忘れ形見
国民の称賛と奉謝を一身に受けながら、延々と続く城の階段を降りて行く。
門を潜り抜けると、一吹きの木枯らしが俺の体温を攫っていった。両腕で身体を摩るものの身体は依然として寒いまま。身震いも止まらない。
天を見上げれば、今にも雪が降ってきそうな暗雲が空を覆っている。
しかしそれでも国民の声は止む様子を見せず、勇者一行の帰還を自分のことのように喜んでいた。
人集りによって作られた一本道を進む俺は、さながら凱旋パレードの英雄になった気分だった。
何人かが大袈裟に腕を振り上げ、こちらに歓声を向ける。
勇敢なる勇者の仲間として少しでも彼らの期待に応えるため、俺は厳かな歩みで一人一人に手を振り返す。
目が合った少女達は一斉に黄色い声をあげた。
いつもの俺なら、女性にちやほやされている事実に対して鼻の下を伸ばしただろう。そして勇者に肘でつつかれ、聖女には慣れた仕草で頭を引っぱたかれる。
そのやり取りさえ、今の俺にとっては輝かしい思い出の一つだ。
俺の思考は未だ、勇者と聖女との思い出に囚われたまま。
「アルトさン!」
聞き覚えのある声が、記憶の海から俺の意識を引き上げる。
独特な語尾のイントネーションは道化師を思い起こさせ、群衆から一人抜け出てきた男の格好は、同様に奇抜な服装をしていた。
「yellowさん…」
名を呼ぶと、道化師の男は覚束無い足取りでこちらに駆けてくる。
彼は赤ん坊を腕に抱いていた。
ぷくぷくとした手足を小さく丸めて男の腕の中に収まるその子供は、生え揃ったばかりの金髪を可愛らしい髪留めで留め、幸せそうに微笑んでいる。その様子から、彼女は愛に溢れた環境で育まれてきたのだという事が伺えられた。
「君は…」
面影の懐かしさに思わず声をかけると、くりりとした瞳がこちらを向く。赤ん坊は見覚えのない男性を目にして驚いたのか父親譲りの碧眼を瞬かせ、俺に向けて手を伸ばした。
その小ぶりな手のひらを優しく握ってやると、さも嬉しそうに赤ん坊は笑う。その微笑みは母親譲りだった。
俺は震えた吐息で勇者と聖女の名前を零す。
「…っ、……」
その反応を見て、魔王との戦いで何があったのか察したのだろう。涙を堪えるように嗚咽を噛み殺し、道化師の男は赤ん坊を抱きしめる腕を強めた。
道の真ん中で、老若男女問わず勇者達の為に集まった国民が見守る中、俺達は小さな赤ん坊を抱いて啜り泣き続けた。
事情を知らない人達も大勢居ただろうに、俺達を非難する人は誰一人として居なかった。
黄色い声をあげていた少女達も今は静かに目線を落として黙り込んでいる。もしかしたら彼女達も泣いてくれていたのかも知れない。
時折、誰かの鼻を啜る音がちらほらと聞こえてくる。
…暖かかった。身震いはいつの間にか止まっていた。
勇者と聖女の犠牲は、何も無駄ではなかったのだと思えた。
彼らが命を賭して戦った成果が、ここにある。
彼らが守りたかったこの国の人達が今もこうして生きている。
彼らが遺していってくれた忘れ形見が俺達の腕の中で息をしている。
「イエローさん、俺まだ…やらなきゃいけないことがあったみたいだ」
俺はこの日、二人の忘れ形見を大切に育ててみせると、固く胸に誓った。