だ……。

「あ、あれは……」

 弁解しようとしたが、解釈によっては()()事に間違いはない……口付けを。

 もう巫女様は我が意を得たりとばかりに、腕を組み、足を組み、目を閉じウンウンと頷くだけでこちらの話を聞いていない。何よりアレの詳細を他人に話して聞かせるなんて御免である、相手が巫女様であっても。詳細を話してしまったらそれこそ巫女様の思う壺ではないか。

「何?セトが相手じゃ嫌なの?」

「そ、そんな事は……」

 ない。と、言いかけて詰まる。……まただ。今に至っても、自分でも感情が整理できずにいる。私はセトをどう思っているのか。

 このリューシュを出て、記憶の無い土地アムネスへ行こう、そう言ったセトの声は、あれからずっとタルテの頭に残響していた。

「心に従うのよ」

 我知らずに俯いていたタルテは、巫女様が発したその声に頭を叩かれて顔を上げた。どうして、この方は……

「私の、心……?」

 どうしてこの方は、私の心をこうも見抜けるのか。見つめ返すタルテに、花巫女はフッと微笑した。タルテを揶揄うあの煽情的な笑みとは異なる、花のような笑み。しかし、その笑顔は、自嘲しているような、懐古しているような、あるいは憂いの色を帯びているようでもあった。

「悔いを残してはダメよ。私のようにね」

「悔いる?巫女様が?」

 巫女様。いつも燐として託宣を下し、民のどんな話にも懺悔にも笑顔を絶やさない巫女様が間違えるなど。秦樹の民でもっとも長命で、天曜の住人すべての導き手である巫女様に悔やむなんて感情があるはずがない。

「失礼ね、私にだってあなたのように少女だった頃があるのよ。もう千年も前だけどね」

 巫女様は遠くを見つめながら言った。

「好きな人がいたの。一つ上の人でね。その時の私は薬師の見習いで、彼は騎士だった。若手の騎士の中では一番――今のセトみたいなものね。優しい人でね。私の淹れた覚えたばかりのお茶をいつも美味しいと言って飲んでくれたわ。それで私は舞い上がっちゃって。でもモテモテだったからライバルは大勢いたけどね。15の誕生日の前の晩、明日こそ告白しようと思って眠りについた。でも次の朝、邑を蟲が襲った。彼も騎士として闘った。邑は騎士たちによって守られたけど、彼は帰ってこなかった。1年後、私は巫女となって、彼の歳も追い越してもう千年が経ったわ」

 どんな時も微笑みを絶やさないその顔に悲しみが差したように見えた。タルテは巫女様の過去を聞くのは初めてだった。そして心の内を見たのも初めての経験かもしれなかった。

「それが私にとって初めての、そして最後の恋」

 巫女様にも、私と同じように少女の頃があった。そう言われても想像がつかない。もっとも巫女様の見た目は少女そのものであるのだが。背丈ももう追い越しているし、神々しくもあどけなさのある顔は私よりも年少に見える。

「人の感性なんて千年やそこらじゃ変わらないのよ」

 巫女様が言うと説得力が違う、何せ本当に千年も生きてらっしゃるのだから。

「今でもありありと思い出せます。千年なんて過ぎてしまえば案外あっという間ね」

「でも、私の1000年の生ももうすぐ終わります」

 そう言う巫女様の顔は元の穏やかな笑顔に戻っていた。

 タルテには何も応えられなかった。花巫女の最後の役割、そして最も重要な務め。花巫女の意義。

「……まもなく開花すると?」 

 どうにか絞りだす。声が震えている。開花。その時に巫女は――

「ええ、咲きます」

 常と変わらぬ穏やかで、凛とした声音だった。

 同調が強いタルテにも分かっていた。開花が近いことは。だが巫女様の口から宣告される開花宣言は、その意味するところの重みがまるで違う。それは秦樹の意志の代弁者である「託宣」そのものであるからだ。

 慈愛に満ちた視線をこちらに向ける、その目はまるで変わることはない。どうして、そんな大それたことをそんなに平気で言えるのです。そんな顔をされたら私は。

 込み上げてきた思いが声にならずに滞留する。それが眦から雫となって溢れ出した。

「そんな顔をしないで、タルテ」

 巫女様こそ、どうしてそんなに平気でいられるんです。私は、別れたくない。もっと巫女様と色々な事を教わりたい。色々な事を話したい。たった16年でお別れなんてそんなの悲しすぎる。もっと早くに生まれたかった。

「悲しむことではありません。1000年も前に決められていた事です。そして私が望んだ事でもあります。全ての命は秦樹に帰るのです、私はその時間が人より少し長かっただけ」

 泣きじゃくるタルテを、花巫女はあやす様な口どりで言った。

「花が咲く事は秦樹に生きる全ての生き物にとって喜ばしい事なのよ。だから、笑って見送って頂戴。それに私ももうすぐ彼に会えるかもしれない。それが楽しみでもあるの」

 ちょっと心が軽くなった。今日は色々な事がありすぎて気を張りすぎていたが、その硬くなった心が巫女様の言葉と笑顔で柔いでいった。

 そして思い至る。そうだ、これこそが巫女様のお役目なのだ。傷つき迷える民達の言葉を聞き、心を慰め、道を指し示す。

 巫女様は全ての民に等しく接される。私であっても。巫女様は昔から、私にだけは特に親しく、それこそ友、あるいは身内かのように接される。それはタルテに対しての処方だったのかしれない。タルテはそんな巫女様の事を恐れ多くも時には姉のように――思っていた。孤児として育ち笑う事の少ないタルテは子供は、周囲の人間を遠ざけていた。エルゲイトとの高い同調を示し、虫や獣や木花と戯れるタルテは周囲に人間を遠ざけた。またその一緒に遊んで、学ばせて、喧嘩をして、叱ってくれて、導いてくれる、そんな姉が欲しいと、無意識の内に思っていた。自分でも気づいていないが。タルテもそんな事を思う事があった。

 薬膳茶の配合を教えるという名目で、お茶の相手をされた事を思い出す。

「クッキーも焼いたのよ」

 巫女様の入れてくれる茶はおいしい。喉を潤し、胃の底に溜まった熱が全身に伝播して、張りつめていた気と体の疲労を解きほぐしていく。

「そう、タルテとセトは相変わらずぶつかっているのね、思った通り、あなたたちは相性がいいのね」

 ぶつかっているのに相性がいい?

 対極にあるものが融和する時に、その途上にあるものこそ正解なのよ。点と点を結ぶ線の間に無数の点があるように。時には衝突してでもね。そしてその衝突する時に起こる火花こそが、さらに素晴らしい新たなものも生み出す閃きであり、進化の鍵となるものです。

「進化とは何ですか?」

 創世記は知っているわね。

 人は人の姿で、獣は獣の姿で創造主に造られたのではないのですか?そうでなければ「始まり」とは何なのか。

 何よりも、伝承と異なる事を他ならぬ巫女様がおっしゃるなんて。我々の信じていた神話とはなんなのです。

 その知的欲求はお前の美しいフェロモン。

「お前はやがて全てを知ることになる。巫女となり記憶の継承を授かればね。

 お前の飼っているそのノマネコが教えてくれるわ。人に飼われたノマネコは世代を重ねれば翼を失う。人里で倉番をするには必要ないからだ。でも野生種のノマネコは木々を渡るための翼を持つ。これがどういう事か、分かるか?」

「適応している……ということですか?」

 そう、ノマネコだけじゃない、この秦樹に生きるものは生き延び、子を残すために自らを変化させてきた。誰あらぬ、種の力によって。それこそが生き物の本質でもある。そしてそれは我々人も変わらない。

 人が変化してきた。

 そう秦樹やエルゲイトと同調する力も、本来は無かったものです





 巫女様は暦や天候を教えてくれる、薬の調合も、冶金の技も知っている。死者の魂を誘ってくれる。

「巫女がそういった知恵や技を独占してきたのはどうしてだと思いますか?」

「それは……」

 考えたこともなかった。巫女が人の上に立ち、導くのは巫女であるから。それこそが巫女たらしめる由縁なのだから。そう信じて疑ったこともなかった。

「人が再び争わないためです、同じ過ちを繰り返さないために。その「破壊の血」を目ざめさせぬために」」

 争う?人が?かつて人々は、かつて巨大な火の力と数万ものエルゲイトを使い、人同士が殺し合い、多くの血が流れたという。地は血を吸い、穢れ、木々は枯れ、草も生えなくなった。 そうして人は地を追われて天に遁れた。そして数千年の浄化の時が始まった。数千年前の祖先の贖罪を背負わされ、生まれながらに穢れた人。人の魂と大地、その両方が穢れが払われた時、人は再び地に降り立ちて、生きられるようになる。

 拝花の民が――のみならず秦樹に生きる者全てはこの伝承を寝物語に育つ。だが、この伝承を本気で信じる者などはいないのも現実だった。それはそうだ、天曜に生きる者で、実際に大地なるものを目にしたものなど居ないのだから。でもあるいはその大地の記憶も持つ者も居るのかもしれない。代々の花巫女フルリの記憶を受け継ぐ巫女様ならば。

 あの俯瞰に広がる原、金床の雲と同じだけの広さを持つ地が視界の彼方まで広がり、その端は金平線のように、空と地を分かつ線「地平線」が視界の端から端まで広がりそれが周囲を囲む円を描く。草と木はどこまでも生え広がり、人も獣も虫もそのどこにでも足を付けることが出来る。そんな世界を信じるというのが無理な話だ。だがもし祖先が過去にそこで生きていたのなら、争いなど起こらなそうなものなのに。

 もちろん人がどんな小さな諍いも起こさないということはない。でも人が剣でエルゲイトで人を殺めて、まして住む村を焼き払うなんて話は想像する事も出来ない。

 拝花の民が信じるのは秦樹、そして巫女だけだ。限りある糧を分け合い、襲い来る蟲から仲間を守る。それが全て。願うのは昨日と同じ今日が明日も続くことだけ。親から子、さらにその子の代まで引き継ぎ、そして死ぬ。それが久遠に続くと信じている。

 それはタルテにしても同じことだった。先祖の生まれた地「楽園」に帰ろうなんて露ほどにも思った事は――。

 しかしそれも数年の秦樹の枯れ、蟲の頻出、そしてワスプの出現により怪しくなっていた。 今、邑は戦々恐々の状態にある。変化に備えてこなかった者たちというのはこうも脆いものか。

 先の浮き島で語り合ったセトの顔を思い出す。夕日に染まるセトの顔。

 伝承は正しいのか?巫女様とセトが同じことを言うなんて。

「1000年の時を生き永らえ、この変わり映えのない世界を見てきてつくづく思いました。知恵も武器も失い、蟲という外敵に脅かされてきた人類は、確かに互いに争うこともなく、細い生を紡いできました。ですが競争心や拡大志向、創造意欲といったものを殺がれた生き物は種として緩やかな死を迎えるのかもしれません。秦樹の種が正にその象徴ですね。種を食した者は百年の生を手に入れる。しかし子を作る力も欲求もさらばえる。死から遠ざかり、探求や競争の心が失せた者は何を作り出すこともなく、秦樹を守るためにエルゲイトと同調し、飼い殺される生を数百年送り、死ぬ」

 言い終え、巫女様は窓辺に歩み寄りそこから見えるリューシュの浮き島に視線を据えた。

 しばらく、巫女様の口にした事の意味がタルテには分からなかった。巫女様が自身の迷いや過ちと言った事を口にすることは。花巫女が、拝花の民の導き手たる偉大なる花巫女はそのような迷い事を口にしてはならない。まして、秦樹や拝花の民の生き方を否定されるとは。

 耳を疑う思いだった。耳鳴りがして、景色が遠ざかり、足元が崩れ平衡感覚が失う感覚を味わった。

 信じられないという思いが胸中を満たすと同時に、心の奥から何かを訴える別の声が聞こえた。

 遠くに据えていた顔を廻らせてタルテを見据える。

「あなたにはそれが分かっているんじゃなくて?セトと居たあなたなら」

 罰当たり、若気の至り、リューシュの皆はセトの事をそう呼んだ。でもそう言った気概も大人になれば、花が枯れるように萎んでいく。セトは人よりそれが少々大きく、遅いだけだ。拝花の民の理想は、秦樹を崇め、秦樹と拝花の民という共同体の為に生きること、それこそが「大人」になるということ、リューシュの皆はそう言っていた。種を取ったものは長寿になる代わりに競争心や創造性といったものが希薄になる。でもそれは嘆くべきことではなく、秦樹に心をささげるということである。

 では本当にそうなのか?生き物として本来の在り方はセトの言うように。種を口にし、長寿を得てエルゲイトと同調できる拝花の民は思い上がりなのか?ではセトはどうなる?このまま種を口にし続け、16で成人となれば、誰よりも種と親和し、輝くポレンを持つセトもやがてそういった大人になっていくのか?喜ばしい事のはずなのにそんなセトは想像がつかない。いや、そうなってほしくないという思っている自分に気づいた。今までモヤモヤとしてはっきりとしなかった思いが初めて像を結んだ気がした。

「お言葉ですが」

 タルテの胸から込み上げたその声は、喉元まで湧き上がり口を勝手に開かせた。

「私はそうは思いません。エルゲイトを駆るのは秦樹と仲間を守るためです。私は先に幼子を守るために戦い死んだ繰者を見ました。彼の魂は本物でした。

 種がくれる不死と同調の力、それは自らが生き永らえる為でなく、家族を仲間を守る力を与えてくれるものだと私は信じています。セトだって……そうアイツだって私と同じ想いのはずです」

 巫女様は呆けたようにこちらを見据えていたが、その眼差しに射抜かれて、そう言い終えて我に返る。

「申し訳ありません」

 そういって跪く。私はなんてことを。拝花の民が巫女様に意見するなどあってはならないことだ。それを……。

「表を上げて、タルテ」

 そう穏やかに言って二の句を告げない。先程、皆の前で演説した時と同じだ。自分の内なる声が勝手に口を開かせた。重い沈黙が包む。顔を見られる訳もない。でも巫女様の言葉をふいにするわけにもいかず、タルテはゆっくりと頭を持ち上げる。巫女様はジッとこちらを見据え、やがて穏やかに微笑んだ。

「その言葉を聞けて良かった、やはり私の目に狂いはなかったようですね」

「そんなあなた達だからこそ、惹かれあうのでしょう」

 リューシュの皆もあなたを慕い、奮っているようですね、聞きましたよ、先ほどの事は」

「あ、あれは……」


「私があなたを花巫女と見染めたのは、あなたが艶やか燐を持つからではありません。その王たる言葉で民に語り掛けるからです」


「『オウ』? 『オウ』とはなんですか?」

「人を導くのは、人であらねばなりません。秦樹への感謝は忘れてはなりませんが、それは依存したり、崇拝したりする事とは別です」

「その上で選ぶのです、花巫女になるべきかならざるべきか、自身の生き方を」

「……私は」

 私は、どうしたいのか……。、



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