南24・別れ、そして終幕へ
桂樹は、奥歯を強く噛みしめ、デスクの上に置いていた軍帽を目深に被る。
「……黒月君が『空の祝福者』じゃなくて良かった。」
桂樹はそう言うと、くるっと回れ右をして、黒月に背を向けた。と思うと、窓を大きく開け放つ。冬の締まった空気が部屋に入り込んできて桂樹の髪を揺らし、黒月の頬を撫でる。
黒月が、これから桂樹が何をしようとしているか気付くと同時に、桂樹が窓枠に足を掛ける。黒月が「待って!」と言いかけた時、桂樹が黒月の方を振り向いた。しかし、目深に被った帽子のせいで、その表情は読み取れない。ただ、悲しさはその背中から伝わってくる。
「……さようなら。」
その声は、かすれていた。もはや、声と言うのにはあまりにかすれていた。注意して聞き取らなければ、風に流されてしまいそうな声。それでも、桂樹はそう小さく呟くと、黒月が止める間もなく、窓から飛び立っていった。
あっと言う間の出来事だった。窓から飛び立ち、いなくなってしまった桂樹。そして、部屋にひとりぽつねんと残された黒月。
桂樹の正体を暴けば、桂樹がこういう行動を取るだろうということは、容易に想像できていた。自分がスパイということがバレたのだ。逃げるか、もしくは勘づいた人を抹殺するしかないだろう。だが、司令部と軍寮の往復しかしていない黒月を暗殺することは、ほぼ不可能だ。そうなれば、逃げるしかあるまい。
しかし、だからといって、それを阻止する措置、つまり「空の祝福者」を待機させておくとか、窓を開かないようにしておくとかは、取る気にならなかった。それは、理論で説明するのは難しいかもしれない。ただ、逃げたいのであれば、逃がしてあげたいと思ったのだ。
部屋にひとり取り残され、開け放たれた窓から今も入って来る冷たい風に、巻かれる黒月。半ば分かっていた結末だが、いざ起きてみると半放心状態になる。
桂樹が、なぜスパイ行為を働いていたのかは、もはやそれを確かめる手段はない。それとも、そんな理由なんて、元からないのかもしれない。
桂樹は、軍学校の頃から帝国に潜入していたのだ。つまり、彼女が最低でも14、15歳の頃には潜入を始めていた。どんな動機があれば、そんな幼い頃からスパイとして敵国に潜り込めるめか、黒月には想像がつかない。そして、もはやその答え合わせをする術はなく、ただただ思いを馳せるにとどまってしまう。
「さようなら。桂樹さん……。」
黒月が、寂しく呟く。
「でも、これで、勝ちのロジックが立ったよ。最後のピースが足りなかったんじゃない。桂樹さんという完璧なピースが紛れ込んでいたせいで、本来のピースがはまっていなかったんだ。さようなら、桂樹さん。」
こんなことになるなら、桂樹さんが遠くへ行ってしまうなら、勝ちのロジックが立たなかったとしても、裏切り者の正体を暴かなきゃよかったと、黒月は心の底から思った。
なんてことは、まるでない。
いや、まるでないといは言い切れないかもしれない。それでも、黒月は実際に行動に移したのだ。それは、後悔していない。
なぜなら、黒月はジークメシア帝国南方司令部の、唯一の参謀次長なのだから。
その翌日も、その翌日も、その翌日だって、桂樹は参謀課に、南方司令部に顔を出さなかった。当たり前のことかもしれないが、「日常」からその一部が欠けるというのは、その違和感が強く残るものだ。
そのまま一週間が過ぎても、もちろん、桂樹は姿を見せない。定例会議のときに、ぽっかり空いた桂樹の席が、やけに大きく見えた。
司令部では、桂樹は「失踪」という形がとられ、捜索が少しばかり行われた。戦争中なので、捜索にそう兵は避けない。3日ほど捜査が行われ、桂樹が見つからないと捜査は打ち切りになり、桂樹は「行方不明」として除籍処分になった。
捜索が早めに打ち切られたのには、他にも理由がある。戦線の再活発化だ。奇襲作戦からはや3週間が経過し、お互いある程度の準備が整った。駅を起点として、互いに油断を許さぬ睨み合いが始まった。一部では、激しい戦闘も繰り返された。
それでも、ジークメシア帝国が優勢なのは明らかだった。そもそも、持っている駅の数が、帝国の方が多い。それに、敵が持っている駅で一番首都に近いのは西部駅。それに対し、帝国が持っている駅で一番敵の首都に近いのはⅣ駅。
西部駅からコリ、そして首都までの距離よりも、Ⅳ駅からザック国の首都のほうが、何倍も近い。自分の心臓のすぐそこまで敵の砲火が迫っていると思いながらの戦闘は、何倍も気力を奪われる。敵にとっては、気が気でない戦闘だろう。
それに、(黒月は完全に忘れていたが)モリシタ参謀長も、優秀な参謀であることには間違いなかった。彼の戦略が、帝国を徐々に優勢にしていったのは、紛れもない事実だ。奇襲一発逆転型の黒月とは戦略の思考が合わないが、安定重視詰将棋型の参謀長の戦略は、確実に勝利を手繰り寄せていった。
人間、目の前に敵の大将の首があれば、それをすぐに刈り取りたくなるものだ。しかし、参謀長は焦らなかった。首都へ向けた攻撃はそこそこにしておいて、あえてⅢ駅やⅠ駅へしつこい攻撃を繰り返した。
これが、敵からしてみれば、たまったものではない。首都へチクチク攻撃されるのは生きた気がしない。さらに、もしⅢ駅やⅠ駅が帝国に落されることがあれば、西部駅への補給が断たれ、急激にピンチに陥る。そんな綱渡りのような精神状態での戦闘を強いられるのだ。
敵が、だんだん弱っていくのは、目に見えている。2月が顔を見せる頃には、ザック国は白旗をあげることだろう。悪く言えばネチネチした戦法は、黒月にストレスを与えたが、それでも勝てる以上は、何も言えない。それに、黒月が思い描いた「勝利のロジック」も、似たような作戦だったので、特に不満は無かった。
「ははは。これがバンバドレス・アーネス・モリシタの実力ですよ。うんうん。どうですか?黒月参謀次長。」
黒月は、相も変わらず能面顔でそう言う参謀長の姿を思い出す。やはり、サイコホラー感が抜けない。参謀というよりは、マッドサイエンティストにいそうなタイプだ。
寒さ深まる南方戦線。長きに渡った戦線が、その終わりを告げる時も近い。
裏話コーナー
・桂樹さんがどういう別れ方をするのかというのは、凄く悩みました。もっと時間をかけて別れたり、もっとドラマチックな別れ方をした方がいい気もしています。それでも、別れはいつも突然だ、という私の信条を映すべく、こういう別れにしました。




