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小さい頃、読書感想文が嫌いだった。
学校の授業で、恐らく2番目に嫌いだった。
前の席から回ってくる原稿用紙を見るだけで、暗い気持ちになったし、
それを受け取り、後ろの席の人に回したあと、
自分の机の真ん中に置かれた、その紙を見ていると、
自然と溜息が漏れた。
書く前から、
もう、憂鬱で憂鬱で堪らなかった。
そもそも、
私は、本(漫画とか絵本じゃなくて、字がメインのヤツ)を読むこと自体が嫌いだった。
子供の頃は、ほとんど本を読まなかった。
平均すると、
年に2冊とか、3冊とか、
それくらいだと思う。
理由は単純。
読むのが大変なのに、そこまで面白くないから。
要するに、割に合わない。
わざわざこんなに苦労してまで、本を読みたくなかった。
「本を読みなさい」・・・というフレーズは、
大抵の人が、
子供の頃、親とか学校の先生とかに言われたことがあると思う。
私も言われた。
で、ヒマなとき、
勧められた本や、たまたま目についた本を仕方なく読み始めてみるのだけれど、
ほとんどの場合、最初の数行で飽きてしまっていた。
退屈度MAXのまま、何とか我慢して読み続け、
更にちょっと進んだところでドロップ。
本を閉じて、元の場所へ戻して、
次のヒマ潰し方法を考える。
毎回そんな感じだった。
読書感想文を初めて書かされたのは、
確か、小学1年生の秋頃だったように思う。
国語の授業を2時間くらい使って、
みんなで、それぞれ自分で持ってきた本を読んで、
その後の1時間を使って、読書感想文を書く・・・みたいな感じだった。
で、
私は、その1時間では書けなかった。
何を書いたら良いのか、さっぱり分からなかった。
先生には、
「本を読んで面白かったことや思ったことを何でも良いから書け」と言われた気がするが、
でも、
本を読み終わっての、そのときの私の感想は、
ふーん、これってそういう話だったのか・・・だった。
他には、
あー疲れた・・・とか、やっと読み終わった・・・だった。
面白いと感じたところは無かったし、悲しいとも楽しいとも思わなかった。
特に何も思わなかった。
当時の私は、
はっきり言って、本に書いてあるストーリーについていくのがやっとの状態で、
それに対して何かを思う余裕は、ほとんど無かったように思う。
原稿用紙の最初に《〇〇(本のタイトル)をよんでおもったこと》と書き、自分の名前を書き、
《この本をよんで、ぼくは》・・・と書いて、そこで鉛筆が止まった。
少ししてから本をパラパラ捲って、
原稿用紙を見つめ、じっと考え、
また、少ししてから本をパラパラ捲って、
原稿用紙を見つめ、じっと考え、
そうして、そのまま45分が過ぎた。
帰りの会が終わって、放課後。
感想文を出せなかった人だけ、教室に居残って書いていた。
相変わらず、私は何も書けなかった。
時間が経つにつれ、どんどん人が減っていく。
私は、その度に焦りを募らせていた。
教室内の人数が、
4、5人くらいになったときだったと思う。
居残り始めて、2時間くらいの頃。
もう、いいや・・・と思った。
ずるい手(と、当時の私は思っていた)を使うことにした。
気になった文章をそのまま原稿用紙に写し、その感想をひとつずつ書いていくことした。
《〇〇とかいてあったけど、すごいとおもいました》
《○○とかいてあって、△△が□□するなんておもしろいとおもいました》
要するに、
本の感想ではなく、ひとつひとつの文章の感想を書いていった。
そして、最後に《おもしろかったです》と書き結んで、
その原稿用紙を、教卓の上に用意されていた箱の中に提出した。
私が教室を出るとき、居残っていた人は、
ひとりか、ふたりか、
それくらいだったと思う。
窓からはオレンジ色の日光が横から差し込んで、
教室の、無人の机と床に窓枠の影が映り込んでいた。
その後、
読書感想文は、主に夏休みの宿題のついでとして毎年出された。
でも、
その、ついでが特に嫌だった。
そこまで面白くない本を、長い時間我慢して読まなければならないし、
読み終わったあとは、
感想を、無から何とかして捻り出さなければならない。
3時間とか4時間とか考えた末、
結局いつも、本の感想ではなく文章の感想を書いて誤魔化していた。
こうじゃないんだろうなぁ・・・と思いつつも、
当時の私には、それしか書けなかった。
小学3年生か4年生の頃だった。
夏休み明けの、日曜日の昼下がりだったと思う。
ヒマでヒマで仕方なかった私は、本を読むことにした。
大どろぼうホッツェンプロッツ(オトフリート・プロイスラー作)って本だった。
既に何回かチャレンジしていて、
いずれも、数分のうちには本を閉じていた。
その日は、
けれども、今までと違ってすぐには本を閉じなかった。
汗ばみながらも、ひたすらに読み続けた。
読書感想文で、これまで本を何冊か読破したことが自信になっていたし、
あとは、
妹が本を好んでよく読んでいたので、それへの対抗心もあった。
前半は、やっぱり退屈だった。
私は、じっと我慢して読み続けた。
ときどき途中にある挿絵が、
そのときの私の、本を読み続けるための一番のモチベーションだった。
次は、どんな挿絵があるんだろう。
早く見たい。
そう思いつつ、一生懸命に読み進めていった。
挿絵は、マラソンにおける給水ポイントみたいなものだった。
読み終わったばかりのページに指を挟んで、本を閉じ、
本を天面から眺めて、
今、自分がどれくらいまで読み終えたのか、
あと、どれくらい残っているのか、
何度も何度も確かめつつ、少しずつ読み進めていった。
半分を過ぎ、それから少ししたところで、
ようやく面白くなってきた。
早く先が読みたい、と思うようになった。
でも、
本を読むスピードが遅いため、なかなか先へ進めなかった。
焦れったくて、もどかしかった。
読み終えたのは、夕方くらいだったと思う。
少し涼しくなっていた記憶がある。
私は本を閉じて、
また、本の天面を見た。
これだけの厚さのある本を、自分は読み切ったんだ。
達成感があったし、
気分もスッキリしていて、心晴れやかだった。
本好きの人の気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。
でも、
こんなに苦労してまで読むものでもないな、とも思った。
ちなみに、学校の授業で一番嫌いだったのは水泳。